ミハエル・シューマッハの憂鬱

【2011.4.17】
F1世界選手権第3戦 中国GP

 コンディションがウエットだったかドライだっかたは定かではない。曇天の上海インターナショナルサーキットだった。右に回りこんでいくようなコーナーだったから多分ターン1か12のはずだ。大学生だったわたしがアルバイトをしていたとある雑誌編集部の高い棚の上に置かれたテレビの画面の中では、光量の少ない空模様でもよく映える真っ赤なマシンがスピンしていた。まだレース序盤、15周に行くか行かないかといった時間帯でのことだった。

 それがミハエル・シューマッハのフェラーリであることはすぐにわかった。同僚のルーベンス・バリチェロはキミ・ライコネンを従えながらトップを快走していて、後方を走る赤いクルマはシューマッハのものでしかありえなかったのだ。ピットスタートとなって最後方からの追走を余儀なくされたシューマッハは、つたない記憶によれば前走車の直後を走っていて、その影響でダウンフォースを失ったのか、右に長く切りこんでいくコーナーの出口でリアを巻きこみ、フロントタイヤを中心にしてくるっと時計回りに1回転していたと思う。タイヤスモークが上がっていた――と思い出すということはたぶんドライコンディションだ。そのあとがストレートでスロットルを開けていくところだったような覚えもかすかにあるので、だとするとターン12~13だろう。2004年、もう7年も前の話である。

 中国GPが日本GPとの東アジア2連戦として秋に組まれていたころのことで、すでにドライバーズチャンピオンシップの行方はシューマッハに決していたから、その単独スピンもちょっと珍しい光景以上の意味はなかったが、珍しいという点ではフェラーリの圧倒に退屈したシーズンのハイライトに入れてもいいくらいのシーンではあった。実際、当時のF1ファンにとって7度目の戴冠を果たしたばかりの皇帝がひとり勝手にタンゴを踊るなどありえないことだったのだ。少なくともわたしは意外なミスと受け取ったし、そこには軽い失望感も伴っていた。チャンピオンを獲って気でも抜けたかと言いたくもなったかもしれない。もちろん難癖をつけているだけだ。これは今調べて書いていることだが、2004年のシューマッハはモナコ以外のすべてのグランプリで完走し、そのなかで唯一入賞を逃したのがこの上海だった。そもそも年間18戦13勝のドライバーが決勝レースで一度くらいスピンしようが、大した事件ではない――あるいはだからこそ大した事件なのかもしれないが、タイトルの興味とは関係のないことだ。

 だが、こういう言及もできないではない。すなわちときどき見せる傲慢な振る舞いが許されるほど強すぎてF1から熱量さえ奪い、いくつものレギュレーション変更の呼び水ともなったシューマッハは、しかしこの年を最後にチャンピオンの座を若いフェルナンド・アロンソに譲った。翌年から1度目の引退を決意した2006年までに挙げた8勝は、2004年わずか1年間の13勝に遠く及ばない。

 いや、これもやはり言い掛かりにすぎないだろう。なるほどこういうときに文章の作法として「中国GPで見せた些細な綻びが、シューマッハの衰えのはじまりだったのだ」と書くのはいかにも道理をわかっていそうな纏めかたで筋がいいのかもしれないが、自分の浅薄な失望感をこの程度のミスで正当化するほどわたしは厚顔ではないつもりだ。2005年は悪夢のようなブリジストンタイヤの不調とともに葬られただけだし、2006年にしても鈴鹿でエンジンが白煙を吐き出さなければ彼は王者として引退し、翌年にフェリペ・マッサがカーナンバー「0」を付けることになったかもしれない。政権はアロンソへと移ったが、シューマッハはやはり強いまま、跳ね馬を降りた。サーキットを去るまでほとんど完璧だった。

 結局7年前、シューマッハ個人にとって4シーズン前のスピンは、そのレースのファイナルラップで見せた帳尻合わせのようなファステストラップも含めて、F1でもっとも成功を収めたドライバーが頂点の時期に見せたちょっとした愛嬌にすぎないことである。なのだが、3年の沈黙を経て現役に復帰した彼の1年半をずっと見てきて、ふいにあのシーンを思い出すことがある。赤い記憶が薄れ、当初はあれほど似合っていないように思えた銀色のスーツが目に馴染んできた最近はことさらに増えた。おかしな感覚だと思われるだろうが、わたしにとってミハエル・シューマッハといえば、全盛期の憎らしいほどの強さでも、ミカ・ハッキネンとのバトルでも、表彰台で幾度となく見せた子供っぽいジャンプでも、ラスカス・ゲートでもなく、まず上海でのスピンが連想される。スピンした振る舞いには失望しても、彼のスピン自体は美しかったのだ。

 結果としてかかわる人間の身体にダメージがない、という前提条件を絶対に付させてもらうが、単独スピンはときに絵になる。人間に比べればあまりに強大なマシンを完全に掌握して操っていたドライバーが、なんの前触れもなく不意に自らの能力を振り切られ、抗う術を失って慣性に身を任せるよりなくなる1秒に満たない時間の間に、感知、反応、制御、破綻、モータースポーツを形成するいくつもの情報が処理され、奔流となって吐き出される。ドライバーの意思を携えてレーシングラインをトレースしていたマシンが、ある一線を越えた瞬間、急にたんなる物質と化す。その狭間、制御と不能の間には大きな断層が生じ、そこにはじめて失望という、顔の見えないドライバーの感情がはっきりと立ち現れるのだ。バトルでのクラッシュは物理的な人間同士のぶつかりあいだが、スピンはひとりのドライバーの精神を容赦なく炙り出す。強いドライバーのスピンは特にそうだ、というより美しいスピンは強いドライバーとマシンのペアにしか生まれない。今年の中国GP予選でのセバスチャン・ベッテルを見ればよくわかる、速くて強いドライバーがそれにふさわしいマシンに乗りこむと、両者が一体化してドライバー自身の姿は見えなくなるものだ。だからこそ両者を結ぶ糸が突如切断されるスピンによって表出する精神性が心を捉える。ミカ・ハッキネン、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネン……彼らのキャリアには印象深く美しいスピンがある。それはたぶん、何十という勝利よりも彼らをよく知る手がかりになる。

 上海でのスピンはわたしにとってミハエル・シューマッハを「見た」瞬間だったが、しかしそれもふたたびコントロールを取り戻してコースに復帰するとともに薄れていき、あとは何年か後におなじ趣味の友人との思い出話に変わるようなことだった。だがいまになってわたしはあのスピンを強かったシューマッハの象徴として思い出すことが増えている。それはいまリアルタイムで走っているシルバーのシューマッハがもうおなじように美しいスピンを演じられないと諦めかけていることの感傷だと、わたし自身わかっている。なにせわたしがF1を生涯見続けるべきスポーツと定めて観戦の初心者から脱しようとしていた20代前半はシューマッハのための時代だったのだ。好き嫌いは別にして、その落日を目の当たりにすれば感傷的にもなる。

 復帰のニュースにあれほど目の色を変えたのに、1年と半分が過ぎてわれわれはもうシューマッハのいる風景に慣れている。ニコ・ロズベルグに控えるドライバーであるということも含めて慣れてしまった。この中国GPで、シューマッハはまた同僚に及ばなかった。予選ではもうずっとコンマ5秒のビハインドを背負い、決勝で(アイルトン・セナに対したアラン・プロストのように、あるいは若かりしシューマッハ自身を決勝では脅かしたマーティン・ブランドルのように)それを跳ね返すほどのペースを刻めるわけでもない。ロズベルグを物差しにしたとき、あえて挑発的な言い方をすればF1を去らざるをえなかった中嶋一貴とどれほど違うのかというくらいのものである。セッションの度に発せられるコメントだけを読んでいると、シューマッハ自身も現状に不満と焦りを抱えつつもどこかでは慣れてしまったようにさえ見える。

 予選Q2はヴィタリー・ペトロフがトラブルを発生し、ライン上にマシンを置きっぱなしにするという品のないストップをしたために、2分2秒を残して赤旗中断となった。1周1分35秒の上海ではピットアウトからアタックラップに入るにぎりぎりのタイミングであり、セッション再開直後からマシンが次々と飛び出して、コース上には予選と思えないほど長い隊列ができた。慌ただしくタイヤを温めながらチェッカーフラッグをかいくぐって、フェリペ・マッサ、セルジオ・ペレス、ニコ・ロズベルグ、ミハエル・シューマッハ、小林可夢偉……という順に最後のアタックへと向かった。満足なクリアランスはとれていなかった。

 状況が状況だけに、遅いクルマが速いクルマのアタックを邪魔してしまうことはいたしかたないことだ。だがこの順でアタックした5台のなかで、結果としてはザウバーのペレスがメルセデスのロズベルグのアタックの障害となり、そしてその関係とは正反対にメルセデスのシューマッハがザウバーの小林の障害となった。ターン14、長いバックストレートエンドのヘアピンでブレーキングを決めきれなかったことで、シューマッハは自分と小林の両方のチャンスを潰したのだった。重要なポイントで決して外さないのが全盛期のシューマッハだったが、現役復帰後の彼は打って変わってポイントでこそ外しつづけている。こういう姿にも、すっかり慣れた。ロズベルグだけがQ3に進むのはもうおなじみの光景だ。リアウイングが機能しなかったとコメントを残し、たぶんそれは彼にとってありのままの事実を述べただけで言い訳に汲々としているなどとはまったく思わないが、そうやって自分以外の場所に原因を求めなくてはならないことも頻繁になった。

 決勝の走りに不満があったわけではない。マレーシアに続いてスタートを決め、エキサイティングなバトルを繰り返しながらずっと入賞圏内を走って4ポイントをチームに持ち帰った。文句のない仕事だ。だが一時レースをリードして5位に入ったロズベルグと比べれば、それが完璧な走りだったと言うことはできないだろう。速さに劣るフェラーリをドライブしていた90年代後半、シューマッハはつねにわずかなストロングポイントを強調することで圧倒的に速いミカ・ハッキネンに牙をむいた。いま最速ではないメルセデスのコクピットで、シューマッハは戦うポイントを求められずにいる。去年、骨折で長期離脱した99年を除いてはじめて年間のポイントで同僚を下回った。その99年ですらダブルスコアではなかったのに、ロズベルグの142ポイントに対して72ポイントしか取れず、メルセデスはそれを直截に示すコマーシャルまで作った(。産気づいた妻を乗せたまま折悪しく山道でクルマが故障し、立ち往生してしまった夫婦の下にロズベルグとシューマッハが現れて送ってくれるという。夫が「7度のワールドチャンピオンだ」とシューマッハを選ぼうとしたところ、妻が「去年のポイントはニコが2倍だった」とロズベルグがいいと主張して口論になるわけなのだが、どうもこれは妻のほうに分があるのではないかと思える。

 あれから7年が経って、銀色のシューマッハはクルマなりの仕事をするドライバーとしてステアリングを握っている。好まない弱アンダーステアと格闘して、下位チームの突き上げを食らいながらなんとか上位にしがみつこうとする様子には丁寧な仕事ぶりを感じるが、しかしかつて眩いばかりに放たれていた才能の煌めきだけは鈍くなっているようだ。

 速いマシンとドライバーが混沌として両者の境が曖昧になり、人の存在感が消えていく瞬間がある一方で、走らないクルマを苦心惨憺どうにかして前へ進ませようとするドライバーの顔は、ヘルメット越しにもよくわかるものだ。レースを長いこと見ていればもちろんそういう姿を観察することのほうが圧倒的に多いし、結局モータースポーツが人間のせめぎあいであることを示唆するという意味で、レースの醍醐味だったりもするだろう。だがそれは、端的に言って美しいわけではない。機械に苦闘する人間から見えるのはスピンの断層から突発的に偶発的に顕在化する破綻の美ではなくただただ現実だ。いまのシューマッハには苦悩が見えすぎる。現状が続くかぎり、彼のW02が回ってもわたしはそれをたんなるミスとしか受け取れないだろう。浅薄なはずの失望感は、きっと失望のまま次のサーキットへ持ちこまれることになる。だがわたしの感傷はそんなシューマッハの凡庸をはっきり拒絶するのだ。多くのファンと同様に、わたしもまたシューマッハの現状を受け入れがたく思っている。強いシューマッハの幻影が、コースのどこかで実体になって現れてくる瞬間を探している――。あのときと同じ上海だ。タイヤかすと埃に覆われた激しい優勝争いとは無縁な後方を眺めながら、わたしはあいかわらずあのときのフェラーリのダンスを思い出してしまっているのである。