おかえりにはまだ早くても

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【2015.7.12】
インディカー・シリーズ第12戦 ウィスコンシン250
 
 
 物質的な文房具であると同時に文字量を現す慣習的で不可思議な単位でもある「原稿用紙」の枚数に換算してwebの文章を量ることにさほど意味があるとは思われないものの、ともあれ毎週のように行われるレースについて金になるでもないのに10枚から書き続けてほぼ3年、数えたことはないがおそらく400字詰めにして700枚くらい積み上げ本の2~3冊にも届きそうな分量になればいいかげん新しく書くこともなくなってくる、などといった言い訳をするようになってはこのブログもそろそろ寿命が尽きかけているだろうなと自覚するのだが、せめて延命のためにおなじことを繰り返すのを許してもらうなら、気づけば20年くらい米国のオープン・ホイール・レースを見てきた身にとって、セバスチャン・ブルデーとはなかば哀愁をともなって口にしなければならない名前である。今回のウィスコンシンに優勝したことで歴代8位タイとなった34勝、33回のポールポジション、選手権4連覇と「輝かしい」実績は一見すると目が眩まんばかりだが、近寄ってよくよく磨いてみるとはたしてその光は少々鈍いようにも感じられる。知ってのとおりその成績のほとんどすべてが米国チャンピオンシップ・カー・レーシング分裂の歴史の中で滅亡したチャンプカー・ワールドシリーズで記録したもので、ブルデーが王者になった2004年から2007年はその最後の4年、つまり没落する王朝の最後の支配者だったのである。彼がチャンプカーにいたのはすでに多くの有力チームがインディカー・シリーズへと戦いの場を移した後のこと、そこで勝ち続けることがどれだけ才能を証明してくれるのかはわからなくなっていたころだ。チャンプカーが消滅し生まれ故郷の欧州へ「実績」を引っさげて戻ったF1でのキャリア構築はセバスチャン・ベッテルという強力すぎる同僚を前にして失意のまま終わり、ふたたび米国へ、今度はインディカーのドライバーとしてやってきたときには満足なシートが残っているとは言い難かった。チャンプカー時代には相手にもしていなかったウィル・パワーが有力チームのペンスキーで活躍するようになったことを思えば、回り道が過ぎたのだろう。スーパーリーグ・フォーミュラなどという今となっては歴史の徒花でしかないようなカテゴリーにさえ参戦したのは、傍目にはどうしても時間の無駄遣いに見えてしまう。人生の選択が少しずれて2008年にインディカーの新人として走っていれば、といっても詮ないことだしその架空の別世界なら成功が保証されたとも約束されるものではないが、2011年にあれほど苦労せずに済んだだろうかとも思わずにいられない。いくらドラゴン・レーシングの戦闘力が貧弱極まりないものだったとはいっても、復帰してからのブルデーは、チャンプカーの栄光が幻だったかのように、決して速いとは言えず、クレバーでもなく、ときどきつまらないミスでレースを失う程度のドライバーにすぎなかった。それも2年以上、状況の変化や不慣れを理由にできる時間が終わってもなお、そうだったのだ。

 そうした曲折を知っているから、昨年のトロント・レース1でようやく、7年の時を経て表彰台のいちばん高いところにもどってきたときの気分はまだ、歓迎と寂寥が相半ばする複雑なものだった。ずっと凍りついていた通算勝利の数字がふたたび動きはじめた結果は遠回りの経歴がすべて無駄ではなかったのだと感慨をもたらす一方で、しかしその圧勝が選手権の争いとはまったく無縁の場所でなされ、ライバルが恐れを抱くそぶりも見せなかったこと、いや当時ポイントリーダーだったエリオ・カストロネベスにとってはライバルですらなかったという事実を、追い立てられることのない簡単な勝利によって気づかされてしまったことは、ブルデーが4度の王者という実績を持っているがゆえに、寂しさを伴うものだったのだ。彼ほどのドライバーであるならば、その優勝はシーズンの微笑ましい一幕ではなく、選手権の重層的な躍動とともにあらねばならない。そう信じたからこそわたしは、あのトロントを一回きりの祝福で終わらせるのではなく、インディカーのキャリアを再構築する「リスタートでなければならない」と綴ったのである。

 実際のところ、あの勝利の前後でブルデーを取り巻く状況が大きく変わったわけではない。2014年の選手権は結局10位で、シーズンオフに移籍の機会に恵まれるでもなく中堅チームで奮闘しつづけている。チャンプカー時代の走れば勝つような快進撃は望めない場所だ。だが、状況が変化しないにもかかわらず、その走りは明らかに改善しているように見える。予選でときに目の覚めるような走りをみせて上位のグリッドを獲得するのみならず、ばかげたミスは影を潜めて車を壊す心配もなくなった。完全な貰い事故に泣いたルイジアナを除いて、開幕直後からことごとく一桁の順位でゴールに戻ってきた姿には、チャンプカーのころの頼もしさが宿っていただろう。特にレース経験の豊富さを窺わせる局地的なスパートの鋭さはすでにシリーズでも白眉になりつつある。レース中のある一瞬を切り取ったときにもっとも速いドライバーがブルデーである場面は、以前に比して明らかに増えた。チームの総合力ではペンスキーやチップ・ガナッシに及ばなくとも、時宜を逃さずに適切な速さを引き出すことで、彼はおそらく車以上の順位をチームに与えている。それは、キャリアの階段を上るのに失敗したF1でミハエル・シューマッハやフェルナンド・アロンソがしばしば発揮してきた資質に違いない。決して強豪とはいえないKVレーシング・テクノロジーで、しかし彼はたしかにチャンプカーの王者として走るようになりつつある。

 復調を示唆するその特質がいかんなく発揮されたのがたとえば雨に翻弄された今年のデトロイト・レース2だろう。ウェットかハーフウェットかドライか、判断の難しい状況で総合的に一番速かったのはおそらく佐藤琢磨だったが、先頭を走るブルデーは終盤のポイントを押さえきって逆転の機会を与えなかった。最終盤の事故で赤旗となり、接近戦の再スタートを余儀なくされても、ターン1で佐藤から順位を守ると、その先は残っていたタイヤを存分に使って日本人を落胆せしめたのである。勝利のためにはいつ最速であるべきか。チャンプカーを勝ち続けたブルデーはそれを知悉しているのだと気付かされたレースだったと言っていい。

 そしてこのウィスコンシンもまた、速さを正しく使ったレースとして記憶しておかなければならなくなった。それもとびきりの速さである。114周目にジェームズ・ジェイクスのホンダエンジンが煙を吐いたことで導入されたフルコース・コーションで周囲が次々とピットインする中、あえてコースに留まったブルデーの選択はあまり益がないように思われたが、事故を挟んで140周目まで続いたイエロー・フラッグが明けると驚愕のスパートによってあっという間に10秒、この短いオーバルコースで言えば半周もの差を2位以下に対して作ってしまった。黄旗とともにタイヤ交換をした相手より14周も古いタイヤを履きながら、乱気流に翻弄されない速度はいっさい衰えることがなく、自由自在のハンドリングで柔らかい肉に包丁を入れるように周回遅れをすっぱりと切っていく。第3スティントの燃料を使いきり、本来なら絶対的に不利なはずのグリーン・フラッグ下でのピットインが必要となったとき、しかし後続との差はすでに17秒にまで広がり、作業後も4位で隊列に戻ることができた。もちろんこの時点で周囲のタイヤは大きく疲弊しており、ふたたび先頭に躍り出て大差をつけるまでにそう時間はいらなかった。

 ブルデーのこれほどの圧勝を、いったいだれが予想しえただろう。上位陣ではたったひとり、すべてのピット作業をグリーン下で行ったにもかかわらず、ひたすら速い彼は後半のほとんどの周回で先頭を走り続けた。そうして圧巻の瞬間は203周目に訪れる。苦戦ゆえに作戦を工夫せざるをえず、はるか彼方の2番手を走っていたライアン・ハンター=レイが給油のためにピットレーンへと向かったことで、ブルデーとおなじ周回を走るドライバーはコース上にひとりたりともいなくなったのだ。まだ残り1回のピット作業は予定されていたものの、全車を周回遅れに落としたこの瞬間、ブルデーの優勝は確実になった。213周目、最後のピットもまたグリーン中に行われたが、そんな状況的不利とはまったく関係なく、先頭のままコースに戻っていったのだった。

 燃料消費量を考えると、最初のイエロー・フラッグはピット回数を1回減らせるかどうかの分岐点で導入されたものである。直前の給油からはまだ15周弱しか進んでいないタイミングではあったが、ひとまず給油して様子を見るのが定跡であり、結果として222周目にもフルコース・コーションとなったことで過度の燃費競争にはならなかった。実際、117周目にピットが開いたときにコースに留まったリードラップの車は6台しかいない。車に手応えを感じている中で少数派の選択をするのは勇気を要したに違いない。ひとつ間違えれば大きく順位を落としてもおかしくなかった。

 いや、おそらく判断自体は間違えていたと言っていい。あの作戦を成功させたのは結局ブルデーだけで、他はシモン・パジェノーが下から数えたほうが早い10位に入るのが精一杯だった。ステイアウトした車の多くがもともと後方にいた、つまり速さを持っていなかったことはたしかだが、裏を返せばブルデーがそんな博打のような作戦を取る必要はなかったということでもある。チームはタイヤの状態よりも先頭を走って乱気流に巻き込まれないことがペースを保つ方法だと考え、事実ブルデーは速く走り続けることができたのだが、優勝するためには一時的に全車を周回遅れにしなければならなかったと考えれば、危うい綱渡りではあったのである。

 しかしそれでも、ブルデーは勝った。運に恵まれるどころか、むしろ不利だったかもしれない立場を、ただ速さだけで覆して、今季だれよりも清冷な優勝を手に入れた。最後のフルコース・コーションが明けたあと、追い縋る後続をまたしてもやすやすと突き放す展開に、実況の村田晴郎が「これはだめだ」と呻いたのは全員に共通する感情だっただろう。レースは実質的に203周目に終わっていた。ブルデーがその速さによって完璧に終わらせたのだ。

 昨年のトロントはインディカーで力を発揮できていなかったブルデーのリスタートでなければならなかったはずだった。実際あのレースを境にして、状況は何も変わっていないはずなのにその走りは確実に鋭さを取り戻しているようだ。年が明けて彼はもはや強豪のひとりになりつつある。今季2勝目はポイントリーダーら3人に並ぶ最多タイ、選手権のランキングは6位にまで上がってきた。4戦を残してファン=パブロ・モントーヤまで96ポイント差が現実的に届きうる数字かどうかはともかく、彼はついに、かつてずっとそうだったように選手権を争う一員となった。もちろんこれまで積み上げてきた実績を思えば、おかえりを言うにはまだ少しばかり早いのかもしれない。だが、だとしても、チャンプカーの偉大な王者だったセバスチャン・ブルデーはいま、インディカーの優れたドライバーとして、ようやく、この場所まで戻ってきたと、そのスピードを歓迎せずにはいられない。

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