【2023.8.12】
インディカー・シリーズ第14戦 ギャラガーGP
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ・ロードコース)
つくづく、インディカー・シリーズとは不思議なカテゴリーだと思う。中堅チームとして存在感を示すレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングの春先は、けっして芳しいものとは言えなかった。とくにグレアム・レイホールの状態は深刻に見えて、予選結果を並べると24位だの27位だの20位だの見るに忍びない数字が連なり、せいぜい5月の第5戦、今回とおなじインディアナポリス・モーター・スピードウェイのロードコースにおいて行われたGMR GPでの8位が慰めになる程度のものでしかなかった。34台がエントリーしたインディアナポリス500マイルではたった1台バンプアウトされる憂き目にあって、このたびの中継でも当時の悲痛な表情を捉えた映像がさんざん再生されていた。その後、ジャスティン・ウィルソンの負傷欠場によって本人自身は代役でスターティング・グリッドに並んだものの、RLLRの車で走ることは叶わなかったのだ。
ところが、かように惨憺たる日々を過ごしていたにもかかわらず、34歳のベテランは突如として立ち直って6月のミッドオハイオ(地元だけに気合が入っていただろうか?)で予選2位に飛び込み、このギャラガーGPでとうとうポール・ポジションを獲得したのである。コンディションが目まぐるしく変化したわけでもない、ごくごく普通の予選を戦った結果としてだ。あれほど苦しんで、予選平均順位が20位を超えようかという状態だったのに、季節が変わってここまで豹変してしまうのだから、本当にインディカーのわからないことといったらない。もちろん5月のGMR GPを振り返れば予兆はあっただろう。レイホールの予選8位にとどまらずチームメイトのクリスチャン・ルンガーが予選最速を記録したくらいだから、チームとしてこのコースに自信を持っていたはずだ。だが、ほかのレースとの落差が大きすぎてやや唐突感のあった5月と比べると、いまのRLLRやレイホールからはコースの相性を超えた実質的な充実が見て取れる。ミッドオハイオはレースをうまく戦うことに失敗したが、トロントではルンガーがキャリア初優勝を遂げた。
それにしても、レイホールにとってはこれが6年ぶりのポール・ポジションと聞いて、ベル・アイル公園時代のデトロイトGPで行われたダブルヘッダーを連勝した2017年かと思い出し、あああのときの、とすっかり懐かしい心持ちになった。佐藤琢磨がインディ500をはじめて勝った次の土日のことだ。2017年のシリーズは混戦で、第6戦までのすべてのレースで優勝者が異なっていたが、デトロイト・レース1で7人目の勝者となったレイホールが、翌日のレース2であっさりとシーズン最初の2勝ドライバーになったのである。70周の決勝を2回。たしか土曜日は波瀾含みで、一転して日曜日はグリーンが続いたのだったが、正反対の状況になったどちらのレースも完璧というほかない圧勝だったかと思う。連勝して選手権の主役に躍り出る……といったほどの状況ではなかったものの、あの週末はたしかに目を瞠るほど速く、とても輝いて見えたものだった。だがもう6年も前の、言ってしまえば現在とはほぼ無関係な思い出に属する話だ。そもそも連勝が混戦のシーズンに突如として出てきた一度きりの夢のようなものだった。結局、あれからレイホールは一度も優勝していない。いまに至るまで長い時間が過ぎた。そのあいだ、RLLRは佐藤が再度所属して2度目のインディ500を含む3勝を上げたのちに去り、代わって加入したルンガーも優勝した。ただ、チームと同じ名を持つグレアム・レイホールだけは表彰台の頂上には登れなかった。ことさらパフォーマンスが劣っていたとは思わない。だが結果としてチームメイトの後塵を拝した6年間だった。
レイホールにとっては長い時間を取り戻すポール・ポジションで、レースぶりも、それこそあのデトロイトがそうだったようにすばらしいものだった。スタートこそ5番手から3台のドラフティングを利用して一気に伸びてきたデブリン・デフランチェスコに先を譲ったが、2位を死守してターン5を通過したのである。すると後方で多重事故が発生してフルコース・コーションが発生し、レースがいったん落ち着いた。予選で最速だった車は決勝でも明らかに好調で、再開後ほどなくペースの上がらないデフランチェスコを簡単に抜いて先頭を奪い返し、柔らかいオルタネート・タイヤを上手に保たせて、最初のピットストップを迎えるころには3秒のリードを築いていた。順調な立ち上がりであり、またこのコースを優勝する場合の典型的な展開でもあった。
かつてほぼ同一のレイアウトでF1も開催されたことがあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイのロードコースは道幅が非常に広く直線も長いため、比較的追い抜きが容易である。一方で過去を見ると隊列が固定化され、整然とした流れになるレースも多い。追い抜きが容易ということはつまり、多少の撹乱が起こったとしても速い者が前に出る機会が多く、時間が経つごとに速さの序列と順位が一致しやすいということだからだ。かつてここを大の得意としていたウィル・パワーや、ロードコースの速さによってチャンピオンにまでなったシモン・パジェノーの勝ち方はまさにそうで、前方からスタートして首位を固め、あとは後ろとの差をコントロールするだけで逃げ切るレースを何度も見せてきた。3ヵ月前にここで行われたのも、タイヤの使い方に疑問を残したルンガーに対して終始速いペースを保ったアレックス・パロウが何にも邪魔されずに17秒差を築いて圧勝するレースだった。雨が絡まなければ、これほど実力どおりに収まる舞台もない。(↓)
そして、実力という点において、このレースのレイホールはたしかに最上位に位置しているはずだった。5月とは微妙に路面状況が異なっているのか、オルタネート・タイヤのペース下落があまり見られない展開で、レイホールはまさにそれをもっともうまく使いこなせているように見えた。最初のスティントで固めた3秒はまったくの安全を約束する大差とまではいかないが、上位のドライバーが3秒のリードを得ると、ほとんど攻撃を受けることなく逃げ切ってしまうのがこのレースのつねでもある。レイホールが23周目に最初のピットストップを行うと一時的にルンガーが先頭に替わり、その後は給油タイミングの違うスコット・ディクソンが前に出たが、すべてが一巡するとまたレイホールがリーダーに戻った。つまり平穏に流れるレースにおいてごくごく普通のなりゆきで、これをあと2回繰り返せば自然にゴールまで流れていくように思えたのだった。
6年ぶりの優勝への期待と、それを引き寄せる堅実な出だしの走りに、すっかりそう思い込んでいたのである。見たい物語を狭め、先頭ばかりに注目しているとレースの成り行きを誤解するものなのだろう。ようやく見込み違いに気づいたのは40周のころ、アレキサンダー・ロッシがタイヤ交換を受けている映像の最中に、画面左に表示される順位表を見たときである。7番手のディクソンがレイホールの19秒後ろを走っていることに気づき、ふと思い至った――ディクソンは、残りピットの回数が少ないのではないか。実質的に先頭を走っているのは、まさかディクソンだったりするのだろうか?
予想外の展開だった。予選で苦戦し15位にとどまったディクソンは、さらに悪いことにスタート直後の混乱のど真ん中にいて、チームメイトのパロウに軽く接触しつつ、自分自身はスピンしてコース外に飛び出していたからだ。幸い車自体に大きな損傷はなかったもののほぼ最後尾にまで下がることになり、5周目には早々とピットに戻っている。コーションのおかげで失ったタイム自体はほぼ帳消しになったとはいえ、優勝争いのメンバーとして意識していないのは当然だった。だがさすがというべきか、ディクソンは後方集団にありながら先頭のレイホールよりも速いペースを刻み、目立たない場所で密かに順位を上げていたのである。その異常さにやっと気づけたのが、多くのドライバーが2回目のピットストップを行う40周目前後のころだったというわけだ。慌ててライブタイミングを確認すると、ディクソンの最後の給油は32周目で、その時点で53周を残していたわけだから、計算上はあと1ストップでゴールまで届きうる。レイホールはまだ2回の給油が必要で、1回35秒近くを失うとすれば、ディクソンはすでに事実上10秒以上も前にいることになる。レース半分も終わっていない時点でこれほどまでの大逆転が起こっている事実に、狼狽するほかなかった。(↓)
冷静に振り返ると、レース距離と燃料搭載量の微妙な塩梅がこの手品を実現していたとわかる。85周のレースで、満タンで走れるのが25~27周。2ストップで走り切るのはぎりぎり不可能だから、20周前後でスティントを切る3ストップが正統派の作戦で、現にほぼ全員がそうしていた。春のGMR GPでもそうだ。対してトラブルに巻き込まれて5周目に給油を行ったディクソンにとっては、「最後尾スタート」と引き換えに「80周」のレースへ条件が変更されたようなものだった。85周を基準にしたこの5周が絶妙な加減だったのだ。80周のレースなら、もとより全員が2ストップを選ぶから違いを生むことはできなかった。90周のレースなら、5周の違いを作ってもピット回数を実質的に減らすことはできなかった。ほかでもなく、85周が「80周」になったこと。狙い澄ましたかのようなこの唯一の条件変更が、ディクソンに対して有利に働いたのだった。
もちろん、ピットを1回減らして簡単なレースになった、という話ではない。5周目に給油したドライバーはディクソンだけではなく、コルトン・ハータやデイヴィッド・マルーカス、ロマン・グロージャンもおなじように動いたが、彼らは残り周回を2ストップで走り切れなかった。「80周の2ストップレース」は、燃料量の観点からだけでも単純に難しいのだ。仮に燃料をうまく節約したとしても、高度なレースペースと両立させなければ成功はおぼつかなかっただろう。これはディクソンでなければ成り立たない作戦で、またディクソン自身にしても1周目にスピンしなければあえて選ぼうとする理由のない作戦でもあった。あくまで偶然が重なった結果として奇妙な特異点が生じ、速さの順番に並んで動かないはずのレースは気づかぬうちに後方から歪められていたというわけだった。
だが、そういった要素はあくまで後から理解される類のことで、傍目にはポールシッターが盤石に周回を重ねるレースに見えたはずだった。ディクソンが長く引っ張って59周目に、レイホールが少し遅れて63周目に最後のピットストップを終えたとき、7秒もの差をつけてディクソンがリードしていたわけだが、この事実にはやはりどこか疑問符がつきまとう。レース後のインタビューによれば、レイホールは調子の良かったオルタネートタイヤのうち1組が前日に出たブリスターのせいで使えず、望んだペースを得られなかったようだ。だがそうだとしても、直接バックミラーに映る場所を走っていた後続を完全に封じたことからも明らかなように、レイホールはけっして遅いわけではなかった。目に見える先頭争いだけに着目していれば、あのデトロイトの輝きを一瞬でも取り戻し、6年ぶりの優勝に向かってひた走っているようにしか見えないはずだったのだ。そのはずだったのに、気づけばレースはひっくり返っていた。
おかしなものだ。というのも、レイホールの速さは最後までたしかだったのである。7秒を追いかけなくてはならなくなった最終スティントで、燃費走行とタイヤの維持に腐心するディクソンを猛然と追いかけ、残り3周の時点でとうとう1秒差を切り、83周目には0.27秒の背後につけた。このスピードの差を見れば、スタート直後を除いて一度もコーションが導入されなかったレースのいったいどこで逆転が起こり、7秒の差まで生じたのか、そのポイントはまったく見えてこない。しかし事実として逆転はなされたのだし、見ているほうが狐につままれた気分になっているうちに、ディクソンは追い詰められながらも最後まで巧みに車を操り、残していたプッシュ・トゥ・パスを駆使して、85周目のチェッカー・フラッグを先頭で受けた。どこかでちょっとした展開の綾が違っていれば結果もまた全然違うものになっていたかもしれないが、そうはならずにレイホール6年ぶりの優勝という物語はディクソンの18シーズン連続優勝記録に置き換えられたのである。不振にあえいでいたドライバーがふとポールシッターになり、一方でスタートに大失敗したドライバーがいつの間にか先頭に顔を出す。そこにないはずのものがいきなり目の前に現れる手品のように、見えないところでレースも、シリーズも、あらゆるものがふと反転する。つくづくインディカーは不思議なものだと思う。■
Photos by Penske Entertainment :
James Black (1)
Joe Skibinski (2)
Walt Kuhn (3)
Aaron Skillman (4)