エリオ・カストロネベスの敗北は、最後に現れた讃えられるべき真実となった

【2013.10.19】
インディカー・シリーズ最終戦 フォンタナMAVTV500
 
 
 フォンタナという土地の名前を見るたびに、若いまま時を止めたあのカナダ人ドライバーを思い出さずにいられない。そのときわたしは高校生で、あまり気乗りしない大学受験に本当ならかかずらわなければならないはずだったのに、F1と、当時アメリカン・モータースポーツの中心として隆盛を誇っていたCARTだけは欠かさず観戦する生活をやめられず家族に諦められていた。その中継をライブで見ていたかどうか、そもそも日本で生中継されていたのかも定かでないが、インターネットはたいして普及しておらず、F1以外のモータースポーツの情報など一般ではほとんど手に入らなかった(ましてわたしの居住地はお世辞にも都会とはいえず、同級生に「カート」の魅力を語ろうにもkartの意味でしか理解されなかった)時代の話である。タイムラインなんて言葉に新しい意味が加わる未来など知る由もなく、ニュースもなにも伝わっていないなかでの観戦だったのだから録画中継だったところで大きな違いがあるわけでもないだろう。その瞬間の映像は、もしかすると後年になってYouTubeなどで見た記憶と混同さえしているかもしれないが、当時のわたしの落胆だけは本物に違いなかった。のちにあらためて確認したところによると、どうやら現地時間では10月31日の出来事だったらしい。1999年のCART、やがて運営が破綻し曲折を経て現在のインディカー・シリーズへと合流することになる昔日のカテゴリーの、最終戦が行われたのがフォンタナだった。

 1997年ごろからCARTを見るようになったわたしにとって、フォーサイス・レーシングの水色(濃い青のときもあったかもしれない)の車は英雄的な印象を伴って記憶のなかにとどまっている。コースをワイドに使って狭いストリートコースの壁ぎりぎりを掠め、オーバルレースで臆することなく狭いスペースへと飛び込んでオーバーテイクを成功させてしまう勇敢な走りは、ドライバーの若さに想像する未来の大きさとも相まって、アメリカのレースについてなにも知らない高校生の心を捉えて放さなかった。チームやイルモア・エンジンの戦闘力はけっして高いとはいえず、またリタイアも少なくなかったものの、それでもいくつか目撃する機会に恵まれた勝利はやがてシリーズ・チャンピオンの順番が回ってくることを疑わせもしなかったはずである。残念ながら観客に不幸が起きてしまったレースではあるが、たとえば1998年のミシガンU.S.500を思い出すのも悪くない。残り3周か4周あたりでアレックス・ザナルディとの2位争いを制し、最後はジミー・バッサーとの激しい攻防となったあのレースだ。おたがい一度ずつの抜き合いを演じた首位攻防は残り2周のターン3でバッサーが見舞ったチョップによって決着を見たかと思われたが、進路をカットされて陥ったアンダーステアに構わず加速を続けてドラフティングに入り直し、ホワイト・フラッグ直後のターン1でまたしてもインサイドに飛びこんで先頭に躍り出た。これがグリーン・フラッグから数えて63度目のリードチェンジだったことが、なによりもレースの激しさを物語っていよう。ファイナルラップに入ると、バックストレートで逃げるように蛇行しながら先頭を守って、ついにはその年の選手権で1位 – 2位を独占した赤いチップ・ガナッシ・レーシング勢を従えたままチェッカー・フラッグを受けたのだった。フォーサイスのピットクルーたちが歓喜の輪をつくった、通算すると4度目となる優勝の一幕である。その後1999年にファン=パブロ・モントーヤが突如としてチップ・ガナッシのシートを獲得し瞬く間に勝利を重ねていったが、衝撃的な新人の登場すらわたしの贔屓を揺るがせはしなかった。2000年からはチーム・ペンスキーをドライブすることが決まって、ついにチャンピオンとなる瞬間を待つだけになったように思えたものだ。

 その1999年、フォンタナの前に不注意から手の指を骨折していたにもかかわらずステアリングを握ったのは、4年を過ごしたチームと最後のレースの時間を共有したいという愛情の表れのようなものだったらしい。走りに似合わず好人物とよく評されていたことを窺わせる逸話は、しかし美談で終わることなく、それが直接な原因とも思われないが結果的に悲劇の呼び水となった。カリフォルニア・スピードウェイ、いまはオート・クラブ・スピードウェイと呼ばれるトラックでのレース序盤の出来事だ。リスタートの混戦のなか壁に接触したフォーサイスはスピンに陥ってインフィールドへと落ち、直後に芝生の段差に捕まって錐揉み回転しながら、設置してあったフェンスにコクピットの開口部から激突した。跳ね返った車はなおも勢いを緩めず地面に叩きつけられるうちに四輪が吹き飛び、リアセクションも完全に破壊されて、コクピットブロック以外はまったく原型を留めず失っていた。事故の瞬間を追っていたテレビカメラがいったんドライバーの様子をアップにしようとしたが、すぐ何かを察したようにロング映像へと引いていったことが危機的な事態を予期させたはずである。その報が伝えられたのはレースが終わってからのことだった。優勝し大逆転で新人チャンピオンを勝ち取る偉業を達成したはずのモントーヤの表情に悲痛さだけが浮かんでいて、それはいまでもわたしが彼について思い出すときの第一の場面となっている。記憶はそんなふうに周辺へと飛んでいくものだ。日本に住むひとりの高校生が愛してやまなかったグレッグ・ムーアは、広く知られるとおり姿を消した。

 事故の翌年、ムーアの死によって空席となったペンスキーのシートにはエリオ・カストロネベスが収まり、両者の関係はいまに至るまで続いている。優勝のときにフェンスによじ登って喜びを表現することで有名な「スパイダーマン」は、アメリカのオープンホイールレースの中心がCARTからIRLへと移ろい、やがてインディカー・シリーズへと統合されていったこの14年の間に28の勝利を重ねた一方、シリーズ・チャンピオンの可能性を持った最終戦で4度敗れ去ったのを含めて一度たりとも年間の勝者となることはなかった。そういう経緯を振り返ってみると、もしムーアにペンスキーを運転する機会があったならとさえ言いかねないが、もちろんもはや記憶として語るべき過去を置き換える仮定に意味はないし、ましてその後の歴史を作ってきた人々に対して礼を失した態度でさえあろう。ただ、最初はまぎれもなくムーアの代役としてペンスキーのシートを得たカストロネベスが、いまだチームを替わることのないまま5度目の王者決定に挑む2013年の最終戦の場所があのときとおなじフォンタナだという巡りあわせに、もしかしたら乗っていたはずのドライバーの思い出が色濃く蘇ることになったのだと、たんにそれだけのことである。強いて言えば、わたし自身がムーアの走りを現代のアメリカのなかに追い求めている部分はあるのかもしれない。古き良き時代というにはまだ近年に過ぎるとはいえ、わたしにとってのムーアは、ヨーロッパの洗練とは異なるアメリカのレースの精神性、すなわち決然たる意志と勇気をもっとも具象した存在だった。それがフォンタナにふたたび立ち現れることを期待したのは、いくつかの符合が生んだちょっとした感傷である。

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 4度にわたりすんでのところでシリーズ・チャンピオンを逃してきたエリオ・カストロネベスは、おそらくゆえにこそ、だれよりそれを悲願として切望し、今季実際にその可能性が現実のものとして大きくなっていくと、地位に固執するかのように本来引き受けるべきリスクさえ冒せなくなっていった。テキサスでの勝利によってポイントリーダーになった6月以降の彼の運転をわたしは何度か頽廃的と評したが、つねに順位なりの走りで安全を図り、後半戦の直接の敵となったスコット・ディクソンを襲った不運にひととおりの満足を得てレースの週末を終えるその姿は、およそシーズンを制するに相応するものではなかった。

 もちろん、チャンピオンのために安定した結果を求めることのなにが悪いのかという見解はありえよう。だがそれは競技者が依って立つ論理であって、観客に徹するわれわれが選手権ポイントという数字のゲームに配慮し、ドライバーの立場に同一化する必要などありはしないはずである。得点表を眺めて一喜一憂する観客がいるとしたら、そこに見ているのはレースではない別のなにかだと断言してもよい。競技者の目的がチャンピオンというたったひとつの場所を占めることだとするならば、観客の特権はそんな思惑を軽やかに躱し、たったひとつのブレーキングを、コーナリングを、レースの一瞬だけを見届ける視座を持てることにある。観客にとっての選手権の意味とは、競技者がそれを欲さざるをえないゆえに発する意志によってより鮮やかなレースの一瞬を認められることでしかない。われわれはいつだって数字の計算を捨て去りレースを「ただ見る」権利を行使できる。安全を求めるカストロネベスは、結局のところ観客のこの権利とまったく対立したわけなのだ。4ヵ月間の彼が観客からの非難に値するのは、選手権という形而上の怪物に踊らされて、足元のレースを、眼前のコーナーを敢然と戦う意志を失っていたからにほかならない。そうやって「観察」という観客の特権を剥奪してしまった頽廃こそ、彼がこの間に犯した深い罪だったのである。

 フォンタナが美しいレースとなったことで、その思いはよりいっそう強くなっている。カストロネベスがヒューストンで4ヵ月の報いを受けるかのごとくスコット・ディクソンの逆転を許したとき、同時に罪を贖う機会が与えられたのだとも予期されたが、まさに25点の差を負いふたたび首位を取り戻さなければならなくなった彼は、とうとう最終戦で今年唯一と言っていいほどの強靭な意志に貫かれた走りを繰り広げ、のみならず自らの情動をトラック全体に伝播させることで、過去の頽廃の一切を洗い流してみせた。レースのほとんどをトップ5圏内で走り、しばしばラップリードを記録しながら、壁への接近もタイヤが接触せんばかりのバトルも厭わないその精神が、やがて具体的な熱量を伴ってディクソンへ、さらに他のドライバーへと広がって、ナイトレースの闇が深まるオーバルコースの中に今季類を見ないほどの絶え間ない緊張をもたらしたことは明らかだった。上位を走るカストロネベスはレース中何度となく仮想ポイントでディクソンを逆転し、それに呼応するようにディクソンも接近戦に身を投じて順位を上げていく。選手権を担う2人の意志が奔流となってトラック全体を覆い尽くし、利益と背中合わせのリスクのせめぎあいが空間を支配するまでに、さほど時間は要さなかったはずだ。レースが終盤を迎えるころには、この日起きたなにもかも、数度にわたる大きな事故や多くの車を襲ったオーバーヒートのトラブルさえ、あたかもカストロネベスが発しディクソンが増幅した熱量によって引き起こされたのだと思わざるをえなくなるほどだった。そのように錯覚させるだけの魅惑的な重力を作り上げた2人の戦いは、スタートから3時間、実に220周以上にわたって続いていた。

 たとえばこんな場面である。トニー・カナーンとのサイド・バイ・サイドを戦い、内側から弾かれて壁際にまで追いやられながらも立てなおして右足を緩めなかったカストロネベスの88周目の素晴らしさはわれわれが今季向けられなかった敬意の対象となり、スコット・ディクソンがウィル・パワーとチャーリー・キンボールの後方からほとんど内側の白線を踏みつつ3ワイドに持ち込んで抜き去った216周目は、アイスマンと呼ばれる冷静な男の、選手権だけを考えればほとんど無用なはずの冒険が成功した瞬間として記憶しなくてはならなくなった。そしてまたその直後、カストロネベスが敢然とディクソンとキンボールに襲いかかり、直接のライバルを乱気流に沈めてまたしてもシリーズの主導権を握りかけたときには、心のうちに湧き上がるのはもはや陶酔だけになっていた。ドライバーの意志と観客の視座がこれほど完全に混交されるレースなどそう生まれるものではない。尽きることのない勇気の衝突に、2013年がすべて満たされていくように思われた。

 それほどに過熱したレースに終わりを望みたくなくなってきたころ、しかし決着は唐突に訪れる。惜しいながらこの文章も閉じる準備をしなくてはならない。完走台数が減少したために逆転の可能性を優勝にしか求められなくなっていたカストロネベスのフロントウイングが突如として脱落した瞬間が画面に映し出されたのは、すでに全車が最後の給油を終えた後の225周目のことだ。緊急のピット作業を余儀なくされて1周遅れに後退した彼がふたたびリードラップに戻る道は完全に途絶え、当然に勝機も潰えることになる。ほどなくディクソンのエンジンもオーバーヒートの兆候を示してレースを戦うスピードは失ったが、仮にそのリタイアをもってしても、すでに25点の得点差を覆すことは不可能な状況になっていた。レースの終わりは得てしてこういうものだ。カストロネベスを襲った今季最後の不運によってゆくりなく精神の昂揚を断ち切られた2013年のインディカー・シリーズは、直後にセバスチャン・ブルデーの単独事故とチャーリー・キンボールのエンジンブローによって2度のイエロー・フラッグを頂き、最後にはウィル・パワーの予想されなかった2年ぶりのオーバル優勝を余韻として思いがけず静謐な終幕を迎えた。

 1年の締めくくりとして、すべてのレースを記してきたこの一連の記事にもいちおうの結論を決めておくべきだろうか。カストロネベスは敗れ去り、畢竟歴史にはスコット・ディクソンの3度目の戴冠が記録されることになったが、終わってさえしまえば、ごくごく自然な、そして歓迎すべき結末に収まったということなのかもしれない。2013年にカストロネベスがポイントリーダーとして過ごした時期の大半は、彼が他のドライバーよりもポイントを獲得しているという単純でおよそ偶然的な事実以上の価値を見出せない状況でしかなかったことは間違いないし、またそのために今季のインディカーに恐れの枷鎖をかけてしまったこともたしかである。怯えを隠せないポイントリーダーが課した桎梏の罪深さは、そこからついに解放されたフォンタナに横溢した清冽な緊張によって逆説的に証明された。その責任の大半を担うカストロネベスが「チャンピオン」についてよいわけがなかった――彼を非難するためでなく、彼にふさわしい勝利の瞬間が別の機会に訪れる可能性を信じるからこそ、そう思う。カストロネベスは敗れるべきだった、しかし同時に、彼が最終戦にもたらした緊張は最後の最後に正しい敗者の形を示してもいたのだ。かつてわたしがグレッグ・ムーアに夢想したシリーズ・チャンピオンの姿、アメリカン・モータースポーツの理想の頂点は、「決然たる意志と勇気」が剥き出しになった先にこそ存在していた。だから讃えよう。恐れを振り払い、己の一貫した意志を赤条々に突きつけてなお届かなかったエリオ・カストロネベスの敗北は、頽廃のままに逃げ切った偽りの王者としてただ記録に名前を残すよりもはるかに気高く、インディカーの中に肯定されなおすはずだ。われわれは最終のフォンタナの楕円に、そのことを知ったのである。

ついに下された罰によって閉幕は彩られる

【2013.10.5-6】
インディカー・シリーズ第17-18戦 ヒューストンGP
 
 
 週末を費やして行われた2レース連続イベントの2日目もまもなく終わろうとしていた90周目の半ばに不運にも事故に見舞われたチップ・ガナッシのダリオ・フランキッティが一足早く2013年の舞台から退場してしまったことで、どうやらインディカー・シリーズは役者を一人欠いて最終戦を迎えることになったようだ。ターン5のフランキッティが、いくつかのミスによってタイヤのグリップを失い速度を落としていた佐藤琢磨のリアに乗り上げて宙を舞ったさまは、2010年インディ500のやはり最終ラップにマイク・コンウェイを襲った危機的な事故をじゅうぶんに思い起こさせたが、観客にまで被害を及ぼすほどの勢いでフェンスをなぎ倒したDW12を運転していた彼が負った怪我も脳震盪と脊椎および右足首の骨折という、コンウェイにオーバルレースからの引退を意識させるきっかけになったのとおなじくらい重いものだった。インディカーではこの種の事故が不可避の可能性として存在するということが、結局あっさりと発生した現象によって証明されてしまったということだろう。全開で駆け抜けるべきコーナーで失速した前走車に乗り上げ車体が空へと飛ばされるのはまさしくコンウェイの事故に酷似しており、また2011年にラスベガスでダン・ウェルドンの身上に降りかかった災厄も同様の場面から訪れた。2人は高速のオーバルレースで大きな事故に遭遇したが、皮肉なことにヒューストンのターン5の様相は、曲がりの左右と見通しの悪さを別にすればどことなくオーバルコースの一部のようでもある。悲劇を繰り返さないために設計され事故死したウェルドンの名を冠した「DW」なるシャシーでさえ、高速下での危険を遠ざけきれるものではなく、安全のために不断の努力が求められるという当然の教訓を、今回の事故はあらためて示唆した。すべての命が無事だったことを、ひとまず最低限の果報として喜ばなくてはならない。

 しかしそうした安堵を前提としたうえで、最大の被害者に関しては、もしかしたら、という気持ちが湧きあがりもする。所属するチップ・ガナッシの復調に歩調を合わせることができず、速さがチームメイトのスコット・ディクソンのほうに集中するなか、ヒューストンの週末もまたダリオ・フランキッティのものにはならないまま、畢竟日曜日の最終ラップが最悪の週末の締めくくりとして最悪の形でもたらされた。事故は紛れもなく不運だったと言えるが、しかし思い返してみるとそれを除けばいつもどおりのフランキッティでしかなかったと言えてしまう程度のレースだったのもたしかだ。実際、今季の彼はこんな走りを虚しく反復している。ペースをうまく作ることができず、ときになんでもないコーナーでスピンを喫し、周回遅れにさえ追い込まれた2日間は結局2013年をわかりやすく象ったにすぎない。どんなドライバーにもいずれ訪れる衰えの証拠のような場面ばかりを印象づけられて、昨季のF1で何度も確認することになったミハエル・シューマッハのいささか寂しい落日さえ連想させる今の姿を見ると、近い未来のことが気にかかるようになってくる。たぶん、今回の怪我が治るまでチップ・ガナッシは快くシートを空けておいてくれるだろうし、その猶予が与えられる、特別扱いが許されるだけの実績を彼は積み上げてもいる。だが偉大なる4度のシリーズ・チャンピオンは、2014年のシーズンに戻ってくるだけの気力と、体力と、そしてなによりも重要なスピードを、まだ保ちつづけることができるだろうか。やはり背中を痛めて棒に振った2003年の場合は何事もなく翌年に復帰してみせたものの、もう10年も前の話で、すでに40歳を過ぎたいまがキャリアの晩年に差し掛かっていることは疑いようもない。2週間後の最終戦が、彼の永遠の不在に慣れておくためにゆくりなく用意された予行の場になったとして、それをだれが否定しうるだろう。

 いや、もとよりわれわれはこの1年間を通して、ちょうど2度目の引退を迎えるまでの3年のあいだにシューマッハの移ろいを受け止められるようになったかのごとく、フランキッティとの日々に別れを告げる覚悟を徐々に固めるように仕向けられていたのかもしれない。今回の事故にしたところで、そもそも佐藤に「追突」するような場所を走っていた事実、チャーリー・キンボールでも、もちろんディクソンでもなく、フランキッティ自身がチップ・ガナッシ勢の最後尾だった事実、そしてなにより、その状況を異常と認める理由もさしてない事実が、われわれのフランキッティに対する態度が変わりつつあることを雄弁に物語っている。役者を欠いたと記してはみたものの、はたして降板の憂き目にあったその役者が演じられたのが一流の芝居だったと断言することには、もう少し慎重を要するようだ。かりに怪我を負うことなく最終戦のグリーンフラッグを迎えていたとして、しかしついにポイントリーダーとなったチームのエースを強力に援護する走りなどとうてい期待できなかったと推測することは、この一年をあらためるとごく自然なことでもある。快方を願う心とはまた別の次元の問題として、選手権に目を転じればフランキッティの離脱はその帰趨に良くも悪くもたいした影響を与えそうにない――慣れない車を運転することになる未知の代役とさほど変わらない働きしかしないだろう――と、そんなふうに思えてくる。結局のところ、2013年の選手権にフランキッティが顔を出す資格を有しているはずもなかったのだ。

 あるいはフランキッティが退場を余儀なくされたそのレースでペンスキーのウィル・パワーがディクソンを抜き去って勝利し、シーズンへの実質的なとどめを食いとめる献身をみせたが、それにしても事実この1ヵ月間のパワーはおそろしいほど「献身的」だった。彼が、いくつかの犠牲(それは相手方にとっての不運にすぎなかったと、ここでは上品に片付けておく)を伴ってディクソンから奪い去ったポイントは40や50で足りるものではない。パワーの走りに寄りかかることでチームメイトのカストロネベスは選手権を延命し、勝利から遠ざかるようなレースの反復を罰せられることなく逃げ延びてきた。功罪相半ばする結果をもたらしたそのスピードは、過去数年にわたってそうだったように、ペンスキーのエースは本来パワーにほかならないことを意味しているはずである。おそらく来年になればまた本命としてシリーズに戻ってくるだろうが、しかし今季に関しては手遅れになってしまったようだ。自らの立場を知りチームメイトに尽くしたものの、あまりにあからさまな献身に優れすぎていたことも彼にとって不幸だったかもしれない。選手権の資格という意味ではフランキッティとなんら変わることなく、パワーもまた最終戦の傍観者とならざるをえなくなった。結局のところ、選手権を争っているのはスコット・ディクソンとエリオ・カストロネベスということなのである。フランキッティの退場もパワーの献身も刺激的な事件ではあったが、みな早々に過去の出来事となって、われわれの10月19日は2人を見守るためにこそ訪れるのだろう。

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 過去に繰り返し書いてきたように、リスクを避けるだけの運転に囚われつづけてきたカストロネベスの怯えは、ヒューストンの2つのレースで今季一度も起こっていなかった車輌トラブルが続けざまに発生し、シーズンの半分にわたってしがみついてきた選手権首位を土壇場で明け渡すという、おそらく自身にとってほぼ最悪に近い形で報いを受けた。いまだ座り心地を知らないチャンピオンの座にひたすら固執し、ディクソンとの得点差を計算しながら逃げ切ろうとする矮小な企みはすでに潰えてしまっている。だが言うまでもなく、ライバルの4勝に対し自分はひとつしか勝っておらず、9月にチップ・ガナッシを襲った陰謀めいた不運さえなければとうに決着していたはずのシーズンである。そのうえリーダーとしてあるまじき頽廃の報いさえ、寛大にも最終戦の前に再逆転の可能性を残して与えられたのだ。前回の記事で願ったように、カストロネベスは頽廃から脱却する機会をついに得たのである。これほどの恩恵に与った彼に最後くらいは自分自身を擲って攻めに転じることを望んでみるのもそれほど贅沢な要求ではないだろう。彼はいよいよ自分しか依って立つものがなくなっている。ここに至ればチームからの援護など意味はないし、そもそも決着の舞台となるオーバルコースでは同僚のパワーにもこの数戦のような走りを期待するわけにはいかない。またあるいは立場を変えてディクソンを見ても、信頼に足るチームメイトを(フランキッティの在不在にかかわらず)抱えているわけではなく、自力でカストロネベスから逃げきれる場所を走りつづけることが求められよう。2013年のインディカー・シリーズは、最終戦を前にカストロネベスが罰せられたことで、ついに選ばれた挑戦者がおたがい自らの力を頼みに戦うよりほかなくなったのだ。

 ヒューストンを終えた時点で、ディクソンとカストロネベスには25点の差がついた。追う側が優勝しても逃げる側が8位以下に沈まなければ逆転しないこの点差はもちろん簡単ではないが、しかし最終戦のフォンタナ・MAVTV500が3ヵ月ぶりのオーバルレースであることはカストロネベスにとっていくぶん明るい予定だろう。彼自身唯一の勝利であるテキサスがオーバルだったことはもちろん、シーズンの半ばごろに集中して開催されたオーバルレースはほとんどカストロネベスが使うシボレーエンジンのチームに席巻され、ディクソンの使用するホンダエンジンは特殊なレイアウトのポコノを燃費レースに持ち込んで攫っただけに終わっている。オーバルにおける今季のディクソンの平均順位12.0位は、たとえ計算のなかに彼の復調後の成績がほとんど含まれていないとしても、あるいはという可能性を感じさせるはずだ。しかもオーバルレースはともすれば一度の失策が即座にリタイアに結びつく。ディクソンがなにか取り返しのつかないミスを犯すことも――他のドライバーに対して期待するより遥かに楽観的な願いではあるが――ないではない、といったほどの材料を揃えれば、カストロネベスも最終戦まで多少なりとも希望を持って過ごすことはできる。

 最終戦である。なにもカストロネベスの肩を持つつもりなどなく、もちろん小さくないリードを築いたディクソンが優位にいるのは明らかだ。ただ、追う側に回ったカストロネベスが、困難ではあるが現実に逆転への道をイメージできるほどの状況下でレースを迎えられるのだということをあらためてわかっておくのは有益だろう。最終戦に問われるのはダリオ・フランキッティの退場でもウィル・パワーの献身でもなく、もはやエリオ・カストロネベスとスコット・ディクソンという偉大な2人のドライバー自身の覚悟、選手権を貫く意志だけになった。それは悠長な立場で眺めるわれわれ観客にとってなによりも幸いなはずだ。おたがいの意志が協奏し、フォンタナの楕円のなかに美しい閉幕を見せてくれるとすれば、乱れに乱れたこのシーズンの締めくくりとして、いくばくかの満足を得られるはずである。

頽廃のエリオ・カストロネベスはシモン・パジェノーの後ろ姿を知っただろうか

【2013.9.1】
インディカー・シリーズ第16戦 ボルティモアGP
 
 
 エリオ・カストロネベスが自らの力で何事かをなそうとするような場面は、彼がそうすべき位置にずっと居座っているにもかかわらず訪れなかったし、もう訪れることを期待することにすらすっかり倦んでしまったといえば、何ヵ月も続いてきた展開をまたしてもなぞることになった見た目に派手なだけのレースへの咎めにもなるだろう。9月1日のボルティモアで選手権のリーダーが飛びこんだ9位という最終順位は、およそ本人以外には好ましい意味を与えなかったように思われる。2013年のインディカー・シリーズを刺激するためには車輌規定違反が認められたレースでしか勝てなかったドライバーを引きずり降ろすことしか手はないはずなのにとつぶやいたところで虚しいばかりだ。同僚のウィル・パワーがスコット・ディクソンをホームストレートの壁に追いやって自他ともども車を破壊したのは録画を見なおしても偶然でしかなく、先週のチーム・ペンスキーが見せた未必の故意がごとき事故に比べれば悪意を見出すことはほとんど不可能に近いものだが、結果としてレースから弾き出されたディクソンと、2回もフロントウイングを壊したうえにドライブスルー・ペナルティまで科されながら幾度となく繰り返されたターン1や3の事故を幸運にもすり抜けてトップ10にしがみついたカストロネベスの得点差が49にまで拡がり、自力での逆転可能性が消失したことだけが重くのしかかっている。目下の問題は事故によってタイトル争いの困難が増したということではない(わたし自身、チャンピオンシップそのものにはさほど興味を持っていない)。そうではなく、インディカーが、その中心として目さざるをえないポイントリーダーの恐れを是認しているかのような事態に付き合わされる不愉快にある。この段階になればはっきり問うことができる。今年のカストロネベスがなんの報いも受けないまま歴史にだけは名前を刻もうとしていることを、彼と利害を共有しないわれわれ観客までもが甘受しなければならないのだろうか。

 唯一の勝利を上げたテキサスでシリーズの主導権を握ってから――当時書いたとおり、規定違反があったとはいえその勝利じたいは快哉を叫びたくなるほどのものだったのだが――、カストロネベスはつねに2位との得点差を計算しつづけるばかりの頽廃にまみれ、地位に恋々として勇気を欠くようになった。その姿は「チャンピオン」という甘美でありながら雄々しい響きから想像されるものとはかけ離れている。テキサスでの優勝が心地よさに満たされていたせいで、現状はよけいに落胆を感じさせるようだ。もちろんレーシングドライバーなら妥協による微かな前進に納得せざるをえない時期はあるものだし、むしろ一年を制するという遠大な目標のためにはそうであるべきことさえ理解するが、しかしいくつかの展開の綾によって選手権の2位がたびたび入れ替わり、彼自身が自分を最速と確信できる日がほとんど来なかったこともあって、ポイントリーダーの地位を失うのに怯える期間が必要以上に長引き、そしてリーダーの怯えがシリーズ全体に伝播したと感ずることも、受け止めなければならない現実になった。結局のところ、今年の選手権争いは結末の如何にかかわらずすでに失敗されているということである。シュミット・ハミルトン・モータースポーツのドライバーが(たとえそれがシモン・パジェノーという才能を疑いえない存在であったとしても)この時期にアンドレッティ・オートスポートの全ドライバーに対して上回っていることを想像したものなど、ひとりとしていないはずだ。

 もちろん、パジェノーがここに至ってランキングの3位に浮上したこと自体は自然な帰結といってよい。全体のレベルについて論難したくなるほど大荒れに荒れたボルティモアのレースを制したのが29歳の遅れてきた才能だったことはインディカーにとって慊焉としないもので、勝利を渇望する69周目の一途な機動は障害をはねのける勇気を身にまとって表現することこそモータースポーツにとって欠くべからざる瞬間であることを直感させるし、ただ不注意によって壁に吸い込まれていくドライバーが多かったボルティモアにあって勇気の行使を誤らなかった数少ない存在でもあった。先週のソノマでチャーリー・キンボールを相手に清々しく敗れたのも含めて、カストロネベスに冒されたここ数戦の硬直からもっとも自由に振る舞いつづけ、勇気を失っていなかったのは、選手権を争っていたはずのスコット・ディクソンでもライアン・ハンター=レイでもマルコ・アンドレッティでもなく、たしかに彼であった。自らが犯した直前のミスに乗じてすぐ外側に並びかけてきたセバスチャン・ブルデーを削り、押し出すようにしながらもターン8を先に制したその決着の瞬間は、ともすればマナーに欠けて見えたものの、そこで発揮される勇敢さだけがレースを制するのだという信念を投げかける運転だったと感じ入らせるものがある。チャンピオンを目前にし、幅寄せしてきた相手に手を挙げて抗議することしかできないいまのカストロネベスからはもはや見つけられない情動だ。もしあの場にいたのがカストロネベスだったら、パジェノーのような覚悟を見ることはできなかったのだと断言しても構うまい。それは、なによりもカストロネベスがそこにいなかった、いる資格さえ持っていなかったことが証明している。 先頭集団から置き去りにされていた皮肉きわまりない幸運によって多重事故を容易に回避しただけの彼の目に、パジェノーの後ろ姿が映ることはなかっただろう。

 ソノマでもボルティモアでも、勇気ある勝者のはるか後方で自分のありよう以上でも以下でもなくただフィニッシュラインへと辿りついただけだったにもかかわらず、カストロネベスは展開とチームメイトに救われていまの地位に留まることを許されてしまった。救われただけにすぎなくても、レースの数だけは消化され、延命装置は稼働をやめない。今季の全周回を走行している唯一のドライバーという程度の記録が、なんの慰めになろう。もし10月の3レースを残すのみとなったシーズンでここ2戦のような展開が繰り返されるようなことがあれば、われわれは臆病な尊敬されざる1勝どまりの王者の誕生を目にすることになる。それは言うまでもなく不幸に決まっているが、しかしもっと不幸なのはそんなドライバーがエリオ・カストロネベスであること、むしろ心より敬意を払われるべきキャリアを重ねてきたドライバーであることだ。CARTでのデビューから15年、勇敢さと少々の無謀さと、迂闊さと愛嬌と、そしてなによりコースを問わない速さによって数多くの魅惑的な勝利を積み上げてきた彼を、われわれは愛してやまなかったはずである。オーバルでもロード/ストリートでも等しく速いこの純粋なインディカー・ドライバーの優勝は28回を数え、そのうちには最高の栄誉であるインディ500の3勝が含まれる。足りないのはシリーズ・チャンピオンだけだと何年も言われ、事実みんなその瞬間を待ち望んでいた。だというのに、と言うほかない。われわれが悲しむべきは、待ち焦がれた悲願と、叶えられるやもしれぬ現実と、しかしそこに現れることのない彼の本質との落差である。いざ現実に巡ってきたチャンスでは得点以外にチャンピオンを証明できるものがなにもないほどの怠惰なドライバーに堕してしまった皮肉を眼前に突きつけられて、現状の無惨さが際立ってしまう。それを不幸と言わずしてなんと言えばいいのか。

 仮にこのままカストロネベスが2013年を逃げ切ることになったとしてもそれは浅薄な勝者にほかならず、もし臆病なままに逆転を許して終わるようなことがあればただの愚かな敗者となることは明らかだろう。そのどちらもが望まれる結末でないことは論を俟たない。ならばこそ、われわれはうわべの戴冠ではなく名誉を守るために、カストロネベスが最終戦までにいまの地位をいったん退く、退きかける儀式が執行されることを願う必要がある。恐れを払いのけてリスタートのターン1に向けて深く飛びこんでいく彼を呼び覚まし、勇気とともにシリーズを制する姿を見届けられるように、あるいは、勇気とともにシリーズを失う姿を見つめられるように。

本当の被害者はきっとウィル・パワーだった

【2013.8.25】
インディカー・シリーズ第15戦 ソノマGP
 
 
 それが事件であったことは疑いようがない。そして、たんなるひとつのアクシデントとしての事件にとどまらず、もしかするとスキャンダルへと発展しかねないことも間違いないだろう。インディカー・シリーズの第15戦で起こった危険な事故について、規則は一方の当事者であるスコット・ディクソンに罰を科すことを決定した。選手権のリーダーを直下で追いかけているディクソンは、レースで最後となるタイヤ交換と給油を終えて発進する際、眼前に配置されたペンスキー・レーシングのピットでウィル・パワーのタイヤ交換作業を終えたばかりのクルーを撥ねとばした。レースを解説していた松浦孝亮の第一声が「ディクソン終わった」だったことからも察せられるように、事故は、ホイール脱着用のエアガンを踏みつけたり置いてあるタイヤに接触したりするのと同様に、あるいは起きうる事態の深刻さを考えればより重い罰則の可能性を直感させるものだった。一度は完全に宙を舞ったそのクルーと、巻き込まれた2人はみな幸いにも打ち身程度で済んだものの、轢かれた側のペンスキーと轢いた側のチップ・ガナッシ・レーシングの関係者が揉めているような映像に代表された喧騒ののちに、はたして今季4勝目をほぼ手中に収めていたはずのディクソンは事故の責任を問われてドライブスルー・ペナルティを宣告され、序盤から続出したフルコース・コーションのために維持されていた隊列に呑み込まれて15位でレースを終えることになる。パワーとおなじくペンスキーでドライブするエリオ・カストロネベスに対してほとんど同点にまでなろうとしていた選手権ポイントはレースの終了とともに39点差にまで拡大し、シーズンは4戦を残すのみとなった。ソノマ・レースウェイの64周目は、その1周の最後に生じた出来事によって、あるいは2013年のインディカーのすべてを左右しようとしている。

 事故についての議論が収まることはおそらくない。レース後に出された “That’s probably the most blatant thing I’ve seen in a long time”「長い間見てきた中で、たぶんいちばんあくどいやり口だ」というディクソンの披瀝は「加害者」とは思われないほどの悪態と言ってもよいが、彼とは違って利害を持たず、操縦席の外からレースを長い間見てきたわれわれもまたおなじように感じられるにちがいない。事態を仔細に眺めてみれば、ペンスキーのピットでウィル・パワーの右後輪脱着を担当したクルーは作業を終えた直後に――すぐ後ろにいたディクソンが走り去るのをその場で待てばいいのに、そうすることもなく――古いタイヤを片付けにかかり、わざわざ接触しやすい持ち方でディクソンの進路を妨害するように抱えて、ジャッキマンが発進するパワーの車を押そうと身構えるその後ろ足よりもさらに後方を悠然と歩いていたところでタイヤごと飛ばされる形で事故に遭遇した。だから、いささか四角四面に現象にこだわれば、ディクソンはクルーを轢いていない。クルーのほうが当たれとばかりに突き出したタイヤに、そのとおり接触したにすぎない(「すぎない」と言ってしまってもいいだろう)のだから、正当な進路を塞がれたのはむしろ自分の方だと主張することもできるし、事実コメントにはそういう怒気がこもっている。あの行動にあきらかな一定の意図を、ハンロンの剃刀では削ぎ落としきれない悪意を見て取ることは容易なはずだ。戦略担当であるティム・シンドリックは頑として否定するだろうが、しかしペンスキーにとって、それはたまたま映像が衝撃的に見えてしまっただけの、発生しても構わない事故だったのではないか。

 たしかに、チームのガレージごとに整然と区切られ一度に1台しか作業が許されないF1と違い、十数台が入り乱れることもあるインディカーのピットではしばしば物理的な妨害が行われ、名物になってもいる。前後の車のピットイン/アウトのラインを最大限窮屈にするためタイヤを自分の領域ぎりぎりの端に置いておくのは、とくにコース上の全車がピットイに飛び込んでくるようなフルコース・コーション中の日常的な光景で、むしろその程度の嫌がらせを平然と際どくやってのけることこそピットロード側で作業をするクルーが持つべき資質のひとつでさえあるだろう。だがこうした空間の削り合いなどの慣習は、裏を返せばピットの中でお互いが自ら侵しえない領域を暗黙裡に規定しあっている事実を、現実のピットボックスの存在よりも鮮明に示しているにほかならないし、だからこそ接触に対する罰則が無条件に甘受すべきものとして共有されてもいるのである。ディクソンはごく自然に、いつもどおり、相手の領域をかすめるように発進し、その当然の進路上をペンスキーのクルーは歩いていた。blatant――「あくどい」また「露骨な」という意味もある――なる非難からは相手が領域の外、もはや存在が尊重されるべくもない空間であからさまに接触を試みた(ように見えた)ことが窺えるが、そこはたしかに侵されてはならず、侵された覚えもない場所だった。

 だがどれだけ声を荒らげようとも、ディクソンの非難が届く先はない。ペナルティによって失った何もかもを取り戻す方策がないことはもちろん、万が一相手を事後的に罰する僥倖に恵まれたとしても、本当に裁きたいのは事故の当事者のパワーではなく選手権を争うカストロネベスであり、この直接のライバルはコース上の出来事において完全に事故と無関係だからだ。規則は現実の危険を罰するために存在しているのであり、裏に潜む悪意のすべてを汲み取って裁きを与えるようにはできていない。たとえピットクルーの行動に明白な悪意が存在したことを証明できたとしても、カストロネベスが手にした結果を覆すことは難しいと理解できるからこそ、ペンスキーは安全を破壊する誘惑に抗わない道を選んだ。それが特定のだれかの決断と指示であったと推測はしないし、また本当に具体的ななにかがあったとも思わない。ただ、あたかもチームの一般意志として賢明なクルーが自然にそう動く程度には利益をもたらす行動だというだけの話である。

***

 ペンスキーがシーズンの利益に重きを置いたことは、しかしウィル・パワーの勝利に影を落とした。彼にとって待ち望まれていたはずの今季初優勝が祝福されざるものになってしまったのは、軽傷とはいえクルーが怪我を負ったことや疑惑によってディクソンから勝利を奪い去ったことによるものではない。すでにチャンピオンの可能性をほとんど失っているパワーはレースの前に、初めてのチャンピオンへと歩を進めるカストロネベスをチームメイトとしてできるかぎり援護したいとインタビューに答えている(過去数年、自分自身がチャンピオンを争う立場にあったときには得られなかったにもかかわらずだ)。そして事故は、まさしくカストロネベスをこれ以上なく援護した。レースを実況した村田晴郎が端的に指摘したように、あの瞬間のペンスキーにとっては、接触の咎をディクソンに負わせ罰則へと誘導することが最高の結果で(実際それは果たされた)、そのためにパワーを犠牲にすることを厭う理由はなかったはずなのである。エリオ・カストロネベスを選手権で優位に戦わせ、最終的にポイントリーダーのままシーズンを締めくくること。その一事だけに関心を向けたとき、もはやパワーの順位はチームとしての意義をほとんど持ちえなくなってしまっている。

 パワーにとって不幸なことに、ピットにはペンスキーとカストロネベスの最大の脅威となったディクソンをblatantに妨害できるだけの要素があまりにも揃いすぎていた。先頭を走るディクソンを追いかけていたパワーはコース上のバトルで勝利しその得点を削ることでチームに貢献できる可能性を持っていたが、チームは目の前に用意された、より安易で、効果的で、利益の大きい一手を採用したのである。それは肉体的に厳しいソノマで懸命に厳しいレースペースを刻んでいたパワーの努力を蔑ろにし、完全に無視するような選択だった。結局、スキャンダラスに引き起こされたあの瞬間はペンスキーの、ディクソンではなくパワーに対する「blatant」の証明として突きつけられているように見えてきてしまう――彼の背後で発生し、彼自身が当事者でありながら、彼を主体とする事故では微塵もなかったのだ。あるいは当事者であったゆえにむしろ、主体たりえないことをより強く思い知らされたと言うべきかもしれない。85周目に至るまでパワーは責任を問われることなく優勝を遂げたが、そこにペンスキーの意志はこもっておらず、ただひたすらに結果としての勝利でしかなかった。レース後の喜びにペーソスを感じさせるところがあったとしたら、きっと本人がその意味をよく理解していたからに相違ない。

選手権を担わないチャーリー・キンボールが解いた硬直

【2013.8.4】
インディカー・シリーズ第14戦 ミッドオハイオ・インディ200
 
 
 勝敗の分岐に直結する交叉点が不意に突きつけられるレースというものがある。スタートから千々に拡散したはずだった各ドライバーの辿る線が、それぞれの発する意思の絡みあいによってふたたび撚りあわされてまた解けていく瞬間とでも言うべきその一点において、われわれはときに狼狽さえ禁じえないほど不意討ちにされ、レースの一切をその一瞬の記憶にとらわれることになる。たとえばミッドオハイオの73周目、チャーリー・キンボールがシモン・パジェノーを袈裟斬りにするようにインサイドに飛び込んで抜き去ったターン4は、予想もされない場面が思いがけず立ち現れたことで、一介のバトル、タイヤの温度の差によって決着したと結論するだけでは収まりきらないバトルの価値を示唆しているように思えてくるのだった。

 2013年のインディカー・シリーズ第14戦にあたるこのレースの意義を浚ったときに、シーズンの3分の2を過ぎて終幕に向けて戦略を逆算しなければならない時期に展開されたにしてはあまりに拙劣な一戦だったと評することはおそらく正しい。直前の3連勝でタイトル挑戦者の座へと戻ってきたスコット・ディクソンはまるで一貫性のない燃料戦略によって表彰台の可能性をわざわざ手放したばかりか、不必要なほどにポジションを下げてポイントリーダーのエリオ・カストロネベスの後塵を拝してその差を31に広げられたが、しかしそのカストロネベスさえ、以前から何度も頽廃的と書いてきたのと同様にまたしても選手権への強力な意志を見せることなく、迫り来る後続から命からがら逃げるにすぎないレースを再現した。今季のシリーズは初のチャンピオンに囚われてリスクを冒せない彼の延命装置と化しているようであり、だれかが状況にとどめを刺す、すなわち現在のポイントリーダーを逆転して追い詰めてみせないかぎり、彼が抱える恐れに支配されるシーズンを断ち切ることはできそうにない。

 タイトルを争うドライバーたちが、トップ5フィニッシュの回数を誇ることしかできないカストロネベスの恐れに呑まれるようにスピードを信じられなくなっていくなかで、もはやランキングと無関係に振る舞えるキンボールが純粋な速さでレースの綾を横断したのは当然の帰結のようだった。昨年より5周分総距離を延ばす措置が取られて燃費に活路を見出しにくくなっていたミッドオハイオは、にもかかわらず燃費レースを遂行しようとしたライアン・ハンター=レイとウィル・パワーに相応の報いを与え、さらにその戦略を唐突に諦めて途中で給油の回数を増やしたディクソンにそれ以上の罰を与えた。レースは臆病者を許すことがないという当たり前のことが繰り返されたにすぎないのだろう。彼らがサーキットに裏切られたのは、燃費重視の戦略を、勝利のためではなくあたかも展開を窺う立ち回りのためだけの手段に堕させたからだったように見える。結局自らの矮小さによって硬直した2ストップ勢を嘲笑うかのように、キンボールは無邪気な速さでレースを切り裂いていった。半分の距離を消化したとき、キンボールは初優勝に向けて、すでに余分なピットストップを行ってもなお余るほどの大差を後続に対して築いていた。盤石のリーダーを脅かす可能性があるとしたら、それはおなじ戦略を採用してやはり2ストップ勢を出し抜いてきたシモン・パジェノーだけだったが、おなじエンジンを使うそのフランス人が脅威であることに気づくのには、もう少し時間を要した。

***

 キンボールはピットタイミングの差で一時的に順位を下げた時間帯こそあったものの、31周目から64周目にかけてのほとんどの周回をリードしている。2番手に浮上してきていたパジェノーに対してもつねに5秒以上の差をつけており、あらゆる敵を問題にせず逃げ切ることが可能なはずのレースだった。しかし考えてみると、パジェノーはキャリア初優勝を果たした際、レース終盤にピットストップのギャップを突くスパートでリーダーを逆転してみせている。それはヨーロッパ人らしい彼のしなやかなF1的資質を証明する鮮烈なる加速だったが、ミッドオハイオで訪れたのもまた、同じような状況だった。64周目にリーダーが最後の給油に向かうのを見届けると、パジェノーは背負っていた差を埋めるべくタイヤを酷使しはじめる。チームメイトを始めとした選手権上位勢を退け、いっときは楽勝の雰囲気さえ漂わせていたキンボールにとって、それは予期せぬ追撃だったように見えた。一時的に冷えたタイヤと重い車をあてがわれたキンボールは明らかに劣勢に立たされ、オーバーブーストボタンを使用してまでタイムを削ろうとしたが、渋滞に捕まる不運にさえ見舞われて、73周目に給油を終えてピットアウトしてきたパジェノーの後塵を拝した。

 勝敗の分岐に直結する交叉点は、油断している観戦者に対して不意に突きつけられるものだ。パジェノーのスパートは静かなうちになされ、レースを振り出しに戻すような気配はほとんど感じることができなかった、もちろんそれは観客自身の観察不足でしかないのだが、パジェノーが72周目の終わりにピットレーンへと向かったとき、逆転に十分なリードを手にしていたことは驚きをもって受け止めるべき現象だったのだ。わずか18周分の燃料を継ぎ足し、手際よくタイヤを交換してくれたチームクルーの許を後にしたパジェノーは、果たせるかなキンボールに対し1秒のリードを得てコースへと舞い戻った。

 スタートから拡散していったはずの2人の線は、彼らが合流したこの73周目のターン1からターン4にかけてふたたび撚りあわされることになる。ターン2のヘアピンを立ち上がり、バックストレートに設定された全開のターン3を抜けてターン4のブレーキングゾーンへと差し掛かる。中盤を支配していたミッドオハイオのキンボールにとって、この瞬間こそ勝敗へと至る唯一にして最後の分岐だった。タイヤの温まりきっていないパジェノーが姿勢を乱されないように慎重に減速を開始したそのインサイドに向かって、キンボールは斜めのラインのブレーキングで深く、深く踏み込んでいく。2本の線が偶然にも絡みあったポイントで、キンボールは果たすべきオーバーテイクを完了した。この分岐を制したことは、彼の初優勝により大きな価値を与えることになるだろう。この日のチャーリー・キンボールは速さと、一度きりの機会に飛び込むだけの決意を持ち、だれにもなしえない唯一の走行ラインを描いてみせた。それは選手権に囚われないレースの一回性に刻みつけられる情動にほかならない。パジェノーを抜き去ったキンボールは、フィニッシュに向けて18周のうちに5秒のリードを築いた。すべては一度きりの出来事だ。気まぐれのように撚られた線は、正当なスピードによって必然的に解かれる。その単純な真実を、選手権を担っているわけではないこのドライバーは、彼自身の役割として硬直したミッドオハイオに知らしめたのである。

気がつけばスコット・ディクソンは帰ってくる

【2013.7.13-14】
インディカー・シリーズ第12-13戦 インディ・トロント
 
 
 ここ数シーズンの最終戦で見せてきた振る舞いがそうだったように、彼のトロントは、またしてもその精神の退路を断たれた末の破綻として、何度も繰り返されてきたものと似たような終幕までを演じている。それはウィル・パワーという優れたドライバーが帰ってきたようでいて、破綻の行く先があたかも美麗な悲劇であるかのような模様を帯びているのだが、もちろん今年の彼はまだ何事もなしてはおらず、チェッカー・フラッグを受けることなく最終ラップで車を壊して帰ってくることを許されているわけではない。

 深いブレーキングで表彰台の端に足をかけるようとするドライバーの信念を野心と呼ぶのであれば、土曜日のレース1の85周目にバックストレートでダリオ・フランキッティと接触しながら文字どおりインをこじ開け、一度は前に出た彼の挙動はまさしく野心的であったと言うべきかもしれないが、じつのところその野心はたいして意味を持たず、2013年のインディカーになにかを与えることもなければ、もちろんなにかを奪い去っていくわけでもない。いまだ勝利がなくすでにチャンピオンの可能性もほとんど潰えた今となっては、3位のために飛び込んでいくことはほとんど無価値で、少なくとも毎年最終戦までタイトルを争う――かならず敗れるにしても――彼にとって、そのポジションはたかだか2位で歓喜のドーナツ・ターンを舞ったセバスチャン・ブルデーほど切望されるものではなかったはずだし、2年前にやはりおなじ場所でパワーを撃墜したフランキッティが優勝し、その年をも制したことに比べれば、変化をもたらすことを望むべくもない、だからせいぜいわれわれが見出すのは、パワーが現状に抱いている苛立ちのようなものだけだ。功を焦って閉じられかけていたインサイドを突き破るかのように飛び込んだ彼のブレーキングを見ればだれだって、彼は追い詰められている、むしろ追い詰められている以外の情動はないのだと思い、その結果として現れたクラッシュという現実だけが、タイトル争いの圧力に屈した過去とおなじように見えることに気づく。ターン3のタイヤバリアに突き刺さってリタイアした後、インタビューに応じた彼は、チャンピオンを逸したときに露にされる諦念をまとった笑顔とおなじ表情を浮かべた。ウィル・パワーの2013年はすでに終わっている、最終戦で終える例年のように。

 最初の野心に意味がなかったわけではない。それはレーシングドライバーとしては当然の、リーダーとしてチェッカー・フラッグを受けたいという単純な野望で、つまり63周目、ピットに要した時間とタイヤの温度の差によって逆転を許したスコット・ディクソンに対して、パワーは22周後にフランキッティにするのとまったくおなじようにインサイドに踏みこんでいる。そこにはこのレースに対する緊張が溢れており、ディクソンはコースの中央を占拠してパワーに有効な空間を与えず、わずかながらブレーキングゾーンで内側に鼻先を向けてみせると、通常のラインと減速地点を見失ったパワーはターン3を外して、もはや逆転不可能な位置にまで後退することになる。おそらく現実的にこの瞬間だけがディクソンの連勝を止める唯一の機会であり、パワーの無謀さは報われてもよかったが、埃の積もった壁際はその左足の踏力を受け止めることはない。それはたんなるモータースポーツの現実であり、野心も切望も、タイヤのグリップを超えることはないのだとまたも教えられる数ある場面の一つである。こうして、一瞬にしてレースの焦点はパワーから奪われて、ディクソンは戦線に戻る優勝に向かって加速していく。69周目のリスタートでブルデーがいちどは先頭を奪ったが、そのリードチェンジがレースを動かさないことは明らかだった。もちろん、すでにポール・ポジションを得ていた翌日曜日を逃げ切ってしまうだろうことも。

 4月にインディカー・シリーズで初優勝した佐藤琢磨がホンダエンジンユーザーのなかで最多のポイントを獲得し、twitterで#indyjpのハッシュタグがついたつぶやきが浮かれに浮かれた雰囲気を漂わせていたころ、わたしは今季のシリーズ・チャンピオン候補としてスコット・ディクソンを挙げたりもしていたのだが、それはべつにアイスマンの異名をとるこのニュージーランド人がランキング2位にまで浮上した今の状況を予見していたわけでもなんでもなく、どういう角度から見ても本命が不在だったシーズン序盤において、細かくポイントを拾うことを得意とするディクソンが、もしかすると失う量の少なさによって他のドライバーを凌ぐかもしれないと考えたからにすぎない。その予想の中に速さの解答を探し求めていたチップ・ガナッシの復調は組み込まれておらず、だからチームメイトのダリオ・フランキッティのことはとことん無視していた。そのころのチームが明らかに変調をきたしていたことを思えば予想は鼻で笑われる程度のものだったし、現状を知ったうえで振り返ってなおたいした説得力を持つものではないことも自覚している。実際、なにが起こったとのかわかったものではない。7月の声を聞いたときに1勝もしていなかったドライバーが、7月14日には最多勝に並んでいるなんて馬鹿げた話をいったいだれが信じるというのだろう。ただたんに、ダブルヘッダーを含めて3連勝したというだけの話ではなく、あれだけ遅かったはずのチップ・ガナッシが、いつの間にかやすやすと、後続に影も踏ませずポール・トゥ・ウィンで逃げ切ってしまう展開を作り上げてしまっているのである。

 もちろん、5月の終わりからデトロイトのダブルヘッダーを挟んでインディアナポリスからオーバルレースの連戦が続く間に、チップ・ガナッシは長らくチャンピオンにあり続けたチームらしく着々と反撃態勢を整えていたのだが、ただたんにホンダエンジンが当初の照準とは裏腹にあまりにもオーバルに適性がなかったために、回復していた戦闘力が隠蔽されたまま、舞台がストリートに戻ってきたことでようやく顕在化したということなのかもしれない。ともあれ悪夢以外の何物でもなかった6月のオーバル3連戦が終わり、幸いにも燃費レースとなったポコノを拾い上げると、彼らはついにトロントでシリーズの中心を自分のものとしている。11戦目までのボックススコアと12、13戦目のそれを重ねあわせればあわせるほど、首を傾げざるをえなくなる。土曜日と日曜日のポール・ポジションを2人のエースで分けあい、そして両日とも、見慣れた#9を背負った5年前のチャンピオンが持ち去っていった。カーシャンプーのメーカーとして日本でも知られるソナックスがインディ・トロントのダブルヘッダーを2レースとも優勝したドライバーに10万ドルの賞金を提供すると決定したとき、もしかするとまさか本当に払うことになるとはあまり思っていなかったかもしれないが、ディクソンはそれを軽々となして、ポイントランキングの下位に注意を払わなかった人々を嘲笑っている。

 チームのクルマづくりがうまくいっていなかったシーズン序盤が、フランキッティよりもディクソンの背中を押したと考えるのは無理のある仮説ではない。悪い車を悪いなりに走らせることに長けている彼は、そうやって目立たない我慢を続けるうちに気がつけば――これはしばしば彼につけられる最大限の賛辞である――それなりの順位を得て、いまやいるべき場所に戻りつつある。ポイントリーダーとの得点差は、すでに29になった。ウィル・パワーが2013年のすべてを投げ出すブレーキングを軽妙に受け流して、投げ出さなかったスコット・ディクソンは不調を極めたシーズン前半を拾い集め、シリーズをふたたびやりなおそうとしている。

順番ばかりは選べない

【2013.7.7】
インディカー・シリーズ第11戦 ポコノ・インディカー400
 
 
 月曜日の会社帰りに31アイスクリームに立ち寄ってバニラとチョップドチョコレートのダブルコーンをレギュラーサイズで注文し、夕立に濡れた街道を行き交う車をぼんやりと眺めながら平らげてしまったのはすこしばかり直情的でありすぎて、つまりアンドレッティ・オートスポートの1-2-3態勢で始まったはずがゆくりなくチップ・ガナッシの表彰台独占に変わっていったレース中にtwitterで「ダブルのアイスクリームのようだ」とつぶやいたその言葉の選択が(見知らぬどなたかから褒められてしまったこともあって)自分の好みに合わず直喩的だったことを自覚してみょうに気恥ずかしくなり、本当に行動に移すことで感情を解決してしまおうとなぜか思ったからなのだった。レースの記憶をその味に仮託しようといった不純な後づけの思惑もなかったわけではない。日本人ならおにぎりかサクマ製菓のいちごみるくの形と形容するのがもっとも理解が早そうな、3本のストレートと3つのターンで構成されるトライ・オーバルのポコノ・レースウェイは、1989年(分裂と消滅の未来をまだ知らなかったCARTが主催していたころだ)以来のインディ開催という時間の隔たりを表すように観客を混乱に陥れる変事を生じさせ、レースの前半と後半をまるで異なる演出で彩った。そのありさまの移ろいはやはりダブルのアイスクリームが味を変化させていくのにも似ていたのである。

 シリーズで唯一3勝を挙げているにもかかわらず選手権に関わってこないジェームズ・ヒンチクリフには失望をもって接するほかないだろうが、彼がスタート直後にやはりタイトルの挑戦者にはなりえないことを自ら証すスピンを喫してレースを後にしても、まだアンドレッティ・オートスポートには未勝利ながらタイトル争いにしがみついているマルコ・アンドレッティとすでに2013年の本命となりつつあるライアン・ハンター=レイが残っており、この2人をともに突き崩す方法を他のチームが見つけることは難しそうだった。トニー・カナーンのわずかばかりの抵抗もレースの天秤を揺らすことはなく、有効な走行ラインが1本のために2台が並びながらコーナリングできないポコノのコース特性とも相まって隊列は周回が進むたびに間延びしていき、マルコが30周目にだれよりも早くルーティンのピットストップを行ったことでリーダーは一時的に替わったが、しかし全員の給油が終わってコースに戻ってくるとまたおなじ展開が繰り返されることになった。1周目から29周目、35周目から60周目、それが序盤にマルコの刻んだラップリードの量である。

 ただ、後出しの評を免れえないと自覚しつつもわたしがレースのさなかに感じた可能性のひとつをここで挙げるとするならば、リーダーだったマルコが他のドライバーよりも1周以上早く燃料の補給を必要としたそのタイミングが160周のレースのうちの30周目だったのが引っかかったと言うことはできる。単純に同量のスティントを積み重ねていけば最後に10周分の燃料が足りなくなるのは明白で、もちろんフルコース・コーションでレースがリセットされることはありまた他のドライバーもやはり微妙に160周に届かないはずだから「単純に」という前提にほとんど意味がないのもたしかだが、それでもレースを揺るがす要素が最速ドライバーに足りていない10周のうちにありうるかもしれないとは直感されたのだったし、事実マルコは間接的にとはいえ距離を埋めきれなかったために最後には敗れ去ることになる。佐藤琢磨がピット進入時のブレーキングでロックしてハーフスピンに陥りながらハンター=レイに追突するという愚劣極まりない事故を機に63周目に導入されたフルコース・コーションが明けたのは71周目のことだった。レースは90周を残しており、多くの車は30周前後を限界の1スティントとして設定できている。レースが最後までグリーン・フラッグ下で行われる最悪と考えられる状況を想定するとすればとりあえず30周×3でスティントを刻む以外に戦う方法はなく、そして本当にその後イエロー・フラッグが出されることはなかった。ここにいたってマルコ・アンドレッティがスピードに任せて席捲していた――今年、こんなフレーズを何度も書いた気がする――レースは、225マイルの距離と66ガロンの燃料を較量する燃費競争へと移る。もし佐藤の考えられないほど不愉快な事故がなければ、古き善きレーストラックは最後までアメリカの審美的立場を満足させる古き善きスピードに支配されることになったはずだが、そうはならなかった。それはだれよりも早く給油を要するマルコにとってもっとも歓迎されざる事態で、残りのレースを2回の給油にとどめて終えるために彼がすべきはひたすらスロットルを閉じて遅く走ることだけだったのである。とはいえもちろんその現代的効率の追求もまたアメリカの側面であり、わたしのアイスクリームはチョコレートからバニラへとかわっている。レースの主導権は燃料消費量の少ないホンダエンジンを搭載したチップ・ガナッシの3台が握っていた。

 かつてのチャンピオンチームが3位までを固めきったのは133周目のことだったが、しかしスコット・ディクソンに最速を思わせる瞬間はなく、2位のチャーリー・キンボールがそれを脅かすこともなければ、ダリオ・フランキッティにいたってはほとんど詐欺のように3位に浮上しただけだった。それでも悠然とした隊列を作ることを、この日のポコノはチップ・ガナッシに許した。日本人の引き起こした事故が、いかにも日本的な性能の指標である燃費に優れた、日本の製造者であるホンダへと僥倖をもたらしたことはもちろん偶然の皮肉にすぎなかったとはいえ、皮肉を並び立てて活かしきるだけの幸運をこの日の彼らは持ち合わせていたということでもある。たとえばレースの相貌が燃費に傾きつつあった107周目に、2位を走っていたカナーンがディクソンを抜く際リアバンパーにフロントウイングを引っかけて壊している。2012年から使われているシャシーDW12の扱いに苦しんで勝利を遠ざけていたチップ・ガナッシが、DW12に特徴的なバンパーに助けられたという、これも皮肉な事故によってディクソンは労せず首位を守ることができた。おそらくスピードと燃費をもっとも高いレベルで均衡させていたカナーンがこの接触によって損傷したウイングを交換するために後方へ退くといよいよチップ・ガナッシを脅かせる存在はいなくなり、燃料をもたせる耐久戦の様相を呈したレースはなにもなされぬままチェッカー・フラッグへとなだれこんでいったのだった。

 あるいはチップ・ガナッシの1-2-3態勢が構築される直前、122周目から129周目にかけてレースをリードしたウィル・パワーにはもしかするとわずかながら勝機がありえたかもしれないが、しかし彼が先頭に立ったのはどうやらあらゆる意味で幸運によってでしかなかった。燃費もスピードもそれなりに優れていたパワーの走行は、どちらともそれなりにすぎなかった(最後まで走りきろうと思えば絞らざるをえない程度には苦しんでおり、結果フランキッティにパスされることになった)ためにポコノを満足させるにはいたらなかったようだ。結局燃料を効率的に使えていたホンダエンジン勢に次々と前を覆われていった彼の負けざまを見ると、折衷こそ許されず、速さか燃費かに振り切ることが必要なのだと理解もされるだろう。スピードによっても燃費によってもレースは勝ちうるというのはたしかにひとつの結論としていいように思われる。そこでマルコ・アンドレッティとスコット・ディクソンに差があったとすれば、チェッカー・フラッグのときにレースがどちら側に傾いているか――後から食べるアイスクリームがどちらの味だったかどうかの違いにすぎない。あるいはこういう言い方もできる、レースがチェッカー・フラッグのときの順位でしか語られない営みだとするなら、結局のところ最後に訪れた幸運が最大の幸運なのだ、と。ポコノにあって、マルコの幸運はスピードレースになったことだったが、その順番は前すぎて、終幕まで引き止めることができなかった。そして逆に、ディクソンは佐藤のクラッシュというその日最後の乱れを幸運として引き当てることができたわけなのだ。なにも断りをつけずに注文したわたしのアイスクリームは、チョコレートが上に、バニラが下になって供されたのだった。それはチョコレートが好きで後にとっておきたいわたしにとって魅力的な順番ではなかったが、そういう運勢だったと受け入れざるをえないものにちがいない。まして、丁寧に重ねられたふたつのアイスクリームを下のほうから食べることなどできはしないのである。

グレアム・レイホールが敗北のために刻んだラップリード

【2013.6.23】
インディカー・シリーズ第10戦 アイオワ・コーン・インディ250
 
 
 トルストイを引こうというのでもないが、モータースポーツにおいて勝利は一様なまでに勝利でしかなく、敗北にこそ語るべき瞬間がある場合が多かったりする。名誉なき勝利や栄光を失った勝利がときに生じるのだとしても、結局時間という真実を覆せるものが存在せずに勝者の理屈を速さにしか還元しえないのに対して、敗者はいつも饒舌にサーキットでいかに許容しがたいことが起きてしまったかを語るのであり、それはときに勝者の弁より圧倒的に魅惑に満ちている。もちろんレースの読者たるわたしたちがその権利によって敗北の瞬間を創りだして語るのも悪いことではない。たとえばアイオワ・コーン・インディ250の160周目から181周目にかけてグレアム・レイホールが見せつけた失望までの優れた過程を、数年後に語れるように記憶にとどめておくというように。

 まず勝者について述べておくと、今季の半数のレースを勝利しているアンドレッティ・オートスポートのジェームズ・ヒンチクリフが、チームの好調に乗ったままあらゆる局面を制したことは明らかだった。先週のミルウォーキー・インディフェストで勝利を受け取るに値したドライバーが3人だったとするならば、アイオワではこのカナダ人以外にありえようもなかったはずだ。燃料戦略や燃費の違いでわずかながらエド・カーペンターとジャスティン・ウィルソンに譲ったラップリードはそれでも250周のうちのじつに226周中におよび、今季のすべてのレースで最高となる90.4%の占有率を記録した。ロード/ストリートコースでは2012年デトロイトでのスコット・ディクソンや2011年アラバマでのウィル・パワーなどが全周回1位を達成しているが、オーバルレースで9割もラップリードを占有した近年の例となると、おなじく2011年のテキサスでダリオ・フランキッティが114周中110周を先導したことくらいしか思い出せない。しかしこの記録も「ファイアストン・ツイン275s」という開催名称からわかるとおり通常の距離を半分に割って2レースイベントとして行われた(2013年は「ファイアストン550」だ)うちのレース1でのものだから、完全な距離のオーバルにかぎれば、ヒンチクリフが演じてみせたのはまぎれもなくここ数年類を見ないほどの圧勝なのだった。

 繰り上がりのポールポジションからスタートしたパワーはほとんど何もできないまま抜き去られてただの1周もリーダーの座を守ることができず、ライアン・ハンター=レイはもしかするとヒンチクリフと同等に速かったが、やはりチャンピオンとして認めがたい粗忽なミスでフロントウイングを壊して表彰台に戻ってくるのが精一杯だった。前戦に犯罪的なまでの頽廃さをもって2位にまったく値しない走りしかできなかったポイントリーダーのエリオ・カストロネベスは今回もやはりその程度に終わった。それに比べれば、ヒンチクリフのよどみないスピードは観客を十分に楽しませたことだろう。スペシャルカラーの偶然が重なってやけに黄色い車が多かったショートオーバルの中を、ゴーダディのスポンサーカラーである緑に彩られたカーナンバー27は、その色がレースで意味するところを存分に発揮して駆け巡った。単独で速く、密集でより速いその特性はおよそ空力に敏感なインディカーの理想型を表していたようにさえ見える。周回遅れの集団の隙を縫うようにしてポジションを盤石にしていくさまは、そのラップリードの数が示すとおり、トラックを制圧するにふさわしかった。危機があったとしたら、コースに落ちた破片を回収するため出されたフルコース・コーション明けの160周目、今季何度か良質なリスタートを見せてきたグレアム・レイホールがハイサイドから襲ってきたときだけだった。

 おそらくレイホールにとって、のみならずあるいはどのドライバーにとっても、この日に比類のない速さを誇ったヒンチクリフに対して勝機を持ちえたのは唯一160周目終わりのリスタートだけだった。集団の処理に優れ、直前にもあったコーションを利してその背後2~3秒のところにかろうじて食い下がっていたレイホールは、レース4度目のグリーン・フラッグではじめて、ついにヒンチクリフと並走する機会を得た。加速のタイミングを合わせるのはさほど難しい技術ではなく、レース再開から即座にハイサイドを確保すると直後のコントロールラインではわずかながらに先行する。そこから2周にわたって、2台は高水準のサイド・バイ・サイドを展開した。

 レイホールはアウトサイドを奪うことでわずかながらにヒンチクリフのラインを制限し、その一点だけを強みにするように最短距離を通る相手と渡りあった。スピードを頼みに161周目のいっさいを並びきったこのバトルのうちに、1車身、たった車1台分のリードを築くことさえできれば、レイホールはどんな非難を浴びようとも委細構わずインサイドへ降りていって、ヒンチクリフを乱気流に沈めてしまうことができたかもしれなかった。それは唯一の勝機を前にした限界の苦闘だった。しかし相手の屈託ないスピードを前にその希望は許されず、泡沫のバトルは泡沫のまま、実を結ぶことなく終わりを迎える。162周目のターン4でついに車体半分の先行を許すと立場が逆転し、ハイサイドにとどまりきれなくなったレイホールはラインを譲って2番手に甘んじた。それがほとんど決着を意味することはだれの目にも明らかだった。

 一度控えたレイホールにふたたび仕掛ける機会は訪れなかったが、それでも0.5秒差のうちにとどまってやがて現れる周回遅れに幸運な逆転を託そうとしていた。もしかするとその可能性もありえた181周目のことである。ターン1でヒンチクリフがポールシッターのウィル・パワーに追いつき、あっさりとインを浚って2周遅れに追い込むと、直後のレイホールは得意としていたハイサイドのラインを選び追随を図った。しかし、ハンドリングに苦しんでコースを幅いっぱいに使わなければスピードを保つことができなかったパワーもまた、ターンの出口で外側に向かってラインをはらませていく。2人の進路は交錯するほかなくなり、行く手を遮られたレイホールは事故を避けるためにスロットルを戻してしまう。アンダーステアにも見舞われたり、コース上に散乱していたタイヤかすを拾ったりもしたかもしれない。レイホールは瞬く間に2.4秒のタイムを失い、スピードが著しく低下したその横をライアン・ハンター=レイがなんの苦もなく抜き去っていく。たった一瞬のことだった。しかしその一瞬で抵抗は臨界を迎え、すべてが終わった。

 レースはその後平穏に閉幕する。勝者は結局最後まで緩みなく速く、他のドライバーが手を出せる場面は訪れなかった。集団の中でのバトルを強いられたレイホールは5位に終わり、その結果にはホンダエンジンユーザーの最上位という程度の肩書しかつけられそうにない。記録に残るのはヒンチクリフの圧勝ばかりで、レイホールの奮闘は数週間もすればだれの口にも上らなくなるような、取るに足らない敗北だったと言えてしまうのかもしれない。それでもこの日本当に勇敢に勝利を欲していたのはレイホールしかいなかったと、ここでだけはささやかに書き留めておくとしよう。彼はレースに唯一の裂け目を刻んだ。その刻印はきっと、これからいつまでもわたしたちの記憶を呼び起こしていくきっかけになるはずだ。最終結果を見るがいい。160周目にたった一度だけ記録されたラップリード、グレアム・レイホールが傷をつけた抵抗のラップリードこそ、このアイオワのすべてだったのである。

佐藤琢磨が引き戻したインディカー、あるいは楕円の中に敗れるということ

【2013.6.15】
インディカー・シリーズ第9戦 ミルウォーキー・インディフェスト
 
 
 135周目にレースリーダーの佐藤琢磨が迫ってくると、その位置を走っていることには違和感を禁じえなかったほどスピードがあったはずのエド・カーペンターは、勝機の喪失を意味する周回遅れの淵から逃れようと背後のA.J.フォイト・レーシングに対して抵抗を試みた。シボレーエンジンはほんのわずかながらホンダに対してストレートに優位があったように見え、ミルウォーキー・マイルが低いバンクで構成される抜きにくいショートオーバルコースであることも相まって、カーペンターはハンドリングに優れるこの日の最多ラップリーダーの攻撃を何度となく跳ね返した。劣勢の溝を埋めるフルコース・コーションをひたすらに切望するそのディフェンスは、結局152周目に犯したアンダーステアによって大きな減速を余儀なくされたことで実らなかったものの、それでもじつに17周にわたってリーダーを抑えこむことになる。佐藤の側に立てば、ここで3~4秒のタイムを失ったことが、直接的ではないにせよ、レースの大部分で最速だったにもかかわらず最終順位は7位にとどまった一因となった。たとえばこの5分強の時間をミルウォーキー・インディフェストの結果を左右した出来事のひとつとしてとりあげることは、さほど難しくない。

 リードラップを主張するリーダーに対して、エド・カーペンターはポジションを譲るべきだったのか。そうだれかが非難まじりに問うたとしても、意味のあることだとはいえないだろう。カーペンターはインサイドを窺う佐藤へと車体を寄せてラインの自由度を奪い、おそらくスロットルを緩めたりもしなかったはずだが、また進路を直接ブロックする、いわゆるチョップと呼ばれるような挙動を見せることもなかった。場所がオーバルであるかぎり、1周分の差をつけられた相手に対する態度としてそれは厚かましくはあっても不当ではなく、レースは厚かましさだけを理由にドライバーを罰することはない。乱気流に過敏に反応してしまう佐藤の車はオーバーテイクに向いているとはいえず、カーペンターを自力で周回遅れにする術を見出せなかった。遅い車を勝負の圏外へと追いやるのをリーダー自身の責任とするならば、勝てるはずだった佐藤の最終的なポジションはそれを早々に果たせなかった失敗に対するささやかな報復を受けた結果にすぎない。そしてまた、その敗北は特別に悔やまれることですらない。同様にオーバルの勝利を逸してきた中途のリーダーはこれまでに何人もいた。インディカー・シリーズではよくある光景で――よくある光景? 無邪気にそう書いてしまうことを躊躇し、戸惑いに自覚的になる必要があるはずだ。あるべき景色をこそ拒みつづけてきた2013年のインディカーをだれが読むかもわからない文章で記録しておく意味があるとすれば、見られなくなってしまったそんな場面を丹念に拾い集めて書き留めることでしかないのだから。

 伝統のインディ500をトニー・カナーンが制し、エリオ・カストロネベスが(車両違反の裁定を下されながらも)ハイバンク・オーバルのテキサスを圧勝した。ロード/ストリートコースで荒れ続けたシリーズが一方でオーバルコースによって沈静化されるように揺らいでいることは、インディカーを作る原型がいまだ楕円の形をしていると示唆しているかに見える。このことが保守性の凝集を意味しているのだとすれば、ミルウォーキー・インディフェストで起こった何もかももまた、そこが最も古いレーストラックであるという歴史や、マイケル・アンドレッティがその情熱によってプロモーターを引き受けて開催を復活させた経緯にふさわしく、オーバルにとって、つまりはインディカーにとってありうべき出来事だったといえるだろう。それどころか、目の前にむき出しのポルノを置かれたかのごとく象徴的な場面を突きつけられて、あまりの露骨さに少しうろたえても不思議がないくらいだった。この日勝利に値したのは3人だけ、マルコ・アンドレッティとライアン・ハンター=レイ、それから佐藤琢磨で、ひとりは残念ながらトラブルのために降り、ひとりは実際に勝利し、ひとりはオーバルによって敗北した。昨季のチャンピオンが他を寄せつけないスピードを誇った最終スティントは、速かった事実を称えればよいだけだから、とりあえず措こう。それよりも、勝つべきドライバーのひとりがまさに楕円の中に敗れ去ったことをこそ、絶え間ない問い直しにさらされてきたインディカーの観察者は称揚すべきではないか。遠方の視線を意識した舞台俳優のように大仰な身振りで、見ているほうが怯むほどあからさまにオーバルの敗北のすべてを演じきってみせた佐藤琢磨をこそ。

 エド・カーペンターの抵抗によって5秒以上のリードを吐き出した佐藤琢磨は、直後のピットストップを終えるとふたたび後続を引き離したが、周回遅れの隊列に追いついた183周目に強いルーズに見舞われてクラッシュしかかった。リーダーの座を失いはしなかったもののすでに車はバランスを欠きつつあり、そこまで95周をリードしたスピードには翳りが見えはじめていた。A.J.フォイトのストラテジストであるラリー・フォイトがひとつの決断を下したのだとしたら、198周目にライアン・ハンター=レイにパスされたときだろう。それは賭けに近かったはずだ。200周目、だれよりも早く佐藤をピットへと呼び戻し、バランスを直すべくフロントウイングを調整してコースに送り出したとき、レースはグリーン・フラッグの状況下で行われていた。同じ条件で進行すれば最後には帳尻が合うと考えるのは楽観的だったかもしれず、やはりギャンブルに身を委ねるにはライバルのピットタイミングは遠すぎた。佐藤に追随するものはいないまま、はたして210周目、アナ・ベアトリスの単独クラッシュがフルコース・コーションを導いて、ほかのドライバーはスロー走行のなか悠々と最後の給油を行う。レースが再開された220周目に佐藤がいたのは、周回遅れの集団に囲まれた7番手の位置だった。

 最後のピットストップを通常どおりに行えなかったことは、それだけで弱さだったということはできる。だがカーペンターに引っかからなければ集団に追いつくタイミングも変わって、183周目のミスはなかったかもしれない。その2つの問題で合計10秒近い時間を失わなければハンター=レイの追撃はもう少し遅くなり、最後のピットをほかと揃うまで我慢することで1対1のリード勝負に持ちこめた可能性もまた高かった。いわばひとたび周回遅れを処理しそこねたことでミスが起こり、ピットのタイミングを狂わされ、コーションの罠に誘導された、佐藤琢磨が優勝を逃したのは、そういうレースによってだった。

 しかしこれほど正当で魅惑的な敗北がどのくらいあるというのか。ポルノのように露骨に、佐藤はオーバルでの負けかたを示しきった。すなわち弱者の抗力に翻弄され、緑の地平へとゆくりなく飛びこんでしまい黄に能わない――よくある光景だと書いたように、オーバルで負けるとは、オーバルで正しく敗者になるとは、そういうことなのだ。勝利に値していた佐藤はオーバルの構図の中に踏みこんでいくことでレースに敗れ、またその意味においてミルウォーキーで敗北に値したのは佐藤だけだった。実際、このレースをほかのだれが負けえただろう。表彰台に登ったエリオ・カストロネベスもウィル・パワーも、優勝したハンター=レイのチームメイトも、気づけば1桁の順位にいただけのチップ・ガナッシの2人も、敗れ去る資格などいっさいないまま、ただ自分の場所でレースを終えたにすぎない。最後のリードラップを構成した彼らの姿はほとんど不愉快なほどに頽廃的で、インディカーを掬いあげる役割を果たすことはなかった。ただひとり、オーバルの敗北すべてを――ありうべき形で、あからさまに――引き受けた佐藤だけが、その任を担ってみせたのだった。

 この結果が意味するところを探るとすれば、おそらくこういうことだろう。たとえば、佐藤琢磨を嫌いと公言してはばからないある人は、(それがいかなる角度においてもブロックではなかったというこの記事と共通の見解を有しながらも)エド・カーペンターの抵抗を「正義の鉄槌」として、インディカーを表象しない日本人ドライバーからシリーズを救ったと捉える立場が存在するだろうと述べる(「成長した三人。そして二人の面接官」『モタスポ板住民のまよいまいまい』2013年6月17日付)。だがそこに起きたのがあるべき姿の表出なのだとすると、カーペンターと佐藤は対立ではなくむしろ意図せぬ共犯関係にあったといわなければならない。佐藤は周回遅れに抗われた最速のリーダーとして、カーペンターは厚かましくリーダーをさえぎる弱者として、互いにインディカーの見慣れた光景を立ち上らせ、敗北をも演出した。頽廃に呑まれかけたこのレースを救ったのは一方的な正義の裁きではなく、2人が無自覚のうちに共謀した振る舞いにほかならない。そしてそこに象徴的な瞬間を見るのであれば、もう佐藤を異邦人として扱えるはずはないのだ。オーバルで負けるとはそういうことなのだと、もういちど繰り返すことにしよう。正しい敗者を放逐することなどできはしない。ロングビーチの勝利よりサンパウロの苦闘より、ミルウォーキーの軽やかな敗戦こそ、佐藤琢磨とインディカーの融和をなによりも証明したのだというべきなのである。

 このミルウォーキーは今後への示唆をあらわしていただろうか。車の性能がどうなるかなどわかるはずもないが、少なくとも精神性についてはそうだったと肯けよう。正しい敗者となったことで、佐藤琢磨は浮ついたトップ5でなく、正面のコンテンダーとしてインディカーのリストに載った。10月のフォンタナが終わったときにまさかポイントリーダーになっているとしても、われわれがそれに驚くべき理由はもはやたしかに減っているように見えると、いまはささやかに付け加えておくべきかもしれない。

ハイサイドのエリオ・カストロネベスはシリーズに安寧をもたらすのか

【2013.6.8】
インディカー・シリーズ第8戦 ファイアストン550
 
 
 えらいことに書いている途中であろうことかこの記事の主役であるところの勝者の車に規定違反が判明し、話の軸が心とともにぼっきり折れそうになった(いちおうペンスキー自身の説明としては「意図的ではなく、またむしろパフォーマンスを下げる違反だった」ということだが、もちろん本当かよと疑う権利がこちらにはある。まあ強いて言うなら、パフォーマンスを上げるために規則に明示された数字の範囲をすぐばれるように外すバカはいないわけで、ミスはミスなのだろうと思ってはいる)わけですが、それは措いてしまって公開します。あくまでそのように読んでください。ともかく今年の目標は全戦レビューなのです。そして今から書き直すには、ミルウォーキーはすぐそこに迫りすぎているのです。はあ。

***

 トニー・カナーンがついにインディ500を勝ったのだから、という祝賀をもとにいささかの関連性もない連想を広げてしまうのが罪深いことだとわかっているにもかかわらず、8回のレースで刻まれてきた勝者の欄にようやくエリオ・カストロネベスとペンスキー・レーシングという見慣れた名前を発見すると、ついそれがシリーズチャンピオンへの予告のように思えてきてしまう。カナーンがあれほど焦がれたインディ500を弱小チームに移ってから制してしまったのと同じ年に、15年にわたっていまだチャンピオンだけを獲得していないカストロネベスが、不調に陥ったペンスキーでなぜかそれを実現させてしまうという物語を組み立てるのには抵抗しがたい誘惑がある。

 事実ポイントスタンディングを眺めると、状況はあたかもこの"スパイダーマン"を後押ししているかのようだ。スコット・ディクソンとは1レース分の差が開いて、ダリオ・フランキッティやウィル・パワーの姿は見えず、直後に控えているのはマルコ・アンドレッティとライアン・ハンター=レイだが、マルコがチャンピオンの器だと思っている人もハンター=レイがカーナンバー1をつけている理由をまだわざわざ覚えている人もいるはずがないだろう。もちろんトニー・カナーンと佐藤琢磨は、王座に値するクルマを運転していない。シモン・パジェノー? まさか。

 もちろんこれははてしなく乱暴な把握にちがいないなのだが、思い描く展望に慎重さを欠いてしまう程度には、前世紀から連れ添っているカストロネベスとペンスキーは混乱するいまのインディカーに対する鎮静剤として縋りたくなる組み合わせである。彼らがバンク角24度のテキサス・モーター・スピードウェイで18台をラップダウンに追い込む圧勝を演じたことで、インディカーは今年はじめていままでどおりの居心地を手に入れた。とりあえず安定を取り戻したかのように見えるこの結果は、そのままシリーズの様相を左右する要素になりそうだ。もしカストロネベスが2013年を制するようなことがあれば、6月8日のテキサスはシリーズの転換点という構図として描かれることになるだろう。もしくはテキサスが全体に敷衍されて転換点として機能しないかぎり、カストロネベスのチャンピオンはせめて運によってしかもたらされえないと言うべきかもしれない。だれのパフォーマンスも安定しないのであれば、シリーズは毎戦のようにくじを引く抽籤会になるしかない。だが少しでも、最低限昨季程度のゆらぎに回帰していくとするなら彼がいま立っているのはこのうえなく優位な場所になる。もはやスタートラインは揃うことなく歪んだままだ。

 かならずしも、ベテランが勝ったという事実だけでそのままシリーズに安寧の訪れを想起できるわけではない。その勝者が過去に5度チャンピオンとなっている(にもかかわらず、カストロネベスの3回の優勝はすべて裏切られた)という過去を読めばテキサスは重要なレースなのかもしれないが、築かれてきた歴史に意味を求めて、伝統によってのみ波乱が鎮められたのだと言うわけでもない。ただレース序盤の席捲をマルコ・アンドレッティから奪い去ったカストロネベスが、ハイサイドのラインを走り切ることで見せつけた暴虐性こそ、今季のインディカーが見失っていたものだったと断言することはできる。日本での中継で、村田晴郎は下位チームの努力よりも、上位であるべきチームの失策こそが混沌の原因に見えると述べた。ここに表出するのは「あるべきインディの不在」にほかならないが、インディカーを愛する彼が発した言葉によって浮き彫りにされたその嘆息にも近い現状を、われわれは受け止めざるをえないだろう。混戦に強度というものがあるとするならば、今季のそれはあまりに弱々しかった。わたしはこれまで今年のインディカーは変わったのだと何度か書いてきたが、あえていまそれを翻してみせるのもさほど難しいことではない。変わったのではなく、ただ空白だったのだと。

 テキサスに雀色のときが終わろうとするころ、エリオ・カストロネベスは一貫して楕円の外側であるハイサイドを走り続けていた。外へ、外へと自らを送り出していくそのレーシングラインは最短距離を求めて内側の白線すれすれを走る他の車に対して異質で、いくぶん乱暴さえ感じさせた。レース序盤のまだ日が残っていた時間にだれより速かったアンドレッティ・オートスポートのマルコ・アンドレッティですら、直射日光の消失で路面温度が下がっていくとともにフロントタイヤが応答しなくなっていくように見えた中、カストロネベスは外連味など一切ないままシボレーエンジンの回転を保ちつづけ、リーダーが処理に苦労していた周回遅れを苦もなくアウトから呑みこんでいった。テレビで見ていても、ターン3へと飛びこんでいく勢いの差ははっきりわかった。

 ハイサイドを走りつづけられる車とドライバーの組み合わせには、そのことだけをもってレースの美しい過程を見出すことができてしまう。距離の損失を埋めてなお余りあるそのスピードは、それがスピードであるがゆえに暴力的な勢いでトラックを蹂躙し、インサイドに汲々とする車を卑小な存在へと変え、戦略も燃費もあらゆるものを塗りつぶす。そこにある暴虐的な振る舞いに身を委ねるということ。カストロネベスがテキサスで演じきってみせたハイサイドのレースこそモータースポーツを見ることの快楽の一つであり、今年のインディカーに見出しにくかったものだったのだろう。問われるべきは結果としての勝者がだれであるのかではなく、勝者のありかたという過程にほかならないのだ。97周目のリードチェンジは、そのことを痛烈に示唆する教訓として投げかけられている。ハンドリングに不安を見せつつあったマルコ・アンドレッティはコーナーのインサイドを譲らずに最短距離を行こうとするが、カストロネベスに比べればそれはやはり卑小でありすぎた。わずかながらサイド・バイ・サイドに持ち込んだものの、報いを受けるように2台の周回遅れの後方にはまったアンドレッティ・オートスポートは乱気流にも見舞われて身動きが取れなくなってしまう。迷いなく大外を行くカストロネベスの前には大きな空間が生まれ、ただスピードをもって彼はそこに向かって加速していく。もはや抵抗できるものはだれ一人としておらず、レースはあるべき姿に向かって収束していった。残りの131周はもう、暴虐によって制圧された時間を噛み締めていれば、それでよかった。