佐藤琢磨が引き戻したインディカー、あるいは楕円の中に敗れるということ

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【2013.6.15】
インディカー・シリーズ第9戦 ミルウォーキー・インディフェスト
 
 
 135周目にレースリーダーの佐藤琢磨が迫ってくると、その位置を走っていることには違和感を禁じえなかったほどスピードがあったはずのエド・カーペンターは、勝機の喪失を意味する周回遅れの淵から逃れようと背後のA.J.フォイト・レーシングに対して抵抗を試みた。シボレーエンジンはほんのわずかながらホンダに対してストレートに優位があったように見え、ミルウォーキー・マイルが低いバンクで構成される抜きにくいショートオーバルコースであることも相まって、カーペンターはハンドリングに優れるこの日の最多ラップリーダーの攻撃を何度となく跳ね返した。劣勢の溝を埋めるフルコース・コーションをひたすらに切望するそのディフェンスは、結局152周目に犯したアンダーステアによって大きな減速を余儀なくされたことで実らなかったものの、それでもじつに17周にわたってリーダーを抑えこむことになる。佐藤の側に立てば、ここで3~4秒のタイムを失ったことが、直接的ではないにせよ、レースの大部分で最速だったにもかかわらず最終順位は7位にとどまった一因となった。たとえばこの5分強の時間をミルウォーキー・インディフェストの結果を左右した出来事のひとつとしてとりあげることは、さほど難しくない。

 リードラップを主張するリーダーに対して、エド・カーペンターはポジションを譲るべきだったのか。そうだれかが非難まじりに問うたとしても、意味のあることだとはいえないだろう。カーペンターはインサイドを窺う佐藤へと車体を寄せてラインの自由度を奪い、おそらくスロットルを緩めたりもしなかったはずだが、また進路を直接ブロックする、いわゆるチョップと呼ばれるような挙動を見せることもなかった。場所がオーバルであるかぎり、1周分の差をつけられた相手に対する態度としてそれは厚かましくはあっても不当ではなく、レースは厚かましさだけを理由にドライバーを罰することはない。乱気流に過敏に反応してしまう佐藤の車はオーバーテイクに向いているとはいえず、カーペンターを自力で周回遅れにする術を見出せなかった。遅い車を勝負の圏外へと追いやるのをリーダー自身の責任とするならば、勝てるはずだった佐藤の最終的なポジションはそれを早々に果たせなかった失敗に対するささやかな報復を受けた結果にすぎない。そしてまた、その敗北は特別に悔やまれることですらない。同様にオーバルの勝利を逸してきた中途のリーダーはこれまでに何人もいた。インディカー・シリーズではよくある光景で――よくある光景? 無邪気にそう書いてしまうことを躊躇し、戸惑いに自覚的になる必要があるはずだ。あるべき景色をこそ拒みつづけてきた2013年のインディカーをだれが読むかもわからない文章で記録しておく意味があるとすれば、見られなくなってしまったそんな場面を丹念に拾い集めて書き留めることでしかないのだから。

 伝統のインディ500をトニー・カナーンが制し、エリオ・カストロネベスが(車両違反の裁定を下されながらも)ハイバンク・オーバルのテキサスを圧勝した。ロード/ストリートコースで荒れ続けたシリーズが一方でオーバルコースによって沈静化されるように揺らいでいることは、インディカーを作る原型がいまだ楕円の形をしていると示唆しているかに見える。このことが保守性の凝集を意味しているのだとすれば、ミルウォーキー・インディフェストで起こった何もかももまた、そこが最も古いレーストラックであるという歴史や、マイケル・アンドレッティがその情熱によってプロモーターを引き受けて開催を復活させた経緯にふさわしく、オーバルにとって、つまりはインディカーにとってありうべき出来事だったといえるだろう。それどころか、目の前にむき出しのポルノを置かれたかのごとく象徴的な場面を突きつけられて、あまりの露骨さに少しうろたえても不思議がないくらいだった。この日勝利に値したのは3人だけ、マルコ・アンドレッティとライアン・ハンター=レイ、それから佐藤琢磨で、ひとりは残念ながらトラブルのために降り、ひとりは実際に勝利し、ひとりはオーバルによって敗北した。昨季のチャンピオンが他を寄せつけないスピードを誇った最終スティントは、速かった事実を称えればよいだけだから、とりあえず措こう。それよりも、勝つべきドライバーのひとりがまさに楕円の中に敗れ去ったことをこそ、絶え間ない問い直しにさらされてきたインディカーの観察者は称揚すべきではないか。遠方の視線を意識した舞台俳優のように大仰な身振りで、見ているほうが怯むほどあからさまにオーバルの敗北のすべてを演じきってみせた佐藤琢磨をこそ。

 エド・カーペンターの抵抗によって5秒以上のリードを吐き出した佐藤琢磨は、直後のピットストップを終えるとふたたび後続を引き離したが、周回遅れの隊列に追いついた183周目に強いルーズに見舞われてクラッシュしかかった。リーダーの座を失いはしなかったもののすでに車はバランスを欠きつつあり、そこまで95周をリードしたスピードには翳りが見えはじめていた。A.J.フォイトのストラテジストであるラリー・フォイトがひとつの決断を下したのだとしたら、198周目にライアン・ハンター=レイにパスされたときだろう。それは賭けに近かったはずだ。200周目、だれよりも早く佐藤をピットへと呼び戻し、バランスを直すべくフロントウイングを調整してコースに送り出したとき、レースはグリーン・フラッグの状況下で行われていた。同じ条件で進行すれば最後には帳尻が合うと考えるのは楽観的だったかもしれず、やはりギャンブルに身を委ねるにはライバルのピットタイミングは遠すぎた。佐藤に追随するものはいないまま、はたして210周目、アナ・ベアトリスの単独クラッシュがフルコース・コーションを導いて、ほかのドライバーはスロー走行のなか悠々と最後の給油を行う。レースが再開された220周目に佐藤がいたのは、周回遅れの集団に囲まれた7番手の位置だった。

 最後のピットストップを通常どおりに行えなかったことは、それだけで弱さだったということはできる。だがカーペンターに引っかからなければ集団に追いつくタイミングも変わって、183周目のミスはなかったかもしれない。その2つの問題で合計10秒近い時間を失わなければハンター=レイの追撃はもう少し遅くなり、最後のピットをほかと揃うまで我慢することで1対1のリード勝負に持ちこめた可能性もまた高かった。いわばひとたび周回遅れを処理しそこねたことでミスが起こり、ピットのタイミングを狂わされ、コーションの罠に誘導された、佐藤琢磨が優勝を逃したのは、そういうレースによってだった。

 しかしこれほど正当で魅惑的な敗北がどのくらいあるというのか。ポルノのように露骨に、佐藤はオーバルでの負けかたを示しきった。すなわち弱者の抗力に翻弄され、緑の地平へとゆくりなく飛びこんでしまい黄に能わない――よくある光景だと書いたように、オーバルで負けるとは、オーバルで正しく敗者になるとは、そういうことなのだ。勝利に値していた佐藤はオーバルの構図の中に踏みこんでいくことでレースに敗れ、またその意味においてミルウォーキーで敗北に値したのは佐藤だけだった。実際、このレースをほかのだれが負けえただろう。表彰台に登ったエリオ・カストロネベスもウィル・パワーも、優勝したハンター=レイのチームメイトも、気づけば1桁の順位にいただけのチップ・ガナッシの2人も、敗れ去る資格などいっさいないまま、ただ自分の場所でレースを終えたにすぎない。最後のリードラップを構成した彼らの姿はほとんど不愉快なほどに頽廃的で、インディカーを掬いあげる役割を果たすことはなかった。ただひとり、オーバルの敗北すべてを――ありうべき形で、あからさまに――引き受けた佐藤だけが、その任を担ってみせたのだった。

 この結果が意味するところを探るとすれば、おそらくこういうことだろう。たとえば、佐藤琢磨を嫌いと公言してはばからないある人は、(それがいかなる角度においてもブロックではなかったというこの記事と共通の見解を有しながらも)エド・カーペンターの抵抗を「正義の鉄槌」として、インディカーを表象しない日本人ドライバーからシリーズを救ったと捉える立場が存在するだろうと述べる(「成長した三人。そして二人の面接官」『モタスポ板住民のまよいまいまい』2013年6月17日付)。だがそこに起きたのがあるべき姿の表出なのだとすると、カーペンターと佐藤は対立ではなくむしろ意図せぬ共犯関係にあったといわなければならない。佐藤は周回遅れに抗われた最速のリーダーとして、カーペンターは厚かましくリーダーをさえぎる弱者として、互いにインディカーの見慣れた光景を立ち上らせ、敗北をも演出した。頽廃に呑まれかけたこのレースを救ったのは一方的な正義の裁きではなく、2人が無自覚のうちに共謀した振る舞いにほかならない。そしてそこに象徴的な瞬間を見るのであれば、もう佐藤を異邦人として扱えるはずはないのだ。オーバルで負けるとはそういうことなのだと、もういちど繰り返すことにしよう。正しい敗者を放逐することなどできはしない。ロングビーチの勝利よりサンパウロの苦闘より、ミルウォーキーの軽やかな敗戦こそ、佐藤琢磨とインディカーの融和をなによりも証明したのだというべきなのである。

 このミルウォーキーは今後への示唆をあらわしていただろうか。車の性能がどうなるかなどわかるはずもないが、少なくとも精神性についてはそうだったと肯けよう。正しい敗者となったことで、佐藤琢磨は浮ついたトップ5でなく、正面のコンテンダーとしてインディカーのリストに載った。10月のフォンタナが終わったときにまさかポイントリーダーになっているとしても、われわれがそれに驚くべき理由はもはやたしかに減っているように見えると、いまはささやかに付け加えておくべきかもしれない。

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