無聊を慰めるチップ・ガナッシの逆転はシーズンの結末を示唆するだろうか

Pocket

【2015.6.6】
インディカー・シリーズ第9戦 テキサス・ファイアストン600
 
 
 フルコース・コーションはたった一度きり、それもどこに落ちていたかついぞ映像として見ることのできなかった「デブリ」によるもので、車が壊れることもだれか事故に見舞われることもなかった――インディアナポリス500の練習走行で何度も危機的な事故があったことを思えば、それ自体は喜ばしい結果というべきだが――テキサスの一夜についてだれかを突っつけば、およそ退屈以外の感想は出てこないかもしれない。もちろん、日が残っている時間帯にすべてを支配しつくしていると見えたチーム・ペンスキーが日没という侘しさの象徴を引き受けたかのように黄昏すぎから勢いを失い、代わってチップ・ガナッシのエース2人が夜の闇を押しのけていくまでに移り変わっていくレースの過程は非常に興味深いものだったとは言える。ポールポジションのウィル・パワーと、それを相手に抵抗さえ許さず先頭を奪い、途中までは3秒近いリードを築いていたシモン・パジェノーの2人が見舞われた無惨と形容していいほどの没落は、刻一刻と変化するオーバルコースに合わせて完璧な全開走行を続けることがいかに途方もない道のりであることを示したものであった。ただ気温と路面温度の低下に伴って生じたその変化はあまりにもおもむろで、レースは本当にいつの間にか、気づいたときにはすでにスコット・ディクソンのものになっており、速さが移り変わった劇的な瞬間などといった興奮も訪れはしなかったのだ。

 勝敗を直接的に分かつことになったのは、どうやら空気との付き合いかただったようである。チップ・ガナッシはペンスキーに比べて10%ダウンフォースを強めており、その差が集団を制して順位を上げられるだけの速さを生んだのみならず、日没後の気候ともよく合ってレースを率いる要因となった。バンク角のきついテキサスのコースで、インサイド/アウトサイド問わず他を圧倒したチップ・ガナッシのコーナリングスピードは、おそらく抵抗が増した分だけ失ったはずの直線の速さを十分以上に補い、周回を重ねるたびに後続との差を拡げて、周回遅れを作るたびにレースから波瀾の芽をひとつずつ摘んでいく。対照的にペンスキーは、まさにパジェノーがその象徴となったわけだが、ほんのわずかな失敗によって集団に埋没した(これはオーバルにおいてままあることだが)だけでチャンピオンチームとしての顔を失い、もがきながら沈んでいったのだった。

 チップ・ガナッシとペンスキー、勝負を左右した2チームの特性をよく示唆する場面として、たとえば103周目ターン1での攻防に注目してもよい。唯一のフルコース・コーションが明けて7周ほど、まだ隊列がばらける前の時間帯に、トニー・カナーンがたったひとつのコーナーの中で瞬く間に3台を抜き去ったのだ。首位を走るファン=パブロ・モントーヤはひどいアンダーステアのためにインサイドへ下りていくことができず、エリオ・カストロネベスもおなじ動きで外へと孕んでいく。その2台にディクソンが付き合ってしまってぽっかりとあいた空間に、カナーンは苦もなく飛び込んでいった。さらに一度はスロットルを戻さざるをえなかったディクソンも、バックストレートですぐさま態勢を立て直して右へ左へラインを変えて2台のペンスキーを抜き去り、翻ってモントーヤは一瞬で空気の渦に翻弄されてわずか1周のうちに5位まで突き落とされたのだった。あまりに対照的な場面だったわけである。集団の乱れた空気に曝されても躊躇なくステアリングを切り込める空力特性はペンスキーが単独走行の速さの代償として捨て去ったものであり、そこに強みを見出していたからこそ、カナーンとディクソンのこの日唯一ともいえる無聊を慰める跳躍はもたらされたのだ。こうした一回きりの象徴的な交錯を見るだけで、テキサスでどこより速いのがペンスキーであっても、その速さは勝利を手繰り寄せはしないだろうと想像するのは自然だったろう。仮想の速さはしばしば現実を前にしたとき脆いものだとモータースポーツのファンなら知っている。ほとんど全開で走り続けるオーバルならなおさらだ。ペンスキーは速く走れるだけで「戦えない」のは間違いなく、まして夜の帳が下りるのにしたがって単独でも十分以上の速さを手に入れたディクソンとカナーンに対抗する術など持っているはずがなかった。実際、この103周目から248周目のゴールまで、2人は11周しか先頭を譲らなかった。当然、ピットストップのタイミングがそうさせたに過ぎない。

 この際、明暗を分けた両チームでどちらの方法が正しかったかと問うことはさしたる意味を持たないだろう。表彰台に登った3人が全員「トップ・フリック」と呼ばれるウイングを装着していたことは偶然のはずがないが、気象条件とセッティングが合致するかはどれだけデータを集めて分析したところで結局走ってみなければわからない部分もある。最終的に優勝することになったディクソンは序盤にひどく悩まされたアンダーステアから一転、日没後のバランスは類を見ないほど素晴らしくなったといい、それは逆にいえば前半の約60周を圧倒的な速さで逃げていたパジェノーが後続に影も踏ませない圧勝を見せつける可能性もありえたことを意味している。叶わなかったのは多分に偶然としか言いようのないものだったろう。その観点からすれば今回の結果をチップ・ガナッシの強さに還元することはおそらく正しくない。ペンスキーが落としてしまった物をチップ・ガナッシが拾い上げたのがテキサスにふさわしい形容だったと、日が出ているうちの勢力図を思い出せば素直にそう思う。

 しかしまた、落ちてきた勝機をだれにも渡すことなく自分のものにする隙のなさに関しては、まぎれもなくチップ・ガナッシの、あるいは「アイスマン」と渾名されるほど沈着なディクソンの強さというべきものである。思い出されるのは2013年だ。シーズン序盤の不調からとうてい選手権争いに絡むとは思えなかったディクソンは、7月の3連勝でエリオ・カストロネベスに肉薄すると、いくつかの不運やペンスキーの妨害をはねのけて逆転の王座へと辿りついた。一昨年も決して完全に速い車ではなく、しばしば「気付いたら勝っている」と評されるように、一人レースの盲点を知悉して上位をたぐり寄せるような展開でポイントをものにしていったのだ。今年もどうやら似たような雰囲気になりつつある。全体を俯瞰すればペンスキーが速いのはたしかなように見えるのに、シーズンも半分を終えたいま2度の勝利を手にし、涼しい顔でランキングの首位から40点差のところにいる。

 もちろん、この印象自体がすでにバイアスに冒されているといわれればそのとおりかもしれない。2勝と最多ラップリード3回を獲得しているドライバーに対する評価ではないと数字を見せられれば、たしかに頷くしかないように思われる。なのだが、ペンスキー勢の8回に対してわずか1度の(それも練習走行で続発した事故のためにルールに大きく手を入れられた末の)ポールポジションという事実は、ディクソンがまったくレースを支配するほどの立場にないことを感じさせるには十分でもある。支配の欠落と不釣り合いな良績。2013年に現れたディクソンの特質がそうだったとするなら、いまもまた彼は自分らしく居場所を確保している。

 開幕戦でモントーヤとパワーが接触してあわやレースを失いかけたとき、チャンピオンを狙えるドライバーを4人も集めたペンスキーの速さは自壊する可能性を含んだものになりうるだろうと予感されたものだ。優れた才能の相克は、たとえ表面的な確執を生じさせなくとも、互いを摩耗させるだろうと。その直感がいまの状況を予言していたとまでいう気はないが、しかしペンスキーの脆さとチップ・ガナッシの不気味さがわずかながらに顔を覗かせているのもたしかなようだ。次のトロントの予選が終わり、またしてもペンスキー勢は予選3番手までを独占した。だからといって簡単なレースになるだろうと言い切っては、レースが終わってから後悔してしまうことになっても不思議はない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です