関口雄飛とストフェル・バンドーンは日本で出会う、あるいは奇妙で魅惑的な、僕たちのスーパーフォーミュラ

CHAPTER 1

 2016年9月25日に決勝が行われるスーパーフォーミュラ(SF)第6戦を前にして、観客がレースへと寄せる期待はさほど大きいものではなかっただろう。はたしておもしろいレースになるのだろうかという疑問はあって当然だった。まずもって、SFそのものが全体的にレース中の順位変動が少ないシリーズという前提がある。今のF1のように年間を通して1チームが独走することこそないものの、週末単位で見ると意外なほど上位の順位が固定されたまま終わる――速さを見つけたチームはたいてい日曜日の夕方まで速い――傾向が強い。今季ここまで、ややこしい展開になったのは7月の富士と9月の岡山レース2くらいで、それ以外の開催ではどこも予選3位以内のドライバーのうち2人は表彰台に登っている。6戦のうち5戦はホールショットを決めたドライバーがそのまま優勝した。もとよりSFとはそういうものだ。使用される車輌SF14は随所に工夫が凝らされ、 続きを読む

ホンダF1はその精神によって自らを空虚にしている

 2015年のF1は昨年に引き続きメルセデスAMGが圧勝を演じるさまを延々と繰り返しながら閉幕したが、一方で他のメーカーから遅れること1年、満を持して新規則パワーユニット(2014年に新規導入された、ターボエンジンとエネルギー回生システムを組み合わせた統合動力源)をマクラーレンに供給する体制で参戦したホンダは惨憺たる成績に終わった。無惨な一年だった、といっても差し支えないだろう。マクラーレンからしてホンダと組む以前より苦戦する傾向にあったとはいえ、いやだからこそ新しい関係となる2015年を再起の始まりの年と位置づけてフェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンの王者2人を揃えたにもかかわらず、入賞は合わせてわずか6回、コンストラクターズ部門でメルセデスから離されること676点の27点に留まり、下にはマノーを見るだけの10チーム中9位に沈んだ。「マクラーレン・ホンダ」といえば、アイルトン・セナとアラン・プロストを擁して16戦15勝を記録したあの1988年から始まる愛憎入り交じりながらも栄光に満ちた5年間を思い出すファンも多かろうが、あれからはや四半世紀ほどが経った今、その名の響きに対する甘美な郷愁は、まさに当時の彼らを髣髴とさせるメルセデスの圧勝を羨望の目で見るしかないままに裏切られ続けたのだった。あとに残ったのは膨れ上がった失望と、それに伴う教訓と、わずかに拠り所とするしかない来季への希望だけだ、といってみたくもなる。

 もちろん、まだ一年が経っただけではある。これからも活動を継続していくはずのホンダF1に対して結論を突きつけるのは時期が早すぎよう。だが4期目を迎えた彼らの少なくとも初年度が、PUを供給したチームの主要スポンサー大量離脱を招いて財政的悪影響を及ぼしたほどの失敗だったこともまた紛れもない事実として受け止めなければならない。おそらく参戦前に飛び交っていた中でももっとも悲観的だった予想をさらに下回るほどのかくなる低迷が引き起こされた要因が喧しく議論されるのは当然のことだ。はたしてホンダF1の一歩目が益体もないという他ないほどの惨状に陥った原因はなんだったのだろう。

 単純に物理的な問題として、傍から見ているだけでもホンダが供給したPUが技術的不調を多数抱えていたことに疑いの余地はない。マクラーレンに帰責されるべき問題も相当数あったのはたしかだが、だとしてもホンダの失わせたものは多すぎた。モーター、バッテリー、ターボ、センサー、ポンプ、配管、プラグまで、PUのありとあらゆる場所に問題が発生した一年だったのはだれの目にも明らかだ。レースのたびにおよそ故障の見本市のような様相を呈し、フリー走行から決勝まですべて満足に走り切れたグランプリは皆無だったといってよい。壊滅的な信頼性に目を瞑っても、モータースポーツではときに見られる「速いが脆い」といった極端な特徴があれば魅惑的にも感じられただろうが、性能面でも他のPUから数十馬力、時には100馬力も劣ると噂されるほどの劣勢を強いられた。たとえば矜持を懸けて臨んだ地元鈴鹿サーキットの直線で、(やはり性能は最低クラスと目されていたルノーPUを載せる)トロ・ロッソのマックス・フェルスタッペンに何の抵抗もできず交わされたアロンソが無線に載せた「GP2のエンジンじゃないか!」という絶叫と、おなじくアロンソがハンガリーGPの予選Q2で止まった車から降り、自ら押してピットへと戻ろうとした姿のふたつなど、速さも信頼性もなかった2015年のホンダを何よりも象徴する場面だったのではないか。もちろん遅いのも脆いのも衆目の一致する事実ではあったが、それが外部の無責任な哄笑ではなくドライバーの切実な言動によって露骨に表象された点において、両者は現代のF1においてきわめて異質な、当事者にとっては恥ずべき場面として全員の記憶に残ってしまったのだった(もちろん、性懲りもなく止まった車のそばで、すべてを諦めたように日光浴するブラジルGP予選での姿を含めて!)。この期に及んで「2015年のホンダ」を擁護する人がいたとしたら、もはや利害関係があるか魂をホンダに預けてしまったかのどちらかとしか思われないほどだ。

 もちろん、ホンダに同情すべき点がないわけではない。マクラーレンとの関係はたんなるPU供給先ではなく、車体とPUの最適な対応の開発を視野に入れた技術提携ともいえるもので、その中で打ち出された「サイズ・ゼロ・コンセプト」はPUを設計するにあたって確実にホンダの足かせとなっていたはずである。車体後部を極端に絞って空力的優位を狙うこの思想によってホンダのPUは過度な小型化を要求され、排熱が制限されて故障が広がる一因になった。開幕前のテストでトラブルを繰り返してまともに走行距離を稼げなかったのも、シーズンが始まってから何度も熱系の故障に泣かされたのも、すべてはサイズ・ゼロという設計思想の段階から始まったといっていい。2014年のフェラーリも空力に傾斜しすぎたために生じた熱問題に苦しみ、解決に時間を要する間にメルセデスとの差を埋められなくなって終わったが、物を動かすとき不可避に発生する熱をどう冷却するかという動力装置の宿命的な課題に、一年のあいだ様子を見ることが可能だったホンダも対応を工夫せず、あるいは工夫する時間的空間的余地もないままぶつかって、前進できない時間を長らく過ごしたのだった。そのうえ、そこまでして追い求めた空力効率もはたしてどこまで効果が出たのかわからなかった。そもそも速さにも信頼性にも、外部から成否を論じるための基準点を設定することすらできなかったのだ。はっきりしているのは、(ホンダやマクラーレンがしばしば声高に強調していた)崇高な理念などをさておいて現実の結果だけをただ見渡したとき、PU草創期のこの2年間で優位だったのは空力より動力を優先させる思想であり、メルセデス以外のチーム、なかでもマクラーレン・ホンダは潮流に乗り損じたということである。設計思想は技術力以前にあるすべての基礎だ。貧弱な基礎の上ではどれほど細かい修復を繰り返しても強い建物は建たないと、そういう一年であったのだろう。

 そうした果てのない苦しみを味わった2015年を経て、冬のテストも間近に迫ってきた2016年を、ホンダは反撃の年にしようともくろんでいる。マクラーレン・ホンダに失望しか抱けなかったわれわれは、では2年目を、あるいは「7年目」を迎えるその名前にどれだけの期待を抱けばいいのだろう。2016年の冬季テストを前に、マクラーレン・ホンダ関係者からは楽観的な言葉がしばしば発せられたりもしてはいる。その自信に違わず、数々の問題を一気に葬り去れる奇跡のような解決策が見つかって、サイズ・ゼロが所期の理想どおりに輝く未来を思い描くことは許されるのか、いやそこまで高望みせずとも、完走率が上がり出力差が縮まって当たり前に入賞や予選Q3を争う姿は見られるだろうか。いまや日本との接点が急速に失われているF1において、ホンダは鈴鹿と並び日本人の心が向かう先になり続けられるだろうか。

 もちろん、いまその問いに対して答えられる材料はないに等しい。どのチームも新車を1cmたりとも走らせていない現時点においてなら、どんな未来も可能性としては存在するだろう。思いがけず表彰台さえ見据えているかもしれない半年後も、そうなることを願いながらも結局のところ裏切られるかもしれない11月も、ありうべきことを否定されるものではない。もし2016年が成功とともに終えられるなら結構なことだし、F1の多様性といった観点からも歓迎されるべきである。

 しかしこれを書いているわたし自身はといえば、そうしたあらゆる可能性の拡がりを前にしてもなお、ホンダに懐疑の目を向けたままでいる。いやそれどころか、「ホンダ」という一体のレーシングチームのことを考えたとき、わたしは彼らを一片さえも信用していないと断言できてしまう。彼らの口から状況を前向きに捉える言葉がどれほど出てこようと、耳を傾ける価値がどれほどあるものかと冷淡に反応してしまう。去年、彼らが幾度となく発してきた自己への期待の言及が、結局成果となって現れずに消え去っていったから? そういう理由もないわけではない。鈴鹿でアロンソの「GP2」が飛び出したのはホンダF1プロジェクト総責任者の新井康久が「ホンダPUの性能は(まさにアロンソが手もなくひねられた)ルノーを上回っている」と発言してから少し後のことだ。そんな具合に、ホンダから出る言葉のほとんどは大なり小なり、良くいえば見込み違いの、あえていえば「嘘」にも近い大言壮語ばかりだった。彼らだけに問題があったわけではないにせよ、「次のレースでのアップデート」がことごとく成績に結びつかなかった一年を思えば、たしかにいま垣間見える自信など信じられなくもなる。

 だがわたしのホンダに対する懐疑とはこうした技術的進歩の遅れの中にあるわけではない。もっと根源的な、レーシングチームとしての意味そのものにかかわることである。「ただ遅いだけ」ならば、マクラーレン・ホンダの幻想が破れたことに落胆はしつつも、ここまで冷ややかな気持ちになる理由などなかった。むしろ離れつつあるF1と日本の関係をあらためて結んでくれるかけがえのない存在と受け止めることさえできた。彼らがレースを戦おうとする集団であったなら、せめて戦う姿勢を装える集団だったならーーそれだけで構わなかったのに、そうですらないことこそ、現在のホンダが抱える最悪の空虚である。わたしは虚しくも確信しているのだ。F1といういまだ世界最高峰のレースの場において、にもかかわらずホンダという組織のやろうとしていることは、断じてレースではない。

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 パワーユニットが導入されてはや2年、新時代の動力源を謳われていたはずのそれは、以前の自然吸気エンジンに比べて不評に塗れ、世界中で加速しているといわれるF1離れの原因のなかでももっとも主要な犯人と見なされている節さえある。ハイブリッド化で音が静かになりサーキットから迫力が消え失せたという批判に始まり、まるで耐久レースのように燃料の総搭載量と瞬間流量を制限したためにレースが無意味にわかりにくくなった、速く走ろうとするドライバーを抑えつけて限界に挑ませなくなった、開発制限が厳しすぎて勢力図が固定されてしまうなど、ファンや関係者が不満を述べたてる要素は枚挙にいとまがない。環境への持続可能性をアピールして導入されたわりに、肝心な「F1の持続可能性」にはなんら貢献していないという問題もある。複数の動力を統合する複雑なシステムのせいでPUは年間使用料2000万ユーロともいわれる高級品となり、中小チームはあいかわらず破綻が噂されるような財政状況から脱せないほど大きな負担を強いられたままだ(そして費用捻出のために腕よりも金に覚えのあるドライバーが採用されて、ファンの心はますます離れていくわけである)。結局、この2年間のPUはF1の発展に寄与するどころか、高コストなだけで退屈なレースが繰り返されるという課題を具体的な形で示した悪しき象徴に祭り上げられるだけだった。本題ではないので詳細は省くが、この危機的な状況に対し、FIAとPUを供給するメルセデス、フェラーリ、ルノー、ホンダの4社は、2017年か遅くとも2018年に採用するPU規則改正案を協議している最中である。

 PUにまつわるそうした話し合いを報じるもののひとつとして「AUTOSPORT web」に短い記事が掲載されたのは2015年12月半ばのことだ。Motorsports.comの報道内容を紹介するその記事によれば、コスト削減の一環としてPUでも複雑で高価なシステムであるMGU-H(熱エネルギー回生装置)の廃止が提案されていたが、4社のうち唯一ホンダだけが反対して合意に至らなかったのだという。その理由についてホンダF1の総責任者である新井康久は「ホンダはハイブリッドテクノロジーを開発するためにF1に参戦したのであり、それができないのであればF1活動を続ける意味はない」と述べたということだった(「AUTOSPORT web」2015年12月16日付「PU新規則案に3基制限。MGU-H廃止はホンダが反対」[http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=70126](http://as-web.jp/news/info.php?c_id=1&no=70126))。

 悪意を持ってこの部分だけ切り取れば喫緊の課題であるコスト削減に対してホンダが抵抗し進展を遅らせている、などと読むことも可能ではあるが、もちろんそんなわけはなく、企業の思惑が絡みあった綱引きの一例といった程度のニュースである。たとえばこれ以前にFIAから提起されたPUの供給価格に上限を設けて中小チームを救済する案はフェラーリの反対にあって潰えており、ホンダだけが自己の主張を押し通しているわけではない。総論の議題を共有しつつ各論で足並みがまったく揃わないなど、F1の世界ではよくある話だ。

 PUの行く末がF1の未来を左右するかもしれないとはいっても、これは議論の過程で出てきた些細な争いのひとつにすぎないだろう。しかし、である。にもかかわらず、その記事を読んだわたしの胸の内に浮かんできたのは紛うかたなき負の感情だった。2015年のシーズン中から抱いていたホンダに対する冷淡な不信感、拭いがたい違和感が決定的なものになっていく心の動きを押しとどめることができなかった。幼稚な態度とレースに対するこのうえない軽侮な意識――文字に起こせばほんの数十字でしかない新井の主張が、まさにこの一年間のホンダを寸分の違いもなく象徴するものだったのだから。

「ホンダはハイブリッドテクノロジーを開発するためにF1に参戦した」「それができないのであればF1活動を続ける意味はない」。報道が過不足なく事実であるならば、新井の発言はどう読んでもホンダの都合がすべての、きわめて身勝手なものである。主語にはホンダ以外のだれも含まれておらず、ホンダにとっての意義以外に語っていることもなにもない。そこにはF1という視点や、自分たちがマクラーレンと組んで参戦しており、パートナーに一定の責任を負っているといった他者の視点いっさいが欠落しているのだ。他のメーカーにしてみれば、ホンダのためだけの議論を見誤った論理など知ったことではないと一笑に付しても構わない内容である。ハイブリッドを捨てたくないという主張の内容を問題視したいのではない。そこに企業としてのホンダの思惑があるのは当然のことだ。そうではなく、目下の環境全体に対する知見が求められているなかで自分の希望だけを口にする子供っぽい幼稚な態度に呆れるのである。

 たとえば遡ること約2ヵ月、2016年の規則で定められていたPUの追加開発要件を大幅に緩和する改正案が合意に達した際にメルセデス責任者のトト・ウォルフが発した言葉と比べてみよう。「TOPNEWS」によれば、メルセデスにとって2年のあいだ築いてきた優位を失う可能性もある提案を拒否しなかった理由を、ウォルフは「F1のためには競争力のあるチームの増加が必要」だと考えたためだと述べている。「ホンダとルノーは我々と同じレベルで戦いたいと望んでいる。だから我々としても強硬路線をとって、常に自分たちに有利な方向へとルールを利用するわけにはいかない」「時にはライバルたちに息がつけるだけの余裕を与えることも必要」「『エンジン開発は凍結され、ライバルたちは追いつくことができない』という議論を省くことが適切」……。「公平な戦いの場があること、それが重要だ」(以上「TOPNEWS」2015年10月22日付「メルセデス「エンジン開発凍結の緩和はホンダとルノーにチャンスを与えるため」」[http://www.topnews.jp/2015/10/22/news/f1/131341.html](http://www.topnews.jp/2015/10/22/news/f1/131341.html) より)で締めくくられるウォルフの話と、ホンダの主張の質の違いは歴然としているではないか。

 もちろん、メルセデスが自己の利益を度外視して全体に奉仕する清廉な精神を持っている、といいたいわけではまったくない。勝者の余裕も含まれているだろうが、端的にこれはある種のレトリックである。「F1に携わるメルセデス」としてはあまり独走しすぎて客離れを引き起こすのも好ましくない。少々不利になったとしても戦力を均衡させたほうが興行面や露出を考えればむしろ都合がよいといった思惑を、「F1のため」「公平な戦いの場」などの美辞で化粧するとこうなるのだ、と読むのはさほど難しくはないだろう。問題は、翻ってどうやらホンダにこの程度の建前を仕立てあげる能力がないことである。先の一件にしても、わたしのような素人ですら「F1がモータースポーツの最高峰でありつづけるためには、最先端テクノロジーの追求をやめてはならない」とか「いったん採用したシステムをわずか数年で廃止するのは技術に対する敗北であり、後退を意味する。それはF1のイメージを損ねる行為だ」とか、「それらしい」理屈を適当に並べることは可能なのだ。たしかにウォルフの発言はメディアに向かってなされたものであり、新井のそれは内輪の会合で話していた内容が漏れ伝わったらしいという差はある。だが「われわれにとって意味はない」などという理屈になっていない理屈が他者への説得になりうると考えているのなら、だれを対象にして話したのであろうとたいして変わりない。ハイブリッドの必要性を述べるにしても、主語を「ホンダ」から「すべての自動車」に変えるだけで印象は違ったものになるだろう。言葉の問題にすぎないといわれるかもしれないが、言葉とはその選択だけで状況を左右しうる重要な戦略資源でもあるのだ。ホンダは一年を通してこの武器をまったく制御できず、稚拙な物言いで問題を不用意に拡大することさえあった。今回のこともそのほんの一例である。

 それだけではない。規則改正をめぐるこの些細なやりとりには、ホンダF1の根源的な過ちまでが覗いているとわたしは考えている。滑稽だとは思わないだろうか。最初に書いたとおり、サイズ・ゼロ・コンセプトで極端に小さいPUの設計を強いられたホンダは、2015年のシーズンでどこよりもMGU-Hを使いこなせていないメーカーだった。だとすれば、よほど逆転の秘策を持っていないかぎり(ほぼまちがいなく持っていなかったわけだが)MGU-Hの廃止はホンダをもっとも利する提案だったはずである。にもかかわらず、彼らだけがそれを受け入れず廃案にした。転がりこんできた勝利の可能性を、自分からむざむざ放棄したようなものだ。レーシングチームとしてはおよそ考えられない判断に思える。

 レーシングチームとしてはーー。つまりそういうことなのだろう。新井は「ハイブリッドが開発できないのであればホンダがF1に参戦する意味はない」と主張したわけだった。導かれる解釈はどうやらひとつしかなさそうだ。つまり勝利の可能性に興味を示さず、技術開発できなければ意味がないとまでいう以上、ホンダにとってはF1など、レースで戦うことなどどうでもよく、偶然に自分たちの求める実験場ができたのでただ乗りする程度のものにすぎない。わたしがホンダに対して冷淡で、憤りさえ感じるもっとも大きな理由はそれだ。レーシングチームがレースによって己を証明する存在だとするならば、現在のホンダは決してレーシングチームではないということである。挙句の果てにそれを憚るでもなく自ら堂々と宣言してみせるような恥知らずを、どうして尊敬できるものか。

 一回きりの言葉尻を捉えた話ではない。たとえば昨年の7月、開幕からの不調に業を煮やしたマクラーレンが外部から技術者を招くよう要請したのに対してホンダが全面的に拒否したというニュースが伝えられたが、その理由は「自社の若手技術者育成のため」というものだった。あらためて文字数を費やす必要はないだろう。ここに浮かんでくるのも、レースをないがしろにし自分たちだけの論理を振りかざす愚にもつかない振る舞いである。ホンダの一年間は一事が万事こんな調子だった。F1というレースの場で、ホンダという組織がやろうとしていることはレースではなかったのだ。

 2013年にホンダのF1復帰計画が発表されたとき、当時の伊東孝紳社長はハイブリッド開発に期待を寄せつつも、同時に「ホンダは創業以来、レースに参戦し、勝利することで成長してきた企業です。これまで世界中のお客様が応援してくれたのも、我々がレースに挑み、勝つ姿に共感してくれていることを、あらためて認識しなければならないと考えています」といったのだったが、いまとなってはこの最初の宣言さえが空疎に響く。いったいいまのホンダのどこをどう見れば「レースに挑み、勝」とうとしていると信じられるだろう。もちろん、いまのF1は単純な世界ではない。巨額の金が動く商売の場であり、十数億人からの注目を利用する広告宣伝の場であり、ホンダがいうように最先端の技術が投入される開発競争の場であることもたしかだ。純粋に車を走らせるだけの娯楽だった時代など何十年も昔に過ぎ去って、そこには様々な人間がおのおのの魂胆を抱いて集っている。だがそうだとしても、あるいはゆえにこそ、F1の中心にはレースがある。皮相な思惑を剥ぎとっていったときに、結局はレースを戦おうとする純粋な精神が結晶となって残るからこそ、その他のあらゆることが果実となって生まれてくる。レースを失えば、F1にはなにもない。

 だから、F1を戦うとはレースを絶対の目的とすることだ。断じて手段としてはならない――携わるすべての人間がそうしたとき、この世界は崩壊に向かうしかないのだから。はたしてわたしは、いまのホンダがレースに対して真摯に対峙しそれを目的としてすべてを捧げられるとも、勝利を望むパートナーに向かって自分たちも目標を共有しているといいきれるとも、まったく思わない。たとえなにかの拍子で今季のマクラーレン・ホンダが速さを得ることがあったとしても、ホンダが己の振る舞いを見つめなおそうとしないかぎり、あいかわらず彼らを信じないままだろう。ホンダは、「創業以来」の目指す場所だったレースを、いま自ら冒涜していることに自覚的なのだろうか。そうでないなら、せめてレースから無関係を装ってくれたほうがまだ諦めもつくというものである。

小林可夢偉は10年遅れのヤルノ・トゥルーリだったのだ――さよなら大好きなフォーミュラ1

 2014年のF1が閉幕を迎えると、当初から予想されていたとおり、グリッド上唯一の日本人ドライバーだった小林可夢偉はそのシートを失った。ケータハムの車はサーキットでつねに最も遅く、その中で小林はチームメイトの新人マーカス・エリクソンを圧倒し、時に予選でライバルであるマルシャのマックス・チルトンを破る抵抗も見せたが、最後尾でのささやかな活躍が2015年のシートに繋がる可能性を信じられた人はたぶんほとんどいなかったし、事実移籍先を見つけられることなく、日本のスーパーフォーミュラへと戦いの場を移すことになった。2012年に一度シートを失い、細い糸をかろうじて手繰って手に入れた居場所の、再度の喪失である。近年の情勢からいって復帰への道はきわめて厳しく、彼のF1での戦いにはひとまず終止符が打たれたと言わざるをえない。新たな世代がのし上がってこないかぎり、日本人ドライバーのいないF1サーカスはしばらく続くことになる。

 フェラーリの耐久レースドライバーという地位を擲ってまでF1を渇望した小林が、結局不本意なままその舞台を去らなければならなくなった事情について、釈然としない思いを抱いているモータースポーツファンは少なくないはずである。新人だったとはいえ小林に手も足も出なかったエリクソンが、曲がりなりにも上位のチームであるザウバーへの移籍を成功させたことを考えるとなおさらだ。どうしてこのような結末に至ってしまったのか、エリクソンにあって小林になかったものは何だったのか。それはもちろんファンにとって自明な常識だが、この記事ではそうした「自明」の部分を再確認することによって、歴代日本人の中でも最高の実績を誇るドライバーが28歳にして早くもグリッドから姿を消してしまったことを、実力や巡り合わせといった個別の事情に還元することなく、現在のF1で起こりうるひとつのきわめて典型的な事例として捉えようともくろんでいる。語る対象が小林である必要はかならずしもないが、それでも彼のキャリアに注目することは、現在のF1の一面を見ようとすることに繋がるはずだ。
 
 
 やや旧聞に属する話題だが、2015年1月7日、F1の統括団体である国際自動車連盟(FIA)が、2016年からF1出走に必要なスーパーライセンスの交付基準を厳しくすることを発表した。昨年12月の時点で定められていた「18歳以上、現行あるいは最近の車での300km以上のテスト、マイナーフォーミュラでの2年以上の経験」などといった基本的な規則に加え、下位カテゴリー選手権のランキングに応じて得点を付与し、過去3年の合計が40点を超えなければ原則として発行しないとする基準が整備されている(得点の詳細は[F1-Gate.com](http://f1-gate.com/fia/f1_25991.html)などを参照)。この突然の発表の意図については、若すぎるF1ドライバーの量産にFIAが一定の歯止めをかけようとする措置だと解説しているニュースが多い。

 このニュースに対する人々の反応は、近年のF1におけるドライバーの低年齢化の激しさをよく表している。若手が増えたという印象はだれにでもあるだろうが、たとえば2014年開幕時のドライバー平均年齢を計算すると26.4歳で、2004年が27.2歳、1994年は28.3歳だったから、数字上も若返っていることは見て取れる。また昨季の場合は11チーム22人のうち10人が25歳にならず開幕を迎えており、その割合は1994年の5/28より圧倒的に高い。F1ドライバーは数が少なく平均値は当てにならないと言われるとそのとおりではあるものの、印象と数字が整合しているのはたしかだ。

 レーシングドライバーもアスリートである以上肉体的な若さは大きな武器といえ、たとえばアイルトン・セナがF1デビューしたのが24歳のときだったといえば、なるほど隔世の感もひとしおではある。この年齢でも当時としては十分に早いデビューだが、いまやそれより若いドライバーが全体の半分近くを占めているのだ。2005年のフェルナンド・アロンソがエマーソン・フィッティパルディ以来33年ぶりに最年少ワールドチャンピオン記録を更新してからたった9年の間に、ルイス・ハミルトン、セバスチャン・ベッテルと2度にわたってより年少の王者が誕生したことも、近年のF1が若さを加速させていることの象徴といえる。昨季はトロ・ロッソに乗る19歳のダニール・クビアトが開幕戦のオーストラリアGPで史上最年少入賞記録を打ち立てたが、早熟なロシアの才能もわずか1年でトップチームのレッドブル・レーシングへと移り、後釜には2015年開幕戦の時点で17歳のマックス・フェルスタッペンが据えられることが決まっている。これまでの最年少出走記録(2009年ハイメ・アルグエルスアリ:19歳125日)を2歳も更新することとなる2世ドライバーの誕生は、大きな驚きと困惑をもって世界中に伝えられた。

 かように若年化する一方のF1については、保守的な関係者のみならずファンのなかにも望ましく思っていない向きが多いようだ。いわく、規則の理解が不十分なドライバーはレースを荒らしやすいとか、年端もいかない子供が運転できるようではF1の権威が低下する、F1は難しいものでなくてはならないとか、そんな類の理屈が飛び交っている。実際に今の若手は事故が多い、才能を吟味されずにF1に来ているせいだ、といったような謂も――懐古主義的な言いがかりに思えなくもないが――しばしば聞く。モータースポーツは肉体を直接パフォーマンスとして出力するものではないから、若々しさより熟達した技術のほうが好まれる、といった事情もあるやもしれない。新規定は、これらの批判に対してFIAが打ち出したひとつの回答という側面もあろう。

 だがはたしてこの規定は、今のF1が抱えているとされる問題の一部を解決できるものなのか。これによってFIAは何を守ろうと、あるいは変えようとしているのか。それを探るために2014年のレースに出走したドライバーそれぞれについて、F1デビューの直前3年間に獲得したスーパーライセンスポイントを推計する(詳細を別エントリに示した)と、評判のあまりよくない若手のほとんどは基準を満たしていることがわかる。下位チームの24歳以下で届いていないレギュラードライバーはジャン=エリック・ベルニュ(37点)とエリクソン(14点)だけだ。反対に、トップ層の多くは40点に達していない。現役ワールドチャンピオンのうち、セバスチャン・ベッテル(38点)、フェルナンド・アロンソ(30点)、ジェンソン・バトン(5点)、キミ・ライコネン(0点)は、新規定に基づけばライセンスが交付されず、F1参戦が少なくとも1年、下手すれば数年遅れることになる。昨季大躍進を遂げたダニエル・リカルド(37点)、11回の優勝を誇るフェリペ・マッサ(10点)、表彰台経験のある小林可夢偉(13点)も足りていない。ライコネンがF1に乗るまでフォーミュラレースを23戦しか経験しておらず、初めて交付されたスーパーライセンスが4戦に限定されていたことは有名な話だが、それにしても「0点」である。この規定が15年早く生まれていたら歴史のいくつかは確実に変わっていた、と言ってもまったく言い過ぎではあるまい。

 もちろん、現在のベテランである彼らが整備された下位カテゴリーに腰を据えて参戦していたとすればすぐにでも基準を通過したことは想像に難くないし、そもそも10年前、20年前と現在とではF1での成功に至る道筋がまるで違うのだから、その低得点をあげつらったところでたいした意味はない。ただそれでも重要なのは、新規定における「適切な経歴」を現在の若手が経ていること、その逆にアロンソ、ライコネン、バトンなどの経歴がいまの常識に照らし合わせてさえ異常な部類に入り、しかしF1に来たことが正しかったと証明するようにワールドチャンピオンにまで上り詰めた事実である。新規定下においては、むしろ彼らのような一足飛びの才能こそが割を食う。単純に想定すれば、近い将来のF1は風景を大きく変貌させたりしないわりに、王者になりうる才能の進出を遅らせ、最悪その芽を摘んでしまう可能性を抱えかねないということになる。経歴を指定し若さを制限したところで、スケールを小さくする結果に終わるだけかもしれないのだ。

 実際「10年前の若手」の多くが成功を収め、30代になった現在に至るまで存在感を放っている事実を鑑みるに、若さそれ自体が問題の本質でないことは明らかだ。おぼろげな印象の記憶でしかないが、バトンやライコネンのデビューは、もちろん若さへの懸念もあったものの、それ以上に下位カテゴリーの淀んだ戦いによって錆びついていない煌めく天才の出現として歓迎する声が多かったはずである。彼らと、ニュースを開けば批判にさらされている現在の若手とは一体なにが違うというのか。才能? たしかにそうかもしれない。しかしだとすれば、今度は凡庸がF1に横溢する理由を問わなければならなくなるだけのことである。われわれが考えているのはたとえばこんな理屈だ。後のチャンピオンは、フランク・ウィリアムズやペーター・ザウバーといったレース屋の名伯楽によって見出され、速さの対価としてF1を与えられた。だが今のドライバーがF1に支払っているのは能力ではない別のものだ、と。フェリペ・マッサはそういうある種のドライバーがシートを得るための行為を指して売春――どちらかといえば買春である気がするがそれはともかく――のようなものだという。19歳で獲得したレースシートをはや21歳にして失ったハイメ・アルグエルスアリの表現を少しばかり真似するならば、彼らはつまり、オークションの落札者であるにすぎない。

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 現在のF1ドライバーの多く、特に下位チームに所属するほとんどが、チームから報酬を受け取るのではなく逆に大金を支払ってシートを得ている、いわゆるペイドライバーになったと言われて久しい。マッサの批判(ここで彼が巧妙なのは、自分が該当するであろう「ドライバーと個人的なスポンサーの関係」を排除していないことにあるのだが)はやや極端に映りもするが、一般的なプロスポーツにおけるチームと選手の関係と対極に位置する資金持ち込みの慣習が、F1から健全さを奪っているという批判は根強いものがある。母国の国家的支援を受けるパストール・マルドナードが最初に所属したウィリアムズに支払っていたとされるのが約3000万ポンド。たしかにこの額を腕一本でもたらすのは、持ち込み資金に食指が動く規模のチームの力ではなおさら、簡単ではないだろう。チームが運営費や車の開発費用、エンジン代金の支払いなどでつねに資金を欲している以上、差し出される大金を受け取る選択は合理的という他ない。またF1シートはあまねく競争原理にさらされており、その要素に「金の力」が含まれているだけだという考え方も、おそらく一面では正しい。しかし、飛び交う札束の陰でよりF1にふさわしい実力を持っていたかもしれないドライバーが夢破れている可能性を思えば、ペイドライバーが歓迎されざる侵略者であることもまた否定できない。F1がしょせんはヨーロッパの金持ちによる道楽だとわかっていても、道楽の中でぶつかり合うべき最低限の才能はあると、われわれは信じてもいる。できることなら、才能の妨げとなりうるペイドライバーが並ぶ数は少ないに越したことはない。しかしその望みに反して、現在のグリッドにはペイドライバー溢れすぎている、というのがいまの主たる批判だ。

 もちろんF1を知る者なら常識となっているとおり、これほど問題視されるはるか前、それこそ40年も昔から「シートを買う」ことでF1に乗るドライバーは、最下位争いに塗れる弱小チームを中心に一定数いた。過去の日本人F1ドライバーの多くはそうだったというし、7度のチャンピオンを誇るミハエル・シューマッハでさえF1デビューに際しては支援元のメルセデスから提供された資金をジョーダンに持ち込んでいるのだ。ただそれは全体から見れば一部でしかなく、才能ある選手が半ば強引にキャリアを作っていくための手段か、あるいはグリッドを賑わす枯れ木として、つまり逆説的にあこがれの舞台であるF1の華やかさを象徴するもののひとつとして存在していたはずだった。レースペースから5秒も6秒も遅れていたジャン-デニ・デルトラズや、史上最低のペイドライバーを自称する井上隆智穂の存在などは、時代に華を添える笑い話のように扱われたりもする。ペイドライバーはその程度の存在、あくまでジョーカー――道化という意味においても切り札という意味においても――であって、主流ではなかった。

 だがいまや、レースがない日の話題の中心はドライバーが用意できる資金のランキングと明日にも破綻しそうなチームの台所事情についてとなりつつある。新型パーツが十分に用意できないくらいならまだしも、人員整理に給与の未払い、怪しげなスポンサーの参入と予想どおりの撤退、ほとんど逃亡のような代表の交代、返済の見込みが立たない多額の負債、はては訴訟沙汰まで見せつけられれば、F1に危機を覚えないのはよほど鈍い人間か、どう転んでも自分の懐に金が入ってくるようにこの界隈を作り上げたバーニー・エクレストンくらいのものだろう。泡沫チームが現れては消えていった80~90年代とは違う。ニュースを見ていると、3分の2のチームは多かれ少なかれ資金を失う恐怖と対峙しなければならなくなっているようだ。

 過激な開発競争、対して一向に奏功しない費用削減策、不公正で不公平な分配金、なにより世界を襲った不景気の波によってチームの財政は悪化する一方になっており、足りない資金を補うために自然とドライバーの背後にいるスポンサー注目が集まっている。同じ速さならより多くの資金を持ち込めるドライバーに、いや少しくらい遅くても金を持っているならそのほうがいい。アルグエルスアリが言うように、F1シートはまさしくオークションの商品、それもとびきりの最高級品となってしまった。その買い手たるペイドライバーの増加は、F1にまつわる金の問題のいわば象徴といえよう。そしてもうひとつ。FIAがライセンスポイントを導入するほど若年化が懸念されるようになった原因も、元を正せばここに行き着くはずである。なぜならペイドライバーは基本的に若いものと推測されるからだ。

 一般論として考えてみよう(*)。ある程度の年齢を過ぎてなお生き残っているドライバーはそれだけの価値を証明し終えて数少ない「報酬を受け取る」側になっており(フェルナンド・アロンソ、ジェンソン・バトンなど)、また、年齢を重ねても最上級レベルまで上がれなかったドライバーはチームを満足させられるほどのスポンサーを望みにくい(小林可夢偉、ヘイキ・コバライネンなど)ことが想像される。だとすれば、スポンサーから継続的な支援を取り付けているのでないかぎり、F1シートを買う名目でより多くの資金を引っ張りだしてきやすいのは、なにも証明していないことを逆手に取って無限の可能性をアピールできる下位カテゴリーの若者なのである。商売というのはそんなものだ。現在の実力ではなく、未来への期待感に対してのほうが大きな金は動きやすい。

 われわれはしばしば既知のものを侮り、未知の存在を過大に評価しがちだ。多くのスポーツファンは、競技がなんであれ贔屓チームのスタメンに居座り続けるベテランを外し、ベンチでくすぶっている(ように見える)若手を使うよう望んだことがあるだろう。「最悪のクォーターバックはいまそこでプレイしている」(The wrong quarterback is the one thats in there)などといった言葉もあるくらいだが、ここには控え選手が本当は先発より劣っていたとしても、「最悪」なのはつねに既知である「いま」でしかないという皮肉が込められている。3年間勝てなかったドライバーと3年後ワールドチャンピオンになれるかもしれないドライバーを選ばなければならなくなったとき、たとえ真の実力は前者がはるかに勝っていたとしても、視線が注がれるのはもはや後者に違いない。いまのF1でも、中堅に差し掛かったドライバーの方が資金集めに苦労している姿は往々にして見られる。小林とエリクソンの関係はまさにその典型であり、資金力はかならずしも実力と釣り合うわけではない。それはむしろ若さという未来への期待感によって増大していくものなのだ。

 ただ若さと資金力が相関するというここまでの推測がある程度的を射たものであったとしても、これでは2014年における問題の半分しか説明していない。10年前に同様の若いペイドライバーがいなかったわけではない、というのは適切な言い方ではなく、それどころかジャガーを走らせていたクリスチャン・クリエンは後にそこを買い取ってチャンピオンチームとなるレッドブルの支援を受けていたといった事実などがあり、そしてそういう存在に対して苦言を呈するデビッド・クルサードのようなベテランもいた。そこだけ切り取ってみれば何が違うわけでもない。だがそれでもペイドライバーはいまほど明白な危機として受け止められておらず、あいかわらず一部分の現象だった。そんなふうに金を払ってF1に上がってくる若者に対して基準を与え篩にかける仕組みも、まだ自然のうちに機能していたからだ。仮に昔といまのF1に差異があり、現在こそ批判されるべき対象だとするなら、その部分が根底から失われているからのように思われる。山の頂上と裾野との乖離が激しくなっているとされるいま、その間を繋ぐ場所をこそ見なければならない。すなわちペイドライバーを含む麓からトップドライバーへ到る山の中腹にあり、F1の序列を支えていた構造的存在――中堅チームの存亡の行方こそ、いまの、今後のF1を読むうえで重要な鍵なのである。
 
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 F1のシートはチーム数×2、現在なら22しかない中での奪い合いだ。当然、資金力豊富な若手が増えれば増えるほど、押し出されるようにして居場所を失う中堅のドライバーもまた増えることになる。近年そういったドライバーの代表格といえば、日本人なら小林をいの一番に挙げるだろうし、他にも優勝経験を持ちながらレースを走れずにいたコバライネンや、シーズン途中でシートを奪われロータスと契約確認訴訟手前までいったニック・ハイドフェルドといったあたりを思い起こせる。

 グリッドを賑わすにふさわしい実力を持ちながら資金の持ち込み争いに敗れてシートを逸したとされる彼らだが、もし同じ立場でたとえば10年前にサーキットを走っていたなら、現在ほどの苦境に陥ることなく、経歴に応じた働き場があった可能性は高い。表彰台には届かないまでも1ポイントを懸けて熾烈な順位争いにしのぎを削るプライベーターや、歴史は浅いながらスポンサーを必要としない豊富な資金力で優勝争いを目論むワークス系のチームがひしめき、経験豊富でレースが巧みなドライバーを欲していたからである。1990年代後半から2000年代にかけてのジョーダン、ベネトン、ザウバー、B.A.R、ホンダ、スチュワート、トヨタ、ジャガーといったチームは、腕一つで優勝を奪い取るまでは望めなくとも、車の性能を引き出して開発を正しい方向に導いてくれる人材を好んで起用して手堅くポイントを重ね、また若手と呼ばれる時期を終えながらキャリアの階段を上りきれなかったドライバーのほうも、そういうチームを渡り歩いて渋く長く活躍した。当時の中堅チームにとって、信頼性の高い安定したドライバーと若い(ペイ)ドライバーの構成は理想的な組み合わせと言われていた。シートを失うまでのハイドフェルドはまさに典型的な中間層のドライバーだったし、小林もドライビングスタイルからしていかにもその役が似合いそうである。

 中堅チームから頼りにされて長く居座るドライバーは、自らチャンピオンとなるほどの才能にまでは恵まれなかったかもしれないが、安定した実力によって次々とやってくる後輩たちの基準となることで価値を示した。彼らより遅い新人はいつとも知れずF1から去り、彼らを速さで圧倒した若者はあっという間にトップチームへと駆け上がった。そしてそうした忙しない入れ替わりのサイクルをよそに、彼ら自身は基準であるがゆえにゆったりとした時間を過ごし、十分に年を重ねてからようやく、新しい基準となるまでに成長したかつての若手にシートを譲る。通算GP出走数の記録を見ると、上位には偉大な王者よりも2番手級のドライバーが数多く名を連ねていることに気づくはずだ。中間層が長い時間を戦ってきた歴史がそこから垣間見える。

 弱くはないが完璧でもない多くのドライバーを中堅チームは確実に欲してきたし、ドライバーのほうもそこで立場を確立できることには意味があった。何よりファンにとってもそういう存在を意識し続けられることは幸せだった。それに、ときには大きな報酬が舞いこんでもきた。登山者を見送る山小屋の管理人のようなレース人生を送っているうちに、ジャンカルロ・フィジケラやヤルノ・トゥルーリなどは表彰台の頂点に辿りつき、ルーベンス・バリチェロはフェラーリの黄金時代を支えるまでになった。いまやすっかり最高のドライバーの一人として数えられるジェンソン・バトンにだってそんな時代があった。日本人モデルを妻に持つこの色男は初優勝までじつに113戦を要し、チャンピオンになったときにははじめてF1レースを走ってから10年が経っていたのだ。彼らは長い時間の功績を称えられて観客から愛され、その勝利を美しいお伽話として心に響かせた。雨に溶けたバリチェロの涙はもちろん、トゥルーリの初優勝のときに片山右京が声を詰まらせ、バトンが表彰台に君が代を届けた際に今宮純が号泣したことを覚えている人も多いはずだ。だれもが温かい眼差しを向ける表彰台――「おもしろいF1」と呼ばれるものの何割かは、こういったいぶし銀の活躍が確実に支えていたのだった。

 しかしいま、彼らのようなドライバーが生きる道は限りなく細くなっているように見える。フィジケラもトゥルーリもデビューから初優勝までに7年もの時を過ごしたが、ふたりが(スポンサーを持たない)現代のドライバーだったとしたなら、はたしてそこまでF1にいられたかどうか確信は持てない。うまくスポンサーを見つけたとしてもより多額の資金を持ち込む若手に押し出されていたかもしれないし、事実トゥルーリの現役生活はそのようにして終止符が打たれた。逆にいえば彼らの「もしも」が具現化し、似たような経歴を歩めたかもしれないのに実際に押し出されたのが小林だという見方ができる。過去の中堅的ドライバーの最初期の成績と小林のそれとの間に、はっきりとした優劣を付けられるほどの大きな隔たりがあるようには思えない。にもかかわらず、かたや10年以上にわたってF1を運転し続け、かたや実質3~4年でF1から去らざるをえなかったのは、ともに中堅チームの存在によってだったといってもよい。トゥルーリたちが個性豊かな中堅の存在によって支えられた一方で、小林の時代にそれを受け入れられるだけの余裕はなくなっていた。その場所は、もうペイドライバーによって占められてしまったのだから。
 
 では中堅チームはいまどのように振る舞っているのか。小林やかつてのトゥルーリに代表される中間層のドライバーを使おうとしなくなっている状況は、平均年齢をあらためて見るとおぼろげながら感じられる。冒頭に2014年、2004年、1994年の3つの年度におけるドライバー平均年齢(開幕時)を掲げたが、これをさらに「その年コンストラクターズ部門5位までに入ったチーム/6位以下のチーム」に分割してみよう。

 ■2014年 28.4歳/24.8歳
 ■2004年 28.0歳/26.4歳
 ■1994年 28.5歳/28.2歳

 分母が小さくちょっとしたドライバーの入れ替わりで数字も変わってしまうため、参考程度の計算であることは容赦してほしい。ただ上位チームのドライバーの年齢が20年間でまったく変わっていないという結果は、感覚的にも納得がいくように思われる。目につくのはやはり下位チームの若年化だ。20年前は上位とほぼ同じ平均年齢だったのが、現在は3.6歳差まで拡大している。結局「F1ドライバーの低年齢化」という問題は、すなわち(いまのところは、まだ)「F1下位チームのドライバーの低年齢化」を指していることがわかる。

 エントリーリストをもう少し仔細に見ていくと、じつのところ最年少階級の年齢という点では2004年も2014年も大差ない。昨季開幕時点で19歳だったクビアトにはさすがに及ばないとはいえ、10年前にも21歳のクリエン、22歳のマッサ、(上位ではあるが)アロンソなどがいて、1994年に対して平均を押し下げる要因となっている。最大の異同は、クリエンのジャガーにせよマッサのザウバーにせよ、もうひとつのシートに5歳以上年の離れた先輩を据えて、チームのバランスをとっていたことだ。先述したようにこれが中堅チームの理想的な構成だったことは論を俟たない。30歳と22歳の組み合わせならば平均は26歳。そこまで単純な話ではないが、2004年のF1には経験と若さの混成によって戦ういかにも中堅といった風情のチームが多数あったのである。

 対して2014年になると、チームメイト同士の年齢差がぐっと縮まっている。エステバン・グティエレス(22歳)の同僚にエイドリアン・スーティル(31歳)を起用したザウバーだけは9歳差だが、あとは軒並み3歳差前後だ(そのスーティルも昨季限りで契約解除となり、ザウバーの2015年は24歳のエリクソンと22歳のフェリペ・ナスルが乗ることが決まっている)。最年少がわずかに下がっただけにもかかわらず平均年齢が大きく低下しているのは、先輩格のドライバーもまた25歳程度まで若くなったからに他ならない。つまり最近10年間の若年化とは、たんに若いドライバーの参入が激化しているのみならず、チームのエースを担う役割までもが若手に置き換えられた結果なのだといえる。2013年のシーズン25歳だったニコ・ヒュルケンベルグは、しかしザウバー・チームにおいてだれよりもグランプリ経験の豊富な人間だった。それほどまでにベテランがいなくなっているというひとつの証左だ。

 直感的に考えて、資金が潤沢な強豪チームは実績あるドライバーを高報酬で雇い、弱小であればあるほどペイ≒若いドライバーに頼る動機は高まるはずだ。6位以下のチームにおける平均年齢の低下が、「1人の実力派+1人のペイドライバー」から「2人のペイドライバー」への移行という流行をそのまま表しているのだとすれば、そこから導き出される答えはつまり、「中堅」と呼べるチームの精神が次々と弱小へと転落していっていること、いまや中堅が崩壊しているというやるせない現実ではないか、言い換えれば、もうドライバー選択で強さを最優先に考えられるチームなど本当の強豪しかいないのではないか、ということである。

 2006年にトロ・ロッソへと引き継がれるまで長年にわたって最後尾を走り続けたミナルディと他チームのあり方がまったく違っていたように、本来、中堅チームの戦う論理と弱小のそれは明らかに異なる。しかし、われわれは入賞圏内を走れるはずのチームが弱小的に振る舞うのを、近年何度となく見ているはずだ。ハイドフェルドのシートはほとんどなんの前触れもなくブルーノ・セナのものになり、ジャン=エリック・ベルニュは「レッドブル-トロ・ロッソには速さ以外の論理がある」と恨み言を口にし、トゥルーリはチームの「つらい決断だった」というおためごかしの言葉とともに引退に追い込まれた。あるいはまた、F1シートを失った小林が復帰を目指して「交渉」しているといった真実味も定かでないニュースがしばしば流れたとき、決まってフォース・インディアかロータスの名前が挙がっていたのを想起してもよい。これは、資金がなく腕だけが頼りの中堅ドライバーとなっていた――もちろんザウバーとの関係が終わったとき小林はまだ26歳だったが、同僚はそれに輪をかけて若かった――小林にとって、契約を得られる可能性のある相手が、古きよき中位グループの残り香をかろうじて漂わせていたこの2チームしかありえなかった(仮にそれらのいくつかが飛ばし記事だったのだとしたら、適当な記事を書く記者が思い浮かべるのもまたその2つでしかなかった)ことを図らずも示唆している。

 しかしそもそもロータスは所属する2人とも最高額レベルのペイドライバーと言われ、にもかかわらず撤退危機がささやかれるほどの財政難にあるという。インドマネーを誇っていたはずのフォース・インディアでさえ資金絡みの問題が報じられることがあり、小林は2015年のテストドライバー交渉に際して「びっくりするぐらいの金額」を要求されたことを明かしている。逆に2年連続でワールドチャンピオンと経験のない若手を組ませていたマクラーレンは、苦戦も相まって新しい中堅になる可能性があったのかもしれないが、復帰したホンダを得てアロンソとバトンの両王者を揃え、トップチームとしての振る舞いを取り戻した。こうしてみると、トゥルーリが生き、小林が生きた可能性のあった「中堅チーム」などもうどこにも残っていないのかもしれない。「中位」で戦うチームがあったとしても、それはきっと「負けた強豪」と「ましな弱小」が荒野で争っている図式でしかないのだと、そうなってきているのだろう。そこで生きるドライバーたちもまた、トップへの急峻な崖を一気に駆け上がるか大量の札束で自分だけの休憩所を作るしか生き残る道はなくなってしまった。マルドナードが母国からの支援が打ち切られる噂が流れた瞬間に首の行方を心配される羽目になったのは、チームとドライバーの双方にとって、資金しか寄る辺がないことをよく意味している。

 弱小と強豪のはっきりとした二極化――腕のあるドライバーを生きながらえさせ、ファンに愛される基盤を作っていた中腹地帯が積み上げられた資金の質量に耐え切れず崩落したことで、緩やかな時間とともに美しい物語を綴った場所は失われた。結果としてF1は、本気で優勝を狙うか、目先の勘定だけを重視するか、2つのグループだけに分かれてしまった。結局、持ち込みの過熱がもたらした宿痾とは、実力不足の若いドライバーが蔓延することそれ自体ではない。F1は個人の戦いではなくまぎれもなくチームスポーツであるという議論は、皮肉にもここにさえ適用できてしまう。つまり大金がずたずたに切り裂いたのは、きっと強いドライバーを雇い入れて戦おうとするチームの情熱そのものだったのだ。そして切られた傷を情熱を取り戻すことによって治癒するのではなく、また新しい大金で塗り固めて塞ごうと繰り返しているうちに視線は帳簿へと集中し、レースに向けられていた熱量は失せていくしかなかった――。

 不景気はF1の責任ではないし、大量の人員を雇用しているチームが存続のことを第一に考えなければならないのは当然のことだ。それは理解している。しかしこのような事態に陥るまで手をこまぬいていた、それどころか手を打つ機会を葬ってきたのもまた、他ならぬFIAとチーム自身である。予算制限の実施は道筋すら立たず、開発・テスト規制やエンジン・ギアボックス使用数制限は何の効果も発揮しないままむしろ批判の対象になった。カスタマーシャシーひとつとっても足並みは揃わない。コンコルド協定を巡る綱引きの果てに5000万ユーロ程度の予算ではまともに戦うこともできないようにしたのは彼らであって、そこに同情を挟む余地は少ない。「いまのF1は金がかかりすぎる」と恨みがましく嘆息し、ペイドライバーの資金に引かれて自分自身の首を絞めているとしても、それは自ら招いてきた結果である。変革を期待するのもばからしくなってしまった。

 FIAがライセンスポイントの導入によって年齢と実績という入り口を設け、批判の多い若さを規制しようとしているのは、打開策の見当たらない現状に対するせめてもの弁解のようだ。しかし過去の王者たちがデビューした経緯がそうであったように若さや浅いキャリアはそれ自体が問題なのではなく、過度の若年化はF1にまつわる歪みが生んだ「出口の現象」である。それが単純な流行を超えたチームの弱体化の変奏であることをだれもが自覚しないかぎり、小手先の入り口規制でなにが解決するはずもない。2015年のドライバーラインナップに、われわれがほのかに心を寄せられるような、そこにいるだけで安心できるようなドライバーはどれだけ見つけられるだろう。ヒュルケンベルグはたしかにそうかもしれない。だが27歳にして苦労人の雰囲気を漂わせる彼が「最後の中堅ドライバー」になったとしても、けっしておかしくはない。バリチェロの涙を見る機会は、もう訪れなくなりつつあるのだ。

 この時代の流れは決意を持って堰き止めないかぎりまだ続くにちがいない。そんなふうにF1を俯瞰してみたとき、小林可夢偉はきっと大きなうねりに抗うことのできなかったドライバーのひとりとして浮かび上がってくる。もちろん彼自身の問題として、たんに実力が足りなかった可能性までを否定するつもりはない。キャリア構築にとってもっとも重要だったザウバー3年目の2012年にセルジオ・ペレスを下回ってしまったのだから、仮に何らかの待遇や運に差があったのだとしても、優勝劣敗の論理の前に敗れたにすぎないと言うことはできる。結局はトップチームが何をおいても引っ張りたいと魅了されるほどの才能を見せられなかった以上、濁流に呑まれるのもやむを得なかったのだという意見にだって相応の説得力はある。だがザウバー規模のチームにあって3年の間にフロントローと表彰台を獲得した20代のドライバーがこうもあっさりと姿を消していくなど、ほんの数年前なら考えにくかった事態であるのも、ここまで見てきたとおりたしかなはずなのだ。実績と資金を天秤にかけられ、後者へと秤が振れて弾き出される。小林をはじめとしたドライバーが見舞われた運命は、われわれが日本人であるがゆえに小林的な立場を中心に物事を考えがちだからという側面はあるにせよ、不運な悲劇として受け止められたはずである。だがいまの潮流のままでは、早晩量るべき実績すら持たないドライバーしか残らなくなることだろう。小林の悲劇は、もしかすると悲劇として語れる文脈が残っているだけまだ救いがあったのかもしれない。さよなら、大好きだったF1。中堅が完全に崩壊し、資金と資金を天秤に載せて単純に重たいほうが採用されるような、札束で荒れに荒れた裾野のシート争いを、われわれはすぐ未来に目撃する。それはきっと、もはや乾いた笑いを誘う卑小で俗っぽい喜劇でしかない。
 
 
 
(*)ここでは能力とはほぼ無関係の個人的資金調達に関して割愛している。井上隆智穂は腕よりも営業力でシートを手にしたことを自認しているし、山本左近の資金力は多く自分の生家と地元の支援に拠った。ブラジルの偉大な実業家を父に持ち1990年代後半にアロウズやザウバーを運転したペドロ・ディニスのことを思い出してもよいが、これら古典的なペイドライバーと、才能と広告効果(とわずかな縁故)を混ぜあわせて生まれる現代のそれは別の範疇の存在として扱いたい。

2014年F1参戦ドライバーの仮定スーパーライセンスポイント

 この記事は、別掲「小林可夢偉は10年遅れのヤルノ・トゥルーリだったのだ――さよなら大好きなフォーミュラ1」の参照ページです。2016年度からスーパーライセンス交付基準に下位カテゴリーの実績に応じて付与されるポイントが適用されるとの決定に合わせ、2014年に参戦したドライバーがF1デビュー直前の3年間でどれだけのポイントを獲得したかを推計しました。詳しくは本文を参照していただきたいのですが、ペイドライバーと言われている若手の多くが基準の40点をクリアしている一方で、チャンピオン経験者がハミルトンを除いて軒並み達していないのが興味深いところでしょう。
 
 
■セバスチャン・ベッテル(07年デビュー)

06年 F3ユーロシリーズ(ヨーロッパF3の前身) 2位(30点)

05年 F3ユーロシリーズ 5位(8点)

04年 フォーミュラBMW 1位(0点)

計38点→×

 

■ダニエル・リカルド(11年デビュー)

10年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)

09年 英国F3 1位(10点)

08年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)

(※2011年フォーミュラ・ルノー3.5 5位)

計37点→×

 

■ルイス・ハミルトン(07年デビュー)

06年 GP2 1位(50点)

05年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)

04年 F3ユーロシリーズ 5位(8点)

計98点→◯

 

■ニコ・ロズベルグ(06年デビュー)

05年 GP2 1位(50点)

04年 F3ユーロシリーズ 4位(10点)

03年 F3ユーロシリーズ 8位(3点)

計63点→◯

 

■フェルナンド・アロンソ(01年デビュー)

00年 国際F3000(=GP2相当?) 4位(20点)

99年 フォーミュラ・ニッサン(国内F3相当?) 1位(10点)

98年 カート(0点)

計30点→×

 

■キミ・ライコネン(01年デビュー)

00年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 7位(0点)

99年 フォーミュラ・ルノー2.0 英国ウインターカップ 1位(0点)

98年 カート(0点)

計0点→×

 

■ロマン・グロジャン(09年デビュー)

08年 GP2 4位(20点)

07年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)

06年 F3ユーロシリーズ 13位(0点)

計60点→◯

 

■パストール・マルドナード(11年デビュー)

10年 GP2 1位(50点)

09年 GP2 6位(8点)

08年 GP2 11位(0点)

計58点→◯

 

■ジェンソン・バトン(00年デビュー)

99年 英国F3 3位(5点)

98年 英国フォーミュラ・フォード 1位(0点)

97年 カート(0点)

計5点→×

 

■ケビン・マグヌッセン(14年デビュー)

13年 フォーミュラ・ルノー3.5 1位(30点)

12年 フォーミュラ・ルノー3.5 7位(3点)

11年 英国F3 2位(7点)

計40点→◯

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■ニコ・ヒュルケンベルグ(10年デビュー)

09年 GP2 1位(50点)

08年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)

07年 F3ユーロシリーズ 3位(20点)

計110点→◯

 

■セルジオ・ペレス(11年デビュー)

10年 GP2 2位(40点)

09年 GP2 12位(0点)

08年 英国F3 4位(2点)

計42点→◯

 

■エイドリアン・スーティル(07年デビュー)

06年 全日本F3 1位(10点)

05年 F3ユーロシリーズ 2位(30点)

04年 F3ユーロシリーズ 17位(0点)

計40点→◯

 

■エステバン・グティエレス(13年デビュー)

12年 GP2 3位(30点)

11年 GP2 13位(0点)

10年 GP3 1位(40点)

計70点→◯

 

■ジャン=エリック・ベルニュ(12年デビュー)

11年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)

10年 英国F3 1位(10点)

09年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)

計37点→×

 

■ダニール・クビアト(14年デビュー)

13年 GP3 1位(40点)

12年 フォーミュラ・ルノー2.0 Alps 1位(10点)

12年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)

11年 フォーミュラ・ルノー2.0 NEC 2位(7点)

11年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(5点)

計69点→◯

 

■フェリペ・マッサ(02年デビュー)

01年 ユーロF3000(AUTO GPの前身) 1位(0点)

00年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 1位(10点)

99年 フォーミュラ・シボレー・ブラジル 1位(0点)

計10点→×

 

■バルテリ・ボッタス(13年デビュー)

12年 なし(ウィリアムズのテストドライバー専念)

11年 GP3 1位(40点)

10年 F3ユーロシリーズ 3位(20点)

計60点→◯

 

■ジュール・ビアンキ(13年デビュー)

12年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)

11年 GP2 3位(30点)

10年 GP2 3位(30点)

計80点→◯

 

■マックス・チルトン(13年デビュー)

12年 GP2 4位(20点)

11年 GP2 20位(0点)

10年 GP2 25位(0点)

計20点→◯

 

■小林可夢偉(09年デビュー)

08年 GP2 16位(0点)

07年 F3ユーロシリーズ 4位(10点)

06年 F3ユーロシリーズ 8位(3点)

計13点→×

 

■アンドレ・ロッテラー(14年デビュー)

13年 WEC LMP1 2位(30点)

13年 スーパーフォーミュラ 2位(15点)

12年 WEC LMP1 1位(40点)

12年 フォーミュラ・ニッポン(SFに相当) 4位(7点)

11年 フォーミュラ・ニッポン 1位(20点)

計112点→◯

 

■マーカス・エリクソン(14年デビュー)

13年 GP2 6位(8点)

12年 GP2 8位(4点)

11年 GP2 10位(2点)

計14点→×

 

■ウィル・スティーブンス(14年デビュー)

13年 フォーミュラ・ルノー3.5 4位(10点)

12年 フォーミュラ・ルノー3.5 12位(0点)

11年 フォーミュラ・ルノー2.0 14位(0点)

計10点→×

ビアンキはペナルティを無視していない

 F1モナコGPでジュール・ビアンキが9位入賞を果たし、マルシャは前身のヴァージン・レーシングから数えてF1参戦5年目にしてついにポイントを獲得しましたが、この結果について、わたしのツイッターTL上ではいくつか疑問と不満が渦巻いていました。中継で川井一仁氏が発言したことも多分に影響していたのでしょう、いわく、「ビアンキはペナルティを消化していないのではないか」というものです。仮にビアンキが本来科されなければならない罰則に従っておらず、レース走破タイムに大きな加算があったり、最悪レースから除外されることになったりした場合、今度は逆にマーカス・エリクソンが10位入賞となり、ケータハムが初ポイントを獲得することになるのですから、これは下位でたったひとつの順位争いにしのぎをけずる両チーム、ひいては唯一の日本人ドライバーである小林可夢偉の未来にとっても重要なことです。日本のF1ファンにとって大きな関心事であったことは想像に難くありません。

 結果としてビアンキは決勝終了後、「レースタイムに5秒加算」という罰を受けて8位入線から9位へと順位を落とし、最終順位が確定しました。この処分でビアンキが不当に得をしたと思っている人も多いようです。彼がレース中に科せられた罰則は今季新しく導入された「5秒ペナルティ」でしたが、ペナルティなのだからピットに戻って5秒停止しなければならない=ピットレーンでの時間ロス+5秒静止で約25秒を失わなければならないのに、タイム加算は5秒しかなく、ほとんど損をしていないと、そういう理屈をしばしば見かけます。小林自身もそのように語っていたようですが、まず結論を言ってしまえば端的に誤解です。ビアンキは不当に得をしたわけではなく、規則の穴を突いたわけでもなく、規則が予定したとおりに行動し、規則が予定したとおりの罰則を受けて、ほんのすこしだけ順位を落としたのです。2014年F1スポーティングレギュレーションを紐解きながら、そのことを見ていきましょう。

 

【2014 FORMULA ONE SPORTING REGULATIONS】
(http://www.fia.com/sites/default/files/regulation/file/1-2014%20SPORTING%20REGULATIONS%202014-02-28.pdf)

 とその前に、この件についてはレース後、わたしがツイッターでフォローしているクル氏(https://twitter.com/Sdk0815)が詳細な説明をなさっています(この記事を書くにあたっても参考にさせていただきました。この場を借りて感謝申し上げます)。またAUTO SPORTS Webでも関連記事が配信されており、やや焼き直しの感もありますが、まとめておくことも無駄ではなかろうということで公開することにします。
 
 さて前述のように、今回のビアンキはスタート位置の異同という軽微な反則によって序盤に「5秒ペナルティ」が科せられました。これがどういうものかは、上掲リンク16条「INCIDENTS」(事故・事件)に書かれています。該当するのは3項a)で、以下のようなものです。

16.3 The stewards may impose any one of the penalties below on any driver involved in an Incident:
a) A five second time penalty. The driver must enter the pit lane, stop at his pit for at least five seconds and then re-join the race. The relevant driver may however elect not to stop, provided he carries out no further pit stop before the end of the race. In such cases five seconds will be added to the elapsed race time of the driver concerned.)
b) (略・ドライブスルーペナルティ)
c) (略・10秒ストップ&ゴーペナルティ)

If either of the three penalties above are imposed during the last three laps, or after the end of a race, Article 16.4b) below will not apply and five seconds will be added to the elapsed race time of the driver concerned in the case of a) above, 20 seconds in the case of b) and 30 seconds in the case of c).

(16.3 スチュワードはインシデントに関わったあらゆるドライバーに、以下の罰則のうちいずれかを科すことができる。/a)5秒ペナルティ:ドライバーはピットレーンに入り、自らのピットに少なくとも5秒静止してレースに復帰しなければならない。ただし、レース終了までにさらなるピットストップを行わないならば止まらない選択をすることができ、その場合レースタイムに5秒が加算される。(略)上記の罰則がレース残り3周以下またはレース後に科せられた場合、16.4 b)は適用されず、a) については上記と同様に(5秒)、b)(ドライブスルーペナルティ)については20秒が、c)(10秒ストップ&ゴーペナルティ)については30秒がレースタイムに加算される)

 
a) はほぼ丸ごと今季改正分です。もともとa) がドライブスルー、b) がストップ&ゴーでしたが、それぞれb) c)に移されました。a) →b) →c) と進むに従って重い罰則になるよう構成されています。
また後半に書いてある「16.4 b)」は、ペナルティをどのように消化しなければならないかを定めたものです。
 

16.4 Should the stewards decide to impose either of the penalties under Article 16.3a), b) or c), the following procedure will be followed :

a) 略
b) With the exception of Article 16.3a) above, from the time the stewards’ decision is notified on the official messaging system the relevant driver may cross the Line on the track no more than twice before entering the pit lane (略). However, unless the driver was already in the pit entry for the purpose of serving his penalty, he may not carry out the penalty after the safety car has been deployed.(略)

(スチュワードが16.3 a)、b)、c) の罰則を決定した場合、以下の手順に従う。/a)(略)/b)16.3 a) を除き、ドライバーはスチュワードの決定がオフィシャルメッセージシステムで通知されてから3周以内にピットレーンへと向かわなければならない(ピットレーンに向かう前に2回までコントロールラインを通過することができる)(略)。しかし、罰則を消化するためすでにピットに進入しているのでない限り、セーフティカーの導入中に罰則を受けることはできない(略))

 ペナルティが通告されたら、3周以内にピットレーンへと向かわなければならないとされています――ただし、article 16.3 a)=5秒ペナルティを除いては。要するに、ドライブスルーペナルティと10秒ストップ&ゴーペナルティの場合はすぐにレースから離れなければならないのですが、5秒ペナルティは自分のピットタイミングのときに消化すればよく、16.3 a) のとおりピット作業の予定がないならば、罰を受けるため「だけ」にピットレーンに向かう必要はありません。ビアンキはこの規則に忠実に服していたのです。

 この5秒ペナルティの処理については、規則意図を踏まえればすぐに理解されるでしょう。昨季までの規則だと戒告の次に重い処分はドライブスルーで、科されるといきなり20秒を失ってしまう厳しいものでした。逆に言えばスチュワードも相応の行為にしかペナルティを出すことができず、今回のビアンキのような軽微な違反については戒告で済ますしかなかったため、実被害はないも同然だったわけです。5秒ペナルティは、その隙間を埋めるために作られています。ピットボックスに停止後5秒間の作業を禁ずる(16.4 c))というのはなかなか妙案で、ここで5秒だけを失わせることによって「ドライブスルーは厳しすぎるが、戒告で終わらせてはやり得」と考えられる反則をしっかり処分できるようになりました。今季に入ってペナルティが増えていると感じられるとしたら、こういった罰則の細分化も影響しているかもしれません。

 5秒ストップは、タイムペナルティの項の先頭に挿入されたことからもわかるようにあくまで「ドライブスルーよりも軽い罰則」であり、ピット作業のついでに消化させるものというのが原則です。必要がないのにピットに戻すのではほぼ「ドライブスルー+5秒」のロスで逆に厳罰となってしまい、規則の精神に大きく逆らいます。なので、ピットに入らない場合はレース後に5秒を加算することで同等の罰則を実現しているのです。厳密に言えば、レース中の5秒静止とレース後の5秒加算ではトラックポジションを失いやすい点で前者のほうがやや重たいため不公平とは言えるかもしれませんが、(1)5秒の罰を与える適切な方法が他にない、(2)すべてのピットスケジュールを完了しているとすれば通常はレース終盤であり、影響はそれほど大きくない、(3)ドライブスルーやストップ&ゴーでも結局提示されるタイミングによって損得は生じる、といった観点から合理性の範囲は逸脱しないものと考えられます。そもそもピットに戻らないことを選べるのは「作業がない場合」であって、チームの裁量で決められるものではありませんし、条件はどのドライバーでも同じことです。反転可能性という意味では公平なものでしょう。

 ではこのペナルティを巡って、モナコGPにおけるビアンキの動きを見てみます。最初のスティントでソフトタイヤを履いた彼はスタート時にグリッドをはみ出した廉で序盤に5秒ペナルティを通告されます。前述のように、これは次のピットストップの際、5秒間無作業とすることで消化しなければなりません。ですが、彼が26周目にスーパーソフトタイヤへと交換するためピットインしたのはセーフティカー導入中のことでした。当然、規則によればここで消化はできず、ペナルティは次のピットストップに持ち越しとなります。

 しかし「次」は訪れませんでした。50周の超ロングスティントをスーパーソフトで乗り切るという勝負に出たビアンキは、レース再開後一度もピットに戻ることなく、見事チェッカーフラッグに辿り着いたのです。そして、実現しなかった5秒静止の代わりとして彼はレースタイムに5秒を追加され、ひとつだけ順位を落としました。もはや明らかなとおり、すべてが規則どおりです。不備を突いたわけでも、ペナルティを無視したわけでも、ましてそれに対してスチュワードが大甘な裁定を下したわけでもない。作業がなかったからピットには入らず、ピットで消化できなかったからレース後にタイムが加算された。ただそれだけのことでした。得したことはまったくありません。

 マルシャが規則を守るつもりだったことは、ビアンキが唯一のピットストップを行った際に5秒間無作業静止してしまったミスが証明しています。セーフティカー中はペナルティを消化できないのに、うっかり無意味に止めてしまったわけです。当然スチュワードがこれを認めるわけがなく、61周目に「Bianchi under investigation for serving five second stop/go under safety car」セーフティカー中に5秒ペナルティを行ったことについて審議となり、66周目にあらためてペナルティを受けるように通告が出されます。川井氏はこれと他チームの「ビアンキにはペナルティがある」という無線によってピットに戻らなければならないと勘違いしたと思われ、TLも騒がしくなっていったわけですが、最初のペナルティが持ち越されただけのことですから、もちろんその必要はありませんでした。仮に戦略に失敗してスーパーソフトが持たず、再度のタイヤ交換を余儀なくされていたとしたら、そんなもしもの世界で行われたレースではきっと静かに5秒間止まるビアンキの姿を見られたことでしょう。

 

 最後に、ビアンキは36周目にラスカスで小林可夢偉をオーバーテイクする際、ぶつけながらインをこじ開け、相手の車を壊しています。前に出たビアンキは入賞を果たし、逆にフロアを含めて車の右半分を大きく壊した小林はまともに走れなくなったわけですから、結果的にこの瞬間が彼らの明暗をわける岐路になりました。これに対してわたし自身は特段強い感想を持っていません。レースによくある場面のひとつに過ぎないとは思っていますが、一方で怒る人が(特に小林ファンの中で)いるのも理解できます。しかしひとつたしかなのは、この場面はビアンキのペナルティには一切関係がないということです。モナコであったいくつかの審議のなかに、小林とビアンキの接触は含まれていないはずです。見逃したのか、軽微な接触と軽く見たのかどうか、ともかくスチュワードはなんの行動も起こしませんでした。それはもしかすると見る人の正義にはかなわなかったかもしれませんが、審判の問題にならなかったことは正義とは別の単純な事実として存在します。接触とペナルティを合わせて捉えるのは正しくありません。

 このレースで日本のファンの一部はビアンキに対する心象を悪くしたかもしれません。ただ、ラスカスの場面についてはそれぞれの視点があることなので審議にしなかったスチュワードを含め正当な範囲で批判すればいいと思いますが、ペナルティに関して言えばビアンキもマルシャも不当なことはいっさいなかったということも把握しておいていいでしょう。いまの日本のF1にとって直接のライバルだけにいろいろな感情が混淆しやすいのはわかりますが、彼らに対してどういう立場をとるにせよ、現象を区別することは非常に有意義であるはずです、といったところで自分らしくない文章を閉じることにします。

遅すぎたフェルナンド・アロンソ

【2012.11.4】
F1世界選手権第18戦 アブダビGP
 
 
 たとえ観客という形でしか参加していなかったとしてもひとつの競技を長い間見続けていれば、だれもが退屈な夜にふと思い出したくなる光景をひとつやふたつ抱いているものだろう。モータースポーツにとって思い出されるべき瞬間は本当に短く儚いものだが、わたしが記憶の底から何度も引っ張りだして今なおこのように書きたくなってしまう場面のひとつが、2010年のF1世界選手権最終戦となったアブダビGPの51周目にある。ルノーのヴィタリー・ペトロフを追いかけていたフェラーリのフェルナンド・アロンソがターン18で小さくコースオフした、現象だけ見ればレースのうちに数回はありそうな、順位の変動も何もない些細なできごとである。

 このアブダビGPのことは当時も触れているが、ポイントリーダーとして臨んだアロンソが果たさなければならなかった使命がそれなりに容易だったことは多くの人が記憶していると思う。選手権3位のセバスチャン・ベッテルに対してはレースの4位入賞で無条件に上回り、2位のマーク・ウェバーを見ても8ポイント差を逆転されなければ――雑な言い方をすれば、1つくらいのポジションなら譲ってもよい――逃げ切れるというくらい、彼は優位な立場にいた。シーズン終盤に向けてベッテルが安定感を取り戻しつつあったのは脅威の一つだったかもしれないが、実際のところ、ライバルの動向に神経質にならず、自分なりの仕事を完遂すればそれでよかったはずのレースだった。

 しかしフェラーリは最悪のタイミングで最悪の一手を指す。明らかにスピードに苦しみ集団に埋もれかけ、早々と11周目にタイヤ交換を済ませたウェバーに対して過敏に反応し、まだ後続に対して十分なリードを築いていなかったアロンソを15周目にピットへと呼び寄せたのだ。開幕周に起きたミハエル・シューマッハとビタントニオ・リウッツィの事故を起因として導入されたセーフティカーがゆっくりと隊列を先導する間に、ペトロフがピット作業を済ませ、ふたたび集団に取り付いていた。すなわちひとたびペトロフの後ろになればコース上でオーバーテイクするしか順位を上げる方法がなくなるということであり、そしてヤス・マリーナはそれが困難なトラックとして知られていた。だからアロンソは、この危険な新人ドライバーに対して自分のピットストップで出し抜けるまでにリードを形成する必要があったのである。

 だがウェバーに先着するという一つ目の使命にだけ囚われたフェラーリは、ペトロフの背後にアロンソを戻してしまった。この愚直でばかげた判断ミスによって――その失敗を難ずるのは結果論だと議論が喧しくなり、結局最後にはアロンソ本人によって擁護されたものの、しかし進行中のできごととしてもありえない判断に感じられたことは当時書いたとおりだ――アロンソは集団に埋没し、4位という簡単な結果を取り逃がす。はたしてポールポジションからスタートしていたベッテルは悠々とレースを逃げ切り、アロンソには失意だけが残った。

 それを誤算と言うのは想定の甘さを意味するものでしかないが、ルノーの速さが想像以上だったことはたしかなのだろう。アロンソ自身にも早めに抜いておかなければ危機を招く懸念はあったと見えて、23周目にはターン11で到底止まれない深さからの無理筋なブレーキングを敢行してオーバーシュートするミスを犯している。実際に嫌な予感は当たる。ラップタイムでペトロフを上回っているのは明らかだったが、ヤス・マリーナ・サーキットと高性能のFダクトを備えたルノーの直線スピードの組み合わせはフェラーリのチャンスをことごとく摘んだ。アロンソはペトロフの背中に張り付きながら、無力に時間を浪費していった。

 51周目には、もう何もかもが手遅れだったのである。ペトロフに頭を抑えられているうちに上位のドライバーたちもピット作業を終え、悪いことにペトロフの前でコースに戻っていて、7位のアロンソはベッテルのトラブルを祈るしかなくなっていた。ターン18のミスはそんなときに起きている。全開のターン17から横Gを残しつつ直角の右へと切り込んでいくブレーキングで、アロンソはなかば自棄になったようにペトロフのインサイドを狙ったが、ドアはとうに閉じられていた。車速を十分に落としきれずにフロントウイングをペトロフのリアへと追突させんとする刹那、アロンソは左へと操舵しなおし、ドライバーの混乱のすべてを受け止めて推進力を失ったフェラーリF10はエスケープゾーンへと流れていった。

 もはや万策尽きていたのは、本人がもっとも理解していたことだろう。いまさら1台抜いたところで4位までの20秒を残り4周で追いつく術などありはせず、状況はなにひとつ改善しない。アロンソはすでに敗れた後だった。だからこそ、ということでもある。無意味な勇気によって犯されたミスは元王者の意地でも最後の抵抗でもなんでもなく、ただただ失望の顕れに見えた。そしてそれがモータースポーツの残酷で甘美な瞬間として、わたしを捉えて放さなかったのだ。

***

 あれから2年が経った。アロンソが置かれた状況は、どうも当時とあまり変わっていない。速さに勝るレッドブルが不調や単純なミスでポイントを失うわずかな隙を狙って、頭脳と集中力で局面を打開しながら僅かなリードを積み上げていくさまは、世界中から最高のドライバーであることを称賛されるにふさわしいことをたしかに証明している。しかし、劣勢を覆すために消費される集中力はたぶん1年を通しては続かない。シーズンが終盤に近づくと選手権を知り尽くし「すぎて」いる彼の保守性が頭を擡げる。速さで及ばない相手に局地戦を挑んで勝ちにいくのではなく、負けても傷を最小限に留めるレースに徹しようとしはじめる。それはたしかに所期の矮小な目論見どおり何度か成功するのだが、小さな傷に安堵しているうちに気づけばリードは小さくなっており、最後にはレッドブルの、というよりはベッテルの爛漫なスピードに袈裟斬りされて致命傷を負うことになる。2年前にそうやって敗れ、2012年もまたそうなろうとしていた。

 失うものがないときには搦手からでさえ勝利を引き寄せる一方で、守るべき地位ができると過度に守勢に回ってその場を凌ぐことが目的化され、しばしば最終目標を見誤る。2012年は、アロンソの長所と短所がわかりやすく凝縮された、彼のキャリアを存分に象徴する年として記憶されることだろう。シーズン序盤はライバルの不調にも乗じて長らくポイントリーダーの座にいたものの、秋口に入ってベッテルがスピードを取り戻すと追い込まれたように貯金の取り崩しを始めてしまった。しかも、2年前と違ってシーズン途中にポイントを逆転されたにもかかわらず、その後もアロンソから聞かれる言葉は「We limited the damage.」といった類のものばかりで、反攻に転じる姿勢を見せる気配すら窺えない。頑迷な保守性はしばしばレースに臨む態度を硬化させ、柔軟な対応と勝利のための勇気を阻害する。この時期のアロンソは――フェラーリが勝てる組織ではなくなっていたという環境以上に――勝てるドライバーではなく、なにかの拍子に幸運が転がり込んでくるのを待つばかりだった。
 ベッテルがチームの失態によって予選結果を剥奪されてピットスタートに甘んじたアブダビは、アロンソにとって実際に訪れた最後の希望だったとは言える。だが、希望だったからこそレース中盤までの彼は冒険のないドライビングに徹し、リスクを取って失策を犯した相手に最大限のダメージを与えるような動きを見せることがなかった。たしかにフェラーリの戦闘力がそれを許すレベルにはなかったのも事実だろう。だがそれにしても、勝利への意志をドライビングから感じることはできなかった。畢竟、臆病とも言い換えられるほど保守に徹しすぎた報いをアロンソは受ける。週末突出して速かったマクラーレンのルイス・ハミルトンのリタイアなどに乗じて2位こそ確保したものの、ベッテルもまた39周目にセーフティカーが導入されたときには4位にまで浮上していたのである。ベッテルは自らの力で、「limited the damage」を完遂しつつあった。アロンソの可能性はほとんど閉ざされてしまっていた。

 アロンソが自分の位置を理解したのは、ベッテルがバトンをパスしてついに3位へと浮上し、自分の背後に迫った残り3周のことだった。選手権を打開するには先頭のライコネンを捉えて優勝するしかなくなったアロンソは、タイヤの最後のグリップを使ってスパートをかける。だが2年前と同様に、もう遅すぎた。ライコネンとのギャップは回復が困難なほど大きく、54周目ターン20の凛々しいカウンターステアも、さらに最終ターンで見せたリアタイヤのスライドも、徒花のパフォーマンスに終わる。その矛先のない攻撃性はあのターン18とおなじ、状況への失望に思われた。最大のチャンスで3ポイントしか詰めることのできなかったアロンソは、最後にはベッテルの選手権3連覇を許したのである。

ジェンソン・バトンが惜別のタイヤスモークを上げる

【2012.11.25】
F1世界選手権 第20戦ブラジルGP
 
 
 ライブタイミングによれば6周終了時点でのマクラーレンのジェンソン・バトンとチームメイトのルイス・ハミルトンとの差は0.0秒で、2人はサイド・バイ・サイドでコントロールラインを通過していた。国際映像がロマン・グロジャンの愚鈍な単独クラッシュの場面からターン1を正面から捉えるカメラに切り替わってすぐのことだ。インサイドを守ったハミルトンが丁寧なブレーキングから早めにターンインすると、外からかぶせる素振りをちらりと見せたバトンのマシンの前輪から一瞬遅れてぱっとタイヤスモークが上がり、少し挙動を乱しながら後に続いた。長いストレートを生かして並びかけたもののインを押さえられてオーバーテイクには至らない、というレースによくある一コマであった。

 繊細で、絹布のような印象を与えるドライビングスタイルはF1の世界においてもバトンに随一のものだが、しかしレースでの彼は意外なほどブレーキングの厳しいドライバーでもある。巡航状態では徹底して角のとれたぬめるようなライン取りでタイヤに負担をかけない走りを見せているのに、ひとたびポジションを争う場面になればいきなりモードが切り替わって、深いブレーキングを多用して相手から主導権を奪おうとする鋭さが立ち現れてくる。そういうときのバトンを観察すると、バトル相手を絶対に危険へと追い込まない紳士でありながら、自らのマシンに対しては横暴に支配下に置こうとする二面性を見ることができて楽しい。とくに中高速から低速へのフルブレーキング、それもたとえばサーキット・オブ・ジ・アメリカズのターン15や、バーレーンインターナショナルサーキットのターン9~10、あるいは鈴鹿サーキットのヘアピンのように、横Gを残しながら車速を大きく落としていく難しいコーナーで、彼はしばしばタイヤを激しくロックアップさせ、路面との摩擦によって白煙を巻き起こす。その量が時としてだれのものよりも多いのは、バトンがステディなだけにとどまるドライバーではない何よりの証拠だ。

 タイヤのロックは、マシンが止まるための物理的な限界を超えていることを示すものだ。それは破綻の一歩手前であり、見る者に次なる危機を予見させて緊張を強いる。だがバトンは、どれだけマシンが白煙に包まれてもコーナーのクリッピングポイントに向けてマシンを正確に止めきって、午後の紅茶の温度が少しばかり高かった程度のことだとばかり事もなげに加速していってしまう。瀬戸際のバトルの最中にロックアップしようとも、何も変わらずエイペックスをなぞっていく様には、破綻の予感などいささかも抱かせない。速さに優れるチームメイトが派手なタイヤスモークとともにオーバーシュートや接触事故を起こし、少なくないポイントを失ってきたのとは対照的だ。グリッド上にこれほど「止められる」ドライバーは見当たらない。バトンはコーナーの「頂点」を知悉している。どんなときも頂点を外さない質の高さによって、彼は2009年のシーズンを制し、マクラーレンに移ってもハミルトンをチャンピオンシップで上回った唯一のドライバーとなったのだった。

***

 マクラーレンは来季、長らくチームに君臨していたハミルトンをメルセデスへと送り出し、大きく舵を切ることになった。2人のイギリス人王者を並べたドライバー構成は、ここ2年ハミルトンのパフォーマンスがやや低迷したこともあって結局タイトルをもたらすことはなかったが、両者が良好であり続けたことで組織が正常に機能し、どんな苦境でもシーズン後半までには開発を間に合わせて優勝争いに加わるこのチームらしい強さを発揮し続けた。ドライバー同士の亀裂に苦心する歴史を重ねてきたマクラーレンにとって、強いバトンと速いハミルトンがお互いを尊重しながらコンビを組んだ3年間は十分に幸せな時期だったといえる。新しく迎える若いセルジオ・ペレスは、速さは見せるものの不用意なミスも多く、まだトップチームを牽引するだけの資質を示してはいない。バトンとペレスで作られるチームが強靭なものになるかは、まだまったくわからない。しばらくマクラーレンはバトンのチームになるだろう。2人の王者が並び立っていた3年間に比べれば、やはり少し寂しいことである。

 雨のブラジルGPで、もはやチャンピオンシップから解放された2人は、別れを惜しむように何度かラインを交錯させ、オーバーテイクし合った。最後の時間は55周目にハミルトンがニコ・ヒュルケンベルクのスピンに巻き込まれてフロントサスペンションを壊すまで重ねられたが、中でもわたしをいちばん感傷的にさせたのが、7周目のターン1――いわゆるエス・ド・セナへの進入だった。最終コーナーから続く上り坂がコントロールラインの先で峠を迎え、下りながらブレーキングポイントに差しかかる。重力が摩擦力に抵抗する難しいコーナーの入口で、リードするハミルトンに外から並びかけたバトンがブレーキングを敢行すると、タイヤがロックアップして白煙が舞い上がり、一瞬だけフロントのグリップを失う仕草を見せて、しかしそうなることが当たり前のように抜ききれなかったハミルトンについてイン側のクリッピングポイントにある縁石を踏み、右、左へと切り返していった。

 バトンは、いつだって止めてみせる。泡沫のように終わった7周目ターン1の攻防は、並びかけはしたもののインを押さえられてオーバーテイクに至らないというレースのよくある一コマではあった。だがこちら側の感傷という勝手なフィルターを通してみると、それはハミルトンと3年にわたって分け合っていたエースを一人で背負う資格を証明し、ハミルトンを送り出す餞別のフルブレーキングにさえ見えてしまったりもするのである。

ルイス・ハミルトンの失敗

 そろそろ美しい閉幕への道程を考えるべき時期に差し掛かった今シーズンのF1で評価を下げてしまったドライバーといえばフェラーリのフェリペ・マッサと、それから何と言ってもマクラーレンのルイス・ハミルトンだろう。今季から導入されたピレリタイヤによるグリップ低下でシーズン前から苦戦が予想されたマッサについてはあえて言うまでもないが、コーナーへの鋭い飛びこみが持ち味のハミルトンも、そのドライビングスタイルによってタイヤライフのコントロールに難を抱え、思いもかけない不調に陥ってしまった。

 シーズン中盤以降、顕著になったのはハンガリーGPのころからだが、コンビ2年目を迎えたチームメイトのジェンソン・バトンのパフォーマンスが伸長していくのと軌を一にしてハミルトンのミスが目立つようになった。予選ではつねにフロントローを争うほどの速さを持ちながら、レースでは一転、危険なアクションや接触を――とくにマッサとは何度も――繰り返し、しばしば「investigation」の文字情報を提供するハミルトンは、タイヤマネージメント以前の問題として、メンタルに大きなトラブルを抱えて平静さをどこかに置き去りにしてしまったようだった。もとよりアクシデントの少ないドライバーというわけではなかったが、アグレッシヴの度が過ぎての失敗が多かったこれまでに対し、今季後半のミスはただの焦りから引き起こされたようにしか見えないものばかりだ。

 ハミルトンの焦燥の原因の一部がチームメイトのバトンだろう、という話はシンガポールGP採点記事のコメント欄で少しばかりした。ピレリタイヤの特性をよく理解して速く安定的なペースを刻み、いざバトルになってもコーナーを俯瞰しているかのように広い視野をもってリスクなく戦い抜くバトンをチームが信頼するようになり、結果を残すのに比例してハミルトンのミスは増えた。単純に推測すれば、これはやはりチームメイトに追いつめられているということだろう。バトンが高いパフォーマンスを発揮すると、ハミルトンはきまって低調に終わる。たとえばこんなデータを完全に偶然の結果と言いきれるだろうか。今季のマクラーレンは、バトンが11回、ハミルトンが6回表彰台に登っているが、「バトンが上位でのダブル表彰台」が一度もないのである(ハミルトン上位の場合は先日のアブダビを含め2度ある)。マシンが表彰台圏内の戦闘力を持っていても、ハミルトンは自分に主導権がないとその力を発揮できない状態にあるのかもしれない。バトンが2勝を含む5連続表彰台を獲得したRd.11ハンガリーGPからRd.15日本GPまでが典型だろう。わずか5戦で101ポイントを積み上げたバトンに対しハミルトンは4位2回5位2回の44ポイントに沈んだのだった。先のアブダビGPで週末通してバトンに優越し気楽に制したことさえ、彼の精神面の不安定さを逆説的に証明しているように思えてくる。

 もちろんチームメイトに圧倒されてフラストレーションに潰されそうになるというのは、第一義的にはドライバー自身が対応すべきことである。F1の世界で最初のライバルとなるのはまずチームメイトであり、それを制したドライバーだけがステップアップしてワールドチャンピオンへの挑戦権を手にできるという評価体系が不動のものとしてあるのだから、同僚が手強いと泣き言を言うのでは話にならない。しかしF1がチームスポーツであるかぎり、チームがドライバーというひとつの戦力のメンタルケアに腐心する必要があるのもまた当然のことだ。ドライバーの心身のコンディションについて、チームは責任を持つ立場にある。なのにどうも、マクラーレンがハミルトンのメンタルに関心を向けているようには思えない。速いドライバーとして彼を尊重するが、それ以上のフォローに踏みこむ気まではないのではないかと感じることが多いのだ。

 焦りがふくらんできているハミルトンにとっては不幸なことだが、いかにもマクラーレンにふさわしい話ではある。だいたいこのチームは、ドライバーの感情の揺れとかプライドの保ち方などといったおよそ人間的な心の動きの機微に対する興味が欠落しているように見受けられる。優れた空力パッケージのクルマにハイパワーのエンジンを載せればレースで勝つには十分だと考えていて、コクピットの中身のことはドーナツの輪っかほどにも気に留めていない――ようは、空っぽだって構いやしないのだ――節があるのだ。ハミルトンをエースとして遇そうとしながらそのチームメイトとしてセカンドに徹させるわけにはいかないバトンを迎える危険性は移籍当初から一部のメディアで言われていたが、その懸念は予想どおり当たった。そもそもドライバー選びの段階でチームは組織の歯車が円滑に回る絵を楽観的に空想しすぎたとも言える。ちょっと長くF1を見ている人なら得心する話だろう。マクラーレンは昔からそういう失敗をするチームなのだ。

 今のマクラーレンを磨き上げたのは疑いなく2年前まで現場の最高権力者として君臨したロン・デニスだが、彼はオフィスの床に塵のひとつでも落ちていることを許さないとか、ドリンクの持ち込みすら禁じるとか(これは記憶違いによる不当な非難かもしれないが彼のキャラクターをほんの少しでも知っていれば素直に受け入れられそうなので事の真偽は何ら問題ではない)、バカでかくていけ好かないモーターホームを広げてパドック裏のスペースを占領し他のチームからうまく顰蹙を買うことに情熱を燃やすとか、そういうことにはむやみに熱心なくせに、あるいはそういう方面にばかり完璧主義だったからなのか、ドライバー絡みでは失敗が多い。なにせクルーの顔よりも、彼が着ているシャツについたシミを消すことのほうが重要なマネージャー――と、これはさすがにジョークであって、彼はスタッフを非常に大事にする人物だった――のすることである。かつてはアイルトン・セナとアラン・プロストを両者ナンバーワン待遇で迎えた結果20年も経った今もって語り草となるほど両者の関係を見事にこじれさせて対応に苦慮し、キミ・ライコネンのチームメイトにファン=パブロ・モントーヤを当ててこの我の強いコロンビア人にF1を嫌忌させ、それにも凝りずついには温室育ちの秘蔵っ子ハミルトンとプライドの高いフェルナンド・アロンソのペアによってチームをわずか1年で破綻させた。どれも速さと強さを持つドライバーのコンビだったが、好意的に見ても完全な成功を収めたとは言えそうもない。

 理想的に見えるラインナップは個々に理想的であるがゆえに、得てしてうまくいかないものだ。最高のドライバーで組み上げるチームがかならずしも成功しないことは歴代チャンピオンの待遇が逆説的に物語っている。全盛期のミハエル・シューマッハはフェラーリで完全な独裁体制を敷いてルーベンス・バリチェロを従え、ミカ・ハッキネンとデビッド・クルサードやフェルナンド・アロンソとジャンカルロ・フィジケラの間には明らかな才能の差があった。ハミルトン本人にしてからが、アロンソと組んでいた年は明らかに最速マシンに乗りながらチームメイトとの戦争に疲れはててキミ・ライコネンにすんでのところで栄冠をかっさらわれ、ようやくチャンピオンとなったのは、今ロータスでようやく働き場を見つけた「Non-flying Finn」とコンビを組んだ、マシンとしては劣勢の年だった。ハミルトンの2007年と2008年はいかにも教訓的だ。07年は2つの才能がぶつかりあって消耗した挙げ句お互いのポイントを食いあって1点差でシーズンを失い、08年はエースに余裕ができた(かどうかはあのドライビングを思い出すと自信がないのだが)うえにポイントが片方に集中した結果1ポイント差でランキングリーダーとなった。近年ドライバーの力が拮抗したチームでのチャンピオンとなると昨季のセバスチャン・ベッテルくらいしか思い浮かばない。そのベッテルにしても、今季はウェバーを圧倒してナンバーワンの地位を確たるものにした。

 最速のマシンを製造するように最速のドライバーだけを追い求めることが成功に直結するわけではないと、たいていのレーシングチームはわかっているはずだ。シューマッハを長く擁したフェラーリなどはとくにそれを心得ているように見える。F1の、とくにトップチームの方法論としてドライバーの役割に差をつけることはもはや鉄則だ。では、苦い経験を他のどのチームよりも多く重ねて反省しなければならない当のマクラーレンが今、何をしているのか? チームカラーという言葉があるように、F1にかぎらず組織というものはどれだけ構成員が変わっても意外なほどその相貌を変化させないということなのだろう。ホンダ、ブラウンという歴史を経ている今のメルセデスは、かつての面影などどこにも残っていないにもかかわらず、川井一仁によればクルマの特性というかぎりなく物理的な面でなぜかホンダ時代の悪癖が残り、シューマッハなどは露骨にそれを嫌がっている。それを考えれば責任者が現場を退いた程度のことでチームはそう簡単に変わったりしないのだ。マクラーレンはせっかくハミルトンが揺るぎないエースの地位を得てチームを掌握したところで、おなじイギリス人チャンピオンのバトンをわざわざチームに迎え、軋轢の元を抱え込んだ。そして今季、案の定ハミルトンの不調は引き起こされたのである。今回に関しては2人の仲がよいこともあって表面的な確執こそないが、ラインナップに端を発する不調という意味では過去とそう違いない。

 マクラーレンのこの手の失敗は珍しくもないわけだが、その煽りを受けたハミルトン個人の問題に話を戻せば、彼の現状が2007年にアロンソとぶつかりあったころと決定的に違うのは、その背中に孤独を感じることだ。彼がロン・デニスに目を付けられ、マクラーレンによって下位カテゴリーから大事に育てられてきたことはだれもが知っている。ハミルトンとマクラーレンは一体でありその関係は揺るぎないもので、07年のハミルトンとアロンソは、速さという意味では互角――か、アロンソの証言を信じてチームでハミルトンが優遇されていたのだとすればドライバーとしてはアロンソが上回っていたか――でそれが確執の原因ともなったが、ハミルトンにすれば最終的にチームがかならず味方についてくれたし、事実チームが修復不可能になってどちらかが移籍しなければならなくなったとき、フェラーリへと去ったのはやはりアロンソの方だった。

 だがマクラーレンはイギリスのチームであり、新たに迎えたバトンはイギリス人のチャンピオンである。チームはスペイン人を冷遇したようにバトンを扱ったりはしない。スタートラインではまったく対等に、そしてシーズンが進んでどちらかにウェイトを置くべき段階になれば成績に応じて、きわめて正当に2人を遇することになる。きっかけはたぶんちょっとしたミス一つ、モナコでの接触だったり、雨のカナダでのスピンだったりしたのだろう。だがそのミスのためにバトンが優位に立ったとき、ハミルトンはこれまでのような自分だけに向けられる絶対的な庇護を失った。もはやチームは彼だけのものではなくなってしまった。客観的に見ればまっとうな対処なのだが、これまでのことを考えれば相対的にハミルトンの味方は減ってしまったも同然だ。断片的にしか伝わらないテレビの画面や雑誌での報道を通じてさえそれはなんとなく感じ取れるし、彼から漂う孤独感として表出し印象づけられたりするのだろう。

 マクラーレンは彼を見捨てているわけではない。事実ことあるごとに危険なアクションを繰り返すハミルトンについて、チームはそのたび擁護してきた。だがそれは外に向いたフォローであり、チームの中だけで見ればそれでもバトンより優先してもらえるといった優遇される雰囲気があるわけではないのだ。リソースが少しずつ上位のバトンへと傾いていくのをハミルトンは実感したりもするのだろう。彼にしてみれば、チームの関心が自分から離れていくというのは初めての経験で、それが当然のことだとはわからない。ハミルトンはたぶん、そのパフォーマンスにふさわしいレベルで扱われている。だがそれは、彼にとってはどうしようもなく寂しいことなのだ。

 ようするに、今のハミルトンは弟に親の興味が向いて拗ねている兄のようなものである。そういう面も含めて、ハミルトンが自分を育ててくれた親も同然のチームに対し甘えがちだというのはたぶん正しい。たしかにハミルトンを箱入り娘のように大事に育てすぎたのはマクラーレンだし、そもそもあらゆる性格のドライバーを総合的にマネージメントしなければならないのがチームというものではある。とはいえ結局のところ、ハミルトンが抱える甘えは彼自身の問題として解決しなければならないことだ。

 チームにおける全能感を失って、ハミルトンは落ち込んでしまった。シーズン序盤にトラブルやピット作業ミスでポイントを失いながら着実にパフォーマンスを上昇させてきたバトンとは対照的だ。チームを転々とし、幾度となく地位を築きあげてきたバトンの揺るぎない強さは今のハミルトンが望んでも手に入らないものだ。彼はいま陥っている内向きの問題を解決するための経験をほとんど持っていない。チームの関心が自分に向かないならばそうさせる努力をしなければならないが、その努力の源泉はまさにチームの関心であった。そうやってレースを戦ってきたのだ。卵と鶏、どちらが先かという話ではないが、テレビを通じて見るハミルトンの精神にはモチベーションのジレンマがしばしば覗く。

 幸いなことに、ハミルトンが依然としてナチュラルに速いドライバーであることに変わりはない。だがレーシングチームの一員として戦う強さならバトンが一枚も二枚も上をいく。それは多分に過ごしてきた人生の強度に根ざした力であり、一朝一夕に同じレベルに到達できるものではない。ハミルトンは今初めて、バトンが乗り越えてきた苦労の一部を知ったばかりなのだ。その差についてどう思い至り、考えるのか——今の苦悩の受け止め方によって、かつての史上最年少チャンピオンがこれから過ごす憂鬱の長さも変わってくるかもしれない。

フェルナンド・アロンソの瞬間を見つめるとき

【2011.7.10】
F1世界選手権第9戦 イギリスGP
 
 
 シルバーストンの28周目、レッドブルのピットクルーがセバスチャン・ベッテルのタイヤ交換作業に手間取り、同時にピットインしていたフェルナンド・アロンソは労せずしてレースのリーダーとなった。ベッテルは11.4秒もの長い静止を余儀なくされて、ペースのよくないルイス・ハミルトンの後方でコースに戻ることになる。全体52周のレースにあって、結末はこの瞬間に決まったようなものだっただろう。

 トップに立ったアロンソは、アウトラップでこそタイヤの温まりに苦労したものの、すぐさまペースを上げて後続を突き放しにかかる。29周目1:37.069、30周目1:36.803、31周目1:36.122、32周目1:35.769のラップ推移は直後のハミルトンよりも1周当たり2秒近く速く、最後のストップまでに12秒の差がついて、今季苦しみ抜いたアロンソの初勝利は揺るぎないものとなった。

***

 テレビの前にじっと座っていた2時間を「つまらなかった」のひとことで葬るような真似をしないために必要な心構えを会得したのは、モータースポーツを見るようになって何年も経ってからだ。はっきりと自覚したのは今シーズンになってたわむれにドライバーの採点記事を挙げるようになってからだけれど、レースを見るコツのようなものを身に付けはじめたのは、たぶんフェラーリのミハエル・シューマッハが強すぎたためにともすると世界中のF1人気が下火になりかけていたころで、わたしはその反対を向くようにF1、ひいてはモータースポーツへの興味を深めていった。テクノロジーとか、政治的なスキャンダルとか、母国ドライバーの応援とか、F1に付随するテーマがいくらでもあるなかで、わたしの意識はつねにただサーキットにばかり向いていた。振り返るともうずいぶん週末のグランプリを見向きもしなくなるほど退屈だと思った記憶がない。昔のF1のほうがおもしろかったというありがちな決まり文句とも無縁で、すばらしいのはいつだって今だと思っている――すばらしいのはいつも「今」なのだ。モータースポーツの熱量は結局のところ「今」の問題としてしか語りえないという思想を持つようになって、わたしのレースに対する態度は決定的になった。

 たいていのプロスポーツがそうであるように、F1の営為もまたシーズン単位の「全体」として理解されている。各グランプリでの順位によってポイントが付与され、その累積によってドライバー/コンストラクターのチャンピオンシップが争われるという構造をF1は持ち、われわれファンはその推移を開幕戦から最終戦にわたって見守ることで、だれが最速のドライバーであるかに想いを馳せるわけだ。プロ野球の順位を毎朝気にしてしまうような付き合い方は、F1に対するときでも十分に健全に思える。
 そしてF1がつまらなくなったという表明があるとき、その意見はどうやらそんな全体の印象についてであるということが多いようだ。パッシングの少ないレース全体であったり、ひとりのドライバーが独走するシーズン全体であったり、そういう場合に退屈という評価が出てくることがままある。2000年代初頭はその代表だろう。

 全体こそがF1の営みのすべてだというのなら、そういうときに退屈の印象を抱くというのも頷けないこともない。事実シューマッハがありとあらゆるサーキットを無遠慮に制し続けた2000年以降にF1の人気は低下し、あるいは少なくとも低下することが危惧されて、チャンピオンシップへの興味をなるべく長く繋ぎとめるために優勝の価値を大きく下げる形でポイントシステムが変更された(そして俗な対応だとして変更自体にブーイングを浴びせられた)。

 たまたまこれを書いているタイミングで『Rocket Motor Blog』「2011年イギリスGP感想」を読んだら、折よく「エンディングが予想できてしまうと、ストーリーはとたんに面白くなくなってしまう。[…]つまらないストーリーは、観客や視聴者の関心を失ってしまう」という記述が目に止まった。それはたしかに当然のことだ。だれが年間を通してもっとも優れたドライバーかの争いに興味を惹かれるのは自然な感情で、だからその行方が概ね決してしまったあとに関心を失うのもわかる。だが、そんな競技者と同一の視線からあえて背を向けてみよう。モータースポーツの全体を構成するものはいったい何であろうか? 部分の集合はかならずしも全体を表現しないが、部分を積み重ねなくては全体が現れることもない。ドライバーはチャンピオンシップのためにレースを戦い、レースをより上位で終えるためにラップを刻み、速いラップをたたき出すために一瞬一瞬コーナーへと飛びこんでいく。結局レースとはその積み重ね——選手権への意思が表出する一瞬の積み重ねだけでしか構成されないものだ。その意味でドライバーの意思は、ブレーキングからターンイン、クリッピングポイントをかすめてスロットルをオンするその運動、モータースポーツを微分した結果得られる瞬間にこそもっとも激しい情動として立ち現れる。それはレースの間に何度も現れては消えてしまう、「今」としてしか受け止められないシーンだ。全体の利害を越えてそれを捉える愉楽を得られるのは観客の特権であり、わたしはそれを最大限称揚することでレースから退屈を追い出したいと思っている。

 今シーズンここまでアップしてきた採点記事をお読みくださっているかたは、わたしの贔屓にしているドライバーがフェルナンド・アロンソであることをすぐ理解されるだろう。あらためて読み返し見ると「美しいターンイン」(ヨーロッパGP)に「偉大なドライバー」(モナコGP・トルコGP)、「F1の教本に載せるべき」「現役最強ドライバー」(スペインGP)など自分でもやり過ぎと思うくらいこれでもかと賛辞を並べているが、パドックでは王様のように振る舞い、わがまま放題というこのスペインの英雄をわたしが愛するのは、彼がコース上においてもっとも瞬間の魅力を表現してくれるドライバーだからだ。

 昨年のアブダビGP、アロンソは失意の日曜を過ごした。拙速なピットインの判断でヴィタリー・ペトロフの直後7番手のポジションに嵌り、4位以上という決して難しくなかったはずのミッションに失敗した結果、ほぼ手中にしていたはずのワールドチャンピオンを失ったのだ。あのレースは、ひとつにはベッテルの嗚咽交じりの無線に、もうひとつにはアロンソのドライブによってこそ印象づけられた。最終盤にターン18のブレーキングで派手にタイヤをロックさせてコースオフしたシーンだ。もはやすべてが手遅れになってしまったあとに見えた彼の失望、焦燥、怒り、悲しみ……ただのミスドライブではない、感情が凝縮されたあのコースオフに、フェルナンド・アロンソというドライバーの姿が現れたのだった。

 レース中に「顔が見える」ドライバーはそう多くはない。それが見えるのが優れたドライバーというのがわたしなりの感覚でもあり、アロンソのドライブはいつだって彼特有の表情に溢れている。今季のフェラーリは苦境に陥り、彼自身も苦しい週末を過ごすことが多かったが、それでも自分が「偉大」で、「現役最強」のドライバーであることを、思いどおり走らないフェラーリ150°イタリアを通して何度も何度も訴えかけていた。

 たとえそれがわずかなレギュレーション変更の狭間に起きた幸運だとしても、彼のドライブはきっと報われなければならないのだ。シルバーストンの中盤、勝機が訪れたと見るやアロンソは愛馬に鞭打って敢然とスパートに入る。その決然たる彼の意思を垣間見た瞬間、2011年イギリスGPは忘れられないレースとなった。そう、すばらしいのはいつだって、切り取られた「今」としてしか語れない一瞬だ。31周目、旧ホームストレートからコプスに飛びこむアロンソの切れ味は、この日曜にだれも追随できないほど清冽なものだった。

ミハエル・シューマッハの憂鬱

【2011.4.17】
F1世界選手権第3戦 中国GP

 コンディションがウエットだったかドライだっかたは定かではない。曇天の上海インターナショナルサーキットだった。右に回りこんでいくようなコーナーだったから多分ターン1か12のはずだ。大学生だったわたしがアルバイトをしていたとある雑誌編集部の高い棚の上に置かれたテレビの画面の中では、光量の少ない空模様でもよく映える真っ赤なマシンがスピンしていた。まだレース序盤、15周に行くか行かないかといった時間帯でのことだった。

 それがミハエル・シューマッハのフェラーリであることはすぐにわかった。同僚のルーベンス・バリチェロはキミ・ライコネンを従えながらトップを快走していて、後方を走る赤いクルマはシューマッハのものでしかありえなかったのだ。ピットスタートとなって最後方からの追走を余儀なくされたシューマッハは、つたない記憶によれば前走車の直後を走っていて、その影響でダウンフォースを失ったのか、右に長く切りこんでいくコーナーの出口でリアを巻きこみ、フロントタイヤを中心にしてくるっと時計回りに1回転していたと思う。タイヤスモークが上がっていた――と思い出すということはたぶんドライコンディションだ。そのあとがストレートでスロットルを開けていくところだったような覚えもかすかにあるので、だとするとターン12~13だろう。2004年、もう7年も前の話である。

 中国GPが日本GPとの東アジア2連戦として秋に組まれていたころのことで、すでにドライバーズチャンピオンシップの行方はシューマッハに決していたから、その単独スピンもちょっと珍しい光景以上の意味はなかったが、珍しいという点ではフェラーリの圧倒に退屈したシーズンのハイライトに入れてもいいくらいのシーンではあった。実際、当時のF1ファンにとって7度目の戴冠を果たしたばかりの皇帝がひとり勝手にタンゴを踊るなどありえないことだったのだ。少なくともわたしは意外なミスと受け取ったし、そこには軽い失望感も伴っていた。チャンピオンを獲って気でも抜けたかと言いたくもなったかもしれない。もちろん難癖をつけているだけだ。これは今調べて書いていることだが、2004年のシューマッハはモナコ以外のすべてのグランプリで完走し、そのなかで唯一入賞を逃したのがこの上海だった。そもそも年間18戦13勝のドライバーが決勝レースで一度くらいスピンしようが、大した事件ではない――あるいはだからこそ大した事件なのかもしれないが、タイトルの興味とは関係のないことだ。

 だが、こういう言及もできないではない。すなわちときどき見せる傲慢な振る舞いが許されるほど強すぎてF1から熱量さえ奪い、いくつものレギュレーション変更の呼び水ともなったシューマッハは、しかしこの年を最後にチャンピオンの座を若いフェルナンド・アロンソに譲った。翌年から1度目の引退を決意した2006年までに挙げた8勝は、2004年わずか1年間の13勝に遠く及ばない。

 いや、これもやはり言い掛かりにすぎないだろう。なるほどこういうときに文章の作法として「中国GPで見せた些細な綻びが、シューマッハの衰えのはじまりだったのだ」と書くのはいかにも道理をわかっていそうな纏めかたで筋がいいのかもしれないが、自分の浅薄な失望感をこの程度のミスで正当化するほどわたしは厚顔ではないつもりだ。2005年は悪夢のようなブリジストンタイヤの不調とともに葬られただけだし、2006年にしても鈴鹿でエンジンが白煙を吐き出さなければ彼は王者として引退し、翌年にフェリペ・マッサがカーナンバー「0」を付けることになったかもしれない。政権はアロンソへと移ったが、シューマッハはやはり強いまま、跳ね馬を降りた。サーキットを去るまでほとんど完璧だった。

 結局7年前、シューマッハ個人にとって4シーズン前のスピンは、そのレースのファイナルラップで見せた帳尻合わせのようなファステストラップも含めて、F1でもっとも成功を収めたドライバーが頂点の時期に見せたちょっとした愛嬌にすぎないことである。なのだが、3年の沈黙を経て現役に復帰した彼の1年半をずっと見てきて、ふいにあのシーンを思い出すことがある。赤い記憶が薄れ、当初はあれほど似合っていないように思えた銀色のスーツが目に馴染んできた最近はことさらに増えた。おかしな感覚だと思われるだろうが、わたしにとってミハエル・シューマッハといえば、全盛期の憎らしいほどの強さでも、ミカ・ハッキネンとのバトルでも、表彰台で幾度となく見せた子供っぽいジャンプでも、ラスカス・ゲートでもなく、まず上海でのスピンが連想される。スピンした振る舞いには失望しても、彼のスピン自体は美しかったのだ。

 結果としてかかわる人間の身体にダメージがない、という前提条件を絶対に付させてもらうが、単独スピンはときに絵になる。人間に比べればあまりに強大なマシンを完全に掌握して操っていたドライバーが、なんの前触れもなく不意に自らの能力を振り切られ、抗う術を失って慣性に身を任せるよりなくなる1秒に満たない時間の間に、感知、反応、制御、破綻、モータースポーツを形成するいくつもの情報が処理され、奔流となって吐き出される。ドライバーの意思を携えてレーシングラインをトレースしていたマシンが、ある一線を越えた瞬間、急にたんなる物質と化す。その狭間、制御と不能の間には大きな断層が生じ、そこにはじめて失望という、顔の見えないドライバーの感情がはっきりと立ち現れるのだ。バトルでのクラッシュは物理的な人間同士のぶつかりあいだが、スピンはひとりのドライバーの精神を容赦なく炙り出す。強いドライバーのスピンは特にそうだ、というより美しいスピンは強いドライバーとマシンのペアにしか生まれない。今年の中国GP予選でのセバスチャン・ベッテルを見ればよくわかる、速くて強いドライバーがそれにふさわしいマシンに乗りこむと、両者が一体化してドライバー自身の姿は見えなくなるものだ。だからこそ両者を結ぶ糸が突如切断されるスピンによって表出する精神性が心を捉える。ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネン……彼らのキャリアには印象深く美しいスピンがある。それはたぶん、何十という勝利よりも彼らをよく知る手がかりになる。

 上海でのスピンはわたしにとってミハエル・シューマッハを「見た」瞬間だったが、しかしそれもふたたびコントロールを取り戻してコースに復帰するとともに薄れていき、あとは何年か後におなじ趣味の友人との思い出話に変わるようなことだった。だがいまになってわたしはあのスピンを強かったシューマッハの象徴として思い出すことが増えている。それはいまリアルタイムで走っているシルバーのシューマッハがもうおなじように美しいスピンを演じられないと諦めかけていることの感傷だと、わたし自身わかっている。なにせわたしがF1を生涯見続けるべきスポーツと定めて観戦の初心者から脱しようとしていた20代前半はシューマッハのための時代だったのだ。好き嫌いは別にして、その落日を目の当たりにすれば感傷的にもなる。

 復帰のニュースにあれほど目の色を変えたのに、1年と半分が過ぎてわれわれはもうシューマッハのいる風景に慣れている。ニコ・ロズベルグに控えるドライバーであるということも含めて慣れてしまった。この中国GPで、シューマッハはまた同僚に及ばなかった。予選ではもうずっとコンマ5秒のビハインドを背負い、決勝で(アイルトン・セナに対したアラン・プロストのように、あるいは若かりしシューマッハ自身を決勝では脅かしたマーティン・ブランドルのように)それを跳ね返すほどのペースを刻めるわけでもない。ロズベルグを物差しにしたとき、あえて挑発的な言い方をすればF1を去らざるをえなかった中嶋一貴とどれほど違うのかというくらいのものである。セッションの度に発せられるコメントだけを読んでいると、シューマッハ自身も現状に不満と焦りを抱えつつもどこかでは慣れてしまったようにさえ見える。

 予選Q2はヴィタリー・ペトロフがトラブルを発生し、ライン上にマシンを置きっぱなしにするという品のないストップをしたために、2分2秒を残して赤旗中断となった。1周1分35秒の上海ではピットアウトからアタックラップに入るにぎりぎりのタイミングであり、セッション再開直後からマシンが次々と飛び出して、コース上には予選と思えないほど長い隊列ができた。慌ただしくタイヤを温めながらチェッカーフラッグをかいくぐって、フェリペ・マッサ、セルジオ・ペレス、ニコ・ロズベルグ、ミハエル・シューマッハ、小林可夢偉……という順に最後のアタックへと向かった。満足なクリアランスはとれていなかった。

 状況が状況だけに、遅いクルマが速いクルマのアタックを邪魔してしまうことはいたしかたないことだ。だがこの順でアタックした5台のなかで、結果としてはザウバーのペレスがメルセデスのロズベルグのアタックの障害となり、そしてその関係とは正反対にメルセデスのシューマッハがザウバーの小林の障害となった。ターン14、長いバックストレートエンドのヘアピンでブレーキングを決めきれなかったことで、シューマッハは自分と小林の両方のチャンスを潰したのだった。重要なポイントで決して外さないのが全盛期のシューマッハだったが、現役復帰後の彼は打って変わってポイントでこそ外しつづけている。こういう姿にも、すっかり慣れた。ロズベルグだけがQ3に進むのはもうおなじみの光景だ。リアウイングが機能しなかったとコメントを残し、たぶんそれは彼にとってありのままの事実を述べただけで言い訳に汲々としているなどとはまったく思わないが、そうやって自分以外の場所に原因を求めなくてはならないことも頻繁になった。

 決勝の走りに不満があったわけではない。マレーシアに続いてスタートを決め、エキサイティングなバトルを繰り返しながらずっと入賞圏内を走って4ポイントをチームに持ち帰った。文句のない仕事だ。だが一時レースをリードして5位に入ったロズベルグと比べれば、それが完璧な走りだったと言うことはできないだろう。速さに劣るフェラーリをドライブしていた90年代後半、シューマッハはつねにわずかなストロングポイントを強調することで圧倒的に速いミカ・ハッキネンに牙をむいた。いま最速ではないメルセデスのコクピットで、シューマッハは戦うポイントを求められずにいる。去年、骨折で長期離脱した99年を除いてはじめて年間のポイントで同僚を下回った。その99年ですらダブルスコアではなかったのに、ロズベルグの142ポイントに対して72ポイントしか取れず、メルセデスはそれを直截に示すコマーシャルまで作った(。産気づいた妻を乗せたまま折悪しく山道でクルマが故障し、立ち往生してしまった夫婦の下にロズベルグとシューマッハが現れて送ってくれるという。夫が「7度のワールドチャンピオンだ」とシューマッハを選ぼうとしたところ、妻が「去年のポイントはニコが2倍だった」とロズベルグがいいと主張して口論になるわけなのだが、どうもこれは妻のほうに分があるのではないかと思える。

 あれから7年が経って、銀色のシューマッハはクルマなりの仕事をするドライバーとしてステアリングを握っている。好まない弱アンダーステアと格闘して、下位チームの突き上げを食らいながらなんとか上位にしがみつこうとする様子には丁寧な仕事ぶりを感じるが、しかしかつて眩いばかりに放たれていた才能の煌めきだけは鈍くなっているようだ。

 速いマシンとドライバーが混沌として両者の境が曖昧になり、人の存在感が消えていく瞬間がある一方で、走らないクルマを苦心惨憺どうにかして前へ進ませようとするドライバーの顔は、ヘルメット越しにもよくわかるものだ。レースを長いこと見ていればもちろんそういう姿を観察することのほうが圧倒的に多いし、結局モータースポーツが人間のせめぎあいであることを示唆するという意味で、レースの醍醐味だったりもするだろう。だがそれは、端的に言って美しいわけではない。機械に苦闘する人間から見えるのはスピンの断層から突発的に偶発的に顕在化する破綻の美ではなくただただ現実だ。いまのシューマッハには苦悩が見えすぎる。現状が続くかぎり、彼のW02が回ってもわたしはそれをたんなるミスとしか受け取れないだろう。浅薄なはずの失望感は、きっと失望のまま次のサーキットへ持ちこまれることになる。だがわたしの感傷はそんなシューマッハの凡庸をはっきり拒絶するのだ。多くのファンと同様に、わたしもまたシューマッハの現状を受け入れがたく思っている。強いシューマッハの幻影が、コースのどこかで実体になって現れてくる瞬間を探している――。あのときと同じ上海だ。タイヤかすと埃に覆われた激しい優勝争いとは無縁な後方を眺めながら、わたしはあいかわらずあのときのフェラーリのダンスを思い出してしまっているのである。