エリオ・カストロネベスの敗北は、最後に現れた讃えられるべき真実となった

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【2013.10.19】
インディカー・シリーズ最終戦 フォンタナMAVTV500
 
 
 フォンタナという土地の名前を見るたびに、若いまま時を止めたあのカナダ人ドライバーを思い出さずにいられない。そのときわたしは高校生で、あまり気乗りしない大学受験に本当ならかかずらわなければならないはずだったのに、F1と、当時アメリカン・モータースポーツの中心として隆盛を誇っていたCARTだけは欠かさず観戦する生活をやめられず家族に諦められていた。その中継をライブで見ていたかどうか、そもそも日本で生中継されていたのかも定かでないが、インターネットはたいして普及しておらず、F1以外のモータースポーツの情報など一般ではほとんど手に入らなかった(ましてわたしの居住地はお世辞にも都会とはいえず、同級生に「カート」の魅力を語ろうにもkartの意味でしか理解されなかった)時代の話である。タイムラインなんて言葉に新しい意味が加わる未来など知る由もなく、ニュースもなにも伝わっていないなかでの観戦だったのだから録画中継だったところで大きな違いがあるわけでもないだろう。その瞬間の映像は、もしかすると後年になってYouTubeなどで見た記憶と混同さえしているかもしれないが、当時のわたしの落胆だけは本物に違いなかった。のちにあらためて確認したところによると、どうやら現地時間では10月31日の出来事だったらしい。1999年のCART、やがて運営が破綻し曲折を経て現在のインディカー・シリーズへと合流することになる昔日のカテゴリーの、最終戦が行われたのがフォンタナだった。

 1997年ごろからCARTを見るようになったわたしにとって、フォーサイス・レーシングの水色(濃い青のときもあったかもしれない)の車は英雄的な印象を伴って記憶のなかにとどまっている。コースをワイドに使って狭いストリートコースの壁ぎりぎりを掠め、オーバルレースで臆することなく狭いスペースへと飛び込んでオーバーテイクを成功させてしまう勇敢な走りは、ドライバーの若さに想像する未来の大きさとも相まって、アメリカのレースについてなにも知らない高校生の心を捉えて放さなかった。チームやイルモア・エンジンの戦闘力はけっして高いとはいえず、またリタイアも少なくなかったものの、それでもいくつか目撃する機会に恵まれた勝利はやがてシリーズ・チャンピオンの順番が回ってくることを疑わせもしなかったはずである。残念ながら観客に不幸が起きてしまったレースではあるが、たとえば1998年のミシガンU.S.500を思い出すのも悪くない。残り3周か4周あたりでアレックス・ザナルディとの2位争いを制し、最後はジミー・バッサーとの激しい攻防となったあのレースだ。おたがい一度ずつの抜き合いを演じた首位攻防は残り2周のターン3でバッサーが見舞ったチョップによって決着を見たかと思われたが、進路をカットされて陥ったアンダーステアに構わず加速を続けてドラフティングに入り直し、ホワイト・フラッグ直後のターン1でまたしてもインサイドに飛びこんで先頭に躍り出た。これがグリーン・フラッグから数えて63度目のリードチェンジだったことが、なによりもレースの激しさを物語っていよう。ファイナルラップに入ると、バックストレートで逃げるように蛇行しながら先頭を守って、ついにはその年の選手権で1位 – 2位を独占した赤いチップ・ガナッシ・レーシング勢を従えたままチェッカー・フラッグを受けたのだった。フォーサイスのピットクルーたちが歓喜の輪をつくった、通算すると4度目となる優勝の一幕である。その後1999年にファン=パブロ・モントーヤが突如としてチップ・ガナッシのシートを獲得し瞬く間に勝利を重ねていったが、衝撃的な新人の登場すらわたしの贔屓を揺るがせはしなかった。2000年からはチーム・ペンスキーをドライブすることが決まって、ついにチャンピオンとなる瞬間を待つだけになったように思えたものだ。

 その1999年、フォンタナの前に不注意から手の指を骨折していたにもかかわらずステアリングを握ったのは、4年を過ごしたチームと最後のレースの時間を共有したいという愛情の表れのようなものだったらしい。走りに似合わず好人物とよく評されていたことを窺わせる逸話は、しかし美談で終わることなく、それが直接な原因とも思われないが結果的に悲劇の呼び水となった。カリフォルニア・スピードウェイ、いまはオート・クラブ・スピードウェイと呼ばれるトラックでのレース序盤の出来事だ。リスタートの混戦のなか壁に接触したフォーサイスはスピンに陥ってインフィールドへと落ち、直後に芝生の段差に捕まって錐揉み回転しながら、設置してあったフェンスにコクピットの開口部から激突した。跳ね返った車はなおも勢いを緩めず地面に叩きつけられるうちに四輪が吹き飛び、リアセクションも完全に破壊されて、コクピットブロック以外はまったく原型を留めず失っていた。事故の瞬間を追っていたテレビカメラがいったんドライバーの様子をアップにしようとしたが、すぐ何かを察したようにロング映像へと引いていったことが危機的な事態を予期させたはずである。その報が伝えられたのはレースが終わってからのことだった。優勝し大逆転で新人チャンピオンを勝ち取る偉業を達成したはずのモントーヤの表情に悲痛さだけが浮かんでいて、それはいまでもわたしが彼について思い出すときの第一の場面となっている。記憶はそんなふうに周辺へと飛んでいくものだ。日本に住むひとりの高校生が愛してやまなかったグレッグ・ムーアは、広く知られるとおり姿を消した。

 事故の翌年、ムーアの死によって空席となったペンスキーのシートにはエリオ・カストロネベスが収まり、両者の関係はいまに至るまで続いている。優勝のときにフェンスによじ登って喜びを表現することで有名な「スパイダーマン」は、アメリカのオープンホイールレースの中心がCARTからIRLへと移ろい、やがてインディカー・シリーズへと統合されていったこの14年の間に28の勝利を重ねた一方、シリーズ・チャンピオンの可能性を持った最終戦で4度敗れ去ったのを含めて一度たりとも年間の勝者となることはなかった。そういう経緯を振り返ってみると、もしムーアにペンスキーを運転する機会があったならとさえ言いかねないが、もちろんもはや記憶として語るべき過去を置き換える仮定に意味はないし、ましてその後の歴史を作ってきた人々に対して礼を失した態度でさえあろう。ただ、最初はまぎれもなくムーアの代役としてペンスキーのシートを得たカストロネベスが、いまだチームを替わることのないまま5度目の王者決定に挑む2013年の最終戦の場所があのときとおなじフォンタナだという巡りあわせに、もしかしたら乗っていたはずのドライバーの思い出が色濃く蘇ることになったのだと、たんにそれだけのことである。強いて言えば、わたし自身がムーアの走りを現代のアメリカのなかに追い求めている部分はあるのかもしれない。古き良き時代というにはまだ近年に過ぎるとはいえ、わたしにとってのムーアは、ヨーロッパの洗練とは異なるアメリカのレースの精神性、すなわち決然たる意志と勇気をもっとも具象した存在だった。それがフォンタナにふたたび立ち現れることを期待したのは、いくつかの符合が生んだちょっとした感傷である。

***

 4度にわたりすんでのところでシリーズ・チャンピオンを逃してきたエリオ・カストロネベスは、おそらくゆえにこそ、だれよりそれを悲願として切望し、今季実際にその可能性が現実のものとして大きくなっていくと、地位に固執するかのように本来引き受けるべきリスクさえ冒せなくなっていった。テキサスでの勝利によってポイントリーダーになった6月以降の彼の運転をわたしは何度か頽廃的と評したが、つねに順位なりの走りで安全を図り、後半戦の直接の敵となったスコット・ディクソンを襲った不運にひととおりの満足を得てレースの週末を終えるその姿は、およそシーズンを制するに相応するものではなかった。

 もちろん、チャンピオンのために安定した結果を求めることのなにが悪いのかという見解はありえよう。だがそれは競技者が依って立つ論理であって、観客に徹するわれわれが選手権ポイントという数字のゲームに配慮し、ドライバーの立場に同一化する必要などありはしないはずである。得点表を眺めて一喜一憂する観客がいるとしたら、そこに見ているのはレースではない別のなにかだと断言してもよい。競技者の目的がチャンピオンというたったひとつの場所を占めることだとするならば、観客の特権はそんな思惑を軽やかに躱し、たったひとつのブレーキングを、コーナリングを、レースの一瞬だけを見届ける視座を持てることにある。観客にとっての選手権の意味とは、競技者がそれを欲さざるをえないゆえに発する意志によってより鮮やかなレースの一瞬を認められることでしかない。われわれはいつだって数字の計算を捨て去りレースを「ただ見る」権利を行使できる。安全を求めるカストロネベスは、結局のところ観客のこの権利とまったく対立したわけなのだ。4ヵ月間の彼が観客からの非難に値するのは、選手権という形而上の怪物に踊らされて、足元のレースを、眼前のコーナーを敢然と戦う意志を失っていたからにほかならない。そうやって「観察」という観客の特権を剥奪してしまった頽廃こそ、彼がこの間に犯した深い罪だったのである。

 フォンタナが美しいレースとなったことで、その思いはよりいっそう強くなっている。カストロネベスがヒューストンで4ヵ月の報いを受けるかのごとくスコット・ディクソンの逆転を許したとき、同時に罪を贖う機会が与えられたのだとも予期されたが、まさに25点の差を負いふたたび首位を取り戻さなければならなくなった彼は、とうとう最終戦で今年唯一と言っていいほどの強靭な意志に貫かれた走りを繰り広げ、のみならず自らの情動をトラック全体に伝播させることで、過去の頽廃の一切を洗い流してみせた。レースのほとんどをトップ5圏内で走り、しばしばラップリードを記録しながら、壁への接近もタイヤが接触せんばかりのバトルも厭わないその精神が、やがて具体的な熱量を伴ってディクソンへ、さらに他のドライバーへと広がって、ナイトレースの闇が深まるオーバルコースの中に今季類を見ないほどの絶え間ない緊張をもたらしたことは明らかだった。上位を走るカストロネベスはレース中何度となく仮想ポイントでディクソンを逆転し、それに呼応するようにディクソンも接近戦に身を投じて順位を上げていく。選手権を担う2人の意志が奔流となってトラック全体を覆い尽くし、利益と背中合わせのリスクのせめぎあいが空間を支配するまでに、さほど時間は要さなかったはずだ。レースが終盤を迎えるころには、この日起きたなにもかも、数度にわたる大きな事故や多くの車を襲ったオーバーヒートのトラブルさえ、あたかもカストロネベスが発しディクソンが増幅した熱量によって引き起こされたのだと思わざるをえなくなるほどだった。そのように錯覚させるだけの魅惑的な重力を作り上げた2人の戦いは、スタートから3時間、実に220周以上にわたって続いていた。

 たとえばこんな場面である。トニー・カナーンとのサイド・バイ・サイドを戦い、内側から弾かれて壁際にまで追いやられながらも立てなおして右足を緩めなかったカストロネベスの88周目の素晴らしさはわれわれが今季向けられなかった敬意の対象となり、スコット・ディクソンがウィル・パワーとチャーリー・キンボールの後方からほとんど内側の白線を踏みつつ3ワイドに持ち込んで抜き去った216周目は、アイスマンと呼ばれる冷静な男の、選手権だけを考えればほとんど無用なはずの冒険が成功した瞬間として記憶しなくてはならなくなった。そしてまたその直後、カストロネベスが敢然とディクソンとキンボールに襲いかかり、直接のライバルを乱気流に沈めてまたしてもシリーズの主導権を握りかけたときには、心のうちに湧き上がるのはもはや陶酔だけになっていた。ドライバーの意志と観客の視座がこれほど完全に混交されるレースなどそう生まれるものではない。尽きることのない勇気の衝突に、2013年がすべて満たされていくように思われた。

 それほどに過熱したレースに終わりを望みたくなくなってきたころ、しかし決着は唐突に訪れる。惜しいながらこの文章も閉じる準備をしなくてはならない。完走台数が減少したために逆転の可能性を優勝にしか求められなくなっていたカストロネベスのフロントウイングが突如として脱落した瞬間が画面に映し出されたのは、すでに全車が最後の給油を終えた後の225周目のことだ。緊急のピット作業を余儀なくされて1周遅れに後退した彼がふたたびリードラップに戻る道は完全に途絶え、当然に勝機も潰えることになる。ほどなくディクソンのエンジンもオーバーヒートの兆候を示してレースを戦うスピードは失ったが、仮にそのリタイアをもってしても、すでに25点の得点差を覆すことは不可能な状況になっていた。レースの終わりは得てしてこういうものだ。カストロネベスを襲った今季最後の不運によってゆくりなく精神の昂揚を断ち切られた2013年のインディカー・シリーズは、直後にセバスチャン・ブルデーの単独事故とチャーリー・キンボールのエンジンブローによって2度のイエロー・フラッグを頂き、最後にはウィル・パワーの予想されなかった2年ぶりのオーバル優勝を余韻として思いがけず静謐な終幕を迎えた。

 1年の締めくくりとして、すべてのレースを記してきたこの一連の記事にもいちおうの結論を決めておくべきだろうか。カストロネベスは敗れ去り、畢竟歴史にはスコット・ディクソンの3度目の戴冠が記録されることになったが、終わってさえしまえば、ごくごく自然な、そして歓迎すべき結末に収まったということなのかもしれない。2013年にカストロネベスがポイントリーダーとして過ごした時期の大半は、彼が他のドライバーよりもポイントを獲得しているという単純でおよそ偶然的な事実以上の価値を見出せない状況でしかなかったことは間違いないし、またそのために今季のインディカーに恐れの枷鎖をかけてしまったこともたしかである。怯えを隠せないポイントリーダーが課した桎梏の罪深さは、そこからついに解放されたフォンタナに横溢した清冽な緊張によって逆説的に証明された。その責任の大半を担うカストロネベスが「チャンピオン」についてよいわけがなかった――彼を非難するためでなく、彼にふさわしい勝利の瞬間が別の機会に訪れる可能性を信じるからこそ、そう思う。カストロネベスは敗れるべきだった、しかし同時に、彼が最終戦にもたらした緊張は最後の最後に正しい敗者の形を示してもいたのだ。かつてわたしがグレッグ・ムーアに夢想したシリーズ・チャンピオンの姿、アメリカン・モータースポーツの理想の頂点は、「決然たる意志と勇気」が剥き出しになった先にこそ存在していた。だから讃えよう。恐れを振り払い、己の一貫した意志を赤条々に突きつけてなお届かなかったエリオ・カストロネベスの敗北は、頽廃のままに逃げ切った偽りの王者としてただ記録に名前を残すよりもはるかに気高く、インディカーの中に肯定されなおすはずだ。われわれは最終のフォンタナの楕円に、そのことを知ったのである。

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