凡庸な500マイル、不公平な2.5マイル、はるかな数万マイル

【2023.5.28】
インディカー・シリーズ第6戦
第107回インディアナポリス500マイル
(インディアナポリス・モーター・スピードウェイ)

ジョセフ・ニューガーデンについてはじめて書いたのは2014年8月のことだ。インディカー・シリーズで走るようになって3年目、規模の小さなサラ・フィッシャー・ハートマン・レーシングに所属する23歳の若者で、表彰台の経験はあれど優勝には手が届いていないドライバーだった。当時といまのインディカーではずいぶん環境が異なっていて、20代前半でレギュラー参戦しているだけで珍しかったから、もちろん将来を嘱望される存在ではあった。実際デビュー直後のロングビーチでフロント・ロウを獲得したり、別の年のやはりロングビーチでは最終スティントを先頭でピットアウトしたり――どちらも、結局は事故でレースを終えることにはなってしまったが――など、目を見張る場面はいくつも現れていたものだ。2013年のサンパウロで、初優勝を上げたばかりの佐藤琢磨に厳しい防御を強いてペナルティの議論を呼んだ相手がニューガーデンだったのを覚えている人も多いだろう。そうやって才能の片鱗をしばしば見せながら、しかしまだ大勢のうちのひとりという立場であるのもたしかで、どんな経歴を歩んでゆくのか確信は持てていないころだった。予選終了後にサーキットの一般エリアへ飛び出し「ジョセフ・ニューガーデンっていう活きのいい新人がいるんだけど、知ってる?」と自ら観客に聞きまわるテレビ企画に参加したころでもある。だれにも気づいてもらえず、目の前に本人がいるのに「明日は応援してる」と適当きわまりない答えを返されたり、逆に相手のほうから「マルコ・アンドレッティを見なかった?」と訊かれて「さっきあっちのほうで見たよ」と返事をしたりしていた。種明かしで顔写真の入ったポップを見せられてもまだピンときていなかった人もいたほどだ。当時だから成立したが、いまとなっては収拾がつかないだろう。

 9年も昔に去ったミッドオハイオの、特にレース中盤以降に起こったひとつひとつを、わたしはいまだに忘れられないでいる。たとえばフルコース・コーションによって隊列が整えられた後、レースが再開してからカルロス・ムニョスやセバスチャン・ブルデー(彼らの名前も、インディカーに関しては過去になった)を次々に攻略したターン12=カルーセルでのことだ。「回転木馬」と訳すことのできるその名のとおり大きな弧を描くこの中速コーナーで、進入ラインを広く取る相手に対しニューガーデンだけが直線的に飛び込み、空間を制圧するやいなや、円弧を極限の直線に微分するかのように断続的な細かいステアリング操作で駆け抜けていった。45周目と46周目の出来事である。こうしてニューガーデンは2位へと浮上し、今度は先頭を走るスコット・ディクソンの背中を脅かすようになる。そこから先の二十数分もまた、わたしにとっては忘れがたい甘美な思い出だ。燃費走行と速さを両立させる巧みな王者の後ろにぴたりとつき、十数周のあいだ圧力を与え続けた。やがて変則作戦を採用していたディクソンの燃料が先に尽きて給油のためにピットへ向かうと、ニューガーデンは猛然とスパートをかけたのだった。前が開けた瞬間、63周目に記録したファステストラップは、それまでに蓄えていた推進力を一気に開放し、だれが優勝すべきかを明らかにする一周だった。ターン6から8「エッセ」の軽快な切り返し、かと思えばターン9で芝生まで飛び出さんばかりにコース幅をいっぱいに使い切る大胆な旋回。カルーセルをまた断続的に直線で切り取りながら曲がっていく。そして瞬きのあいだに視界から消える錯覚さえ覚える鋭いターン1……それらはすべて、ジョセフ・ニューガーデンというドライバーの才能を、勝利のためにもっとも重要な場面でこそ速さを正しく発揮する得がたい資質を示す、どれだけ称賛してもし足りない、忘れようにも忘れられない、モータースポーツにおいて最高級の、官能的な運動だった。

 このミッドオハイオを失ったのはドライバーの責任ではなかった。今にして思うと、ニューガーデンの才気に比べたとき、サラ・フィッシャー・ハートマンの規模はどうしても小さく、呑気だったということなのかもしれない。3周にわたるスパートでディクソンとの差をたしかに拡げ最後の給油のためにピットへ戻ったニューガーデンを待っていたのは、とても信じがたい落とし穴だった。今まさに停止しようとする自分のピットボックスの中に、なぜかタイヤ交換用のホイールガンが粗雑に放置されて転がっていたのである。ニューガーデンは当然それを踏みつけることになり、車の後ろを回り込もうとした右後輪担当のピットクルーがホースに足を取られて転倒した。静止時間は通常の倍以上である17秒に達し、ピットから出たときにはまた4位にまで後退してしまう。さらにはドライブスルー・ペナルティ――機器への接触に対する罰の基準がいまよりも厳しく設定されていた時代だった――を科せられ、初優勝を掴むはずだったレースは一転して12位に終わった。

 まだ何も成し遂げていなかった23歳にとって、それは残酷なレースだっただろう。しかし同時に、その過程において間違いなく輝かしい未来を想像させるレースでもあった。運動が資質を裏打ちする。これまでも垣間見えていた才能がいよいよ成功に向かって具体的な輪郭を形成しはじめていることを、ミッドオハイオの美しい敗戦は一介の観客に確信させたのだ。当時のわたしはこう書いている。「ニューガーデンのキャリアは順位を拾って満たされるのではなく情熱に躍動して恐れない運転によって印象深く形成されてきた。彼の未来を示唆する本質とはつまり、幸運な表彰台が褪せて見えるほど優れた、無垢なまま煌めく資質そのものである」「ミッドオハイオにおける25分間に、45周目と46周目の華麗なパッシングに、63周目から65周目の圧倒的なスピードによって、ニューガーデンは才能の証明に重要な一文を追加した。あの甘美な時間は現在を裏切りはしたが、未来まで裏切ることなどできはしない。だからいつかかならず、彼にもレースに拒まれることなくチェッカー・フラッグを戴くときが来て、そのときわれわれは無邪気な笑顔とともに祝杯を上げる愛嬌あふれる若者を見るはずだ。あの美しさを思い出すに、あるいは祝福のさかずきに注がれる飲み物は牛乳であるかもしれないが、はたしてどうだろう。いま言えるとすれば、もしそうなったとしてもべつに驚きはしないし、もちろん、きっとインディカーにとっても好ましい物語となるにちがいないと、それくらいだろうか」。インディカーが、モータースポーツという営みがこの運動を裏切るなど、絶対にあるはずがなかった。

 8ヵ月後のアラバマでニューガーデンはターン14での魔法のような旋回(難易度の高い複合コーナーのインを制圧しアンダーステアを消しながら小さく回って眼前の相手を抜き去るその機動は、いまやNBCの実況に “Josef Newgarden move” と呼ばれるほど象徴化した)を携えて初優勝を遂げ、やがてチーム・ペンスキーに見出されて移籍すると、2度のシリーズ・チャンピオンを獲得することになる。わたしにとっては予言が的中したような話だったが、実際はそれほどたいそうなものではなく、ほとんど約束された未来だったのだろう。彼が勝利を積み重ねていく過程にはいつも、あのミッドオハイオに現れたレースの急所を捉えて離さない運動が原点のようにしてあったのだから。2017年のアラバマやミッドオハイオで(またしても!)現れた旋回、高速のオーバル・レースにあってチームメイトとの接触を厭わず追い抜きチャンピオン争いに決定的な優位を引き寄せたゲートウェイ。あるいはつねに他を圧倒し、左へ右へ舞い踊りながら周回遅れを交わしていくアイオワやテキサス。ポール・ポジション回数の意外な少なさが物語るように、予選だけを見ると必ずしも最速のドライバーではないのに、レースの重要な一瞬に最上の速さが立ち上がり、正しい順位へと自らを導く特異な性質だ。レース運びが巧みということともまた違う。最初のチャンピオンを決めた2017年最終戦のソノマでは、まったく必要がないどころか接触によって選手権を失う可能性があるにもかかわらず、優勝争いの接近戦に身を任せてチームから無線で「もういい」と制止された。レーシングドライバーとしての根底にあるのはあくまで優れたスピードで、それを周囲とは異なる場面で情熱とともに発露するのだ。数十回、百数十回と周回を繰り返して落ち着いてゆくレーストラックに熱を供給し、情動を喚起する。その走りに何度心を奪われただろう。ニューガーデンが中心にいたこの数年のインディカーを見つめることが、どれほど幸せだったことか。

 あのミッドオハイオ以来、いくつものすばらしいレースを過ごし、チャンピオンのタイトルも手に入れて、だからインディアナポリス500マイルの優勝者一覧にジョセフ・ニューガーデンの名前が連なる日が来るとずっと信じて疑わなかった。ただ、そんな当然の願いに反して、この世界最高のレースを迎えると彼の存在感はなぜか決まって薄くなった。1回きりの3位はペンスキーへの移籍前に記録したもので、チャンピオンとなった2017年は1周もリードできないまま終盤の多重事故の一員となってしまったし、2019年は速すぎるペースで周回を重ねるチームメイトのシモン・パジェノーを引っ張って燃料を節約させる露払いの役回りを担い、最後に巡ってきたイエロー・コーションが明ける数周の戦いに加わろうにも速さが不足していた。2020年もそうだ。佐藤とディクソンが緊迫した一騎打ちを続ける直後に一度だけ申し訳程度顔を見せただけで、割って入る速さはまったくなく、穏やかなイエロー/チェッカーを迎えたのは5位にまで落ちた後のことだった。ここ2年に至ってはあまり思い出せる内容もない。エリオ・カストロネベスの感動的な4勝目やマーカス・エリクソンが見せた執念の初優勝の陰で、これまでの来歴を照らしてきたニューガーデンらしさはどこにも現れてこなかった。悔む機会さえ訪れず、ただただ凡庸に終わってしまう。ブリックヤードから厭われているとしか思えないほど、いつもインディ500に彼の居場所はなかった。21世紀のインディカー・シリーズ・チャンピオンはみな、そのキャリアのうちにインディ500優勝にも辿り着いたと、わたしはこのブログに何度か書いてきたのだ。だが、ニューガーデンに――わたしが不世出の才能を愛するチャンピオンにかぎっていえば、そう願う気持ちとは裏腹に、歴史の一員になる道筋を見つけることはずっとできなかった。

 それはたぶん、今年も同じだったのだろう。予選はちょうど中央の17位、決勝もそれ相応のスピードだったこの日のニューガーデンは、けっして優勝に値するドライバーではなかった。もちろん過去と比べていいレースをしていたのは事実だ。混戦を捌くことを重視したセッティングなのか、ピットストップの手際もあいまって順位を上げ、優勝を狙いうる位置に潜り込むところにはきた。だが一方で限界も見えた。さらにその先、速い上位集団を制圧して隊列を牽引する力までは備えていなかったのだ。4年ぶりにラップリードを記録したのはようやく157周目で、しかしそれもほんの1周で明け渡して終わった。つまり自ら優勝を掴み取るには足りず、一桁の順位で終えた後に善戦を慰められる程度の、消極的な速さをどうにかして発見したという特性のようだった。インディ500を勝つために必要な最後の一歩が230mphの空気抵抗をすべて受け止めて突き破る推進力だとするなら、彼にそれはなかった。それを持っていたのはきっと、レース序盤を力強く先導したアレックス・パロウやリナス・ヴィーケイやパト・オワードであり、彼らのチームメイトのフェリックス・ローゼンクヴィストやエリクソン、もしかするとディクソンや佐藤であり、あるいは奇跡のお伽噺に手を伸ばしかけたサンティノ・フェルッチであったのだろう。最初のイエロー・コーションが出る90周目のころ、ニューガーデンはせいぜい8番手で、先頭からは5秒ほど遅れていた。

 どうしようもなく遅かったわけではない。だがそのスピードに勝利の可能性を見出すのは困難だった。だが不思議なことに、凡庸なはずのニューガーデンは、にもかかわらずこのレースでひらりと軽やかに上位へ引き寄せられていったのである。行く手を阻むはずの強敵が、むしろ次々と、道を譲るかのように彼の順位を押し上げた。いったい何があったのだろうか、ディクソンは第1スティントの不可解な失速で早々に後方へ回ってしまったし、最終プラクティスでリーダーだった佐藤は見込みよりもペースが上がらず大きな脅威ではなくなっていた。そのうえ、本来ならもっとも優勝に近かっただろうポールシッターのパロウと、同等に争っていたヴィーケイにまで、ありえないトラブルが襲った。最初のコーション中に行われたピットストップの発進でヴィーケイがスピンを喫し、パロウと衝突したのだ。この事故によってヴィーケイには当然ペナルティが下され、完全な被害者としてフロントウイングを落としたパロウはリードラップの最後尾にまで後退して、残りの100周で4位にまで戻ってくるのが精一杯だった。すばらしい挽回だったが、もっとも優勝に近い場所にいたパロウにしてみれば、報われたとは言えないだろう。昨年、レースをリードしていながらピットエントリーでの減速中にコーションが発令されてピットが閉鎖された不運に続く残酷な運命だった。

ピットでの不運によって、パロウはレースを失ってしまった

 勝利を見据えたドライバーが最前線を去り、ニューガーデンはいつのまにか5位、4位へと浮上している。力関係を考えれば期待以上の位置である。たた、それで優勝への道筋が見えたかといえば、まだそうではなかった。代わってレースの中心となったアロー・マクラーレンSPの2人、オワードとローゼンクヴィストは今季どんな条件でも速く、明らかにペンスキーを上回る存在で、ディクソンや佐藤、パロウをなかば失ったチップ・ガナッシ・レーシングは、それでもなおエリクソンを残している。この500マイルにすべてを注いできたであろうフェルッチには、夢を叶えるのに十分なスピードがあった。彼らの集団の中でニューガーデンは主役になりきれてはいなかった。136周目に3位、139周目には2位にまで上がったが、これはあくまでレース全体が燃費を考慮してペースを落としていた時間帯での話だ。書いたように157周目に1周だけリーダーとなったがすぐに抜き返され、ふたたび速度が上がった170周目あたりからはやはり劣勢に立たされているように見えた。181周目のこと、作戦の違う4台を除いて実質的にレースをリードするエリクソンから、ローゼンクヴィスト、オワードまでの3台が間を置かず連なっている。後ろを走るニューガーデンとはしばし距離が隔たっていて、その大きな差が、今年のインディ500における現実なのだろうと、そう考えていた。

 そこから先、最後の20周は、もうレースのことわりを超越した脚本だっただろう。182周目、接近する3台のいちばん後ろにいたオワードがローゼンクヴィストに仕掛けたことで、レースのすべてが変転した。インを厳しく閉めるチームメイトに対し、オワードはコースを区切る白線を踏んで並びかけ、ターン3で逆転する。このやりとりによってローゼンクヴィストはわずかに速度を鈍らせ、たったそれだけの違いでニューガーデンが急追した。繊細なオーバルの妙だ。風景はたった1周前からがらりと変わり、183周目に突入するころには場を争う全員の差が均等になっている。オワードは手を緩めずにエリクソンを攻めたてて交わし、ニューガーデンはローゼンクヴィストのドラフティングを捕まえた。184周目、フロントストレッチの真空で加速したニューガーデンはターン1で外から攻撃的なパッシングを成功させる。その機動によって気流を乱されたローゼンクヴィストはダウンフォースを失い、そのままバリアへと吸い込まれた。制御が利かなくなりスピンに陥ったマクラーレンに、カイル・カークウッドが避けきれず追突する。激突の衝撃でちぎれたタイヤがキャッチフェンスを越えてコース外に飛び出し、車も横転した危機的な事故は幸いにもだれかを傷つける惨事には至らずに済み、しかしレースは赤旗で停止する。そして再開とともに、ニューガーデンの愛してやまない優れた機動がはじめて現れた。3番手で迎えたグリーン・フラッグでエリクソンとオワードのドラフティングに潜り込み、一瞬で外の進路を選択する。ターン1。大外からの高い進入速度で一気にインサイドまで下りてゆき、完全に抜き去る。この日2度目の、優勝へと近づくリードを手中に収めた。バックストレッチまでに大きな差をつけてターン3を脱出しようとしたとき、エリクソンのインを狙ったオワードがスピンし、戦いの舞台から去っていった。

***

 あらためて振り返っても、ニューガーデンが優勝にふさわしい速さを持っていたかと問われれば、そんなことはなかったと答えるほかない。勝つべきドライバーは他にたくさんいた。ニューガーデンのラップリードはたった5周、しかもそのうち3周はコーションラップで、レース状況をリードしたのは最初の157周目と、200周目のチェッカー・フラッグのときだけだった。

 それに、最後のレース運営が公平だったかといえば、連覇を阻まれたエリクソンの言うとおり、そうではなかったと思う。オワードの事故によってレースはふたたび赤旗となり、196周目のリスタートでエリクソンがニューガーデンを再逆転した直後、またしても後方で事故が起こった。もちろんすぐさま黄旗が振られ、もう一度レースを開始するにはもう周回が足りない状況だったのだ。だれもがイエロー・チェッカーだと思った198周目、しかし、3度目の赤旗がスターターズ・スタンドに翻っていた。レースは2周しか残っておらず、赤旗を解除してコースに出してコーションをいっさい挟まずグリーン・フラッグを振り、200周目の1周を戦わせる再開方法しか考えられなかった。普段だったらありえない采配だ。直前の再開の際、リスタートの一瞬でリーダーが替わったとたんコーションとなって隊列が固定された経緯がなければ、あるいはそもそもこれがインディ500でなければ、このような措置はまず取られなかっただろう。イエロー・チェッカーは望まれない、コーションではなくレース状況下でフィナーレを迎えるべきだという大義名分はあるにしても、無条件で受け入れられる判断というわけではなかった。それはある意味で、恣意的な決着の舞台だった。

最後の攻防。勝負を決める200周目のリードを得たのはニューガーデンだった

 だがもちろん、それはコース上の戦いとは独立した問題でもある。運営に対する疑問が運動への興奮を損なうわけではないのも、またたしかだった。いずれにせよ、200周目は戦われることになったのである。エリクソンのリスタートは巧みで、ニューガーデンとの差をわずかに開いてグリーン・フラッグを迎えたのだった。フロントストレッチで左、右、左、右と蛇行し、相手をドラフティングから追い出そうとする。対してニューガーデンは最初の2回こそ後ろについたものの、その後は追従せずにまっすぐ進んでターン1へと向かっていった。それが功を奏したのかもしれない。少し距離は開いたものの十分に速度を乗せて、自分の形でターン1に入れたように見えた。立ち上がりの短い直線を経てターン2――記憶に刻まれる完璧な旋回。少し間を置いて進入すると、コーナーの中間から脱出にかけて加速を緩めず、吸い寄せられるような勢いで接近する。バックストレッチの入口で、すでに背中を捉えた。昨年の最終周ではオワードから逃げ切ったエリクソンだが、この距離を振り払うことはもうできない。左に牽制する。右に振り直そうとしたときにはニューガーデンのノーズはエリクソンの後輪の横に並んでいて、それ以上の防御は不可能だった。外。最後まで外だった。ニューガーデンの加速が勝り、ターン3を制する。エリクソンは反撃に転じようと背後に潜り込む。フィニッシュがターン1ならまた逆転しただろう。ニューガーデンはこの日、最速の存在ではなかった。空気の壁を押しのけて先頭を走る力を持ってはいなかった。だが、200周目は、最後の1周だけは、直線を半分凌げば足りた。ターン4を立ち上がる。コースを外れ、ピットエントリーのほうまで車を振る。右へ。さっきのエリクソンの動きをなぞる。左。ピットウォールにすれすれまで近づいて、勝利は確信された。ほんのわずか先、煉瓦が敷かれたフィニッシュ・ラインの上で、チェッカー・フラッグが振られているところだった。

 500マイルのほとんどが最良ではなく、最後の2.5マイルは少し不公平だった。ニューガーデンのインディ500を、そのように評することはたぶんできる。彼は優勝に値するドライバーではなかったかもしれず、転がってきた勝機を手に取り、チェッカー・フラッグの瞬間に離さず持ったままでいられた、偶然に助けられたヴィクトリー・レーンだったのだと。レースだけを見れば、一面ではそのとおりであるのだろう。パロウ、ヴィーケイ、オワード、ローゼンクヴィスト……彼らが無事に走っていれば、どのようにでも結果は変わりえた。だがそれは本当に「レースだけ」を見たときの、つまりたかが第107回インディアナポリス500マイルという1レースの、たかだか500マイルを切り取っただけの、小さな話でしかない。「500マイルに人生を捧げよ」と、以前わたしは書いたことがある。インディ500に優勝するとは、そのたかだか500マイルをいちばん速く走ることではなく、それまで歩んできたレーシングドライバーとしての道のりをすべて表し、ブリックヤードに祝福されることに他ならない。サム・ホーニッシュJr.も、ダン・ウェルドンも、トニー・カナーンにライアン・ハンター=レイも、佐藤琢磨、ウィル・パワー、シモン・パジェノー、もちろんエリオ・カストロネベスも、過去の勝者はみんなそうだった。みんな、ドライバーである自分をすべてブリックヤードに注ぎ、ブリックヤードはその代わりとして勝利を与えた。そういうレースばかりだった。おなじように今回もまた、招かれたに違いない。ニューガーデンはいつも、レースの勝敗をわかつもっとも重要な場面でこそ速さを正しく発揮し、数えきれない印象的な優勝を重ねてきた。だとすればあの200周目、完璧ではなかったインディ500の最後の1周に見出された運動はまさに、ジョセフ・ニューガーデンのすべてを表していたということなのだ。あのミッドオハイオから――というのは、わたしにとっての始まりでしかないが――9年近くが経つ。ニューガーデンが勝ったのは500マイルのレースひとつではなく、ここまで重ねてきた数万マイルのすべてだった。それはこれ以上ない、すばらしい勝利だったのである。■

優勝を決めたニューガーデンは、フェンスをくぐって観客席へと飛び込む。みなが彼の道のりを祝福した

Photos by Penske Entertainment :
Joe Skibinski (1)
Chris Jones (2)
Paul Hurley (3)
Walt Kuhn (4)

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