ついに下された罰によって閉幕は彩られる

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【2013.10.5-6】
インディカー・シリーズ第17-18戦 ヒューストンGP
 
 
 週末を費やして行われた2レース連続イベントの2日目もまもなく終わろうとしていた90周目の半ばに不運にも事故に見舞われたチップ・ガナッシのダリオ・フランキッティが一足早く2013年の舞台から退場してしまったことで、どうやらインディカー・シリーズは役者を一人欠いて最終戦を迎えることになったようだ。ターン5のフランキッティが、いくつかのミスによってタイヤのグリップを失い速度を落としていた佐藤琢磨のリアに乗り上げて宙を舞ったさまは、2010年インディ500のやはり最終ラップにマイク・コンウェイを襲った危機的な事故をじゅうぶんに思い起こさせたが、観客にまで被害を及ぼすほどの勢いでフェンスをなぎ倒したDW12を運転していた彼が負った怪我も脳震盪と脊椎および右足首の骨折という、コンウェイにオーバルレースからの引退を意識させるきっかけになったのとおなじくらい重いものだった。インディカーではこの種の事故が不可避の可能性として存在するということが、結局あっさりと発生した現象によって証明されてしまったということだろう。全開で駆け抜けるべきコーナーで失速した前走車に乗り上げ車体が空へと飛ばされるのはまさしくコンウェイの事故に酷似しており、また2011年にラスベガスでダン・ウェルドンの身上に降りかかった災厄も同様の場面から訪れた。2人は高速のオーバルレースで大きな事故に遭遇したが、皮肉なことにヒューストンのターン5の様相は、曲がりの左右と見通しの悪さを別にすればどことなくオーバルコースの一部のようでもある。悲劇を繰り返さないために設計され事故死したウェルドンの名を冠した「DW」なるシャシーでさえ、高速下での危険を遠ざけきれるものではなく、安全のために不断の努力が求められるという当然の教訓を、今回の事故はあらためて示唆した。すべての命が無事だったことを、ひとまず最低限の果報として喜ばなくてはならない。

 しかしそうした安堵を前提としたうえで、最大の被害者に関しては、もしかしたら、という気持ちが湧きあがりもする。所属するチップ・ガナッシの復調に歩調を合わせることができず、速さがチームメイトのスコット・ディクソンのほうに集中するなか、ヒューストンの週末もまたダリオ・フランキッティのものにはならないまま、畢竟日曜日の最終ラップが最悪の週末の締めくくりとして最悪の形でもたらされた。事故は紛れもなく不運だったと言えるが、しかし思い返してみるとそれを除けばいつもどおりのフランキッティでしかなかったと言えてしまう程度のレースだったのもたしかだ。実際、今季の彼はこんな走りを虚しく反復している。ペースをうまく作ることができず、ときになんでもないコーナーでスピンを喫し、周回遅れにさえ追い込まれた2日間は結局2013年をわかりやすく象ったにすぎない。どんなドライバーにもいずれ訪れる衰えの証拠のような場面ばかりを印象づけられて、昨季のF1で何度も確認することになったミハエル・シューマッハのいささか寂しい落日さえ連想させる今の姿を見ると、近い未来のことが気にかかるようになってくる。たぶん、今回の怪我が治るまでチップ・ガナッシは快くシートを空けておいてくれるだろうし、その猶予が与えられる、特別扱いが許されるだけの実績を彼は積み上げてもいる。だが偉大なる4度のシリーズ・チャンピオンは、2014年のシーズンに戻ってくるだけの気力と、体力と、そしてなによりも重要なスピードを、まだ保ちつづけることができるだろうか。やはり背中を痛めて棒に振った2003年の場合は何事もなく翌年に復帰してみせたものの、もう10年も前の話で、すでに40歳を過ぎたいまがキャリアの晩年に差し掛かっていることは疑いようもない。2週間後の最終戦が、彼の永遠の不在に慣れておくためにゆくりなく用意された予行の場になったとして、それをだれが否定しうるだろう。

 いや、もとよりわれわれはこの1年間を通して、ちょうど2度目の引退を迎えるまでの3年のあいだにシューマッハの移ろいを受け止められるようになったかのごとく、フランキッティとの日々に別れを告げる覚悟を徐々に固めるように仕向けられていたのかもしれない。今回の事故にしたところで、そもそも佐藤に「追突」するような場所を走っていた事実、チャーリー・キンボールでも、もちろんディクソンでもなく、フランキッティ自身がチップ・ガナッシ勢の最後尾だった事実、そしてなにより、その状況を異常と認める理由もさしてない事実が、われわれのフランキッティに対する態度が変わりつつあることを雄弁に物語っている。役者を欠いたと記してはみたものの、はたして降板の憂き目にあったその役者が演じられたのが一流の芝居だったと断言することには、もう少し慎重を要するようだ。かりに怪我を負うことなく最終戦のグリーンフラッグを迎えていたとして、しかしついにポイントリーダーとなったチームのエースを強力に援護する走りなどとうてい期待できなかったと推測することは、この一年をあらためるとごく自然なことでもある。快方を願う心とはまた別の次元の問題として、選手権に目を転じればフランキッティの離脱はその帰趨に良くも悪くもたいした影響を与えそうにない――慣れない車を運転することになる未知の代役とさほど変わらない働きしかしないだろう――と、そんなふうに思えてくる。結局のところ、2013年の選手権にフランキッティが顔を出す資格を有しているはずもなかったのだ。

 あるいはフランキッティが退場を余儀なくされたそのレースでペンスキーのウィル・パワーがディクソンを抜き去って勝利し、シーズンへの実質的なとどめを食いとめる献身をみせたが、それにしても事実この1ヵ月間のパワーはおそろしいほど「献身的」だった。彼が、いくつかの犠牲(それは相手方にとっての不運にすぎなかったと、ここでは上品に片付けておく)を伴ってディクソンから奪い去ったポイントは40や50で足りるものではない。パワーの走りに寄りかかることでチームメイトのカストロネベスは選手権を延命し、勝利から遠ざかるようなレースの反復を罰せられることなく逃げ延びてきた。功罪相半ばする結果をもたらしたそのスピードは、過去数年にわたってそうだったように、ペンスキーのエースは本来パワーにほかならないことを意味しているはずである。おそらく来年になればまた本命としてシリーズに戻ってくるだろうが、しかし今季に関しては手遅れになってしまったようだ。自らの立場を知りチームメイトに尽くしたものの、あまりにあからさまな献身に優れすぎていたことも彼にとって不幸だったかもしれない。選手権の資格という意味ではフランキッティとなんら変わることなく、パワーもまた最終戦の傍観者とならざるをえなくなった。結局のところ、選手権を争っているのはスコット・ディクソンとエリオ・カストロネベスということなのである。フランキッティの退場もパワーの献身も刺激的な事件ではあったが、みな早々に過去の出来事となって、われわれの10月19日は2人を見守るためにこそ訪れるのだろう。

***

 過去に繰り返し書いてきたように、リスクを避けるだけの運転に囚われつづけてきたカストロネベスの怯えは、ヒューストンの2つのレースで今季一度も起こっていなかった車輌トラブルが続けざまに発生し、シーズンの半分にわたってしがみついてきた選手権首位を土壇場で明け渡すという、おそらく自身にとってほぼ最悪に近い形で報いを受けた。いまだ座り心地を知らないチャンピオンの座にひたすら固執し、ディクソンとの得点差を計算しながら逃げ切ろうとする矮小な企みはすでに潰えてしまっている。だが言うまでもなく、ライバルの4勝に対し自分はひとつしか勝っておらず、9月にチップ・ガナッシを襲った陰謀めいた不運さえなければとうに決着していたはずのシーズンである。そのうえリーダーとしてあるまじき頽廃の報いさえ、寛大にも最終戦の前に再逆転の可能性を残して与えられたのだ。前回の記事で願ったように、カストロネベスは頽廃から脱却する機会をついに得たのである。これほどの恩恵に与った彼に最後くらいは自分自身を擲って攻めに転じることを望んでみるのもそれほど贅沢な要求ではないだろう。彼はいよいよ自分しか依って立つものがなくなっている。ここに至ればチームからの援護など意味はないし、そもそも決着の舞台となるオーバルコースでは同僚のパワーにもこの数戦のような走りを期待するわけにはいかない。またあるいは立場を変えてディクソンを見ても、信頼に足るチームメイトを(フランキッティの在不在にかかわらず)抱えているわけではなく、自力でカストロネベスから逃げきれる場所を走りつづけることが求められよう。2013年のインディカー・シリーズは、最終戦を前にカストロネベスが罰せられたことで、ついに選ばれた挑戦者がおたがい自らの力を頼みに戦うよりほかなくなったのだ。

 ヒューストンを終えた時点で、ディクソンとカストロネベスには25点の差がついた。追う側が優勝しても逃げる側が8位以下に沈まなければ逆転しないこの点差はもちろん簡単ではないが、しかし最終戦のフォンタナ・MAVTV500が3ヵ月ぶりのオーバルレースであることはカストロネベスにとっていくぶん明るい予定だろう。彼自身唯一の勝利であるテキサスがオーバルだったことはもちろん、シーズンの半ばごろに集中して開催されたオーバルレースはほとんどカストロネベスが使うシボレーエンジンのチームに席巻され、ディクソンの使用するホンダエンジンは特殊なレイアウトのポコノを燃費レースに持ち込んで攫っただけに終わっている。オーバルにおける今季のディクソンの平均順位12.0位は、たとえ計算のなかに彼の復調後の成績がほとんど含まれていないとしても、あるいはという可能性を感じさせるはずだ。しかもオーバルレースはともすれば一度の失策が即座にリタイアに結びつく。ディクソンがなにか取り返しのつかないミスを犯すことも――他のドライバーに対して期待するより遥かに楽観的な願いではあるが――ないではない、といったほどの材料を揃えれば、カストロネベスも最終戦まで多少なりとも希望を持って過ごすことはできる。

 最終戦である。なにもカストロネベスの肩を持つつもりなどなく、もちろん小さくないリードを築いたディクソンが優位にいるのは明らかだ。ただ、追う側に回ったカストロネベスが、困難ではあるが現実に逆転への道をイメージできるほどの状況下でレースを迎えられるのだということをあらためてわかっておくのは有益だろう。最終戦に問われるのはダリオ・フランキッティの退場でもウィル・パワーの献身でもなく、もはやエリオ・カストロネベスとスコット・ディクソンという偉大な2人のドライバー自身の覚悟、選手権を貫く意志だけになった。それは悠長な立場で眺めるわれわれ観客にとってなによりも幸いなはずだ。おたがいの意志が協奏し、フォンタナの楕円のなかに美しい閉幕を見せてくれるとすれば、乱れに乱れたこのシーズンの締めくくりとして、いくばくかの満足を得られるはずである。

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