記憶を抱いて選手権の美しい彩りに焦がれている

【2014.8.24】
インディカー・シリーズ第17戦 ソノマGP
 
 
 去年のいまごろ、というのは暦そのものではなくインディカーが最終戦を迎えんとするシーズンも押し迫ったころ、という意味だが、そんな時期にわたしはエリオ・カストロネベスについて批判的ととれる記事を繰り返し書いている。6月のテキサスで優勝し選手権のリーダーに浮上した彼が、それからというもの明らかに地位に恋々として保守的な走りに終始するようになり、なによりの魅力である狭いスペースに飛び込んで自らの道を切り開いていく攻撃性と、でありながらまるで険のない愛嬌の両方ともをすっかり失ってしまっていたからで、チャンピオンとはとても呼べそうにない4ヵ月間の振る舞いを「頽廃」の2文字に込めながらインディカーのことを綴っていたのだった。検索してみたところ、6イベントにわたって回顧記事で「頽廃」の語を使用しているのだから、いまにして思えばよほどのキーワードだったようだ。

 とくに、第16戦のボルティモアなどは強い印象を残している。閉幕まであと4レースを残すのみになっていたこのレースで、フロントウイングを壊し、ドライブスルーペナルティまで受けてほとんど最後尾を走っていたカストロネベスは、少し激しい順位争いをしていた相手(だれだったかは覚えていない)に壁際へ追いやられて先行を許した際、手を挙げて無作法を抗議したのだが、その身振りがあまりに哀しく惰弱に見えて仕方なかったのだ。画面からは当のバトルが抗議に値するくらい危険なものだったかは判断しかねたものの、もちろん事の本質は現象としての危険性のなかにあったのではない。2人は同一周回で対等にレースを戦っており、にもかかわらずカストロネベスはあたかもポイントリーダーである自分に優先権があると主張するかのごとき振る舞いを演じた。あの瞬間、彼は現実のレースの積み重ねの先にしか選手権という仮構の制度は存在しないことを忘却し、擬制の選手権だけを見つめて「いまそこにある」レースを戦う意志を捨ててしまったのだと、観客としてのわたしは解釈せざるをえなかった。飽きもせず頽廃と表現しつづけたものの正体があるとすれば、このようにすぐにでもシーズンが終わることさえ歓迎してやまないような態度、レースという運動ではなくフィクショナルな制度にしか己を認められない態度だったのである。
 
 この一瞬に象徴されるように、昨年のカストロネベスは選手権を率いることになった6月9日からスコット・ディクソンの前に陥落した10月6日までの間、何度かレースへの怖れを隠しきれない運転を見せている。後出しと誹ってもらって構わないが、選手権2位以下のドライバーが次々とミスを犯したり不運に見舞われたりしてカストロネベスを生きながらえさせたこの期間、わたしはその振る舞いを理由としてチャンピオンになるのが彼以外のだれかだろうと思うときがたびたびあったし、実際避けられないマシントラブルによってそうなったときにはそれを頽廃の報いとして受け取ったものだ(無根拠な因果応報ではなく、突き放すべきときに突き放せなかったことへの報復という意味で)。結果として悲願を砕いたのが7月まで優勝のなかったディクソンであったことは意外といえば意外だったが、ヒューストンで見舞われたトラブルによってカストロネベスがついにポイントリーダーの座を失い、挑戦者として最終戦に臨む状況が訪れたことじたいは、ごく自然な結果だった。

 もちろん、彼の経歴をおもんぱかれば選手権そのものに恋焦がれていたことにも同情するのはたしかだ。今現在までで歴代11位となる通算29勝を挙げ、4位に加えられる42回のポール・ポジションを誇り、世界三大レースのひとつであるインディアナポリス500マイルの優勝は3度を数える。それだけでもインディカーにとって欠くことのできない才能といえるが、錚々たるこれらの記録にひとこと付け加えるとすべてをたちどころに歴代最多へと変えることもできるのだ――ただし、悲劇的な意味において。すなわち、「シリーズ・チャンピオン未経験者」として彼はあらゆる項目で最高であり、それはとりもなおさずすべてを得ていながらチャンピオンのタイトルだけがないという意味だ。そんなドライバーがいざチャンスが巡ってきたときに抱く渇望まで非難できようはずはない。だがやはり、レーシングドライバーが戦うべきはレースであって断じて選手権ではないという鉄則を、彼は守れなかった。レースを軽んじてレースに裏切られ、結果レースの総体として制度化された選手権をも失ったのだ。逆転を許して迎えた最終戦でようやくそのことを思い出したような走りを見せたものの、すべて手遅れだった。

 こういった見立てはあくまで観客であるわたしが勝手に与えた解釈のつもりだったが、どうやら当人の思うところもわりあいに近かったようだ。ひと月ほど前、今年の8月3日に開催されたミッドオハイオ・インディ200に先立ってカストロネベスは言っている。「去年は今年に比べて少し保守的だった。今年は2勝目に向けてプッシュしている。そこが去年との違いだと思う」。去年の態度はやはり失敗であり、しかしいまはそれを反省し活かしているというわけだが、この言葉に虚勢や偽りをいっさい感じないのは、本当に2勝目に向けて戦おうとしていることが垣間見えるからだ。実際、今年の彼が1勝どまりながら長々と選手権を率いるという昨季そっくりのシーズンを展開していたにもかかわらず、わたしはあれだけ使いつづけたキーワードを一度も当てはめていない。芸として同じことを繰り返したくなかった気持ちもあるにはある(そういうつまらないアマチュア的意地を張るから、時を追うごとに書くネタを消費して苦労する羽目に陥っているのだ)が、たしかに今季はレースを怖れるのではなく立ち向かいながらも、運に翻弄されたり、速さに助けられなかったりしただけということなのだろう。特にシーズン後半に入ってからは、純粋に力の及ばないなかで苦闘する様子がしばしば見られ、そこには頽廃とはまるで異なる意志を感じることができた。ただ、そのぶん首位を明け渡す時期が早くなってしまったのは皮肉なことだ。昨季は25点を追って最終戦に臨んだが、いまはチームメイトのウィル・パワーに対して51点を背負っている。

***

 不思議なもので、フルコース・コーションによってレースの様相ががらりと変わってもよかったはずだったオーバルコースのミルウォーキーではなにも起こらないままレースが終わり、ウィル・パワーが完全に制圧するとしか思えなかったこのソノマのほうが、コーションで秩序を乱すレースとなった。ただ、前回の記事で書いたとおり些細なきっかけでレースの枠組みが取り替えられること自体は、インディカーで見慣れた風景であるはずだ。中盤に導入された2度のコーションは、ソノマをパワーのためにあったスピードレースから燃料計算に頭を悩ます燃費レースへと書き換えた。満タンの燃料で走れる距離が23周前後の中で、最後のコーションが明けたのは残り47周のことだ。絶妙なタイミングでイエロー・フラッグは振られていた。それを幸運として最大限に活かした佐藤琢磨はグリッドからゴールにかけてもっとも順位を上げたドライバーになり(とはいえこれまでの不運を考えればまだ清算には足りるまい)、残り20周の段階では優勝など思いもつかなかったディクソンは、前を走る3台が次々に燃料不足によって退く展開に恵まれた。序盤に速かった予選上位勢は、皮肉にもそれが仇となって燃費勝負に乗りそこね、ほとんど全滅してしまっている。チェッカー・フラッグの直後にピットへと戻れずコース上に止まった車が3台も4台もいたのだから、相当にあと一滴の燃料を欲するレースなのだった。

 難しく、またサイコロを振るように決まった側面もあったことは間違いない。いまあらためてコーヒー牛乳を飲みながら(わたしはアルコールを受け付けない文字どおりの甘党なので、ワイングラスを傾けながら、などと優雅なことを言えないのである)録画したレースを再見しつつ、最終結果のPDFを眺めているとまるで双六遊びのようだと思えてくる。振り出し。2マス進む。もう一度サイコロを振る。コーションで振り出しに戻る。8マス戻る。ピットに戻って1回休み、ピットに戻って1回休み。3マス進む。優勝は堅いと見えたマイク・コンウェイは燃料を失い、ゴールまでわずか3周で13マスも戻らされた。だがどのマスで起きた事件も、われわれの知っているインディカーの情景のひとつひとつだろう。パワーもひどいマスに止まってしまい、リスタート明けの39周目にヘアピンで駆動力をかけすぎてリアタイヤを振り出しスピンした。もちろんその瞬間には唖然としたが、それとてありえないことではない。わたしは、ファン=パブロ・モントーヤが新人だった1999年、レースリーダーとしてリスタートに向かう最終ターンでスピンしたポートランドをいまだに覚えている。違いといえば、モントーヤが360度きれいにまわって順位をほとんど失わなかったのに対し、エンジンストールを防ぐのに精一杯だったパワーが最後尾まで落ちたことくらいだ。いずれにせよ、そういうことはある。モントーヤはその年チャンピオンになり、パワーも10位まで挽回して選手権首位を守ったまま最終戦に臨むことになった。カストロネベスは開幕直後の事故に巻き込まれてフロントウイングを壊し、以後車のバランスを失ったのか速さを取り戻すことなく18位に沈んだ。

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 劈頭、わたしは卑怯な書き方をしている。「エリオ・カストロネベスについて批判的ととれる記事を」書いたなどと嘯いているが、それらの記事を普通に読めば、たぶん批判以外のなにものにも見えないだろうからだ。自分でも読みなおしてそう思うのだから、本当は堂々と「批判的な記事を」と書くべきにちがいない。なのだが、当時のわたしにとって、そしてこんな記事を書き上げつつあるいまのわたしにとっても、数々の「批判的」言辞はカストロネベスに向けたものではなく、頽廃的なポイントリーダーがそこにいること、そしてその姿を認めることが当時のインディカーに対する自分なりの観察であり、それ以上でも以下でもなかったという思いが強い。それは良し悪し以前のたんなる現象にすぎず、少なくともわたし自身が当人に否定的な感情を抱いていたかといえば、まったく違う。今年のポコノで「チップ・ガナッシを軽蔑する必要がある」と命題したときも似たようなもので、そう書く意図――筆者の意図など虚しいものだが――は糾弾ではなくレースを思索的に見る方法の提示なのである。情報を収集してチームやドライバーが何を意図していたか衒学的に知るよりも、それらをあえて無視さえして、コース上に現れた振る舞いがレースに何をもたらしたのかを観客の視点からのみ考えること。いくつもの記事を通してわたしがやりたいのは概ねそのようなことで、だからこそあれほど「批判的」だったカストロネベスやチップ・ガナッシ・レーシングを直後のレースで心から讃えるのもやぶさかでなかった。

 そう、直後のレース――カストロネベスが讃えられるべきレースは数あるが、2013年のフォンタナは敗北の姿によってその列に加えられるべきだろう。ポイントリーダーの地位を守るため頽廃と怯えに縛られていた彼は、その座を奪われたことでついに桎梏から解放され、勇気を取り戻した。決して簡単な条件ではなかった再逆転に向け、ただ勇気だけを持ってフォンタナの4つのコーナーへと飛び込んでいくさまはこの年のインディカーで何よりも美しく、心を打つものだったことだろう。エリオ・カストロネベスとは、たぶんそういうドライバーである。去年も今年も5位以内でゴールした回数など安定感を強調される場面がしばしばあるが、そんなふうに安定的な守りに入ったときにはむしろ魅力が激減してしまうのだ。パワーの後塵を拝しチームのエースの座を奪われかけていた2010〜2012年の3年間のほうがむしろ魅惑的でスキャンダラスなレースをたくさん繰り広げていたことを思えば、彼はけっして後ろを振り返ってはならない性質の人間であり、だからこそ前を向く以外になかったあのフォンタナは、敗北したにもかかわらず彼にとってもっとも美しいレースとなったのだった。

 今季インディカーについて書く際、わたしは過去と現在を引き合わせることを意識していた。しばしば昔の話を持ち出したり、過去の記憶を引いて目の前のレースを考えようとする記述が多かったのはそのためだ。だからそのシーズンの締めくくりとして、最後まで過去を参照することにしよう。カストロネベスはチームメイトのパワーから51点差で8月30日を迎えることになっている。昨年の対ディクソンと比べるとほぼ倍の差がついてしまったが、しかし今年のフォンタナは500マイルオーバルのボーナスとして得点も2倍に設定されているため、結果として選手権に必要な条件はほとんど変わらないものになった。カストロネベスが優勝したとき、パワーが8位以下。2位ならば17位以下、3位の場合は21位以下。ラップリードとポール・ポジションの得点を無視すれば、それで逆転できる計算だ。見事に昨年を髣髴とさせる展開であり、ここまで来れば情熱の滾ったあの情景が再現されることを願わずにはいられない。すべては勇気にかかっている。初のチャンピオンを心から欲するカストロネベスの勇気を、やはりはじめての選手権を見据えるパワーが正面から受け止めることになるのなら、いささかせわしなく秋を待たずに閉幕する2014年のインディカー・シリーズは、きっと、またしても美しい記憶をわれわれに差し出してくれることだろう。

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