D席にて、あるいは日本GP観戦記のようなもの

Photo by Wolfgang Wilhelm

【2018.10.7】
F1世界選手権第17戦 日本グランプリ

F1を見るためにはじめて鈴鹿サーキットへ足を運んだのは大学生のときで、新人のフェルナンド・アロンソがミナルディを走らせていた年だから、つまり2001年と決定できる。昔は日本GPといえばシーズンも押し迫った時期におこなわれるものだった、ひょっとするとこの年は最終戦だったろうか。ああ、だからなのか直前になってジャン・アレジが突然に引退を表明して、中日スポーツはモータースポーツ面の多くを惜別に割いていたのだ。それを友人と2人読みながら名古屋駅で近鉄電車に乗りかえサーキットへと向かう、記憶がたしかなら快晴の金曜日。日本で人気の、しかもこのときジョーダン・ホンダに乗っていたドライバーが臨む文字どおり最後のレースに対する餞にと他のチームがさて手を抜いたのか、午後のフリー走行でトップタイムを記録して、翌日の中スポはやはりアレジ一色になった。たぶん1分35秒4だか6だか、それくらいのラップだったと、ぼんやり数字を覚えている(まったく記憶違いの可能性もある)。たしか前年のポール・ポジションより速かったから上々ではあるはずなのだけれど、もちろんF1の進化はそんな甘いものではなく、みんなが本気になった――のだろう――予選が始まるととたんに1秒も2秒も更新されてアレジは集団に埋没し、60分後にはすでにチャンピオンを決めていたミハエル・シューマッハが大方の予想どおり驚嘆すべき速さで1位になっていた。やがて成し遂げる選手権5連覇の2年目、いまとなっては追憶の彼方に去ったフェラーリ黄金時代の一頁といったところだ。アロンソはといえば万年最下位のミナルディにあってすでに注目を集める存在だった、なるほどその才能は素人目にも明らかで、ホームストレートから臆する素振りもなく1コーナーへと飛び込み、2コーナーに向かって一気に減速しながら旋回する後ろ姿の妖艶な滑らかさが、チームメイトのアレックス・ユーンとまるで違っている。彼のコーナリングの軌跡はまったく歪みなく一本の曲線を描き、ちょっと見ただけなのに、僕と友人はとんでもないのがいる、あれはものが違うと囁きあう、いやちがう、耳の調子がおかしくなるくらいに甲高く響くエンジン音の隙間を縫って怒鳴りあうほどだった。実際タイムはすばらしく、予選ではアロウズとプロストを上回ったはずだ(Wikipediaあたりで確認すれば正確な記録はすぐわかるが、あえて調べずにおこう)、繰り返すとミナルディ、往時を知っている人なら「あの」と自然に付け足したくなるチームで。それはあの年に何度かテレビで見た場面ではあったのだけれど、あらためて目の当たりにしたときの衝撃といったらなかった。僕はアロンソを、たった4年後に世界王者となる同い年の走りを目にして、専門知識のないただの観客であっても、そこにいるだけでなにかが「わかる」ことはあるのだと知ったのだ。これだけで、当時住んでいた木造アパートの家賃に匹敵する大枚を叩いてA席に座った意味はあった。
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ホンダF1はその精神によって自らを空虚にしている

 2015年のF1は昨年に引き続きメルセデスAMGが圧勝を演じるさまを延々と繰り返しながら閉幕したが、一方で他のメーカーから遅れること1年、満を持して新規則パワーユニット(2014年に新規導入された、ターボエンジンとエネルギー回生システムを組み合わせた統合動力源)をマクラーレンに供給する体制で参戦したホンダは惨憺たる成績に終わった。無惨な一年だった、といっても差し支えないだろう。マクラーレンからしてホンダと組む以前より苦戦する傾向にあったとはいえ、いやだからこそ新しい関係となる2015年を再起の始まりの年と位置づけてフェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンの王者2人を揃えたにもかかわらず、入賞は合わせてわずか6回、コンストラクターズ部門でメルセデスから離されること676点の27点に留まり、下にはマノーを見るだけの10チーム中9位に沈んだ。「マクラーレン・ホンダ」といえば、アイルトン・セナとアラン・プロストを擁して16戦15勝を記録したあの1988年から始まる愛憎入り交じりながらも栄光に満ちた5年間を思い出すファンも多かろうが、あれからはや四半世紀ほどが経った今、その名の響きに対する甘美な郷愁は、まさに当時の彼らを髣髴とさせるメルセデスの圧勝を羨望の目で見るしかないままに裏切られ続けたのだった。あとに残ったのは膨れ上がった失望と、それに伴う教訓と、わずかに拠り所とするしかない来季への希望だけだ、といってみたくもなる。
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小林可夢偉は10年遅れのヤルノ・トゥルーリだったのだ――さよなら大好きなフォーミュラ1

 2014年のF1が閉幕を迎えると、当初から予想されていたとおり、グリッド上唯一の日本人ドライバーだった小林可夢偉はそのシートを失った。ケータハムの車はサーキットでつねに最も遅く、その中で小林はチームメイトの新人マーカス・エリクソンを圧倒し、時に予選でライバルであるマルシャのマックス・チルトンを破る抵抗も見せたが、最後尾でのささやかな活躍が2015年のシートに繋がる可能性を信じられた人はたぶんほとんどいなかったし、事実移籍先を見つけられることなく、日本のスーパーフォーミュラへと戦いの場を移すことになった。2012年に一度シートを失い、細い糸をかろうじて手繰って手に入れた居場所の、再度の喪失である。近年の情勢からいって復帰への道はきわめて厳しく、彼のF1での戦いにはひとまず終止符が打たれたと言わざるをえない。新たな世代がのし上がってこないかぎり、日本人ドライバーのいないF1サーカスはしばらく続くことになる。
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2014年F1参戦ドライバーの仮定スーパーライセンスポイント

この記事は、別掲「小林可夢偉は10年遅れのヤルノ・トゥルーリだったのだ――さよなら大好きなフォーミュラ1」の参照ページです。2016年度からスーパーライセンス交付基準に下位カテゴリーの実績に応じて付与されるポイントが適用されるとの決定に合わせ、2014年に参戦したドライバーがF1デビュー直前の3年間でどれだけのポイントを獲得したかを推計しました。詳しくは本文を参照していただきたいのですが、ペイドライバーと言われている若手の多くが基準の40点をクリアしている一方で、チャンピオン経験者がハミルトンを除いて軒並み達していないのが興味深いところでしょう。

■セバスチャン・ベッテル(07年デビュー)
06年 F3ユーロシリーズ(ヨーロッパF3の前身) 2位(30点)
05年 F3ユーロシリーズ 5位(8点)
04年 フォーミュラBMW 1位(0点)
計38点→×

 

■ダニエル・リカルド(11年デビュー)
10年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)
09年 英国F3 1位(10点)
08年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)
(※2011年フォーミュラ・ルノー3.5 5位)
計37点→×

 

■ルイス・ハミルトン(07年デビュー)
06年 GP2 1位(50点)
05年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)
04年 F3ユーロシリーズ 5位(8点)
計98点→◯

 

■ニコ・ロズベルグ(06年デビュー)
05年 GP2 1位(50点)
04年 F3ユーロシリーズ 4位(10点)
03年 F3ユーロシリーズ 8位(3点)
計63点→◯

 

■フェルナンド・アロンソ(01年デビュー)
00年 国際F3000(=GP2相当?) 4位(20点)
99年 フォーミュラ・ニッサン(国内F3相当?) 1位(10点)
98年 カート(0点)
計30点→×

 

■キミ・ライコネン(01年デビュー)
00年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 7位(0点)
99年 フォーミュラ・ルノー2.0 英国ウインターカップ 1位(0点)
98年 カート(0点)
計0点→×

 

■ロマン・グロジャン(09年デビュー)
08年 GP2 4位(20点)
07年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)
06年 F3ユーロシリーズ 13位(0点)
計60点→◯

 

■パストール・マルドナード(11年デビュー)
10年 GP2 1位(50点)
09年 GP2 6位(8点)
08年 GP2 11位(0点)
計58点→◯

 

■ジェンソン・バトン(00年デビュー)
99年 英国F3 3位(5点)
98年 英国フォーミュラ・フォード 1位(0点)
97年 カート(0点)
計5点→×

 

■ケビン・マグヌッセン(14年デビュー)
13年 フォーミュラ・ルノー3.5 1位(30点)
12年 フォーミュラ・ルノー3.5 7位(3点)
11年 英国F3 2位(7点)
計40点→◯

 

■ニコ・ヒュルケンベルグ(10年デビュー)
09年 GP2 1位(50点)
08年 F3ユーロシリーズ 1位(40点)
07年 F3ユーロシリーズ 3位(20点)
計110点→◯

 

■セルジオ・ペレス(11年デビュー)
10年 GP2 2位(40点)
09年 GP2 12位(0点)
08年 英国F3 4位(2点)
計42点→◯

 

■エイドリアン・スーティル(07年デビュー)
06年 全日本F3 1位(10点)
05年 F3ユーロシリーズ 2位(30点)
04年 F3ユーロシリーズ 17位(0点)
計40点→◯

 

■エステバン・グティエレス(13年デビュー)
12年 GP2 3位(30点)
11年 GP2 13位(0点)
10年 GP3 1位(40点)
計70点→◯

 

■ジャン=エリック・ベルニュ(12年デビュー)
11年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)
10年 英国F3 1位(10点)
09年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)
計37点→×

 

■ダニール・クビアト(14年デビュー)
13年 GP3 1位(40点)
12年 フォーミュラ・ルノー2.0 Alps 1位(10点)
12年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(7点)
11年 フォーミュラ・ルノー2.0 NEC 2位(7点)
11年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 2位(5点)
計69点→◯

 

■フェリペ・マッサ(02年デビュー)
01年 ユーロF3000(AUTO GPの前身) 1位(0点)
00年 フォーミュラ・ルノー2.0 ユーロカップ 1位(10点)
99年 フォーミュラ・シボレー・ブラジル 1位(0点)
計10点→×

 

■バルテリ・ボッタス(13年デビュー)
12年 なし(ウィリアムズのテストドライバー専念)
11年 GP3 1位(40点)
10年 F3ユーロシリーズ 3位(20点)
計60点→◯

 

■ジュール・ビアンキ(13年デビュー)
12年 フォーミュラ・ルノー3.5 2位(20点)
11年 GP2 3位(30点)
10年 GP2 3位(30点)

計80点→◯

 

■マックス・チルトン(13年デビュー)
12年 GP2 4位(20点)
11年 GP2 20位(0点)
10年 GP2 25位(0点)
計20点→◯

 

■小林可夢偉(09年デビュー)
08年 GP2 16位(0点)
07年 F3ユーロシリーズ 4位(10点)
06年 F3ユーロシリーズ 8位(3点)
計13点→×

 

■アンドレ・ロッテラー(14年デビュー)
13年 WEC LMP1 2位(30点)
13年 スーパーフォーミュラ 2位(15点)
12年 WEC LMP1 1位(40点)
12年 フォーミュラ・ニッポン(SFに相当) 4位(7点)
11年 フォーミュラ・ニッポン 1位(20点)
計112点→◯

 

■マーカス・エリクソン(14年デビュー)
13年 GP2 6位(8点)
12年 GP2 8位(4点)
11年 GP2 10位(2点)
計14点→×

 

■ウィル・スティーブンス(14年デビュー)
13年 フォーミュラ・ルノー3.5 4位(10点)
12年 フォーミュラ・ルノー3.5 12位(0点)
11年 フォーミュラ・ルノー2.0 14位(0点)
計10点→×

ビアンキはペナルティを無視していない

 F1モナコGPでジュール・ビアンキが9位入賞を果たし、マルシャは前身のヴァージン・レーシングから数えてF1参戦5年目にしてついにポイントを獲得しましたが、この結果について、わたしのツイッターTL上ではいくつか疑問と不満が渦巻いていました。中継で川井一仁氏が発言したことも多分に影響していたのでしょう、いわく、「ビアンキはペナルティを消化していないのではないか」というものです。仮にビアンキが本来科されなければならない罰則に従っておらず、レース走破タイムに大きな加算があったり、最悪レースから除外されることになったりした場合、今度は逆にマーカス・エリクソンが10位入賞となり、ケータハムが初ポイントを獲得することになるのですから、これは下位でたったひとつの順位争いにしのぎをけずる両チーム、ひいては唯一の日本人ドライバーである小林可夢偉の未来にとっても重要なことです。日本のF1ファンにとって大きな関心事であったことは想像に難くありません。

 結果としてビアンキは決勝終了後、「レースタイムに5秒加算」という罰を受けて8位入線から9位へと順位を落とし、最終順位が確定しました。この処分でビアンキが不当に得をしたと思っている人も多いようです。彼がレース中に科せられた罰則は今季新しく導入された「5秒ペナルティ」でしたが、ペナルティなのだからピットに戻って5秒停止しなければならない=ピットレーンでの時間ロス+5秒静止で約25秒を失わなければならないのに、タイム加算は5秒しかなく、ほとんど損をしていないと、そういう理屈をしばしば見かけます。小林自身もそのように語っていたようですが、まず結論を言ってしまえば端的に誤解です。ビアンキは不当に得をしたわけではなく、規則の穴を突いたわけでもなく、規則が予定したとおりに行動し、規則が予定したとおりの罰則を受けて、ほんのすこしだけ順位を落としたのです。2014年F1スポーティングレギュレーションを紐解きながら、そのことを見ていきましょう。

 

【2014 FORMULA ONE SPORTING REGULATIONS】
(http://www.fia.com/sites/default/files/regulation/file/1-2014%20SPORTING%20REGULATIONS%202014-02-28.pdf)

 とその前に、この件についてはレース後、わたしがツイッターでフォローしているクル氏(https://twitter.com/Sdk0815)が詳細な説明をなさっています(この記事を書くにあたっても参考にさせていただきました。この場を借りて感謝申し上げます)。またAUTO SPORTS Webでも関連記事が配信されており、やや焼き直しの感もありますが、まとめておくことも無駄ではなかろうということで公開することにします。
 
 さて前述のように、今回のビアンキはスタート位置の異同という軽微な反則によって序盤に「5秒ペナルティ」が科せられました。これがどういうものかは、上掲リンク16条「INCIDENTS」(事故・事件)に書かれています。該当するのは3項a)で、以下のようなものです。

16.3 The stewards may impose any one of the penalties below on any driver involved in an Incident:
a) A five second time penalty. The driver must enter the pit lane, stop at his pit for at least five seconds and then re-join the race. The relevant driver may however elect not to stop, provided he carries out no further pit stop before the end of the race. In such cases five seconds will be added to the elapsed race time of the driver concerned.)
b) (略・ドライブスルーペナルティ)
c) (略・10秒ストップ&ゴーペナルティ)

If either of the three penalties above are imposed during the last three laps, or after the end of a race, Article 16.4b) below will not apply and five seconds will be added to the elapsed race time of the driver concerned in the case of a) above, 20 seconds in the case of b) and 30 seconds in the case of c).

(16.3 スチュワードはインシデントに関わったあらゆるドライバーに、以下の罰則のうちいずれかを科すことができる。/a)5秒ペナルティ:ドライバーはピットレーンに入り、自らのピットに少なくとも5秒静止してレースに復帰しなければならない。ただし、レース終了までにさらなるピットストップを行わないならば止まらない選択をすることができ、その場合レースタイムに5秒が加算される。(略)上記の罰則がレース残り3周以下またはレース後に科せられた場合、16.4 b)は適用されず、a) については上記と同様に(5秒)、b)(ドライブスルーペナルティ)については20秒が、c)(10秒ストップ&ゴーペナルティ)については30秒がレースタイムに加算される)

 
a) はほぼ丸ごと今季改正分です。もともとa) がドライブスルー、b) がストップ&ゴーでしたが、それぞれb) c)に移されました。a) →b) →c) と進むに従って重い罰則になるよう構成されています。
また後半に書いてある「16.4 b)」は、ペナルティをどのように消化しなければならないかを定めたものです。
 

16.4 Should the stewards decide to impose either of the penalties under Article 16.3a), b) or c), the following procedure will be followed :

a) 略
b) With the exception of Article 16.3a) above, from the time the stewards’ decision is notified on the official messaging system the relevant driver may cross the Line on the track no more than twice before entering the pit lane (略). However, unless the driver was already in the pit entry for the purpose of serving his penalty, he may not carry out the penalty after the safety car has been deployed.(略)

(スチュワードが16.3 a)、b)、c) の罰則を決定した場合、以下の手順に従う。/a)(略)/b)16.3 a) を除き、ドライバーはスチュワードの決定がオフィシャルメッセージシステムで通知されてから3周以内にピットレーンへと向かわなければならない(ピットレーンに向かう前に2回までコントロールラインを通過することができる)(略)。しかし、罰則を消化するためすでにピットに進入しているのでない限り、セーフティカーの導入中に罰則を受けることはできない(略))

 ペナルティが通告されたら、3周以内にピットレーンへと向かわなければならないとされています――ただし、article 16.3 a)=5秒ペナルティを除いては。要するに、ドライブスルーペナルティと10秒ストップ&ゴーペナルティの場合はすぐにレースから離れなければならないのですが、5秒ペナルティは自分のピットタイミングのときに消化すればよく、16.3 a) のとおりピット作業の予定がないならば、罰を受けるため「だけ」にピットレーンに向かう必要はありません。ビアンキはこの規則に忠実に服していたのです。

 この5秒ペナルティの処理については、規則意図を踏まえればすぐに理解されるでしょう。昨季までの規則だと戒告の次に重い処分はドライブスルーで、科されるといきなり20秒を失ってしまう厳しいものでした。逆に言えばスチュワードも相応の行為にしかペナルティを出すことができず、今回のビアンキのような軽微な違反については戒告で済ますしかなかったため、実被害はないも同然だったわけです。5秒ペナルティは、その隙間を埋めるために作られています。ピットボックスに停止後5秒間の作業を禁ずる(16.4 c))というのはなかなか妙案で、ここで5秒だけを失わせることによって「ドライブスルーは厳しすぎるが、戒告で終わらせてはやり得」と考えられる反則をしっかり処分できるようになりました。今季に入ってペナルティが増えていると感じられるとしたら、こういった罰則の細分化も影響しているかもしれません。

 5秒ストップは、タイムペナルティの項の先頭に挿入されたことからもわかるようにあくまで「ドライブスルーよりも軽い罰則」であり、ピット作業のついでに消化させるものというのが原則です。必要がないのにピットに戻すのではほぼ「ドライブスルー+5秒」のロスで逆に厳罰となってしまい、規則の精神に大きく逆らいます。なので、ピットに入らない場合はレース後に5秒を加算することで同等の罰則を実現しているのです。厳密に言えば、レース中の5秒静止とレース後の5秒加算ではトラックポジションを失いやすい点で前者のほうがやや重たいため不公平とは言えるかもしれませんが、(1)5秒の罰を与える適切な方法が他にない、(2)すべてのピットスケジュールを完了しているとすれば通常はレース終盤であり、影響はそれほど大きくない、(3)ドライブスルーやストップ&ゴーでも結局提示されるタイミングによって損得は生じる、といった観点から合理性の範囲は逸脱しないものと考えられます。そもそもピットに戻らないことを選べるのは「作業がない場合」であって、チームの裁量で決められるものではありませんし、条件はどのドライバーでも同じことです。反転可能性という意味では公平なものでしょう。

 ではこのペナルティを巡って、モナコGPにおけるビアンキの動きを見てみます。最初のスティントでソフトタイヤを履いた彼はスタート時にグリッドをはみ出した廉で序盤に5秒ペナルティを通告されます。前述のように、これは次のピットストップの際、5秒間無作業とすることで消化しなければなりません。ですが、彼が26周目にスーパーソフトタイヤへと交換するためピットインしたのはセーフティカー導入中のことでした。当然、規則によればここで消化はできず、ペナルティは次のピットストップに持ち越しとなります。

 しかし「次」は訪れませんでした。50周の超ロングスティントをスーパーソフトで乗り切るという勝負に出たビアンキは、レース再開後一度もピットに戻ることなく、見事チェッカーフラッグに辿り着いたのです。そして、実現しなかった5秒静止の代わりとして彼はレースタイムに5秒を追加され、ひとつだけ順位を落としました。もはや明らかなとおり、すべてが規則どおりです。不備を突いたわけでも、ペナルティを無視したわけでも、ましてそれに対してスチュワードが大甘な裁定を下したわけでもない。作業がなかったからピットには入らず、ピットで消化できなかったからレース後にタイムが加算された。ただそれだけのことでした。得したことはまったくありません。

 マルシャが規則を守るつもりだったことは、ビアンキが唯一のピットストップを行った際に5秒間無作業静止してしまったミスが証明しています。セーフティカー中はペナルティを消化できないのに、うっかり無意味に止めてしまったわけです。当然スチュワードがこれを認めるわけがなく、61周目に「Bianchi under investigation for serving five second stop/go under safety car」セーフティカー中に5秒ペナルティを行ったことについて審議となり、66周目にあらためてペナルティを受けるように通告が出されます。川井氏はこれと他チームの「ビアンキにはペナルティがある」という無線によってピットに戻らなければならないと勘違いしたと思われ、TLも騒がしくなっていったわけですが、最初のペナルティが持ち越されただけのことですから、もちろんその必要はありませんでした。仮に戦略に失敗してスーパーソフトが持たず、再度のタイヤ交換を余儀なくされていたとしたら、そんなもしもの世界で行われたレースではきっと静かに5秒間止まるビアンキの姿を見られたことでしょう。

 

 最後に、ビアンキは36周目にラスカスで小林可夢偉をオーバーテイクする際、ぶつけながらインをこじ開け、相手の車を壊しています。前に出たビアンキは入賞を果たし、逆にフロアを含めて車の右半分を大きく壊した小林はまともに走れなくなったわけですから、結果的にこの瞬間が彼らの明暗をわける岐路になりました。これに対してわたし自身は特段強い感想を持っていません。レースによくある場面のひとつに過ぎないとは思っていますが、一方で怒る人が(特に小林ファンの中で)いるのも理解できます。しかしひとつたしかなのは、この場面はビアンキのペナルティには一切関係がないということです。モナコであったいくつかの審議のなかに、小林とビアンキの接触は含まれていないはずです。見逃したのか、軽微な接触と軽く見たのかどうか、ともかくスチュワードはなんの行動も起こしませんでした。それはもしかすると見る人の正義にはかなわなかったかもしれませんが、審判の問題にならなかったことは正義とは別の単純な事実として存在します。接触とペナルティを合わせて捉えるのは正しくありません。

 このレースで日本のファンの一部はビアンキに対する心象を悪くしたかもしれません。ただ、ラスカスの場面についてはそれぞれの視点があることなので審議にしなかったスチュワードを含め正当な範囲で批判すればいいと思いますが、ペナルティに関して言えばビアンキもマルシャも不当なことはいっさいなかったということも把握しておいていいでしょう。いまの日本のF1にとって直接のライバルだけにいろいろな感情が混淆しやすいのはわかりますが、彼らに対してどういう立場をとるにせよ、現象を区別することは非常に有意義であるはずです、といったところで自分らしくない文章を閉じることにします。

遅すぎたフェルナンド・アロンソ

【2012.11.4】
F1世界選手権第18戦 アブダビGP
 
 
 たとえ観客という形でしか参加していなかったとしてもひとつの競技を長い間見続けていれば、だれもが退屈な夜にふと思い出したくなる光景をひとつやふたつ抱いているものだろう。モータースポーツにとって思い出されるべき瞬間は本当に短く儚いものだが、わたしが記憶の底から何度も引っ張りだして今なおこのように書きたくなってしまう場面のひとつが、2010年のF1世界選手権最終戦となったアブダビGPの51周目にある。ルノーのヴィタリー・ペトロフを追いかけていたフェラーリのフェルナンド・アロンソがターン18で小さくコースオフした、現象だけ見ればレースのうちに数回はありそうな、順位の変動も何もない些細なできごとである。

 このアブダビGPのことは当時も触れているが、ポイントリーダーとして臨んだアロンソが果たさなければならなかった使命がそれなりに容易だったことは多くの人が記憶していると思う。選手権3位のセバスチャン・ベッテルに対してはレースの4位入賞で無条件に上回り、2位のマーク・ウェバーを見ても8ポイント差を逆転されなければ――雑な言い方をすれば、1つくらいのポジションなら譲ってもよい――逃げ切れるというくらい、彼は優位な立場にいた。シーズン終盤に向けてベッテルが安定感を取り戻しつつあったのは脅威の一つだったかもしれないが、実際のところ、ライバルの動向に神経質にならず、自分なりの仕事を完遂すればそれでよかったはずのレースだった。

 しかしフェラーリは最悪のタイミングで最悪の一手を指す。明らかにスピードに苦しみ集団に埋もれかけ、早々と11周目にタイヤ交換を済ませたウェバーに対して過敏に反応し、まだ後続に対して十分なリードを築いていなかったアロンソを15周目にピットへと呼び寄せたのだ。開幕周に起きたミハエル・シューマッハとビタントニオ・リウッツィの事故を起因として導入されたセーフティカーがゆっくりと隊列を先導する間に、ペトロフがピット作業を済ませ、ふたたび集団に取り付いていた。すなわちひとたびペトロフの後ろになればコース上でオーバーテイクするしか順位を上げる方法がなくなるということであり、そしてヤス・マリーナはそれが困難なトラックとして知られていた。だからアロンソは、この危険な新人ドライバーに対して自分のピットストップで出し抜けるまでにリードを形成する必要があったのである。

 だがウェバーに先着するという一つ目の使命にだけ囚われたフェラーリは、ペトロフの背後にアロンソを戻してしまった。この愚直でばかげた判断ミスによって――その失敗を難ずるのは結果論だと議論が喧しくなり、結局最後にはアロンソ本人によって擁護されたものの、しかし進行中のできごととしてもありえない判断に感じられたことは当時書いたとおりだ――アロンソは集団に埋没し、4位という簡単な結果を取り逃がす。はたしてポールポジションからスタートしていたベッテルは悠々とレースを逃げ切り、アロンソには失意だけが残った。

 それを誤算と言うのは想定の甘さを意味するものでしかないが、ルノーの速さが想像以上だったことはたしかなのだろう。アロンソ自身にも早めに抜いておかなければ危機を招く懸念はあったと見えて、23周目にはターン11で到底止まれない深さからの無理筋なブレーキングを敢行してオーバーシュートするミスを犯している。実際に嫌な予感は当たる。ラップタイムでペトロフを上回っているのは明らかだったが、ヤス・マリーナ・サーキットと高性能のFダクトを備えたルノーの直線スピードの組み合わせはフェラーリのチャンスをことごとく摘んだ。アロンソはペトロフの背中に張り付きながら、無力に時間を浪費していった。

 51周目には、もう何もかもが手遅れだったのである。ペトロフに頭を抑えられているうちに上位のドライバーたちもピット作業を終え、悪いことにペトロフの前でコースに戻っていて、7位のアロンソはベッテルのトラブルを祈るしかなくなっていた。ターン18のミスはそんなときに起きている。全開のターン17から横Gを残しつつ直角の右へと切り込んでいくブレーキングで、アロンソはなかば自棄になったようにペトロフのインサイドを狙ったが、ドアはとうに閉じられていた。車速を十分に落としきれずにフロントウイングをペトロフのリアへと追突させんとする刹那、アロンソは左へと操舵しなおし、ドライバーの混乱のすべてを受け止めて推進力を失ったフェラーリF10はエスケープゾーンへと流れていった。

 もはや万策尽きていたのは、本人がもっとも理解していたことだろう。いまさら1台抜いたところで4位までの20秒を残り4周で追いつく術などありはせず、状況はなにひとつ改善しない。アロンソはすでに敗れた後だった。だからこそ、ということでもある。無意味な勇気によって犯されたミスは元王者の意地でも最後の抵抗でもなんでもなく、ただただ失望の顕れに見えた。そしてそれがモータースポーツの残酷で甘美な瞬間として、わたしを捉えて放さなかったのだ。

***

 あれから2年が経った。アロンソが置かれた状況は、どうも当時とあまり変わっていない。速さに勝るレッドブルが不調や単純なミスでポイントを失うわずかな隙を狙って、頭脳と集中力で局面を打開しながら僅かなリードを積み上げていくさまは、世界中から最高のドライバーであることを称賛されるにふさわしいことをたしかに証明している。しかし、劣勢を覆すために消費される集中力はたぶん1年を通しては続かない。シーズンが終盤に近づくと選手権を知り尽くし「すぎて」いる彼の保守性が頭を擡げる。速さで及ばない相手に局地戦を挑んで勝ちにいくのではなく、負けても傷を最小限に留めるレースに徹しようとしはじめる。それはたしかに所期の矮小な目論見どおり何度か成功するのだが、小さな傷に安堵しているうちに気づけばリードは小さくなっており、最後にはレッドブルの、というよりはベッテルの爛漫なスピードに袈裟斬りされて致命傷を負うことになる。2年前にそうやって敗れ、2012年もまたそうなろうとしていた。

 失うものがないときには搦手からでさえ勝利を引き寄せる一方で、守るべき地位ができると過度に守勢に回ってその場を凌ぐことが目的化され、しばしば最終目標を見誤る。2012年は、アロンソの長所と短所がわかりやすく凝縮された、彼のキャリアを存分に象徴する年として記憶されることだろう。シーズン序盤はライバルの不調にも乗じて長らくポイントリーダーの座にいたものの、秋口に入ってベッテルがスピードを取り戻すと追い込まれたように貯金の取り崩しを始めてしまった。しかも、2年前と違ってシーズン途中にポイントを逆転されたにもかかわらず、その後もアロンソから聞かれる言葉は「We limited the damage.」といった類のものばかりで、反攻に転じる姿勢を見せる気配すら窺えない。頑迷な保守性はしばしばレースに臨む態度を硬化させ、柔軟な対応と勝利のための勇気を阻害する。この時期のアロンソは――フェラーリが勝てる組織ではなくなっていたという環境以上に――勝てるドライバーではなく、なにかの拍子に幸運が転がり込んでくるのを待つばかりだった。
 ベッテルがチームの失態によって予選結果を剥奪されてピットスタートに甘んじたアブダビは、アロンソにとって実際に訪れた最後の希望だったとは言える。だが、希望だったからこそレース中盤までの彼は冒険のないドライビングに徹し、リスクを取って失策を犯した相手に最大限のダメージを与えるような動きを見せることがなかった。たしかにフェラーリの戦闘力がそれを許すレベルにはなかったのも事実だろう。だがそれにしても、勝利への意志をドライビングから感じることはできなかった。畢竟、臆病とも言い換えられるほど保守に徹しすぎた報いをアロンソは受ける。週末突出して速かったマクラーレンのルイス・ハミルトンのリタイアなどに乗じて2位こそ確保したものの、ベッテルもまた39周目にセーフティカーが導入されたときには4位にまで浮上していたのである。ベッテルは自らの力で、「limited the damage」を完遂しつつあった。アロンソの可能性はほとんど閉ざされてしまっていた。

 アロンソが自分の位置を理解したのは、ベッテルがバトンをパスしてついに3位へと浮上し、自分の背後に迫った残り3周のことだった。選手権を打開するには先頭のライコネンを捉えて優勝するしかなくなったアロンソは、タイヤの最後のグリップを使ってスパートをかける。だが2年前と同様に、もう遅すぎた。ライコネンとのギャップは回復が困難なほど大きく、54周目ターン20の凛々しいカウンターステアも、さらに最終ターンで見せたリアタイヤのスライドも、徒花のパフォーマンスに終わる。その矛先のない攻撃性はあのターン18とおなじ、状況への失望に思われた。最大のチャンスで3ポイントしか詰めることのできなかったアロンソは、最後にはベッテルの選手権3連覇を許したのである。

ジェンソン・バトンが惜別のタイヤスモークを上げる

【2012.11.25】
F1世界選手権 第20戦ブラジルGP
 
 
 ライブタイミングによれば6周終了時点でのマクラーレンのジェンソン・バトンとチームメイトのルイス・ハミルトンとの差は0.0秒で、2人はサイド・バイ・サイドでコントロールラインを通過していた。国際映像がロマン・グロジャンの愚鈍な単独クラッシュの場面からターン1を正面から捉えるカメラに切り替わってすぐのことだ。インサイドを守ったハミルトンが丁寧なブレーキングから早めにターンインすると、外からかぶせる素振りをちらりと見せたバトンのマシンの前輪から一瞬遅れてぱっとタイヤスモークが上がり、少し挙動を乱しながら後に続いた。長いストレートを生かして並びかけたもののインを押さえられてオーバーテイクには至らない、というレースによくある一コマであった。

 繊細で、絹布のような印象を与えるドライビングスタイルはF1の世界においてもバトンに随一のものだが、しかしレースでの彼は意外なほどブレーキングの厳しいドライバーでもある。巡航状態では徹底して角のとれたぬめるようなライン取りでタイヤに負担をかけない走りを見せているのに、ひとたびポジションを争う場面になればいきなりモードが切り替わって、深いブレーキングを多用して相手から主導権を奪おうとする鋭さが立ち現れてくる。そういうときのバトンを観察すると、バトル相手を絶対に危険へと追い込まない紳士でありながら、自らのマシンに対しては横暴に支配下に置こうとする二面性を見ることができて楽しい。とくに中高速から低速へのフルブレーキング、それもたとえばサーキット・オブ・ジ・アメリカズのターン15や、バーレーンインターナショナルサーキットのターン9~10、あるいは鈴鹿サーキットのヘアピンのように、横Gを残しながら車速を大きく落としていく難しいコーナーで、彼はしばしばタイヤを激しくロックアップさせ、路面との摩擦によって白煙を巻き起こす。その量が時としてだれのものよりも多いのは、バトンがステディなだけにとどまるドライバーではない何よりの証拠だ。

 タイヤのロックは、マシンが止まるための物理的な限界を超えていることを示すものだ。それは破綻の一歩手前であり、見る者に次なる危機を予見させて緊張を強いる。だがバトンは、どれだけマシンが白煙に包まれてもコーナーのクリッピングポイントに向けてマシンを正確に止めきって、午後の紅茶の温度が少しばかり高かった程度のことだとばかり事もなげに加速していってしまう。瀬戸際のバトルの最中にロックアップしようとも、何も変わらずエイペックスをなぞっていく様には、破綻の予感などいささかも抱かせない。速さに優れるチームメイトが派手なタイヤスモークとともにオーバーシュートや接触事故を起こし、少なくないポイントを失ってきたのとは対照的だ。グリッド上にこれほど「止められる」ドライバーは見当たらない。バトンはコーナーの「頂点」を知悉している。どんなときも頂点を外さない質の高さによって、彼は2009年のシーズンを制し、マクラーレンに移ってもハミルトンをチャンピオンシップで上回った唯一のドライバーとなったのだった。

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 マクラーレンは来季、長らくチームに君臨していたハミルトンをメルセデスへと送り出し、大きく舵を切ることになった。2人のイギリス人王者を並べたドライバー構成は、ここ2年ハミルトンのパフォーマンスがやや低迷したこともあって結局タイトルをもたらすことはなかったが、両者が良好であり続けたことで組織が正常に機能し、どんな苦境でもシーズン後半までには開発を間に合わせて優勝争いに加わるこのチームらしい強さを発揮し続けた。ドライバー同士の亀裂に苦心する歴史を重ねてきたマクラーレンにとって、強いバトンと速いハミルトンがお互いを尊重しながらコンビを組んだ3年間は十分に幸せな時期だったといえる。新しく迎える若いセルジオ・ペレスは、速さは見せるものの不用意なミスも多く、まだトップチームを牽引するだけの資質を示してはいない。バトンとペレスで作られるチームが強靭なものになるかは、まだまったくわからない。しばらくマクラーレンはバトンのチームになるだろう。2人の王者が並び立っていた3年間に比べれば、やはり少し寂しいことである。

 雨のブラジルGPで、もはやチャンピオンシップから解放された2人は、別れを惜しむように何度かラインを交錯させ、オーバーテイクし合った。最後の時間は55周目にハミルトンがニコ・ヒュルケンベルクのスピンに巻き込まれてフロントサスペンションを壊すまで重ねられたが、中でもわたしをいちばん感傷的にさせたのが、7周目のターン1――いわゆるエス・ド・セナへの進入だった。最終コーナーから続く上り坂がコントロールラインの先で峠を迎え、下りながらブレーキングポイントに差しかかる。重力が摩擦力に抵抗する難しいコーナーの入口で、リードするハミルトンに外から並びかけたバトンがブレーキングを敢行すると、タイヤがロックアップして白煙が舞い上がり、一瞬だけフロントのグリップを失う仕草を見せて、しかしそうなることが当たり前のように抜ききれなかったハミルトンについてイン側のクリッピングポイントにある縁石を踏み、右、左へと切り返していった。

 バトンは、いつだって止めてみせる。泡沫のように終わった7周目ターン1の攻防は、並びかけはしたもののインを押さえられてオーバーテイクに至らないというレースのよくある一コマではあった。だがこちら側の感傷という勝手なフィルターを通してみると、それはハミルトンと3年にわたって分け合っていたエースを一人で背負う資格を証明し、ハミルトンを送り出す餞別のフルブレーキングにさえ見えてしまったりもするのである。

ルイス・ハミルトンの失敗

 そろそろ美しい閉幕への道程を考えるべき時期に差し掛かった今シーズンのF1で評価を下げてしまったドライバーといえばフェラーリのフェリペ・マッサと、それから何と言ってもマクラーレンのルイス・ハミルトンだろう。今季から導入されたピレリタイヤによるグリップ低下でシーズン前から苦戦が予想されたマッサについてはあえて言うまでもないが、コーナーへの鋭い飛びこみが持ち味のハミルトンも、そのドライビングスタイルによってタイヤライフのコントロールに難を抱え、思いもかけない不調に陥ってしまった。

 シーズン中盤以降、顕著になったのはハンガリーGPのころからだが、コンビ2年目を迎えたチームメイトのジェンソン・バトンのパフォーマンスが伸長していくのと軌を一にしてハミルトンのミスが目立つようになった。予選ではつねにフロントローを争うほどの速さを持ちながら、レースでは一転、危険なアクションや接触を――とくにマッサとは何度も――繰り返し、しばしば「investigation」の文字情報を提供するハミルトンは、タイヤマネージメント以前の問題として、メンタルに大きなトラブルを抱えて平静さをどこかに置き去りにしてしまったようだった。もとよりアクシデントの少ないドライバーというわけではなかったが、アグレッシヴの度が過ぎての失敗が多かったこれまでに対し、今季後半のミスはただの焦りから引き起こされたようにしか見えないものばかりだ。

 ハミルトンの焦燥の原因の一部がチームメイトのバトンだろう、という話はシンガポールGP採点記事のコメント欄で少しばかりした。ピレリタイヤの特性をよく理解して速く安定的なペースを刻み、いざバトルになってもコーナーを俯瞰しているかのように広い視野をもってリスクなく戦い抜くバトンをチームが信頼するようになり、結果を残すのに比例してハミルトンのミスは増えた。単純に推測すれば、これはやはりチームメイトに追いつめられているということだろう。バトンが高いパフォーマンスを発揮すると、ハミルトンはきまって低調に終わる。たとえばこんなデータを完全に偶然の結果と言いきれるだろうか。今季のマクラーレンは、バトンが11回、ハミルトンが6回表彰台に登っているが、「バトンが上位でのダブル表彰台」が一度もないのである(ハミルトン上位の場合は先日のアブダビを含め2度ある)。マシンが表彰台圏内の戦闘力を持っていても、ハミルトンは自分に主導権がないとその力を発揮できない状態にあるのかもしれない。バトンが2勝を含む5連続表彰台を獲得したRd.11ハンガリーGPからRd.15日本GPまでが典型だろう。わずか5戦で101ポイントを積み上げたバトンに対しハミルトンは4位2回5位2回の44ポイントに沈んだのだった。先のアブダビGPで週末通してバトンに優越し気楽に制したことさえ、彼の精神面の不安定さを逆説的に証明しているように思えてくる。

 もちろんチームメイトに圧倒されてフラストレーションに潰されそうになるというのは、第一義的にはドライバー自身が対応すべきことである。F1の世界で最初のライバルとなるのはまずチームメイトであり、それを制したドライバーだけがステップアップしてワールドチャンピオンへの挑戦権を手にできるという評価体系が不動のものとしてあるのだから、同僚が手強いと泣き言を言うのでは話にならない。しかしF1がチームスポーツであるかぎり、チームがドライバーというひとつの戦力のメンタルケアに腐心する必要があるのもまた当然のことだ。ドライバーの心身のコンディションについて、チームは責任を持つ立場にある。なのにどうも、マクラーレンがハミルトンのメンタルに関心を向けているようには思えない。速いドライバーとして彼を尊重するが、それ以上のフォローに踏みこむ気まではないのではないかと感じることが多いのだ。

 焦りがふくらんできているハミルトンにとっては不幸なことだが、いかにもマクラーレンにふさわしい話ではある。だいたいこのチームは、ドライバーの感情の揺れとかプライドの保ち方などといったおよそ人間的な心の動きの機微に対する興味が欠落しているように見受けられる。優れた空力パッケージのクルマにハイパワーのエンジンを載せればレースで勝つには十分だと考えていて、コクピットの中身のことはドーナツの輪っかほどにも気に留めていない――ようは、空っぽだって構いやしないのだ――節があるのだ。ハミルトンをエースとして遇そうとしながらそのチームメイトとしてセカンドに徹させるわけにはいかないバトンを迎える危険性は移籍当初から一部のメディアで言われていたが、その懸念は予想どおり当たった。そもそもドライバー選びの段階でチームは組織の歯車が円滑に回る絵を楽観的に空想しすぎたとも言える。ちょっと長くF1を見ている人なら得心する話だろう。マクラーレンは昔からそういう失敗をするチームなのだ。

 今のマクラーレンを磨き上げたのは疑いなく2年前まで現場の最高権力者として君臨したロン・デニスだが、彼はオフィスの床に塵のひとつでも落ちていることを許さないとか、ドリンクの持ち込みすら禁じるとか(これは記憶違いによる不当な非難かもしれないが彼のキャラクターをほんの少しでも知っていれば素直に受け入れられそうなので事の真偽は何ら問題ではない)、バカでかくていけ好かないモーターホームを広げてパドック裏のスペースを占領し他のチームからうまく顰蹙を買うことに情熱を燃やすとか、そういうことにはむやみに熱心なくせに、あるいはそういう方面にばかり完璧主義だったからなのか、ドライバー絡みでは失敗が多い。なにせクルーの顔よりも、彼が着ているシャツについたシミを消すことのほうが重要なマネージャー――と、これはさすがにジョークであって、彼はスタッフを非常に大事にする人物だった――のすることである。かつてはアイルトン・セナとアラン・プロストを両者ナンバーワン待遇で迎えた結果20年も経った今もって語り草となるほど両者の関係を見事にこじれさせて対応に苦慮し、キミ・ライコネンのチームメイトにファン=パブロ・モントーヤを当ててこの我の強いコロンビア人にF1を嫌忌させ、それにも凝りずついには温室育ちの秘蔵っ子ハミルトンとプライドの高いフェルナンド・アロンソのペアによってチームをわずか1年で破綻させた。どれも速さと強さを持つドライバーのコンビだったが、好意的に見ても完全な成功を収めたとは言えそうもない。

 理想的に見えるラインナップは個々に理想的であるがゆえに、得てしてうまくいかないものだ。最高のドライバーで組み上げるチームがかならずしも成功しないことは歴代チャンピオンの待遇が逆説的に物語っている。全盛期のミハエル・シューマッハはフェラーリで完全な独裁体制を敷いてルーベンス・バリチェロを従え、ミカ・ハッキネンとデビッド・クルサードやフェルナンド・アロンソとジャンカルロ・フィジケラの間には明らかな才能の差があった。ハミルトン本人にしてからが、アロンソと組んでいた年は明らかに最速マシンに乗りながらチームメイトとの戦争に疲れはててキミ・ライコネンにすんでのところで栄冠をかっさらわれ、ようやくチャンピオンとなったのは、今ロータスでようやく働き場を見つけた「Non-flying Finn」とコンビを組んだ、マシンとしては劣勢の年だった。ハミルトンの2007年と2008年はいかにも教訓的だ。07年は2つの才能がぶつかりあって消耗した挙げ句お互いのポイントを食いあって1点差でシーズンを失い、08年はエースに余裕ができた(かどうかはあのドライビングを思い出すと自信がないのだが)うえにポイントが片方に集中した結果1ポイント差でランキングリーダーとなった。近年ドライバーの力が拮抗したチームでのチャンピオンとなると昨季のセバスチャン・ベッテルくらいしか思い浮かばない。そのベッテルにしても、今季はウェバーを圧倒してナンバーワンの地位を確たるものにした。

 最速のマシンを製造するように最速のドライバーだけを追い求めることが成功に直結するわけではないと、たいていのレーシングチームはわかっているはずだ。シューマッハを長く擁したフェラーリなどはとくにそれを心得ているように見える。F1の、とくにトップチームの方法論としてドライバーの役割に差をつけることはもはや鉄則だ。では、苦い経験を他のどのチームよりも多く重ねて反省しなければならない当のマクラーレンが今、何をしているのか? チームカラーという言葉があるように、F1にかぎらず組織というものはどれだけ構成員が変わっても意外なほどその相貌を変化させないということなのだろう。ホンダ、ブラウンという歴史を経ている今のメルセデスは、かつての面影などどこにも残っていないにもかかわらず、川井一仁によればクルマの特性というかぎりなく物理的な面でなぜかホンダ時代の悪癖が残り、シューマッハなどは露骨にそれを嫌がっている。それを考えれば責任者が現場を退いた程度のことでチームはそう簡単に変わったりしないのだ。マクラーレンはせっかくハミルトンが揺るぎないエースの地位を得てチームを掌握したところで、おなじイギリス人チャンピオンのバトンをわざわざチームに迎え、軋轢の元を抱え込んだ。そして今季、案の定ハミルトンの不調は引き起こされたのである。今回に関しては2人の仲がよいこともあって表面的な確執こそないが、ラインナップに端を発する不調という意味では過去とそう違いない。

 マクラーレンのこの手の失敗は珍しくもないわけだが、その煽りを受けたハミルトン個人の問題に話を戻せば、彼の現状が2007年にアロンソとぶつかりあったころと決定的に違うのは、その背中に孤独を感じることだ。彼がロン・デニスに目を付けられ、マクラーレンによって下位カテゴリーから大事に育てられてきたことはだれもが知っている。ハミルトンとマクラーレンは一体でありその関係は揺るぎないもので、07年のハミルトンとアロンソは、速さという意味では互角――か、アロンソの証言を信じてチームでハミルトンが優遇されていたのだとすればドライバーとしてはアロンソが上回っていたか――でそれが確執の原因ともなったが、ハミルトンにすれば最終的にチームがかならず味方についてくれたし、事実チームが修復不可能になってどちらかが移籍しなければならなくなったとき、フェラーリへと去ったのはやはりアロンソの方だった。

 だがマクラーレンはイギリスのチームであり、新たに迎えたバトンはイギリス人のチャンピオンである。チームはスペイン人を冷遇したようにバトンを扱ったりはしない。スタートラインではまったく対等に、そしてシーズンが進んでどちらかにウェイトを置くべき段階になれば成績に応じて、きわめて正当に2人を遇することになる。きっかけはたぶんちょっとしたミス一つ、モナコでの接触だったり、雨のカナダでのスピンだったりしたのだろう。だがそのミスのためにバトンが優位に立ったとき、ハミルトンはこれまでのような自分だけに向けられる絶対的な庇護を失った。もはやチームは彼だけのものではなくなってしまった。客観的に見ればまっとうな対処なのだが、これまでのことを考えれば相対的にハミルトンの味方は減ってしまったも同然だ。断片的にしか伝わらないテレビの画面や雑誌での報道を通じてさえそれはなんとなく感じ取れるし、彼から漂う孤独感として表出し印象づけられたりするのだろう。

 マクラーレンは彼を見捨てているわけではない。事実ことあるごとに危険なアクションを繰り返すハミルトンについて、チームはそのたび擁護してきた。だがそれは外に向いたフォローであり、チームの中だけで見ればそれでもバトンより優先してもらえるといった優遇される雰囲気があるわけではないのだ。リソースが少しずつ上位のバトンへと傾いていくのをハミルトンは実感したりもするのだろう。彼にしてみれば、チームの関心が自分から離れていくというのは初めての経験で、それが当然のことだとはわからない。ハミルトンはたぶん、そのパフォーマンスにふさわしいレベルで扱われている。だがそれは、彼にとってはどうしようもなく寂しいことなのだ。

 ようするに、今のハミルトンは弟に親の興味が向いて拗ねている兄のようなものである。そういう面も含めて、ハミルトンが自分を育ててくれた親も同然のチームに対し甘えがちだというのはたぶん正しい。たしかにハミルトンを箱入り娘のように大事に育てすぎたのはマクラーレンだし、そもそもあらゆる性格のドライバーを総合的にマネージメントしなければならないのがチームというものではある。とはいえ結局のところ、ハミルトンが抱える甘えは彼自身の問題として解決しなければならないことだ。

 チームにおける全能感を失って、ハミルトンは落ち込んでしまった。シーズン序盤にトラブルやピット作業ミスでポイントを失いながら着実にパフォーマンスを上昇させてきたバトンとは対照的だ。チームを転々とし、幾度となく地位を築きあげてきたバトンの揺るぎない強さは今のハミルトンが望んでも手に入らないものだ。彼はいま陥っている内向きの問題を解決するための経験をほとんど持っていない。チームの関心が自分に向かないならばそうさせる努力をしなければならないが、その努力の源泉はまさにチームの関心であった。そうやってレースを戦ってきたのだ。卵と鶏、どちらが先かという話ではないが、テレビを通じて見るハミルトンの精神にはモチベーションのジレンマがしばしば覗く。

 幸いなことに、ハミルトンが依然としてナチュラルに速いドライバーであることに変わりはない。だがレーシングチームの一員として戦う強さならバトンが一枚も二枚も上をいく。それは多分に過ごしてきた人生の強度に根ざした力であり、一朝一夕に同じレベルに到達できるものではない。ハミルトンは今初めて、バトンが乗り越えてきた苦労の一部を知ったばかりなのだ。その差についてどう思い至り、考えるのか——今の苦悩の受け止め方によって、かつての史上最年少チャンピオンがこれから過ごす憂鬱の長さも変わってくるかもしれない。

フェルナンド・アロンソの瞬間を見つめるとき

【2011.7.10】
F1世界選手権第9戦 イギリスGP
 
 
 シルバーストンの28周目、レッドブルのピットクルーがセバスチャン・ベッテルのタイヤ交換作業に手間取り、同時にピットインしていたフェルナンド・アロンソは労せずしてレースのリーダーとなった。ベッテルは11.4秒もの長い静止を余儀なくされて、ペースのよくないルイス・ハミルトンの後方でコースに戻ることになる。全体52周のレースにあって、結末はこの瞬間に決まったようなものだっただろう。

 トップに立ったアロンソは、アウトラップでこそタイヤの温まりに苦労したものの、すぐさまペースを上げて後続を突き放しにかかる。29周目1:37.069、30周目1:36.803、31周目1:36.122、32周目1:35.769のラップ推移は直後のハミルトンよりも1周当たり2秒近く速く、最後のストップまでに12秒の差がついて、今季苦しみ抜いたアロンソの初勝利は揺るぎないものとなった。

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 テレビの前にじっと座っていた2時間を「つまらなかった」のひとことで葬るような真似をしないために必要な心構えを会得したのは、モータースポーツを見るようになって何年も経ってからだ。はっきりと自覚したのは今シーズンになってたわむれにドライバーの採点記事を挙げるようになってからだけれど、レースを見るコツのようなものを身に付けはじめたのは、たぶんフェラーリのミハエル・シューマッハが強すぎたためにともすると世界中のF1人気が下火になりかけていたころで、わたしはその反対を向くようにF1、ひいてはモータースポーツへの興味を深めていった。テクノロジーとか、政治的なスキャンダルとか、母国ドライバーの応援とか、F1に付随するテーマがいくらでもあるなかで、わたしの意識はつねにただサーキットにばかり向いていた。振り返るともうずいぶん週末のグランプリを見向きもしなくなるほど退屈だと思った記憶がない。昔のF1のほうがおもしろかったというありがちな決まり文句とも無縁で、すばらしいのはいつだって今だと思っている――すばらしいのはいつも「今」なのだ。モータースポーツの熱量は結局のところ「今」の問題としてしか語りえないという思想を持つようになって、わたしのレースに対する態度は決定的になった。

 たいていのプロスポーツがそうであるように、F1の営為もまたシーズン単位の「全体」として理解されている。各グランプリでの順位によってポイントが付与され、その累積によってドライバー/コンストラクターのチャンピオンシップが争われるという構造をF1は持ち、われわれファンはその推移を開幕戦から最終戦にわたって見守ることで、だれが最速のドライバーであるかに想いを馳せるわけだ。プロ野球の順位を毎朝気にしてしまうような付き合い方は、F1に対するときでも十分に健全に思える。
 そしてF1がつまらなくなったという表明があるとき、その意見はどうやらそんな全体の印象についてであるということが多いようだ。パッシングの少ないレース全体であったり、ひとりのドライバーが独走するシーズン全体であったり、そういう場合に退屈という評価が出てくることがままある。2000年代初頭はその代表だろう。

 全体こそがF1の営みのすべてだというのなら、そういうときに退屈の印象を抱くというのも頷けないこともない。事実シューマッハがありとあらゆるサーキットを無遠慮に制し続けた2000年以降にF1の人気は低下し、あるいは少なくとも低下することが危惧されて、チャンピオンシップへの興味をなるべく長く繋ぎとめるために優勝の価値を大きく下げる形でポイントシステムが変更された(そして俗な対応だとして変更自体にブーイングを浴びせられた)。

 たまたまこれを書いているタイミングで『Rocket Motor Blog』「2011年イギリスGP感想」を読んだら、折よく「エンディングが予想できてしまうと、ストーリーはとたんに面白くなくなってしまう。[…]つまらないストーリーは、観客や視聴者の関心を失ってしまう」という記述が目に止まった。それはたしかに当然のことだ。だれが年間を通してもっとも優れたドライバーかの争いに興味を惹かれるのは自然な感情で、だからその行方が概ね決してしまったあとに関心を失うのもわかる。だが、そんな競技者と同一の視線からあえて背を向けてみよう。モータースポーツの全体を構成するものはいったい何であろうか? 部分の集合はかならずしも全体を表現しないが、部分を積み重ねなくては全体が現れることもない。ドライバーはチャンピオンシップのためにレースを戦い、レースをより上位で終えるためにラップを刻み、速いラップをたたき出すために一瞬一瞬コーナーへと飛びこんでいく。結局レースとはその積み重ね——選手権への意思が表出する一瞬の積み重ねだけでしか構成されないものだ。その意味でドライバーの意思は、ブレーキングからターンイン、クリッピングポイントをかすめてスロットルをオンするその運動、モータースポーツを微分した結果得られる瞬間にこそもっとも激しい情動として立ち現れる。それはレースの間に何度も現れては消えてしまう、「今」としてしか受け止められないシーンだ。全体の利害を越えてそれを捉える愉楽を得られるのは観客の特権であり、わたしはそれを最大限称揚することでレースから退屈を追い出したいと思っている。

 今シーズンここまでアップしてきた採点記事をお読みくださっているかたは、わたしの贔屓にしているドライバーがフェルナンド・アロンソであることをすぐ理解されるだろう。あらためて読み返し見ると「美しいターンイン」(ヨーロッパGP)に「偉大なドライバー」(モナコGP・トルコGP)、「F1の教本に載せるべき」「現役最強ドライバー」(スペインGP)など自分でもやり過ぎと思うくらいこれでもかと賛辞を並べているが、パドックでは王様のように振る舞い、わがまま放題というこのスペインの英雄をわたしが愛するのは、彼がコース上においてもっとも瞬間の魅力を表現してくれるドライバーだからだ。

 昨年のアブダビGP、アロンソは失意の日曜を過ごした。拙速なピットインの判断でヴィタリー・ペトロフの直後7番手のポジションに嵌り、4位以上という決して難しくなかったはずのミッションに失敗した結果、ほぼ手中にしていたはずのワールドチャンピオンを失ったのだ。あのレースは、ひとつにはベッテルの嗚咽交じりの無線に、もうひとつにはアロンソのドライブによってこそ印象づけられた。最終盤にターン18のブレーキングで派手にタイヤをロックさせてコースオフしたシーンだ。もはやすべてが手遅れになってしまったあとに見えた彼の失望、焦燥、怒り、悲しみ……ただのミスドライブではない、感情が凝縮されたあのコースオフに、フェルナンド・アロンソというドライバーの姿が現れたのだった。

 レース中に「顔が見える」ドライバーはそう多くはない。それが見えるのが優れたドライバーというのがわたしなりの感覚でもあり、アロンソのドライブはいつだって彼特有の表情に溢れている。今季のフェラーリは苦境に陥り、彼自身も苦しい週末を過ごすことが多かったが、それでも自分が「偉大」で、「現役最強」のドライバーであることを、思いどおり走らないフェラーリ150°イタリアを通して何度も何度も訴えかけていた。

 たとえそれがわずかなレギュレーション変更の狭間に起きた幸運だとしても、彼のドライブはきっと報われなければならないのだ。シルバーストンの中盤、勝機が訪れたと見るやアロンソは愛馬に鞭打って敢然とスパートに入る。その決然たる彼の意思を垣間見た瞬間、2011年イギリスGPは忘れられないレースとなった。そう、すばらしいのはいつだって、切り取られた「今」としてしか語れない一瞬だ。31周目、旧ホームストレートからコプスに飛びこむアロンソの切れ味は、この日曜にだれも追随できないほど清冽なものだった。

ミハエル・シューマッハの憂鬱

【2011.4.17】
F1世界選手権第3戦 中国GP

 コンディションがウエットだったかドライだっかたは定かではない。曇天の上海インターナショナルサーキットだった。右に回りこんでいくようなコーナーだったから多分ターン1か12のはずだ。大学生だったわたしがアルバイトをしていたとある雑誌編集部の高い棚の上に置かれたテレビの画面の中では、光量の少ない空模様でもよく映える真っ赤なマシンがスピンしていた。まだレース序盤、15周に行くか行かないかといった時間帯でのことだった。

 それがミハエル・シューマッハのフェラーリであることはすぐにわかった。同僚のルーベンス・バリチェロはキミ・ライコネンを従えながらトップを快走していて、後方を走る赤いクルマはシューマッハのものでしかありえなかったのだ。ピットスタートとなって最後方からの追走を余儀なくされたシューマッハは、つたない記憶によれば前走車の直後を走っていて、その影響でダウンフォースを失ったのか、右に長く切りこんでいくコーナーの出口でリアを巻きこみ、フロントタイヤを中心にしてくるっと時計回りに1回転していたと思う。タイヤスモークが上がっていた――と思い出すということはたぶんドライコンディションだ。そのあとがストレートでスロットルを開けていくところだったような覚えもかすかにあるので、だとするとターン12~13だろう。2004年、もう7年も前の話である。

 中国GPが日本GPとの東アジア2連戦として秋に組まれていたころのことで、すでにドライバーズチャンピオンシップの行方はシューマッハに決していたから、その単独スピンもちょっと珍しい光景以上の意味はなかったが、珍しいという点ではフェラーリの圧倒に退屈したシーズンのハイライトに入れてもいいくらいのシーンではあった。実際、当時のF1ファンにとって7度目の戴冠を果たしたばかりの皇帝がひとり勝手にタンゴを踊るなどありえないことだったのだ。少なくともわたしは意外なミスと受け取ったし、そこには軽い失望感も伴っていた。チャンピオンを獲って気でも抜けたかと言いたくもなったかもしれない。もちろん難癖をつけているだけだ。これは今調べて書いていることだが、2004年のシューマッハはモナコ以外のすべてのグランプリで完走し、そのなかで唯一入賞を逃したのがこの上海だった。そもそも年間18戦13勝のドライバーが決勝レースで一度くらいスピンしようが、大した事件ではない――あるいはだからこそ大した事件なのかもしれないが、タイトルの興味とは関係のないことだ。

 だが、こういう言及もできないではない。すなわちときどき見せる傲慢な振る舞いが許されるほど強すぎてF1から熱量さえ奪い、いくつものレギュレーション変更の呼び水ともなったシューマッハは、しかしこの年を最後にチャンピオンの座を若いフェルナンド・アロンソに譲った。翌年から1度目の引退を決意した2006年までに挙げた8勝は、2004年わずか1年間の13勝に遠く及ばない。

 いや、これもやはり言い掛かりにすぎないだろう。なるほどこういうときに文章の作法として「中国GPで見せた些細な綻びが、シューマッハの衰えのはじまりだったのだ」と書くのはいかにも道理をわかっていそうな纏めかたで筋がいいのかもしれないが、自分の浅薄な失望感をこの程度のミスで正当化するほどわたしは厚顔ではないつもりだ。2005年は悪夢のようなブリジストンタイヤの不調とともに葬られただけだし、2006年にしても鈴鹿でエンジンが白煙を吐き出さなければ彼は王者として引退し、翌年にフェリペ・マッサがカーナンバー「0」を付けることになったかもしれない。政権はアロンソへと移ったが、シューマッハはやはり強いまま、跳ね馬を降りた。サーキットを去るまでほとんど完璧だった。

 結局7年前、シューマッハ個人にとって4シーズン前のスピンは、そのレースのファイナルラップで見せた帳尻合わせのようなファステストラップも含めて、F1でもっとも成功を収めたドライバーが頂点の時期に見せたちょっとした愛嬌にすぎないことである。なのだが、3年の沈黙を経て現役に復帰した彼の1年半をずっと見てきて、ふいにあのシーンを思い出すことがある。赤い記憶が薄れ、当初はあれほど似合っていないように思えた銀色のスーツが目に馴染んできた最近はことさらに増えた。おかしな感覚だと思われるだろうが、わたしにとってミハエル・シューマッハといえば、全盛期の憎らしいほどの強さでも、ミカ・ハッキネンとのバトルでも、表彰台で幾度となく見せた子供っぽいジャンプでも、ラスカス・ゲートでもなく、まず上海でのスピンが連想される。スピンした振る舞いには失望しても、彼のスピン自体は美しかったのだ。

 結果としてかかわる人間の身体にダメージがない、という前提条件を絶対に付させてもらうが、単独スピンはときに絵になる。人間に比べればあまりに強大なマシンを完全に掌握して操っていたドライバーが、なんの前触れもなく不意に自らの能力を振り切られ、抗う術を失って慣性に身を任せるよりなくなる1秒に満たない時間の間に、感知、反応、制御、破綻、モータースポーツを形成するいくつもの情報が処理され、奔流となって吐き出される。ドライバーの意思を携えてレーシングラインをトレースしていたマシンが、ある一線を越えた瞬間、急にたんなる物質と化す。その狭間、制御と不能の間には大きな断層が生じ、そこにはじめて失望という、顔の見えないドライバーの感情がはっきりと立ち現れるのだ。バトルでのクラッシュは物理的な人間同士のぶつかりあいだが、スピンはひとりのドライバーの精神を容赦なく炙り出す。強いドライバーのスピンは特にそうだ、というより美しいスピンは強いドライバーとマシンのペアにしか生まれない。今年の中国GP予選でのセバスチャン・ベッテルを見ればよくわかる、速くて強いドライバーがそれにふさわしいマシンに乗りこむと、両者が一体化してドライバー自身の姿は見えなくなるものだ。だからこそ両者を結ぶ糸が突如切断されるスピンによって表出する精神性が心を捉える。ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネン……彼らのキャリアには印象深く美しいスピンがある。それはたぶん、何十という勝利よりも彼らをよく知る手がかりになる。

 上海でのスピンはわたしにとってミハエル・シューマッハを「見た」瞬間だったが、しかしそれもふたたびコントロールを取り戻してコースに復帰するとともに薄れていき、あとは何年か後におなじ趣味の友人との思い出話に変わるようなことだった。だがいまになってわたしはあのスピンを強かったシューマッハの象徴として思い出すことが増えている。それはいまリアルタイムで走っているシルバーのシューマッハがもうおなじように美しいスピンを演じられないと諦めかけていることの感傷だと、わたし自身わかっている。なにせわたしがF1を生涯見続けるべきスポーツと定めて観戦の初心者から脱しようとしていた20代前半はシューマッハのための時代だったのだ。好き嫌いは別にして、その落日を目の当たりにすれば感傷的にもなる。

 復帰のニュースにあれほど目の色を変えたのに、1年と半分が過ぎてわれわれはもうシューマッハのいる風景に慣れている。ニコ・ロズベルグに控えるドライバーであるということも含めて慣れてしまった。この中国GPで、シューマッハはまた同僚に及ばなかった。予選ではもうずっとコンマ5秒のビハインドを背負い、決勝で(アイルトン・セナに対したアラン・プロストのように、あるいは若かりしシューマッハ自身を決勝では脅かしたマーティン・ブランドルのように)それを跳ね返すほどのペースを刻めるわけでもない。ロズベルグを物差しにしたとき、あえて挑発的な言い方をすればF1を去らざるをえなかった中嶋一貴とどれほど違うのかというくらいのものである。セッションの度に発せられるコメントだけを読んでいると、シューマッハ自身も現状に不満と焦りを抱えつつもどこかでは慣れてしまったようにさえ見える。

 予選Q2はヴィタリー・ペトロフがトラブルを発生し、ライン上にマシンを置きっぱなしにするという品のないストップをしたために、2分2秒を残して赤旗中断となった。1周1分35秒の上海ではピットアウトからアタックラップに入るにぎりぎりのタイミングであり、セッション再開直後からマシンが次々と飛び出して、コース上には予選と思えないほど長い隊列ができた。慌ただしくタイヤを温めながらチェッカーフラッグをかいくぐって、フェリペ・マッサ、セルジオ・ペレス、ニコ・ロズベルグ、ミハエル・シューマッハ、小林可夢偉……という順に最後のアタックへと向かった。満足なクリアランスはとれていなかった。

 状況が状況だけに、遅いクルマが速いクルマのアタックを邪魔してしまうことはいたしかたないことだ。だがこの順でアタックした5台のなかで、結果としてはザウバーのペレスがメルセデスのロズベルグのアタックの障害となり、そしてその関係とは正反対にメルセデスのシューマッハがザウバーの小林の障害となった。ターン14、長いバックストレートエンドのヘアピンでブレーキングを決めきれなかったことで、シューマッハは自分と小林の両方のチャンスを潰したのだった。重要なポイントで決して外さないのが全盛期のシューマッハだったが、現役復帰後の彼は打って変わってポイントでこそ外しつづけている。こういう姿にも、すっかり慣れた。ロズベルグだけがQ3に進むのはもうおなじみの光景だ。リアウイングが機能しなかったとコメントを残し、たぶんそれは彼にとってありのままの事実を述べただけで言い訳に汲々としているなどとはまったく思わないが、そうやって自分以外の場所に原因を求めなくてはならないことも頻繁になった。

 決勝の走りに不満があったわけではない。マレーシアに続いてスタートを決め、エキサイティングなバトルを繰り返しながらずっと入賞圏内を走って4ポイントをチームに持ち帰った。文句のない仕事だ。だが一時レースをリードして5位に入ったロズベルグと比べれば、それが完璧な走りだったと言うことはできないだろう。速さに劣るフェラーリをドライブしていた90年代後半、シューマッハはつねにわずかなストロングポイントを強調することで圧倒的に速いミカ・ハッキネンに牙をむいた。いま最速ではないメルセデスのコクピットで、シューマッハは戦うポイントを求められずにいる。去年、骨折で長期離脱した99年を除いてはじめて年間のポイントで同僚を下回った。その99年ですらダブルスコアではなかったのに、ロズベルグの142ポイントに対して72ポイントしか取れず、メルセデスはそれを直截に示すコマーシャルまで作った(。産気づいた妻を乗せたまま折悪しく山道でクルマが故障し、立ち往生してしまった夫婦の下にロズベルグとシューマッハが現れて送ってくれるという。夫が「7度のワールドチャンピオンだ」とシューマッハを選ぼうとしたところ、妻が「去年のポイントはニコが2倍だった」とロズベルグがいいと主張して口論になるわけなのだが、どうもこれは妻のほうに分があるのではないかと思える。

 あれから7年が経って、銀色のシューマッハはクルマなりの仕事をするドライバーとしてステアリングを握っている。好まない弱アンダーステアと格闘して、下位チームの突き上げを食らいながらなんとか上位にしがみつこうとする様子には丁寧な仕事ぶりを感じるが、しかしかつて眩いばかりに放たれていた才能の煌めきだけは鈍くなっているようだ。

 速いマシンとドライバーが混沌として両者の境が曖昧になり、人の存在感が消えていく瞬間がある一方で、走らないクルマを苦心惨憺どうにかして前へ進ませようとするドライバーの顔は、ヘルメット越しにもよくわかるものだ。レースを長いこと見ていればもちろんそういう姿を観察することのほうが圧倒的に多いし、結局モータースポーツが人間のせめぎあいであることを示唆するという意味で、レースの醍醐味だったりもするだろう。だがそれは、端的に言って美しいわけではない。機械に苦闘する人間から見えるのはスピンの断層から突発的に偶発的に顕在化する破綻の美ではなくただただ現実だ。いまのシューマッハには苦悩が見えすぎる。現状が続くかぎり、彼のW02が回ってもわたしはそれをたんなるミスとしか受け取れないだろう。浅薄なはずの失望感は、きっと失望のまま次のサーキットへ持ちこまれることになる。だがわたしの感傷はそんなシューマッハの凡庸をはっきり拒絶するのだ。多くのファンと同様に、わたしもまたシューマッハの現状を受け入れがたく思っている。強いシューマッハの幻影が、コースのどこかで実体になって現れてくる瞬間を探している――。あのときと同じ上海だ。タイヤかすと埃に覆われた激しい優勝争いとは無縁な後方を眺めながら、わたしはあいかわらずあのときのフェラーリのダンスを思い出してしまっているのである。