小林可夢偉は10年遅れのヤルノ・トゥルーリだったのだ――さよなら大好きなフォーミュラ1

 2014年のF1が閉幕を迎えると、当初から予想されていたとおり、グリッド上唯一の日本人ドライバーだった小林可夢偉はそのシートを失った。ケータハムの車はサーキットでつねに最も遅く、その中で小林はチームメイトの新人マーカス・エリクソンを圧倒し、時に予選でライバルであるマルシャのマックス・チルトンを破る抵抗も見せたが、最後尾でのささやかな活躍が2015年のシートに繋がる可能性を信じられた人はたぶんほとんどいなかったし、事実移籍先を見つけられることなく、日本のスーパーフォーミュラへと戦いの場を移すことになった。2012年に一度シートを失い、細い糸をかろうじて手繰って手に入れた居場所の、再度の喪失である。近年の情勢からいって復帰への道はきわめて厳しく、彼のF1での戦いにはひとまず終止符が打たれたと言わざるをえない。新たな世代がのし上がってこないかぎり、日本人ドライバーのいないF1サーカスはしばらく続くことになる。

 フェラーリの耐久レースドライバーという地位を擲ってまでF1を渇望した小林が、結局不本意なままその舞台を去らなければならなくなった事情について、釈然としない思いを抱いているモータースポーツファンは少なくないはずである。新人だったとはいえ小林に手も足も出なかったエリクソンが、曲がりなりにも上位のチームであるザウバーへの移籍を成功させたことを考えるとなおさらだ。どうしてこのような結末に至ってしまったのか、エリクソンにあって小林になかったものは何だったのか。それはもちろんファンにとって自明な常識だが、この記事ではそうした「自明」の部分を再確認することによって、歴代日本人の中でも最高の実績を誇るドライバーが28歳にして早くもグリッドから姿を消してしまったことを、実力や巡り合わせといった個別の事情に還元することなく、現在のF1で起こりうるひとつのきわめて典型的な事例として捉えようともくろんでいる。語る対象が小林である必要はかならずしもないが、それでも彼のキャリアに注目することは、現在のF1の一面を見ようとすることに繋がるはずだ。
 
 
 やや旧聞に属する話題だが、2015年1月7日、F1の統括団体である国際自動車連盟(FIA)が、2016年からF1出走に必要なスーパーライセンスの交付基準を厳しくすることを発表した。昨年12月の時点で定められていた「18歳以上、現行あるいは最近の車での300km以上のテスト、マイナーフォーミュラでの2年以上の経験」などといった基本的な規則に加え、下位カテゴリー選手権のランキングに応じて得点を付与し、過去3年の合計が40点を超えなければ原則として発行しないとする基準が整備されている(得点の詳細はたとえばESPNなどを参照)。この突然の発表の意図については、若すぎるF1ドライバーの量産にFIAが一定の歯止めをかけようとする措置だと解説しているニュースが多い。

 このニュースに対する人々の反応は、近年のF1におけるドライバーの低年齢化の激しさをよく表している。若手が増えたという印象はだれにでもあるだろうが、たとえば2014年開幕時のドライバー平均年齢を計算すると26.4歳で、2004年が27.2歳、1994年は28.3歳だったから、数字上も若返っていることは見て取れる。また昨季の場合は11チーム22人のうち10人が25歳にならず開幕を迎えており、その割合は1994年の5/28より圧倒的に高い。F1ドライバーは数が少なく平均値は当てにならないと言われるとそのとおりではあるものの、印象と数字が整合しているのはたしかだ。

 レーシングドライバーもアスリートである以上肉体的な若さは大きな武器といえ、たとえばアイルトン・セナがF1デビューしたのが24歳のときだったといえば、なるほど隔世の感もひとしおではある。この年齢でも当時としては十分に早いデビューだが、いまやそれより若いドライバーが全体の半分近くを占めているのだ。2005年のフェルナンド・アロンソがエマーソン・フィッティパルディ以来33年ぶりに最年少ワールドチャンピオン記録を更新してからたった9年の間に、ルイス・ハミルトン、セバスチャン・ベッテルと2度にわたってより年少の王者が誕生したことも、近年のF1が若さを加速させていることの象徴といえる。昨季はトロ・ロッソに乗る19歳のダニール・クビアトが開幕戦のオーストラリアGPで史上最年少入賞記録を打ち立てたが、早熟なロシアの才能もわずか1年でトップチームのレッドブル・レーシングへと移り、後釜には2015年開幕戦の時点で17歳のマックス・フェルスタッペンが据えられることが決まっている。これまでの最年少出走記録(2009年ハイメ・アルグエルスアリ:19歳125日)を2歳も更新することとなる2世ドライバーの誕生は、大きな驚きと困惑をもって世界中に伝えられた。

 かように若年化する一方のF1については、保守的な関係者のみならずファンのなかにも望ましく思っていない向きが多いようだ。いわく、規則の理解が不十分なドライバーはレースを荒らしやすいとか、年端もいかない子供が運転できるようではF1の権威が低下する、F1は難しいものでなくてはならないとか、そんな類の理屈が飛び交っている。実際に今の若手は事故が多い、才能を吟味されずにF1に来ているせいだ、といったような謂も――懐古主義的な言いがかりに思えなくもないが――しばしば聞く。モータースポーツは肉体を直接パフォーマンスとして出力するものではないから、若々しさより熟達した技術のほうが好まれる、といった事情もあるやもしれない。新規定は、これらの批判に対してFIAが打ち出したひとつの回答という側面もあろう。

 だがはたしてこの規定は、今のF1が抱えているとされる問題の一部を解決できるものなのか。これによってFIAは何を守ろうと、あるいは変えようとしているのか。それを探るために2014年のレースに出走したドライバーそれぞれについて、F1デビューの直前3年間に獲得したスーパーライセンスポイントを推計する(詳細を別記事に示した)と、評判のあまりよくない若手のほとんどは基準を満たしていることがわかる。下位チームの24歳以下で届いていないレギュラードライバーはジャン=エリック・ベルニュ(37点)とエリクソン(14点)だけだ。反対に、トップ層の多くは40点に達していない。現役ワールドチャンピオンのうち、セバスチャン・ベッテル(38点)、フェルナンド・アロンソ(30点)、ジェンソン・バトン(5点)、キミ・ライコネン(0点)は、新規定に基づけばライセンスが交付されず、F1参戦が少なくとも1年、下手すれば数年遅れることになる。昨季大躍進を遂げたダニエル・リカルド(37点)、11回の優勝を誇るフェリペ・マッサ(10点)、表彰台経験のある小林可夢偉(13点)も足りていない。ライコネンがF1に乗るまでフォーミュラレースを23戦しか経験しておらず、初めて交付されたスーパーライセンスが4戦に限定されていたことは有名な話だが、それにしても「0点」である。この規定が15年早く生まれていたら歴史のいくつかは確実に変わっていた、と言ってもまったく言い過ぎではあるまい。

 もちろん、現在のベテランである彼らが整備された下位カテゴリーに腰を据えて参戦していたとすればすぐにでも基準を通過したことは想像に難くないし、そもそも10年前、20年前と現在とではF1での成功に至る道筋がまるで違うのだから、その低得点をあげつらったところでたいした意味はない。ただそれでも重要なのは、新規定における「適切な経歴」を現在の若手が経ていること、その逆にアロンソ、ライコネン、バトンなどの経歴がいまの常識に照らし合わせてさえ異常な部類に入り、しかしF1に来たことが正しかったと証明するようにワールドチャンピオンにまで上り詰めた事実である。新規定下においては、むしろ彼らのような一足飛びの才能こそが割を食う。単純に想定すれば、近い将来のF1は風景を大きく変貌させたりしないわりに、王者になりうる才能の進出を遅らせ、最悪その芽を摘んでしまう可能性を抱えかねないということになる。経歴を指定し若さを制限したところで、スケールを小さくする結果に終わるだけかもしれないのだ。

 実際「10年前の若手」の多くが成功を収め、30代になった現在に至るまで存在感を放っている事実を鑑みるに、若さそれ自体が問題の本質でないことは明らかだ。おぼろげな印象の記憶でしかないが、バトンやライコネンのデビューは、もちろん若さへの懸念もあったものの、それ以上に下位カテゴリーの淀んだ戦いによって錆びついていない煌めく天才の出現として歓迎する声が多かったはずである。彼らと、ニュースを開けば批判にさらされている現在の若手とは一体なにが違うというのか。才能? たしかにそうかもしれない。しかしだとすれば、今度は凡庸がF1に横溢する理由を問わなければならなくなるだけのことである。われわれが考えているのはたとえばこんな理屈だ。後のチャンピオンは、フランク・ウィリアムズやペーター・ザウバーといったレース屋の名伯楽によって見出され、速さの対価としてF1を与えられた。だが今のドライバーがF1に支払っているのは能力ではない別のものだ、と。フェリペ・マッサはそういうある種のドライバーがシートを得るための行為を指して売春――どちらかといえば買春である気がするがそれはともかく――のようなものだという。19歳で獲得したレースシートをはや21歳にして失ったハイメ・アルグエルスアリの表現を少しばかり真似するならば、彼らはつまり、オークションの落札者であるにすぎない。

***

 現在のF1ドライバーの多く、特に下位チームに所属するほとんどが、チームから報酬を受け取るのではなく逆に大金を支払ってシートを得ている、いわゆるペイドライバーになったと言われて久しい。マッサの批判(ここで彼が巧妙なのは、自分が該当するであろう「ドライバーと個人的なスポンサーの関係」を排除していないことにあるのだが)はやや極端に映りもするが、一般的なプロスポーツにおけるチームと選手の関係と対極に位置する資金持ち込みの慣習が、F1から健全さを奪っているという批判は根強いものがある。母国の国家的支援を受けるパストール・マルドナードが最初に所属したウィリアムズに支払っていたとされるのが約3000万ポンド。たしかにこの額を腕一本でもたらすのは、持ち込み資金に食指が動く規模のチームの力ではなおさら、簡単ではないだろう。チームが運営費や車の開発費用、エンジン代金の支払いなどでつねに資金を欲している以上、差し出される大金を受け取る選択は合理的という他ない。またF1シートはあまねく競争原理にさらされており、その要素に「金の力」が含まれているだけだという考え方も、おそらく一面では正しい。しかし、飛び交う札束の陰でよりF1にふさわしい実力を持っていたかもしれないドライバーが夢破れている可能性を思えば、ペイドライバーが歓迎されざる侵略者であることもまた否定できない。F1がしょせんはヨーロッパの金持ちによる道楽だとわかっていても、道楽の中でぶつかり合うべき最低限の才能はあると、われわれは信じてもいる。できることなら、才能の妨げとなりうるペイドライバーが並ぶ数は少ないに越したことはない。しかしその望みに反して、現在のグリッドにはペイドライバー溢れすぎている、というのがいまの主たる批判だ。

 もちろんF1を知る者なら常識となっているとおり、これほど問題視されるはるか前、それこそ40年も昔から「シートを買う」ことでF1に乗るドライバーは、最下位争いに塗れる弱小チームを中心に一定数いた。過去の日本人F1ドライバーの多くはそうだったというし、7度のチャンピオンを誇るミハエル・シューマッハでさえF1デビューに際しては支援元のメルセデスから提供された資金をジョーダンに持ち込んでいるのだ。ただそれは全体から見れば一部でしかなく、才能ある選手が半ば強引にキャリアを作っていくための手段か、あるいはグリッドを賑わす枯れ木として、つまり逆説的にあこがれの舞台であるF1の華やかさを象徴するもののひとつとして存在していたはずだった。レースペースから5秒も6秒も遅れていたジャン-デニ・デルトラズや、史上最低のペイドライバーを自称する井上隆智穂の存在などは、時代に華を添える笑い話のように扱われたりもする。ペイドライバーはその程度の存在、あくまでジョーカー――道化という意味においても切り札という意味においても――であって、主流ではなかった。

 だがいまや、レースがない日の話題の中心はドライバーが用意できる資金のランキングと明日にも破綻しそうなチームの台所事情についてとなりつつある。新型パーツが十分に用意できないくらいならまだしも、人員整理に給与の未払い、怪しげなスポンサーの参入と予想どおりの撤退、ほとんど逃亡のような代表の交代、返済の見込みが立たない多額の負債、はては訴訟沙汰まで見せつけられれば、F1に危機を覚えないのはよほど鈍い人間か、どう転んでも自分の懐に金が入ってくるようにこの界隈を作り上げたバーニー・エクレストンくらいのものだろう。泡沫チームが現れては消えていった80~90年代とは違う。ニュースを見ていると、3分の2のチームは多かれ少なかれ資金を失う恐怖と対峙しなければならなくなっているようだ。

 過激な開発競争、対して一向に奏功しない費用削減策、不公正で不公平な分配金、なにより世界を襲った不景気の波によってチームの財政は悪化する一方になっており、足りない資金を補うために自然とドライバーの背後にいるスポンサー注目が集まっている。同じ速さならより多くの資金を持ち込めるドライバーに、いや少しくらい遅くても金を持っているならそのほうがいい。アルグエルスアリが言うように、F1シートはまさしくオークションの商品、それもとびきりの最高級品となってしまった。その買い手たるペイドライバーの増加は、F1にまつわる金の問題のいわば象徴といえよう。そしてもうひとつ。FIAがライセンスポイントを導入するほど若年化が懸念されるようになった原因も、元を正せばここに行き着くはずである。なぜならペイドライバーは基本的に若いものと推測されるからだ。

 一般論として考えてみよう(*)。ある程度の年齢を過ぎてなお生き残っているドライバーはそれだけの価値を証明し終えて数少ない「報酬を受け取る」側になっており(フェルナンド・アロンソ、ジェンソン・バトンなど)、また、年齢を重ねても最上級レベルまで上がれなかったドライバーはチームを満足させられるほどのスポンサーを望みにくい(小林可夢偉、ヘイキ・コバライネンなど)ことが想像される。だとすれば、スポンサーから継続的な支援を取り付けているのでないかぎり、F1シートを買う名目でより多くの資金を引っ張りだしてきやすいのは、なにも証明していないことを逆手に取って無限の可能性をアピールできる下位カテゴリーの若者なのである。商売というのはそんなものだ。現在の実力ではなく、未来への期待感に対してのほうが大きな金は動きやすい。

 われわれはしばしば既知のものを侮り、未知の存在を過大に評価しがちだ。多くのスポーツファンは、競技がなんであれ贔屓チームのスタメンに居座り続けるベテランを外し、ベンチでくすぶっている(ように見える)若手を使うよう望んだことがあるだろう。「最悪のクォーターバックはいまそこでプレイしている」(The wrong quarterback is the one thats in there)などといった言葉もあるくらいだが、ここには控え選手が本当は先発より劣っていたとしても、「最悪」なのはつねに既知である「いま」でしかないという皮肉が込められている。3年間勝てなかったドライバーと3年後ワールドチャンピオンになれるかもしれないドライバーを選ばなければならなくなったとき、たとえ真の実力は前者がはるかに勝っていたとしても、視線が注がれるのはもはや後者に違いない。いまのF1でも、中堅に差し掛かったドライバーの方が資金集めに苦労している姿は往々にして見られる。小林とエリクソンの関係はまさにその典型であり、資金力はかならずしも実力と釣り合うわけではない。それはむしろ若さという未来への期待感によって増大していくものなのだ。

 ただ若さと資金力が相関するというここまでの推測がある程度的を射たものであったとしても、これでは2014年における問題の半分しか説明していない。10年前に同様の若いペイドライバーがいなかったわけではない、というのは適切な言い方ではなく、それどころかジャガーを走らせていたクリスチャン・クリエンは後にそこを買い取ってチャンピオンチームとなるレッドブルの支援を受けていたといった事実などがあり、そしてそういう存在に対して苦言を呈するデビッド・クルサードのようなベテランもいた。そこだけ切り取ってみれば何が違うわけでもない。だがそれでもペイドライバーはいまほど明白な危機として受け止められておらず、あいかわらず一部分の現象だった。そんなふうに金を払ってF1に上がってくる若者に対して基準を与え篩にかける仕組みも、まだ自然のうちに機能していたからだ。仮に昔といまのF1に差異があり、現在こそ批判されるべき対象だとするなら、その部分が根底から失われているからのように思われる。山の頂上と裾野との乖離が激しくなっているとされるいま、その間を繋ぐ場所をこそ見なければならない。すなわちペイドライバーを含む麓からトップドライバーへ到る山の中腹にあり、F1の序列を支えていた構造的存在――中堅チームの存亡の行方こそ、いまの、今後のF1を読むうえで重要な鍵なのである。
 
***
 
 F1のシートはチーム数×2、現在なら22しかない中での奪い合いだ。当然、資金力豊富な若手が増えれば増えるほど、押し出されるようにして居場所を失う中堅のドライバーもまた増えることになる。近年そういったドライバーの代表格といえば、日本人なら小林をいの一番に挙げるだろうし、他にも優勝経験を持ちながらレースを走れずにいたコバライネンや、シーズン途中でシートを奪われロータスと契約確認訴訟手前までいったニック・ハイドフェルドといったあたりを思い起こせる。

 グリッドを賑わすにふさわしい実力を持ちながら資金の持ち込み争いに敗れてシートを逸したとされる彼らだが、もし同じ立場でたとえば10年前にサーキットを走っていたなら、現在ほどの苦境に陥ることなく、経歴に応じた働き場があった可能性は高い。表彰台には届かないまでも1ポイントを懸けて熾烈な順位争いにしのぎを削るプライベーターや、歴史は浅いながらスポンサーを必要としない豊富な資金力で優勝争いを目論むワークス系のチームがひしめき、経験豊富でレースが巧みなドライバーを欲していたからである。1990年代後半から2000年代にかけてのジョーダン、ベネトン、ザウバー、B.A.R、ホンダ、スチュワート、トヨタ、ジャガーといったチームは、腕一つで優勝を奪い取るまでは望めなくとも、車の性能を引き出して開発を正しい方向に導いてくれる人材を好んで起用して手堅くポイントを重ね、また若手と呼ばれる時期を終えながらキャリアの階段を上りきれなかったドライバーのほうも、そういうチームを渡り歩いて渋く長く活躍した。当時の中堅チームにとって、信頼性の高い安定したドライバーと若い(ペイ)ドライバーの構成は理想的な組み合わせと言われていた。シートを失うまでのハイドフェルドはまさに典型的な中間層のドライバーだったし、小林もドライビングスタイルからしていかにもその役が似合いそうである。

 中堅チームから頼りにされて長く居座るドライバーは、自らチャンピオンとなるほどの才能にまでは恵まれなかったかもしれないが、安定した実力によって次々とやってくる後輩たちの基準となることで価値を示した。彼らより遅い新人はいつとも知れずF1から去り、彼らを速さで圧倒した若者はあっという間にトップチームへと駆け上がった。そしてそうした忙しない入れ替わりのサイクルをよそに、彼ら自身は基準であるがゆえにゆったりとした時間を過ごし、十分に年を重ねてからようやく、新しい基準となるまでに成長したかつての若手にシートを譲る。通算GP出走数の記録を見ると、上位には偉大な王者よりも2番手級のドライバーが数多く名を連ねていることに気づくはずだ。中間層が長い時間を戦ってきた歴史がそこから垣間見える。

 弱くはないが完璧でもない多くのドライバーを中堅チームは確実に欲してきたし、ドライバーのほうもそこで立場を確立できることには意味があった。何よりファンにとってもそういう存在を意識し続けられることは幸せだった。それに、ときには大きな報酬が舞いこんでもきた。登山者を見送る山小屋の管理人のようなレース人生を送っているうちに、ジャンカルロ・フィジケラやヤルノ・トゥルーリなどは表彰台の頂点に辿りつき、ルーベンス・バリチェロはフェラーリの黄金時代を支えるまでになった。いまやすっかり最高のドライバーの一人として数えられるジェンソン・バトンにだってそんな時代があった。日本人モデルを妻に持つこの色男は初優勝までじつに113戦を要し、チャンピオンになったときにははじめてF1レースを走ってから10年が経っていたのだ。彼らは長い時間の功績を称えられて観客から愛され、その勝利を美しいお伽話として心に響かせた。雨に溶けたバリチェロの涙はもちろん、トゥルーリの初優勝のときに片山右京が声を詰まらせ、バトンが表彰台に君が代を届けた際に今宮純が号泣したことを覚えている人も多いはずだ。だれもが温かい眼差しを向ける表彰台――「おもしろいF1」と呼ばれるものの何割かは、こういったいぶし銀の活躍が確実に支えていたのだった。

 しかしいま、彼らのようなドライバーが生きる道は限りなく細くなっているように見える。フィジケラもトゥルーリもデビューから初優勝までに7年もの時を過ごしたが、ふたりが(スポンサーを持たない)現代のドライバーだったとしたなら、はたしてそこまでF1にいられたかどうか確信は持てない。うまくスポンサーを見つけたとしてもより多額の資金を持ち込む若手に押し出されていたかもしれないし、事実トゥルーリの現役生活はそのようにして終止符が打たれた。逆にいえば彼らの「もしも」が具現化し、似たような経歴を歩めたかもしれないのに実際に押し出されたのが小林だという見方ができる。過去の中堅的ドライバーの最初期の成績と小林のそれとの間に、はっきりとした優劣を付けられるほどの大きな隔たりがあるようには思えない。にもかかわらず、かたや10年以上にわたってF1を運転し続け、かたや実質3~4年でF1から去らざるをえなかったのは、ともに中堅チームの存在によってだったといってもよい。トゥルーリたちが個性豊かな中堅の存在によって支えられた一方で、小林の時代にそれを受け入れられるだけの余裕はなくなっていた。その場所は、もうペイドライバーによって占められてしまったのだから。
 
 では中堅チームはいまどのように振る舞っているのか。小林やかつてのトゥルーリに代表される中間層のドライバーを使おうとしなくなっている状況は、平均年齢をあらためて見るとおぼろげながら感じられる。冒頭に2014年、2004年、1994年の3つの年度におけるドライバー平均年齢(開幕時)を掲げたが、これをさらに「その年コンストラクターズ部門5位までに入ったチーム/6位以下のチーム」に分割してみよう。

 ■2014年 28.4歳/24.8歳
 ■2004年 28.0歳/26.4歳
 ■1994年 28.5歳/28.2歳

 分母が小さくちょっとしたドライバーの入れ替わりで数字も変わってしまうため、参考程度の計算であることは容赦してほしい。ただ上位チームのドライバーの年齢が20年間でまったく変わっていないという結果は、感覚的にも納得がいくように思われる。目につくのはやはり下位チームの若年化だ。20年前は上位とほぼ同じ平均年齢だったのが、現在は3.6歳差まで拡大している。結局「F1ドライバーの低年齢化」という問題は、すなわち(いまのところは、まだ)「F1下位チームのドライバーの低年齢化」を指していることがわかる。

 エントリーリストをもう少し仔細に見ていくと、じつのところ最年少階級の年齢という点では2004年も2014年も大差ない。昨季開幕時点で19歳だったクビアトにはさすがに及ばないとはいえ、10年前にも21歳のクリエン、22歳のマッサ、(上位ではあるが)アロンソなどがいて、1994年に対して平均を押し下げる要因となっている。最大の異同は、クリエンのジャガーにせよマッサのザウバーにせよ、もうひとつのシートに5歳以上年の離れた先輩を据えて、チームのバランスをとっていたことだ。先述したようにこれが中堅チームの理想的な構成だったことは論を俟たない。30歳と22歳の組み合わせならば平均は26歳。そこまで単純な話ではないが、2004年のF1には経験と若さの混成によって戦ういかにも中堅といった風情のチームが多数あったのである。

 対して2014年になると、チームメイト同士の年齢差がぐっと縮まっている。エステバン・グティエレス(22歳)の同僚にエイドリアン・スーティル(31歳)を起用したザウバーだけは9歳差だが、あとは軒並み3歳差前後だ(そのスーティルも昨季限りで契約解除となり、ザウバーの2015年は24歳のエリクソンと22歳のフェリペ・ナスルが乗ることが決まっている)。最年少がわずかに下がっただけにもかかわらず平均年齢が大きく低下しているのは、先輩格のドライバーもまた25歳程度まで若くなったからに他ならない。つまり最近10年間の若年化とは、たんに若いドライバーの参入が激化しているのみならず、チームのエースを担う役割までもが若手に置き換えられた結果なのだといえる。2013年のシーズン25歳だったニコ・ヒュルケンベルグは、しかしザウバー・チームにおいてだれよりもグランプリ経験の豊富な人間だった。それほどまでにベテランがいなくなっているというひとつの証左だ。

 直感的に考えて、資金が潤沢な強豪チームは実績あるドライバーを高報酬で雇い、弱小であればあるほどペイ≒若いドライバーに頼る動機は高まるはずだ。6位以下のチームにおける平均年齢の低下が、「1人の実力派+1人のペイドライバー」から「2人のペイドライバー」への移行という流行をそのまま表しているのだとすれば、そこから導き出される答えはつまり、「中堅」と呼べるチームの精神が次々と弱小へと転落していっていること、いまや中堅が崩壊しているというやるせない現実ではないか、言い換えれば、もうドライバー選択で強さを最優先に考えられるチームなど本当の強豪しかいないのではないか、ということである。

 2006年にトロ・ロッソへと引き継がれるまで長年にわたって最後尾を走り続けたミナルディと他チームのあり方がまったく違っていたように、本来、中堅チームの戦う論理と弱小のそれは明らかに異なる。しかし、われわれは入賞圏内を走れるはずのチームが弱小的に振る舞うのを、近年何度となく見ているはずだ。ハイドフェルドのシートはほとんどなんの前触れもなくブルーノ・セナのものになり、ジャン=エリック・ベルニュは「レッドブル-トロ・ロッソには速さ以外の論理がある」と恨み言を口にし、トゥルーリはチームの「つらい決断だった」というおためごかしの言葉とともに引退に追い込まれた。あるいはまた、F1シートを失った小林が復帰を目指して「交渉」しているといった真実味も定かでないニュースがしばしば流れたとき、決まってフォース・インディアかロータスの名前が挙がっていたのを想起してもよい。これは、資金がなく腕だけが頼りの中堅ドライバーとなっていた――もちろんザウバーとの関係が終わったとき小林はまだ26歳だったが、同僚はそれに輪をかけて若かった――小林にとって、契約を得られる可能性のある相手が、古きよき中位グループの残り香をかろうじて漂わせていたこの2チームしかありえなかった(仮にそれらのいくつかが飛ばし記事だったのだとしたら、適当な記事を書く記者が思い浮かべるのもまたその2つでしかなかった)ことを図らずも示唆している。

 しかしそもそもロータスは所属する2人とも最高額レベルのペイドライバーと言われ、にもかかわらず撤退危機がささやかれるほどの財政難にあるという。インドマネーを誇っていたはずのフォース・インディアでさえ資金絡みの問題が報じられることがあり、小林は2015年のテストドライバー交渉に際して「びっくりするぐらいの金額」を要求されたことを明かしている。逆に2年連続でワールドチャンピオンと経験のない若手を組ませていたマクラーレンは、苦戦も相まって新しい中堅になる可能性があったのかもしれないが、復帰したホンダを得てアロンソとバトンの両王者を揃え、トップチームとしての振る舞いを取り戻した。こうしてみると、トゥルーリが生き、小林が生きた可能性のあった「中堅チーム」などもうどこにも残っていないのかもしれない。「中位」で戦うチームがあったとしても、それはきっと「負けた強豪」と「ましな弱小」が荒野で争っている図式でしかないのだと、そうなってきているのだろう。そこで生きるドライバーたちもまた、トップへの急峻な崖を一気に駆け上がるか大量の札束で自分だけの休憩所を作るしか生き残る道はなくなってしまった。マルドナードが母国からの支援が打ち切られる噂が流れた瞬間に首の行方を心配される羽目になったのは、チームとドライバーの双方にとって、資金しか寄る辺がないことをよく意味している。

 弱小と強豪のはっきりとした二極化――腕のあるドライバーを生きながらえさせ、ファンに愛される基盤を作っていた中腹地帯が積み上げられた資金の質量に耐え切れず崩落したことで、緩やかな時間とともに美しい物語を綴った場所は失われた。結果としてF1は、本気で優勝を狙うか、目先の勘定だけを重視するか、2つのグループだけに分かれてしまった。結局、持ち込みの過熱がもたらした宿痾とは、実力不足の若いドライバーが蔓延することそれ自体ではない。F1は個人の戦いではなくまぎれもなくチームスポーツであるという議論は、皮肉にもここにさえ適用できてしまう。つまり大金がずたずたに切り裂いたのは、きっと強いドライバーを雇い入れて戦おうとするチームの情熱そのものだったのだ。そして切られた傷を情熱を取り戻すことによって治癒するのではなく、また新しい大金で塗り固めて塞ごうと繰り返しているうちに視線は帳簿へと集中し、レースに向けられていた熱量は失せていくしかなかった――。

 不景気はF1の責任ではないし、大量の人員を雇用しているチームが存続のことを第一に考えなければならないのは当然のことだ。それは理解している。しかしこのような事態に陥るまで手をこまぬいていた、それどころか手を打つ機会を葬ってきたのもまた、他ならぬFIAとチーム自身である。予算制限の実施は道筋すら立たず、開発・テスト規制やエンジン・ギアボックス使用数制限は何の効果も発揮しないままむしろ批判の対象になった。カスタマーシャシーひとつとっても足並みは揃わない。コンコルド協定を巡る綱引きの果てに5000万ユーロ程度の予算ではまともに戦うこともできないようにしたのは彼らであって、そこに同情を挟む余地は少ない。「いまのF1は金がかかりすぎる」と恨みがましく嘆息し、ペイドライバーの資金に引かれて自分自身の首を絞めているとしても、それは自ら招いてきた結果である。変革を期待するのもばからしくなってしまった。

 FIAがライセンスポイントの導入によって年齢と実績という入り口を設け、批判の多い若さを規制しようとしているのは、打開策の見当たらない現状に対するせめてもの弁解のようだ。しかし過去の王者たちがデビューした経緯がそうであったように若さや浅いキャリアはそれ自体が問題なのではなく、過度の若年化はF1にまつわる歪みが生んだ「出口の現象」である。それが単純な流行を超えたチームの弱体化の変奏であることをだれもが自覚しないかぎり、小手先の入り口規制でなにが解決するはずもない。2015年のドライバーラインナップに、われわれがほのかに心を寄せられるような、そこにいるだけで安心できるようなドライバーはどれだけ見つけられるだろう。ヒュルケンベルグはたしかにそうかもしれない。だが27歳にして苦労人の雰囲気を漂わせる彼が「最後の中堅ドライバー」になったとしても、けっしておかしくはない。バリチェロの涙を見る機会は、もう訪れなくなりつつあるのだ。

 この時代の流れは決意を持って堰き止めないかぎりまだ続くにちがいない。そんなふうにF1を俯瞰してみたとき、小林可夢偉はきっと大きなうねりに抗うことのできなかったドライバーのひとりとして浮かび上がってくる。もちろん彼自身の問題として、たんに実力が足りなかった可能性までを否定するつもりはない。キャリア構築にとってもっとも重要だったザウバー3年目の2012年にセルジオ・ペレスを下回ってしまったのだから、仮に何らかの待遇や運に差があったのだとしても、優勝劣敗の論理の前に敗れたにすぎないと言うことはできる。結局はトップチームが何をおいても引っ張りたいと魅了されるほどの才能を見せられなかった以上、濁流に呑まれるのもやむを得なかったのだという意見にだって相応の説得力はある。だがザウバー規模のチームにあって3年の間にフロントローと表彰台を獲得した20代のドライバーがこうもあっさりと姿を消していくなど、ほんの数年前なら考えにくかった事態であるのも、ここまで見てきたとおりたしかなはずなのだ。実績と資金を天秤にかけられ、後者へと秤が振れて弾き出される。小林をはじめとしたドライバーが見舞われた運命は、われわれが日本人であるがゆえに小林的な立場を中心に物事を考えがちだからという側面はあるにせよ、不運な悲劇として受け止められたはずである。だがいまの潮流のままでは、早晩量るべき実績すら持たないドライバーしか残らなくなることだろう。小林の悲劇は、もしかすると悲劇として語れる文脈が残っているだけまだ救いがあったのかもしれない。さよなら、大好きだったF1。中堅が完全に崩壊し、資金と資金を天秤に載せて単純に重たいほうが採用されるような、札束で荒れに荒れた裾野のシート争いを、われわれはすぐ未来に目撃する。それはきっと、もはや乾いた笑いを誘う卑小で俗っぽい喜劇でしかない。
 
 
 
(*)ここでは能力とはほぼ無関係の個人的資金調達に関して割愛している。井上隆智穂は腕よりも営業力でシートを手にしたことを自認しているし、山本左近の資金力は多く自分の生家と地元の支援に拠った。ブラジルの偉大な実業家を父に持ち1990年代後半にアロウズやザウバーを運転したペドロ・ディニスのことを思い出してもよいが、これら古典的なペイドライバーと、才能と広告効果(とわずかな縁故)を混ぜあわせて生まれる現代のそれは別の範疇の存在として扱いたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です