ルイス・ハミルトンの失敗

 そろそろ美しい閉幕への道程を考えるべき時期に差し掛かった今シーズンのF1で評価を下げてしまったドライバーといえばフェラーリのフェリペ・マッサと、それから何と言ってもマクラーレンのルイス・ハミルトンだろう。今季から導入されたピレリタイヤによるグリップ低下でシーズン前から苦戦が予想されたマッサについてはあえて言うまでもないが、コーナーへの鋭い飛びこみが持ち味のハミルトンも、そのドライビングスタイルによってタイヤライフのコントロールに難を抱え、思いもかけない不調に陥ってしまった。

 シーズン中盤以降、顕著になったのはハンガリーGPのころからだが、コンビ2年目を迎えたチームメイトのジェンソン・バトンのパフォーマンスが伸長していくのと軌を一にしてハミルトンのミスが目立つようになった。予選ではつねにフロントローを争うほどの速さを持ちながら、レースでは一転、危険なアクションや接触を――とくにマッサとは何度も――繰り返し、しばしば「investigation」の文字情報を提供するハミルトンは、タイヤマネージメント以前の問題として、メンタルに大きなトラブルを抱えて平静さをどこかに置き去りにしてしまったようだった。もとよりアクシデントの少ないドライバーというわけではなかったが、アグレッシヴの度が過ぎての失敗が多かったこれまでに対し、今季後半のミスはただの焦りから引き起こされたようにしか見えないものばかりだ。

 ハミルトンの焦燥の原因の一部がチームメイトのバトンだろう、という話はシンガポールGP採点記事のコメント欄で少しばかりした。ピレリタイヤの特性をよく理解して速く安定的なペースを刻み、いざバトルになってもコーナーを俯瞰しているかのように広い視野をもってリスクなく戦い抜くバトンをチームが信頼するようになり、結果を残すのに比例してハミルトンのミスは増えた。単純に推測すれば、これはやはりチームメイトに追いつめられているということだろう。バトンが高いパフォーマンスを発揮すると、ハミルトンはきまって低調に終わる。たとえばこんなデータを完全に偶然の結果と言いきれるだろうか。今季のマクラーレンは、バトンが11回、ハミルトンが6回表彰台に登っているが、「バトンが上位でのダブル表彰台」が一度もないのである(ハミルトン上位の場合は先日のアブダビを含め2度ある)。マシンが表彰台圏内の戦闘力を持っていても、ハミルトンは自分に主導権がないとその力を発揮できない状態にあるのかもしれない。バトンが2勝を含む5連続表彰台を獲得したRd.11ハンガリーGPからRd.15日本GPまでが典型だろう。わずか5戦で101ポイントを積み上げたバトンに対しハミルトンは4位2回5位2回の44ポイントに沈んだのだった。先のアブダビGPで週末通してバトンに優越し気楽に制したことさえ、彼の精神面の不安定さを逆説的に証明しているように思えてくる。

 もちろんチームメイトに圧倒されてフラストレーションに潰されそうになるというのは、第一義的にはドライバー自身が対応すべきことである。F1の世界で最初のライバルとなるのはまずチームメイトであり、それを制したドライバーだけがステップアップしてワールドチャンピオンへの挑戦権を手にできるという評価体系が不動のものとしてあるのだから、同僚が手強いと泣き言を言うのでは話にならない。しかしF1がチームスポーツであるかぎり、チームがドライバーというひとつの戦力のメンタルケアに腐心する必要があるのもまた当然のことだ。ドライバーの心身のコンディションについて、チームは責任を持つ立場にある。なのにどうも、マクラーレンがハミルトンのメンタルに関心を向けているようには思えない。速いドライバーとして彼を尊重するが、それ以上のフォローに踏みこむ気まではないのではないかと感じることが多いのだ。

 焦りがふくらんできているハミルトンにとっては不幸なことだが、いかにもマクラーレンにふさわしい話ではある。だいたいこのチームは、ドライバーの感情の揺れとかプライドの保ち方などといったおよそ人間的な心の動きの機微に対する興味が欠落しているように見受けられる。優れた空力パッケージのクルマにハイパワーのエンジンを載せればレースで勝つには十分だと考えていて、コクピットの中身のことはドーナツの輪っかほどにも気に留めていない――ようは、空っぽだって構いやしないのだ――節があるのだ。ハミルトンをエースとして遇そうとしながらそのチームメイトとしてセカンドに徹させるわけにはいかないバトンを迎える危険性は移籍当初から一部のメディアで言われていたが、その懸念は予想どおり当たった。そもそもドライバー選びの段階でチームは組織の歯車が円滑に回る絵を楽観的に空想しすぎたとも言える。ちょっと長くF1を見ている人なら得心する話だろう。マクラーレンは昔からそういう失敗をするチームなのだ。

 今のマクラーレンを磨き上げたのは疑いなく2年前まで現場の最高権力者として君臨したロン・デニスだが、彼はオフィスの床に塵のひとつでも落ちていることを許さないとか、ドリンクの持ち込みすら禁じるとか(これは記憶違いによる不当な非難かもしれないが彼のキャラクターをほんの少しでも知っていれば素直に受け入れられそうなので事の真偽は何ら問題ではない)、バカでかくていけ好かないモーターホームを広げてパドック裏のスペースを占領し他のチームからうまく顰蹙を買うことに情熱を燃やすとか、そういうことにはむやみに熱心なくせに、あるいはそういう方面にばかり完璧主義だったからなのか、ドライバー絡みでは失敗が多い。なにせクルーの顔よりも、彼が着ているシャツについたシミを消すことのほうが重要なマネージャー――と、これはさすがにジョークであって、彼はスタッフを非常に大事にする人物だった――のすることである。かつてはアイルトン・セナとアラン・プロストを両者ナンバーワン待遇で迎えた結果20年も経った今もって語り草となるほど両者の関係を見事にこじれさせて対応に苦慮し、キミ・ライコネンのチームメイトにファン=パブロ・モントーヤを当ててこの我の強いコロンビア人にF1を嫌忌させ、それにも凝りずついには温室育ちの秘蔵っ子ハミルトンとプライドの高いフェルナンド・アロンソのペアによってチームをわずか1年で破綻させた。どれも速さと強さを持つドライバーのコンビだったが、好意的に見ても完全な成功を収めたとは言えそうもない。

 理想的に見えるラインナップは個々に理想的であるがゆえに、得てしてうまくいかないものだ。最高のドライバーで組み上げるチームがかならずしも成功しないことは歴代チャンピオンの待遇が逆説的に物語っている。全盛期のミハエル・シューマッハはフェラーリで完全な独裁体制を敷いてルーベンス・バリチェロを従え、ミカ・ハッキネンとデビッド・クルサードやフェルナンド・アロンソとジャンカルロ・フィジケラの間には明らかな才能の差があった。ハミルトン本人にしてからが、アロンソと組んでいた年は明らかに最速マシンに乗りながらチームメイトとの戦争に疲れはててキミ・ライコネンにすんでのところで栄冠をかっさらわれ、ようやくチャンピオンとなったのは、今ロータスでようやく働き場を見つけた「Non-flying Finn」とコンビを組んだ、マシンとしては劣勢の年だった。ハミルトンの2007年と2008年はいかにも教訓的だ。07年は2つの才能がぶつかりあって消耗した挙げ句お互いのポイントを食いあって1点差でシーズンを失い、08年はエースに余裕ができた(かどうかはあのドライビングを思い出すと自信がないのだが)うえにポイントが片方に集中した結果1ポイント差でランキングリーダーとなった。近年ドライバーの力が拮抗したチームでのチャンピオンとなると昨季のセバスチャン・ベッテルくらいしか思い浮かばない。そのベッテルにしても、今季はウェバーを圧倒してナンバーワンの地位を確たるものにした。

 最速のマシンを製造するように最速のドライバーだけを追い求めることが成功に直結するわけではないと、たいていのレーシングチームはわかっているはずだ。シューマッハを長く擁したフェラーリなどはとくにそれを心得ているように見える。F1の、とくにトップチームの方法論としてドライバーの役割に差をつけることはもはや鉄則だ。では、苦い経験を他のどのチームよりも多く重ねて反省しなければならない当のマクラーレンが今、何をしているのか? チームカラーという言葉があるように、F1にかぎらず組織というものはどれだけ構成員が変わっても意外なほどその相貌を変化させないということなのだろう。ホンダ、ブラウンという歴史を経ている今のメルセデスは、かつての面影などどこにも残っていないにもかかわらず、川井一仁によればクルマの特性というかぎりなく物理的な面でなぜかホンダ時代の悪癖が残り、シューマッハなどは露骨にそれを嫌がっている。それを考えれば責任者が現場を退いた程度のことでチームはそう簡単に変わったりしないのだ。マクラーレンはせっかくハミルトンが揺るぎないエースの地位を得てチームを掌握したところで、おなじイギリス人チャンピオンのバトンをわざわざチームに迎え、軋轢の元を抱え込んだ。そして今季、案の定ハミルトンの不調は引き起こされたのである。今回に関しては2人の仲がよいこともあって表面的な確執こそないが、ラインナップに端を発する不調という意味では過去とそう違いない。

 マクラーレンのこの手の失敗は珍しくもないわけだが、その煽りを受けたハミルトン個人の問題に話を戻せば、彼の現状が2007年にアロンソとぶつかりあったころと決定的に違うのは、その背中に孤独を感じることだ。彼がロン・デニスに目を付けられ、マクラーレンによって下位カテゴリーから大事に育てられてきたことはだれもが知っている。ハミルトンとマクラーレンは一体でありその関係は揺るぎないもので、07年のハミルトンとアロンソは、速さという意味では互角――か、アロンソの証言を信じてチームでハミルトンが優遇されていたのだとすればドライバーとしてはアロンソが上回っていたか――でそれが確執の原因ともなったが、ハミルトンにすれば最終的にチームがかならず味方についてくれたし、事実チームが修復不可能になってどちらかが移籍しなければならなくなったとき、フェラーリへと去ったのはやはりアロンソの方だった。

 だがマクラーレンはイギリスのチームであり、新たに迎えたバトンはイギリス人のチャンピオンである。チームはスペイン人を冷遇したようにバトンを扱ったりはしない。スタートラインではまったく対等に、そしてシーズンが進んでどちらかにウェイトを置くべき段階になれば成績に応じて、きわめて正当に2人を遇することになる。きっかけはたぶんちょっとしたミス一つ、モナコでの接触だったり、雨のカナダでのスピンだったりしたのだろう。だがそのミスのためにバトンが優位に立ったとき、ハミルトンはこれまでのような自分だけに向けられる絶対的な庇護を失った。もはやチームは彼だけのものではなくなってしまった。客観的に見ればまっとうな対処なのだが、これまでのことを考えれば相対的にハミルトンの味方は減ってしまったも同然だ。断片的にしか伝わらないテレビの画面や雑誌での報道を通じてさえそれはなんとなく感じ取れるし、彼から漂う孤独感として表出し印象づけられたりするのだろう。

 マクラーレンは彼を見捨てているわけではない。事実ことあるごとに危険なアクションを繰り返すハミルトンについて、チームはそのたび擁護してきた。だがそれは外に向いたフォローであり、チームの中だけで見ればそれでもバトンより優先してもらえるといった優遇される雰囲気があるわけではないのだ。リソースが少しずつ上位のバトンへと傾いていくのをハミルトンは実感したりもするのだろう。彼にしてみれば、チームの関心が自分から離れていくというのは初めての経験で、それが当然のことだとはわからない。ハミルトンはたぶん、そのパフォーマンスにふさわしいレベルで扱われている。だがそれは、彼にとってはどうしようもなく寂しいことなのだ。

 ようするに、今のハミルトンは弟に親の興味が向いて拗ねている兄のようなものである。そういう面も含めて、ハミルトンが自分を育ててくれた親も同然のチームに対し甘えがちだというのはたぶん正しい。たしかにハミルトンを箱入り娘のように大事に育てすぎたのはマクラーレンだし、そもそもあらゆる性格のドライバーを総合的にマネージメントしなければならないのがチームというものではある。とはいえ結局のところ、ハミルトンが抱える甘えは彼自身の問題として解決しなければならないことだ。

 チームにおける全能感を失って、ハミルトンは落ち込んでしまった。シーズン序盤にトラブルやピット作業ミスでポイントを失いながら着実にパフォーマンスを上昇させてきたバトンとは対照的だ。チームを転々とし、幾度となく地位を築きあげてきたバトンの揺るぎない強さは今のハミルトンが望んでも手に入らないものだ。彼はいま陥っている内向きの問題を解決するための経験をほとんど持っていない。チームの関心が自分に向かないならばそうさせる努力をしなければならないが、その努力の源泉はまさにチームの関心であった。そうやってレースを戦ってきたのだ。卵と鶏、どちらが先かという話ではないが、テレビを通じて見るハミルトンの精神にはモチベーションのジレンマがしばしば覗く。

 幸いなことに、ハミルトンが依然としてナチュラルに速いドライバーであることに変わりはない。だがレーシングチームの一員として戦う強さならバトンが一枚も二枚も上をいく。それは多分に過ごしてきた人生の強度に根ざした力であり、一朝一夕に同じレベルに到達できるものではない。ハミルトンは今初めて、バトンが乗り越えてきた苦労の一部を知ったばかりなのだ。その差についてどう思い至り、考えるのか——今の苦悩の受け止め方によって、かつての史上最年少チャンピオンがこれから過ごす憂鬱の長さも変わってくるかもしれない。

フェルナンド・アロンソの瞬間を見つめるとき

【2011.7.10】
F1世界選手権第9戦 イギリスGP
 
 
 シルバーストンの28周目、レッドブルのピットクルーがセバスチャン・ベッテルのタイヤ交換作業に手間取り、同時にピットインしていたフェルナンド・アロンソは労せずしてレースのリーダーとなった。ベッテルは11.4秒もの長い静止を余儀なくされて、ペースのよくないルイス・ハミルトンの後方でコースに戻ることになる。全体52周のレースにあって、結末はこの瞬間に決まったようなものだっただろう。

 トップに立ったアロンソは、アウトラップでこそタイヤの温まりに苦労したものの、すぐさまペースを上げて後続を突き放しにかかる。29周目1:37.069、30周目1:36.803、31周目1:36.122、32周目1:35.769のラップ推移は直後のハミルトンよりも1周当たり2秒近く速く、最後のストップまでに12秒の差がついて、今季苦しみ抜いたアロンソの初勝利は揺るぎないものとなった。

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 テレビの前にじっと座っていた2時間を「つまらなかった」のひとことで葬るような真似をしないために必要な心構えを会得したのは、モータースポーツを見るようになって何年も経ってからだ。はっきりと自覚したのは今シーズンになってたわむれにドライバーの採点記事を挙げるようになってからだけれど、レースを見るコツのようなものを身に付けはじめたのは、たぶんフェラーリのミハエル・シューマッハが強すぎたためにともすると世界中のF1人気が下火になりかけていたころで、わたしはその反対を向くようにF1、ひいてはモータースポーツへの興味を深めていった。テクノロジーとか、政治的なスキャンダルとか、母国ドライバーの応援とか、F1に付随するテーマがいくらでもあるなかで、わたしの意識はつねにただサーキットにばかり向いていた。振り返るともうずいぶん週末のグランプリを見向きもしなくなるほど退屈だと思った記憶がない。昔のF1のほうがおもしろかったというありがちな決まり文句とも無縁で、すばらしいのはいつだって今だと思っている――すばらしいのはいつも「今」なのだ。モータースポーツの熱量は結局のところ「今」の問題としてしか語りえないという思想を持つようになって、わたしのレースに対する態度は決定的になった。

 たいていのプロスポーツがそうであるように、F1の営為もまたシーズン単位の「全体」として理解されている。各グランプリでの順位によってポイントが付与され、その累積によってドライバー/コンストラクターのチャンピオンシップが争われるという構造をF1は持ち、われわれファンはその推移を開幕戦から最終戦にわたって見守ることで、だれが最速のドライバーであるかに想いを馳せるわけだ。プロ野球の順位を毎朝気にしてしまうような付き合い方は、F1に対するときでも十分に健全に思える。
 そしてF1がつまらなくなったという表明があるとき、その意見はどうやらそんな全体の印象についてであるということが多いようだ。パッシングの少ないレース全体であったり、ひとりのドライバーが独走するシーズン全体であったり、そういう場合に退屈という評価が出てくることがままある。2000年代初頭はその代表だろう。

 全体こそがF1の営みのすべてだというのなら、そういうときに退屈の印象を抱くというのも頷けないこともない。事実シューマッハがありとあらゆるサーキットを無遠慮に制し続けた2000年以降にF1の人気は低下し、あるいは少なくとも低下することが危惧されて、チャンピオンシップへの興味をなるべく長く繋ぎとめるために優勝の価値を大きく下げる形でポイントシステムが変更された(そして俗な対応だとして変更自体にブーイングを浴びせられた)。

 たまたまこれを書いているタイミングで『Rocket Motor Blog』「2011年イギリスGP感想」を読んだら、折よく「エンディングが予想できてしまうと、ストーリーはとたんに面白くなくなってしまう。[…]つまらないストーリーは、観客や視聴者の関心を失ってしまう」という記述が目に止まった。それはたしかに当然のことだ。だれが年間を通してもっとも優れたドライバーかの争いに興味を惹かれるのは自然な感情で、だからその行方が概ね決してしまったあとに関心を失うのもわかる。だが、そんな競技者と同一の視線からあえて背を向けてみよう。モータースポーツの全体を構成するものはいったい何であろうか? 部分の集合はかならずしも全体を表現しないが、部分を積み重ねなくては全体が現れることもない。ドライバーはチャンピオンシップのためにレースを戦い、レースをより上位で終えるためにラップを刻み、速いラップをたたき出すために一瞬一瞬コーナーへと飛びこんでいく。結局レースとはその積み重ね——選手権への意思が表出する一瞬の積み重ねだけでしか構成されないものだ。その意味でドライバーの意思は、ブレーキングからターンイン、クリッピングポイントをかすめてスロットルをオンするその運動、モータースポーツを微分した結果得られる瞬間にこそもっとも激しい情動として立ち現れる。それはレースの間に何度も現れては消えてしまう、「今」としてしか受け止められないシーンだ。全体の利害を越えてそれを捉える愉楽を得られるのは観客の特権であり、わたしはそれを最大限称揚することでレースから退屈を追い出したいと思っている。

 今シーズンここまでアップしてきた採点記事をお読みくださっているかたは、わたしの贔屓にしているドライバーがフェルナンド・アロンソであることをすぐ理解されるだろう。あらためて読み返し見ると「美しいターンイン」(ヨーロッパGP)に「偉大なドライバー」(モナコGP・トルコGP)、「F1の教本に載せるべき」「現役最強ドライバー」(スペインGP)など自分でもやり過ぎと思うくらいこれでもかと賛辞を並べているが、パドックでは王様のように振る舞い、わがまま放題というこのスペインの英雄をわたしが愛するのは、彼がコース上においてもっとも瞬間の魅力を表現してくれるドライバーだからだ。

 昨年のアブダビGP、アロンソは失意の日曜を過ごした。拙速なピットインの判断でヴィタリー・ペトロフの直後7番手のポジションに嵌り、4位以上という決して難しくなかったはずのミッションに失敗した結果、ほぼ手中にしていたはずのワールドチャンピオンを失ったのだ。あのレースは、ひとつにはベッテルの嗚咽交じりの無線に、もうひとつにはアロンソのドライブによってこそ印象づけられた。最終盤にターン18のブレーキングで派手にタイヤをロックさせてコースオフしたシーンだ。もはやすべてが手遅れになってしまったあとに見えた彼の失望、焦燥、怒り、悲しみ……ただのミスドライブではない、感情が凝縮されたあのコースオフに、フェルナンド・アロンソというドライバーの姿が現れたのだった。

 レース中に「顔が見える」ドライバーはそう多くはない。それが見えるのが優れたドライバーというのがわたしなりの感覚でもあり、アロンソのドライブはいつだって彼特有の表情に溢れている。今季のフェラーリは苦境に陥り、彼自身も苦しい週末を過ごすことが多かったが、それでも自分が「偉大」で、「現役最強」のドライバーであることを、思いどおり走らないフェラーリ150°イタリアを通して何度も何度も訴えかけていた。

 たとえそれがわずかなレギュレーション変更の狭間に起きた幸運だとしても、彼のドライブはきっと報われなければならないのだ。シルバーストンの中盤、勝機が訪れたと見るやアロンソは愛馬に鞭打って敢然とスパートに入る。その決然たる彼の意思を垣間見た瞬間、2011年イギリスGPは忘れられないレースとなった。そう、すばらしいのはいつだって、切り取られた「今」としてしか語れない一瞬だ。31周目、旧ホームストレートからコプスに飛びこむアロンソの切れ味は、この日曜にだれも追随できないほど清冽なものだった。

ミハエル・シューマッハの憂鬱

【2011.4.17】
F1世界選手権第3戦 中国GP

 コンディションがウエットだったかドライだっかたは定かではない。曇天の上海インターナショナルサーキットだった。右に回りこんでいくようなコーナーだったから多分ターン1か12のはずだ。大学生だったわたしがアルバイトをしていたとある雑誌編集部の高い棚の上に置かれたテレビの画面の中では、光量の少ない空模様でもよく映える真っ赤なマシンがスピンしていた。まだレース序盤、15周に行くか行かないかといった時間帯でのことだった。

 それがミハエル・シューマッハのフェラーリであることはすぐにわかった。同僚のルーベンス・バリチェロはキミ・ライコネンを従えながらトップを快走していて、後方を走る赤いクルマはシューマッハのものでしかありえなかったのだ。ピットスタートとなって最後方からの追走を余儀なくされたシューマッハは、つたない記憶によれば前走車の直後を走っていて、その影響でダウンフォースを失ったのか、右に長く切りこんでいくコーナーの出口でリアを巻きこみ、フロントタイヤを中心にしてくるっと時計回りに1回転していたと思う。タイヤスモークが上がっていた――と思い出すということはたぶんドライコンディションだ。そのあとがストレートでスロットルを開けていくところだったような覚えもかすかにあるので、だとするとターン12~13だろう。2004年、もう7年も前の話である。

 中国GPが日本GPとの東アジア2連戦として秋に組まれていたころのことで、すでにドライバーズチャンピオンシップの行方はシューマッハに決していたから、その単独スピンもちょっと珍しい光景以上の意味はなかったが、珍しいという点ではフェラーリの圧倒に退屈したシーズンのハイライトに入れてもいいくらいのシーンではあった。実際、当時のF1ファンにとって7度目の戴冠を果たしたばかりの皇帝がひとり勝手にタンゴを踊るなどありえないことだったのだ。少なくともわたしは意外なミスと受け取ったし、そこには軽い失望感も伴っていた。チャンピオンを獲って気でも抜けたかと言いたくもなったかもしれない。もちろん難癖をつけているだけだ。これは今調べて書いていることだが、2004年のシューマッハはモナコ以外のすべてのグランプリで完走し、そのなかで唯一入賞を逃したのがこの上海だった。そもそも年間18戦13勝のドライバーが決勝レースで一度くらいスピンしようが、大した事件ではない――あるいはだからこそ大した事件なのかもしれないが、タイトルの興味とは関係のないことだ。

 だが、こういう言及もできないではない。すなわちときどき見せる傲慢な振る舞いが許されるほど強すぎてF1から熱量さえ奪い、いくつものレギュレーション変更の呼び水ともなったシューマッハは、しかしこの年を最後にチャンピオンの座を若いフェルナンド・アロンソに譲った。翌年から1度目の引退を決意した2006年までに挙げた8勝は、2004年わずか1年間の13勝に遠く及ばない。

 いや、これもやはり言い掛かりにすぎないだろう。なるほどこういうときに文章の作法として「中国GPで見せた些細な綻びが、シューマッハの衰えのはじまりだったのだ」と書くのはいかにも道理をわかっていそうな纏めかたで筋がいいのかもしれないが、自分の浅薄な失望感をこの程度のミスで正当化するほどわたしは厚顔ではないつもりだ。2005年は悪夢のようなブリジストンタイヤの不調とともに葬られただけだし、2006年にしても鈴鹿でエンジンが白煙を吐き出さなければ彼は王者として引退し、翌年にフェリペ・マッサがカーナンバー「0」を付けることになったかもしれない。政権はアロンソへと移ったが、シューマッハはやはり強いまま、跳ね馬を降りた。サーキットを去るまでほとんど完璧だった。

 結局7年前、シューマッハ個人にとって4シーズン前のスピンは、そのレースのファイナルラップで見せた帳尻合わせのようなファステストラップも含めて、F1でもっとも成功を収めたドライバーが頂点の時期に見せたちょっとした愛嬌にすぎないことである。なのだが、3年の沈黙を経て現役に復帰した彼の1年半をずっと見てきて、ふいにあのシーンを思い出すことがある。赤い記憶が薄れ、当初はあれほど似合っていないように思えた銀色のスーツが目に馴染んできた最近はことさらに増えた。おかしな感覚だと思われるだろうが、わたしにとってミハエル・シューマッハといえば、全盛期の憎らしいほどの強さでも、ミカ・ハッキネンとのバトルでも、表彰台で幾度となく見せた子供っぽいジャンプでも、ラスカス・ゲートでもなく、まず上海でのスピンが連想される。スピンした振る舞いには失望しても、彼のスピン自体は美しかったのだ。

 結果としてかかわる人間の身体にダメージがない、という前提条件を絶対に付させてもらうが、単独スピンはときに絵になる。人間に比べればあまりに強大なマシンを完全に掌握して操っていたドライバーが、なんの前触れもなく不意に自らの能力を振り切られ、抗う術を失って慣性に身を任せるよりなくなる1秒に満たない時間の間に、感知、反応、制御、破綻、モータースポーツを形成するいくつもの情報が処理され、奔流となって吐き出される。ドライバーの意思を携えてレーシングラインをトレースしていたマシンが、ある一線を越えた瞬間、急にたんなる物質と化す。その狭間、制御と不能の間には大きな断層が生じ、そこにはじめて失望という、顔の見えないドライバーの感情がはっきりと立ち現れるのだ。バトルでのクラッシュは物理的な人間同士のぶつかりあいだが、スピンはひとりのドライバーの精神を容赦なく炙り出す。強いドライバーのスピンは特にそうだ、というより美しいスピンは強いドライバーとマシンのペアにしか生まれない。今年の中国GP予選でのセバスチャン・ベッテルを見ればよくわかる、速くて強いドライバーがそれにふさわしいマシンに乗りこむと、両者が一体化してドライバー自身の姿は見えなくなるものだ。だからこそ両者を結ぶ糸が突如切断されるスピンによって表出する精神性が心を捉える。ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネン……彼らのキャリアには印象深く美しいスピンがある。それはたぶん、何十という勝利よりも彼らをよく知る手がかりになる。

 上海でのスピンはわたしにとってミハエル・シューマッハを「見た」瞬間だったが、しかしそれもふたたびコントロールを取り戻してコースに復帰するとともに薄れていき、あとは何年か後におなじ趣味の友人との思い出話に変わるようなことだった。だがいまになってわたしはあのスピンを強かったシューマッハの象徴として思い出すことが増えている。それはいまリアルタイムで走っているシルバーのシューマッハがもうおなじように美しいスピンを演じられないと諦めかけていることの感傷だと、わたし自身わかっている。なにせわたしがF1を生涯見続けるべきスポーツと定めて観戦の初心者から脱しようとしていた20代前半はシューマッハのための時代だったのだ。好き嫌いは別にして、その落日を目の当たりにすれば感傷的にもなる。

 復帰のニュースにあれほど目の色を変えたのに、1年と半分が過ぎてわれわれはもうシューマッハのいる風景に慣れている。ニコ・ロズベルグに控えるドライバーであるということも含めて慣れてしまった。この中国GPで、シューマッハはまた同僚に及ばなかった。予選ではもうずっとコンマ5秒のビハインドを背負い、決勝で(アイルトン・セナに対したアラン・プロストのように、あるいは若かりしシューマッハ自身を決勝では脅かしたマーティン・ブランドルのように)それを跳ね返すほどのペースを刻めるわけでもない。ロズベルグを物差しにしたとき、あえて挑発的な言い方をすればF1を去らざるをえなかった中嶋一貴とどれほど違うのかというくらいのものである。セッションの度に発せられるコメントだけを読んでいると、シューマッハ自身も現状に不満と焦りを抱えつつもどこかでは慣れてしまったようにさえ見える。

 予選Q2はヴィタリー・ペトロフがトラブルを発生し、ライン上にマシンを置きっぱなしにするという品のないストップをしたために、2分2秒を残して赤旗中断となった。1周1分35秒の上海ではピットアウトからアタックラップに入るにぎりぎりのタイミングであり、セッション再開直後からマシンが次々と飛び出して、コース上には予選と思えないほど長い隊列ができた。慌ただしくタイヤを温めながらチェッカーフラッグをかいくぐって、フェリペ・マッサ、セルジオ・ペレス、ニコ・ロズベルグ、ミハエル・シューマッハ、小林可夢偉……という順に最後のアタックへと向かった。満足なクリアランスはとれていなかった。

 状況が状況だけに、遅いクルマが速いクルマのアタックを邪魔してしまうことはいたしかたないことだ。だがこの順でアタックした5台のなかで、結果としてはザウバーのペレスがメルセデスのロズベルグのアタックの障害となり、そしてその関係とは正反対にメルセデスのシューマッハがザウバーの小林の障害となった。ターン14、長いバックストレートエンドのヘアピンでブレーキングを決めきれなかったことで、シューマッハは自分と小林の両方のチャンスを潰したのだった。重要なポイントで決して外さないのが全盛期のシューマッハだったが、現役復帰後の彼は打って変わってポイントでこそ外しつづけている。こういう姿にも、すっかり慣れた。ロズベルグだけがQ3に進むのはもうおなじみの光景だ。リアウイングが機能しなかったとコメントを残し、たぶんそれは彼にとってありのままの事実を述べただけで言い訳に汲々としているなどとはまったく思わないが、そうやって自分以外の場所に原因を求めなくてはならないことも頻繁になった。

 決勝の走りに不満があったわけではない。マレーシアに続いてスタートを決め、エキサイティングなバトルを繰り返しながらずっと入賞圏内を走って4ポイントをチームに持ち帰った。文句のない仕事だ。だが一時レースをリードして5位に入ったロズベルグと比べれば、それが完璧な走りだったと言うことはできないだろう。速さに劣るフェラーリをドライブしていた90年代後半、シューマッハはつねにわずかなストロングポイントを強調することで圧倒的に速いミカ・ハッキネンに牙をむいた。いま最速ではないメルセデスのコクピットで、シューマッハは戦うポイントを求められずにいる。去年、骨折で長期離脱した99年を除いてはじめて年間のポイントで同僚を下回った。その99年ですらダブルスコアではなかったのに、ロズベルグの142ポイントに対して72ポイントしか取れず、メルセデスはそれを直截に示すコマーシャルまで作った(。産気づいた妻を乗せたまま折悪しく山道でクルマが故障し、立ち往生してしまった夫婦の下にロズベルグとシューマッハが現れて送ってくれるという。夫が「7度のワールドチャンピオンだ」とシューマッハを選ぼうとしたところ、妻が「去年のポイントはニコが2倍だった」とロズベルグがいいと主張して口論になるわけなのだが、どうもこれは妻のほうに分があるのではないかと思える。

 あれから7年が経って、銀色のシューマッハはクルマなりの仕事をするドライバーとしてステアリングを握っている。好まない弱アンダーステアと格闘して、下位チームの突き上げを食らいながらなんとか上位にしがみつこうとする様子には丁寧な仕事ぶりを感じるが、しかしかつて眩いばかりに放たれていた才能の煌めきだけは鈍くなっているようだ。

 速いマシンとドライバーが混沌として両者の境が曖昧になり、人の存在感が消えていく瞬間がある一方で、走らないクルマを苦心惨憺どうにかして前へ進ませようとするドライバーの顔は、ヘルメット越しにもよくわかるものだ。レースを長いこと見ていればもちろんそういう姿を観察することのほうが圧倒的に多いし、結局モータースポーツが人間のせめぎあいであることを示唆するという意味で、レースの醍醐味だったりもするだろう。だがそれは、端的に言って美しいわけではない。機械に苦闘する人間から見えるのはスピンの断層から突発的に偶発的に顕在化する破綻の美ではなくただただ現実だ。いまのシューマッハには苦悩が見えすぎる。現状が続くかぎり、彼のW02が回ってもわたしはそれをたんなるミスとしか受け取れないだろう。浅薄なはずの失望感は、きっと失望のまま次のサーキットへ持ちこまれることになる。だがわたしの感傷はそんなシューマッハの凡庸をはっきり拒絶するのだ。多くのファンと同様に、わたしもまたシューマッハの現状を受け入れがたく思っている。強いシューマッハの幻影が、コースのどこかで実体になって現れてくる瞬間を探している――。あのときと同じ上海だ。タイヤかすと埃に覆われた激しい優勝争いとは無縁な後方を眺めながら、わたしはあいかわらずあのときのフェラーリのダンスを思い出してしまっているのである。