4.5%のリーダーが選手権をリードしているならば

【2015.7.18】
インディカー・シリーズ第13戦 アイオワ・コーン300
 
 
 シーズンの残りを片手で数えられるような時期になると、レース単体の結果だけでなく選手権の行く末も気にかかるようになってくる。もちろんわれわれが見たいのはレースという運動であって、その順位の集積によって作り上げられた虚構の制度にすぎない選手権の得点に一喜一憂する理由もないわけだが、当事者であるチームやドライバーが制度の頂点を目標として定めている以上、その趨勢は往々にしてレースの強度へと跳ね返ってくるのだから、レースを「見る」ことに徹しているものとしても無関心ではいられない。選手権はレースと直接関係を切り結ぶわけではないが、状況に応じてレースの相貌をがらりと変えてしまう。それは時にチームの思考を混乱させ、ドライバーの精神を保守的に留めて手足を硬直化させ、あるいは過度に攻撃になるよう刺激したりする。おなじコース、おなじ勢力図であっても、時期が変わるだけでレースそのものが変質する可能性があるという感覚は、おそらくモータースポーツにかかわるあらゆる人間が共通して持っているはずである。

 その意味において、ファン=パブロ・モントーヤがアイオワ・スピードウェイのうねったターン2に魅入られてセイファー・ウォールに吸い込まれていった10周目の瞬間は、選手権に変動を促して2015年のインディカー最後の1ヵ月に情動を呼び起こす一事となるはずだった。インディアナポリス500で優勝してからというもの焦点のぼやけたレースを繰り返し、制圧できたはずのシーズンを主導しそこねたチーム・ペンスキーにあって、状況的にエースとして待遇されるべき存在になったモントーヤは、にもかかわらず、「なんとなく」としか表しようのないまま50点前後の得点差を維持して首位に居座り続けてきた。IndyCar.comのドライバー紹介ページはその時点での選手権順位で並べられているが、6月も半ばを過ぎてくると、それを見るたびに首を傾げざるをえなくなったくらいだ。レースをつぶさに見ていればいるほど、モントーヤが首位に立っている、それもつねに1レース優勝分に相当する大差をつけている理由がよくわからなくなる。40歳になる年を迎え、新人だった1999年以来16年ぶりの王者に数字上はまぎれもなく近づきつつあるこのコロンビア人は、いったいいかなる魔法を使ってこの位置を占拠しているのだろう。

 たしかにインディ500は優勝した。わたしはインディアナポリス・モーター・スピードウェイの観客席でそれをはっきり見た。しかしブリックヤードの200周目、モントーヤが33人の出場者の中で最初にチェッカー・フラッグを受けた周回は、彼のインディ500におけるほんの9周目の先導にすぎなかったのも事実である。序盤に追突を受けて車を壊され、リードラップ最後尾に落ちてからの追い上げは優勝に値するに十分だったとはいえ、4.5%のリーダーは、インディ500の完全な覇者であると言い切れるものでもなかった。最後に笑うものがもっともよく笑う、モントーヤの実践はそういう類のものだったと考えてもよい。少なくともフルコース・コーションの時期が彼を何度か救ったのは確かである。オーバルレースがそういう性質を持ち合わせているのだと理解していても、彼は約束された勝者ではなかった。それでもブリックヤードで獲得した、他のレースの2倍に設定された過大とも言える101点が、正当か不当かにかかわりなくいまに至るまで彼の立場に大きく寄与しているのはまちがいない。

 しかし結局、その後のモントーヤを見るにインディ500に多少の幸運があったことを受け入れなければならないようである。不運に泣いた強者と評せそうなのは雨に翻弄されて35周の最多ラップリードを獲得しながら10位に沈んでしまったデトロイトのレース2だけで、しかもこれを含めてなお、5月最後の週末以降にモントーヤが記録したラップリードはわずか56周でしかない。周回を重ねる途中でとりあえずの参加証明のように先頭に立つにすぎず、それどころか一度も先導せずに終わったことも7戦中4度を数える。もちろん優勝など望むべくもない。数字を見ているだけでは選手権の首位に立っているなどとはとても信じられず、特別なことをなす予感を抱かせるドライバーではまったくなくなってしまった。

 また同期間のインディカー・シリーズが全体で1249周を消化している、となればあるいは意地の悪い計算もしたくなるだろう。モントーヤが先頭を走った56周とは、すなわちそのうちの4.48%である。奇しくもインディ500の9/200にきわめて近い割合、いや、この一致はおそらく「奇しくも」符合したわけではない。つまりこの4.5%こそ選手権の得点や順位よりもはるかに正確で偽りのないモントーヤの現状で、ここ2ヵ月半の彼はけっして自らの手でレースを主導――リード――するには能わないドライバーとして走り続けていたのである。ピットストップの時期や、(多くの場合は成り行きに任せた結果として)特定のスティントで好調だったために先頭に立つことはあっても、モントーヤはレースの支配者として君臨することにほぼ失敗しつづけてきた。インディ500の優勝とは、4.5%という狭い範囲の中に幸運にもチェッカー・フラッグが振られる周回があったというお伽噺の実現という現象であって、彼の本質的な能力を示唆するものではまったくなかったのだ(ただそのことと、最終スティントの速さ自体がレースを制するにふさわしい価値を有していたことは別の話ではある)。

 4.5%のリーダー。その数字は、おそらく実際に見てきたレースの印象とも寸分違わず一致する。かかる2ヵ月半、モントーヤは一度もその座を脅かされることなく選手権の首位にいつづけたにもかかわらず、その走りが運動の中心となった瞬間を探すのは決して容易ではなかった。たとえばセバスチャン・ブルデーは清冷な圧勝を見せつけ、グレアム・レイホールはしばしば混乱を断ち切る速さでレースの視線を独占した。ジョセフ・ニューガーデンのラップリードは250周を数え、その豊かな才能の成長を満天下に示している。不振に喘いでいたはずのアンドレッティ・オートスポートでさえ、巧みな作戦によってカルロス・ムニョスを初優勝へ導き、愛するアイオワで6連覇を達成したのだ。もしくは事故や危険な走行を繰り返すセージ・カラムに(ことによると必要以上の)怒りを向けることもあったし、瞬間的にはまちがいなく最速であったはずのウィル・パワーやシモン・パジェノーの輝きがレース中に淡く消えていくさまを嘆きもした。翻って、良きにつけ悪しきにつけこれほど語るべき瞬間がモントーヤにあっただろうか。チームメイトより速いわけでもなく、逆に怠惰なわけでもない。歓喜も、裏返しの失望もない。7戦中10位以内6回、5位以内3回の成績はたしかにすばらしく見える。しかしそれは結果だ。そして結果以外に何もなかった。

 閉幕まで1ヵ月となったアイオワのわずか10周目、ターン2でサスペンションが壊れたのかはたまた単純に操縦ミスだったのか、いずれにせよあっさりとレースから消えてしまったことを、だからモントーヤの現状にふさわしい末路だったのだと冷笑しようというのではない。レースには思いもよらない幸運も信じがたい不運も平等に存在しており、アイオワは彼に手を差し伸べようとはしなかった、ひとまずそれだけのことである。だが4.5%のリーダーが2ヵ月半にわたって存在の曖昧なポイントリーダーでもあり続けてしまった事態を覆すために誂えたような展開だったのはたしかに思えた。2位のスコット・ディクソンに対してつけていた54点もの大差は、モントーヤのリタイアによって半分以下、場合によっては一桁にまで縮まって、もはや安穏とした走行を繰り返すなど許されなくなる。選手権は過熱し、8月の3戦は過去2年の最終戦がそうだったように、危険を冒してでも最大の利得を求めるような昂揚のレースを味わえるだろう。アイオワはその期待に違わず進んでいったはずだった。だが230周目にディクソンの車は突如として速度を失い、修理に長い時間を要することになってしまう。結局2人の差は6点しか縮まらずに終わって、ポイントリーダーは延命された。33点を伸長したレイホールが間に割って入ったものの、まだ42点の隔たりが残る。

 CARTにやってきた1999年、モントーヤは圧倒的に中心の存在だった。だれより優れた速さがあり、裏腹に無残なミスでレースを失うこともあった。スタートから完璧なリードを築きながらピットストップ後に順位を上げようとしてロベルト・モレノを弾き飛ばし、挙げ句フルコース・コーション中にエリオ・カストロネベスに追突されたのはデトロイトだったか。先頭でリスタートする瞬間にスロットルを開けすぎてスピンしたポートランドも忘れられない。一方で勇気と荒々しさに満ちた走りはきわどいレースを次々にものにし、結果としてダリオ・フランキッティと同点ながら勝利数で大きく上回ってチャンピオンとなったのである。当時と比べて、選手権でふたたび首位に立つモントーヤのなんと丸くなったことか。16年を経て腹回りだけでなく走りも丸くなった。その角のない走りで、レースと、その結果の集積である選手権をも平滑にしてしまうほどに。これがベテランの円熟味だというのなら、熟成など退屈なものである。

 ディクソンのトラブルがために選手権の序列が温存されたことで、モントーヤは5月終わりからの安穏を引き続き享受する権利を手に入れた。かかる状況が続くことで彼自身が熱量をレースに供給できなくなっているのなら、もはやその地位は脅かされなければならない。本来ならその役割はパワーを始めとしたペンスキーのチームメイトたちが担うべきだったのだろうが、彼らもまた彼ら自身のレースを杜漏に終わらせすぎた。それが現状の停滞の原因にさえなってしまったのだ。ならばアイオワの失意にあってもなお3位に留まるディクソンと、にわかに王者への意欲を見せ始めたレイホール――いや、その担い手がだれであるかはさして重要ではない。このままモントーヤが2015年を逃げ切ったとして、そこに美しい物語を見出だせそうにないことこそ、われわれが避けるべき問題である。16年前の王者に焦燥を。4.5%のリーダーに情熱を。8月の3レースが意志を滾らせながらシリーズを終幕させる過程になっていくかどうかは、安穏なファン=パブロ・モントーヤの背中が切りつけられるかどうかにかかっている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です