レースは過去に照らされている

【2017.4.9】
インディカー・シリーズ第2戦 ロングビーチGP
 
 
 シモン・パジェノーが予選第1ラウンドでおなじチーム・ペンスキーに乗るエリオ・カストロネベスの進路を妨害した廉でその時点でのトラックレコードとなる1分6秒5026のトップタイムと2番目に速いタイムをまとめて抹消され、ポールポジションさえ狙える状況から一転していちばん後ろのグリッドに着かなければならないことが決まったとき、わたしが愛してやまないこのフランス人がロングビーチで意味のある結果を持ち帰る可能性はほとんど見当たらなくなってしまったようだった。なるほど開幕戦のセント・ピーターズバーグではセバスチャン・ブルデーが最後方スタートから文字どおりの「Biggest Mover」――これ以上の逆転はない――となって優勝したが、それはどうやらインディカー史上わずか4例目の稀なできごとであったらしく、続けざまに起こることを期待できるようなものではなかった。たしかに土曜日のパジェノーはとびきり速かった。 続きを読む

映るのは少女か老婆か

【2017.3.12】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
 
 
 2017年のインディカー・シリーズはウィル・パワーがポール・ポジションを獲得して始まった。ごくごく当たり前に見知った光景だった。2010年からこっち、次の年もそのまた次の年も、昨年にいたるまでこの選手権はそういうふうに始まるものと決まっていた。正確にはこの間1回だけ日本人に特等席を譲っているのだが、そんなのはちょっとした例外だ。だから今年もセント・ピーターズバーグでいちばん速いのはパワーなのだと最初からわかりきっているのだったし、日本時間でいえば日曜日の未明にコーヒーを沸かしながら予選を見届けたあと、肩をすくめて「ほらね」とつぶやく以外の反応が起こるはずはなかった。それは何一つ意外なところのないタイムアタックで、だからわたしはその結果に心動かされることなく自分の出場するカートレースの身支度をはじめていた。待ち望んでいた開幕とともに過ごすには少々慌ただしい休日の朝だったが、自分や普段から活動をともにするチームメイトに関連する大会が3つもあって、わたしの心はまずそちらへと向いていたのである。 続きを読む

関口雄飛とストフェル・バンドーンは日本で出会う、あるいは奇妙で魅惑的な、僕たちのスーパーフォーミュラ

CHAPTER 1

 2016年9月25日に決勝が行われるスーパーフォーミュラ(SF)第6戦を前にして、観客がレースへと寄せる期待はさほど大きいものではなかっただろう。はたしておもしろいレースになるのだろうかという疑問はあって当然だった。まずもって、SFそのものが全体的にレース中の順位変動が少ないシリーズという前提がある。今のF1のように年間を通して1チームが独走することこそないものの、週末単位で見ると意外なほど上位の順位が固定されたまま終わる――速さを見つけたチームはたいてい日曜日の夕方まで速い――傾向が強い。今季ここまで、ややこしい展開になったのは7月の富士と9月の岡山レース2くらいで、それ以外の開催ではどこも予選3位以内のドライバーのうち2人は表彰台に登っている。6戦のうち5戦はホールショットを決めたドライバーがそのまま優勝した。もとよりSFとはそういうものだ。使用される車輌SF14は随所に工夫が凝らされ、 続きを読む

優雅な閉幕は優れた資質の証明である

【2016.9.18】
インディカー・シリーズ最終戦 ソノマGP
 
 
 2010年代のインディカー・シリーズを振り返ってみると、2015年までのあいだに選手権2位を獲得したドライバーが3人しかいないことがわかる。2010年から2012年の3年連続でウィル・パワー、2013年と2014年のエリオ・カストロネベス、2015年のファン=パブロ・モントーヤである。6年間の3人は共通点を持っている。全員がチーム・ペンスキーに所属していたことには気づきやすいはずだ。この間ペンスキーが王者を輩出した(つまり選手権で1位と2位を独占した)のは2014年にパワーが制した1回きりで、あとはチップ・ガナッシ・レーシングが4度、アンドレッティ・オートスポートが1度だから、近年このチームの勝負弱さは筋金入りである。だが仔細に見れば似通っているのは車ばかりではない。 続きを読む

シモン・パジェノーは懐古主義者の感傷を置き去りにするだろう

【2016.9.4】
インディカー・シリーズ第15戦 ザ・グレンGP
 
 
 このブログの過去記事を読んでもらえればわかるとおり、といったところで読まれるはずがないことは重々承知しているのだが、ともあれ以前のわたしはインディカー・シリーズに対してある種の原理主義、あるいは国粋主義的な感覚を持っていたものである。米国の中心にあるのはインディアナポリス500マイルを象徴としたオーバルレースで、ロード/ストリートコースでのレースはあくまでその周りに配置される装飾にすぎない。かつて「インディカー」であったCARTがどういう末路を辿ったかを見ればわかることだ、毎年のようにオーバルを取りやめ、ロード/ストリートに偏重していった結果として全戦オーバル開催を掲げるIRLという反乱分子を生み、やがて取って代わられたではないか。IRLのCARTに対する勝利はまぎれもないオーバルの勝利、21世紀を迎えるにあたって米国はオーバルを選んだのだ。それが正しい道だ。そう信じていたし、信じたかった。だからCARTを退潮に追い込んで名実ともに唯一の「インディカー」となったIRL=今のインディカー・シリーズが、やがてこともあろうに当のCARTと同様の軌跡を辿ってロード/ストリートを増やしはじめたことに危機感を覚え、観客動員数で明らかにオーバルが下回るようになったころにはこんなはずではなかったと嘆息をつき、インディアナポリス・モーター・スピードウェイのインフィールド区間を使用したロードレースを開催すると聞いたときには失望もしたのである。オーバルを守れ。IRLの志を忘れるな。もちろん、冷静に受け止めればインディカーはインディカーで時代への適応に必死なのだ。米国のオープン・ホイール・カー・レースが時代に合わせてその姿を変えていった過程は李狼氏のブログ『Downsizing Mind』の記事「インディカーのオーバルはなぜ減ったか」に詳しいが、生きていくために変容を善しとするのが正しいならば、取り残されているのは時代の一点に置かれたオーバルという装置に拘泥し不可侵の聖域として扱うわたしなのであって、どれもこれも自分勝手な感傷でしかない。ただ、変化がなし崩し的に、またあっという間に訪れたことで、わたしは変わる前の姿に憧憬と懐古を強くして反発を抱くことしかできなかったということである。サム・ホーニッシュJr.やダン・ウェルドン、ダリオ・フランキッティといったいかにも米国のレース(これも「ある時期の」というべきだろう)の担い手らしいドライバーたちが覇を競った時代はそう昔ではなく、せいぜいここ十余年に収まる話である。それが一夜にして――あくまで印象だ――一度は捨て去ったF1のようなインディカーへと変わってしまった。だからつい考えたくなるのだ。オーバルを守れ。IRLを忘れるな。インディカー右翼とでもいうべきか、苦笑が漏れるほど原理的だろう。発生の正しさは必ずしも現在の正しさに接続されるわけではないというのに。

 2016年の最終戦を前にして、選手権の首位をゆくのはシモン・パジェノーだ。才能を買われてチーム・ペンスキーに移り2年目となる32歳は同じチームのウィル・パワーに43点差をつけてはじめての年間王者に片手をかけている。最終戦はレース得点が2倍に設定されており、昨季のファン=パブロ・モントーヤが47点差を守りきれなかった事実を踏まえると絶対に安泰とまでは言えない(パワーが優勝した場合、条件にもよるが少なくとも6位、確実に守りきるには4位に入る必要がある)ものの、非常に有利な立場にあることは間違いない。そうしてもしこのままパジェノーが何事もなく同僚の追い上げを振り切った場合、IRLを祖とするインディカーは新たな種類の王者を迎えることになる。たとえばフランス人であること。米国チャンピオンシップ・カー・レーシングの歴史すべてに視野を広げれば最近でもセバスチャン・ブルデーの存在を挙げられるが、IRLからインディカー・シリーズの流れの中でフランス人がシーズンを制した例はまだない。とはいえインディカーの歴代王者はそもそも半分以上が外国人で占められており、パジェノーの国籍に特別な意味を見出す理由はないだろう。パワーが逆転したとしても外国人であることには変わりない。たとえば他には? ともすれば退屈にも思えるフェニックスで優勝したのはスコット・ディクソンだった。インディ500で歓喜の牛乳を口にしたのはF1帰りのアレキサンダー・ロッシ。2ヵ月半延期されたテキサス600はグレアム・レイホールが1000分の6秒差でものにし、アイオワ300はジョセフ・ニューガーデンだけのためにあった。ポコノの三角形を制したのはすっかりオーバルを走れるドライバーへと変貌したパワーである。今年行われた5つのオーバルレースの優勝者欄にシモン・パジェノーの名前はない。そう、彼はインディカー・シリーズ史上はじめて、オーバルレースを一度も優勝していない王者になろうとしている。

 書いたように1996年に発足したIRLは当初すべての開催がオーバルレースであり、選手権の勝者は当然オーバルの優勝者でもあった(年間無勝利どころか最高位3位にもかかわらず僅差の選手権2位となった1996-1997年デイヴィー・ハミルトンの例もあるが、とりあえず別の話である)。その時代が9年続き、2005年からカレンダーにロード/ストリートコースが加わっても、開催数の比率からいってオーバルで良績を残せないかぎり上位進出は不可能だった。2005年から2008年にかけては4年連続でインディ500の優勝者がその年の勝者にもなっている(かつてのわたしに言わせれば、幸せな時代といったところだ)。2009年にロードで滅法速いパワーがペンスキーに加入したが、行く手には旧世代の代表ともいえるフランキッティが立ちふさがった。そのパワーは悲願を果たした2014年にミルウォーキーでオーバル通算3勝目を挙げている。楕円のレースは年を追うごとにその数を減らし、勝てる機会そのものが失われていった、だとしてもそれに勝たなければ最終的な勝者になれなかったのだ。しかしいま、パジェノーによってこの過去は破られようとしている。今年だけの話ではない。2012年にフル参戦をはじめてはや4年、経歴を遡っても、通算8勝はすべて楕円の外で積み上げられたものである。

「原理主義者」たるわたしにとって、これを受け入れがたい事態だと考えてもおかしくはなかった。走りのどこかにF1的、すなわち欧州的な才能を見せるパジェノーの躍進を総括して、2016年はオーバルが死んだ年だと大袈裟に嘆いてみることも可能だっただろうし、万が一パワーが逆転すれば天の配剤によってその精神が守られたのだばかりに歓喜の声のひとつも上げることになったかもしれない。オーバルの減少により現実の可能性となりつつも辛うじて到来していなかった「ロード/ストリートだけでシーズンを勝てる時代」を本当に迎えることは、それだけ事件であったはずだった。

 だが、いまのわたしはこの事実を大した問題と捉えず、歴史の新たな一頁と歓迎しようとしている。そこにパジェノーに対する個人的な贔屓目(わたしの贔屓はパジェノーとニューガーデンだ)が存在するといわれたときに完全に否定することは難しいが、それより大きな理由は他にある。ひとつには単純に時が経ったことで現状を肯定するのに抵抗がなくなったからで、またひとつには4年にわたりすべてのレースについてだらだら書き連ねた今のインディカーに深い愛着を抱いてもいるからだ。そして、前言を翻すようだがやはりパジェノーの存在もひとつの要因である。彼に肩入れしているから最終戦前のこの状況を肯定しているわけではないと、とりあえずは断っておこう。だが前提としてなぜわたしがこのフランス人に心奪われたかといえば、その走りを目の当たりにして自分の愛するインディカーをもっともよく体現するドライバーのひとりという確たる信念を得たからだ。子供のころのわたしは子供っぽい純情さをもって、米国のレースに勇気や決然たる意志といった観念を無自覚に託して憧れを抱いていた。憧憬の源泉が200mph以上の尋常ならざる速度で恐怖を覚えるほどの接近戦を繰り広げるオーバルレースだったことは間違いなく、だからこそ心惹かれ続けもしたのだが、しかしその精神はけっしてオーバルでなければ現れないものではないとも言い切れる。さんざんIRL、IRLと繰り返していることと矛盾するようだが、わたしにとっての「20世紀最高のオーバーテイク」は、2000年F1ベルギーGPでミカ・ハッキネンがミハエル・シューマッハを追い抜いた有名な場面ではなく、1996年CART最終戦ラグナ・セカの最終周で、いまはパラリンピアンとして金メダリストとなったアレックス・ザナルディが空を飛ぶようにコークスクリューを駆け下りていった瞬間だ。あの"The Pass"に象徴されたインディカー、チャンプカーの精神(たとえわたしの思い込みにすぎなくとも)がいま目の前にあるのなら、シモン・パジェノーというフランス人からその香りをわずかでも感じたのなら、憧れないはずはないだろう。だからわたしはいまのインディカーが置かれている状況を喜ばしく思っている。それに比べればオーバルでの結果など些細なことだと。

 ワトキンズ・グレン・インターナショナルで行われた2016インディカー・シリーズ第15戦の39周目、選手権を争っているパワーがチャーリー・キンボールと双方にとって不幸な接触事故を起こしたことで、この日最後のフルコース・コーションが導入された。パジェノーは直前まで5番手を走っており、コーション中のピットストップの間に9位まで順位を落としたが、レース再開後わずか2周で2台を抜いている。ストラテジストであるカイル・モイヤーから無線が入ってきたのはコーションでステイアウトしていた車が給油に向かって元いた5位に戻り、すでにリタイアを喫したパワーに対して決定的な優勢を築くゴールが見えてきたころだ――しめて4周、コーションの低速周回がないと燃料が足りない。パジェノーはとたんに声を荒らげる、冗談だろ!

 当人たちには大問題であったはずだが、もちろん観客にしてみると何ということのないやりとりである。おなじ状況に置かれれば、どんなドライバーも程度の差はあれ似たような反応を示すだろう。これは特別ではない。だがそれでも、長く眼差しを注ぎつづけたわたしはこの応答にパジェノーらしさの一端を見て取りたくなってしまう。結果的には、彼はスロットルを緩める必要に迫られたものの燃料を使い尽くすことはなく、順位を2つ落としただけで無事60周目終わりのチェッカー・フラッグまで辿り着いた。順位の下落を甘受し、ぎりぎりの燃料を持たせなければならない困難な作戦を冷静に遂行したわけである。しかし静けさの一方で、彼は無線を受けた瞬間に感情を昂ぶらせて怒りの声を上げもした。そうした一面を持ちあわせているのだ。洗練された技術というスマートな外面と、そこに隠しきれない激しい感情の両立。そしてその感情的な面を源泉として、インディカーに不可欠な勇気と意志が横溢する。それが今年、あるいはキャリアを通じて表現されてきたパジェノーの特質であり、わたしが彼から目を離すことのできない理由である。アラバマでグレアム・レイホールと接触してコースオフしながら舞い戻り、ふたたび躊躇なくサイド・バイ・サイドに身を投じて逆転優勝したときも、ミッドオハイオで半周にわたって追い回したパワーに一度は進路を潰されながら難易度の高いコーナーでラインを交差させる忘れがたいパッシングを完成させたときも、根底から溢れていたのは情熱そのものだ。それは紛れもなくパジェノーというドライバーが頂点に立つ資格を持っていることを証明する走りだった。そもそも2013年の選手権3位を手繰り寄せたボルティモアの優勝からしてそうだった。69周目のターン8でセバスチャン・ブルデーのサイドポンツーンに自分の左フロントタイヤをぶつけ、インサイドを文字どおりこじ開けた瞬間、彼はそのときすでに数年後の王座を予約していたのだ。

 今回の無線に垣間見えた感情の昂ぶりをそれらの記憶と同一視するのはさすがに大仰だと自覚している。だが高揚したパジェノーが時に危ない橋を渡りながら破綻することなくここまでやってきたのは事実であり、その精神が安定的なポイントリーダーの立場にいながらにしてなお失われていないことを確信もさせる。「失うものは何もない」と、最近言ったものだ。その言葉が本心から発せられているかぎり、最後の一戦で大切なものを本当に失うことはないだろう。彼はいつだって自らの腕と、勇気と情熱によってレースを正しく戦い、道を切り開いてきた。そんな美しいドライバーが勝とうとしているのなら、楕円への感傷など少し忘れてもいい。オーバルで勝つことはただの現象にすぎず、現象より大事なものはきっとある。そしてシモン・パジェノーは、まちがいなくそれを備えている。

ジェームズ・ヒンチクリフは自らの完璧さによって敗れた

【2016.6.12/8.27】
インディカー・シリーズ第9戦 テキサス600
 
 
 スタートコマンドは洒落たもので、Drivers, restart your engines.である。本来6月12日に予定されていたテキサス・ファイアストン600(ところでいきなり余談を挿むと、600と名乗っているにもかかわらず実際のレース距離は583kmで、これは1.5マイルオーバルとして造られたテキサス・モーター・スピードウェイを1998年にIRL時代のインディカーが再計測したところ1周1.455マイルしかないことが判明してトラック距離を変更したのだが、周回数だけは1.5マイル基準のまま決めているからである。1.5マイル×248周で599kmという塩梅だ。なお冗談のような話だが、CARTが行った再計測結果は1周1.482マイルで、NASACARはずっと1.5マイルで通しているので、このコースには3つの距離が存在した)は、前日からの雨が路面に染みこみ、天気が回復してからも後から後から水が湧き出してきてレースを行えずに翌日に順延となったのだった。その順延日も路面を乾かすのに手間取ってスタート時刻が遅れ、どうにかグリーン・フラッグにこぎつけたものの、フルコース・コーション中の71周目に激しい雷雲がコースを覆って万策尽きた。次の週末にル・マン24時間レースへ参戦するドライバーも多く、それ以上の延期は不可能だったのだ。結局72周目以降は8月28日にして消化することが決定し、このたびあらためてエンジンに火が入れられた。76日の中断を挟んだ”re-“startだ。

 中断した時点で先頭に立っていたのはジェームズ・ヒンチクリフだったが、その順位はかならずしも実力を反映したものではなかった。ポールポジションはカルロス・ムニョスで、スタートから最初のスティントを完全に制圧してオーバル初優勝への期待を高めていたものである。ヒンチクリフは予選12番手にとどまり、また特段コース上でライバルを抜くでもなく、ただ最後まで給油を我慢していた41周目にジョセフ・ニューガーデンとコナー・デイリーの危険な事故が起きたおかげで先頭に残ったにすぎない。エド・カーペンターにしてもミカイル・アレシンにしてもおなじことだ。中断時に上位にいたうちの何人かは、あくまで「うまくやった」ドライバーだった。

 事故の処理に時間がかかり、豪雨がやってくる71周目までレースが再開されることなく赤旗となった結果生まれた偽りのリーダー、というと言葉は悪いが、しかし6月12日のままグリーン・フラッグが振られていたらヒンチクリフは即座に後続から追い立てられたはずだ、と考えるのは自然なことだろう。だが長い長い「中断」で、レースは湿った重い空気の下危うい路面を走る昼間から晴れて乾いた夜へと状況を大きく変えた。ここまで条件が変化してしまえばもはやトラックがおなじだけのまるで異なるレースで、それまでの速さはなんの展望ももたらさない。偽りのリーダーだったヒンチクリフはこのレースでもっとも優れたドライバーに変貌し、だれよりも速く、それでいてだれよりも巧みにタイヤを使いこなして長いスティントを乗りこなした。たとえば再開後最初のピットストップは、2番手を走っていたエリオ・カストロネベスより10周も後、ウィル・パワーやスコット・ディクソンと比べても5周後の120周目である。つねにいちばん遅くピットに向かったことによってラップリードは盤石のものになり、162周目には一時的に全車を周回遅れにした。けっして選手権を争えるほど器の大きいドライバーとは思えないのに、ヒンチクリフにはときどきこうした目を離せない瞬間がやってくる。思い出すのはたとえば2013年のアイオワだ。レースの90%以上もラップリードを刻んで信じられないほどの圧勝を見せたあのときと同じように、テキサスでの彼は完璧な勝利を演じようとしていた。

 このレースの結末について、過ぎたるはなお及ばざるがごとし、などと纏めるのがうまいやり方だとは思えない。だが結果から遡る形で全体を俯瞰したとき、ヒンチクリフの不運は、皮肉にも他のドライバーと比べ突出して上手にタイヤを使えすぎてしまったことと、そのために周回遅れを生みすぎてしまったことだということはできる。本来なら自分を優位に引き寄せるはずだったそれらの運動が、しかし同時に「かろうじて生き残ったライバル」にも勝機を与え、スタートラインを引き直してしまった。先述したように120周目に再開後最初のピットストップを済ませたヒンチクリフは、そこからほぼ均等に40周強のスティントを刻むようにレースを進め、206周目に最後のタイヤ交換を行っている。ゴールまでは42周だ。その時点でリードラップに生き残っていたのはグレアム・レイホール、トニー・カナーン、エリオ・カストロネベス、エド・カーペンターの4人だけで、それぞれ202周目、197周目、183周目(トラブルがあったために早かった)、204周目にピットに入っていた。ヒンチクリフにくらべてタイヤの消耗が速く、どうしても先行して動かざるを得なかったのである。どのドライバーも燃料を考えればゴールまで行けるものの、ただでさえ劣勢なタイヤの勝負に直面し、しかもリーダーより長い距離を走らなければならない。どう考えてもヒンチクリフの優位は揺るぎないように思われたが、213周目にカーペンターが迂闊な動きでディクソンと接触(そろそろカーペンターをオーバル・マスターと持ち上げるのはやめるべきだろう。昔ならいざ知らず、今となってはオーバルだけを走るという事実があるにすぎず、特に優れているわけではなくなった)してフルコース・コーションを呼びこんだことでレースの可能性が一気に広がった――ヒンチクリフにとっては広がってしまった。このコーションでレイホールたちは長いスティントを捨て去り、もう一度ピットに戻って新しいタイヤを得た。さらにその後、カーペンターがリタイヤに追い込まれるスピンに起因したものを含めて2度導入されたコーション中に、カストロネベスとカナーンがさらに1度ずつ、そしていつの間にかリードラップに戻っていたシモン・パジェノーも新品タイヤに履き替えた。彼らは余分なピットストップを行ったが、他の多くが周回遅れになったおかげで何の苦労もなくヒンチクリフのすぐ後ろに戻ってくることができた。不動のリーダーとしてステイアウトを貫いたヒンチクリフは、気づけばもっとも長い履歴のタイヤで最後のリスタートからゴールまでの9周を戦わなければならなくなったのである。

「すばらしいレースだった」。レース後に、ヒンチクリフとレイホールは口を揃えて言った。たしかにその9周は、挑戦的で、公正で、力強く、繊細な、インディカーのオーバルの魅力がすべて詰まった最高の時間だった。逃げゆくヒンチクリフに対し、レイホールが、カナーンが、パジェノーがコーナーのたびにインを突き、はたまたアウトから飲み込もうと、集団で襲い掛かる。全員が入れ替わり立ち替わり何度も先頭を交代し、コーナーのたびに隊列は組み替えられたが、しかし唯一コントロールラインだけはヒンチクリフが押さえ続けた。タイヤの状態を考えれば驚嘆するほかない。240周目も、241周目も、242周目も、ラップリーダーは変わらないまま、やがてパジェノーが脱落した。白旗が振られる247周目に至っても、カーナンバー5は先頭を守り続けた。つまりこれは、ヒンチクリフが優勝するレースなのだった。だが、「ぼくたちはすべてをリードした」と言う彼は、こう言葉を続けなくてはならない。「重要だったもの以外、すべてをリードしたんだ」。たった一回きりである。本人が言うとおり事実上すべてを支配し、まったく揺らぐことのなかった完璧なラップリードは、248周目に途切れた。その周回だけ、レイホールがターン3から4にかけて巧みにインを突いて先頭に立ち、すぐさま順位を戻そうと反撃に転じたヒンチクリフよりも0.006秒だけ早くコントロールラインを通過したのだ。それは2ヵ月半かけた583kmを走り終える周回でもあった。レイホールはこのレースではじめてラップリードを記録し、少し先走って右手を上げた。その頭上ではチェッカー・フラッグが振られている。

「"TK"に称賛を、グレアムに祝福を贈るよ」と、2位に終わったヒンチクリフは失望を交えて接近戦を演じたライバルを讃えるのだった。もし彼があれほど群を抜いて綺麗にタイヤを使えていなかったなら、もし最終スティントに向けてのタイヤ交換があと数周早かったなら、おそらく213周目のコーションでほかのドライバーがそうしたように新品タイヤへと換える決断を下すことができただろう。あるいは、リードラップにもっとたくさんの車が残っていれば、レイホールたちも後方に沈むことを怖れてタイヤ交換に踏みきれなかったかもしれない。どちらに転んだとしても――「すばらしいレース」には少し足りなくなるところだったが――ヒンチクリフはもっと楽に走り、たぶん逃げ切ることができた。終盤までリードラップを維持し続けたもっとも手強いライバルが、もっとも手強い状態で真後ろについてくるような展開にさえならなければ。それを万全ではない状態で迎え撃たなければならない状況に追い込まれなければ。たら、れば――。すべてを手中に収めたと思っても、ままならない敗因は、後悔の種は残るということだろう。完璧さえも牙を剥く。レースはときに、そんな哀愁とともに終えられたりもするのである。

***

 ところで8月31日、レース後の車検でヒンチクリフの車のスキッドブロックが規定の厚さを下回るほど削れていたことが認められたとして、インディカーはドライバーズポイントとエントラントポイントをともに25点剥奪すると発表した。どうやら、レースとはやはりままならないものであるらしい。

レースの意味は文脈によって規定される

【2016.8.22】
インディカー・シリーズ第14戦 ポコノ500
 
 
 フォーメーションラップの隊列が整わずにスタートが不成立となり、2周目にあらためてグリーン・フラッグが振られた直後も直後、ターン1でのことである。強豪チームへの移籍の噂が現実味を帯びて伝えられているジョセフ・ニューガーデンが、ロシア人ドライバーとしてはじめてインディカーのポール シッターとなったミカイル・アレシンを苦もなく抜き去った瞬間、そこからゴールまでのあいだにすべての敵を置き去りにしていく展開が頭をよぎった。予選の意味などまるでなかったように最初の加速であっさりと先頭を奪うその様子が、ニューガーデンがレースのすべてを支配し尽くしたアイオワ300にひどく似かよって見えたからだ。6週間前と違うとすれば最初のスタートに失敗していたことで、これによってアレシンは早々とラップリードのボーナス1点を得た。それはもしかしたらアレシンにとって「幸運」だったのかもしれない、すなわちニューガーデンが圧倒的な速さで逃げていってしまえば、ことによると安全な黄旗に守られた1周目がポールシッターにとって最初で最後のラップリードになる可能性だってあると、その場面を見ながら勝手な予感を抱いたわけである。

 過去の物語になぞらえるだけの予断にたいした意味はない。1周2.5マイルのポコノを走るニューガーデンは結局アイオワほどに速くなく、むしろアレシンこそがこの日の支配者のひとりだった。スタート周のターン3で佐藤琢磨がスピンを喫したことで導入されたフルコース・コーションを経てレースが再開されるとほどなく先頭を奪還し、じつに3スティントにわたってその場所を維持する。2番手に収まって燃料を節約するような小細工も弄さなかった。ここまで逃してきた初優勝への渇望をそのまま走りに映したようにどのスティントも全開で走り続けたことは、32周目、61周目、93周目、120周目、148周目のピットストップが22台のうちほぼ3番目以内、多く最初に行われた事実に示されている。幸運が舞い降りる可能性をいっさい期待せず、正面から優勝の玄関ドアをノックする走りは、報われるにふさわしいものだっただろう。

 あるいはライアン・ハンター=レイである。リーダーとしてレースを支配したのがポールシッターに対し、事故によって予選を走れず、21番手からという対照的なスタートを余儀なくされた彼は集団の中での走りによってコースに集まる視線を支配した。グリーン・フラッグが振られ、佐藤がスピンした数十秒後にはもう14位を走り、リスタートからたった30周のあいだにニューガーデンまでをも抜いて2位に上がってしまうのだから、ほとんど冗談のような速さに違いなかった。こうしてまだ実績のないアレシンを先頭に、かつての王者であるハンター=レイと、これから王者になるニューガーデンが続く。この日もっとも速い3人が揃った40周目あたりからの約110周は、心地よい静謐に貫かれている。少しずつ篩い落とされて勝利の資格を失っていく後続、適度な順位変動、何回かの先頭交代。ときどき、他のドライバーが戦いに加わる。たとえばアレキサンダー・ロッシ。たとえばカルロス・ムニョス。だが結局は、アレシンがレースをコントロールし、ハンター=レイが速さをひけらかしつつ機を窺い、ニューガーデンが付き従う図式に収斂していくのである。途中のピットで、ロッシが進入してくるチャーリー・キンボールに気付かずピットレーンに合流しようとして接触し(ようするに先々週のアレシンとおなじだ)、すぐ前で発進しようとしていたエリオ・カストロネベスに乗り上げる事故はあったが、レースを乱しうるそうした危険があったにもかかわらず、レースの相貌にはまだなんの変化も起きていなかった。

 それはインディカーのオーバルにとってはなんの変哲もない日常的な風景だ。だがこうした場面をずっと眺めていると、観客としてその担い手に愛着が湧いてくる。良質な時間を提供してくれているドライバーのだれかひとりに勝ってほしくなり、また勝つべきだとさえ思えてくる。純粋な速さでいえばハンター=レイを称揚することができた。21番手のスタートから隊列のすべてを呑みこむ走りは平板なレースに次々と刺激を与え、アイオワのニューガーデンとはまた違った興奮を呼び起こしている。もちろん、アレシンが勝つなら最高だ。2週間前に確実だった初優勝が手からこぼれ落ちた苦労人が、ポールポジションと最多ラップリードを携えて完璧な雪辱を果たす……そういう瞬間を目撃できればどれほど幸せな気分に浸れることか。ニューガーデンの鮮烈なスパートが見られるならそれもよい。いずれにせよ勝つのは彼らのうちのだれかだろう。その中で、ハンター=レイの興奮を取るか、アレシンへの感傷を取るか、はたまたニューガーデンの才能を取るかという好みの軸足をどこに置くかの違いがあるにすぎない。そんなレースとして見届ければいい。

 正直にいって、その視界にウィル・パワーの存在は入ってきていない。8番手スタートにすぎなかった彼はレースの序盤ずっと息を潜めており、選手権を争うシモン・パジェノーと似たりよったりの10位前後を走り続けていた。ときどき先頭付近にまで顔を覗かせるのは上位勢がピットストップを行って一時的に後退したときくらいで、自分がピットに戻る順番がめぐってくればまだ集団に埋没していった。最初のスティントが終わって9位、次のスティントでも9位、100周目にいたってどうにか8位、レースはあっという間に半分を過ぎる。こう振り返るといかにもそのままの順位で何事もなくチェッカー・フラッグを受ける結果を迎えるように見えるではないか。だがパワーはそのころから、ハンター=レイのような興奮も纏わぬまま、アレシンのような感傷とも無縁のまま、目立たぬ衣に身を包んでひたひたと速度を上げていたのだった。少なくともわたしにはそう思える。ピットストップのたびに細かくセッティングを変更していたのが奏功したのだろうとは想像できるが、それでも5スティント目のピットストップがひととおり済んだ158周目にパワーが涼しい顔で先頭に立っていたことは、軽く動揺を誘われるほどに意外な光景だった。

 もちろん、これはたんなる観客としての油断、観察の失策である。128周目からのスティントで、パワーは142周目にあれだけ注目していたはずのアレシンを、また151周目には自己最速タイムを記録してニューガーデンを自力で交わしており、ハンター=レイの早めのピットストップに伴って先頭に立っている。レースの行方を揺さぶり、目を離してはならないはずだったこの追い上げを、しかし前半の印象があまりに薄かったために軽視していただけだ。ことこの時期に至ってアレシンをはじめとした序盤の主役がみな選手権にかかわりのないドライバーであることも錯覚に拍車をかけた。パワーとパジェノーがそろって苦労するさまを見るうちに、わたしはこのポコノを、選手権の文脈からは切り離された類のレースだと信じきってしまっていた。だからこそ選手権の担い手であるふたりは、姿を見せないままに終わるのだろうと。

 100周目を迎えたころは事実そのようなレースだったはずである。だが500マイルのオーバルはときに一貫性を失う。選手権から切り離され、1回性のなかに現れ消えるアレシンたちの情熱に支配されていたポコノは、意識の外にあったはずのパワーが先頭に立ち、さらに残り42周のところでパジェノーが予想外のアンダーステアによってセイファー・ウォールへと吸い込まれていったことで、にわかに選手権に具体的な意味を与えるレースへと変貌した。そして、そのような意味を持つレース、パワーとパジェノーが残酷な対比を描くレースとして語られるならば、それまでの展開が嘘だったかのように、選手権とかかわらないドライバーに勝ち目はなくならざるをえないことも示されたのだ。レースの意味が変わるとき、その担い手も変わる。163周目のリスタートで明らかに速いのはハンター=レイだったが、突如として一時的な電装系の不調で失速し、周回遅れになるという信じがたいトラブルに見舞われた。アレシンは164周目の一度だけパワーから先頭を奪い返したものの、それだけだった。序盤のリーダーは最後まで遅くはなく、つねにパワーの後ろぴたりとついて可能性を探っている。だがその見た目には近い距離とは裏腹に最後のリーダーは少しも揺らぐことなく、機会は一度も訪れなかった。

シモン・パジェノーとウィル・パワーの30秒は一貫した情熱を約束する

【2016.7.31】
インディカー・シリーズ第13戦 ミッドオハイオ・インディ200
 
 
 ウィル・パワーは必死さを隠そうともせず露骨なブロックラインを通って自分とコーナーの頂点を結ぶ空間を埋めようとする。少し後方ではチャーリー・キンボールがコースから飛び出して「チャイナ・ビーチ」の砂にまみれているものの、フルコース・コーションになる気配はない。ターン6から8へ右、左、右とうねる連続コーナー「エッセ」の終わり、シモン・パジェノーが気流の乱れを意に介さず真後ろに張りついている。右へとほぼ直角に回りこむターン9の出口で前を行く銀色の車体が外側の縁石までラインを膨らませる。姿勢が乱れる。水色と白に塗り分けられた背後の車が小さく回り早めにスロットルを開放して並びかけようとするが、その進路に車体を割りこませて阻む。タイヤの手応えはもはや明らかに後ろの車が優れている。雷の谷の名に違わぬ急激な下りの短い直線を抜け、全開で駆け抜けるターン10にいたってもパワーは内側の窮屈なラインを選択している。外のパジェノーは余分な距離を走らされるが、速度で補って追従する。ステアリングの左下に配された緑色の追い抜き用ボタンが押されており、一時的に過給圧を150kPaから165kPaへと高められたシボレーエンジンの出力は20馬力ほど向上している。次の高速コーナーで内と外が逆になる。22号車のフロントウイングが10号車の後輪にまで重なろうとする瞬間に空間が閉じられる。ふと、4月のアラバマで起きたパジェノーとグレアム・レイホールの事故が想起されるが、結局そこではなにも起きない。回転木馬と名付けられる円く長いターン12が迫る。パワーは進入で内を押さえ、パジェノーはまた外を選ぶ。コーナーは長く長く、いつまでも回りつづけるかのように長く、やがて出口に向かって半径が小さくなる。銀の10号車は遠心力に逆らうこと能わず少しずつ中心から剥離してゆき、水色と白に塗り分けられた22号車のタイヤは路面を掴んで放さず正確にコーナーの頂点を捉えて滑らかに向きを変える。2本のレーシングラインが時間差で交叉する。失速と加速が対照を描く。パワーが正しいラインに戻ろうと操舵し、同じチーム・ペンスキーの2台は車輪どうしをかすかに接触させる。また姿勢が乱れる。残響が消えて平穏が戻るころには位置関係が入れ替わり、パジェノーが先に最終コーナーを通過しようとしている。

 ミッドオハイオの66周目、コーションが解除されたリスタート直後からじつに半周にわたって繰り広げられた事実上の首位攻防を、観客は忘れがたい記憶として脳裏に留めるはずである。それはどんなレースよりも美しく、信じがたく情熱的で、優れた技巧に溢れた公正な30秒間だったと、どれほど精緻に描写しようとしても、どれほど称賛の言葉を並べたてようとも、まだ足りないもどかしさばかりが消えずに残ってしまう。2年前のまったく同じコース、64周目にまったく同じ区間で見たジョセフ・ニューガーデンもそうだった。えぐるようなエッセの切り返しから、ターン9でコース幅をいっぱいに使い切るライン取り、カルーセルの曲線を削り取って微分するコーナリングまでが、その後にピットで起きた悲劇――今でも考えられないことだが、ホースに繋がれたホイールガンがピットボックスに放り出されていて、戻ってきたニューガーデンはそれを踏んでしまったのだ。右後輪を担当するピットクルーが転倒するおまけまでついた――も含めて鮮明に思い出されてくる。モータースポーツはそんなふうにして、われわれに対して不意討ちのように美しい場面を提示して心を奪う。物理的な限界を追い求めることしかできないただの機械であるはずの車から、姿のよく見えないドライバーの精神が溢れでてくる瞬間はたしかにある。その瞬間を、ニューガーデンの30秒、パワーとパジェノーの30秒を知るためだけに、時に退屈な時間帯もあるレースを見つづけているといっても、特別に大袈裟なわけではない。

***

 ミッドオハイオのレースはきっとミカイル・アレシンのものになるはずだった。新人として戦った2014年、恵まれた2位表彰台こそあったものの、インディカーに順応しきれず同僚だったパジェノーの後塵を拝したロシア人は、米国による経済制裁の影響で資金を持ち込めずシートを失った昨季を経て、いまようやく力を示しつつある。開幕戦のセント・ピーターズバーグの5位にはじまり、しばしば上位に顔を覗かせる姿にデビューしたころの危うさやひ弱さは窺えない。速さもある。前戦のトロントもその前のアイオワも、5列目以内でスタートしてそのまま6位、5位という結果につなげた。ペンスキーやチップ・ガナッシ・レーシングに囲まれたミッドオハイオでの9番グリッドは、初優勝の権利を主張できるものだ。1回目のピット作業を行った直後にコーションが導入されたのはたしかに幸運だったが、その後26周目から62周目までのほとんどの周回で先頭を走りつづけたのは安定したスピードを維持していた何よりの証拠で、新しい優勝者の誕生は近いように思われた。「ぜんぶが完璧だった。ばかみたいに飛ばさなくてよかったし、燃料は節約できていた。タイヤにも余裕があって、なのに後ろを引き離せた」と本人が語る内容は誇張のない見たままの事実だ。「確実に勝てた。楽勝だよ」。

 インディカー・シリーズで使用されるロードコースの多くがそうであるのと同様、ミッドオハイオ・スポーツ・カー・コースも追い抜きが難しいサーキットとして知られる。61周目にこの日2度目のコーションが入り、築いてきた差を失っても、元の位置でリスタートすればアレシンが逃げ切ると考えるのは自然なことだった。そのための条件も整っていた。コーションの時点で2番手のパワーとの間に周回遅れが挟まっており、ピットでの同時作業が少し遅れても逆転されないだけの余裕を持っていたからだ。だというのに、2年前に素晴らしい走りを見せていたニューガーデンの初優勝を阻んだ愚行を、われわれは形こそ違えど否応なく思い出さざるをえなくなる。シュミット・ピーターソン・モータースポーツは給油とタイヤ交換を無難に終えた。黒タイヤから換えてグリップ力に優れる赤タイヤを履く。右前輪の交換を担当するクルーがフロントウイングに備えられたふたつのノブをそれぞれ右に半回転させてフラップをわずかに立て、前後の空力バランスを調整するとともに右手を開いて突き出し、給油リグが抜かれるまで待機させる。ちょうどそのとき、17番手の後方を走っていたニューガーデンがようやくピットレーンへ進入し、アレシンの2つ前に位置する自分の作業場に向かっている。愚かさは悲劇を招く。クルーの目には接近する危険が映っていなかったということだろう。ニューガーデンがピットボックスに車を止めるべく舵を切る。もっとも飛び出してはならないその瞬間、アレシンに対して発進の合図が出された。結果なにが起きたのか言うまでもない。

 アレシンがはじめて記録した最多ラップリードだけを残して後方に下がり、最後のピットストップを見送ってひとまず先頭に居座ったコナー・デイリーの後ろを走るパワーとパジェノーの関係はにわかに事実上の優勝争いとなった。選手権の2位と1位のドライバーが演じるもっとも良質な30秒間が不意に訪れたのはその直後、混乱したコーションが明けたばかりの周回である。ひとつひとつを独立に見れば抜きどころにはなりにくい各コーナーで、妥協の一切を振り払って前を行く同僚の背中を脅かしたパジェノーは、相手に無理なラインを強制しつづけることでついに失速を導き逆転した。パワーはあたかも、あらかじめそうなるべく操られていたようにカルーセルの出口でレコードラインを外れてゆき、パジェノーに空間を明け渡したのだった。最後の微かな接触もまたこの戦いの彩りだったに違いない。知性に溢れ、技巧に満ち、互いが互いを尊重しながらも絶え間ない緊張感に貫かれ、ほのかに顕れた暴力的な破綻の徴候が次の瞬間おだやかに収束していく、情熱的で甘美なオーバーテイク。しかもわれわれが目撃したのは、レースの優勝を決定づけ、選手権の行方をも左右しようという大きな価値のあるオーバーテイクである。これほど幸せな瞬間があろうはずがない。

 ここ数年のインディカーは例外なく、序盤に選手権の首位に立ったドライバーが後半戦で転落していくシーズンの繰り返しだった。2010年からのパワー、13年と14年のエリオ・カストロネベス、昨季のファン=パブロ・モントーヤは、みながみな、夏の入り口では盤石な得点差を持ってシリーズ・チャンピオンへと突き進んでいるように見えたにもかかわらず、6月の終わりごろから人が変わったように精彩を欠き、そして時に不必要な問題に巻き込まれてレースを失っていくばかりだった。彼らに油断があったとは思わないが、事実として毎年逆転は起こったし、その過程で彼らが選手権ではなくいま目の前で戦わなければならないレースへの熱量を失っているように見えたのもたしかだった。たとえば3年前のボルティモアで、集団の後方を走っていたカストロネベスはやや強引に追い抜いていった相手に抗議の意味で手を上げている。そうした振る舞いは選手権を守ろうとするあまりレースで戦うことを怖れているようにしか感じられないものだったが、対照的に崖っぷちに追い込まれて迎えた最終戦ではそれが嘘のように危険の渦に身を投じて順位を上げようとしてもいたのだった。そのあまりの豹変に精神的な変容を見てとったとしても不当ではないだろう。モントーヤにせよパワーにせよ同じことである。暴発か頽廃かといった程度の差異はあれど、選手権の幻を前にして大なり小なりレースを怖れたことが結果的に転落の契機になったと感じさせる具体的な姿はいくつか見つけられるはずだ。選手権などしょせんは競技者にとっての栄誉であって、観客がレースを見るにあたってはなんの関係もない虚構の制度である(もちろん、だれかを応援するという観点からは意味があろう)。それでも「ポイントリーダー」になにかしら意味づけられるとすれば、それはある時点でもっとも優れているドライバーがだれなのかを具体的に示し、そこを中心にしてレースに熱量が生まれるのを期待させることにある。彼らはその責任を果たしそこなった。彼ら自身が熱を失い、レースにも熱を与えられていないと思わされる日があったことは否定できない。そしてその結果として、結局は望んでいた選手権さえ手にしそこなったのだ。

 以前も書いたように、いままさにポイントリーダーであるパジェノーからは過去ペンスキーのドライバーが囚われてきた怖れがほとんど感じられない。まだ春先の話ではあるが、アラバマでレイホールと接触してグラベルトラップまで飛び出したのは、2位で妥協してもだれも疑問を抱かないようなレースで優勝だけを求めて相手のラインを閉めたからである。選手権だけを見れば、あのときパジェノーは10点に拘泥したために30点を失う可能性があった。コースを飛び出した際にもしグラベルに捕まって動けなくなれば確実にそうなっていたのだから、それは具体的に想像しうる危険だったのだ。にもかかわらず、ためらわずに――というのは想像にすぎないが、映像で見るその機動に躊躇は感じられない――安全を放棄できることこそ、彼の、ペンスキーの一員としての得がたい資質である。今回も同様だ。目の前には選手権を争う直接の敵がいる。得点差は安泰と言うには十分ではないが小さくもなく、ここで負けてもまだ明らかな優位を保つことはできる。残りレースは少ない。自分のほうが相手より速いという確信に近い手応えがあったにせよ、現実にターン11で交錯しかけて一方的に損を被りかねなかったことを思えば、危険を避ける「賢い」撤退に針が振れるだけの動機はたぶんありえた。「精いっぱい挑んでみたけど、チャンスがなかったんだ。でも2位なら悪くはないよ」。だれの言葉というわけではないが、似たような文句なら何度も聞いたことがあるではないか。

 カストロネベスもモントーヤも、「まだ勝っている」と貯金を切り崩すレースを繰り返しているうちに、いつの間にか手の施しようのない状況にまで追い込まれた。それは端的に言って美しいシーズンの過ごし方ではなかった。だが、パジェノーはリスクを冒す価値を知っている。一時の賢い妥協がかえって最終的に身を滅ぼす結果を招くかもしれないことをわかっている。その走りからそう感じずにいられない。彼はミッドオハイオの30秒間で、どんな立場にあってもその情熱が衰えないことを示したのだ。このままシーズンが決着すれば、われわれは新しい王者の優れた資質を示すもっとも良質な時間として、このレースを思い出すことができる。もし、燃え盛るあまり敗れるようなことがあれば? よしんばそうなったとしても、きっと後には歓迎すべき物語が残されることを保証しよう。

インディカーの勝者は必然と偶然の交叉点に立つ

【2016.7.17】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント
 
 
 インディカー・シリーズのレースはその構造ゆえに論理の積み重ねにを断絶すると書いたのはつい先週のことだ。ゆくりなくやってくるフルコース・コーションが隊列を元に戻してあたかもさいころが振り直されるように展開が変わり、最後には大なり小なり偶然をまとった勝者を選び取る、そこにはスタートからゴールまで通じた一貫性のある争いが存在しないというわけである。もちろんこのことは競技者の努力がはかない徒労であることを意味するものではなく、賽によって翻弄されることを前提とした正しい戦いは存在する。周回を重ねる過程において、強い競技者は賽の多くの面を自分の名前に書き換えていき、弱者はやがてあらゆる面から名を消されて勝利の可能性を剥奪される。スタートから積み木をひとつずつ積みあげるようにレースを作っていくのではなく、そのようにしてレースを決定づける賽を偏らせようとするせめぎあいに、インディカーの特質はある。最後の最後に運に身を委ねなければならない事態がありうると知ったうえで、せめてその確率を支配しようとすること。必然と偶然が交叉する場所に、インディカーの勝者は立っている。

 先週のアイオワでジョセフ・ニューガーデンが見せたのは、インディカーの賽のあらゆる面を自分の名で埋め尽くしてしまうやり方だった。最速のリーダーにとっては招かれざるフルコース・コーションが何度か訪れながら、そのたびに敵の逆転可能性をことごとく封じてみせた完璧な優勝を見てわたしは前回の文章を発想したのだったが、間を置かず開催されたこのトロントでは偶然にも対照的に、中途のレースリーダーと、さらには選手権のリーダーまでもが、前触れのないコーションになすすべなく呑み込まれて沈む結末を迎えた。書いたとおりである。ある瞬間に突如として賽が振られ、それまで築いてきた優位は霧消して別の名前が現れる。事後的に見ればそこは明らかにレースの転換点なのだが、実際に起こるまでその変転はけっして意識されない、そんな展開なのだった。

 85周を費やすトロントのレースを難しくしたのは特にふたつのフルコース・コーションである。ひとつは45周目、スタート直後の順位争いが一段落して隊列が落ち着き、車同士の間隔も十分に開いてほとんど変化がなくなっていたころ、とつぜんターン5の縁石が破壊されて破片がコース上に散乱したことで導入された。タイヤを切ってしまう恐れのある縁石を交換ないし撤去するのではなく、割れ目を金槌で叩き角を丸めて済ますというジェレミー・クラークソンがやるような(Broken? Fix it with a hammer!)応急処置――考えようによっては、米国的プラグマティズムに満ちた合理的な補修――が行われている間に、後方を走っていたジェームズ・ヒンチクリフや佐藤琢磨をはじめとした7台がピットへ向かった。それが47周目のことで、レースはまだ38周を残している。満タン状態からレース速度で走れる距離は最大31周と言われていたから、この時点で彼らがレースに絡む可能性はほとんどないはずだった。ステイアウトした上位陣の秩序は保たれたままで、リスタートからほどなく54周目、すなわち最後の給油をいつでも行えるタイミングを迎える。最終スティントに向けて55周目にミカエル・アレシンとマルコ・アンドレッティが、56周目にエリオ・カストロネベスが、翌周にはセバスチャン・ブルデー、コナー・デイリー、ライアン・ハンター=レイがピットに入る。そしてリーダーが58周目に突入し、3番手のウィル・パワーがピットレーンに差し掛かったその瞬間に、後方のターン5、先ほど壊れた縁石にタイヤを乗せすぎて制御不能に陥ったニューガーデンがまっすぐ壁に刺さったのだった。

 それはまさにゆくりなく振られた賽だった。レースはフルコース・コーションとなってピットが閉まり、先頭を走っていたスコット・ディクソンと選手権の首位であるシモン・パジェノーが取り残される。速度を強制的に落とされてすでに作業を完了した後方集団が追いつき、彼らは万事休した。60周目、ニューガーデンの車の撤去作業中に給油を終えてコースへ戻ったとき、ディクソンは13位に、パジェノーは14位にまで順位を下げた。しかもおもにこの5周のコーションによって燃料が節約できたために、47周目の給油組のうち何人かがゴールまで走り続けられる算段を得てしまったのである。ふたりは抜きにくいコースでなんとか奮闘したが、ジャック・ホークスワースとファン=パブロ・モントーヤおのおのの単独事故の助けがあってなお8位と9位まで戻ってくるのが精一杯だった。ピットが閉まる寸前にレーンへと進入していたパワーが逆転優勝し、タイヤがパンクして一度は戦線離脱したと思われていたカストロネベスが2位、そして38周を走り仰せたヒンチクリフが故郷で表彰台に登った。予選20番手だった佐藤が5位である。レースの半分、43周目のころには想像できない結果だった。

 レースは最後に振られた賽によって決定づけられる。ディクソンとパジェノーはコーションに阻まれて確実だった表彰台を逃し、パワーはほんのわずかな時間差で救われて勝利した。こうした結末を、運の善し悪しで片づけてしまってもそうおかしなことではないだろう。ニューガーデンが自身57周目のターン5を問題なく通過していれば順位にはなんの変化も起きなかった、コーションのタイミングは予想できるものではない、パワーの優勝やヒンチクリフの表彰台、佐藤の浮上は幸運にすぎず順位はレースの正しさを反映していない……。このトロントについてそう語ることが不当とまでは思わない。だが書いたように、インディカーのレースの中途が賽の面をめぐるせめぎあいであり、確率をいかに自分へと寄せられるかの勝負にあるのだとしたら、必然と偶然の交叉点に結末が現れるのだとしたら、敗者のほうは結局のところそのコントロールに失敗したと言うべきではないか。結果にはたしかに偶然が伴っていよう。上位の順位を決定的に左右したのはニューガーデンの事故だが、「あの瞬間にコーションになった」現実はいかなる意味においても予定されていたことではない。だが「あの瞬間にコーションになるとすれば」という前提の水準に思考を移した場合、まちがいなく必然的な結論が導かれているはずである。先にピット作業を完了したライバルがおり、まだ自分が走り続けているなら、その狭間でコーションが起きればどうなるかは自明の理屈だ。インディカーのロード/ストリートレースにおいて最後のピットを必要以上に遅らせるのは、すなわちわざわざ賽の面から自分の名前を減らしていくことである。パワーがピットレーンに進入した瞬間、準備された賽は一時的にその名で占められた。そしてディクソンたちが給油して平衡が元に戻る前に、それは投げられてしまったのだ。確率の高いパワーの面が上を向くのは、当然の成り行きだった。

 それにしても解せないのは、ディクソンとパジェノー(と、じつはモントーヤもだ)をむざむざ沈めたチップ・ガナッシ・レーシングとチーム・ペンスキーの態度である。他のドライバーたちの動きを見れば明らかなように、54周を過ぎればいつピットに入れてもよかったはずなのに、彼らはなぜわざわざ走らせ続けて無用のリスクを抱えたのだろう。もちろん、給油を遅らせることが有利になる場合もある。「賽が振り直されなかったとき」だが、そこで生まれる得と、結果そうなったように大きく順位を失うコーションの危険を天秤にかけて、前者を選ぶ合理性がどこかにあるのだろうか。とくにペンスキーだ。なんといっても、彼らは6月のデトロイトで最後の給油までの走行を引き延ばした挙げ句コーションに見舞われてカストロネベスから優勝を奪っているのである。もちろん今回はカストロネベスを先に呼び戻し、パワーもすんでのところで間に合わせて1位と2位を占めているから、チームの総体としてはうまくいったと言えるかもしれないが、選手権の首位を行くエースの扱いに失敗したことはたしかだ。本当に、彼らはなぜ58周目になってもパジェノーをコースに留めたのだろう。当然、燃料には余裕がある。残っていたタイヤがパワーたちとは異なっていたか――しかしこの日のトロントは赤も黒も新品も中古も決定的な差となるほどの違いはなかった。給油時間を短くしてディクソンを逆転しようと試みたか――好機というには心もとない。チーム内の同時ピットを嫌がったのか――インディカーではさほど問題にはならないし、55周目や57周目に戻せばよかった。ドライバーが求めた――チームの側から命令すべきだ。どんな合理的根拠を想像しようとしても、2位から14位にまで落ちるようなリスクと引き合う利益があるとは思えない。それとも、あらかじめ決めてあったスケジュールに従って動こうとしただけで、それを阻害したコーションを不運と嘆くだけで済ませているとでもいうのだろうか。

 そうだとしたらあまりに愚劣だが、1秒以下の単位で進んでいくレースに愚かさは付き物なのかもしれない。真相は詳らかにしないものの、とくにペンスキーについては今回のような詰めの甘さが結果として2010年代の連敗に繋がったのだと考えるのはさほど不自然でないようにも思われる。ようするに彼らはその速さに反して偶然をコントロールすることがどうにも苦手なのだ。結局、最後の偶然でリーダーが翻ったトロントと、リーダーがあらゆる偶然による変転を封じきったアイオワというこの2週間の一対を見てみれば、インディカーにとっての偶然とは必然の側から手繰りよせて手の内に収めようとする争いの中心に位置する構造なのだと気付かされるだろう。偶然にすべて抗うのは難しい。だがそれは決して、インディカーが神頼みで気まぐれなさいころゲームに支配されていることを意味はしないのである。

ジョセフ・ニューガーデンは自分だけの賽を持つ

【2016.7.10】
インディカー・シリーズ第11戦 アイオワ・コーン300
 
 
 およそすべてのモータースポーツにそのような性質は備わっているというべきなのかもしれないが、インディカー・シリーズのレースには、ことさらにさいころゲームの趣がつきまとう。完璧な車を用意し、最高のドライバーを乗せ、間違いなかったはずの作戦を用意したつもりでも、自分の意思と無関係に、ゆくりなく、そして多くの場合不可避にやってくるフルコース・コーションがレースをまったく別の顔へと変貌させてしまうことがある。コースのほとんどを全開で走り続ける単純な、単純であるがゆえに高速で、高速であるがゆえに繊細を極めるオーバルレースは特にそうで、ある瞬間の速さは次の瞬間にそうあり続けることを必ずしも保証せず、中途の先頭が優位を積み上げているとも限らない。黄旗によって絶え間なく引き起こされるリスタートは、文字どおりのやり直しとなってドライバーたちにレースと向き直ることを強制する。賽が振られ、だれかの名前の面が上になる。ふとした気まぐれのように、また振られる。やり直す。だれかが出る。黄色、緑、振る。黄、緑。やり直す。何面体の賽なのかは知る由もないが、そういう儀式めいたやりとりを何度か繰り返したあと、偶然にチェッカー・フラッグが訪れる。もちろんチェッカーは最初から予定されている、しかし最後の賽がいつ振られるかばかりはわからないのである。ともあれそのとき出ていた名前こそが、レースの優勝者として刻まれるだろう。F1ないし耐久といったカテゴリーの勝利がスタートからゴールまで一貫して積み重ねられた論理の先にあるとするなら、インディカーの、オーバルのそれは最後の最後、論理が届かない場所にある――そう断言するのが極端だとするなら、届かない場所に行ってしまう場合がある。たとえば2016年、ともに世紀の逆転と呼ばれるにふさわしい2つの大レースには、しかし違いを見出すことができるはずだ。ル・マン24時間レースのポルシェにとって、チェッカー・フラッグの3分前に先頭を走るトヨタがスピードを失ったのは幸運だったといえるのかもしれないが、当人たちが歓喜以上に当惑さえ抱いたと思しき信じがたい優勝を掴んだ要因は、結局23時間57分をかけてトヨタの次という順位を築いたうえで、残り3分をも壊れることなく走り続けたことにある。耐久レースの決着がスピードと同時にその名のとおりの「耐久」にあるとすれば、奇跡的な、幸運を手繰りよせた優勝に見えるとしても、ポルシェはその枠組みのなかで論理的に積み上げた正当な結果を受け取ったにすぎない。翻って100回目のインディアナポリス500マイルで最後に振られた賽にはアレキサンダー・ロッシとあった。コース上でただひとり給油を1回省略して燃料が尽きるまで走り続けた結果の大逆転は、最後のコーションがあと1周ずれていたとしても、または160周目から200周目の間にあと一度コーションになるような事態が起こったとしても絶対に生まれえなかったと断言できる点において、説明しようのない偶然の産物だった。もちろんそのことがロッシの偉業を損ねるわけではなく、チームメイトの協力も得て困難極まりない作戦を完遂したことは讃えられるべきである。だがその勝利にはポルシェがたどってきたような論理の流れが存在しないのも一面の事実だろう。最終スティントをリードラップで迎えたことだけが根拠のすべてで、そこに至るまでにレースのなかで積み上げられているべき「優勝への接近」がまったく見えてこない。そういう状況で最後の――もちろん、事後的に遡った場合に最後だった、である――賽が投げられたとき、きっと他の面には違うドライバーばかり書かれていたにもかかわらず、ロッシの名前が上を向いた。それは「こうなりうるだろう」という過去からの推測をも拒否し、死角から横っ面を叩くような優勝なのだった。

 もとより性質の違うことが明らかなカテゴリー同士をこのように直接比較する妥当性は措くとしても、少なくともインディカーは構造的にレースの連続した意味づけを断ち切るようにできている。それはかつてその場所で走っていた松浦孝亮や武藤英紀をもってしてレース解説で「わからない」と言わせてしまうことからも明らかだ。だがこの事実は、けっしてインディカーがほんとうの意味で賽を振るだけにすぎない運次第のゲームであることを含意しない。論理を断絶されえてもなお、インディカーを舞台とした車が、ドライバーが走ることにはやはり意義がある。F1や耐久でのレースの過程とインディカーの過程ではその意味あいが違うだけのことだ。前者は優勝に、またはよりよい順位に向けて土台から積み木を重ねていくようにレースを戦う。ゴールの時にもっともよく積めていた者が勝者であり、より速く、強固に積むことはそのままレースでの優位となる。もちろん、ル・マンでのトヨタのように文字どおり積み木よろしく突如として崩れ去る場合はあるのだが、それもまた全体の論理の一部であり、2番目によく積んでいた者に順番が移るにすぎない。他方でインディカーのレースの過程とは、次の瞬間不意に投げられるかもしれない賽をめぐる争いである。いくらレースが何の脈絡もなくやり直される可能性があるといっても、その瞬間により戦いやすい場所を占めておくことで自ずと勝てる見込みは高まるはずだろう。リスタートを先頭で迎えるかリードラップの最後尾で迎えるかは大きな違いだし、まして周回遅れにされていれば勝利の可能性は事実上なくなってしまう。速いものはなるべく多くの敵を篩い落とそうとし、劣勢に回った側はそうであっても何かのはずみで大きな利益が舞い込んでくるよう耐え忍ぶ。賽の面の多くが自分の名前で占められていれば出る確率は高まり、たとえ絶望的な状況でもどうにか賽に名前を残しておけば万が一があるかもしれない。そうやって気まぐれな賽をできるかぎり自分に引き寄せようとするせめぎあいこそがインディカーの中途であるといえばいいだろうか。後者が起きたのがまさに先のインディ500で、最後の運命の時が訪れた際、ほとんどの可能性はカルロス・ムニョスの優勝を示していたかもしれないが、実際に出現したのはロッシだった。裏を返せばロッシは無茶を承知の燃費走行という作戦を採用したことで歓喜の牛乳へとたどり着けたということだ。あのとき周囲と同じく給油を前提に走行していれば優勝の可能性など万に一つもなかっただろう。ロッシは燃費走行によって無数の面を備える賽のたった一面に自分の名前を残したことで権利を維持した。信じがたいことだが、本当にそれを引き当ててしまったのである。

 2016年5月30日に時計の針を巻き戻し、もう一度賽を振りなおせたとして、ロッシの面が出る可能性は非常に低いに違いない。その瞬間の状況だけに反応した(重ねて言うがそれはチームともどもすばらしい決断と技術だった)結果で、ほとんどの面に彼以外の名前が記されていたことは疑いようもないからだ。それはいかにもインディカーでありうる、そしてインディカー以外ではありそうもない展開だったが、こうした万が一が事実存在するからこそ、自分以外のあらゆる可能性を封じきった勝者がいるとすれば、逆説的に称賛せずにはいられなくなるだろう。

 ジョセフ・ニューガーデンは、雨の合間を縫って何とか開催を消化しようとしていた6月のテキサスでスピンした車の巻き添えにあい、上下逆さまに引っくり返ってヘルメットが地面に擦れそうな状態で滑走して、半ば剥き出しのコクピットからセイファー・ウォールに激突する大事故に遭ったばかりだった。頭部と壁が直接干渉したようにも見えて最悪の結果すら覚悟されたその事故は幸い生命に関わる事態にこそ至らなかったものの、鎖骨と右手骨折の重傷を負ったニューガーデンはシーズンの幾ばくかを棒に振るのだろうとだれもが考えていた。結局、傷の癒えぬまま2週間後のロード・アメリカを走り、難しいコースを戦い抜いて8位というまずまずの結果を持ち帰ったのだが、レース後の表情からはいつもの彼に似つかわしくない疲労が滲み、身体への少なからぬ負担が想像されるなかでふたたびオーバルに戻ってきたのが今回のアイオワ・コーン300だったのである。正直なところ、週末が来る前はニューガーデンの優勝など想像もできなかっただろう。レースに対する恐怖心など、使い古された言葉を使えば「頭のネジが飛んでいる」人種であるレーシングドライバーに対しては無用だろうが――といっても、マイク・コンウェイの例もある――、それを除いたところで簡単なレースになるはずもなかった。賽の面に名前がない、といったところである。だが、始まってみればどうだ。演じられたのは300周のうち実に282周を先頭で走る圧勝劇だった。

 予選2回走行の合計でシモン・パジェノーからわずか100分の4秒遅れを取ったニューガーデンは最初のローリングスタートを2番手で迎えていた。だが彼の前にだれかが走っていたのはその一瞬のことで、グリーン・フラッグから10秒もしないうちに外側のラインを維持したままポールシッターを苦もなく飲み込んであっさりレースリーダーになると、あとはひたすら後続との差を広げるだけだった。2番手よりつねに2mphは速く、後方集団に至っては1周につき1秒前後置いていかれた。最初に可能性の賽から名前を消されたのはギャビー・チャベス、続いてコナー・デイリーで、スタートから5分も経っていない14周目には周回遅れを喫した。そこから先は、名だたるドライバーたちがただひとりニューガーデンに呑み込まれていくショーである。めぼしいところだけを挙げても19周目にマルコ・アンドレッティ、36周目に佐藤琢磨、40周目にインディ500を制したロッシ。タイヤ交換のタイミングとなる50周目付近を挟んで、トニー・カナーンも、ファン=パブロ・モントーヤも、ウィル・パワーも、スコット・ディクソンも、シリーズ・チャンピオンの経験者がことごとくリーダーに追い立てられ、抵抗する間もなく進路を明け渡して勝利の可能性を消されていった。109周目にこの日最初のフルコース・コーションとなったとき、リードラップには2台しか残っていない。パジェノーを除く20台がすべて周回遅れになったのである。

 そのあまりに優れたスピードは、黄旗が振られてしまってもニューガーデン自身を助けた。隊列が整えられて車同士の差がなくなったところで全車が一斉にピット作業を行うコーションは順位の入れ替わる最大の機会で、速いリーダーにとっては気味の悪い瞬間でもある。たとえば今年のフェニックスで、11番手からスタートしコース上で一度も追い抜きを見せなかったパジェノーは、にもかかわらずピット作業の速さだけで2位まで順位を上げて表彰台に登っている。そこまで極端な上昇は珍しくとも、膠着した状況下にピットで決着がつくレースはけっして少なくないし、チーム・ペンスキーやチップ・ガナッシ・レーシングといったトップチームはしばしばそれで勝利をものにしてきた。だからもしパジェノーたちが最速のニューガーデンを捉えられる可能性を見出すとしたらその場所はピットしかありえなかったろうが、この日ばかりはそれも望みようがなかったのである。109周目のコーション時点で周回遅れになっていた3位以下はそもそも勝負する権利を失っており、ニューガーデンのピットから1周遅らせて失った周回を取り戻すのが関の山だった(それでも多くはすでに2周遅れになっていたから、リードラップに戻れたのはほんの9台だ)。唯一リーダーとおなじ周回を走っていたパジェノーも、整列した際にニューガーデンが生み出した周回遅れが前に何台も連なり、作業に向かう段階で大きく距離を開けられてしまっている。作業を始めたと同時に横をすり抜けられるような位置関係では、何をしようと逆転できるはずもなかった。

 一度は周回遅れになりながらコーションを利してリードラップに戻った何人かは可能性を取り返したといってもよいわけだが、それはジョセフ・ニューガーデンで占められた賽のほんの一面を手に入れたに過ぎず、レースの行方にほとんど影響を及ぼしていない。128周目にレースがリスタートすると、またおなじことが繰り返された。路面状態が向上して全体のペースはやや上昇していたものの、結局ニューガーデンはただただ速く、10分もしないうちに新たな周回遅れを作り出して安全圏へと逃げていく。たとえば170〜171周目の動きを見てみよう。すぐ前にチャーリー・キンボールが、そのさらに前にムニョスがいる。2台に従って外側のラインを走るニューガーデンは、ターン4でインに切れ込んでキンボールを交わすと、ムニョスが乱した気流を意に介さず、まるで平行に瞬間移動するように外側のライン、2台の周回遅れの間にある狭い空間に戻る。コントロールラインを過ぎて、ターン1でふたたび内側にラインを取る。そのフロントの向きが変わるさまがだれよりも鋭い。これを見て、このアイオワでは何があろうと――というのは常識的な範囲においてであって、さすがにテキサスのような事態が起こることまで想定に入れているのではないが――ニューガーデンの勝利は揺るがないだろうと思えたものだ。179周目にモントーヤのエンジンが白煙を吹いてコーションになったとき、パジェノーとの間には何台もの周回遅れが挟まってチームのピット作業に余裕をもたらしていた。246周目のコーションも同様に、ニューガーデンは一足先にピットへ入り、一足先に出ていった。そこにその他の可能性はまったく存在しないのだった。結果としてこの日最後となった260周目のリスタートで、2番手まで上がってきたディクソンがどうにかして背中を脅かそうとしたが、たったひとつのコーナーを縋ることさえできずに置き去りにされた。結局残りの40周、気ぜわしい表彰台争いを尻目にニューガーデンがひとり優雅なクルージングを楽しんでレースは終わる。リードラップは5台、1周遅れが5台。残りは2周以上置いていかれた。コーションで周回を戻したぶんを含めれば、みなそれ以上の回数ニューガーデンに抜かれた。抜かれなかったのは4位で表彰台を逃したパジェノーだけだ。

 もしこのアイオワにニューガーデンがいなかったらという仮定をおいたらどうだろうか。ラップチャートに従えば、序盤からパジェノーが堅調にリードを保ちつつもコーションのたびに築いてきた差が帳消しになり、終盤に向かうにしたがって少しずつ勢いを失っていった隙を突いてディクソンが先頭に代わる、という展開である。パジェノーはパワーにも抜かれて3位に落ち、最多ラップリードの2点を獲得しながらもかろうじて表彰台の一角を占めるに留まる。ニューガーデンがいないだけで――そしてそれはテキサスの事故を思えば現実にありえた――アイオワは何人かのドライバーが「賽の面」をめぐって争い続け、最後は一番の確率ではなかった逆転の面が上を向く、といういかにもインディカーらしいレースになったかもしれなかった。だがひとりのリーダーがその圧倒的な速さによって振られるべき賽をすべて自分の名前で占めていき、やり直しでどれだけ賽を投げたとしても自分以外の面が出ないように仕立てあげた。一貫した論理で優勝に近づいていくのではなく、論理が外乱によって断ち切られることを前提としたうえで、なおあらゆる可能性が自分に向くようにレースを染めてしまうやり方。ジョセフ・ニューガーデンは282周のラップリードのなかで、インディカーでの、オーバルでの完璧な勝利がどういうものなのか、実演してみせたのである。