【2014.6.7】
インディカー・シリーズ第8戦 テキサス・ファイアストン600
フォンタナのオーバルコースで行われた2013年インディカー・シリーズ最終戦は、選手権を争っていたスコット・ディクソンとエリオ・カストロネベスの動向を気にせずにはいられないレースだった。25点差を追って一途に集団を攻めていくカストロネベスが何度もバーチャルポイントで逆転し、それに呼応してディクソンが危険なバトルへと身を投じて順位を回復していくさまには、繰り返し映像を見ても興奮を抑えられそうにない。恍惚の戦いは終盤カストロネベスが軽い接触によってフロントウイングを傷めてしまったことで不意に終止符が打たれたが、断頭台の刃がレースへの意志の強靭さとはまるで関係なく、ただただ無機質に落とされたようなその残酷な終幕も含めて、この年最高のレースだったと断言できる。
ただ当然のこと、この戦いが選手権という純粋なレース以外の要素によって彩られていたのもたしかではある。最終戦とはえてして、そんなふうに1つのレースではなく1年に対する結末が優先されることになるものだ。リードラップ最後尾の5位でチェッカー・フラッグを受けたディクソンと無念にも周回遅れとなって6位でゴールしたカストロネベスはたしかに最高のレースを演出したが、結果だけを見るならそれなりの順位で、シーズンにおける対照の2人としてスポットライトを浴びたにすぎない。普通ならインタビュアーが真っ先に5位、6位のドライバーのもとへ赴くなんてことはなく、10月20日という日程だけが特別にそういう光景を生んだのだ。だからもしフォンタナがたんに夏場の一レースであったなら、われわれは別のドライバーを真っ先に讃えていたにちがいない。選手権の強い光に目が眩んでつい見落としがちではあるものの、その陰でウィル・パワーは最終戦を先頭からスタートする資格を手に入れ、だれよりも多く103周をリードし、最終ラップのコントロールラインを最初に通過して、1レースで得られる限界の54点を獲得していたのである。昨季、この完全勝利を達成したドライバーは他に2人しかいなかった。
ウィル・パワーがオーバルレースを苦手としていることは、いまさら声高に指摘するのも憚られるほどの常識だ。2005~2007年のチャンプカー参戦を経て2008年にインディカー・シリーズにデビューしたオーストラリア人は、以来このフォンタナまでに18勝を挙げているが、そのほとんどはロード/ストリートコースでのもので、オーバルではまともな結果を残していない。左ターンしかないコースでの優勝は2011年テキサス「ファイアストン・ツイン・275s」の1度きり、しかもそれは名称からわかるとおり本来550kmで行われるレースを距離もポイントも半分に分割したイベントのうちの片方でしかなく、彼が勝ったレース2はまばたきをしているあいだに終わるほど短かった。スタートからゴールまで50分もかかっていないのだ。0.5勝といってもよいくらいである。
RACING-REFERENCE.INFOに掲載されている記録をもとに計算してみると、トップチームであるチーム・ペンスキーにはじめて乗ってから2013年の最終戦までの間、パワーはオーバルを27戦走って平均12.3位という結果を残している。全体の半分以上だから悪くない数字に見えるが、同時期のロード/ストリートで45レース平均5.8位を記録しているのと比較すればまったく優れているとは言いがたい。数字からも明らかなとおり、彼はロード/ストリートとオーバルの間で歓喜と失望を繰り返し往復するドライバーだった。得意とする深いブレーキングは全開の続くスピードウェイでは活かす場面がなく、200mphで動く集団の中で正しい進路を見失って戸惑う姿ばかりが目についたものだ。
もちろん、経験少ないコースを苦手とするのはやむを得ないことではある。ましてオーバルは特殊なレースで、キャリアを重ねてからインディカーに転向したドライバーの多くが苦戦することもたしかだ。だが結局、この弱点が彼を頂点から遠ざけ続けたのもまたまぎれもない事実だった。2009年のスポット起用を経て、2010年にペンスキーからフル参戦するようになってからは、ロード/ストリートが集中するシーズン序盤に圧倒的な強さを見せながらオーバル中心の秋にポイントを伸長できず、最後に敗れる苦汁を3年連続で味わっている。2010年のホームステッドでは25位、2011年ケンタッキーは19位、2012年のフォンタナが24位で、いずれの年もポイントリーダーとして迎えながら最終戦のオーバルで逆転を喫して1年を終えた(2011年の実際の最終戦はラスベガスだったが、12周目に発生したダン・ウェルドンの死亡事故によって中止となっている)。
いつまでも幼さが抜けないパワーの顔には、そんなふうに速さと脆さのふたつの表情が同居している。しかもただ得意と苦手がわかれているだけならまだしも、あまりに「高い」レベルで均衡しているせいでだれよりも惜しい場面が際立ってしまった。もしロード/ストリートでちょっと速い程度のドライバーだったなら、オーバルでの醜態もむしろ愛嬌として受け止められただろう。だが得意なコースだけで選手権を戦えてしまうほど突出したスピードがあるからこそ、だれも彼がインディカーの名脇役にとどまることを許さず、主役になれなかった男として扱おうとした。敗北とともに失意の表情を浮かべる光景がいつしか秋の風物詩になったのは、歪な才能ゆえだ。
しかしそんな中で、彼はついに高速オーバルのフォンタナを圧勝してみせたのだ。2013年は失意の1年で、前半戦はシリーズ全体の波乱に巻き込まれるようにミスを繰り返して後方へと沈み、パフォーマンスを取り戻したころにはすでに手遅れでチームメイトの援護に回らざるを得なかった。それがかえってよかった、とは心境をおもんぱかれば言えないが、(実質的に)はじめて重圧のかからない最終戦を迎えたパワーは、焼けるような選手権争いが繰り広げられている遥か前方を、その熱量に浮かされることなくさらりと受け流して涼しい顔で逃げ切ったのである。気楽に走れたことが功を奏したのかもしれないとはいっても、やはり過去を置き去りにするかのような500マイルオーバルでの優勝は新しいシリーズ・チャンピオンに辿りつくために打たれた重要な布石に見えた。
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2014年のシリーズ第8戦、ウィル・パワーがピットに進入する際の速度違反によってドライブスルーペナルティを科されたのは215周目のことで、その瞬間に勝負の行方は決まったも同然だった。夕刻から夜にかけて気温と路面温度が下がっていく難しいコンディションにあって、インディアナポリス500のポールシッターでもあるエド・カーペンターがリーダーの座を固めていく中、追随できるのはこのレースの序盤を席巻していたパワーだけだったのだ。従来の550kmから600kmへと距離を延長してレース戦略から燃費を排除しようとした運営の目論見が成功したのか、6月のテキサスはスピードを愛する者がもっとも報われる一戦となりつつあった。インディ500に続いてフルコース・コーションがほとんど導入されなかった――事故を原因とするコーションはたった1回だった――こととも相まって、1周25秒のハイバンクオーバルは遅い車を次々と篩いにかけて周回遅れへと引きずり下ろし、本当に戦う資格のあるドライバーだけをリードラップに残していたのである。
その中でもカーペンターとパワーはより速く、2人以外に優勝が許されそうになかった。なにせ2人とも、2位に10秒というオーバルでは冗談みたいな差を築き上げるタイミングがあったほどだ。これでなにかの拍子に他の誰かを勝たせるとしたら、さすがにモータースポーツの神様も気まぐれが過ぎると呪いたくもなるスピードである。102周目までのほとんどと、126~170周目を取って最多ラップリードを確定させたパワーに対し、カーペンターは終盤にセッティングのポイントを定めたようにスピードを上げてきていた。2人のポジションは緩やかに交差し、残り50周を切ったころにはカーペンターのほうが逃げ込みを図るようになる。問題の違反が生じたのはそんなときだった。後から流されたリプレイには、ピットレーンの速度制限区間のはじまりを示すラインから数十mにわたって、明らかにブレーキングを失敗したパワーがタイヤをロックさせる場面が映っている。
それからの手際はテレビの実況陣が笑ってしまうほど鮮やかで、ピットアウトするやいなやレースコントロールからカーナンバー12にドライブスルーペナルティが宣告され、パワーは満足に加速もしないうちにハンバーガーを買いに戻る羽目になった。「まただよ、本当に残念だった」とレース後に彼は言っている。いくら自分の責任ではあっても、前の日曜日にもペナルティを受けたばかりなのだから落胆するのも無理はない。
ただデトロイトではそれでも2位だったし、今回もまた、その希望は残されていた。つまりふたたびコースに戻ってシボレーエンジンを限界まで回しはじめたとき、リーダーのカーペンターはかろうじてすぐ背後にいたのだ。周回遅れにならずに済んだのである。最後尾とはいえリードラップに踏みとどまったパワーはその後も勇気を持って苦手なはずの集団を突破し、遅い車の間を縫いながらオーバル・マスターから逃げおおせた。そういう苦闘はしばしば報われるものだ。二百数十周も全開で戦われていたレースは、残り6周、佐藤琢磨の車から突然火の手が上がったことでスローダウンされる。この日3基目となるホンダエンジンのブローによってイエロー・フラッグが振られた瞬間、ペンスキーのストラテジスト、ティム・シンドリックは彼のドライバーをピットに呼び戻す決断をしていた。
最後のピットストップで新品タイヤを得たパワーは、レースが再開するが早いか、30周以上使い古したタイヤで苦しむライバルを苦もなく大外から飲み込んでいく。ゴールまでたった3周、時間にして1分強のあいだに、彼はカーペンターを除くすべてのドライバーを抜き去って、ペナルティを受ける前の2位へと舞い戻ったのだった。「(ペナルティは)本当に残念だった、でもチームがすばらしい(ピットインの)コールをしてくれたんだ」と彼は振り返る。最後のスプリントでグリップに明白な差が生じていたことを思えば、たしかに失った順位を取り戻すために必要な最後の鍵がタイヤだったのは間違いない。たとえリードラップの最後尾で作業をしても損にならないことが分かっていたのだとしても、あの瞬間、まったく迷うことなくドライバーを呼んだシンドリックの判断は称賛されるべきであり、その意味でパワーが述べるチームへの感謝は率直な心持ちだったことだろう。だがその言及はまた、レースのすべてを反映したものでもない。彼が2位を失わなかった最大の理由を挙げるとするなら、それはそうするために抜かなければならない車がたった4台しかいなかったことなのだ。7位以下がすべて周回遅れとなっていたことで、リードラップ最後尾に落とされたといってもパワーはまだ6位にいた。そしてそのような状況をつくりだしたのは他でもなく、序盤から中盤にかけてスピードによってレースを席巻し、遅い車を次々と断罪していくように周回遅れに追い込んだパワー自身の走りだった。最後に2位に上がったのがタイヤの差という局所的な状態の違いにあったとしても、それは248周のレースの中で一から作られた土台にの上に完成した結果だった。一度はつまずいたウィル・パワーを救ったのは、結局のところ自らのスピード以外になかったのである。
いまインディカーに無条件で「速い」と言い切れるドライバーがいるとしたら、パワーを措いて他に――だれも、と付け加えてもいいかもしれない――ない。ロード/ストリートのみならずオーバルでも強い印象を残した彼が選手権の地位に汲々とすることなく、今後もレースを破壊せんばかりの無垢なスピードで走り続ける快楽を見失わずにいられるのであれば、昨年完全優勝を果たしたフォンタナの地で、自然ともうひとつの勝利を手に入れる機会に恵まれることだろう。あのときの布石は、今になってたしかに生かされつつある。