成し遂げられなかった全勝にジョセフ・ニューガーデンの偉大さを思う

【2023.8.27】
インディカー・シリーズ第15戦 ボンマリート・オートモーティヴ・グループ500
(ワールド・ワイド・テクノロジー・レースウェイ)

レースぶりはけっして優れていたとは言えず、むしろ終始劣勢だった中で幸運に見出された勝機を手繰り寄せた薄氷の優勝だったが、とはいえ今年5月、ジョセフ・ニューガーデンは世界最高のレースであるインディアナポリス500のヴィクトリー・レーンに足を踏み入れ、自らのキャリアにほとんど唯一残っていた空白を埋めた。通算29勝、インディ500優勝、2度のシリーズ・チャンピオン。あらゆるタイトルを手中に収め、そして記録上の数字だけでは見えてこない美しい運動の数々をフィールドに刻んできたニューガーデンが、インディカー史を語るうえで欠くべからざる偉大なドライバーであるのは疑いようがない。だが、現に偉大であることを承知のうえでなお、彼がもう少し早く生まれていたとしたら、と仮定を弄してみてはどうだろうか。するとわれわれは、いまよりもっと偉大な歴史を目の当たりにしていたかもしれない。つまりニューガーデンが米国のオープンホイールレースが統合された現代ではなく、おおよそ20年を遡ったころに走っていれば、もしかしたら伝説的な時代の支配者になっていたのではないかと想像するのである。

 このセントルイスには、1人のドライバーによる年間オーバルレース全勝の記録が懸かっていた。今季オーバル最終戦となるここに至るまで、テキサス、インディ500、アイオワの2レースのすべてをニューガーデンが制してきたのだ。過去に一度として達成されたためしのない大記録に迫るこの状況には、いくつかの示唆が含まれているようでもある。ひとつはもちろん、ニューガーデンが現代において突出した、稀代のオーバルマスターであること。もうひとつは、たった1人による独占が確率的にありうる程度にまで、インディカーからオーバルの数が減っていること。いま書いたように、今季のニューガーデンが勝利してきたオーバルとはつまり、テキサスと、インディ500と、アイオワのたった4つにすぎない。その記録を軽く見るつもりは毛頭ないが、しかし純粋な数量として「全勝」のハードルが低くなっているのは紛れもない事実だ。仮に勝つべきレースが10も15もあったとすれば、条件を満たすのは途方もない道のりであることだろう。

 事実、10も15もオーバルレースが設定されていた時代はかつてあった。そもそも30年近く前、当時のCART/インディカーから分裂して生まれたインディ・レーシング・リーグは、シリーズのすべてがオーバルレースであることを売りとしていたのだ。商標を巡る争いの末にCARTがインディカーの名前を手放してチャンプカーを名乗るものの退潮を迎え、対峙するIRLが覇権を握っていまのインディカー・シリーズに至る前世紀の終わりから2000年代の半ばまで、あるいはもう少し延ばしてゼロ年代いっぱいくらいまでは、米国のオープンホイールレースはオーバルを軸に回っていた。CARTが経営破綻し、後身のチャンプカー・ワールド・シリーズまでが消滅する過程でインディカーにもロードレースや市街地レースが組み込まれるようになったとはいえ、そのころはまだオーバルが過半数を占めていたのである。両者の数がはじめて逆転したのは2010年、ニューガーデンがインディカーにデビューする以前、初優勝から数えれば5年も前だ。

 複雑な政治的・経済的争いの産物のようにオーバルが林立したこの時代に、すべて勝つなんておよそ不可能だった。今季のF1でマックス・フェルスタッペンがやっていること以上の離れ業だ。全体の半分、8レースか9レースであってもまだ現実の目標にはならないだろう。だから今季のニューガーデンが王手をかけた全勝記録は、オーバルの極端な減少に伴う現代に生じた皮肉であって、それ自体に大きな意味があるとは思わない。それよりこの4連勝に、無意味とわかっていても夢想してみたくなってしまうのだ。オーバルが大きく数を減らし、「全勝」の確率は上がった一方で勝てる機会そのものは限られるようになった現代においても、ニューガーデンは勝利を積み重ねている。そんな彼が、IRLからインディカー・シリーズ初期に現役生活を送っていたとしたら。最高の才能がそれにふさわしい時代と場所に置かれていたら、優勝回数もチャンピオンも、いまとは比べ物にならないくらい伸びていたかもしれない。

 2010年代末から2020年代はじめにかけて、ニューガーデンはまぎれもなくオーバルでもっとも活躍したドライバーである。彼がチーム・ペンスキーに移籍した2017年から今回のセントルイス直前までの7年弱のあいだ、インディカーで行われた36のオーバルレースのうち14レースをニューガーデンが優勝した、といえばそれだけで伝わるだろう。先ごろ行われたギャラガーGPではスコット・ディクソンが19年連続優勝を成し遂げたが、ニューガーデンは移籍前年も含めて8年連続でオーバルレース優勝を継続中だ。ずっと年5レース前後しか設定がなかったにもかかわらずである。この期間は、おなじペンスキーのウィル・パワーからニューガーデンへとオーバルの覇者が移行していった時代と言ってもいい。また、周囲との比較ではなく、ニューガーデン自身のなかで見ても明らかに重心はオーバルに偏っている。書いたとおりこの7年間でオーバルは36戦14勝。4割近い勝率に対し、ロード/市街地コースでは倍以上の77レースを走りながら12勝に留まるのだ。もちろん、つぶさに観察すれば初優勝を上げたアラバマをはじめとして彼にはこれらのコースで印象的な優れた場面の数々がある。主流のコースでの躍動なくして2度のチャンピオンを獲得できたはずもない。ただ振り返ってみれば残した数字が大きく偏っているのもまたたしかな事実なのである。詮ないことだとわかっていても、時代が違ってもっとたくさんのオーバルがあればと考えてしまうというものだろう。偉大な結果を残してきたドライバーが、しかしじつはもっとも能力を発揮できる機会を十分に与えられてこなかったことが明らかなのだから。

 たった5つしかないオーバルレースの全勝を目指したニューガーデンのレースは、その実績に見合ったすばらしいものだった。予選1位を獲得したチームメイトのスコット・マクロクリンがエンジン交換のペナルティで降格したためにポール・ポジションからのスタートとなり(1周ではなくレース全体で速さを作る彼にとって、最前列からの発進は比較的珍しい)、最序盤から主導権を握ったのだった。スタート直後の事故で導入されたイエロー・コーションが明けるリスタートも完璧に決めると、あとは無理をせずにリードを固め、アイオワのときとおなじように、次々と現れる周回遅れを1台ずつ軽やかに抜いていくだけだった。追従しようとするコルトン・ハータは先にタイヤを傷めたのか早めのピットストップを余儀なくされ、60周を迎えようとするころにはすでに後続と2秒の差が開いている。それはこれまでに何度も見てきた、ニューガーデンがオーバルで圧勝するときの典型的なパターンで、過去に例のない全勝記録はそのまますんなり達成されるように思えたのだった。ひっかかるところがあるとすればピットストップの時期だけだった。全260周のレースだから、3ストップを狙うなら1スティント65周を走る必要がある。56周でピットに入ったハータは論外にしても、ニューガーデンも62周目に戻ってきて、単純には届かない計算になった。対してチームメイトのパワーと、もう1人、燃料とタイヤを使い切ることにだれよりも長けたスコット・ディクソンがぴったり65周目まで延ばしていたのである。ディクソンはギャラガーGPでも変則的な作戦を成功させて周囲を出し抜き、今季初勝利を上げたばかりだった。(↓)

ニューガーデンが優勢だったレースは、コーションでディクソンへと振れた

 もっとも65周×4というのはあまりに柔軟性のない理想的すぎる計算であり、わずかでも想定外の出来事が起これば崩れてしまう脆い計算でありそうだった。そもそも65周目まで走れたことも、10周にわたるコーションの低速走行を無視して成り立つものだったのかはわからない。しかもこのレースでは新たな試みとしてオーバルでははじめて硬軟2種類のタイヤ装着を義務づけられており、柔らかいタイヤで長いスティントを乗り切れるかどうかという懸念もあった。そうした意味では、ディクソンたちの3ストップはまだ可能性の範囲に留まるもので、4ストップ勢の上位にとっては現実的な脅威でないように思えた。ましてニューガーデンにとっては、柔らかいタイヤを履いた2スティント目を短く刻んで102周目に2回目のピットストップを終えてもディクソンからはたかだか15秒しか遅れておらず、たとえ相手のピットが1回少なくてもペースの差だけで簡単に逆転しうる状況だったのである。

 シーズン全勝が現実のものとして捉えられはじめたころ、しかし絶妙な時間帯に事故は起こった。122周目、オーバル専任で今季を戦うチップ・ガナッシ・レーシングの佐藤琢磨がアンダーステアの魔手に囚われ、ターン2のセイファー・バリアに衝突して停止したのだ。レース半分を迎えるほんの少し前に導入されたコーションは、偶然にも佐藤のチームメイトであるディクソンに向かってレースの天秤を大きく傾けることになった。もとより3ストップを狙っていたディクソンはほとんど予定どおりに給油とタイヤ交換へ向かえた一方で、4ストップ勢はほとんど手詰まりになってしまったのである。予定を切り替えてディクソンに追従すれば順位を明け渡すうえ、自分が残り130周強を1ストップで乗り切れるかどうかはわからない。かといってステイアウトして2ストップを確定させても、結局1ストップのディクソンがすぐ後ろに回ってきて、1回分のピットロスをレース半分の距離で取り戻さなくてはならない。どちらを選んでも、すでにディクソンの後手に回ってしまう。

 困難な状況で、蓋を開けてみれば全員がピットストップをしてレースをやり直すことを選んだ。ディクソンは労せずしてリーダーとなり、直前までその座にいたニューガーデンは2位に控えた。それがこのレースのすべてだったのだと思う。ニューガーデンはリスタートでパト・オワードの攻撃を撥ね退けてディクソンをすぐ後ろから追うが、130周をどう走るのかの計画はあまり明確でないようだった。結局、オワードがリスタートからわずか30周しか経っていない164周目にピットへ向かうとそれに合わせる形で166周目に自分も動く。このやりとりでアンダーカットを許して後退してしまうと、ますます劣勢に追い込まれた。一方でディクソンは残り195周目まで走り続け、1ストップをほとんど確実にしているところだった。

“do Dixon” と言えば何をしたかがわかる。ディクソンは世界一の燃費走行技術で、巧みに勝利をさらった

“Scott Dixon did Scott Dixon today.” 敗れたオワードが「今日はディクソンがディクソンしたんだ」と言ったように、今回は難しい作戦を遂行するディクソンに、すべての条件が味方したレースだったのだろう。対ディクソンの観点では余分でしかない最後のピットストップを208周目に行ったニューガーデンはもう1周遅れになり、ペースを上げてコース上で追いつく以外に戦うすべはなくなった。だから、というのは短絡的にすぎようが、終幕は思わぬ形で訪れる。残り49周、ニューガーデンはアンダーステアによってセイファー・バリアに右の前輪を打ち付ける。どうにかスピンは免れ、ピットに戻ってくることはできたものの、もうまともに走ることはかなわなかった。車載映像では、ステアリングをどれだけ左に切っても、車がその意思に抗い壁に向かって直進していった一部始終が映っている。あらゆるオーバルトラックで舞うように右へ左へと自在にラインを変えていたニューガーデンにして信じられない事故で、計算上はかろうじて残っていた今季のチャンピオン争いからも完全に脱落した。

 ひとつの判断のわかれが大きな差になり、事故にまで結びつきうる。レースは、ましてオーバルは難しいものだ。このレースは、オーバルを勝つことがいかに不可能性に満ちているかを知らされた500kmだった。しかし、このような結末を受け止めたとき、だからこそニューガーデンがこれまで残してきた実績に畏敬の念を抱かざるをえないとも思う。大記録は達成されなかった。困難に溢れ、しかもすっかり数を減らしてしまったオーバルで、勝利を重ねることの偉大さ。現代に特異な才能。ジョセフ・ニューガーデンがいかに稀有であり続けてきたかを知らしめたのは、自らの事故だったのである。■

無念の事故の後、ニューガーデンはしばらくヘルメットを脱げなかった

Photos by Penske Entertainment :
James Black (1)
Karl Zemlin (2)
Joe Skibinski (3, 4)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です