ジェンソン・バトンが惜別のタイヤスモークを上げる

【2012.11.25】
F1世界選手権 第20戦ブラジルGP
 
 
 ライブタイミングによれば6周終了時点でのマクラーレンのジェンソン・バトンとチームメイトのルイス・ハミルトンとの差は0.0秒で、2人はサイド・バイ・サイドでコントロールラインを通過していた。国際映像がロマン・グロジャンの愚鈍な単独クラッシュの場面からターン1を正面から捉えるカメラに切り替わってすぐのことだ。インサイドを守ったハミルトンが丁寧なブレーキングから早めにターンインすると、外からかぶせる素振りをちらりと見せたバトンのマシンの前輪から一瞬遅れてぱっとタイヤスモークが上がり、少し挙動を乱しながら後に続いた。長いストレートを生かして並びかけたもののインを押さえられてオーバーテイクには至らない、というレースによくある一コマであった。

 繊細で、絹布のような印象を与えるドライビングスタイルはF1の世界においてもバトンに随一のものだが、しかしレースでの彼は意外なほどブレーキングの厳しいドライバーでもある。巡航状態では徹底して角のとれたぬめるようなライン取りでタイヤに負担をかけない走りを見せているのに、ひとたびポジションを争う場面になればいきなりモードが切り替わって、深いブレーキングを多用して相手から主導権を奪おうとする鋭さが立ち現れてくる。そういうときのバトンを観察すると、バトル相手を絶対に危険へと追い込まない紳士でありながら、自らのマシンに対しては横暴に支配下に置こうとする二面性を見ることができて楽しい。とくに中高速から低速へのフルブレーキング、それもたとえばサーキット・オブ・ジ・アメリカズのターン15や、バーレーンインターナショナルサーキットのターン9~10、あるいは鈴鹿サーキットのヘアピンのように、横Gを残しながら車速を大きく落としていく難しいコーナーで、彼はしばしばタイヤを激しくロックアップさせ、路面との摩擦によって白煙を巻き起こす。その量が時としてだれのものよりも多いのは、バトンがステディなだけにとどまるドライバーではない何よりの証拠だ。

 タイヤのロックは、マシンが止まるための物理的な限界を超えていることを示すものだ。それは破綻の一歩手前であり、見る者に次なる危機を予見させて緊張を強いる。だがバトンは、どれだけマシンが白煙に包まれてもコーナーのクリッピングポイントに向けてマシンを正確に止めきって、午後の紅茶の温度が少しばかり高かった程度のことだとばかり事もなげに加速していってしまう。瀬戸際のバトルの最中にロックアップしようとも、何も変わらずエイペックスをなぞっていく様には、破綻の予感などいささかも抱かせない。速さに優れるチームメイトが派手なタイヤスモークとともにオーバーシュートや接触事故を起こし、少なくないポイントを失ってきたのとは対照的だ。グリッド上にこれほど「止められる」ドライバーは見当たらない。バトンはコーナーの「頂点」を知悉している。どんなときも頂点を外さない質の高さによって、彼は2009年のシーズンを制し、マクラーレンに移ってもハミルトンをチャンピオンシップで上回った唯一のドライバーとなったのだった。

***

 マクラーレンは来季、長らくチームに君臨していたハミルトンをメルセデスへと送り出し、大きく舵を切ることになった。2人のイギリス人王者を並べたドライバー構成は、ここ2年ハミルトンのパフォーマンスがやや低迷したこともあって結局タイトルをもたらすことはなかったが、両者が良好であり続けたことで組織が正常に機能し、どんな苦境でもシーズン後半までには開発を間に合わせて優勝争いに加わるこのチームらしい強さを発揮し続けた。ドライバー同士の亀裂に苦心する歴史を重ねてきたマクラーレンにとって、強いバトンと速いハミルトンがお互いを尊重しながらコンビを組んだ3年間は十分に幸せな時期だったといえる。新しく迎える若いセルジオ・ペレスは、速さは見せるものの不用意なミスも多く、まだトップチームを牽引するだけの資質を示してはいない。バトンとペレスで作られるチームが強靭なものになるかは、まだまったくわからない。しばらくマクラーレンはバトンのチームになるだろう。2人の王者が並び立っていた3年間に比べれば、やはり少し寂しいことである。

 雨のブラジルGPで、もはやチャンピオンシップから解放された2人は、別れを惜しむように何度かラインを交錯させ、オーバーテイクし合った。最後の時間は55周目にハミルトンがニコ・ヒュルケンベルクのスピンに巻き込まれてフロントサスペンションを壊すまで重ねられたが、中でもわたしをいちばん感傷的にさせたのが、7周目のターン1――いわゆるエス・ド・セナへの進入だった。最終コーナーから続く上り坂がコントロールラインの先で峠を迎え、下りながらブレーキングポイントに差しかかる。重力が摩擦力に抵抗する難しいコーナーの入口で、リードするハミルトンに外から並びかけたバトンがブレーキングを敢行すると、タイヤがロックアップして白煙が舞い上がり、一瞬だけフロントのグリップを失う仕草を見せて、しかしそうなることが当たり前のように抜ききれなかったハミルトンについてイン側のクリッピングポイントにある縁石を踏み、右、左へと切り返していった。

 バトンは、いつだって止めてみせる。泡沫のように終わった7周目ターン1の攻防は、並びかけはしたもののインを押さえられてオーバーテイクに至らないというレースのよくある一コマではあった。だがこちら側の感傷という勝手なフィルターを通してみると、それはハミルトンと3年にわたって分け合っていたエースを一人で背負う資格を証明し、ハミルトンを送り出す餞別のフルブレーキングにさえ見えてしまったりもするのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です