奇跡のスコット・ディクソン

【2024.4.21】
インディカー・シリーズ第2戦 アキュラGP・オブ・ロングビーチ
(ロングビーチ市街地コース)

ジョセフ・ニューガーデンが2度目のピットストップをつつがなくこなしたのを見届けて、2年ぶりのロングビーチGP優勝にして、開幕戦に続く選手権2連勝は堅いと思われた(と、記事を書いている最中にまさかの事態が起こった。なんと開幕戦においてチーム・ペンスキーが本来プッシュ・トゥ・パス(PTP)が認められないスタートおよびリスタート直後にも使用できるように設定していた事実が判明し、これによって利益を得たとされたニューガーデンはチームメイトのスコット・マクロクリンともども失格に処せられたのである)。なんとなれば、ひとり勝手に楽勝のごとき雰囲気を抱きすらしたものだ。それほどに楽観視してよいはずの展開だった。だというのに、まさかあのような結末になろうとは、中盤に悠々とラップリードを重ねていた彼のレースにどんな見込み違いがあったのだろう。たしかにひとつだけトラブルには遭遇した。想定外の負け方をした直接の原因を挙げるとすれば、2位走行中の77周目に最終ターンでコルトン・ハータから追突され――追突した側の言い分は異なっていて、ハータの主張によれば「旋回中にニューガーデンがいきなり失速したせいでぶつかった」――、一時的に駆動力をなくしたせいだ。フロントストレッチへの立ち上がりに向けてまったく加速できなくなった時間はほんの数秒に過ぎなかったが、その間にハータとアレックス・パロウの先行を許し、中途に築いた4秒のリードから一転、4位にまで順位を下げてゴールを迎えたのだった。

 思わぬアクシデントだったのだから、痛恨事ではある。ただ、レースにおいてこの程度はいつでも起こりうる出来事のひとつで、とりたてて珍しい不運でもなかった。いったんは駆動が抜けた危機を思えば、スピードを取り戻して上位で完走できたのは儲けものでさえあろう。事実、あの接触はあくまで表彰台を取り損ねた理由でしかなく、ニューガーデンの誤算は他にあった。すなわち、追突された際に走っていた位置が先頭ではなく2位だったこと。またその位置が意味するところが展開の綾によるレース途中のなりゆきではなく、じつは最後まで続く隊列そのものだったこと。こと優勝かそうでないかに関してだけ言えば、事故の有無にかかわらずおそらくニューガーデンは敗れていただろう。ロングビーチで真実の鍵を握っていたのは、そのとき先頭にいたスコット・ディクソンだったのである。

 43歳の大ベテランはまったく目立たない展開を走っていた。予選では8位に終わり、スタートでひとつ順位を上げたものの、その先に優れた内容はとくになく、中団の一員にすぎなかったのだ。ひとつだけ、15周目に導入された、結果的にこの日唯一となったフルコース・コーションの最中に給油のためピットストップへ向かったその判断だけは、小さな関心の的にはなった。ただ、上位陣で同様にピットへ向かったのが当初のリーダーだったウィル・パワーしかいなかった事実を見ても、それが変則的な、弱い作戦であるのは明らかであった(パワーは装着タイヤの選択から周囲と違っていたからもとより例外的だった)。自分の実力だけでは足りず、なにかしらの幸運を頼みにする方法だ。それも当然で、事前の予測では満タンで走れる距離は30周弱とされていたのである。ロングビーチは85周。15周目すぎでの給油では、35周のスティントを2回繋がなければ余分なピットストップを行わざるをえなくなる。いくらなんでもそんな芸当は不可能で、都合のいい時間にコーションが導入されるくらいしか勝機を見出せそうもなかった。そして、書いたようにコーションは15周目の1回きりで、その後はずっとグリーン下でのレースが続いていた。そうであれば、ディクソンにとっては極端な燃費走行を敢行してコース上で抵抗もできずに抜かれるか、もう一度給油に戻るはめになるか、いずれにせよろくでもない結果が待っているだろう。状況を整理すれば、ディクソンが率いる隊列はあくまで暫定的なものにすぎない。どれだけラップリードを重ねたとしてもそれは途中経過にすぎず、レース結果には影響しないはず、そう考えるのが自然だった。

純粋なスピードなら確実に上回っていたニューガーデンは、ディクソンの巧みさと不運に泣いた

 少し引っかかったのは、ディクソンが2回目のピットストップを行い、ニューガーデンが先頭に戻ったのが51周目だったことだ。1回目は17周目だったから、34周の長いスティントを走った。ここからもう一度34周を足せば、なるほどゴールまで届く計算は成り立つ。そこでようやく、ディクソンが苦しいながらも同一線上の優勝争いに加わってきたとわかったのである。まちがいなく勝負する気でいる。ただ、だとしても、実際に勝利を狙えるかどうかはまったく別の話であって、せいぜい苦肉の策が多少の実をつけそうだといった程度にしか思えなかった。現に、ニューガーデンが58周目に最後のピットストップを終え、十分な燃料を抱えてコースに復帰すると、ふたたび入れ替わった2人の差は見る間に縮まっていった。63周目4.9秒、64周目4.1秒。3.5秒。2.9、2.1、1.6……69周目に1秒を切る。ロングビーチは要点を押さえれば確実に追い抜きのできるコースだ。勢いの差を見れば、攻略は時間の問題だろう。

 だが、要点を押さえたのはディクソンのほうだった。けっして速いとはいえないペースを刻みながら、ニューガーデンが背後につくと、長い直線での接近だけは許すまいと、その入り口となるターン11とターン8の脱出で確実にトラクションをかけて相手を突き放した。驚くべきは、燃費走行の必要に迫られる状態にありながらPTP――ニューガーデンが開幕戦を失格する理由となった――を使っていたことだ。このオーバーテイクシステムは一時的にターボの過給圧を高めることで出力を向上させるものだから、使用に際して燃費は悪化する。過去、ゴールまで車を運ぶため使いたくても使えないジレンマに陥ったドライバーを何人も見てきた。34周を走らなければならないディクソンも、起動ボタンを押せたはずがないのだ。ないはずなのに、たしかにシステムの残り使用可能時間は細かく減っていっていた。PTPを小刻みに使うことによって、ディクソンは1秒以内、ときには0.3秒から迫ろうとするニューガーデンを封じ続ける。翻ってニューガーデンはといえば、追いつく過程でややタイヤに無理を強いて消耗した面もあったのか、ターン11の立ち上がりでリアタイヤが横滑りして修正舵を当てる場面が目立ち、速さでは勝りながら突破口を見出せなかった。コーナーでは接近するのに肝心の直線ではむしろ差が広がるばかりで、レースの天秤は少しずつディクソンへと傾いていき、そうこうするうちに3位のハータとパロウが急激に接近すると、やがてくだんの接触に至った。

 本来なら相反し、両立しえない燃料の節約とオーバーブーストの信じがたい均衡。不測の事故によって脅かす相手はニューガーデンからハータに替わったが、ディクソンの冷静さはいささかも変わることなく、細かなPTPの使用で付け入る隙を与えなかった。ニューガーデンが少し勝手な推測をしてみようか。ディクソンはニューガーデンを背負っている最中はおおむね68秒台で走っていた――これはレースのファステストラップより1秒遅い――のに対し、2番手がハータに入れ替わると多くの周回で69秒台に落ちている。せいぜい0.5秒程度の変化ではあるが、まるでハータのほうが与しやすい相手として意図的にペースを一段階落としたかのような推移に見えはしないだろうか。そしてなにより、ニューガーデンたちの事故によって幸運に2.3秒のリードを手にした直後の78周目。その周だけふっと70秒台まで下がり、一気に1.3秒差まで縮めさせている。こんなに遅かった周はここだけだ。はたしてこれはたんにうまくいかなかったのか、あるいはそれとも燃料を節約するため、確実な安全が生じた瞬間に反応してあえて速度を落とした「アンチスパート」だったりしただろうか?

 もちろん真相はわかるはずがないし、きっと考えすぎだと思う。だが、だれより冷徹な「アイスマン」ならそうしたって不思議でないと、全員が納得するだろう。インディカーの公式サイトは、”Dixon makes magic to win” と伝えている。いつもそうだ。インディカーのレースが困惑を伴うとき、先頭を走るのは決まってスコット・ディクソンである。たとえニューガーデンが生き残っていたとしても、結局勝者は変わらなかったと思う理由は最後に詰まっている。残り2周、ディクソンはハータを0.37秒差に引きつけると、すべてが計算ずくだったと見せつけるように突如として自己最速ラップを叩き出した。底しれぬ余力。ホワイトフラッグが振られ、85周目に入る。PTPと燃料を使い切ったラストラップで記録したのも、前の周からわずか100分の4秒しか違わない、自身2番目に速いタイムだった。■

Photos by Penske Entertainment :
Chris Owens (1, 3)
Travis Hinkle (2)

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