2024年F1競技規則第5版・F1財務規則第18版日本語訳(DNF / port F版)


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F1財務規則訳者による、レッドブルの支出超過についての解説と私見 

9月下旬だか10月上旬のことでしたか、昨季のF1において、2チームが新たに施行された財務規則に違反していたという報が飛び込んできました。ひとつはアストンマーティンF1、そしてもうひとつは当年のドライバーズチャンピオンであるマックス・フェルスタッペンを擁するレッドブル・レーシングです。アストンマーティンに関してはどうやら手続違反でさほど深刻なものではなかったようですが、レッドブルは実際に費用制限を超過したとのことで、財務規則施行以来はじめての事例となりました。これに対して、ライバルチームからファンの間まで、強い言葉が飛んでいるように見受けられます。特に僅差でドライバーズタイトルを逃したメルセデスAMG陣営の批判はなかなか手厳しいものがありました。これらの言説が発せられるその気持ちはわからないでもないですが、しかし一部にはどうも違和感が拭えないところがあります。違反を犯してしまった事実は事実として、果たしてレッドブルに向けられる批判は妥当なものでしょうか。

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F1財務規則を翻訳してみた

 

2021 F1財務規則日本語仮訳 ver.1.2.1(PDF)

2021.11.24 ver.1.2.1公開/付録に付番、訳註の追加、訳文・誤字等の修正(1.2.0公開省略)

2021.10.3 ver.1.1.1公開/訳文・誤字等の修正
2021.9.30 ver.1.1公開/付録の翻訳を追加、対訳化、訳文・誤字等の修正
2021.9.17 ver.1.0公開/本文仮訳

 

今季から導入され、マックス・フェルスタッペンがイギリスGPで大きな事故に見舞われたときなどに話題となった「コストキャップ」=予算制限。その根拠となるのが Formula 1 Financial Regulations『F1財務規則』ですが、日本語版がいまだ出ておらず、なかなか詳細をつかめないため、いっそのことと思い翻訳しました(上記リンク)。著作権の問題が気になり公開についてFIAに問い合わせてみたものの、しょせん個人の悲しさで返事があるわけもないため勝手に出すことにします。万が一見つかって怒られたら引っ込めます。

英語は不得手、会計も素人につき訳文の正確性はいっさい保証しません。あくまで参考程度にご覧ください。誤訳・誤字のご指摘、専門用語についてのご助言はいつでも歓迎しております。

D席にて、あるいは日本GP観戦記のようなもの

Photo by Wolfgang Wilhelm

【2018.10.7】
F1世界選手権第17戦 日本グランプリ

F1を見るためにはじめて鈴鹿サーキットへ足を運んだのは大学生のときで、新人のフェルナンド・アロンソがミナルディを走らせていた年だから、つまり2001年と決定できる。昔は日本GPといえばシーズンも押し迫った時期におこなわれるものだった、ひょっとするとこの年は最終戦だったろうか。ああ、だからなのか直前になってジャン・アレジが突然に引退を表明して、中日スポーツはモータースポーツ面の多くを惜別に割いていたのだ。それを友人と2人読みながら名古屋駅で近鉄電車に乗りかえサーキットへと向かう、記憶がたしかなら快晴の金曜日。日本で人気の、しかもこのときジョーダン・ホンダに乗っていたドライバーが臨む文字どおり最後のレースに対する餞にと他のチームがさて手を抜いたのか、午後のフリー走行でトップタイムを記録して、翌日の中スポはやはりアレジ一色になった。たぶん1分35秒4だか6だか、それくらいのラップだったと、ぼんやり数字を覚えている(まったく記憶違いの可能性もある)。たしか前年のポール・ポジションより速かったから上々ではあるはずなのだけれど、もちろんF1の進化はそんな甘いものではなく、みんなが本気になった――のだろう――予選が始まるととたんに1秒も2秒も更新されてアレジは集団に埋没し、60分後にはすでにチャンピオンを決めていたミハエル・シューマッハが大方の予想どおり驚嘆すべき速さで1位になっていた。やがて成し遂げる選手権5連覇の2年目、いまとなっては追憶の彼方に去ったフェラーリ黄金時代の一頁といったところだ。アロンソはといえば万年最下位のミナルディにあってすでに注目を集める存在だった、なるほどその才能は素人目にも明らかで、ホームストレートから臆する素振りもなく1コーナーへと飛び込み、2コーナーに向かって一気に減速しながら旋回する後ろ姿の妖艶な滑らかさが、チームメイトのアレックス・ユーンとまるで違っている。彼のコーナリングの軌跡はまったく歪みなく一本の曲線を描き、ちょっと見ただけなのに、僕と友人はとんでもないのがいる、あれはものが違うと囁きあう、いやちがう、耳の調子がおかしくなるくらいに甲高く響くエンジン音の隙間を縫って怒鳴りあうほどだった。実際タイムはすばらしく、予選ではアロウズとプロストを上回ったはずだ(Wikipediaあたりで確認すれば正確な記録はすぐわかるが、あえて調べずにおこう)、繰り返すとミナルディ、往時を知っている人なら「あの」と自然に付け足したくなるチームで。それはあの年に何度かテレビで見た場面ではあったのだけれど、あらためて目の当たりにしたときの衝撃といったらなかった。僕はアロンソを、たった4年後に世界王者となる同い年の走りを目にして、専門知識のないただの観客であっても、そこにいるだけでなにかが「わかる」ことはあるのだと知ったのだ。これだけで、当時住んでいた木造アパートの家賃に匹敵する大枚を叩いてA席に座った意味はあった。
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関口雄飛とストフェル・バンドーンは日本で出会う、あるいは奇妙で魅惑的な、僕たちのスーパーフォーミュラ

CHAPTER 1

2016年9月25日に決勝が行われるスーパーフォーミュラ(SF)第6戦を前にして、観客がレースへと寄せる期待はさほど大きいものではなかっただろう。はたしておもしろいレースになるのだろうかという疑問はあって当然だった。まずもって、SFそのものが全体的にレース中の順位変動が少ないシリーズという前提がある。今のF1のように年間を通して1チームが独走することこそないものの、週末単位で見ると意外なほど上位の順位が固定されたまま終わる――速さを見つけたチームはたいてい日曜日の夕方まで速い――傾向が強い。今季ここまで、ややこしい展開になったのは7月の富士と9月の岡山レース2くらいで、それ以外の開催ではどこも予選3位以内のドライバーのうち2人は表彰台に登っている。6戦のうち5戦はホールショットを決めたドライバーがそのまま優勝した。もとよりSFとはそういうものだ。使用される車輌SF14は随所に工夫が凝らされ、コーナリング速度だけならF1を凌ぐとさえ言われるほど機敏な挙動を見せつつ、現代の高位フォーミュラカーとしては追い抜きもしやすいと評価される優れた車だが、そうはいっても空力依存的な設計の宿命から逃れられるわけもなく、オーバーテイクシステムの効果も限定的のため、当初喧伝されたほど至るところで順位が逆転する場面を演出してくれるほどの舞台装置ではないことは知れ渡っている(もちろんこれは「速い車ほど最初から前にいる確率が高い」というレースの構造的な本質にもよる)し、まして肝心の舞台のほうが直線は短くコース幅も狭いスポーツランドSUGOだ。派手な劇が繰り広げられる展開を望んでも詮ない。シーズンも最終盤に差し掛かった選手権の帰趨に興味を向けるにしても、それはサーキットの上に現れる戦いとはまた文脈が違う。どこからともなく現れてレースに波瀾を巻き起こす「菅生の魔物」もどうやら最近はSUPER GTのほうにご執心のようである。数台がスピンしてリタイヤする程度の揺らぎや、菅生らしくセーフティカーが導入される事態くらいはありえても、結局のところは今回も1周目のターン1を制した者がそのまま優勝するのだろう。68周のレースはじゅうぶん長い。だがチェッカー・フラッグが振られるのが7周目だろうと41周目だろうと、さして順位は変わらないはずだ。
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ホンダF1はその精神によって自らを空虚にしている

 2015年のF1は昨年に引き続きメルセデスAMGが圧勝を演じるさまを延々と繰り返しながら閉幕したが、一方で他のメーカーから遅れること1年、満を持して新規則パワーユニット(2014年に新規導入された、ターボエンジンとエネルギー回生システムを組み合わせた統合動力源)をマクラーレンに供給する体制で参戦したホンダは惨憺たる成績に終わった。無惨な一年だった、といっても差し支えないだろう。マクラーレンからしてホンダと組む以前より苦戦する傾向にあったとはいえ、いやだからこそ新しい関係となる2015年を再起の始まりの年と位置づけてフェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンの王者2人を揃えたにもかかわらず、入賞は合わせてわずか6回、コンストラクターズ部門でメルセデスから離されること676点の27点に留まり、下にはマノーを見るだけの10チーム中9位に沈んだ。「マクラーレン・ホンダ」といえば、アイルトン・セナとアラン・プロストを擁して16戦15勝を記録したあの1988年から始まる愛憎入り交じりながらも栄光に満ちた5年間を思い出すファンも多かろうが、あれからはや四半世紀ほどが経った今、その名の響きに対する甘美な郷愁は、まさに当時の彼らを髣髴とさせるメルセデスの圧勝を羨望の目で見るしかないままに裏切られ続けたのだった。あとに残ったのは膨れ上がった失望と、それに伴う教訓と、わずかに拠り所とするしかない来季への希望だけだ、といってみたくもなる。
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小林可夢偉は10年遅れのヤルノ・トゥルーリだったのだ――さよなら大好きなフォーミュラ1

 2014年のF1が閉幕を迎えると、当初から予想されていたとおり、グリッド上唯一の日本人ドライバーだった小林可夢偉はそのシートを失った。ケータハムの車はサーキットでつねに最も遅く、その中で小林はチームメイトの新人マーカス・エリクソンを圧倒し、時に予選でライバルであるマルシャのマックス・チルトンを破る抵抗も見せたが、最後尾でのささやかな活躍が2015年のシートに繋がる可能性を信じられた人はたぶんほとんどいなかったし、事実移籍先を見つけられることなく、日本のスーパーフォーミュラへと戦いの場を移すことになった。2012年に一度シートを失い、細い糸をかろうじて手繰って手に入れた居場所の、再度の喪失である。近年の情勢からいって復帰への道はきわめて厳しく、彼のF1での戦いにはひとまず終止符が打たれたと言わざるをえない。新たな世代がのし上がってこないかぎり、日本人ドライバーのいないF1サーカスはしばらく続くことになる。
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2014年F1参戦ドライバーの仮定スーパーライセンスポイント

この記事は、別掲「小林可夢偉は10年遅れのヤルノ・トゥルーリだったのだ――さよなら大好きなフォーミュラ1」の参照ページです。2016年度からスーパーライセンス交付基準に下位カテゴリーの実績に応じて付与されるポイントが適用されるとの決定に合わせ、2014年に参戦したドライバーがF1デビュー直前の3年間でどれだけのポイントを獲得したかを推計しました。詳しくは本文を参照していただきたいのですが、ペイドライバーと言われている若手の多くが基準の40点をクリアしている一方で、チャンピオン経験者がハミルトンを除いて軒並み達していないのが興味深いところでしょう。

■セバスチャン・ベッテル(07年デビュー)
06年 F3ユーロシリーズ(ヨーロッパF3の前身) 2位(30点)
05年 F3ユーロシリーズ 5位(8点)
04年 フォーミュラBMW 1位(0点)
計38点→×

 

■ダニエル・リカルド(11年デビュー)
10年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)
09年 英国F3 1位(10点)
08年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)
(※2011年フォーミュラ・ルノー3.5 5位)
計37点→×

 

■ルイス・ハミルトン(07年デビュー)
06年 GP2 1位(50点)
05年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)
04年 F3ユーロシリーズ 5位(8点)
計98点→◯

 

■ニコ・ロズベルグ(06年デビュー)
05年 GP2 1位(50点)
04年 F3ユーロシリーズ 4位(10点)
03年 F3ユーロシリーズ 8位(3点)
計63点→◯

 

■フェルナンド・アロンソ(01年デビュー)
00年 国際F3000(=GP2相当?) 4位(20点)
99年 フォーミュラ・ニッサン(国内F3相当?) 1位(10点)
98年 カート(0点)
計30点→×

 

■キミ・ライコネン(01年デビュー)
00年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 7位(0点)
99年 フォーミュラ・ルノー2.0 英国ウインターカップ 1位(0点)
98年 カート(0点)
計0点→×

 

■ロマン・グロジャン(09年デビュー)
08年 GP2 4位(20点)
07年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)
06年 F3ユーロシリーズ 13位(0点)
計60点→◯

 

■パストール・マルドナード(11年デビュー)
10年 GP2 1位(50点)
09年 GP2 6位(8点)
08年 GP2 11位(0点)
計58点→◯

 

■ジェンソン・バトン(00年デビュー)
99年 英国F3 3位(5点)
98年 英国フォーミュラ・フォード 1位(0点)
97年 カート(0点)
計5点→×

 

■ケビン・マグヌッセン(14年デビュー)
13年 フォーミュラ・ルノー3.5 1位(30点)
12年 フォーミュラ・ルノー3.5 7位(3点)
11年 英国F3 2位(7点)
計40点→◯

 

■ニコ・ヒュルケンベルグ(10年デビュー)
09年 GP2 1位(50点)
08年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)
07年 F3ユーロシリーズ 3位(20点)
計110点→◯

 

■セルジオ・ペレス(11年デビュー)
10年 GP2 2位(40点)
09年 GP2 12位(0点)
08年 英国F3 4位(2点)
計42点→◯

 

■エイドリアン・スーティル(07年デビュー)
06年 全日本F3 1位(10点)
05年 F3ユーロシリーズ 2位(30点)
04年 F3ユーロシリーズ 17位(0点)
計40点→◯

 

■エステバン・グティエレス(13年デビュー)
12年 GP2 3位(30点)
11年 GP2 13位(0点)
10年 GP3 1位(40点)
計70点→◯

 

■ジャン=エリック・ベルニュ(12年デビュー)
11年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)
10年 英国F3 1位(10点)
09年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)
計37点→×

 

■ダニール・クビアト(14年デビュー)
13年 GP3 1位(40点)
12年 フォーミュラ・ルノー2.0 Alps 1位(10点)
12年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)
11年 フォーミュラ・ルノー2.0 NEC 2位(7点)
11年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(5点)
計69点→◯

 

■フェリペ・マッサ(02年デビュー)
01年 ユーロF3000(AUTO GPの前身) 1位(0点)
00年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 1位(10点)
99年 フォーミュラ・シボレー・ブラジル 1位(0点)
計10点→×

 

■バルテリ・ボッタス(13年デビュー)
12年 なし(ウィリアムズのテストドライバー専念)
11年 GP3 1位(40点)
10年 F3ユーロシリーズ 3位(20点)
計60点→◯

 

■ジュール・ビアンキ(13年デビュー)
12年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)
11年 GP2 3位(30点)
10年 GP2 3位(30点)

計80点→◯

 

■マックス・チルトン(13年デビュー)
12年 GP2 4位(20点)
11年 GP2 20位(0点)
10年 GP2 25位(0点)
計20点→◯

 

■小林可夢偉(09年デビュー)
08年 GP2 16位(0点)
07年 F3ユーロシリーズ 4位(10点)
06年 F3ユーロシリーズ 8位(3点)
計13点→×

 

■アンドレ・ロッテラー(14年デビュー)
13年 WEC LMP1 2位(30点)
13年 スーパーフォーミュラ 2位(15点)
12年 WEC LMP1 1位(40点)
12年 フォーミュラ・ニッポン(SFに相当) 4位(7点)
11年 フォーミュラ・ニッポン 1位(20点)
計112点→◯

 

■マーカス・エリクソン(14年デビュー)
13年 GP2 6位(8点)
12年 GP2 8位(4点)
11年 GP2 10位(2点)
計14点→×

 

■ウィル・スティーブンス(14年デビュー)
13年 フォーミュラ・ルノー3.5 4位(10点)
12年 フォーミュラ・ルノー3.5 12位(0点)
11年 フォーミュラ・ルノー2.0 14位(0点)
計10点→×

ビアンキはペナルティを無視していない

 F1モナコGPでジュール・ビアンキが9位入賞を果たし、マルシャは前身のヴァージン・レーシングから数えてF1参戦5年目にしてついにポイントを獲得しましたが、この結果について、わたしのツイッターTL上ではいくつか疑問と不満が渦巻いていました。中継で川井一仁氏が発言したことも多分に影響していたのでしょう、いわく、「ビアンキはペナルティを消化していないのではないか」というものです。仮にビアンキが本来科されなければならない罰則に従っておらず、レース走破タイムに大きな加算があったり、最悪レースから除外されることになったりした場合、今度は逆にマーカス・エリクソンが10位入賞となり、ケータハムが初ポイントを獲得することになるのですから、これは下位でたったひとつの順位争いにしのぎをけずる両チーム、ひいては唯一の日本人ドライバーである小林可夢偉の未来にとっても重要なことです。日本のF1ファンにとって大きな関心事であったことは想像に難くありません。

 結果としてビアンキは決勝終了後、「レースタイムに5秒加算」という罰を受けて8位入線から9位へと順位を落とし、最終順位が確定しました。この処分でビアンキが不当に得をしたと思っている人も多いようです。彼がレース中に科せられた罰則は今季新しく導入された「5秒ペナルティ」でしたが、ペナルティなのだからピットに戻って5秒停止しなければならない=ピットレーンでの時間ロス+5秒静止で約25秒を失わなければならないのに、タイム加算は5秒しかなく、ほとんど損をしていないと、そういう理屈をしばしば見かけます。小林自身もそのように語っていたようですが、まず結論を言ってしまえば端的に誤解です。ビアンキは不当に得をしたわけではなく、規則の穴を突いたわけでもなく、規則が予定したとおりに行動し、規則が予定したとおりの罰則を受けて、ほんのすこしだけ順位を落としたのです。2014年F1スポーティングレギュレーションを紐解きながら、そのことを見ていきましょう。

 

【2014 FORMULA ONE SPORTING REGULATIONS】
(http://www.fia.com/sites/default/files/regulation/file/1-2014%20SPORTING%20REGULATIONS%202014-02-28.pdf)

 とその前に、この件についてはレース後、わたしがツイッターでフォローしているクル氏(https://twitter.com/Sdk0815)が詳細な説明をなさっています(この記事を書くにあたっても参考にさせていただきました。この場を借りて感謝申し上げます)。またAUTO SPORTS Webでも関連記事が配信されており、やや焼き直しの感もありますが、まとめておくことも無駄ではなかろうということで公開することにします。
 
 さて前述のように、今回のビアンキはスタート位置の異同という軽微な反則によって序盤に「5秒ペナルティ」が科せられました。これがどういうものかは、上掲リンク16条「INCIDENTS」(事故・事件)に書かれています。該当するのは3項a)で、以下のようなものです。

16.3 The stewards may impose any one of the penalties below on any driver involved in an Incident:
a) A five second time penalty. The driver must enter the pit lane, stop at his pit for at least five seconds and then re-join the race. The relevant driver may however elect not to stop, provided he carries out no further pit stop before the end of the race. In such cases five seconds will be added to the elapsed race time of the driver concerned.)
b) (略・ドライブスルーペナルティ)
c) (略・10秒ストップ&ゴーペナルティ)

If either of the three penalties above are imposed during the last three laps, or after the end of a race, Article 16.4b) below will not apply and five seconds will be added to the elapsed race time of the driver concerned in the case of a) above, 20 seconds in the case of b) and 30 seconds in the case of c).

(16.3 スチュワードはインシデントに関わったあらゆるドライバーに、以下の罰則のうちいずれかを科すことができる。/a)5秒ペナルティ:ドライバーはピットレーンに入り、自らのピットに少なくとも5秒静止してレースに復帰しなければならない。ただし、レース終了までにさらなるピットストップを行わないならば止まらない選択をすることができ、その場合レースタイムに5秒が加算される。(略)上記の罰則がレース残り3周以下またはレース後に科せられた場合、16.4 b)は適用されず、a) については上記と同様に(5秒)、b)(ドライブスルーペナルティ)については20秒が、c)(10秒ストップ&ゴーペナルティ)については30秒がレースタイムに加算される)

 
a) はほぼ丸ごと今季改正分です。もともとa) がドライブスルー、b) がストップ&ゴーでしたが、それぞれb) c)に移されました。a) →b) →c) と進むに従って重い罰則になるよう構成されています。
また後半に書いてある「16.4 b)」は、ペナルティをどのように消化しなければならないかを定めたものです。
 

16.4 Should the stewards decide to impose either of the penalties under Article 16.3a), b) or c), the following procedure will be followed :

a) 略
b) With the exception of Article 16.3a) above, from the time the stewards’ decision is notified on the official messaging system the relevant driver may cross the Line on the track no more than twice before entering the pit lane (略). However, unless the driver was already in the pit entry for the purpose of serving his penalty, he may not carry out the penalty after the safety car has been deployed.(略)

(スチュワードが16.3 a)、b)、c) の罰則を決定した場合、以下の手順に従う。/a)(略)/b)16.3 a) を除き、ドライバーはスチュワードの決定がオフィシャルメッセージシステムで通知されてから3周以内にピットレーンへと向かわなければならない(ピットレーンに向かう前に2回までコントロールラインを通過することができる)(略)。しかし、罰則を消化するためすでにピットに進入しているのでない限り、セーフティカーの導入中に罰則を受けることはできない(略))

 ペナルティが通告されたら、3周以内にピットレーンへと向かわなければならないとされています――ただし、article 16.3 a)=5秒ペナルティを除いては。要するに、ドライブスルーペナルティと10秒ストップ&ゴーペナルティの場合はすぐにレースから離れなければならないのですが、5秒ペナルティは自分のピットタイミングのときに消化すればよく、16.3 a) のとおりピット作業の予定がないならば、罰を受けるため「だけ」にピットレーンに向かう必要はありません。ビアンキはこの規則に忠実に服していたのです。

 この5秒ペナルティの処理については、規則意図を踏まえればすぐに理解されるでしょう。昨季までの規則だと戒告の次に重い処分はドライブスルーで、科されるといきなり20秒を失ってしまう厳しいものでした。逆に言えばスチュワードも相応の行為にしかペナルティを出すことができず、今回のビアンキのような軽微な違反については戒告で済ますしかなかったため、実被害はないも同然だったわけです。5秒ペナルティは、その隙間を埋めるために作られています。ピットボックスに停止後5秒間の作業を禁ずる(16.4 c))というのはなかなか妙案で、ここで5秒だけを失わせることによって「ドライブスルーは厳しすぎるが、戒告で終わらせてはやり得」と考えられる反則をしっかり処分できるようになりました。今季に入ってペナルティが増えていると感じられるとしたら、こういった罰則の細分化も影響しているかもしれません。

 5秒ストップは、タイムペナルティの項の先頭に挿入されたことからもわかるようにあくまで「ドライブスルーよりも軽い罰則」であり、ピット作業のついでに消化させるものというのが原則です。必要がないのにピットに戻すのではほぼ「ドライブスルー+5秒」のロスで逆に厳罰となってしまい、規則の精神に大きく逆らいます。なので、ピットに入らない場合はレース後に5秒を加算することで同等の罰則を実現しているのです。厳密に言えば、レース中の5秒静止とレース後の5秒加算ではトラックポジションを失いやすい点で前者のほうがやや重たいため不公平とは言えるかもしれませんが、(1)5秒の罰を与える適切な方法が他にない、(2)すべてのピットスケジュールを完了しているとすれば通常はレース終盤であり、影響はそれほど大きくない、(3)ドライブスルーやストップ&ゴーでも結局提示されるタイミングによって損得は生じる、といった観点から合理性の範囲は逸脱しないものと考えられます。そもそもピットに戻らないことを選べるのは「作業がない場合」であって、チームの裁量で決められるものではありませんし、条件はどのドライバーでも同じことです。反転可能性という意味では公平なものでしょう。

 ではこのペナルティを巡って、モナコGPにおけるビアンキの動きを見てみます。最初のスティントでソフトタイヤを履いた彼はスタート時にグリッドをはみ出した廉で序盤に5秒ペナルティを通告されます。前述のように、これは次のピットストップの際、5秒間無作業とすることで消化しなければなりません。ですが、彼が26周目にスーパーソフトタイヤへと交換するためピットインしたのはセーフティカー導入中のことでした。当然、規則によればここで消化はできず、ペナルティは次のピットストップに持ち越しとなります。

 しかし「次」は訪れませんでした。50周の超ロングスティントをスーパーソフトで乗り切るという勝負に出たビアンキは、レース再開後一度もピットに戻ることなく、見事チェッカーフラッグに辿り着いたのです。そして、実現しなかった5秒静止の代わりとして彼はレースタイムに5秒を追加され、ひとつだけ順位を落としました。もはや明らかなとおり、すべてが規則どおりです。不備を突いたわけでも、ペナルティを無視したわけでも、ましてそれに対してスチュワードが大甘な裁定を下したわけでもない。作業がなかったからピットには入らず、ピットで消化できなかったからレース後にタイムが加算された。ただそれだけのことでした。得したことはまったくありません。

 マルシャが規則を守るつもりだったことは、ビアンキが唯一のピットストップを行った際に5秒間無作業静止してしまったミスが証明しています。セーフティカー中はペナルティを消化できないのに、うっかり無意味に止めてしまったわけです。当然スチュワードがこれを認めるわけがなく、61周目に「Bianchi under investigation for serving five second stop/go under safety car」セーフティカー中に5秒ペナルティを行ったことについて審議となり、66周目にあらためてペナルティを受けるように通告が出されます。川井氏はこれと他チームの「ビアンキにはペナルティがある」という無線によってピットに戻らなければならないと勘違いしたと思われ、TLも騒がしくなっていったわけですが、最初のペナルティが持ち越されただけのことですから、もちろんその必要はありませんでした。仮に戦略に失敗してスーパーソフトが持たず、再度のタイヤ交換を余儀なくされていたとしたら、そんなもしもの世界で行われたレースではきっと静かに5秒間止まるビアンキの姿を見られたことでしょう。

 

 最後に、ビアンキは36周目にラスカスで小林可夢偉をオーバーテイクする際、ぶつけながらインをこじ開け、相手の車を壊しています。前に出たビアンキは入賞を果たし、逆にフロアを含めて車の右半分を大きく壊した小林はまともに走れなくなったわけですから、結果的にこの瞬間が彼らの明暗をわける岐路になりました。これに対してわたし自身は特段強い感想を持っていません。レースによくある場面のひとつに過ぎないとは思っていますが、一方で怒る人が(特に小林ファンの中で)いるのも理解できます。しかしひとつたしかなのは、この場面はビアンキのペナルティには一切関係がないということです。モナコであったいくつかの審議のなかに、小林とビアンキの接触は含まれていないはずです。見逃したのか、軽微な接触と軽く見たのかどうか、ともかくスチュワードはなんの行動も起こしませんでした。それはもしかすると見る人の正義にはかなわなかったかもしれませんが、審判の問題にならなかったことは正義とは別の単純な事実として存在します。接触とペナルティを合わせて捉えるのは正しくありません。

 このレースで日本のファンの一部はビアンキに対する心象を悪くしたかもしれません。ただ、ラスカスの場面についてはそれぞれの視点があることなので審議にしなかったスチュワードを含め正当な範囲で批判すればいいと思いますが、ペナルティに関して言えばビアンキもマルシャも不当なことはいっさいなかったということも把握しておいていいでしょう。いまの日本のF1にとって直接のライバルだけにいろいろな感情が混淆しやすいのはわかりますが、彼らに対してどういう立場をとるにせよ、現象を区別することは非常に有意義であるはずです、といったところで自分らしくない文章を閉じることにします。

遅すぎたフェルナンド・アロンソ

【2012.11.4】
F1世界選手権第18戦 アブダビGP
 
 
 たとえ観客という形でしか参加していなかったとしてもひとつの競技を長い間見続けていれば、だれもが退屈な夜にふと思い出したくなる光景をひとつやふたつ抱いているものだろう。モータースポーツにとって思い出されるべき瞬間は本当に短く儚いものだが、わたしが記憶の底から何度も引っ張りだして今なおこのように書きたくなってしまう場面のひとつが、2010年のF1世界選手権最終戦となったアブダビGPの51周目にある。ルノーのヴィタリー・ペトロフを追いかけていたフェラーリのフェルナンド・アロンソがターン18で小さくコースオフした、現象だけ見ればレースのうちに数回はありそうな、順位の変動も何もない些細なできごとである。

 このアブダビGPのことは当時も触れているが、ポイントリーダーとして臨んだアロンソが果たさなければならなかった使命がそれなりに容易だったことは多くの人が記憶していると思う。選手権3位のセバスチャン・ベッテルに対してはレースの4位入賞で無条件に上回り、2位のマーク・ウェバーを見ても8ポイント差を逆転されなければ――雑な言い方をすれば、1つくらいのポジションなら譲ってもよい――逃げ切れるというくらい、彼は優位な立場にいた。シーズン終盤に向けてベッテルが安定感を取り戻しつつあったのは脅威の一つだったかもしれないが、実際のところ、ライバルの動向に神経質にならず、自分なりの仕事を完遂すればそれでよかったはずのレースだった。

 しかしフェラーリは最悪のタイミングで最悪の一手を指す。明らかにスピードに苦しみ集団に埋もれかけ、早々と11周目にタイヤ交換を済ませたウェバーに対して過敏に反応し、まだ後続に対して十分なリードを築いていなかったアロンソを15周目にピットへと呼び寄せたのだ。開幕周に起きたミハエル・シューマッハとビタントニオ・リウッツィの事故を起因として導入されたセーフティカーがゆっくりと隊列を先導する間に、ペトロフがピット作業を済ませ、ふたたび集団に取り付いていた。すなわちひとたびペトロフの後ろになればコース上でオーバーテイクするしか順位を上げる方法がなくなるということであり、そしてヤス・マリーナはそれが困難なトラックとして知られていた。だからアロンソは、この危険な新人ドライバーに対して自分のピットストップで出し抜けるまでにリードを形成する必要があったのである。

 だがウェバーに先着するという一つ目の使命にだけ囚われたフェラーリは、ペトロフの背後にアロンソを戻してしまった。この愚直でばかげた判断ミスによって――その失敗を難ずるのは結果論だと議論が喧しくなり、結局最後にはアロンソ本人によって擁護されたものの、しかし進行中のできごととしてもありえない判断に感じられたことは当時書いたとおりだ――アロンソは集団に埋没し、4位という簡単な結果を取り逃がす。はたしてポールポジションからスタートしていたベッテルは悠々とレースを逃げ切り、アロンソには失意だけが残った。

 それを誤算と言うのは想定の甘さを意味するものでしかないが、ルノーの速さが想像以上だったことはたしかなのだろう。アロンソ自身にも早めに抜いておかなければ危機を招く懸念はあったと見えて、23周目にはターン11で到底止まれない深さからの無理筋なブレーキングを敢行してオーバーシュートするミスを犯している。実際に嫌な予感は当たる。ラップタイムでペトロフを上回っているのは明らかだったが、ヤス・マリーナ・サーキットと高性能のFダクトを備えたルノーの直線スピードの組み合わせはフェラーリのチャンスをことごとく摘んだ。アロンソはペトロフの背中に張り付きながら、無力に時間を浪費していった。

 51周目には、もう何もかもが手遅れだったのである。ペトロフに頭を抑えられているうちに上位のドライバーたちもピット作業を終え、悪いことにペトロフの前でコースに戻っていて、7位のアロンソはベッテルのトラブルを祈るしかなくなっていた。ターン18のミスはそんなときに起きている。全開のターン17から横Gを残しつつ直角の右へと切り込んでいくブレーキングで、アロンソはなかば自棄になったようにペトロフのインサイドを狙ったが、ドアはとうに閉じられていた。車速を十分に落としきれずにフロントウイングをペトロフのリアへと追突させんとする刹那、アロンソは左へと操舵しなおし、ドライバーの混乱のすべてを受け止めて推進力を失ったフェラーリF10はエスケープゾーンへと流れていった。

 もはや万策尽きていたのは、本人がもっとも理解していたことだろう。いまさら1台抜いたところで4位までの20秒を残り4周で追いつく術などありはせず、状況はなにひとつ改善しない。アロンソはすでに敗れた後だった。だからこそ、ということでもある。無意味な勇気によって犯されたミスは元王者の意地でも最後の抵抗でもなんでもなく、ただただ失望の顕れに見えた。そしてそれがモータースポーツの残酷で甘美な瞬間として、わたしを捉えて放さなかったのだ。

***

 あれから2年が経った。アロンソが置かれた状況は、どうも当時とあまり変わっていない。速さに勝るレッドブルが不調や単純なミスでポイントを失うわずかな隙を狙って、頭脳と集中力で局面を打開しながら僅かなリードを積み上げていくさまは、世界中から最高のドライバーであることを称賛されるにふさわしいことをたしかに証明している。しかし、劣勢を覆すために消費される集中力はたぶん1年を通しては続かない。シーズンが終盤に近づくと選手権を知り尽くし「すぎて」いる彼の保守性が頭を擡げる。速さで及ばない相手に局地戦を挑んで勝ちにいくのではなく、負けても傷を最小限に留めるレースに徹しようとしはじめる。それはたしかに所期の矮小な目論見どおり何度か成功するのだが、小さな傷に安堵しているうちに気づけばリードは小さくなっており、最後にはレッドブルの、というよりはベッテルの爛漫なスピードに袈裟斬りされて致命傷を負うことになる。2年前にそうやって敗れ、2012年もまたそうなろうとしていた。

 失うものがないときには搦手からでさえ勝利を引き寄せる一方で、守るべき地位ができると過度に守勢に回ってその場を凌ぐことが目的化され、しばしば最終目標を見誤る。2012年は、アロンソの長所と短所がわかりやすく凝縮された、彼のキャリアを存分に象徴する年として記憶されることだろう。シーズン序盤はライバルの不調にも乗じて長らくポイントリーダーの座にいたものの、秋口に入ってベッテルがスピードを取り戻すと追い込まれたように貯金の取り崩しを始めてしまった。しかも、2年前と違ってシーズン途中にポイントを逆転されたにもかかわらず、その後もアロンソから聞かれる言葉は「We limited the damage.」といった類のものばかりで、反攻に転じる姿勢を見せる気配すら窺えない。頑迷な保守性はしばしばレースに臨む態度を硬化させ、柔軟な対応と勝利のための勇気を阻害する。この時期のアロンソは――フェラーリが勝てる組織ではなくなっていたという環境以上に――勝てるドライバーではなく、なにかの拍子に幸運が転がり込んでくるのを待つばかりだった。
 ベッテルがチームの失態によって予選結果を剥奪されてピットスタートに甘んじたアブダビは、アロンソにとって実際に訪れた最後の希望だったとは言える。だが、希望だったからこそレース中盤までの彼は冒険のないドライビングに徹し、リスクを取って失策を犯した相手に最大限のダメージを与えるような動きを見せることがなかった。たしかにフェラーリの戦闘力がそれを許すレベルにはなかったのも事実だろう。だがそれにしても、勝利への意志をドライビングから感じることはできなかった。畢竟、臆病とも言い換えられるほど保守に徹しすぎた報いをアロンソは受ける。週末突出して速かったマクラーレンのルイス・ハミルトンのリタイアなどに乗じて2位こそ確保したものの、ベッテルもまた39周目にセーフティカーが導入されたときには4位にまで浮上していたのである。ベッテルは自らの力で、「limited the damage」を完遂しつつあった。アロンソの可能性はほとんど閉ざされてしまっていた。

 アロンソが自分の位置を理解したのは、ベッテルがバトンをパスしてついに3位へと浮上し、自分の背後に迫った残り3周のことだった。選手権を打開するには先頭のライコネンを捉えて優勝するしかなくなったアロンソは、タイヤの最後のグリップを使ってスパートをかける。だが2年前と同様に、もう遅すぎた。ライコネンとのギャップは回復が困難なほど大きく、54周目ターン20の凛々しいカウンターステアも、さらに最終ターンで見せたリアタイヤのスライドも、徒花のパフォーマンスに終わる。その矛先のない攻撃性はあのターン18とおなじ、状況への失望に思われた。最大のチャンスで3ポイントしか詰めることのできなかったアロンソは、最後にはベッテルの選手権3連覇を許したのである。