ファン=パブロ・モントーヤの憂鬱は運動と制度のあわいに広がる

【2015.8.30】
インディカー・シリーズ最終戦 ソノマGP

2015年のインディカー・シリーズにおける選手権制度の詳細が発表されたとき、それは明らかに歓迎されざる俗なやり方に思えた。いや、本来「俗」な観客にすぎないはずのわれわれがみな一様に首を傾げるような方策だったのだから、俗情と結託したとすらいえず、だれのためになるのかさえ不明な、冴えない発想だったにちがいない。実際、近年このうえなく迷走を続けるF1が採用し、そしてあまりに不評なため1回かぎりで廃止したような「最終戦の選手権得点2倍」という愚策に、まさかインディカーが1年遅れで追随しようなどとは思いもしなかったのだった。
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さよならジャスティン・ウィルソン、さよならその日常

【2015.8.23】
インディカー・シリーズ第15戦 ポコノ・インディカー500
 
 
本当なら、ポコノのトライオーバルについて書きたいことも書くべきことも山ほどあったに違いなかった。ミッドオハイオの後にレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングがいまだ信用に足るチームではないと記したのは単なる経験的な予感に過ぎなかったが、今にして思えばあまりに予言めいたその言葉ははかなく的中してしまい、チームはもっとも重要な局面で致命的な失敗を犯して選手権を遠ざけていく。2回目のピットで給油作業に手間取ったことで、直前まで5位を走っていたグレアム・レイホールは20番手の後方にまで下がってしまった。それさえなければトリスタン・ボーティエに内側から寄せられてスピンする必要もなかった。一事をもって万事を失うのはオーバルレースの常である。フォンタナでの給油ミスは軽い罰金を科せられるだけで済まされたが、二度目はなかった。書くべきこととは、たとえばそういう失意の果てにどう最終戦を戦うかという興味だ。
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グレアム・レイホールはたった一度のブレーキングで醜聞を忘れさせる

【2015.8.2】
インディカー・シリーズ第14戦 ミッドオハイオ・インディ200
 
 
 それが故意だったのかたんなる時宜にかなった偶然だったのかはすでに藪の中である。レース後の水曜日に出されたレポートにはいかなる処罰も記載されておらず、あらたな疑惑になりえた事件はレースにおいてありうべき出来事にすぎなかったとして幕が引かれた。公的な結論としてはそれ以上でも以下でもない。たしかにミッドオハイオの66周目に起きたセージ・カラムのスピンはあまりに「できすぎ」ていたように見える。ターン4の出口で彼が車の制御を失ったのは、選手権を争うチームメイトのスコット・ディクソンが最後の給油とタイヤ交換を完了したたった3周後のことであり、おなじころ、ポイントリーダーであり最近にしては珍しくレースの先頭を走っていたファン=・パブロ・モントーヤはまだ1回のピットストップを残していたのである。カラムが車を止めてしまったことによって導入されたフルコース・コーションは両者の差を無にし、そのうえ隊列が整ってからようやくピットに向かったモントーヤは12番手まで順位を下げて、最終的に11位でチェッカー・フラッグを受けた。「幸運」のおかげで4位に入ったディクソンのみならず、グレアム・レイホールまでもが漁夫の利を得て優勝した結果、レース前には40点以上の差があったはずの選手権争いは2戦を残してにわかに混沌としてきている。レイホールとモントーヤの9点差は、最終戦の得点が2倍に設定されていることを思えば、ほとんどないに等しい。
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4.5%のリーダーが選手権をリードしているならば

【2015.7.18】
インディカー・シリーズ第13戦 アイオワ・コーン300
 
 
 シーズンの残りを片手で数えられるような時期になると、レース単体の結果だけでなく選手権の行く末も気にかかるようになってくる。もちろんわれわれが見たいのはレースという運動であって、その順位の集積によって作り上げられた虚構の制度にすぎない選手権の得点に一喜一憂する理由もないわけだが、当事者であるチームやドライバーが制度の頂点を目標として定めている以上、その趨勢は往々にしてレースの強度へと跳ね返ってくるのだから、レースを「見る」ことに徹しているものとしても無関心ではいられない。選手権はレースと直接関係を切り結ぶわけではないが、状況に応じてレースの相貌をがらりと変えてしまう。それは時にチームの思考を混乱させ、ドライバーの精神を保守的に留めて手足を硬直化させ、あるいは過度に攻撃になるよう刺激したりする。おなじコース、おなじ勢力図であっても、時期が変わるだけでレースそのものが変質する可能性があるという感覚は、おそらくモータースポーツにかかわるあらゆる人間が共通して持っているはずである。
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おかえりにはまだ早くても

【2015.7.12】
インディカー・シリーズ第12戦 ウィスコンシン250

物質的な文房具であると同時に文字量を現す慣習的で不可思議な単位でもある「原稿用紙」の枚数に換算してwebの文章を量ることにさほど意味があるとは思われないものの、ともあれ毎週のように行われるレースについて金になるでもないのに10枚から書き続けてほぼ3年、数えたことはないがおそらく400字詰めにして700枚くらい積み上げ本の2~3冊にも届きそうな分量になればいいかげん新しく書くこともなくなってくる、などといった言い訳をするようになってはこのブログもそろそろ寿命が尽きかけているだろうなと自覚するのだが、せめて延命のためにおなじことを繰り返すのを許してもらうなら、気づけば20年くらい米国のオープン・ホイール・レースを見てきた身にとって、セバスチャン・ブルデーとはなかば哀愁をともなって口にしなければならない名前である。今回のウィスコンシンに優勝したことで歴代8位タイとなった34勝、33回のポールポジション、選手権4連覇と「輝かしい」実績は一見すると目が眩まんばかりだが、近寄ってよくよく磨いてみるとどうやらその光は少々鈍いようにも感じられる。知ってのとおりその成績のほとんどすべてが米国チャンピオンシップ・カー・レーシング分裂の歴史の中で滅亡したチャンプカー・ワールドシリーズで記録したもので、ブルデーが王者になった2004年から2007年はその最後の4年、つまり没落する王朝の最後の支配者だったのである。彼がチャンプカーにいたのはすでに多くの有力チームがインディカー・シリーズへと戦いの場を移した後のこと、そこで勝ち続けることがどれだけ才能を証明してくれるのかはわからなくなっていたころだ。チャンプカーが消滅し生まれ故郷の欧州へ「実績」を引っさげて戻ったF1でのキャリア構築はセバスチャン・ベッテルという強力すぎる同僚を前にして失意のまま終わり、ふたたび米国へ、今度はインディカーのドライバーとしてやってきたときには満足なシートが残っているとは言い難かった。チャンプカー時代には相手にもしていなかったウィル・パワーが有力チームのペンスキーで活躍するようになったことを思えば、回り道が過ぎたのだろう。スーパーリーグ・フォーミュラなどという今となっては歴史の徒花でしかないようなカテゴリーにさえ参戦したのは、傍目にはどうしても時間の無駄遣いに見えてしまう。人生の選択が少しずれて2008年にインディカーの新人として走っていれば、といっても詮ないことだしその架空の別世界なら成功が保証されたとも約束されるものではないが、2011年にあれほど苦労せずに済んだだろうかとも思わずにいられない。いくらドラゴン・レーシングの戦闘力が貧弱極まりないものだったとはいっても、復帰してからのブルデーは、チャンプカーの栄光が幻だったかのように、決して速いとは言えず、クレバーでもなく、ときどきつまらないミスでレースを失う程度のドライバーにすぎなかった。それも2年以上、状況の変化や不慣れを理由にできる時間が終わってもなお、そうだったのだ。
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危機に瀕したときに問わなければならない

【2015.6.27】
インディカー・シリーズ第11戦 MAVTV500
 
 
 一度も足を踏み入れた経験がないにもかかわらず、1999年10月31日に起きた不幸なできごとによって、わたしはフォンタナという土地の名前をけっして忘れられないものとして記憶しつづけている。将来を嘱望されていたCARTの若手ドライバーだったグレッグ・ムーアの身に降りかかった災厄は、日本に住むひとりの高校生がはじめてモータースポーツで喪失感を抱いた事件でもあった。それはずいぶん身勝手な感情の現れ方だったといえるかもしれない。その5年前にF1を襲ったローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナの事故死も、1996年にインディアナポリス500でポールシッターだったはずのスコット・ブライトンが永遠にスタートできなくなってしまったことも、同じ年にCARTトロントでジェフ・クロスノフの車が二つに裂けてしまったことも、またフォンタナのほんのひと月前にゴンサロ・ロドリゲスがラグナ・セカのコークスクリューに散ったことも、誤解を恐れずいえば流れてくる一つのニュースに過ぎなかったのに、まだ24歳だったムーアの突然の死だけが、心に大きな穴を穿っていったのだった。わたしはあのとき、自分の英雄を失う最初の経験をした。
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速さを弄ぶペンスキーが、レースの順位を語れなくしている

【2015.6.14】
インディカー・シリーズ第10戦 インディ・トロント
 
 
 わたしはジョセフ・ニューガーデンを好んでいることを公言しており、その走りについておそらくもっとも日本語を費やしてきた人間だろうと自負もしている――なにせ、google検索してWikipediaの次に表示されるのは昨年書いたこのブログ記事で(※移転前にそういう時期があった)、1万字近い文章であるうえ、その他にもひとつふたつおなじくらいの文字数を書いた記事がある――が、そんな偏りのある目で見ていても、たった一度の偶然にすぎない好機によって気付いたら先頭を走ることになった24歳が、そのままチェッカー・フラッグまで逃げ切ってしまったレースについてどう受け止めていいのかいまだ戸惑いの中にいる。贔屓のドライバーが勝ったのだから喜ばしいかといえばさほど単純なものではなく、つまり今年のアラバマでの初勝利がニューガーデンの恐れを知らない情熱的な本質に支えられた彼だけのためのレースだったのに対して、このトロントは幸運に過ぎて、終わってみればおよそだれが勝っても構いはしないものだったのである。それがたまたまわたしの好むドライバーの名札をつけていただけだ。アラバマが「優勝」で、トロントは「1位」だったと言ってもいい。どんなレースにも1位はいるとはしばしば書いてきたことだが、現象がおなじであることに疑いの余地はなくとも、その精神には大きな隔たりが横たわる。
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無聊を慰めるチップ・ガナッシの逆転はシーズンの結末を示唆するだろうか

【2015.6.6】
インディカー・シリーズ第9戦 テキサス・ファイアストン600
 
 
 フルコース・コーションはたった一度きり、それもどこに落ちていたかついぞ映像として見ることのできなかった「デブリ」によるもので、車が壊れることもだれか事故に見舞われることもなかった――インディアナポリス500の練習走行で何度も危機的な事故があったことを思えば、それ自体は喜ばしい結果というべきだが――テキサスの一夜についてだれかを突っつけば、およそ退屈以外の感想は出てこないかもしれない。もちろん、日が残っている時間帯にすべてを支配しつくしていると見えたチーム・ペンスキーが日没という侘しさの象徴を引き受けたかのように黄昏すぎから勢いを失い、代わってチップ・ガナッシのエース2人が夜の闇を押しのけていくまでに移り変わっていくレースの過程は非常に興味深いものだったとは言える。ポールポジションのウィル・パワーと、それを相手に抵抗さえ許さず先頭を奪い、途中までは3秒近いリードを築いていたシモン・パジェノーの2人が見舞われた無惨と形容していいほどの没落は、刻一刻と変化するオーバルコースに合わせて完璧な全開走行を続けることがいかに途方もない道のりであることを示したものであった。ただ気温と路面温度の低下に伴って生じたその変化はあまりにもおもむろで、レースは本当にいつの間にか、気づいたときにはすでにスコット・ディクソンのものになっており、速さが移り変わった劇的な瞬間などといった興奮も訪れはしなかったのだ。
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語りえぬことに口を開いてもろくなことにはならない

【2015.5.30-31】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト
 
 
 最大の祭典であるインディアナポリス500マイルから5日空いただけでもう次の決勝が始まるのだから、関係者はもちろん、現地からようやく火曜日の夜に帰宅した日本人ならずとも少しは落ち着けと言いたくなろう。天も似たような気持ちだったのかどうか、インディ500には遠慮した雨雲を、大きな利息をつけてデトロイトに引き連れ、混乱に満ちた週末を演出してしまうのだった。土曜日のレース1、日曜日のレース2ともに突きつけられた赤旗は、レースを唯一断ち切る旗としての暴力によって、今季ここまでかろうじて認められてきたシリーズの一貫性を奪い去っていった。このブログはレースにおいて複雑に絡みながらも始まりから終わりまで一本につながる線を見出し、テーマとして取り上げて記していきたいと考えているが、気まぐれな空模様や凹凸だらけの路面、そして数人のドライバーの不躾な振る舞いと楽観的すぎる(あるいは悲観的すぎる)チームの判断は、デトロイトの週末からあらゆる関連性を切り離し、すべての事象に因果のある説明を与えようとする態度を拒否するようだった。なぜレース1でカルロス・ムニョスが勝ち、レース2をセバスチャン・ブルデーが制することになったのか、もちろん原因を分析して答えることは可能だが、その原因に至る道筋にはまったく理解が及ばない。はたして土曜日の始まりには、インディ500がそうであったように、結局チーム・ペンスキーのための、付け加えればこの都市を地元とするシボレーのための催しになるとしか思えなかったダブルヘッダーは、わたしの頭にいくつもの疑問符を残したまま過ぎていこうとしている。
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Back Home Again ではないけれど(インディ500現地観戦記)

【2015.5.24】
インディカー・シリーズ第6戦 第99回インディアナポリス500マイル

いまこの文章を日本に帰国する飛行機の中で書き出している、などと少々格好をつけて綴れようとは、去年ライアン・ハンター=レイがインディアナポリス500を制したときには露ほども考えていなかった。3泊の米国滞在を終えた体は芯から疲れが滲み出てくるようで、まだ12時間以上続く飛行中のほとんどのあいだ、この狭いエコノミークラスの座席で眠ってしまうだろう。機内ですばらしい2日間の体験を最後まで書き上げることはきっとできないが、ともかくわたしは、少なくない量を記してきたインディカーの記録に、空の上で1ページを加えられる幸運に恵まれたのだ。
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