【2019.7.14】
インディカー・シリーズ第11戦 ホンダ・インディ・トロント
(トロント市街地コース)
2013年の夏を思い出す。トロントを舞台とした市街地レースはこの一時期だけ、デトロイトと同様に週末2度の決勝を行っていた。からりとした――というのは映像からの想像だが――快晴であったことが妙に記憶に残る土曜日のレース1が最終周回の85周目にいたったターン3の入り口で、彼は3位を争う眼前の相手が閉ざしている狭い空間に向かって無謀としか見えないブレーキングを敢行し、予感のとおりに姿勢を乱した。バックストレート終端手前の、わずかに折れ曲がっている形状を利用して防御を図った相手の居場所を文字どおりこじ開けながら飛びこんだすえに、遅すぎるブレーキの初期制動でぐらついて相手の右リアホイールに自分の左フロントホイールを接触させ、そのままふらふらと焦点の定まらない挙動で直角コーナーを曲がろうとして果たせず、虚しくもタイヤバリアへと突き刺さったのだ。当てられた側のダリオ・フランキッティは制御を失った相手を一瞥して走り去り、後続も何事もなく傍らを抜けていった。すべての車が過ぎゆきて、彼はターン3にただひとり取り残される。最終周だからもうここを通るものはなく、レースは事故を無視するかのようにフルコース・コーションを出さないままチェッカー・フラッグを迎え入れた。すでに選手権の可能性がはるか遠のき、目標を見失っていただろうウィル・パワーが、精神の遣り場をなくして破滅的な機動に身を投じた、そう解釈したくなる一幕だった。
スコット・ディクソンが、春の不調が嘘だったようにこの週末の両方を含む3連勝を上げて選手権争いの主役に突如名乗りを上げ、対して首位をゆくはずのエリオ・カストロネベスは、後に自ら自身が認めるとおり保守的すぎる態度に溺れて少しずつ優位を失いつつある、そんなシーズンが半ばを過ぎたころのことだ。多くの視線は2人に注がれており、翻ってパワーはなにもかもうまくいっていなかった。記録を見返すと開幕からこのレースまで3位表彰台を1度獲得したきりだから、直前の3年間に比べれば酷い有り様だ。トロントでも、最後の事故から20周分ほど時間を巻き戻してみれば、先頭争いをしていたディクソンにピットストップで逆転を許し、順位を取り返そうとターン3で攻撃をしかけて、やはりバリアに接触する間際まで飛び出してしまっていた。彼が迎えた結末は、そうした経緯に抱いたやるせなさの発露でもあっただろう。レースが終わってから、結果とは裏腹に快活な笑みを浮かべ淡々とインタビューに応じる姿もいまもって忘れられない。それはきっと失望の裏返しで、混乱する精神の遣り場を笑顔としてしか表出できなかったのだと思えてならなかった。穏やかな目元と紅潮する頬がかえって寂しさを際立たせたものだ。
あの日に限らず、パワーには内包する弱さによって蛮勇を振るってしまう場面が何度かあった。そのうえ、ロード・市街地コースでの圧倒的な速さと対照的に、まともなオーバルレースで優勝経験がない(唯一の勝利は、本来550kmのレースを2分割して開催された「テキサス・ファイアストン・ツイン275s」の片割れで、抽選で3番グリッドに就き、1時間も走らずに得たものだった)ほど苦手としていたから、シリーズ・チャンピオンやましてインディアナポリス500マイルの頂きに辿り着く姿はなかなか想像できなかった。もちろん知ってのとおり、そこから5年で彼はすべてを手に入れることになる。翌2014年に同僚であるカストロネベスとの戦いを制して王座につき、2018年にはとうとうインディ500の歴史に名を刻んだ。そこまで成功する未来を予想できなかったのは観客としての不明だが、しかし不明を恥じる必要もないほど、端的に言って彼は変貌した。変化は表層的な面にはっきりと現れている。このトロントの後、最終戦が行われたフォンタナのスーパー・スピードウェイを圧勝し――ディクソンとカストロネベスの王者争いが白熱するかたわらで、ひっそりと、しかし別人が走っていたかのように――、やがて数年をかけて最上級のオーバルドライバーへと登りつめたのだ。結果の字面だけ追いかけるのでもフォンタナ以降オーバルでの成績が急激に良化しロードコースを明らかに上回るようになった事実は知れるし、毎戦つぶさに見ていればなおさら、オーバルにこそ印象深い戦いぶりを挙げられるようになった。2014年のテキサスやミルウォーキー、あるいはポコノの2連覇。どれも際立った速さを見せつけた驚嘆すべきレースだ。彼は変わった。変わる過程でチャンピオンに輝き、変わった果てで世界一の舞台に祝福された。およそ完璧な人生の物語である。
とはいえ、長い時間には禍福の往復がつきまとう。いまのパワーは、どうやらふたたび2013年のトロントの時期とよく似た困難に直面している。あのときと同様、彼はなにもかもうまくいっておらず、シーズンの開幕から何も成していない。セント・ピーターズバーグでは予定調和のポール・ポジションを獲得して予定調和の敗戦を喫し、インディカー・クラシックではずっと先頭を走り続けていたにもかかわらず、フルコース・コーションのタイミングと車のトラブルでみすみす優勝を手放した。速さはあったのにけちがついたレースの後は、見せ場もほとんどなくなった。昨年歓喜を味わったインディ500では優勝した同僚の引き立て役にもならず、デトロイトではピットストップでチームがタイヤを装着しそこねた。表彰台に登った2回のレースも勝者の存在感が圧倒的すぎて、彼自身にさほど印象深い場面が訪れたわけではない。それ以前に、速さを身上としているのにインディカー・クラシック以降はポール・ポジションどころかフロント・ローにさえ並べていない。2度の予選3位がせいぜいで、Fast 6――予選第2ラウンドの上位6人で争う最終セッション――に残れない土曜日もしばしばだ。今回も15番手スタートに終わっている。予選第1ラウンドで敗退するのは3年半ぶりのことだった。もちろん、インディカーに来てから11年連続で挙げてきた勝利はいまだ果たせていない。(↓)
そうした状況のなか、6年前のように事故は起こった。日曜日の1レースだけとなった、しかし当時と変わらぬ快晴のトロントで、パワーはまたしてもタイヤバリアへと直進している。グリーン・フラッグからほんの数十秒しか経っていない1周目のターン8で、マルコ・アンドレッティの懐を窺おうとコーナーに向かって斜めにブレーキングするグレアム・レイホールのさらに内、もはや曲がるには窮屈な空間に、遅すぎるタイミングで飛び込んで車を止めきれなかったのだ。レイホールはぶつけられた反動でマルコのリアタイヤを押してスピンに追いやりながらパワーとともにバリアへ直進し、後続の3台ほどが行き場を失ってエスケープゾーンに退避させられた。結果としてどの車にも大きな損傷はなくだれもリタイアに追い込まれなかったことだけが幸運だった事故で、そのおかげかパワー自身も罰せられずに済んだが、スタート直後の集団に大きな混乱をもたらした原因がなんだったのかは明白だ。本人はレイホールに並びかけた際、外にもう1台いるのが見えなかったと原因を述べ、その言に偽りがないとしても、外から見ればマルコの存在いかんにかかわらず進入は間に合っておらず、そもそもそこに飛び込めると思って実行してしまうこと自体が、冷静さを欠いた動きであるようだった。
そう、2013年の夏を思い出す――記憶を寄せて、あの日のトロントをこの日のトロントに重ね合わせたくなる。理由を見出したくなってしまう。人は変わってゆくものだ。それは間違いないし、ウィル・パワーの技術あるいは運動の表層はたしかに変容し、その好ましい変化、成長は彼に最高の栄誉を与えた。しかし、だとしても、困難が訪れたときの振る舞いは強固に根を張って移ろわないのだと、この顛末は教えているのではないか。人の本質は臨界に仄見える。なにもかもうまくいかないならどうとでもなれと言わんばかりに、自棄の行き着く先にある結果を神様の采配に委ねる無謀さが、6年の時間を経てまったくおなじ状況下にふたたび現れた事実は、どれだけ技術が練られ、状況に対する適切な対処の仕方を身に付けたのだとしても、心の空白を埋める術だけはどうしても持てなかったことを示唆しよう。隘路に行き着いたとき、最後にはすべてを擲ってブレーキングに殉じる。それが変化したウィル・パワーの、唯一変えられないありかたに違いないのだと。(↓)
最後尾に転落したパワーは、レースが進んでも凡庸なままでいる。たとえばこれがディクソンならば、序盤に致命的に思われるミスを犯しても、むしろそういうときにこそペースを立て直していずれ上位争いに顔を出したりもしただろう(直近ではロード・アメリカがそうだったわけだ)が、挽回の気配を感じさせることなく、10番手に上がるのがせいぜいだった。なにもかもうまくいかないシーズンの、なにもかもうまくいかないレース。ままならない週末の繰り返し。積み重なるやるせなさが最後にふたたび形となって現れたというのはさすがに想像が過ぎるかもしれない。しかしどうしてもそう解したくなる事故は起こった。日本の放送を実況した辻野ヒロシが「パワーに始まりパワーに終わった」と述べたとおり、レースが85周目を迎え、シモン・パジェノーがどうやらディクソンの猛追を凌ぎきって優勝を手中に収めたと思われたころ、パワーは自身にとって84周目の、やはりターン8でタイヤバリアに衝突していたのである。1周目より深々と、バリアに対してほぼ垂直に突き刺さったパワーは、ギアをリバースに入れて強引に脱出を試みたが、フロントウイングが引っかかってホイルスピンするばかりで果たせず、完全に停止した。レースはフルコース・コーションとなり、少しばかり興を削がれるイエロー・チェッカーで幕を閉じる。この日トロントで導入されたコーションは始まりと終わりの2回のみ。言うまでもなく、どちらも原因はパワーであった。
インディカーの公式ウェブサイトを覗くと、パワーは自らレース後に2度の事故の状況を説明したのち非を認め、「精神を正しく保って、なすべきことをやり続けなければならない。ミスについて熟考し、同じことを繰り返さず、来週のアイオワをより良い日にしなければならない」と述べている(”POWER HAS TROUBLE-FILLED RACE IN TORONTO”,https://www.indycar.com/News/2019/07/07-15-BMartin-Power)。その表情を窺い知ることはできないが、”have to” を並べるその口ぶりにはどこか精神の逼迫を思わせるものがあろう。それはレースでの振る舞いにも見て取れる。最後のターン8で刺さった後、彼は無理やりにでも車を後退させて復帰を試みたのだった。状況を考えればそうする意味などほとんどなかったにもかかわらず、コースマーシャルの手も借りず、何秒もホイルスピンさせてタイヤをすり減らすのも、エンジンに負担をかけるのもかまわず、ただただバリアからフロントノーズを引き抜こうともがいている。まるで6年前、精神の発現にもはや笑顔を見せるしかなかったのとおなじで、もはやそうする以外に自分を表現できないと主張するかのような、滑稽で寂しい運動だった。ホイルスピンを続けるパワーのリアタイヤから白煙がもうもうと立ち上り、ターン8の周囲を包んでいた。そこには、苛立ちや焦り、まして直情的な怒りなどではなく、ただただままならない落胆ばかりが見えるようだった。煙はきっと、彼の穏やかな目や紅潮する頬と同じだった。ややあってパワーは脱出が不可能と悟り、車を止めた。白煙は風に流され、薄く拡散していった。■
Photos by :
Shawn Gritzmacher (1, 2, 4)
Joe Skininski (3)