いつかのウィル・パワー

【2024.6.9】
インディカー・シリーズ第7戦 XPEL GP アット・ロード・アメリカ
(ロード・アメリカ)

一昨年のウィル・パワーは、じつに「安定」した戦いぶりで年間王者を獲得した。全17戦のうち優勝はわずか1レースだけ、2位も2回にとどまったものの、6度の3位表彰台と3度の4位によってうまく得点を稼いでするすると頂上へ登ったのである。本当に「するする」とした戴冠だった。インディアナポリス500マイルの優勝で躍進した――この年まで、インディ500の得点は他のレースの2倍に設定されていた――マーカス・エリクソンがシーズンの深まりとともに失速し、代わって印象的な速さを持って追い上げてきたチームメイトのジョセフ・ニューガーデンやスコット・マクロクリン、あるいはスコット・ディクソンといった面々は、なぜかそれぞれ大小の問題に見舞われた。彼らが優勝と失速を交互に繰り返すような戦いをしているうちに、2位と3位ばかりを積み重ねたパワーは気づけばポイントリーダーになり、そしてその座をぼんやりと守り続けた。象徴的なのはアイオワのダブルヘッダーだろう。あの週末のレース1でマクロクリンのホイールが緩むトラブルが起こらなければ、さらにはレース1に優勝しレース2でも独走状態にあったニューガーデンのサスペンションが突然折れたりしなければ、選手権の行方はまったく違ったはずだ。このふたつのレースでパワーは3位と2位を記録している。

 予選1位を5回獲得するなど衰えない速さを示しながら、一方で予選の速さはほとんどレースに表れなかった。唯一優勝したデトロイトは5回のポールスタートのどれでもなく、後方に沈んだ16番グリッドからタイヤ戦略を見事に的中させて得たものだ。レース内容をつぶさに見るかぎり、パワーが2022年の中心に就いたためしは一度もなく、中心の周りを付かず離れず回っていただけだった。ただ、本来中心にいるべき存在がそこに近づこうとすると不可思議な斥力で遠ざけられて空白を作ってしまっていたのだ。ディクソンが2勝、マクロクリンは3勝、ニューガーデンに至っては5勝。個々のレースを抽出すれば明らかにだれもがパワーより強さを発揮していたのに、にもかかわらずだれもが選手権に手を伸ばせば足元の小石に躓いて、ひとり躓かなかったパワーが最後に笑った。近年稀に見る不思議なシーズンだった。

 そうした戦いぶりは、長くインディカーを観戦する者が抱く「ウィル・パワー」の像とは乖離していただろう。むしろパワーこそ安定とはほど遠く、乱高下を繰り返すドライバーの典型だったではないか。深く強いブレーキングは速さに貢献する一方でオーバーシュートの危険をはらみ、研ぎ澄まされたコーナリングは時に鋭すぎてスピンへと繋がってしまう。目の前の相手を攻略しようとする強い意志は過剰な攻撃性と背中合わせで、暴発し自滅する場面もしばしばあった。まばゆい明と真っ黒な暗の差こそがパワーの本質だったはずであり、しかし一昨年の彼は本質を閉じ込めコントラストをなじませながらじわじわとチャンピオンへとにじり寄っていったのだ。当時、米国のモータースポーツに関して日本屈指のジャーナリストである天野雅彦は、そんなパワーを「モデルチェンジ」したと評している。本人が意図したのかどうかはともかく、実際そう言いたくなるほどの変貌ではあった。結果として、いくつかの偶然が重なったとはいえ具体的な成果を得られたのだから、そこを見ればよい変化だったのだろう。

 ただ、後知恵と嗤われるのを承知で言うならば、わたしが「モデルチェンジ」に一抹の不安を抱いたのもたしかだったのである。パワーにチャンピオンをもたらした「安定」とは、裏を返せば、レースに勝とうとするよりも今いる場所の確かさを求めること、レースで瞬間的に湧きあがる情熱に背を向けることに他ならなかったからだ。一昨年の、特に後半になって選手権の「計算」がしやすくなった時期のパワーは、3位のあたりを走りながら、前を追うでもなく、かといって必死な防戦を見せるでもなく、ただ順位なりに走る姿が目についた。ラグナ・セカでの最終戦などはまさにそうで、最後尾スタートから毎周回全力を投じて2位にまで上がった(そして最後は力尽きるようにペースを失った)ニューガーデンに対し、ポールシッターだったパワーは決勝レースで速さを誇示したりせず、ゆったりと3位に滑り込んだだけで、「上手に」チャンピオンの座に就いたのだった。

 選手権のテーブルの上に置かれた計算機が、合理的にそうするよう示したための、自然ななりゆきだったのだと思う。あの状況において、順位を拾うレースに徹した本人を怠惰というつもりはない。ただ、目の前の果実を収穫するにはもっとも適した手段だった一方で、その保守的な振る舞いは、翌年以降のパワーに不安を抱かせもした。彼はあまりにうまく守りすぎたように見えたのだ。つまり、「勝ちにいくレース」をしないドライバーに、勝利はもたらされるのだろうかと。2013年のエリオ・カストロネベスや2015年のファン=パブロ・モントーヤを例に出せば、レースよりも選手権を見つめすぎたために、皮肉にも土壇場で逆転負けを喫したのだった。パワーは選手権こそ取り逃さなかったとはいえ、同様の応報が待っていたりはしないだろうか。

 繰り返し、後知恵と嗤われるのを承知で言おう。はたして、パワーは勝てなくなった。デトロイトからずっと表彰台の頂上に登れず、2023年はチームメイトが計5勝を挙げた一方で、自身はチャンプカーからインディカーに移って以来はじめて優勝できないシーズンを送ったのである。深刻な不調に陥ったわけでは、おそらくなかった。インディ500をはじめとしていくつかのレースでは大きく負けてしまったが、前の年にだって巡りの悪い日はあったのだから大した問題ではない。それよりも、勝利のために必要欠かせない、レースの中での持続的な、かつ爆発的なスピードが影を潜めたまま戻ってこなかったのだ。2回の2位表彰台を含めて、昨季のパワーに敗北を惜しまれるレースは一度もなかっただろう。順位なりのレースを繰り返す姿は、いかにも「安定」の代償を支払っているように見えた。それに、当の安定にも綻びが生じた。正確に言えば、パワー自身の走りはさほど変わらなかったが、他の有力ドライバーが順繰りにトラブルに遭ったりせずにきちんとフィニッシュしたぶんだけ順位が下がった。前年は3位だったのが5位になり、4位が7位になり――事実、昨季は計9回もあった3~4位が3回にまで減少し、逆に1回しかなかった5~10位でのフィニッシュは6回を数えた。安定感はほとんど変わらないままに、少しだけ結果が悪化している――と、言ってしまえば必然的な平均への回帰である。選手権は7位。レースでの印象からすれば、なるほど納得感のある順位だ。2022年もほんの少し歯車の噛み合わせが違えば案外このあたりに落ち着いていたのかもしれない。

 状況に最適化した「モデルチェンジ」によって得たチャンピオンと引き換えに、ウィル・パワーはなまくらになってしまったのだろうか? パワーのもっともパワーらしい部分はどこかに消えてしまったのだろうか? そう思うところはたしかにあった。レースカーがもっとも速く走れる限界の点があり、その先へドライバーが飛び込んで後戻りできなくなってしまったときに破綻が起こるのだとすれば、速さとは本質的に限界の上で危うく揺らぎ、過剰であっても過少であっても表せないものだ。危うさを排除した安定は、裏を返すと過剰へと限りなく接近する、わずかな、しかし最上の速さを見捨てる後ろ向きな姿勢でもある。そしてインディカーでは(もちろんインディカーでなくとも)、ときにそのわずかな部分が勝敗に直結するのだ。絶対に相手を追い抜かなければならない一度きりの場面が訪れたとき、たとえ接触しようとも狭い空間に飛び込んでいけるかどうか。ピットストップ直後のアウトラップで、冷えたタイヤを恐れずにあと0.7秒を削れるかどうか。たったそれだけの違いが優勝と優勝以外を分けたりする。「アイスマン」と呼ばれるほど冷静沈着を特長とするディクソンでさえ、際どいサイド・バイ・サイドに身を投じるし、ミスを犯す場合だってある。翻ってパワーにそういう瞬間はすっかり見なくなった。それはつまり、彼が本来備えているはずのスピードが本当の意味では消えてしまい、そして消えてしまったために勝てない2年間があったということだった。

 もっとも、どんなレーシングドライバーも車の潜在能力以上には速く走れない以上、こうした見方は不公平かもしれない。一昨年のデトロイト以降、現実的にパワーが勝ちえたレースがどれほどあったのかと問われると口ごもってしまいそうだ。今季に入ってすでに2位を2度獲得しているが、アラバマではマクロクリン、インディアナポリスではアレックス・パロウとポールシッターが完全に支配して、パワーに付け入る隙はなかった。これらをもって勝利よりも安定を求めたと言い募るのはたしかに不当だろう。ただ一方で、終盤にかけてなすすべなく差を拡げられていくパワーに、現状を打破しようとする手立てはないのかともどかしく思ったのもまた事実だった。成功するにせよ手ひどい失敗に終わるにせよ、こういうときに何かやってみせるのがウィル・パワーだったろうと。

 ロード・アメリカの中盤、チーム・ペンスキーの3人がマクロクリン、ニューガーデン、パワーの順で1‐2‐3態勢を固める様子を見ながら、だからパワーの存在は少し意識の外にあった。奇妙といえば、これも十分奇妙な始まりかたをしたレースだった。ポール・ポジションを獲得したのが新人のリナス・ランクヴィストで、コルトン・ハータを挟んで3番手にマーカス・アームストロング。チップ・ガナッシ・レーシングのうち若い2人が躍動した予選で新世代の可能性を印象づけたと思ったのに、あろうことか1周目のターン1でアームストロングがランクヴィストに追突し、ともにスピンして最後尾に後退してしまったのだ。先頭の混乱は寸時に後続へと伝播し、ハータも事故を避けようと急減速したところをニューガーデンに押されて回る。こうしてグリーン・フラッグからほんの10秒あまりで予選上位3人が勝負から消え、レースの風景はスタート前とは似ても似つかないものになった。ようやく状況が落ち着いたのは立て続けに3回導入されたフルコース・コーションが過ぎ、長い第1スティントが終わったころで、するとペンスキーの隊列ができあがっていたのである。(↓)

PPを獲得したランクヴィストのレースは、残念ながら十数秒で事実上終わった

 ペンスキーの3人は、マクロクリンがカイル・カークウッドを、ニューガーデンがアレキサンダー・ロッシを、パワーがディクソンをそれぞれに質の高い追い抜きで攻略し、最初のピットストップを終えた。予選こそあまり振るわなかったもののレースペースは明らかに優れ、チーム単位で図抜けた存在になっていたようだった。スタート直後の事故を含め、3回立て続けに導入されたフルコース・コーションも隊列が落ち着いたあとは出番がなく、レースは平穏な表情を見せはじめている。混乱から同一チームが上位を固める速さ本位の戦いへの移行は、つまり何か特別なやり取りを生み出さなければ状況を変えられない展開になったことを意味していた。安定を求めれば、そのままフィニッシュまで流れていくだけだ。

 ともすれば退屈に終わりうる展開で、特別なやり取りはたしかにあった。だが担い手はパワーではなく、前を行くふたりのチームメイトである。緊張感のある攻防はピットストップの前後で生まれた。単純なペースでは互角に近い中、インラップとアウトラップに大きな見どころがあった。マクロクリンが先に動き、ニューガーデンが1周あとに追従する。そうした構図が3回のピットストップすべてで描かれ、そのたびにニューガーデンが少しずつ上回った。最初のピットの直前で2人の差は5秒も離れていたが、アウトラップでタイヤが冷たいマクロクリンに対しニューガーデンはインラップで猛然とスパートをかけ、18周目の合流で逆転してみせる。もちろんウォームアップの済んだ相手と勝負になるはずはなく、直後のターン1ではマクロクリンが再逆転したものの、新しいスティントで両者の差は3秒前後に縮まった。

 5秒が3秒に。たった2秒であっても景色はがらりと変わる。31周目、ニューガーデンがピットから出てターン1に進入しようとしたとき、アウトラップを終えたマクロクリンはまだピット出口のあたりにさしかかるところだった。さらに、1.7秒後ろで同時にピットストップを行ったパワーが、2人の間に割って入る。前回のピットストップを踏まえれば、計算どおりの位置関係だった。マクロクリンは先ほどと同様にターン1の脱出でパワーを交わし、ニューガーデンもターン5で逆転したが、逆転した場所の違いはタイム差よりも如実に接近を感じさせた。そして36周目、柔らかいオルタネートタイヤを履いて少しペースの落ちたマクロクリンに、硬いプライマリーのニューガーデンが追いついてフロントストレッチで追い抜きを果たす。わずかな違いを少しずつ積み重ねて完遂した丁寧なリードチェンジだった。

 この争いに、3番手のパワーはほとんど絡んでいなかったのである。ピットアウトの瞬間にマクロクリンの前に出ただけで他には何もなく、あとは淡々とチームメイトの後ろを走っているだけのようにも見えた。ニューガーデンがマクロクリンを攻略した際も割って入れたわけではない。新しくリーダーになったニューガーデンは着実に逃げる態勢に入っていたが、マクロクリンとおなじオルタネートを履くパワーはペースが揃ってしまったようで、差は少しずつ開いていった。それはここ2年ずっと眺めていた安定したパワーの姿そのもので、だからニューガーデンと2.5秒差にまで開いたときには、レースはすっかり決着したと思ったのである。

先頭に立ったパワーは、あっという間にニューガーデンとマクロクリンを突き放した

 1分43秒3653。43周目にパワーが記録したその時点でのファステストラップは、2024年のロード・アメリカについて語ろうとするならば覚えておく価値があるだろう。この日、パワーは静かにレースの中心から消えてしまうのではなく、ついにレースの中心として堂々と存在感を誇示した。42周目の終わり、予想どおりマクロクリンが最初にピットレーンへ向かい、パワーの前が少し開けた。瞬間、パワーが本当のスピードを隠し持っていたことを初めて知る。この1周で、ニューガーデンとパワーの差は2.5秒から1.2秒へと半減したのである。たしかに43周目は、ニューガーデンにとって周回遅れのノーラン・シーゲルに引っかかり、ターン5で少しコースを飛び出したせいもあってペースを鈍らせた周ではあった。だがそれを差し引いても、パワーの接近は急激すぎて、目を疑うほどだった。ライブタイミングに現れた1分43秒3とは、後続を引き離しつつあった直前のニューガーデンと比べてなんと1秒も速いタイムだったのだ。43周目の終わり、マクロクリンの翌周というルーティンを守って最後のピットストップに向かったニューガーデンに対し、パワーはスティントを引き延ばす。そして44周目、記録を確認すれば前の周に比べてさらに速いタイムでターン14までを駆け抜けたパワーはピットに戻り、ニューガーデンよりもはるか前方でコースに合流する。ターン1、3。最大の抜きどころであるターン5でもまだ届かない。丸1周を耐え、戻ってきてフロントストレッチのインを守りきってターン1を制すれば、タイヤにはすっかり熱が入って、もう脅かされる心配はなくなった。

 パワーのペースは最後のスティントでむしろもっとも力強く、結局ニューガーデンに4秒以上の差をつける。チェッカー・フラッグは、43周目と44周目の鮮やかなスパートがもたらした深い感嘆とともに迎えられた。速さをもって後続を完全に封じ、最後は静謐にレースを閉じるやりかたである。優勝じたいは2年ぶり、だが本来のパワーが、パワーのパワーらしい勝ち方が現れたのはもっと久しぶりのことだった。正直にいえば、このような彼を見られる機会はもうないかもしれないとさえ思っていた。43歳にもなれば純粋なスピードでは若手に敵うまい。キャリアの終わりは確実に近づいていて、そこで成功させたのが一昨年の「モデルチェンジ」だったのだ。それでどうしてふたたび過去の自分に戻れるものか。アスリートが加齢に伴って衰えていく過程で、消えてしまうものはどうしたってある、そういうものではないかと。だがまた、アスリートその人にとって最後に残るのは、やはり元から備わっている本質なのだと、ロード・アメリカの最後の十数周は思い知らせてくれたようだ。瞬間的な速さの発露と、悠然とした逃げ切り。原点に立ち返る勝利。パワーを懐かしく思い出す、これは本当にすばらしいレースだった。もっとも、この結果によってポイントリーダーになった彼が今後どのように振る舞うのかは、まだわからないけれども。■

ペンスキーが表彰台を独占。43歳のパワーは速さ負けせず、まだまだ一線級であることを示した

Photos by Penske Entertainment :
Chris Owens (1, 3)
James Black (2)
Joe Skibinski (4)

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