遅すぎたフェルナンド・アロンソ

【2012.11.4】
F1世界選手権第18戦 アブダビGP
 
 
 たとえ観客という形でしか参加していなかったとしてもひとつの競技を長い間見続けていれば、だれもが退屈な夜にふと思い出したくなる光景をひとつやふたつ抱いているものだろう。モータースポーツにとって思い出されるべき瞬間は本当に短く儚いものだが、わたしが記憶の底から何度も引っ張りだして今なおこのように書きたくなってしまう場面のひとつが、2010年のF1世界選手権最終戦となったアブダビGPの51周目にある。ルノーのヴィタリー・ペトロフを追いかけていたフェラーリのフェルナンド・アロンソがターン18で小さくコースオフした、現象だけ見ればレースのうちに数回はありそうな、順位の変動も何もない些細なできごとである。

 このアブダビGPのことは当時も触れているが、ポイントリーダーとして臨んだアロンソが果たさなければならなかった使命がそれなりに容易だったことは多くの人が記憶していると思う。選手権3位のセバスチャン・ベッテルに対してはレースの4位入賞で無条件に上回り、2位のマーク・ウェバーを見ても8ポイント差を逆転されなければ――雑な言い方をすれば、1つくらいのポジションなら譲ってもよい――逃げ切れるというくらい、彼は優位な立場にいた。シーズン終盤に向けてベッテルが安定感を取り戻しつつあったのは脅威の一つだったかもしれないが、実際のところ、ライバルの動向に神経質にならず、自分なりの仕事を完遂すればそれでよかったはずのレースだった。

 しかしフェラーリは最悪のタイミングで最悪の一手を指す。明らかにスピードに苦しみ集団に埋もれかけ、早々と11周目にタイヤ交換を済ませたウェバーに対して過敏に反応し、まだ後続に対して十分なリードを築いていなかったアロンソを15周目にピットへと呼び寄せたのだ。開幕周に起きたミハエル・シューマッハとビタントニオ・リウッツィの事故を起因として導入されたセーフティカーがゆっくりと隊列を先導する間に、ペトロフがピット作業を済ませ、ふたたび集団に取り付いていた。すなわちひとたびペトロフの後ろになればコース上でオーバーテイクするしか順位を上げる方法がなくなるということであり、そしてヤス・マリーナはそれが困難なトラックとして知られていた。だからアロンソは、この危険な新人ドライバーに対して自分のピットストップで出し抜けるまでにリードを形成する必要があったのである。

 だがウェバーに先着するという一つ目の使命にだけ囚われたフェラーリは、ペトロフの背後にアロンソを戻してしまった。この愚直でばかげた判断ミスによって――その失敗を難ずるのは結果論だと議論が喧しくなり、結局最後にはアロンソ本人によって擁護されたものの、しかし進行中のできごととしてもありえない判断に感じられたことは当時書いたとおりだ――アロンソは集団に埋没し、4位という簡単な結果を取り逃がす。はたしてポールポジションからスタートしていたベッテルは悠々とレースを逃げ切り、アロンソには失意だけが残った。

 それを誤算と言うのは想定の甘さを意味するものでしかないが、ルノーの速さが想像以上だったことはたしかなのだろう。アロンソ自身にも早めに抜いておかなければ危機を招く懸念はあったと見えて、23周目にはターン11で到底止まれない深さからの無理筋なブレーキングを敢行してオーバーシュートするミスを犯している。実際に嫌な予感は当たる。ラップタイムでペトロフを上回っているのは明らかだったが、ヤス・マリーナ・サーキットと高性能のFダクトを備えたルノーの直線スピードの組み合わせはフェラーリのチャンスをことごとく摘んだ。アロンソはペトロフの背中に張り付きながら、無力に時間を浪費していった。

 51周目には、もう何もかもが手遅れだったのである。ペトロフに頭を抑えられているうちに上位のドライバーたちもピット作業を終え、悪いことにペトロフの前でコースに戻っていて、7位のアロンソはベッテルのトラブルを祈るしかなくなっていた。ターン18のミスはそんなときに起きている。全開のターン17から横Gを残しつつ直角の右へと切り込んでいくブレーキングで、アロンソはなかば自棄になったようにペトロフのインサイドを狙ったが、ドアはとうに閉じられていた。車速を十分に落としきれずにフロントウイングをペトロフのリアへと追突させんとする刹那、アロンソは左へと操舵しなおし、ドライバーの混乱のすべてを受け止めて推進力を失ったフェラーリF10はエスケープゾーンへと流れていった。

 もはや万策尽きていたのは、本人がもっとも理解していたことだろう。いまさら1台抜いたところで4位までの20秒を残り4周で追いつく術などありはせず、状況はなにひとつ改善しない。アロンソはすでに敗れた後だった。だからこそ、ということでもある。無意味な勇気によって犯されたミスは元王者の意地でも最後の抵抗でもなんでもなく、ただただ失望の顕れに見えた。そしてそれがモータースポーツの残酷で甘美な瞬間として、わたしを捉えて放さなかったのだ。

***

 あれから2年が経った。アロンソが置かれた状況は、どうも当時とあまり変わっていない。速さに勝るレッドブルが不調や単純なミスでポイントを失うわずかな隙を狙って、頭脳と集中力で局面を打開しながら僅かなリードを積み上げていくさまは、世界中から最高のドライバーであることを称賛されるにふさわしいことをたしかに証明している。しかし、劣勢を覆すために消費される集中力はたぶん1年を通しては続かない。シーズンが終盤に近づくと選手権を知り尽くし「すぎて」いる彼の保守性が頭を擡げる。速さで及ばない相手に局地戦を挑んで勝ちにいくのではなく、負けても傷を最小限に留めるレースに徹しようとしはじめる。それはたしかに所期の矮小な目論見どおり何度か成功するのだが、小さな傷に安堵しているうちに気づけばリードは小さくなっており、最後にはレッドブルの、というよりはベッテルの爛漫なスピードに袈裟斬りされて致命傷を負うことになる。2年前にそうやって敗れ、2012年もまたそうなろうとしていた。

 失うものがないときには搦手からでさえ勝利を引き寄せる一方で、守るべき地位ができると過度に守勢に回ってその場を凌ぐことが目的化され、しばしば最終目標を見誤る。2012年は、アロンソの長所と短所がわかりやすく凝縮された、彼のキャリアを存分に象徴する年として記憶されることだろう。シーズン序盤はライバルの不調にも乗じて長らくポイントリーダーの座にいたものの、秋口に入ってベッテルがスピードを取り戻すと追い込まれたように貯金の取り崩しを始めてしまった。しかも、2年前と違ってシーズン途中にポイントを逆転されたにもかかわらず、その後もアロンソから聞かれる言葉は「We limited the damage.」といった類のものばかりで、反攻に転じる姿勢を見せる気配すら窺えない。頑迷な保守性はしばしばレースに臨む態度を硬化させ、柔軟な対応と勝利のための勇気を阻害する。この時期のアロンソは――フェラーリが勝てる組織ではなくなっていたという環境以上に――勝てるドライバーではなく、なにかの拍子に幸運が転がり込んでくるのを待つばかりだった。
 ベッテルがチームの失態によって予選結果を剥奪されてピットスタートに甘んじたアブダビは、アロンソにとって実際に訪れた最後の希望だったとは言える。だが、希望だったからこそレース中盤までの彼は冒険のないドライビングに徹し、リスクを取って失策を犯した相手に最大限のダメージを与えるような動きを見せることがなかった。たしかにフェラーリの戦闘力がそれを許すレベルにはなかったのも事実だろう。だがそれにしても、勝利への意志をドライビングから感じることはできなかった。畢竟、臆病とも言い換えられるほど保守に徹しすぎた報いをアロンソは受ける。週末突出して速かったマクラーレンのルイス・ハミルトンのリタイアなどに乗じて2位こそ確保したものの、ベッテルもまた39周目にセーフティカーが導入されたときには4位にまで浮上していたのである。ベッテルは自らの力で、「limited the damage」を完遂しつつあった。アロンソの可能性はほとんど閉ざされてしまっていた。

 アロンソが自分の位置を理解したのは、ベッテルがバトンをパスしてついに3位へと浮上し、自分の背後に迫った残り3周のことだった。選手権を打開するには先頭のライコネンを捉えて優勝するしかなくなったアロンソは、タイヤの最後のグリップを使ってスパートをかける。だが2年前と同様に、もう遅すぎた。ライコネンとのギャップは回復が困難なほど大きく、54周目ターン20の凛々しいカウンターステアも、さらに最終ターンで見せたリアタイヤのスライドも、徒花のパフォーマンスに終わる。その矛先のない攻撃性はあのターン18とおなじ、状況への失望に思われた。最大のチャンスで3ポイントしか詰めることのできなかったアロンソは、最後にはベッテルの選手権3連覇を許したのである。

ジェンソン・バトンが惜別のタイヤスモークを上げる

【2012.11.25】
F1世界選手権 第20戦ブラジルGP
 
 
 ライブタイミングによれば6周終了時点でのマクラーレンのジェンソン・バトンとチームメイトのルイス・ハミルトンとの差は0.0秒で、2人はサイド・バイ・サイドでコントロールラインを通過していた。国際映像がロマン・グロジャンの愚鈍な単独クラッシュの場面からターン1を正面から捉えるカメラに切り替わってすぐのことだ。インサイドを守ったハミルトンが丁寧なブレーキングから早めにターンインすると、外からかぶせる素振りをちらりと見せたバトンのマシンの前輪から一瞬遅れてぱっとタイヤスモークが上がり、少し挙動を乱しながら後に続いた。長いストレートを生かして並びかけたもののインを押さえられてオーバーテイクには至らない、というレースによくある一コマであった。

 繊細で、絹布のような印象を与えるドライビングスタイルはF1の世界においてもバトンに随一のものだが、しかしレースでの彼は意外なほどブレーキングの厳しいドライバーでもある。巡航状態では徹底して角のとれたぬめるようなライン取りでタイヤに負担をかけない走りを見せているのに、ひとたびポジションを争う場面になればいきなりモードが切り替わって、深いブレーキングを多用して相手から主導権を奪おうとする鋭さが立ち現れてくる。そういうときのバトンを観察すると、バトル相手を絶対に危険へと追い込まない紳士でありながら、自らのマシンに対しては横暴に支配下に置こうとする二面性を見ることができて楽しい。とくに中高速から低速へのフルブレーキング、それもたとえばサーキット・オブ・ジ・アメリカズのターン15や、バーレーンインターナショナルサーキットのターン9~10、あるいは鈴鹿サーキットのヘアピンのように、横Gを残しながら車速を大きく落としていく難しいコーナーで、彼はしばしばタイヤを激しくロックアップさせ、路面との摩擦によって白煙を巻き起こす。その量が時としてだれのものよりも多いのは、バトンがステディなだけにとどまるドライバーではない何よりの証拠だ。

 タイヤのロックは、マシンが止まるための物理的な限界を超えていることを示すものだ。それは破綻の一歩手前であり、見る者に次なる危機を予見させて緊張を強いる。だがバトンは、どれだけマシンが白煙に包まれてもコーナーのクリッピングポイントに向けてマシンを正確に止めきって、午後の紅茶の温度が少しばかり高かった程度のことだとばかり事もなげに加速していってしまう。瀬戸際のバトルの最中にロックアップしようとも、何も変わらずエイペックスをなぞっていく様には、破綻の予感などいささかも抱かせない。速さに優れるチームメイトが派手なタイヤスモークとともにオーバーシュートや接触事故を起こし、少なくないポイントを失ってきたのとは対照的だ。グリッド上にこれほど「止められる」ドライバーは見当たらない。バトンはコーナーの「頂点」を知悉している。どんなときも頂点を外さない質の高さによって、彼は2009年のシーズンを制し、マクラーレンに移ってもハミルトンをチャンピオンシップで上回った唯一のドライバーとなったのだった。

***

 マクラーレンは来季、長らくチームに君臨していたハミルトンをメルセデスへと送り出し、大きく舵を切ることになった。2人のイギリス人王者を並べたドライバー構成は、ここ2年ハミルトンのパフォーマンスがやや低迷したこともあって結局タイトルをもたらすことはなかったが、両者が良好であり続けたことで組織が正常に機能し、どんな苦境でもシーズン後半までには開発を間に合わせて優勝争いに加わるこのチームらしい強さを発揮し続けた。ドライバー同士の亀裂に苦心する歴史を重ねてきたマクラーレンにとって、強いバトンと速いハミルトンがお互いを尊重しながらコンビを組んだ3年間は十分に幸せな時期だったといえる。新しく迎える若いセルジオ・ペレスは、速さは見せるものの不用意なミスも多く、まだトップチームを牽引するだけの資質を示してはいない。バトンとペレスで作られるチームが強靭なものになるかは、まだまったくわからない。しばらくマクラーレンはバトンのチームになるだろう。2人の王者が並び立っていた3年間に比べれば、やはり少し寂しいことである。

 雨のブラジルGPで、もはやチャンピオンシップから解放された2人は、別れを惜しむように何度かラインを交錯させ、オーバーテイクし合った。最後の時間は55周目にハミルトンがニコ・ヒュルケンベルクのスピンに巻き込まれてフロントサスペンションを壊すまで重ねられたが、中でもわたしをいちばん感傷的にさせたのが、7周目のターン1――いわゆるエス・ド・セナへの進入だった。最終コーナーから続く上り坂がコントロールラインの先で峠を迎え、下りながらブレーキングポイントに差しかかる。重力が摩擦力に抵抗する難しいコーナーの入口で、リードするハミルトンに外から並びかけたバトンがブレーキングを敢行すると、タイヤがロックアップして白煙が舞い上がり、一瞬だけフロントのグリップを失う仕草を見せて、しかしそうなることが当たり前のように抜ききれなかったハミルトンについてイン側のクリッピングポイントにある縁石を踏み、右、左へと切り返していった。

 バトンは、いつだって止めてみせる。泡沫のように終わった7周目ターン1の攻防は、並びかけはしたもののインを押さえられてオーバーテイクに至らないというレースのよくある一コマではあった。だがこちら側の感傷という勝手なフィルターを通してみると、それはハミルトンと3年にわたって分け合っていたエースを一人で背負う資格を証明し、ハミルトンを送り出す餞別のフルブレーキングにさえ見えてしまったりもするのである。