15年に及んだ真実の佐藤琢磨を探す旅が終わりを迎える

【2017.5.28】
インディカー・シリーズ第6戦 第101回インディアナポリス500マイル

 死闘の果てに、佐藤琢磨はインディアナポリス500マイルを勝とうとしていた。199周目のターン1だ。3番手の彼は前をゆくダリオ・フランキッティがチームメイトのリーダーを交わしていく動きに乗じてインサイドのわずかな空間を突き、盤石の1-2態勢を築いていたように見えたチップ・ガナッシ・レーシングの隊列を分断した。最内のラインを奪われたスコット・ディクソンは失速し、瞬く間に勝機を失ってしまう。対する佐藤の勢いはまったく衰えていない。ターン2で差を詰め、バックストレートでさらに近づく。ターン3の立ち上がりは完璧で、相手よりわずかに小さく回って一瞬早く加速を開始した。ターン4を抜けた先のホームストレートはこのとき向かい風だった。空気の壁に阻まれて伸びを欠く赤いチップ・ガナッシに襲いかかる。ターン1はすぐそこに迫り、フランキッティはドアを閉めきれず車を外に振る。佐藤はその空間に飛び込んだ。優位は圧倒的に内側にある。だれもが最終周での逆転を確信した瞬間だった。
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ウィル・パワーもまた、インディ500への優先切符を持っている

【2017.5.13】
インディカー・シリーズ第5戦 インディカーGP
 
 
 フェニックスGPではじめてオーバルレースを優勝したシモン・パジェノーは、5月28日のインディアナポリス500マイルを名実ともに優勝候補として迎える資格を得たといえるだろう。105年の歴史と100回の開催を数える伝統のインディ500は、時として勝者にまで格式を求めているように思わせることがある。サム・ホーニッシュJr.、スコット・ディクソン、トニー・カナーン、今は亡きダン・ウェルドンにダリオ・フランキッティ、そしてライアン・ハンター=レイ。こうして名前を並べてみるだけでも気分が高揚してくるこの錚々たる面々は、21世紀の始まりから2013年までのインディカー・シリーズ・チャンピオンのすべてであり、彼らはみな王座を獲得した後、または少なくとも王者になったのと同じ年に、インディ500に勝っている。シリーズ・チャンピオンであることは牛乳を飲むための十分条件といったところで、パジェノーは昨季にその条件を満たしたわけである。1レースを欲するならばまず一年を勝利せよ。
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シモン・パジェノーの初優勝はブリックヤードへと繋がっている

【2017.4.29】
インディカー・シリーズ第4戦 フェニックスGP
 
 
 暮れなずむフェニックス・インターナショナル・レースウェイは夜の準備を始めている。砂漠の真ん中に浮かぶオーバルトラックには少しずつ闇が押し寄せ、ヘルメットまで蛍光黄色一色に塗り上げられた1号車はその暗さの底から鮮やかに浮き上がって光り、ひときわ目を引くようになってきていた。際立っていたのは目に痛いほどの明るさばかりではない。追い抜きがきわめて難しいショートオーバルにあって、上位を独占して隊列をなすチーム・ペンスキーの群れの中でもその動きは明らかに優れ、レースの中心としての存在感を放ってもいた。そのうち、70周目のターン1が訪れる。乱気流を怖れず直前のターン4を巧みに立ち上がって12号車の背後についた1号車は、短い直線でドラフティングを利用するまでもなく並びかけ、次のコーナーで黄色い残像とともに主導権を奪い取った。多重事故で始まったレースの序盤に見どころを求めるならこの数秒だったかもしれない。シモン・パジェノーがウィル・パワーを交わした一幕は、固定されて動かない隊列が伸びたこの日、車どうしが交叉する数少ない場面のひとつだった。それは彼がフェニックスではじめて完成させた意味のあるパッシングであり、とある初優勝に、またチャンピオンの立場に大いなる正当性を与えるものだった。少なくともわたしは、まだ4位から3位に上がったにすぎなかったにもかかわらず、とうとうパジェノーにこの時が訪れたのかもしれないと期待を巡らせていた。
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ジョセフ・ニューガーデンは三度魔法を使う

【2017.4.23】
インディカー・シリーズ第3戦 アラバマGP
 
 
 世界中のサーキットに数多ある「コーナー」でいちばんのお気に入りは何かと問われるとする。10年ほど前だったか、F1世界王者となったばかりのルイス・ハミルトン(ほんの一昔前、マクラーレンはまごうかたなきチャンピオンチームだった)が各地の著名なコーナーを集めて究極のサーキットを「設計」する企画に臨んだ際は、イスタンブール・パークのターン8にはじまりスパ-フランコルシャンのオー・ルージュ、鈴鹿の130Rにシルバーストンのコプスなど高速コーナーばかりを集めて首のもげそうな、なおかつ追い抜きなどとうてい不可能なとんでもないコースを作り上げていたものだが、わたしならまずアラバマはバーバー・モータースポーツ・パークのターン14と14aを挙げたいと思う。数え方によってはターン15および16とされることもあるこの区間は、微妙なターン番号の振られ方から容易に想像されるとおり曲率半径の異なるふたつの曲線が巧みに組み合わされた複合コーナーで、さらにはその直前のターン13と三位一体となってドライバーの行く手に立ちはだかるインディカー・シリーズ屈指の難所である。 続きを読む

レースは過去に照らされている

【2017.4.9】
インディカー・シリーズ第2戦 ロングビーチGP
 
 
 シモン・パジェノーが予選第1ラウンドでおなじチーム・ペンスキーに乗るエリオ・カストロネベスの進路を妨害した廉でその時点でのトラックレコードとなる1分6秒5026のトップタイムと2番目に速いタイムをまとめて抹消され、ポールポジションさえ狙える状況から一転していちばん後ろのグリッドに着かなければならないことが決まったとき、わたしが愛してやまないこのフランス人がロングビーチで意味のある結果を持ち帰る可能性はほとんど見当たらなくなってしまったようだった。なるほど開幕戦のセント・ピーターズバーグではセバスチャン・ブルデーが最後方スタートから文字どおりの「Biggest Mover」――これ以上の逆転はない――となって優勝したが、それはどうやらインディカー史上わずか4例目の稀なできごとであったらしく、続けざまに起こることを期待できるようなものではなかった。たしかに土曜日のパジェノーはとびきり速かった。 続きを読む

映るのは少女か老婆か

【2017.3.12】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
 
 
 2017年のインディカー・シリーズはウィル・パワーがポール・ポジションを獲得して始まった。ごくごく当たり前に見知った光景だった。2010年からこっち、次の年もそのまた次の年も、昨年にいたるまでこの選手権はそういうふうに始まるものと決まっていた。正確にはこの間1回だけ日本人に特等席を譲っているのだが、そんなのはちょっとした例外だ。だから今年もセント・ピーターズバーグでいちばん速いのはパワーなのだと最初からわかりきっているのだったし、日本時間でいえば日曜日の未明にコーヒーを沸かしながら予選を見届けたあと、肩をすくめて「ほらね」とつぶやく以外の反応が起こるはずはなかった。それは何一つ意外なところのないタイムアタックで、だからわたしはその結果に心動かされることなく自分の出場するカートレースの身支度をはじめていた。待ち望んでいた開幕とともに過ごすには少々慌ただしい休日の朝だったが、自分や普段から活動をともにするチームメイトに関連する大会が3つもあって、わたしの心はまずそちらへと向いていたのである。 続きを読む

関口雄飛とストフェル・バンドーンは日本で出会う、あるいは奇妙で魅惑的な、僕たちのスーパーフォーミュラ

CHAPTER 1

 2016年9月25日に決勝が行われるスーパーフォーミュラ(SF)第6戦を前にして、観客がレースへと寄せる期待はさほど大きいものではなかっただろう。はたしておもしろいレースになるのだろうかという疑問はあって当然だった。まずもって、SFそのものが全体的にレース中の順位変動が少ないシリーズという前提がある。今のF1のように年間を通して1チームが独走することこそないものの、週末単位で見ると意外なほど上位の順位が固定されたまま終わる――速さを見つけたチームはたいてい日曜日の夕方まで速い――傾向が強い。今季ここまで、ややこしい展開になったのは7月の富士と9月の岡山レース2くらいで、それ以外の開催ではどこも予選3位以内のドライバーのうち2人は表彰台に登っている。6戦のうち5戦はホールショットを決めたドライバーがそのまま優勝した。もとよりSFとはそういうものだ。使用される車輌SF14は随所に工夫が凝らされ、 続きを読む

優雅な閉幕は優れた資質の証明である

【2016.9.18】
インディカー・シリーズ最終戦 ソノマGP
 
 
 2010年代のインディカー・シリーズを振り返ってみると、2015年までのあいだに選手権2位を獲得したドライバーが3人しかいないことがわかる。2010年から2012年の3年連続でウィル・パワー、2013年と2014年のエリオ・カストロネベス、2015年のファン=パブロ・モントーヤである。6年間の3人は共通点を持っている。全員がチーム・ペンスキーに所属していたことには気づきやすいはずだ。この間ペンスキーが王者を輩出した(つまり選手権で1位と2位を独占した)のは2014年にパワーが制した1回きりで、あとはチップ・ガナッシ・レーシングが4度、アンドレッティ・オートスポートが1度だから、近年このチームの勝負弱さは筋金入りである。だが仔細に見れば似通っているのは車ばかりではない。 続きを読む

シモン・パジェノーは懐古主義者の感傷を置き去りにするだろう

【2016.9.4】
インディカー・シリーズ第15戦 ザ・グレンGP
 
 
 このブログの過去記事を読んでもらえればわかるとおり、といったところで読まれるはずがないことは重々承知しているのだが、ともあれ以前のわたしはインディカー・シリーズに対してある種の原理主義、あるいは国粋主義的な感覚を持っていたものである。米国の中心にあるのはインディアナポリス500マイルを象徴としたオーバルレースで、ロード/ストリートコースでのレースはあくまでその周りに配置される装飾にすぎない。かつて「インディカー」であったCARTがどういう末路を辿ったかを見ればわかることだ、毎年のようにオーバルを取りやめ、ロード/ストリートに偏重していった結果として全戦オーバル開催を掲げるIRLという反乱分子を生み、やがて取って代わられたではないか。IRLのCARTに対する勝利はまぎれもないオーバルの勝利、21世紀を迎えるにあたって米国はオーバルを選んだのだ。それが正しい道だ。そう信じていたし、信じたかった。だからCARTを退潮に追い込んで名実ともに唯一の「インディカー」となったIRL=今のインディカー・シリーズが、やがてこともあろうに当のCARTと同様の軌跡を辿ってロード/ストリートを増やしはじめたことに危機感を覚え、観客動員数で明らかにオーバルが下回るようになったころにはこんなはずではなかったと嘆息をつき、インディアナポリス・モーター・スピードウェイのインフィールド区間を使用したロードレースを開催すると聞いたときには失望もしたのである。オーバルを守れ。IRLの志を忘れるな。もちろん、冷静に受け止めればインディカーはインディカーで時代への適応に必死なのだ。米国のオープン・ホイール・カー・レースが時代に合わせてその姿を変えていった過程は李狼氏のブログ『Downsizing Mind』の記事「インディカーのオーバルはなぜ減ったか」に詳しいが、生きていくために変容を善しとするのが正しいならば、取り残されているのは時代の一点に置かれたオーバルという装置に拘泥し不可侵の聖域として扱うわたしなのであって、どれもこれも自分勝手な感傷でしかない。ただ、変化がなし崩し的に、またあっという間に訪れたことで、わたしは変わる前の姿に憧憬と懐古を強くして反発を抱くことしかできなかったということである。サム・ホーニッシュJr.やダン・ウェルドン、ダリオ・フランキッティといったいかにも米国のレース(これも「ある時期の」というべきだろう)の担い手らしいドライバーたちが覇を競った時代はそう昔ではなく、せいぜいここ十余年に収まる話である。それが一夜にして――あくまで印象だ――一度は捨て去ったF1のようなインディカーへと変わってしまった。だからつい考えたくなるのだ。オーバルを守れ。IRLを忘れるな。インディカー右翼とでもいうべきか、苦笑が漏れるほど原理的だろう。発生の正しさは必ずしも現在の正しさに接続されるわけではないというのに。

 2016年の最終戦を前にして、選手権の首位をゆくのはシモン・パジェノーだ。才能を買われてチーム・ペンスキーに移り2年目となる32歳は同じチームのウィル・パワーに43点差をつけてはじめての年間王者に片手をかけている。最終戦はレース得点が2倍に設定されており、昨季のファン=パブロ・モントーヤが47点差を守りきれなかった事実を踏まえると絶対に安泰とまでは言えない(パワーが優勝した場合、条件にもよるが少なくとも6位、確実に守りきるには4位に入る必要がある)ものの、非常に有利な立場にあることは間違いない。そうしてもしこのままパジェノーが何事もなく同僚の追い上げを振り切った場合、IRLを祖とするインディカーは新たな種類の王者を迎えることになる。たとえばフランス人であること。米国チャンピオンシップ・カー・レーシングの歴史すべてに視野を広げれば最近でもセバスチャン・ブルデーの存在を挙げられるが、IRLからインディカー・シリーズの流れの中でフランス人がシーズンを制した例はまだない。とはいえインディカーの歴代王者はそもそも半分以上が外国人で占められており、パジェノーの国籍に特別な意味を見出す理由はないだろう。パワーが逆転したとしても外国人であることには変わりない。たとえば他には? ともすれば退屈にも思えるフェニックスで優勝したのはスコット・ディクソンだった。インディ500で歓喜の牛乳を口にしたのはF1帰りのアレキサンダー・ロッシ。2ヵ月半延期されたテキサス600はグレアム・レイホールが1000分の6秒差でものにし、アイオワ300はジョセフ・ニューガーデンだけのためにあった。ポコノの三角形を制したのはすっかりオーバルを走れるドライバーへと変貌したパワーである。今年行われた5つのオーバルレースの優勝者欄にシモン・パジェノーの名前はない。そう、彼はインディカー・シリーズ史上はじめて、オーバルレースを一度も優勝していない王者になろうとしている。

 書いたように1996年に発足したIRLは当初すべての開催がオーバルレースであり、選手権の勝者は当然オーバルの優勝者でもあった(年間無勝利どころか最高位3位にもかかわらず僅差の選手権2位となった1996-1997年デイヴィー・ハミルトンの例もあるが、とりあえず別の話である)。その時代が9年続き、2005年からカレンダーにロード/ストリートコースが加わっても、開催数の比率からいってオーバルで良績を残せないかぎり上位進出は不可能だった。2005年から2008年にかけては4年連続でインディ500の優勝者がその年の勝者にもなっている(かつてのわたしに言わせれば、幸せな時代といったところだ)。2009年にロードで滅法速いパワーがペンスキーに加入したが、行く手には旧世代の代表ともいえるフランキッティが立ちふさがった。そのパワーは悲願を果たした2014年にミルウォーキーでオーバル通算3勝目を挙げている。楕円のレースは年を追うごとにその数を減らし、勝てる機会そのものが失われていった、だとしてもそれに勝たなければ最終的な勝者になれなかったのだ。しかしいま、パジェノーによってこの過去は破られようとしている。今年だけの話ではない。2012年にフル参戦をはじめてはや4年、経歴を遡っても、通算8勝はすべて楕円の外で積み上げられたものである。

「原理主義者」たるわたしにとって、これを受け入れがたい事態だと考えてもおかしくはなかった。走りのどこかにF1的、すなわち欧州的な才能を見せるパジェノーの躍進を総括して、2016年はオーバルが死んだ年だと大袈裟に嘆いてみることも可能だっただろうし、万が一パワーが逆転すれば天の配剤によってその精神が守られたのだばかりに歓喜の声のひとつも上げることになったかもしれない。オーバルの減少により現実の可能性となりつつも辛うじて到来していなかった「ロード/ストリートだけでシーズンを勝てる時代」を本当に迎えることは、それだけ事件であったはずだった。

 だが、いまのわたしはこの事実を大した問題と捉えず、歴史の新たな一頁と歓迎しようとしている。そこにパジェノーに対する個人的な贔屓目(わたしの贔屓はパジェノーとニューガーデンだ)が存在するといわれたときに完全に否定することは難しいが、それより大きな理由は他にある。ひとつには単純に時が経ったことで現状を肯定するのに抵抗がなくなったからで、またひとつには4年にわたりすべてのレースについてだらだら書き連ねた今のインディカーに深い愛着を抱いてもいるからだ。そして、前言を翻すようだがやはりパジェノーの存在もひとつの要因である。彼に肩入れしているから最終戦前のこの状況を肯定しているわけではないと、とりあえずは断っておこう。だが前提としてなぜわたしがこのフランス人に心奪われたかといえば、その走りを目の当たりにして自分の愛するインディカーをもっともよく体現するドライバーのひとりという確たる信念を得たからだ。子供のころのわたしは子供っぽい純情さをもって、米国のレースに勇気や決然たる意志といった観念を無自覚に託して憧れを抱いていた。憧憬の源泉が200mph以上の尋常ならざる速度で恐怖を覚えるほどの接近戦を繰り広げるオーバルレースだったことは間違いなく、だからこそ心惹かれ続けもしたのだが、しかしその精神はけっしてオーバルでなければ現れないものではないとも言い切れる。さんざんIRL、IRLと繰り返していることと矛盾するようだが、わたしにとっての「20世紀最高のオーバーテイク」は、2000年F1ベルギーGPでミカ・ハッキネンがミハエル・シューマッハを追い抜いた有名な場面ではなく、1996年CART最終戦ラグナ・セカの最終周で、いまはパラリンピアンとして金メダリストとなったアレックス・ザナルディが空を飛ぶようにコークスクリューを駆け下りていった瞬間だ。あの"The Pass"に象徴されたインディカー、チャンプカーの精神(たとえわたしの思い込みにすぎなくとも)がいま目の前にあるのなら、シモン・パジェノーというフランス人からその香りをわずかでも感じたのなら、憧れないはずはないだろう。だからわたしはいまのインディカーが置かれている状況を喜ばしく思っている。それに比べればオーバルでの結果など些細なことだと。

 ワトキンズ・グレン・インターナショナルで行われた2016インディカー・シリーズ第15戦の39周目、選手権を争っているパワーがチャーリー・キンボールと双方にとって不幸な接触事故を起こしたことで、この日最後のフルコース・コーションが導入された。パジェノーは直前まで5番手を走っており、コーション中のピットストップの間に9位まで順位を落としたが、レース再開後わずか2周で2台を抜いている。ストラテジストであるカイル・モイヤーから無線が入ってきたのはコーションでステイアウトしていた車が給油に向かって元いた5位に戻り、すでにリタイアを喫したパワーに対して決定的な優勢を築くゴールが見えてきたころだ――しめて4周、コーションの低速周回がないと燃料が足りない。パジェノーはとたんに声を荒らげる、冗談だろ!

 当人たちには大問題であったはずだが、もちろん観客にしてみると何ということのないやりとりである。おなじ状況に置かれれば、どんなドライバーも程度の差はあれ似たような反応を示すだろう。これは特別ではない。だがそれでも、長く眼差しを注ぎつづけたわたしはこの応答にパジェノーらしさの一端を見て取りたくなってしまう。結果的には、彼はスロットルを緩める必要に迫られたものの燃料を使い尽くすことはなく、順位を2つ落としただけで無事60周目終わりのチェッカー・フラッグまで辿り着いた。順位の下落を甘受し、ぎりぎりの燃料を持たせなければならない困難な作戦を冷静に遂行したわけである。しかし静けさの一方で、彼は無線を受けた瞬間に感情を昂ぶらせて怒りの声を上げもした。そうした一面を持ちあわせているのだ。洗練された技術というスマートな外面と、そこに隠しきれない激しい感情の両立。そしてその感情的な面を源泉として、インディカーに不可欠な勇気と意志が横溢する。それが今年、あるいはキャリアを通じて表現されてきたパジェノーの特質であり、わたしが彼から目を離すことのできない理由である。アラバマでグレアム・レイホールと接触してコースオフしながら舞い戻り、ふたたび躊躇なくサイド・バイ・サイドに身を投じて逆転優勝したときも、ミッドオハイオで半周にわたって追い回したパワーに一度は進路を潰されながら難易度の高いコーナーでラインを交差させる忘れがたいパッシングを完成させたときも、根底から溢れていたのは情熱そのものだ。それは紛れもなくパジェノーというドライバーが頂点に立つ資格を持っていることを証明する走りだった。そもそも2013年の選手権3位を手繰り寄せたボルティモアの優勝からしてそうだった。69周目のターン8でセバスチャン・ブルデーのサイドポンツーンに自分の左フロントタイヤをぶつけ、インサイドを文字どおりこじ開けた瞬間、彼はそのときすでに数年後の王座を予約していたのだ。

 今回の無線に垣間見えた感情の昂ぶりをそれらの記憶と同一視するのはさすがに大仰だと自覚している。だが高揚したパジェノーが時に危ない橋を渡りながら破綻することなくここまでやってきたのは事実であり、その精神が安定的なポイントリーダーの立場にいながらにしてなお失われていないことを確信もさせる。「失うものは何もない」と、最近言ったものだ。その言葉が本心から発せられているかぎり、最後の一戦で大切なものを本当に失うことはないだろう。彼はいつだって自らの腕と、勇気と情熱によってレースを正しく戦い、道を切り開いてきた。そんな美しいドライバーが勝とうとしているのなら、楕円への感傷など少し忘れてもいい。オーバルで勝つことはただの現象にすぎず、現象より大事なものはきっとある。そしてシモン・パジェノーは、まちがいなくそれを備えている。

ジェームズ・ヒンチクリフは自らの完璧さによって敗れた

【2016.6.12/8.27】
インディカー・シリーズ第9戦 テキサス600
 
 
 スタートコマンドは洒落たもので、Drivers, restart your engines.である。本来6月12日に予定されていたテキサス・ファイアストン600(ところでいきなり余談を挿むと、600と名乗っているにもかかわらず実際のレース距離は583kmで、これは1.5マイルオーバルとして造られたテキサス・モーター・スピードウェイを1998年にIRL時代のインディカーが再計測したところ1周1.455マイルしかないことが判明してトラック距離を変更したのだが、周回数だけは1.5マイル基準のまま決めているからである。1.5マイル×248周で599kmという塩梅だ。なお冗談のような話だが、CARTが行った再計測結果は1周1.482マイルで、NASACARはずっと1.5マイルで通しているので、このコースには3つの距離が存在した)は、前日からの雨が路面に染みこみ、天気が回復してからも後から後から水が湧き出してきてレースを行えずに翌日に順延となったのだった。その順延日も路面を乾かすのに手間取ってスタート時刻が遅れ、どうにかグリーン・フラッグにこぎつけたものの、フルコース・コーション中の71周目に激しい雷雲がコースを覆って万策尽きた。次の週末にル・マン24時間レースへ参戦するドライバーも多く、それ以上の延期は不可能だったのだ。結局72周目以降は8月28日にして消化することが決定し、このたびあらためてエンジンに火が入れられた。76日の中断を挟んだ”re-“startだ。

 中断した時点で先頭に立っていたのはジェームズ・ヒンチクリフだったが、その順位はかならずしも実力を反映したものではなかった。ポールポジションはカルロス・ムニョスで、スタートから最初のスティントを完全に制圧してオーバル初優勝への期待を高めていたものである。ヒンチクリフは予選12番手にとどまり、また特段コース上でライバルを抜くでもなく、ただ最後まで給油を我慢していた41周目にジョセフ・ニューガーデンとコナー・デイリーの危険な事故が起きたおかげで先頭に残ったにすぎない。エド・カーペンターにしてもミカイル・アレシンにしてもおなじことだ。中断時に上位にいたうちの何人かは、あくまで「うまくやった」ドライバーだった。

 事故の処理に時間がかかり、豪雨がやってくる71周目までレースが再開されることなく赤旗となった結果生まれた偽りのリーダー、というと言葉は悪いが、しかし6月12日のままグリーン・フラッグが振られていたらヒンチクリフは即座に後続から追い立てられたはずだ、と考えるのは自然なことだろう。だが長い長い「中断」で、レースは湿った重い空気の下危うい路面を走る昼間から晴れて乾いた夜へと状況を大きく変えた。ここまで条件が変化してしまえばもはやトラックがおなじだけのまるで異なるレースで、それまでの速さはなんの展望ももたらさない。偽りのリーダーだったヒンチクリフはこのレースでもっとも優れたドライバーに変貌し、だれよりも速く、それでいてだれよりも巧みにタイヤを使いこなして長いスティントを乗りこなした。たとえば再開後最初のピットストップは、2番手を走っていたエリオ・カストロネベスより10周も後、ウィル・パワーやスコット・ディクソンと比べても5周後の120周目である。つねにいちばん遅くピットに向かったことによってラップリードは盤石のものになり、162周目には一時的に全車を周回遅れにした。けっして選手権を争えるほど器の大きいドライバーとは思えないのに、ヒンチクリフにはときどきこうした目を離せない瞬間がやってくる。思い出すのはたとえば2013年のアイオワだ。レースの90%以上もラップリードを刻んで信じられないほどの圧勝を見せたあのときと同じように、テキサスでの彼は完璧な勝利を演じようとしていた。

 このレースの結末について、過ぎたるはなお及ばざるがごとし、などと纏めるのがうまいやり方だとは思えない。だが結果から遡る形で全体を俯瞰したとき、ヒンチクリフの不運は、皮肉にも他のドライバーと比べ突出して上手にタイヤを使えすぎてしまったことと、そのために周回遅れを生みすぎてしまったことだということはできる。本来なら自分を優位に引き寄せるはずだったそれらの運動が、しかし同時に「かろうじて生き残ったライバル」にも勝機を与え、スタートラインを引き直してしまった。先述したように120周目に再開後最初のピットストップを済ませたヒンチクリフは、そこからほぼ均等に40周強のスティントを刻むようにレースを進め、206周目に最後のタイヤ交換を行っている。ゴールまでは42周だ。その時点でリードラップに生き残っていたのはグレアム・レイホール、トニー・カナーン、エリオ・カストロネベス、エド・カーペンターの4人だけで、それぞれ202周目、197周目、183周目(トラブルがあったために早かった)、204周目にピットに入っていた。ヒンチクリフにくらべてタイヤの消耗が速く、どうしても先行して動かざるを得なかったのである。どのドライバーも燃料を考えればゴールまで行けるものの、ただでさえ劣勢なタイヤの勝負に直面し、しかもリーダーより長い距離を走らなければならない。どう考えてもヒンチクリフの優位は揺るぎないように思われたが、213周目にカーペンターが迂闊な動きでディクソンと接触(そろそろカーペンターをオーバル・マスターと持ち上げるのはやめるべきだろう。昔ならいざ知らず、今となってはオーバルだけを走るという事実があるにすぎず、特に優れているわけではなくなった)してフルコース・コーションを呼びこんだことでレースの可能性が一気に広がった――ヒンチクリフにとっては広がってしまった。このコーションでレイホールたちは長いスティントを捨て去り、もう一度ピットに戻って新しいタイヤを得た。さらにその後、カーペンターがリタイヤに追い込まれるスピンに起因したものを含めて2度導入されたコーション中に、カストロネベスとカナーンがさらに1度ずつ、そしていつの間にかリードラップに戻っていたシモン・パジェノーも新品タイヤに履き替えた。彼らは余分なピットストップを行ったが、他の多くが周回遅れになったおかげで何の苦労もなくヒンチクリフのすぐ後ろに戻ってくることができた。不動のリーダーとしてステイアウトを貫いたヒンチクリフは、気づけばもっとも長い履歴のタイヤで最後のリスタートからゴールまでの9周を戦わなければならなくなったのである。

「すばらしいレースだった」。レース後に、ヒンチクリフとレイホールは口を揃えて言った。たしかにその9周は、挑戦的で、公正で、力強く、繊細な、インディカーのオーバルの魅力がすべて詰まった最高の時間だった。逃げゆくヒンチクリフに対し、レイホールが、カナーンが、パジェノーがコーナーのたびにインを突き、はたまたアウトから飲み込もうと、集団で襲い掛かる。全員が入れ替わり立ち替わり何度も先頭を交代し、コーナーのたびに隊列は組み替えられたが、しかし唯一コントロールラインだけはヒンチクリフが押さえ続けた。タイヤの状態を考えれば驚嘆するほかない。240周目も、241周目も、242周目も、ラップリーダーは変わらないまま、やがてパジェノーが脱落した。白旗が振られる247周目に至っても、カーナンバー5は先頭を守り続けた。つまりこれは、ヒンチクリフが優勝するレースなのだった。だが、「ぼくたちはすべてをリードした」と言う彼は、こう言葉を続けなくてはならない。「重要だったもの以外、すべてをリードしたんだ」。たった一回きりである。本人が言うとおり事実上すべてを支配し、まったく揺らぐことのなかった完璧なラップリードは、248周目に途切れた。その周回だけ、レイホールがターン3から4にかけて巧みにインを突いて先頭に立ち、すぐさま順位を戻そうと反撃に転じたヒンチクリフよりも0.006秒だけ早くコントロールラインを通過したのだ。それは2ヵ月半かけた583kmを走り終える周回でもあった。レイホールはこのレースではじめてラップリードを記録し、少し先走って右手を上げた。その頭上ではチェッカー・フラッグが振られている。

「"TK"に称賛を、グレアムに祝福を贈るよ」と、2位に終わったヒンチクリフは失望を交えて接近戦を演じたライバルを讃えるのだった。もし彼があれほど群を抜いて綺麗にタイヤを使えていなかったなら、もし最終スティントに向けてのタイヤ交換があと数周早かったなら、おそらく213周目のコーションでほかのドライバーがそうしたように新品タイヤへと換える決断を下すことができただろう。あるいは、リードラップにもっとたくさんの車が残っていれば、レイホールたちも後方に沈むことを怖れてタイヤ交換に踏みきれなかったかもしれない。どちらに転んだとしても――「すばらしいレース」には少し足りなくなるところだったが――ヒンチクリフはもっと楽に走り、たぶん逃げ切ることができた。終盤までリードラップを維持し続けたもっとも手強いライバルが、もっとも手強い状態で真後ろについてくるような展開にさえならなければ。それを万全ではない状態で迎え撃たなければならない状況に追い込まれなければ。たら、れば――。すべてを手中に収めたと思っても、ままならない敗因は、後悔の種は残るということだろう。完璧さえも牙を剥く。レースはときに、そんな哀愁とともに終えられたりもするのである。

***

 ところで8月31日、レース後の車検でヒンチクリフの車のスキッドブロックが規定の厚さを下回るほど削れていたことが認められたとして、インディカーはドライバーズポイントとエントラントポイントをともに25点剥奪すると発表した。どうやら、レースとはやはりままならないものであるらしい。