才能に裏切られるなかれ、あるいはジョセフ・ニューガーデンの25分間に捧げるためだけの小文

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【2014.8.3】
インディカー・シリーズ第15戦 ミッドオハイオ・インディ200
 
 
 居住まいを正してテレビの前に座り、真剣にレースを見ているようなときに何らかの予感が走るとしたら、それは根拠のないただの勘ではなく、無意識のうちに取り入れた細かい情報を自分の中で重ねあわせて作り上げる物語というべき類のものだろう。その意味では、最後尾スタートから変則的なピット作戦を成功させてスコット・ディクソンが首位に立った40周目、フルコース・コーションの最中に4位を走っていたジョセフ・ニューガーデンが、リスタートとともにサーキットの視線すべてを独占することになるだろうと考えるのは、むしろきわめて初歩的なレベルの推測だったといえる。燃費とタイヤの要素が複雑に絡み合う様相を呈していた時間帯にあって、上位3台はそれぞれわかりやすい瑕を抱えて速さを阻害されると予想された(ディクソンは燃料、2位と3位のセバスチャン・ブルデーとカルロス・ムニョスはおもにタイヤに弱点を抱えていたのだ)のに対し、もとより予選2番手だったニューガーデンはレースにおいて不利になる要素を序盤のうちにすべて片付けており、万全の状態で仕切り直しのグリーン・フラッグを迎えようとしていた。コントロールラインではなくターン3の先、バックストレート上に設定される一風変わったリスタートラインからレースが再開された直後、だからニューガーデンがムニョスを追い立てる展開はわずかの驚きも抱かせなかった。唯一予想できない事態が起きたとすれば、やがてムニョスとブルデーを攻略して首位に肉薄しようとするニューガーデンの車が、ただ速いだけに留まらず、息を凝らして記憶しなければ後悔すると思わせるほど信じがたい美しさを宿したことだ。43周目から65周目の間、時間にして25分にわたって演じられたその舞うがごとき走りは2014年のインディカーにおいてもっとも良質な運動に他ならなかった。その後に訪れた非情な時間の損失によって可能性を断ち切られた悲劇までも含めて、ただ彼の走りひとつをもってしてミッドオハイオはこの年いちばん優れたレースだとして記されなくてはらなくなったのである。

 レースの勝敗を左右する重要な分岐点においてニューガーデンが優勝を狙える位置を走っているのがもう何度目になるのか、思い出すのは簡単ではない。記憶をたどって指折り数えるか、もっと手間をかけて録りためてあるビデオで2013年あたりからひとつひとつ確認していくこともできないわけではないが、貴重な休日の時間の使い方としてはあまり有意義ではなさそうだ。少なくともそうやって数えなければならないほど、この23歳にすぎない新鋭がすでにいくつも印象的なレースをインディカーの中に残してきたという事実がある、ということを確認できればいまは十分だろう。われわれ日本人なら佐藤琢磨に議論を呼ぶほどのブロックラインを強いた昨年のサンパウロを思い出すことができる。リーダーとして最終スティントを迎えながらライアン・ハンター=レイの軽率なブレーキングによって右リヤタイヤを跳ね上げられた今年のロングビーチはまぎれもなく優勝に近づいたレースだった。ポコノでもやはり終盤に先頭に立ったが、これは勝ち目の少ない賭けに出たためだから、さほどでもないだろうか。ともあれ、白を基調に黄緑と黒で彩られたサラ・フィッシャー・ハートマン・レーシングの車は、しばしばチーム・ペンスキーやチップ・ガナッシ・レーシングといった強豪の陰から姿を現し、停滞と衰退の陰が忍び寄っているようにも見えるインディカーに新しい息吹をもたらして、明るい未来の可能性を繋ぎ止めてくれている。今後5年間でもっとも期待されるドライバーを挙げようと思ったとき、まだ何も成し遂げていないにもかかわらず、ニューガーデンの名前を真っ先に出したとしてもそれほど奇異には思われない。デビューした2012年、最終戦フォンタナのオーバルで給油タイミングの差によってほんの1周だけレースリーダーとなったに過ぎなかった彼は、それから2年近くのあいだに、何度かスピードという重要な才能を見せつけてきた。

 ニューガーデンのキャリアには2度の2位が記録されているが、最高位でゴールした昨年のボルティモアと今年のアイオワが優れたレースであったかといえば、実際のところさほどではない。ひとつは事故の多発する荒れたレースを、おもな要因としては偶然のなりゆきで生き残ったからと言っていいもので、もうひとつは硬直化していたレースが一瞬の出来事によってほどけた機に採った作戦が的中した結果だった。頂点まであと一歩ではありつつ、しかしともにかならずしも勝利が近くなかったことは、結局どちらのレースでも先頭に立つ機会がなかった単純な事実によっても理解が及ぶ(優勝とは最終周を先頭で走るということだ)。そして、もしレースは結果がすべてだというのなら、彼が残した結果などと呼べるものはそれくらいだ。思いもかけない幸運によって1度か2度表彰台に登る――しかも現役生活を終えたとき、振り返って美酒に酔うべき栄光がそれだけしかない――ドライバーはカテゴリーを問わずいるものだが、今のニューガーデンはまだその場所に留まっているといえるだろう。しかしだとしても、彼の未来が現状を打破する可能性は、きっと十分すぎるほど高い。若く多大な時間を残しているからそう思うのではない。速さを持っていることだけを理由とするのでもない。「結果としての2位」という恩恵に与ったにすぎない2つのレースは、とうてい彼の才能を反映した結末とはいえず、むしろ偽りの栄誉によって本質を見えづらくするだけのものだ。上に挙げた例からもわかるとおり、ニューガーデンのキャリアは順位を拾って満たされるのではなく情熱に躍動して恐れない運転によって印象深く形成されてきた。彼の未来を示唆する本質とはつまり、幸運な表彰台が褪せて見えるほど優れた、無垢なまま煌めく資質そのものである。

 ミッドオハイオで、ニューガーデンは45周目にムニョスを、翌46周目には2週間前に優勝したばかりのブルデーを、ともにカルーセル、すなわち回転木馬と名付けられる大きく回りこんでいく中速コーナーの入り口で制している。赤と黒、タイヤのグリップに差があったとはいえ、直前の高速ターン11でぴたりと背後につけ、短い直線からの進入で緩やかに弧を描きながら舐めるようにクリッピングポイントに寄っていく相手のレーシングラインを直線的なブレーキングで切り裂いた2度のパッシングは、抜きにくいレイアウトのサーキットにおいて明らかに特筆すべき運動だった。だがこの日どのドライバーよりも推進力を携えていたニューガーデンにとって、相手のラインを鮮やかに奪いとったこの場面は躍動のほんの一部でしかない。2位に浮上した彼はすぐさまディクソンの背中を追い始めた。45周目の終わりに3秒はあった差は、2周も走らないうちに1秒を切っている。

 そこからしばらく続いた待機の時間も、けっしてニューガーデンの優れたありようを損なうものではなかった。ディクソンが先頭に立っていたのは想定とずらした変則的なピット作戦と絶妙なタイミングで入ったイエロー・コーションの賜物で、最高の順位を得た代償に通常より長いスティントをこなさなければならなくなっため、燃料の節約に迫られてペースを上げられずにいたが、ニューガーデンは手負いの王者に対し一度手を休め、レースのすべてを台無しにしかねない無理な攻撃をいっさい封印してずっと1秒以内の位置を維持しながら隙を窺うことに徹している。それが、早めに給油しなければならないリーダーがピットインした瞬間に速さを解放するための冷徹な態度であることは明らかだった。ディクソンの丁寧な運転を前にして直接爪を立てる機会は訪れなかったものの、およそ15周にわたって固定化されたその隊列は、しかし固定的であるがゆえにどちらがより強力な存在であるかを表現していただろう。3度の王者は背中を脅かしてくる最高位2位の若手をまったく突き放せないまま、いよいよ62周目、給油のためピットへと戻らざるを得なくなる。レースの勝敗をどこかのポイントで語るとすれば、ディクソンはこのときもはや敗れていた――最終順位とは関係なく。

 モータースポーツが残酷なまでに物理的な限界しか追い求められない競技だとしても、まさにその物理の塊である車から美しい精神が漏れでてくる瞬間はある。本当に、想像も及ばないほど美しい場面がこのスポーツには存在するのだ。リーダーが退き、抑圧から解き放たれたニューガーデンが見せた63周目から65周目の走りには、精神の昂揚を呼び起こす情熱がたしかに宿っている。画面には映らなかったが63周目にパワーアシストを消費しながら記録した1分7秒1493のファステストラップにはじまり、64周目ターン5の立ち上がりで見せたテールスライドや直後のターン6〜8「エッセ」を右-左-右と切り返す軽やかなハンドリング、ターン9をコース外の剥げた芝生まで飛び出そうなほどコースいっぱいに使うライン取り、あるいは深いブレーキングから滑らかに回るのではなく断続的にステアリングを切り込んで直線的に攻略したカルーセル。そして65周目ターン1への怜悧な進入と、前周以上に極限まで縁石を使ったターン9……。彼がラップリーダーとして優勝へと突き進んだこの3周にこそ、レースのあるべき官能的な運動はすべて表現しつくされたのだと断言してもいいだろう。この記憶を残すだけで、もはやこのスポーツが失われても構わないのではないかとさえ思えるほどに。
 
 
 その後に起きた出来事を記そうとするとき、どうしても気が重くなってしまうのは悲しいことだ。サラ・フィッシャー・ハートマン・レーシングは、しかし信じがたい愚行によって彼らのドライバーの意志をかき消してしまった。ニューガーデンは満を持して65周目にピットへと戻ったが、あろうことか右リヤタイヤの交換を担当するピットクルーが車のすぐ後ろで転倒し、ジャッキアップも遅れて大きくタイムを失った。ディクソンの静止時間8.0秒に対し、ニューガーデンは作業に約17秒を要してふたたびムニョスの直後へ後退した。そして、さらに決定的なリプレイが流される。だれしもありえないと唖然としたその映像には、ニューガーデンがまさに進入してくるピットボックスの進路上に、タイヤ交換用エアガンに繋がるホースが徒おろそかに垂れている様子が映っていた。彼はホースを踏んだ。それはインディカーにおいて、無条件でドライブスルー・ペナルティを科される行為だった。

 リプレイが流れてからペナルティが通告されるまでの間にニューガーデンはもう一度ムニョスを抜いて競争力を誇ったが、もはやその速さはほとんどなにも意味をもたらさなかった。悔やまれる失敗というほかない。先にピットに入ったディクソンの作業は完璧以上だったが、それでもチームが普通の仕事をすれば前に出られる可能性は高く、仮に及ばなかったとしてもチェッカー・フラッグまでの約20周にパスすることはさほど困難ではなかったはずだ。単純な速さは一番だったうえ、ディクソンがまだ燃費走行をしなければならなかった事情もあるし、またレース後に伝えられたこととしてチップ・ガナッシが燃料計算を間違えていたなどとという話もある。チームはディクソンに燃費走行が必要なくなったと誤った情報を伝えていたが、無線を受信した彼は、しかしレース前半に与った幸運の反動があるのではないかとばかりに自主的にスロットルを絞ったまま走り、そのいかにも現役最多勝らしい周到さによって自分自身を救った(なにしろ、結果的にはウイニングランもできずゴールしてすぐ車を止めてしまったのだから、危機的な残量だったのは明らかだ)ということだった。だからもしこのリーダーが最終周を前にして9秒近い差を築くような展開にならなかったら、つまりすぐ背後に順調にレースを運んだ真実のニューガーデンがいたとしたなら、なにも知らないディクソンはチームの情報をもとにためらうことなくスロットルを開け、オーバーテイクボタンを押して遠慮なく燃料を燃やして、もっと早く燃料警告灯の点灯に狼狽する事態に陥ったもしれなかった。もしそうなれば、初優勝はいともあっさり、信じられないほど簡単に、ニューガーデンの手元に転がり込んできただろう。そういう可能性は、たとえばポコノで頼んだ何重にも積み上げられた神頼みような確率の低い事象ではなかった。彼が表彰台の頂点に立つ未来は夢想︎でなく現実の選択肢︎としてたしかにあり、にもかかわらずサラ・フィッシャーはただの粗雑な態度によってそれを投げ捨てたのである。悲しいことに、だ。

 ただ、ペナルティを受けて12位となったニューガーデンの結末もまた、現実の選択肢だったのかもしれないとも思う。最初に、ニューガーデンの美しさはこのミッドオハイオでただひとつ予想できないことだったと書いたが、実際、それは彼に関する文字どおり唯一の想定外だった。すなわちレースを見ていて予感が走るとすればただの勘ではなく、観測された情報に基づいた物語である。彼はそのキャリアで2度、結果を得ただけの2位を獲得しており、しかし逆に印象深い戦いを見せたとき、かならず何らかのトラブルで印象に相応する結果を残せずに終えた。自分自身の責任であったり、全面的な被害者であったり、その中間であったりしたが、いずれにせよ、才能を決勝に結わきつけることに失敗し続けてきたのである。だから最高の25分が演じられているあいだ、それでも最後に笑うのはディクソンかもしれないという予感は拭い去れなかったし、結果としてそれはほぼ最悪の形で当たってしまった。「優勝できなくて残念だ、今日のぼくたちが強くて、はっきりと優勝を狙えたことをみんなわかっていたと思う」とニューガーデンは言う。たしかにそうだ。だが、その言葉が似合うレースをしたのももう何度目かのことである。過去とおなじように、レースは彼を裏切ってしまった。幸運な表彰台が褪せて見えるほどの才能を持ちながら、その才能によっては祝福されないドライバーというジンクスは、いまだ破れることのないまま続いてしまっている。

 だがまた、こうも思う。たとえば佐藤やインディカー復帰後のブルデーがそうであったように、速さがあるかぎり才能と結果の不均衡はいつか消える。このミッドオハイオと同様にこれからもレースが彼を拒絶し続けるかといえば、きっとそんなことはない。過去の失敗は未来の失敗をも決定づけるわけではないのだ。今回は偶然にも過去をなぞってしまったが、しかし物語はつねに過去を乗り越えて書き換えられ、観客の矮小な予測を外していくにちがいない。ミッドオハイオにおける25分間に、45周目と46周目の華麗なパッシングに、63周目から65周目の圧倒的なスピードによって、ニューガーデンは才能の証明に重要な一文を追加した。あの甘美な時間は現在を裏切りはしたが、未来まで裏切ることなどできはしない。だからいつかかならず、彼にもレースに拒まれることなくチェッカー・フラッグを戴くときが来て、そのときわれわれは無邪気な笑顔とともに祝杯を上げる愛嬌あふれる若者を見るはずだ。あの美しさを思い出すに、あるいは祝福のさかずきに注がれる飲み物は牛乳であるかもしれないが、はたしてどうだろう。いま言えるとすれば、もしそうなったとしてもべつに驚きはしないし、もちろん、きっとインディカーにとっても好ましい物語となるにちがいないと、それくらいだろうか。

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