選手権を担わないチャーリー・キンボールが解いた硬直

【2013.8.4】
インディカー・シリーズ第14戦 ミッドオハイオ・インディ200
 
 
 勝敗の分岐に直結する交叉点が不意に突きつけられるレースというものがある。スタートから千々に拡散したはずだった各ドライバーの辿る線が、それぞれの発する意思の絡みあいによってふたたび撚りあわされてまた解けていく瞬間とでも言うべきその一点において、われわれはときに狼狽さえ禁じえないほど不意討ちにされ、レースの一切をその一瞬の記憶にとらわれることになる。たとえばミッドオハイオの73周目、チャーリー・キンボールがシモン・パジェノーを袈裟斬りにするようにインサイドに飛び込んで抜き去ったターン4は、予想もされない場面が思いがけず立ち現れたことで、一介のバトル、タイヤの温度の差によって決着したと結論するだけでは収まりきらないバトルの価値を示唆しているように思えてくるのだった。

 2013年のインディカー・シリーズ第14戦にあたるこのレースの意義を浚ったときに、シーズンの3分の2を過ぎて終幕に向けて戦略を逆算しなければならない時期に展開されたにしてはあまりに拙劣な一戦だったと評することはおそらく正しい。直前の3連勝でタイトル挑戦者の座へと戻ってきたスコット・ディクソンはまるで一貫性のない燃料戦略によって表彰台の可能性をわざわざ手放したばかりか、不必要なほどにポジションを下げてポイントリーダーのエリオ・カストロネベスの後塵を拝してその差を31に広げられたが、しかしそのカストロネベスさえ、以前から何度も頽廃的と書いてきたのと同様にまたしても選手権への強力な意志を見せることなく、迫り来る後続から命からがら逃げるにすぎないレースを再現した。今季のシリーズは初のチャンピオンに囚われてリスクを冒せない彼の延命装置と化しているようであり、だれかが状況にとどめを刺す、すなわち現在のポイントリーダーを逆転して追い詰めてみせないかぎり、彼が抱える恐れに支配されるシーズンを断ち切ることはできそうにない。

 タイトルを争うドライバーたちが、トップ5フィニッシュの回数を誇ることしかできないカストロネベスの恐れに呑まれるようにスピードを信じられなくなっていくなかで、もはやランキングと無関係に振る舞えるキンボールが純粋な速さでレースの綾を横断したのは当然の帰結のようだった。昨年より5周分総距離を延ばす措置が取られて燃費に活路を見出しにくくなっていたミッドオハイオは、にもかかわらず燃費レースを遂行しようとしたライアン・ハンター=レイとウィル・パワーに相応の報いを与え、さらにその戦略を唐突に諦めて途中で給油の回数を増やしたディクソンにそれ以上の罰を与えた。レースは臆病者を許すことがないという当たり前のことが繰り返されたにすぎないのだろう。彼らがサーキットに裏切られたのは、燃費重視の戦略を、勝利のためではなくあたかも展開を窺う立ち回りのためだけの手段に堕させたからだったように見える。結局自らの矮小さによって硬直した2ストップ勢を嘲笑うかのように、キンボールは無邪気な速さでレースを切り裂いていった。半分の距離を消化したとき、キンボールは初優勝に向けて、すでに余分なピットストップを行ってもなお余るほどの大差を後続に対して築いていた。盤石のリーダーを脅かす可能性があるとしたら、それはおなじ戦略を採用してやはり2ストップ勢を出し抜いてきたシモン・パジェノーだけだったが、おなじエンジンを使うそのフランス人が脅威であることに気づくのには、もう少し時間を要した。

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 キンボールはピットタイミングの差で一時的に順位を下げた時間帯こそあったものの、31周目から64周目にかけてのほとんどの周回をリードしている。2番手に浮上してきていたパジェノーに対してもつねに5秒以上の差をつけており、あらゆる敵を問題にせず逃げ切ることが可能なはずのレースだった。しかし考えてみると、パジェノーはキャリア初優勝を果たした際、レース終盤にピットストップのギャップを突くスパートでリーダーを逆転してみせている。それはヨーロッパ人らしい彼のしなやかなF1的資質を証明する鮮烈なる加速だったが、ミッドオハイオで訪れたのもまた、同じような状況だった。64周目にリーダーが最後の給油に向かうのを見届けると、パジェノーは背負っていた差を埋めるべくタイヤを酷使しはじめる。チームメイトを始めとした選手権上位勢を退け、いっときは楽勝の雰囲気さえ漂わせていたキンボールにとって、それは予期せぬ追撃だったように見えた。一時的に冷えたタイヤと重い車をあてがわれたキンボールは明らかに劣勢に立たされ、オーバーブーストボタンを使用してまでタイムを削ろうとしたが、渋滞に捕まる不運にさえ見舞われて、73周目に給油を終えてピットアウトしてきたパジェノーの後塵を拝した。

 勝敗の分岐に直結する交叉点は、油断している観戦者に対して不意に突きつけられるものだ。パジェノーのスパートは静かなうちになされ、レースを振り出しに戻すような気配はほとんど感じることができなかった、もちろんそれは観客自身の観察不足でしかないのだが、パジェノーが72周目の終わりにピットレーンへと向かったとき、逆転に十分なリードを手にしていたことは驚きをもって受け止めるべき現象だったのだ。わずか18周分の燃料を継ぎ足し、手際よくタイヤを交換してくれたチームクルーの許を後にしたパジェノーは、果たせるかなキンボールに対し1秒のリードを得てコースへと舞い戻った。

 スタートから拡散していったはずの2人の線は、彼らが合流したこの73周目のターン1からターン4にかけてふたたび撚りあわされることになる。ターン2のヘアピンを立ち上がり、バックストレートに設定された全開のターン3を抜けてターン4のブレーキングゾーンへと差し掛かる。中盤を支配していたミッドオハイオのキンボールにとって、この瞬間こそ勝敗へと至る唯一にして最後の分岐だった。タイヤの温まりきっていないパジェノーが姿勢を乱されないように慎重に減速を開始したそのインサイドに向かって、キンボールは斜めのラインのブレーキングで深く、深く踏み込んでいく。2本の線が偶然にも絡みあったポイントで、キンボールは果たすべきオーバーテイクを完了した。この分岐を制したことは、彼の初優勝により大きな価値を与えることになるだろう。この日のチャーリー・キンボールは速さと、一度きりの機会に飛び込むだけの決意を持ち、だれにもなしえない唯一の走行ラインを描いてみせた。それは選手権に囚われないレースの一回性に刻みつけられる情動にほかならない。パジェノーを抜き去ったキンボールは、フィニッシュに向けて18周のうちに5秒のリードを築いた。すべては一度きりの出来事だ。気まぐれのように撚られた線は、正当なスピードによって必然的に解かれる。その単純な真実を、選手権を担っているわけではないこのドライバーは、彼自身の役割として硬直したミッドオハイオに知らしめたのである。

佐藤琢磨のターン3は、シモン・パジェノーの初優勝のようなものだ

【2013.6.1-2】
インディカー・シリーズ第6-7戦 デュアル・イン・デトロイト
 
 
 今シーズン初の2レースイベントとしてベル・アイルで開催されたデュアル・イン・デトロイト(それがどうにも俗悪に見えるということを言っておくべきだろうか?)を、佐藤琢磨はおよそ何も得ずして終えた。シリーズ6戦目となるレース1はチームの燃料計算ミスによるガス欠でラップダウンの憂き目にあい、第7戦レース2では24周目のターン3でトリスタン・ボーティエにアウトから並んで進入した際にイン側の相手に右フロントタイヤを当ててしまい、反動で反対側のタイヤバリアへと流れてクラッシュした。イベント前には2位だったドライバーズランキングは2つのレースで21ポイントしか取れなかったことで6位へと後退し、チャンピオンシップで後れを取る結果となる。両レースともに後方グリッドから追い上げていたさなかのアクシデントであったことは惜しまれてよいが、それにしても意地悪い向きにはようやく佐藤琢磨らしくなってきたとほくそ笑むことくらいはできるかもしれない。率直にいえば、いくら好調でもやっぱりレースを失いやすいドライバーであることに変わりはないのだ。

 当の佐藤はレース2のフランス人ルーキーに対し、DNFに追い込まれたクラッシュそのものよりもレーススタート時の振る舞いについて強く怒りをあらわにしている(『ジャック・アマノのINDYCARレポート』2013/6/4)。自身も第4戦サンパウロでの執拗なディフェンスで物議をかもしたわけだが、たとえばそのとき他のドライバーから浴びせられた「俺がブロッキングだと思ったからブロッキングだ」といった程度の非難に比べれば、ボーティエが犯したらしい違反とそれに対して下されるべきだった措置を具体的に指摘する彼の言葉はすばらしく論理的だ。すなわち、スタート時にアウトサイドの並びだったボーティエは、最初のグリーン・フラッグ直前の、まだレースが始まっていないタイミングでインサイドにいた自分の前に割り込んできた。スタート前は2台がサイド・バイ・サイドで並んでいかなければならないにもかかわらず彼は加速してドアを閉め、ラインを失ってコンクリート・ウォール間際へと追いやられた自分はブレーキを踏まざるをえなくなった。この動きに対してはペナルティが科せられる必要があるはずだがスタート後にどれだけコクピットから訴えてもレース・コントロールのアクションはないまま、巡り巡って24周目、「本来ならそこを走っているべきではなかった」ボーティエ当人と接触して自分は必要のないリタイヤを喫してしまった、という顛末である。

 あくまで被害者側の証言なのでひとまず話半分に聞いておくのが公平ではあるとはいえ、語られている内容の整合性にはなるほど隙が見当たらず、本来ならレース・ストラテジストが発してもよさそうなレベルのコメントとさえいえる。実際に起こった(自分が観察した)現象とそれがどういう問題を孕むのかを的確に言語化してしまうこの技術は、レーシング・ドライバーとしてはなかなか得がたいものだろう。弁護士の息子として育ったことが関係しているのかどうか、そういえば2004年のバーレーンGPだったかラルフ・シューマッハと接触したときに滔々と自らの正当性を主張して相手にだけペナルティをプレゼントしたなんて過去があったのを考えても、これはF1時代からすでに備わっていた彼の生来的な能力なのかもしれない。言葉の端々に隠しきれない怒りこそ感じさせるが、少なくとも、危険な雨中のリスタートを強行したレース・コントロールに両手の中指を立てて抗議したまではよかったが逆に自分のほうが罰金を食らったウィル・パワーや、視線をF1に転じて無謀な追突をしてきたセルジオ・ペレスを「だれか殴ってやれ」と言ってのけたキミ・ライコネンに比べれば、ずいぶん理性的な反応ではないか(もっともふだん冷静なアイスマンのことだから、暴言にもきっと理由があるのだろう。酔っていたとか、アルコールを摂取していたとか、もしかして酔っぱらっていたとか)。

 おそらく世界を見渡しても、自分のクラッシュについてこれほど整合的な物語(ただ出来事を並べるのではなく、30分前の問題を遠因として挙げてしまうのである)を伝えられるドライバーはけっして多くない。その秀でた能力は疑うべくもないだろう。だがわたしがこの一件によって気づかされたのはむしろその正反対であろうこと、彼が長いトップフォーミュラのキャリアで数多のクラッシュを重ねてきた理由の一端だった。上の「すばらしく論理的」という記述には、実のところ皮肉がこもっている。ボーティエの動きを問題視するそのコメントはたしかに論理的なのだが、しかしまた論理的にすぎるのだ。一分の隙もなく紡がれた物語には、佐藤琢磨というドライバーがレースに対してある種の潔癖な理想を抱いていることを想像させる。考えてもみてほしい。ボーティエは「本来あそこを走ってるべきじゃなかった」(前掲リンクより引用)ドライバーで、佐藤自身は「いちゃいけない相手と」(同)レースをした。その説明が保身による自分勝手な解釈でないとすれば、まさしくそのとおりだろう。では、そんな「本来」「いちゃいけない相手」と、彼はなぜ、動機ではなく原因として、なぜ、接触することになったのだ? いつもながらのまわりくどい文章で核心を迂回しようというわけではない。答えは簡単だ。だとしても、ボーティエは現実にそこを走っていたのである。

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 デトロイトのレース1を制したのはデイル・コイン・レーシングからスポット参戦したマイク・コンウェイだった。こういう結末を、わたしはかならずしも歓迎できたわけではない。2回にわたるオーバルレースでの大クラッシュで大きな怪我を負った経験を持つコンウェイは、そのためにオーバルレースを二度と走らないと決めた。オーバルを引退しただけでなく活動の拠点をヨーロッパへと戻したこのイギリス人は、にもかかわらずWECの片手間のようにデトロイトへとやって来て、呆れるほど速かった。それだけならまだしも、ひと月前のロングビーチではレイホール・レターマン・レーシングで参戦して、今回はデイル・コインなのである。「そこにシートがあるから」という以上の意味を見出せないまま走るドライバーに圧倒されては、乾いた拍手しかできなくなってしまってもしかたあるまい。結果を伝えるwebニュースが「コンウェイ今季初優勝」と書いているのにも陰鬱とさせられた。シリーズを争っていないコンウェイに「今季」なんてあるものか、ふらっと現れて優勝しただけだと言いたくなったりもするわけだ。

 もちろんそれはコンウェイの責任であるわけがなく、むしろ彼自身の振る舞いはインディへの郷愁にあふれているし、そのスピードには惜しみない賞賛を贈りたいと思う(べつに彼のことを嫌っているのではない)。2年前のロングビーチはほとんど運だけで舞い込んできたような初優勝だったが、土曜日のコンウェイに非の打ち所はなかった。愚痴っぽくなるのはあくまでインディカー・シリーズに対するこちらの心持ちの問題だ。本当ならウィル・パワーこそああいうレースぶりで圧勝しなければいけなかったのではと思ったところで結果が変わったりなどしないのだから、勝つべきではない(と信じ込んでしまった)ドライバーが勝ったといっても、現実がそうであるなら折り合うべきである。

 そんなふうに受け入れるのに一呼吸必要な現実があったことを思えば、翌日にもう次のグリーン・フラッグが振られたのだから、俗な金儲けにしか思えなかった2レースイベントにも一種の安定剤としての効果があったかもしれない。日曜日のレース2でもコンウェイのスピードに翳りはなかったが、終わってみればシモン・パジェノーがはじめて勝利する。序盤のラップリードこそコンウェイに制圧されたもののプライマリータイヤを履いた後半はどこまでも速く、フィニッシュでは6秒後方に封じてみせた。とくに第3スティントの終わりから最終スティントにかけてが初優勝のハイライトとして記憶されるべきだろう。最後のタイヤ交換後にダリオ・フランキッティに引っかかってタイムを失ったコンウェイの隙を見逃さずにプッシュし続けてピットワークでリーダーの座を奪い取ると、最終スティントではこの日最速だったはずのコンウェイと互角のラップタイムを刻んで、おなじ戦略でオルタネートタイヤを履いていた2番手のジェームズ・ジェイクスともども退けたのである。勝敗のキーとなるポイントで揺るぎなく速く走れる資質は、まぎれもなく一流ドライバーの持つそれだ。必要なときに必要なスパートを遂行することで、パジェノーは難しいレースを勝ちきった。彼は言う。「荒れたレースを冷静に、スマートに戦い抜いた」。

 ジェームズ・ヒンチクリフと佐藤琢磨に先を越されてしまったものの、昨季のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得したパジェノーがインディで次に初優勝を果たすべきドライバーであることは明らかだった。しかしいまだ軸の定まらない混戦のシーズンとはいえ、その中でもやや戦闘力に欠けるシュミット・ハミルトン・モータースポーツでそれを遂げるのは、けっして簡単なことではなかったはずだ。トップチームに移ればすぐさまチャンピオンになれるという世間の評価はけっして大げさでない。わたし自身も、昨季あらゆるストリートコースでケータリングができそうなほど滑らかに縁石を踏むさまを見て、それだけでこのドライバーに勝利を与えることがインディカーの使命だと信じきってしまった(それは、F1で昔のセバスチャン・ベッテルに対して抱いた感情と同様のものだった)。逆転を生む戦術の遂行を可能にする高い技量によってその確信は証明され、デトロイトは幕を閉じた。

 わたしにとってレース1がどうしようもない現実だったとするのなら、レース2は理想がひとつが現われた瞬間だった。コンウェイの勝利には(彼自身の事情とは別に)失望を禁じえなかったが、それもパジェノーの初優勝によって回復してしまう。目まぐるしく相貌を変えるインディカー・シリーズで、デトロイトの2日間はちょうどうまいぐあいにコインの裏と表を1回ずつ出してみせた。ここからはわずかばかりの寓意を汲み上げることができそうだ。レースには現実もあれば、理想もある。あってはならないことを受け入れるべきときも、あるべきことが実現するときも、平等にやってくる。片方だけなんてことはない。

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 佐藤琢磨は、トリスタン・ボーティエはそもそもその場にいるべきドライバーではなかったのだと言う。それが間違いのない事実だとして、ではそんな幽霊と接触して自分だけレースから退場することにいったいなんの価値があったというのだろう。たとえ認めがたいことだったとしても、現実にボーティエはそこを走っていた。にもかかわらず直角ターンでアウトから並びかけるというリスクの高い勝負で抜き去りにかかったドライビングをいま振り返ると、まるで、より多くのポイントを持ち帰ることではなく認めてはならない現実を解消することを唯一絶対の使命としていたようにさえ見えてくる。「そうあるべき」だった、ボーティエのいないレースを取り戻すためのサイド・バイ・サイドに殉じて、そのクラッシュは起きた。そしてそれこそが、佐藤琢磨が過ごしてきたキャリアそのものなのではないのだろうか。今にして、過去のクラッシュのうちのいくつかは今回と同様にして犯されてきたのではないかと思えてならなくなっている。

 すでに書いたように、ボーティエに対する佐藤の非難は論理的だ。だが同時に、それはあまりに論理的すぎ、正しすぎるという印象も与える。例にあげたバーレーンGPでの件でもそうだが、彼の理知的な振る舞いにはともすれば危うい過剰さがつきまとう。そこには彼の正しさ以外の事象が存在しないと言い換えてもいい。身勝手な論理での言い訳が巧みという意味ではなく、自分の正当性を正しく認識し、的確に抽出してみせられるということである。繰り返すがそれが特筆すべき能力であることに疑問の余地はない。

 しかし、と思う。ゆえにこそ、彼は自らの殉教者になってしまう。理知的でありすぎるために、心の奥底にある純粋な信念を理性が強固に補強して不可侵の無謬性をまとわせ、やがてもはや自分自身でさえ撥ねのけることができなくなっていく。"no attack, no chance"――その言葉どおり佐藤琢磨はいつも自分を貫いてきた。彼の中にはつねに理想があり、それは正しかった。だが、クラッシュという現実はその崇高さや強度とは無関係に、ひとりのドライバーが抱く理想を跳ね返すときがあるということなのだ。たとえば去年のインディ500のように。たとえば9年前のヨーロッパGPのように。あのときも佐藤琢磨の動きは完璧だった。それでも、彼の理想が描いたレーシングラインの先にはダリオ・フランキッティやルーベンス・バリチェロが理想を無に帰せしめる現実として文字どおり物理的に立ちふさがっていたのである。チェッカー・フラッグを受けることなくレースを終えると、突いてでたのは現実に呑み込まれる前に抱いていた理想と、それを妨げた相手の具体的な問題点だった。その物語は2013年にしたのとおなじように完璧で、やはり完璧でありすぎた。

 秘めたる理性に破綻がないからこそ正しく形作られすぎた信念によって、現実との折り合いがつきにくくなってしまう。佐藤琢磨の印象的なクラッシュは、彼の中にあるそんな齟齬からしばしば生じたのだと、今わたしはようやく悟ることになった。それがコインの裏表だった2レースイベントによって引き出されたのは、もちろん偶然ではないのだろう。ヨーロッパから気まぐれのようにやってきて勝ってしまうドライバーがいれば、待ち望まれた優勝をついに果たしたドライバーもいる。マイク・コンウェイの現実とシモン・パジェノーの理想を結んだ線上で、佐藤琢磨はリタイアした。きっとやむをえないことだ。理想だけが重たくなった歪なコインを投げたとしたら、反対側の現実ばかりが出るに決まっているのだから。