敗北を受け入れてそこへ到る道を歩むということ

【2014.8.30】
インディカー・シリーズ最終戦 MAVTV500
 
 
 レースを解釈する方法など勝手で、どういった理屈であっても付けようと思えば付けられるものだが、とくに最終戦のことをぼんやり考えるにあたっては、その年のシーズン全体をついひとつのレースに投影させてしまうことを避けて通れないようだ。フォンタナの予選が終わってから決勝のグリーン・フラッグが振られた直後までのあいだ、シーズン後半になると中継の画面にしばしば登場する「Points as They Run」――今走っているのと同じ、すなわち現状の順位のままレースが終わったと仮定した場合に得られる仮想のポイント――はエリオ・カストロネベスがチームメイトのウィル・パワーを逆転しチャンピオンになることを示していたが、その状態を500マイルも先のゴールまで維持し続けるという果てしない運動を想起したとき、来年40歳を迎えんとするベテランの走りがポール・ポジションを獲得するほどの潜在能力を持っていたにもかかわらずあまりに弱々しく頼りないものだと気付かされるまで、そう時間はかからなかった。1周目の半ばで早くももう一人の同僚であるファン=パブロ・モントーヤに先頭を譲ると、2~5周目にはなんとかその座を取り戻したものの、6周目以降は集団に呑まれて苦しい順位争いにさらされるなど、結局のところ選手権を逆転するためにほとんど絶対の条件だと思われた優勝を期待させるスピードを持つには至らずレースは進んでいった。当初モントーヤとの先頭交代を繰り返して燃費を稼ぐ作戦かとも勘違いさせるほどあっさりとポジションを譲ったのは、結局それが掛け値ない実力にすぎなかったのだった。ゴールが十分に近づいてきたと言っていい144周目から178周目の比較的長い間ラップリードを刻んで、傍目にはもう一度チャンスを得たかもしれないと思われていた時間帯でさえ、カストロネベスの選手権は具体的な形を伴うことなく茫漠なままで、最後には例年に比べ全体的に多かったペナルティを自分自身が受けたことによって、チェッカー・フラッグが振られるより一足先に、本当に手にしたかったもの、つまりこのレースの優勝ではなく選手権を得るための戦いは掻き消えていったのである。守る手立てのない仮初めのリーダーの座と、実を結ぶことのない淡い希望、あるいは計算上の可能性よりもずっと小さな現実の蓋然性。フォンタナに横溢したカストロネベスのありかたはそう表現できるものだった。そして、だとするならば2014年のインディカー・シリーズもまたそんなシーズンだったのだと、両者を重ね合わせずにはいられないでいる。

 予選でミスを犯し最後尾スタートの苦難を与えられていたパワーがある程度まで慎重さを捨てたリスクの高いバトルを制し、選手権を取り戻すところまで順位を上げつつあったころも、カストロネベスの可能性は決して潰えていたわけではない。だがそうだとしても、彼が歓喜のゴールを迎えることになる予感をほとんど抱けなかったこともおそらく間違いなかった。それはちょうど、シーズンの中盤から終盤にかけてずっとポイントリーダーとして君臨していたにもかかわらず、「君臨」という言葉を当てはめるには躊躇を覚えるほどその足元がおぼつかず近い将来の陥落を確信させる政権であり、実際にシーズンの大詰めを迎えた時期になってついに首位を明け渡してしまった今季の経過にとてもよく似ていた。なぜ、結果的には1勝に終わった今季のカストロネベスが最終戦まで戦えたのか、冷静に突き詰めると今季から3つの500マイルオーバルレースに2倍ポイントが設定されたためで、その他の要因はないと断言しても大きく間違ってはいないはずだ。インディアナポリス500とポコノ500でともに2位を獲得し、たった2レースで通常のほぼ4勝に相当する198もの大きなポイントを得た結果、カストロネベスはおそらく真の実力以上に長い間選手権を率いてしまったし、そうでありながら圧倒的に速いチームメイトに逆転を許して突き放されてもなお、最終戦のフォンタナMAVTV500が2倍ポイントであることによって決着が先送りになった。レース前の2人の間にあった51点の差とは、本来ならグリーン・フラッグが振られる前に選手権の行方を決定させるものだが、2倍の設定が計算上の逆転可能性を大きく拡げることになったのだ。この1500マイルの巡り合わせが、巡り合わせだけが2014年のシリーズを延命した。カストロネベスは大部分が制度に守られた偽りのポイントリーダーに過ぎず、そのありようはフォンタナのレースでも変わらなかった。彼はポールシッターであり、パワーの苦戦によって一時的に仮想のポイントリーダーとなったものの、レースペースの不足はその地位を簡単に突き崩してしまった。どれほど車に自分の意志を込めようと願っても乱気流の中でバランスは失われたまま、勝機は時間の経過とともに確実に消えていったのだった。

 いま最終戦というレンズを通してあらためてシーズン全体を見渡そうとするとき、エリオ・カストロネベスをどこに位置づければよいのかはきわめてわかりにくい。たった1勝のリーダーとしてシーズンの強者を見えづらくしたノイズのように感じられる一方で、延命と評するにせよ安定感の賜物と感嘆するにせよ、その存在が9年連続となる最終戦でのチャンピオン決定を演出したのはたしかであるだろう。ただいずれにしても言えることは、本質的に今季の彼が弱かったということ、その一点に尽きるように思われる。人が運命を決定づける最後の最後にこそその本質を露わにするならば、つまり最終戦をシーズンの集約として象徴させるならば、よく似た経過を辿ったはずの2013年と2014年が内容的にはまるで違っていたことが明白になる。昨季のカストロネベスは強さを持っていたにもかかわらずポイントリーダーの座を守ることに固執して自滅した。その本来の強さは、スコット・ディクソンを追わなくてはならない立場に変わったフォンタナでの清冽な走りによって、報われることはなかったものの証明されたのだと言える。翻って今年のフォンタナで、攻める以外になかったはずの彼に、おそらく当時ほどの可能性を見出すことはほとんどできなかったはずだ。たしかに仮想ポイントが逆転の可能性を示す瞬間はあったし、その意味で計算上の緊張感も流れてはいた。だがその可能性じたいが本来から拡張されたものである以上、彼は計算に救われていたにすぎず、そして事実「救われた人」なりの走りしかできなかった。できようはずがなかった、と言ってもいい。フォンタナのカストロネベスが露呈したのはすべてを擲っても勝利に届くことのない絶対的な力の不足だったが、それは2014年シーズン全体にも通底する姿だったということである。何度となくドライブスルー・ペナルティを受けて多くのポイントを失いながらなお初めてのチャンピオンへと辿りついたウィル・パワーと比較したとき、およそ秘めていた能力の違いは明らかだ。昨季のカストロネベスを力ある者の頽廃と表現できたとすれば、今季はそうではなく、純粋に、頽廃にまみれる資格を持つほど強くなかった、ただそれだけのことだった。なまじ計算上の可能性を残して最終戦を迎えたことで、そのことがレースの運動の中で残酷なほどあからさまになった面もあるだろう。ハンドリングに苦しみ、集団が作りだす乱気流に溺れるさまが、1周2マイルに及ぶオートクラブ・スピードウェイのオーバルトラックの中に切ないほどはっきりとした輪郭を浮かび上がらせ、乗り越えることのできない壁の高さを感じさせていた。対照的に、最後尾からスタートしたパワーは気づけば自力でチャンピオンを手繰り寄せられる順位を取り戻していたのだった。

 6月のデトロイトでカストロネベスが優勝したとき、そこにはたしかなスピードがあった。2014年のそれまでに行われた7戦のうちもっとも圧勝と呼ぶにふさわしかったのはまず間違いなくこのレースであり、2位だったパワーともども、その速さをもってすれば選手権を制することができる、それも最終戦をチーム・ペンスキーのチームメイト同士で争った末に獲得できるかもしれないと感じられたものだ。その予感は少しだけ当たり、実際に彼らは選手権の帰趨を最終戦で決することになったが、しかしそれはほとんど形式的な可能性の争いに終わった。当時書いたような、スピードというレースで勝つための「真の友人」がカストロネベスに味方したのは結局あの1回きりで、その後は無情にも彼の許を去ってパワーにばかり微笑むようになったわけだ。昨季の失敗を経験としてより攻撃的に走ることを志向した彼に車が応える機会はほとんど訪れることなく、手にしていたポイントリーダーの地位はやがて偽りとなって、最後には勝者としての仮面を暴かれてシーズンを終えざるをえなかった。デトロイトで抱いた予感は、カストロネベスに関してまるっきり外れてしまったことになる。真の友人を携えられなかった彼は、なかば必然的に敗れていった。

 レースが終わってピットに戻ってくると、カストロネベスはパワーの家族を笑顔で祝福し、また自分をインタビューするため向けられたマイクに対しても、なんの悔やむところもなかったと言いたげにその笑みを絶やすことなくチームメイトへの賛辞を口にした。かつて敗れたときにも見せてきたのと同様の表情ではあったが、今度は特に、美しい敗者であろうとする高度な自律的精神と、自らが尽くした最善のさらに先をライバルが走り去っていったことへの諦念が綯い交ぜになったような趣があった。たぶん、心のどこかではほとんどこの決着を予期しつつ運転を続けていたのだと思わせるような、そういう笑顔だった。負けるという事実を不意に突きつけられて狼狽するのではなく、心に一塵ずつ堆積させながら受け入れていったあとの顔。短くない期間リーダーだった2014年のシーズンを徐々に徐々に敗れていったように、このレースでもまた、ポール・ポジションからひとつずつ順位を落としていき、最後に崖から突き落とされた。このレースで敗れる過程を悟るということは、きっと選手権を敗れる過程を悟ることと同義であったのだ。

 最終戦に、その年のシーズンすべてを投影させずにはいられないとは、たぶんそういうことである。二重に敗北し、敗北を知っていく中で笑顔を作り上げられたカストロネベスの笑顔は、初めてのチャンピオンとなってヴィクトリー・レーンへと迎え入れられたパワーが浮かべた夢うつつの表情よりもよほど、今季を積み重ねたあとの表情としてふさわしいようにも見えた。そんな感傷的な見方が正しいのだとすれば、2014年のインディカー・シリーズはウィル・パワーへの祝福にもまして、フォンタナのレースがそうであったように、一度は夢を叶えられるかもしれない地位についたエリオ・カストロネベスが、物理的な現実の速さに冒されていくことに抵抗しながらも及ばず、少しずつ少しずつ敗北へと向かっていったシーズンだったのだと、そういうふうに記憶してもいいのかもしれない。

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