スコット・ディクソンの優勝にインディカーの日常は取り戻される

【2020.6.7】
インディカー・シリーズ開幕戦 ジェネシス300
(テキサス・モーター・スピードウェイ)

6月になった。もちろんこんな形での開幕を望んだわけではなかったし、その理由について触れなければならないことも厭いたくなる。レースはどんなときも自由で、社会のあらゆるしがらみから解放されてただそこにある、だから自分はサーキットに現れる一瞬だけを発見し、切り取り、言語化して書き付ければいいのだとずっと思ってきた。いまその気持ちに変化が生じたわけではないが、世界に新しく拡がった病がレースという営みそのものを想像もしなかった側面から襲い、壊したために、意図的に装っていた純粋さは脆くも崩れてしまった。レースは社会の情勢に左右される――社会はレースを行わない決定をしうる。コースに現れる運動だけがすべてではない。当たり前のことだが、考えたくなかった現実でもある。決定的な解決、とまではいかずとも緩和の手立てが見つかるまで、COVID-19は、ほかの何もかもに対してそうするようにレースをも脅かし続けるだろう。自分の愛する競技に、競技とは別の不純物が不可避に侵入してくる。セント・ピーターズバーグの中止(関係者の努力によって、これはシーズン最終戦への延期へと振り替えられた)が決まった3月12日を境に、すべてはそう変わった。たとえばこのテキサスについて書こうとするなら、枕詞のように「COVID-19の影響でシーズン開幕が延期された2020年インディカー・シリーズの第1戦」と註釈をつけないわけにはいくまい。たかがその程度の感傷が現実の命の危機に比べればとんでもなく軽々しいものだとわかっていても、そう書きつける瞬間に突きつけられるレース以外のなにかに純真を汚される気がして、やるせなくなる。

 だから、やはり目を背けてみよう。COVID-19の拡大で日程の組み直しを余儀なくされ、COVID-19のせいで決勝の距離が600kmから300マイルへと短縮され、COVID-19のために無観客の1日イベントとなり、COVID-19の影響でタイヤ開発が滞りスティント周回制限措置がとられた――これだけ連ねればもう十分だろう――「開幕戦のテキサス」を、しかしただ普通のレースとして見ていたいと思う。特別な感慨も心配も必要としない、これはいつもどおりのインディカー・シリーズの一戦にすぎないのだと。

 

佐藤琢磨は予選のアウトラップで足を掬われクラッシュを喫し、決勝までに車の修復が間に合わなかった。レーススケジュール短縮の影響はこんなところにも及ぶ

 

 そう決めたうえでレースを見つめてみれば、シーズン最初の予選で見事にポール・ポジションを獲得したジョセフ・ニューガーデンと、彼をはじめとしたチーム・ペンスキーの面々が辿った決勝の顛末は、これまでとなにも変わらない、いかにもありうるインディカーの場面だったようだ。グリーン・フラッグからターン1へ飛び出していくニューガーデンの様子は、昨季のチャンピオンらしく、レースのすべてを制圧する威厳に満ちているように錯覚する。最初のコーナリングの鋭さは、たとえば昨季のおなじレースを記憶から呼び起こした。あのテキサスの190周目から197周目にかけて、ピットの時期を周りより少しだけ遅らせたニューガーデンは、タイヤの手応えが失われたはずのスティント終盤にもかかわらず、ひとり23秒台のラップタイムを並べ上げる感歎すべきスパートで集団を出し抜き、逆転で先頭に立った。そんなふうに速さだけを頼って、難しいレースを完勝してみせたのだ。あるいは2016年のアイオワで全周回の9割以上をリードし、一時は3位までをも周回遅れにしてレースを支配した姿も自然と思い浮かぶ。外連味のない、前方しか見ていないような純粋な速さこそが、ジョセフ・ニューガーデンというひとりのレーシングドライバーの肖像を描く。今回のテキサスの1周目、2番手のスコット・ディクソンに対してたった20秒で0.4秒の差を作って通過したスタート・フィニッシュラインには、その才能が再び発露する予感が伴っている。

 ただ一方で、難敵のスコット・ディクソンを挟んで3番手に落ち着いた同僚のシモン・パジェノーの困難が、日が沈みゆく薄暮のテキサスにまたしても浮き彫りになるようでもあった。4年前にシリーズ・チャンピオンを獲得し、後にインディアナポリス500マイルの勝者にも名前を刻んだパジェノーはしかし、かつては不思議なほどオーバルコースで勝てないドライバーだった。「インディカー・シリーズ」の歴史の中で、オーバル未勝利のままチャンピオンに至った例は彼以外にない、というくらいに。いまはおなじチームで戦う間柄となったウィル・パワーの昔の姿のように、集中力の欠如やレースに対する虞れが仄見えるタイプではまったくなく、むしろひとつの場面だけを切り取ってみれば、最上級の速さと強さを内包しているとひと目でわかる。その瞬間には当然1位のままチェッカー・フラッグまで行き着くに違いないと思わせる。だというのに、すばらしいレースを戦っていたはずのパジェノーは、ときどきピットでタイヤと同時にドライバーまで交換されたのかと考えたくなるほどに失速することがある。速さは幻に消え、歯牙にもかけずにいた後続の攻撃に晒されて、さしたる抵抗もできずに集団へ埋没する。落差に対する失望は、パジェノーのオーバルに現れるひとつの典型でもある。この日も、ふと気づくと彼のペースは落ちている。13周目に1.1秒だった先頭との差は、いつの間にか1.6秒まで拡大している、といった具合に。ディクソンのインに潜り込んでニューガーデンに対する攻撃の機を窺ったオープニングラップの攻防など、とっくに忘れられてしまったようだ。

 

ロードレースから引退しオーバルのパートタイム参戦だけになったトニー・カナーンは往年のセブン – イレブンのカラーリングで臨む

 

 とはいえ、こうした典型は、パジェノーだけの問題ではなく、チーム・ペンスキー全体に巣食う病といえるかもしれない。パジェノーが先頭争いから引き剥がされてほどなく、ニューガーデンのペースもまた鈍り始めた。ディクソンに対してコンマ7秒にまで拡げた差は、20周を過ぎたころにはコンマ3に削られ、周回遅れに引っかかるうちにぴたりと背後につけられて、戦いを振り出しに戻してしまった。久しぶりに公の場で姿を見た解説の武藤英紀は、この展開について「ペンスキーはタイヤに厳しいセッティングを選んだかもしれない」と述べる。35周に制限されたスティント(目を背けても、感染症の影響はレースに直接現れてしまう)に合わせて、タイヤの寿命より新品時のグリップを重視した、それが仇となって想定以上の性能低下に見舞われている可能性があるというわけだった。なるほど、ありそうな話だ。ペンスキーは、チャンピオンチームの自負からか、必要以上に一時的な最速タイムを追い求めた車を志向しているのではないかと思わせる節がある。もちろん部外者には真偽も真意も定かではないが、300マイル先のゴールよりも、目の前の状況だけに照準を定めて車を作りすぎているように見えるのだ。だから気温や路面温度の変化に弱く、抜群のスタートを切ったナイトレースで日没とともに失速し、あるいは先頭を走れば見事に空気の壁を切り裂いていくが展開の紛れで集団の乱気流に巻き込まれると急激に存在感を失うといった失敗を繰り返すのではないか――パジェノーの典型は、ペンスキーの性向と妙に重なる。強者の失策が目に付きやすいバイアスはあるにしても、ある種の傾向は想定しうるだろう。もしペンスキーが落ちる陥穽があるのだとしたら、そこにニューガーデンも嵌まりつつあるようだった。

 結局、24秒台のラップも維持できなくなったニューガーデンは32周目のターン2でわずかにアンダーステアを出して車半分だけ外に膨らんで失速した。続くバックストレートへ向かって立ち上がったときには、もうディクソンがインへと潜り込んでいる。たった1秒ドラフティングを利用しただけの、一瞬の出来事。ニューガーデンはリーダーの座と同時にターン3への優先権をも奪われ、ますますスピードを失ってパジェノーにまで背後を脅かされると、次の周の終わりには耐えきれずにピットへと鼻先を向けた。33周目、コース上の誰よりも早いタイヤ交換だった。オーバルにおいては、先に動いていいことなどほとんどありはしない。それは自らの苦境を触れ回っているようなものだ。そのうえなお悪いことに、新品タイヤに履き替えたにもかかわらず、ニューガーデンの勢いはさほど回復しなかった。コースに戻ってもペースの劇的な改善はなく、2周の後にピットから出てきたディクソンはすっかり先頭の景色を謳歌している。

 過去のレースが往々にしてそうであったように、ペンスキーの敗勢はもうこの時点で決している。「終わってみれば」などといった仮定を弄するまでもなく、35周目手前の攻防はレースのすべてを見定めるに十分だった。それ以降、このテキサスでディクソンが勝つ以外の結果はまるで想像されえなかったし、事実そのとおりになったのだ。もちろん安穏とした展開ではなく、勝者には繊細で複雑なオーバルらしい試練がいくつも襲いはした。たとえばフルコース・コーション、あるいは凝縮された周回遅れの集団。とはいえ、振り返ればたしかに感情の起伏を惹起するだろう場面ではあったものの、5度のチャンピオン経験を誇りアイスマンと渾名される沈着な男にはさしたる問題にはならなかった。ディクソンは着実に車を前に進め、いくつかのバトルを涼しい顔で――もとよりヘルメットで表情は見えないし、今季からインディカーに導入されたウィンドシールドはなおさらドライバーの顔を希薄にしたが、それにしてもディクソンの車の動きはいつも優雅だ――切り抜けて、チェッカー・フラッグを先頭で迎える結果が残された。昨年よりスタート時刻が30分繰り上げられ、25マイル短縮されたレース時間は20分も短い。50分の差は、闇に覆われるはずのナイトレースの空にまだ日の面影を残した。そんな開幕戦だった。

 

薄暮のテキサスをインディカーが走る。「ナイトレース」がチェッカーを迎えても、サーキット上空はまだわずかに光を残していた

 

 ディクソンを見舞ったいくつかの困難は、レースリーダーに対する試練というよりも、その強さを印象づけるためのちょっとした演出に過ぎなかっただろうか。彼は最初に先頭に立ってから、ゴールまでの残りの周回のほとんどを先頭で過ごしたが、81周目からの10周ほどだけ、その場所をニューガーデンへ返している。フルコース・コーションのタイミングで一斉に行われたピットストップの際に、ペンスキーから遅れを取ったせいだった。これもありふれたインディカーの光景に違いない。ペンスキーの優れたピット作業は、いつも他のチームに比べて突出して速い。チップ・ガナッシが同時ピットでは勝負にならないと奇をてらった作戦を採用して惨敗したのはもう5年以上前のポコノでのことだ。そのころから、いやもっと前からずっと、ペンスキーはイエロー下でのピットで鮮やかに順位を上げてきたチームで、それは今回も変わらなかった。

 もっとも、見事な手際によって得られたものは皮肉にも最大のライバルを際立たせるハイライトでしかなかったようだ。順位が入れ替わり、レースが再開してからわずか5周の91周目のことだった。ディクソンはターン1で、インサイドを固めるニューガーデンの弱気を嘲笑うように、アウトサイドの、車1台分幅があるかどうかの狭いラインを渡りきって、この日最高のパッシングを完成させた。コーション中の清掃があったとはいえ、埃っぽく、ひとたび車が外へ膨らみはじめれば壁に当たるまで止まらない路面状況にあって、外側のラインを繋ぎながら速度差で1対1の勝負を制して失地を回復したのだ。リスクに身を投じたその運動はディクソンにしては珍しく、ともするとインディカーらしい日常の風景で溢れたこの日に唯一現れた特異な瞬間だったが、その決断が正しかった証拠に、彼はその後一度も、文字どおりただの1周たりともリーダーを譲らなかった。時機をとらえ、なすべきときになすべきことをして、完璧な勝利を手元に引き寄せたのだった。

 

新しく導入されたウインド・シールド越しに

 

 ディクソンの優れた面は、やがて同僚との対比によってあらわになる。勝負の帰趨を決する最後の15周を迎え、もうひとりのチップ・ガナッシであるフェリックス・ローゼンクヴィストが追い上げてきていた。ローゼンクヴィストは186周目にタイヤ交換を済ませ、189周目に自己ペストタイムを記録して先頭を窺う。一方のディクソンはまさにその周、ピットストップを終えてコースに復帰する。そのように状況が進んだとき、100mほど離れた2人はともに周回遅れの3台に囲まれる似たような場所に置かれ、そして明暗が分かれた。加速の途上にあったディクソンは外から交わしていくライアン・ハンター=レイをやりすごして我慢し、しかし襲ってくるもう1台までは認めることなく、最内に自分の居場所を確保した。追わなければならないローゼンクヴィストは、ディクソンがニューガーデンを交わしたようにマーカス・エリクソンを外から攻略しようとしてリアタイヤを滑らせた。最終盤の激戦の予感はあっさりとコーションの中に消え、後には進行方向と逆向きにクラッシュして車を止めたローゼンクヴィストの自らに対する怒りだけが残される。197周目にレースが再開されたとき、ディクソンの背後は周回遅れが守っていた。2位と3位には僥倖に乗じてペンスキーの2人が戻ってきていたが、盤石のリーダーを相手に、4周でできることなどもはやあろうはずもなかった。

 ペンスキーの一時の速さと失速と、代わるディクソンの支配的な優勝。想像の外にあった流行り病でレースという営為自体が脅かされた開幕に、しかしトラック上に現れた運動は、おそらくいつもどおり見慣れたインディカーにありうべきひとつの形に違いなかった。大げさに言えば、混乱の果てに勝利を手にするドライバーが「期待どおり」スコット・ディクソンであった事実は、われわれ観客がまだインディカーを失わずに済む安堵をもたらしさえだろう。そのなんと心強かったことか。もちろん、社会がこの先どう進むかなどわかろうはずはない。30万人の観衆を集めるインディ500の風景も、きっとがらりと変わるのだろう。しかしそれでもこのテキサスはインディカーに、あるいはそれだけでなく他のあらゆるカテゴリーに、ひとつの示唆を与えるはずだ。そう、世界に何があろうとも、サーキットで行われている目の前のレースは、きっとわれわれの愛する唯一の代えがたい反復に違いないのだ。■

マスクを着用し、互いに距離をとって記念撮影。表彰式の風景も様変わりするだろうか

 

Photos by :
Joe Skibinski (1, 3)
Chris Jones (2)
Chris Owens (4, 5, 6)

ラグナ・セカの対照が、次代を導いている

【2019.9.22】
インディカー・シリーズ第17戦 グランプリ・オブ・モントレー
(ウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカ)

不明を恥じねばなるまい、と書き出せるのはなんと喜ばしいことか。前回のポートランドで、2度目のポール・ポジションを獲得しながらも決勝ではタイヤの使い方に難を抱え、少しずつ劣勢に追い込まれて4位に終わったコルトン・ハータについて、おなじく先頭からスタートし大敗したロード・アメリカからの成長を大いに認めつつ、こう書いたのだった。「次の最終戦で彼は「普通のレース」をするだろうし、来季もたぶんそうだろう。初優勝のような幸運に恵まれて実力を超えた望外の結果を手にする日や、反対に何もかもがうまくいかない日が訪れるかもしれないが、そんな「完璧ではない」日常はまだしばらく続くに違いない」――。速さはある。デビューからたった3戦目で、多少の幸運に与った結果として最年少優勝記録も更新した。19歳にして天性の才能を疑う者などすでにいない。ただ、だとしても、運の要素の介在しない展開を正しく戦い抜き、後続を封じきってみせるような完璧な日は、まだしばらくやって来ないと思っていた。今季を振り返ってみればハータ自身の浮き沈みは激しく、所属チームの規模もけっして大きくはない。そういう若手の常で、きっと何度も想定外の出来事に翻弄され、持っていたはずの速さがなぜか消え去る失望を繰り返し、しかしそのたびに前を見据えて、やがて本当の意味で資質を証明する優勝へと近づくキャリアを歩んでいくのだろう。経験が浅い一方で未来に多くの時間を宿す若者は、そんなふうにひとつずつ成長するしかないと信じていたのだ。

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コルトン・ハータは一段だけ進歩の階段を登った

【2019.9.1】
インディカー・シリーズ第16戦 グランプリ・オブ・ポートランド
(ポートランド・インターナショナル・レースウェイ)

インディカー・シリーズのカレンダーに復帰して2年目を迎えたポートランドは、波瀾を含んだ幕開けとなった。選手権を争うドライバーがことごとく予選の早いラウンドで敗退したのだ。ポイントリーダーにして2年ぶりのシリーズ・チャンピオンを見据えるジョセフ・ニューガーデンと2位のシモン・パジェノーは簡単に第1ラウンドで姿を消し、それぞれ13番と18番グリッドで確定した。上位の失策に乗じたかった3位のアレキサンダー・ロッシまでもが第2ラウンドで敗退し、計算上の可能性は残るが現実的に逆転は難しいと見られるウィル・パワーとスコット・ディクソンがなんとか2番手と3番手に収まるのみだったのである。シーズン残り2戦の大詰めになってさえ上位陣が突然の低調に見舞われるのは一貫性の乏しいインディカーの愛すべき一面――ポコノのスーパースピードウェイ、1.25マイルオーバルのゲートウェイを経て今回がまるで性質の違うロードコースだから、もちろん日程からして「一貫」などしていない――ではあるものの、この予選結果は、選手権の観点においては大きな動きのない週末となる展開を予想させるものだった。得点差を次の最終戦に繰り越すためのレース。いわば、数字の計算で構成される選手権という擬制のシステムをしばし忘れ、コース上で起こる出来事だけに目を向けるようしむけた予選といった趣だったろうか。(↓)

 

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ターン1の5ワイドが、佐藤琢磨の優勝から余分な文脈を切り離した

【2019.8.24】
インディカー・シリーズ第15戦

ボンマリート・オートモーティブ・グループ500
(ワールドワイド・テクノロジー・レースウェイ)

見た目の様子こそまるで違っていたが、グリーン・フラッグが振られて数秒、2列ローリングスタートによって火蓋の切られたワールドワイド・テクノロジー・レースウェイ(旧称に倣って以後は「ゲートウェイ」と記そう)に、わずか6日前のポコノでの苦い出来事が蘇るかと思われた。5番手からレースを始めた佐藤琢磨が、フラッグに加速を合わせられなかったのか一斉に後続から攻め立てられ、狭い――先週のポコノよりはるかに狭い――ターン1の手前で目を疑う5ワイドの中心に置かれた場面である。スタートが告げられた瞬間にはすでにジェームズ・ヒンチクリフが内に潜り込んでおり、2~3秒のうちにライアン・ハンター=レイがすぐ外に並びかけた。最内ではアレキサンダー・ロッシが空間を窺い、大外にはフェリックス・ローゼンクヴィストが勢いよく迫っている。佐藤はその文字どおり真ん中で身動きが取れず、さらに目の前のスコット・ディクソンにも行く手を阻まれる形となってどうにも退かざるを得なくなったようだった。だが以後のレース中にも何人もの足を掬ったゲートウェイの滑りやすい路面はこのときもまったくグリップせず、コーナリングに備えて外へと寄ってきたヒンチクリフに煽られた佐藤はわずかに挙動を乱す。さらに集団の中でダウンフォースを失った影響もあったのか、アンダーステアの症状をきたして外へと膨らみながら失速したところに、いったん自重ぎみに進入を遅らせてきていたハンター=レイが重なった。佐藤の右後輪が、ハンター=レイの車の側面に入り込み、サイドポンツーンに触れるのがわかった。それこそはあの破局を想像する一瞬だったが、内でかろうじて制御をとどめた佐藤と危険を察知して外へと逃げたハンター=レイの軌跡がもう交錯することはなく、両者は無事にターン2へと走り抜けていった。佐藤は大きく速度を落とし、ほんの数百メートルを走っただけのあいだに、順位を8つも失った。彼にとって困難なレースの始まりで、2時間後に優勝を手にするなど、まだ思いもよらなかった。(↓)

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ウィル・パワーの復活は2年前の自分に随伴していた

【2019.8.18】
インディカー・シリーズ第14戦 ABCサプライ500
(ポコノ・レースウェイ)

最近、どうも昔話を書きすぎていると思う。ただしかたあるまい、インディカーを走るドライバーたちの振る舞いが、否応なくまるで過去から照射された光線によって投げかけられた影であるかのように見えるのだから。ミッドオハイオのジョセフ・ニューガーデン、インディアナポリス500マイルにおけるシモン・パジェノー、ウィル・パワーが演ずるトロント。ロングビーチに見たアレキサンダー・ロッシの柔らかい挙動もあるいはそうだった。モータースポーツとはそういうものだろう。おなじ場所を、毎年飽きもせず、何十周、何百周とただ回り続ける競技。なじみのない人々にとって奇異な行為にさえ映るらしい単調な繰り返しは、しかしむしろおなじ動作を高度に繰り返す、反復しているからこそ、その場所に重層的な歴史を形成し、記憶の索引としての機能を獲得する。「いま、このレース」を見つめるたびに、「あのときの、あのレース」の瞬間が鮮明に蘇って美しい重なりを生む。おなじコーナーにおなじ運動が再起し、おなじ場面を浮かび上がらせてまた消える。そんなふうに、彼らドライバーは、またわたしたち観客自身が、レースという営為の中に過去と現在とが対応する写像を作るのだ。そこに流れる時間を、物語を味わう愉悦が、きっとこの競技にはある。だから、今回もまず2017年のトライオーバルについて思い出さねばならない。ウィル・パワー、すなわちオーバルで勝つべきドライバーが、紆余曲折を経て正しい結果を得た500マイルの長いレース。やがてインディ500を優勝する未来をはっきりと確信させ、9ヵ月後に本当に実現させる契機となりえた、ポコノ・レースウェイでの戦慄すべき速さについて。

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ジョセフ・ニューガーデンのスピンは、彼の一貫性を証明する代えがたい失敗だった

【2019.7.28】
インディカー・シリーズ第13戦 ホンダ・インディ200・アット・ミッドオハイオ
(ミッドオハイオ・スポーツカー・コース)

2017年のゲートウェイで、ジョセフ・ニューガーデンはシモン・パジェノーと接触した。序盤から圧倒的な速さを見せて百数十周をリードしていたにもかかわらず、フルコース・コーション中に行われた最後のピットストップで同僚に逆転を許したレースである。2番手に下がってしまったニューガーデンはしかし、217周目に自己最速タイムを記録して、リーダーの後ろについたのだった。パジェノーは同じチームに移籍してきてまだ1年目の若者をすでに大きな脅威とみなしており、ターン4の立ち上がりからホームストレートを走るあいだ、ずっと警戒をもって内側を閉めていた、1台分か、続くターン1の進入でそれより少し狭くなる程度に。コントロール・ラインを過ぎターン1へと至るとき、傍目にそこは潜り込める場所には見えず、攻める側が自制していったん撤退し、ふたたび戦いをやり直すべき局面に思われた。だがまさにパジェノーがコーナーへ進入しかかった瞬間、ニューガーデンは路面に積もった埃をタイヤで巻き上げながら、委細構わず狭い隙間に鼻先をねじ込んだのだ。車体半分だけ並びかけ、コーナリング空間を確保しようと車をかすかに右へと振る。ほんの30cm程度の動きだったものの、すでにじゅうぶん接近していた2台は触れ合った。ニューガーデンの右前輪と、パジェノーの左側面中央付近。接触した部位どうしを見れば先行側にまだ優先権があったと察せられるが、200mphを超えていただろう速度で内側から旋回の軌跡を乱されたパジェノーは遥か外の壁に進路が向き、スロットルを戻さざるを得なくなった。先頭はふたたびニューガーデンのものとなり、レースは事実上決着する。路面のグリップが低く、空力的にも過敏で前の車に近づけないために追い抜きが困難だったゲートウェイの静かな流れはこの一瞬だけ突如として暴れ、そしてすぐに静まった。パジェノーは3番手にまで後退し、ゴールまで何かが起こることはなかった。

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ウィル・パワーは速さの内にある精神を暴かれた

【2019.7.20】
インディカー・シリーズ第12戦 アイオワ300
(アイオワ・スピードウェイ)

先週のトロントでウィル・パワーが犯した2度のミスについて考えると、批判的に溜息をつくよりまず悲痛の念が先に立つ。傍目にはとうてい無理なパッシングに臨んで周囲を巻き込みながら事故に至った暴発的な運動も、ブレーキをロックさせてタイヤバリアへほとんど垂直に突き刺さる単純な失策も、彼がいま直面している状況と、困難をなんとしてでも打破したいと切に願う気持ちを思えばありうべきことだと同情的に受け止めたくなる。まして、フロントノーズがバリアに深く食い込むに至りながらもなお諦めきれずに脱出を試み、一帯に白煙が立ち込めるほどタイヤを激しくホイルスピンさせつつ後退しようとして果たせなかったその姿を見れば、彼を支配する感情が、周囲に悪意をばらまく苛立ちではなく、ただ自身の内側に向いたやるせない寂寥感なのではないかと想像して、観客側でしかない人間でさえ心を痛めてしまうのだ。今日もまた、これまでとおなじように、なにも成すことができなかったという失望。もはや笑うしかない諦め。そうした哀愁が、不調に陥ったときのパワーからはよく見える。見えすぎると言ってもいいだろう。そのありかたはシリーズ・チャンピオンとインディアナポリス500マイルの両方を手中に収めた稀代のドライバーをことさら人間的な魅力で彩るが、同時に才能の鋭さとは裏腹の弱点でもある。

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ウィル・パワーの心はターン8の白煙とともに立ち上る

【2019.7.14】
インディカー・シリーズ第11戦 ホンダ・インディ・トロント
(トロント市街地コース)

2013年の夏を思い出す。トロントを舞台とした市街地レースはこの一時期だけ、デトロイトと同様に週末2度の決勝を行っていた。からりとした――というのは映像からの想像だが――快晴であったことが妙に記憶に残る土曜日のレース1が最終周回の85周目にいたったターン3の入り口で、彼は3位を争う眼前の相手が閉ざしている狭い空間に向かって無謀としか見えないブレーキングを敢行し、予感のとおりに姿勢を乱した。バックストレート終端手前の、わずかに折れ曲がっている形状を利用して防御を図った相手の居場所を文字どおりこじ開けながら飛びこんだすえに、遅すぎるブレーキの初期制動でぐらついて相手の右リアホイールに自分の左フロントホイールを接触させ、そのままふらふらと焦点の定まらない挙動で直角コーナーを曲がろうとして果たせず、虚しくもタイヤバリアへと突き刺さったのだ。当てられた側のダリオ・フランキッティは制御を失った相手を一瞥して走り去り、後続も何事もなく傍らを抜けていった。すべての車が過ぎゆきて、彼はターン3にただひとり取り残される。最終周だからもうここを通るものはなく、レースは事故を無視するかのようにフルコース・コーションを出さないままチェッカー・フラッグを迎え入れた。すでに選手権の可能性がはるか遠のき、目標を見失っていただろうウィル・パワーが、精神の遣り場をなくして破滅的な機動に身を投じた、そう解釈したくなる一幕だった。

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コルトン・ハータはキャリアの要を手に入れた

【2019.6.23】
インディカー・シリーズ第10戦 REVグランプリ
(ロード・アメリカ)

ロード・アメリカの開幕を告げるグリーン・フラッグが振られるやいなや、アレキサンダー・ロッシがいちどコルトン・ハータの真後ろに潜り込み、須臾のドラフティングののちにふたたび打ち出されたように飛び出すと、ターン1の進入ではすでにフロントノーズの先端がわずかながら先んじているのだった。外から被せられたせいで立ち上がりのラインを封じられ十分な加速のための空間を失ったハータはロッシとの速度差に少しずつ後れを取る。その先に広がる長い直線と、コーナーとも言えない全開区間のターン2で、それでも内側のラインを維持してかすかに差を縮め、ターン3へのブレーキングに希望を託したものの、相手の深い飛び込みを前に為す術はもうなかった。立ち上がりのトラクションはロッシがはるかに優れ、2台は瞬く間に遠ざかっていく。ターン4に至って佐藤琢磨がウィル・パワーの懐に飛び込んで鮮やかなパッシングを完成させ、と同時に後方でスコット・ディクソンがまたもやスピンを喫した場面に注目が移ろったとき、すでに先頭の争いは決着し、2勝目を目論んだハータの野望は潰えていた。レースはロッシが支配する。サーキット・オブ・ジ・アメリカズでの最年少優勝に続き、最年少ポール・ポジション記録をも更新した19歳がレースをリードしたのはほんの30秒程度にも満たず、予選での歓喜に反して、とうとう一度も先頭でコントロール・ラインをまたぐ機会はなかったのである。

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予想外のジョセフ・ニューガーデンに、未来は予感されている

【2019.6.8】
インディカー・シリーズ第9戦 DXCテクノロジー600
(テキサス・モーター・スピードウェイ)

いまだ殻を破りきれず、いつまでも新人の趣を纏っているザック・ヴィーチがターン3のセイファー・ウォールに右後輪をぶつけてパンクさせ、右に左に蛇行しながら必死に立て直そうとしたのも虚しく、とうとう24度のバンク上でスピンに陥ってこの日最初のフルコース・コーションが導入されたとき、周回は135周を刻んでいて、とうぜんすべての車が給油に向かうと予想されたのである。少なくとも自分がピットに座ってレースの作戦を組み立てる立場であったなら、担当ドライバーがどの位置を走っていたとしてもピットへと戻るよう無線を飛ばしただろう。燃料を満載すれば余裕を持って60周を走れる燃費であるのはすでに知られており、コースが片付けられてピットの入口が開くとレースは残り112周といったところまで進んでいた。すなわちいま給油を行えば残るピットストップはたった1度で済むうえに、空燃比を絞らずに全開で走りきれると判断しうる状況だ。56周かける2スティント、さほど複雑な計算を要求される場面ではなく、だれもかれもがピットに入らない理由より入る理由を容易に挙げられるようだった。たとえば早めのピット作戦を採用していたライアン・ハンター=レイはあきらかに残り2回の給油が必要で、そのうち1回をここで済ませる以外の選択肢などあるわけがない。あるいはここまで巧みに燃料を節約してこの時点での給油を見送れる状態に持ち込んでいたスコット・ディクソンでさえ、それを実行するには相応の燃費走行が必要とされると考えられたから、状況が原点に戻された以上は拘泥する意味を見出せなかった。後続も概ね同様だったろう。つまり一斉に車がなだれこんでくるピットで各チームが手際を披露した後に全員の状況が統一され、再開を告げるグリーン・フラッグとともにスピードを頼みとした勝負が展開される、と想像するのはごくごく自然な成り行きだったのだ。序盤のすべてを完璧に支配していたポールシッターの佐藤琢磨が、最初のピットストップで自分の停止位置を見失い、ブレーキをロックさせてクルーを撥ねてしまう信じがたい事故を起こして大きく後退してしまった後のことである。もっとも勝利に近かった最速のリーダーがもはやないレースは序列を失った激しい戦いを繰り広げると期待もされよう。なるほど、偶然とはいえここでのコーションはなかなかの配剤であるようだった。

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