整然としたナッシュヴィル、整然としたカイル・カークウッド

【2023.8.6】
インディカー・シリーズ第13戦 ビッグ・マシン・ミュージック・シティGP
(ナッシュヴィル市街地コース)

レースに先立って、ミュージック・シティGPの今後が発表された。2024年からは現在のコースを変更し(中心として使用しているニッサン・スタジアムが改修に入るという事情もあるようだ)、シーズン最終戦として開催されることになる。今年でまだ開催3回目の「新参」が、フィナーレの舞台に選ばれたわけだ。GAORAの中継では、当初は懐疑的な声もあったナッシュヴィルの街にこの新しいイベントが認められ、歓迎されている証だといった話題で盛り上がっており、現に今年も25万人以上の観客を集める大成功を収めた。発表に際してペンスキー・エンターテインメント・コーポレーションのCEOであるマーク・マイルズが「ビッグマシン・ミュージック・シティ・グランプリはわたしが夢にも思わなかったようなレベルにまで成長している」とご満悦なコメントを残しているように、音楽の街の真ん中を走り抜けるレースは望外とさえ言える想像以上の人気を博している。現在の最終戦を行うラグナ・セカは名コースではあるものの砂漠に位置するサーキットで集客面ではどうしても不利だったから、特に熱量という点においてナッシュヴィルはシーズンの掉尾を飾ってくれるだろう。

 新しいレイアウトは、カンバーランド川に架かる朝鮮戦争戦没者記念橋を往復する特徴は共通するものの、東岸側のスタジアム駐車場を取り囲むように四角く設置されていたインフィールド(と言えばいいのか)区間が西岸側のダウンタウンに移される。今年のコースと川を挟んで線対称に近い形状だ。スタジアム前の入り組んだ場所にせせこましく押し込められていたピットは東側に変更された橋の先の折り返し地点から分岐する形で設置。合流の混乱は解消すると思われる。橋の先を見ると、現コースでは細い街路を利用した低速区間が設定されているが、元の道路形状との兼ね合いもあるだろう、フルブレーキングからヘアピンで回り込む形に変更された。インフィールドのシケインも潔く取り払われ、橋を渡ってダウンタウンに入るとすぐに1番通り、ブロードウェイ、4番通り、そしてまた橋へつながる朝鮮戦争戦没者記念通りと、それぞれの通りを結節する交差点を直角に曲がるだけ。ターン数わずか7の、減速と加速を交互に繰り返す非常に単純な装いをした高速コースのようである。単純すぎるきらいはあるが、二十数台のレースカーが名だたるミュージシャンが経営するバーが軒を連ねるという通りを抜け、カントリー・ミュージック殿堂博物館の目の前を全開で走り抜ける様子は、ミュージック・シティの名にふさわしい光景となるに違いない。レースとしても、狭い空間でのシケインが撤去されて接触が減れば、これまでとは趣が一変する可能性がある。

 新しいコースの道幅がどのように変化するかは予想できないが、スタジアム前の空間と街路を利用した現コースは狭さと複雑さによってまちがいなくレースの行方を左右してきた。2台が並べるかどうかも怪しい直角コーナーやシケインで、闘志あふれるインディカーのドライバーたちが果敢に攻撃を仕掛けた結果として衝突が頻発し、一昨年は9回、昨年は8回のフルコース・コーションが導入された。ひとつの接触が周囲を巻き込んだり、終盤のクリティカルな時間帯に(時間帯だからこそ)大きな事故が起こったりして、赤旗までも計3回記録されている。記念すべき第1回の勝者となったマーカス・エリクソンはまさにコース特性に救われたひとりだ。スタート直後にいきなり導入されたコーションが明ける際、加速のタイミングが早すぎて前の車に乗り上げ、フロントウイングを大破させて宙を舞ったスウェーデン人は、そうやって自らが招いた2度目のコーション中にひとり燃料を継ぎ足した。すると十数周後に赤旗が振られるほどの多重事故が発生したおかげで「ジャンプアップ」を果たしたうえ、最初の給油と以降のコーションのタイミングが完璧に噛み合って、なぜだかわからないまま先頭に立 ち、見ているほうが呆然としているあいだに逃げ切ってしまったのである。

 インディカーが、そのルールによって時に賽子を振るような運試しの要素を含むことがあるのはたしかだが、それにしても空を飛んだのちに優勝するところなどそうそう見られるものではない。この最初の大会で、ミュージック・シティGPにはすっかり予測不可能な難しいレースという印象がついた。昨年も同様だ。追突の連鎖が起こったり、インに飛び込んでおいて曲がりきれず相手を道連れにしながらバリアに突き刺さる者が現れたり、2年連続でおなじドライバーがおなじ場所でスピンしたりしてコーションが入り乱れるうちに、予選14位に過ぎなかったスコット・ディクソンがやはり絶妙な――もちろん、なかば偶然に絶妙だったという意味である――給油のタイミングを活かして優勝したのだった。あの日明らかに最速だったスコット・マクロクリンはコーションに翻弄され、猛追も届かず2位に終わっている。

 コーションはあくまで不測の事態であって、あらかじめ作戦に織り込む類の要素ではない。それはレースの行く末を反転させかねないにもかかわらず、発生するかどうかまったく予測できず、発生するにしてもいつであるかはけっしてわからない。とはいえ、過去2回を見れば、ナッシュヴィルにコーションの悪戯が襲いくることは容易しえた。GAORAの実況を担当する村田晴郎が「コーションの平均8.5回(要は9回と8回である)」と強調していたのも、もちろん波瀾を想定してだろう。ただ、解説の松浦孝亮がやんわりとコーションに関する「想定」には必然性がないといった趣旨のことを述べていたように、事故が当然に起こるものという予想もまた外れうる。今年のミュージック・シティは、最後となる現コースを惜しむように、整然としたレースを推し進めていった。最初のスタートこそ整列がうまくいかずに1周延期されたものの、いざグリーンとなってからはすべての車が狭いコースを見事に2台並走で戦い抜き、各所の争いが決着すると整然とした1列の隊列を形成した。最初のコーションは14周目まで送られ、それも事故ではなくデイヴィッド・マルーカスのリアウイングが走行中に突然脱落するという珍しいトラブルによるもので、ドライバーが落ち着いて退避区域に逃げ込んだために2周で解除された。そこからなんと55周にわたってレースはグリーン状況となり――昨年は16周目から70周目までのうちほぼ半分をコーションが占めていたのである――、淡々とした、一定のペースで走る展開へと進んでいった。最後にしてようやく、全員が正当な戦いの場に置かれる純粋なレース。そんなレースで着実に上昇してきたのは、春のロングビーチで初優勝を上げたばかりのカイル・カークウッドだった。(↓)

チームメイトのグロージャン(手前)をしっかり追いかけ、ピットで逆転。派手なムーヴは不要だった

 ラップチャートを見ると、マルーカスによるコーションが明けた15周目に4位だったカークウッドは、22周目になるとタイヤが終わったパト・オワードを容易に攻略して表彰台圏内に入り、25周目にはピットストップを行ったマクロクリンと入れ替わりで2位に上がり、目の前のロマン・グロージャンがピットに向かって先頭に立つと、直後に自分も続いた。特別なことをしたわけではなかった。しかし、そうやって全員の作業が一巡してみると、彼はアレックス・パロウに次ぐ2位を走っていたのだった。しかも、パロウがそこにいたのはあくまで早めの給油に活路を見出す変則的な作戦が一時的に成功したおかげであり、フィニッシュまでのあいだに1回の余分なピットストップか極度の燃費走行のどちらかが必要だった(結果的には後者となった)から、具体的な脅威とはならなかった。現に後続よりも5~6周も早く次のピットへ向かったパロウを尻目に労せずして先頭に立ったカークウッドは、それから先、コーションがなく接近戦が少ないレースを悠々と逃げ続けた。それだけといえばそれだけのレースだった。やがて70周目にようやく、予想されたとおりのコーションが導入され、一列に並べ直されたそのリスタートでやはり予想されたとおりに多重事故が発生して「名物」の赤旗に至ったものの、残り10周を切った時間帯のことでもはや作戦を左右する段階ではなく、危険を伴うリスタートにかんしても、先頭こそもっとも事故と縁遠い場所だった。ここまでの余裕の巡航でプッシュ・トゥ・パスをたっぷり残していたカークウッドは、むしろグリーン・フラッグと同時に後続をあっさりと突き放してみせた。そうして、ロングビーチのときと同様、普通に、着実に、80周目の終わりまで先頭であり続けたのである。(↓)

選手権に目を転じれば、パロウ(手前)が苦労しながら3位表彰台。ニューガーデン(奥)との差をわずかに拡げた

 正直なところ、この2勝目についてカークウッドが深い印象を残したわけではない。最初に交わしたオワードはタイヤの状態が悪すぎてまったく勝負にならなかったし、先にピットに入ったマクロクリンやグロージャンに対しては相手が冷えたタイヤで走った1周のタイム差がものを言ってオーバーカットに成功した。コース上でだれかを攻略する必要はなく、うまくやった者が前に出るという展開だったように見える。そうしてひとたび先頭に立ってしまえば、「偶然にも」コーションに邪魔されなかった結果、その地位を脅かされる機会はほとんど訪れなかった。もちろん「うまくやって」リーダーとなるのにも相応の力が必要だし、1~3秒差を持ってきちんとその座を守り続けたのもカークウッドのペースがしっかりと優れていたことの証明ではあるが、同時にまた、30周目にパロウのすぐ後ろにいたドライバーが仮にマクロクリンであったとしたら勝者も当たり前に異なっていたかもしれない、と想像する余地はある。重ねていうと、悠々と逃げたドライバーがそのまま最後まで辿り着いてしまう、それだけといえばそれだけのレースだった。

 もっとも、レースの揺動の小ささとはまったく別に、この2勝目がカークウッドにとってすばらしい価値を持つだろうと思えるのもたしかだ。初優勝の際に書いたように、才能を嘱望されてアンドレッティ・オートスポートの育成コースを進み2年目にしてここまで来た彼は、期待に違わない速さを随所で見せる一方で、つまらないミスや過度な踏み込みでレースをうまく完遂できないことも多いドライバーだった。ロングビーチは、ポール・ポジションからスタートしたおかげで負の側面がたまたま現れないレースだったとも言えるし、「優勝を経験して大きく成長した」といったありがちな言説も当てはまらず、その後もいくつかの事故を引き起こしたりしている。彼が派手に目立つときというのは、たいてい悪い文脈においてだ。この2勝目の価値とは、そういう悪目立ちしがちなドライバーが、予選から速さを継続して楽勝するのでもなく、派手なバトルを綱渡りのように生き残るのでもなく、地味にうまくやって地味に逆転し、丁寧に優勝できたところにある。淡々とした優勝だったが、レースを淡々とこなして結果を持ち帰る立ち回りこそがいまのカークウッドに必要だったと思えば、これ以上のことはなかったのだ。乱雑に思われたレースが整然と丁寧に進み、乱雑に思われたドライバーが整然と丁寧な走りで優勝する。不思議な符合を後にミュージック・シティGPは新しい舞台へと移り、カークウッドはまたひとつキャリアの階段を登っていくのだろう。■

表彰台に立つカークウッドを見つめるアンドレッティ・オートスポートのメンバー。マイケル・アンドレッティ(1列目左から2人目)はこの才能をどう育てるか

Photos by Penske Entertainment :
Chris Jones (1, 4)
Joe Skibinski (2, 3)

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