ファン=パブロ・モントーヤの憂鬱は運動と制度のあわいに広がる

【2015.8.30】
インディカー・シリーズ最終戦 ソノマGP

2015年のインディカー・シリーズにおける選手権制度の詳細が発表されたとき、それは明らかに歓迎されざる俗なやり方に思えた。いや、本来「俗」な観客にすぎないはずのわれわれがみな一様に首を傾げるような方策だったのだから、俗情と結託したとすらいえず、だれのためになるのかさえ不明な、冴えない発想だったにちがいない。実際、近年このうえなく迷走を続けるF1が採用し、そしてあまりに不評なため1回かぎりで廃止したような「最終戦の選手権得点2倍」という愚策に、まさかインディカーが1年遅れで追随しようなどとは思いもしなかったのだった。

インディアナポリス500マイルレースの点数が2倍に設定されていることに異論のある向きは少ないだろう。2016年には100回目を迎えるこのレースが特別であるのは、車両やシリーズが「インディ」カーと呼ばれていることからももはや証明が不要なくらい自明な事実であって、その象徴的な特別感を多大な得点の形で表すのは非常に得心のいく帰結に見える。昨季は加えてポコノ、フォンタナの両レースにも同様のボーナスが設定されていたが、これとて「500マイルレース」という他とは差別化された事実が規則の根拠を下支えしていた。つまり特別でありうるレースという認識が制度に先行して存在し、そこに実際上の利益を付与するといった合理的順序があったのだ。同じ年のF1が、「最終戦」という日程以外に何の意味もない1レースを興行的な事情から恣意的に特別視したのとはまったく違い、インディカーはレースがもともと持っている価値――スーパースピードウェイで、500マイルの長距離を戦うレース――を尊重したうえで選手権の中で重みをつけたのである(昨季はこの3レース合わせて「トリプル・クラウン」としてスポンサーがついていたからではないか、といった経済的な事情はひとまず措いておこう。特別な共通点があるから金銭的価値が生じるという意味で同種の話である)。その動機主義的な運営の態度は、F1よりも優れたものとして好ましく受け入れることができたはずだった。

だが、半ばわかっていたこととはいえ、迷走しているのは観客動員、テレビ視聴率の双方で苦戦を続けるインディカーも変わりはないようだ。2012年から秋の最終戦として涼やかな夜の闇の中で行われていたフォンタナのレースはインディカーとオート・クラブ・スピードウェイの思惑が対立した結果として6月の日中レースへと生まれ変わり、夏の砂漠地帯に人が来るはずがないという当初の予測どおりにわずか数千人の観客しか呼べずに終わった(挙げ句、来季の話し合いも物別れに終わって2016年のカレンダーからの除外も決定している)。観客がまばらどころか皆無と言っていいほどの寂しいスタンドを覚えている人も多いだろう。インディカーがオート・クラブ・スピードウェイに昼のレースを求めたのは東海岸の視聴率を考えてのもので、実際に目論見が当たって前年比2倍の高率を獲得したというが、視聴者の目にしたものがひたすら連なる空席だったのでは功罪も定かではない。

フォンタナの顛末はともかく、その移動に伴っておなじカリフォルニアで開催されるソノマが最終戦に設定されたわけだが、ポコノとフォンタナのボーナスが廃止され、代わってこのレースの得点が2倍になるとニュースで見たときには目を疑ったものだ。それは明らかに最終戦まで王者争いを保留する可能性を高め、興行的興味を維持するためだけの恣意的な設定であり、ファン離れを指摘されて久しいF1が陥った根拠と正義なき帰結主義的判断そのものだった。FIAが大多数の反発にあって即座に廃止した方式であるのを知らぬわけでもあるまいに、なぜその失敗を追い求めるような真似をしたのだろう。ファンは現金なようでいて意外と結果に対する正当性や一貫性に敏感なものである。ポコノとフォンタナにあった先天的で正当な理由を捨て去り、たとえばアラバマとどう位置づけが違うのか説明のつけられそうにないソノマを特別扱いすることを納得できた者が一体どれほどいただろう。2015年の得点方式が発表された瞬間に、インディカーの選手権に先行していた「正しさ」は瓦解していた。そういうシーズンでもあったのである。

だから、ソノマのレース後に見せたファン=パブロ・モントーヤの不満げな態度には理解が及びもしよう。最終戦をポイントリーダーとして迎え、CART=チャンプカーの新人だった1999年以来の王座をほぼ手中に収めていた彼は、しかし最終戦で優勝したスコット・ディクソンに47点差を追いつかれて同点に並ばれ、優勝回数で下回ったことで転落した。もちろんソノマの点数が2倍でなければありえなかったことである。「ディクソンはずっと良くないシーズンを送っていた。良かったのは1レースだけで、それで僕たちは損をしてしまったんだ」とかつて「暴れん坊」と呼ばれていた男は言うのだった。1レース、ソノマにいたずらな操作が加えられていたせいで自分はしかるべき地位を得られなかったのだと。それは理屈としては正しく、ソノマが「普通の」レースであれば22点の大差で順位を保てたのだから、制度について言いたくなるのもなるほど当然ではあろう。彼は開幕戦のセント・ピーターズバーグを優勝してからというもの、2015年の選手権をずっと首位で過ごしてきた。その座を明け渡したのが唯一閉幕のときだったのだから、その心中は察するに余りある。制度によって王座を簒奪されたベテランの悲劇。2015年インディカー・シリーズとは、ファン=パブロ・モントーヤとはそういうものだったはずだ。計算上はそのように見える。

だが一見そうであるようでいて、しかし実態は違う、というのがこの場での結論である。その理由はこの一年間、あるいは3年にわたって何度となく書いてきたとおりだ。たしかに結果だけを見ればモントーヤは不当な制度によって王者になりそこなっている。しかし結果は結果でしかなく、その一覧に運動は存在しない。われわれ観客はすでに記されたレースの結果だけを見て何かに満足したり失望したりするわけではなく、いま現在としての運動そのものに情動を喚起されている。「レースという運動」をただ純粋に、つぶさに観察するという原点に立ち返ったとき、はたしてモントーヤを最高のドライバーとして心に留めておくべき場面は、2015年のインディカーの中にどれほど見つけられただろうか。インディ500は支配者ではなく、最終スティントがすべてだった。セント・ピーターズバーグはチームメイトのウィル・パワーのピット作業に助けられている。その2勝があって、他には? ルイジアナのポールポジションは貰いものだ。デトロイトだけは素晴らしい走りを見せたが、雨に泣いた。あとはなにがあっただろうか。たとえば年間のラップリード数は彼の印象を雄弁に語りもするだろう。16レースで先頭を走った145周とは、ついに才能を開花させた(しかししょせんはカーペンター・フィッシャー・ハートマン・レーシングの)ジョセフ・ニューガーデンの345周より200周も少なく、306周をリードしたディクソンの半分にも満たず、チームメイトのパワーとエリオ・カストロネベスにさえ劣る数で、多い方から数えて6番目でしかない。2勝目を挙げたインディ500以降、後半10レースにいたってはたった77周しか先頭を走っておらず、つまりモントーヤはいかなる角度から眺めてもレースの主役ではありえなかった。

ニューガーデンがアラバマのターン14でペンスキーを2度も抜き去った場面は忘れえないほどの衝撃に満ちていたし、深いブレーキングで在りし日のジャスティン・ウィルソンから順位を守り、選手権に挑む者としての意志を露にしたグレアム・レイホールはその一瞬だけでミッドオハイオのレースを意義深いものにした。ディクソンは「アイスマン」と称される彼らしい特質に溢れた走りで年間最多勝を挙げ、パワーは6度のポールポジションによってだれがインディカー最速のドライバーであるかを強烈に知らしめた。あるいは逆に、40代を迎えたカストロネベスやトニー・カナーンが瞬間的には優れていながら持続的に能力を発揮できなくなりつつある衰えを顕在化させてしまい、ついに勝利できなかった寂寥感を問うてもいい。以前書いたことの繰り返しになるが、翻ってモントーヤについて、そういった語るべき言葉を見つけることは容易ではない。「ディクソンが良かったのは1レースだけ」という恨み言は、彼が3勝を挙げている事実からも明らかなとおりけっして正確ではなく、モントーヤが良かったレースなどほとんどなかったというほうがよほど実態に近いシーズンだったのである。インディ500は単体で特別なレースであるうえ、個人的に観客席でその優勝を目撃したから、わたし自身としては強い思い入れがある。最終スティントの追い上げが興奮を伴うものだったことを否定もしない。開幕戦とて、ピットで2秒失ったパワーを逆転できる位置を走り続けていた点を高く評価した。しかし、それでもなお問いたくなってしまう。2015年のファン=パブロ・モントーヤは速かっただろうか。わからない。強さを示しただろうか。わからない。わからないまま、曖昧なままに、彼はずっと選手権の首位にいつづけた。それがおそらくひとつの不幸ではあったのだろう。インディ500を境にレースでは主役でいられなくなったにもかかわらず、選手権という制度に組み込まれたとき主役として扱わざるをえなくなった。その希薄な存在感にふさわしく彼を無視する態度を取ろうとすることが、しかしわれわれには許されなくなってしまったのだ。1999年の、あの前に進む意志だけを滾らせていた――滾らせすぎて素人のようなスピンまでした――暴れん坊はどこにもいなかったというのに。

皮肉なことに、いや皮肉でもなんでもない必然にすぎないのかもしれないが、モントーヤが今季もっとも観客の心を震わせる走りを見せたのは、ディクソンが魔法のような燃費走行で長いスティントを乗り切りながら先頭で周回を重ね、優勝と最多ラップリード合わせて103点もの大量点獲得が現実味を帯びてきたのとちょうどおなじとき、シーズンが終幕へと向かうソノマの最後45周だった。39周目に前を走るパワーの胡乱な動きに惑わされて追突し、フロントウイングを壊してほぼ最後尾にまで落ちたモントーヤはその時点での仮想ポイントでディクソンに逆転を許す。選手権を守るために必要な順位は5位、この途方もない位置を取り戻すための数十周に、モントーヤが自身で抑圧していた攻撃性がわずかに蘇ったのである。78周目ターン4のコーナリングを見ても、6月からの3ヵ月で一度も見ることのできなかった清冽な鋭さを備えているではないか。若さを失えば丸くなる。優位に立てば守りに傾いで見込みを誤る。モントーヤが過ごしてきたシーズンとは概ねそういうものだ。人が本質を露わにするのは、いつも窮地に陥ったときである。われわれは最後にしてはじめて、あのCARTのころのモントーヤを再発見した。それは安穏として半年を送ったポイントリーダーにようやく訪れた、疑いなく優れたひとときだった。

しかし、2014年や2013年のインディカーがまさにそうだったように、守るべき立場が限りなく脆弱で、守るだけでは壊れてしまうのだと人が気付くのは、往々にして手遅れになった後だ。本当はもっと前から失われかけていたのに、実際に失ってはじめて、自分が取り返しのつかない怠惰の中にいたのだと知る。たしかに戦略と運転によって十数台を抜き去ったモントーヤのソノマを称賛してしすぎることはないだろう。だが遅すぎた。セバスチャン・ブルデーがグレアム・レイホールに追突する事故で2つ順位を上げる僥倖にも恵まれたものの、それでも5位を走るライアン・ブリスコーとの1.1799秒差を埋めることはできずに終わる。同点ながら優勝回数の差で敗れた結末は、1999年のちょうど逆だった。

モントーヤの敗北をわれわれはどう受け止めればよいのだろう。それは同情に値するだろうか。単純な計算上の事実として、最終戦の点数が倍でなければ逆転されることはなかった。「僕たちは損をしてしまった」という彼は、その意味で「実質的な、本当の勝者」と名乗る権利があるかもしれない。公平や平等を置き去りにした歪な制度が敷かれていたことはたしかであって、その最大の被害者を挙げるとすればもちろんモントーヤである。だが仮に制度上のそれとは別に本当の勝者というものが歴史の陰に存在したのだとして、その栄誉に与るのははたしてモントーヤであるべきだろうか。

ソノマの遅すぎた美しい姿が逆説的に示すのは、結局彼がシーズンの大半において精神の勝者ではなかった冷酷な現実である。なぜあれほどに走れる力を秘めながら、後半戦の一度でもそれを発揮することがなかったのか。どこかで順位をひとつ上げていれば、それどころかいくつかのレースでたった1周でもラップリードを記録していれば、モントーヤは制度上の勝者になっていたのだ。ほんの少しでもレースの可能性に片目を開けて進みさえすればすべてを得られた、同点で敗れるとはそういった差である。その未来に目を瞑り、現在の地位にしかいられなかったことでモントーヤは地位自体を削られ、ついには失った。その過程に勝者と呼びうる何かがあったと言えるのか――否だ。他の優れたドライバーが備えているほどには、モントーヤは持っていなかった。制度上の王座を逃した帰結が自然に感じられるほどに、本当の勝者でもありえなかった。

ひとつのレースの価値をただ日程上の最後に置かれているというだけの理由で重くするのはたしかに歪んでいる。モントーヤが言うように、それは最後の決着をサイコロの目に託すような無力感をもたらしてしまった。だがレースを見続けていれば、王座についたディクソンが本当の勝者により近く、敗れたモントーヤが勝者の輪郭を象ることがなかったのもまた納得がいくはずだ。それこそ帰結主義的な結論ではあるが、始めから突きつけられていた制度の歪みは結果的に勝者を炙り出し、抑圧のリーダーを放逐したとも言えるだろう。だとしたらこれはずいぶん皮肉に満ちた話である。つまり2015年のインディカー・シリーズを貫いた物語とは、きっと制度と精神の相克、それも不正義に定められた制度と不正義に冒された精神の相克というペーソスに他ならなかったのだ。

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