グレアム・レイホールが敗北のために刻んだラップリード

【2013.6.23】
インディカー・シリーズ第10戦 アイオワ・コーン・インディ250
 
 
 トルストイを引こうというのでもないが、モータースポーツにおいて勝利は一様なまでに勝利でしかなく、敗北にこそ語るべき瞬間がある場合が多かったりする。名誉なき勝利や栄光を失った勝利がときに生じるのだとしても、結局時間という真実を覆せるものが存在せずに勝者の理屈を速さにしか還元しえないのに対して、敗者はいつも饒舌にサーキットでいかに許容しがたいことが起きてしまったかを語るのであり、それはときに勝者の弁より圧倒的に魅惑に満ちている。もちろんレースの読者たるわたしたちがその権利によって敗北の瞬間を創りだして語るのも悪いことではない。たとえばアイオワ・コーン・インディ250の160周目から181周目にかけてグレアム・レイホールが見せつけた失望までの優れた過程を、数年後に語れるように記憶にとどめておくというように。

 まず勝者について述べておくと、今季の半数のレースを勝利しているアンドレッティ・オートスポートのジェームズ・ヒンチクリフが、チームの好調に乗ったままあらゆる局面を制したことは明らかだった。先週のミルウォーキー・インディフェストで勝利を受け取るに値したドライバーが3人だったとするならば、アイオワではこのカナダ人以外にありえようもなかったはずだ。燃料戦略や燃費の違いでわずかながらエド・カーペンターとジャスティン・ウィルソンに譲ったラップリードはそれでも250周のうちのじつに226周中におよび、今季のすべてのレースで最高となる90.4%の占有率を記録した。ロード/ストリートコースでは2012年デトロイトでのスコット・ディクソンや2011年アラバマでのウィル・パワーなどが全周回1位を達成しているが、オーバルレースで9割もラップリードを占有した近年の例となると、おなじく2011年のテキサスでダリオ・フランキッティが114周中110周を先導したことくらいしか思い出せない。しかしこの記録も「ファイアストン・ツイン275s」という開催名称からわかるとおり通常の距離を半分に割って2レースイベントとして行われた(2013年は「ファイアストン550」だ)うちのレース1でのものだから、完全な距離のオーバルにかぎれば、ヒンチクリフが演じてみせたのはまぎれもなくここ数年類を見ないほどの圧勝なのだった。

 繰り上がりのポールポジションからスタートしたパワーはほとんど何もできないまま抜き去られてただの1周もリーダーの座を守ることができず、ライアン・ハンター=レイはもしかするとヒンチクリフと同等に速かったが、やはりチャンピオンとして認めがたい粗忽なミスでフロントウイングを壊して表彰台に戻ってくるのが精一杯だった。前戦に犯罪的なまでの頽廃さをもって2位にまったく値しない走りしかできなかったポイントリーダーのエリオ・カストロネベスは今回もやはりその程度に終わった。それに比べれば、ヒンチクリフのよどみないスピードは観客を十分に楽しませたことだろう。スペシャルカラーの偶然が重なってやけに黄色い車が多かったショートオーバルの中を、ゴーダディのスポンサーカラーである緑に彩られたカーナンバー27は、その色がレースで意味するところを存分に発揮して駆け巡った。単独で速く、密集でより速いその特性はおよそ空力に敏感なインディカーの理想型を表していたようにさえ見える。周回遅れの集団の隙を縫うようにしてポジションを盤石にしていくさまは、そのラップリードの数が示すとおり、トラックを制圧するにふさわしかった。危機があったとしたら、コースに落ちた破片を回収するため出されたフルコース・コーション明けの160周目、今季何度か良質なリスタートを見せてきたグレアム・レイホールがハイサイドから襲ってきたときだけだった。

 おそらくレイホールにとって、のみならずあるいはどのドライバーにとっても、この日に比類のない速さを誇ったヒンチクリフに対して勝機を持ちえたのは唯一160周目終わりのリスタートだけだった。集団の処理に優れ、直前にもあったコーションを利してその背後2~3秒のところにかろうじて食い下がっていたレイホールは、レース4度目のグリーン・フラッグではじめて、ついにヒンチクリフと並走する機会を得た。加速のタイミングを合わせるのはさほど難しい技術ではなく、レース再開から即座にハイサイドを確保すると直後のコントロールラインではわずかながらに先行する。そこから2周にわたって、2台は高水準のサイド・バイ・サイドを展開した。

 レイホールはアウトサイドを奪うことでわずかながらにヒンチクリフのラインを制限し、その一点だけを強みにするように最短距離を通る相手と渡りあった。スピードを頼みに161周目のいっさいを並びきったこのバトルのうちに、1車身、たった車1台分のリードを築くことさえできれば、レイホールはどんな非難を浴びようとも委細構わずインサイドへ降りていって、ヒンチクリフを乱気流に沈めてしまうことができたかもしれなかった。それは唯一の勝機を前にした限界の苦闘だった。しかし相手の屈託ないスピードを前にその希望は許されず、泡沫のバトルは泡沫のまま、実を結ぶことなく終わりを迎える。162周目のターン4でついに車体半分の先行を許すと立場が逆転し、ハイサイドにとどまりきれなくなったレイホールはラインを譲って2番手に甘んじた。それがほとんど決着を意味することはだれの目にも明らかだった。

 一度控えたレイホールにふたたび仕掛ける機会は訪れなかったが、それでも0.5秒差のうちにとどまってやがて現れる周回遅れに幸運な逆転を託そうとしていた。もしかするとその可能性もありえた181周目のことである。ターン1でヒンチクリフがポールシッターのウィル・パワーに追いつき、あっさりとインを浚って2周遅れに追い込むと、直後のレイホールは得意としていたハイサイドのラインを選び追随を図った。しかし、ハンドリングに苦しんでコースを幅いっぱいに使わなければスピードを保つことができなかったパワーもまた、ターンの出口で外側に向かってラインをはらませていく。2人の進路は交錯するほかなくなり、行く手を遮られたレイホールは事故を避けるためにスロットルを戻してしまう。アンダーステアにも見舞われたり、コース上に散乱していたタイヤかすを拾ったりもしたかもしれない。レイホールは瞬く間に2.4秒のタイムを失い、スピードが著しく低下したその横をライアン・ハンター=レイがなんの苦もなく抜き去っていく。たった一瞬のことだった。しかしその一瞬で抵抗は臨界を迎え、すべてが終わった。

 レースはその後平穏に閉幕する。勝者は結局最後まで緩みなく速く、他のドライバーが手を出せる場面は訪れなかった。集団の中でのバトルを強いられたレイホールは5位に終わり、その結果にはホンダエンジンユーザーの最上位という程度の肩書しかつけられそうにない。記録に残るのはヒンチクリフの圧勝ばかりで、レイホールの奮闘は数週間もすればだれの口にも上らなくなるような、取るに足らない敗北だったと言えてしまうのかもしれない。それでもこの日本当に勇敢に勝利を欲していたのはレイホールしかいなかったと、ここでだけはささやかに書き留めておくとしよう。彼はレースに唯一の裂け目を刻んだ。その刻印はきっと、これからいつまでもわたしたちの記憶を呼び起こしていくきっかけになるはずだ。最終結果を見るがいい。160周目にたった一度だけ記録されたラップリード、グレアム・レイホールが傷をつけた抵抗のラップリードこそ、このアイオワのすべてだったのである。

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