【2019.6.23】
インディカー・シリーズ第10戦 REVグランプリ
(ロード・アメリカ)
ロード・アメリカの開幕を告げるグリーン・フラッグが振られるやいなや、アレキサンダー・ロッシがいちどコルトン・ハータの真後ろに潜り込み、須臾のドラフティングののちにふたたび打ち出されたように飛び出すと、ターン1の進入ではすでにフロントノーズの先端がわずかながら先んじているのだった。外から被せられたせいで立ち上がりのラインを封じられ十分な加速のための空間を失ったハータはロッシとの速度差に少しずつ後れを取る。その先に広がる長い直線と、コーナーとも言えない全開区間のターン2で、それでも内側のラインを維持してかすかに差を縮め、ターン3へのブレーキングに希望を託したものの、相手の深い飛び込みを前に為す術はもうなかった。立ち上がりのトラクションはロッシがはるかに優れ、2台は瞬く間に遠ざかっていく。ターン4に至って佐藤琢磨がウィル・パワーの懐に飛び込んで鮮やかなパッシングを完成させ、と同時に後方でスコット・ディクソンがまたもやスピンを喫した場面に注目が移ろったとき、すでに先頭の争いは決着し、2勝目を目論んだハータの野望は潰えていた。レースはロッシが支配する。サーキット・オブ・ジ・アメリカズでの最年少優勝に続き、最年少ポール・ポジション記録をも更新した19歳がレースをリードしたのはほんの30秒程度にも満たず、予選での歓喜に反して、とうとう一度も先頭でコントロール・ラインをまたぐ機会はなかったのである。
劈頭の攻防でロッシに攻略されて以降、ハータの決勝はおよそ苦難の連続だった。スタートからしばらくのあいだ、彼のペースはどうやら良好で、だというのにロッシのそれにはまったく及ばずにいた。7周もすると、ハータは3番手のパワー――佐藤はジェームズ・ヒンチクリフへの仕掛けを誤ってふたたび後退していた――に対して6秒の大差をつける。後方に追いかけてくる影はなく、その一人旅の場面を切り取ってみるとポールシッターが圧勝する趣さえ漂わせていると見えるのだが、実際のところは皮肉な意味での「一人」旅であり、つまりロッシはそれほどの速さを持つハータの存在さえ一笑に付す程度に子供扱いして3秒も前を走ってすでに視界から消えているのだった。勝機を見出すには序盤にしてフルコース・コーションを願うばかりで、土曜日までの調子を思えばとうてい信じがたく、受け入れるに困難な状況だっただろう。まして、先頭には届かないその速さすらも長くは続かなかった。予選で履き、決勝のスタートで使用義務を負ったオルタネートタイヤは場合によっては2~3周しか持たないと言われるほどグリップの低下が急激なもので、だれもが丁寧な運転を要求されていたのだが、ハータのタイヤは明らかに周囲よりもひと足先に「終わって」しまった。パワーを6秒引き離した7周目から2周もすればその差はあっという間に4秒へと縮まっており、ロッシには5秒も置かれている。10周目にはほぼ直角コーナーのターン5で大きく飛び出した。舗装されたランオフエリアに救われてどうにか戻れたものの、縁石をまたいでコースに合流した際にリアタイヤを振り出し、反射的に大きなカウンターステアを当てなければならなかったのを見れば、もはやタイヤに手応えがないであろうことは明白だった。ロッシは遥か彼方へと去りゆき、パワーが2秒差に詰め寄る。グレアム・レイホールと、少し離れてはいるがジョセフ・ニューガーデンも続いてくる。11周目が完了するころにはもう0.7秒しか離れていない。たった4周、時間にして7分のあいだに、ハータはポールシッターであった自分を忘れてしまったかのような凡百の存在になってしまった。一貫性の断裂。インディカーでは珍しくないことだが、いざ断ち切られてしまえば元に戻すのは難しい。(↓)
もちろん、それでも新品のプライマリータイヤに履き替えれば、まだ反撃の機会はありえただろう。速さを失ったおもな原因がタイヤであるのなら、条件を変えることで可能性を取り戻せても不思議はなかった。だがそれも結局、チームの些細な不手際によって儚く消えた。追いついてきたパワーに対して何度もインを閉めて防御を試みるも、抵抗虚しくとうとうターン5(またターン5だ)のブレーキングで外から交わされ、レイホールにも順位を明け渡したハータは13周目の終わりにピットへと向かった。最初のピットストップにしてもう状況に苦しんでいる、焦りがあったなどとは言うまいが、こういうときにトラブルは起こったりもする。画面に映ったのはハーディング・スタインブレナー・レーシングのクルーが差し込んだホースが車にうまく接続されず、給油に手間取る場面だった。数秒は失っただろう。レースが少し進んで状況が整理されたとき、ハータがいたのは8番手で、もう中団の一角と言うしかない場所にすぎなかったのである。
必要のないトラブルが、さらに不要な問題を引き起こす。タイヤを替えたハータははたしてペースを回復したが、6番手のシモン・パジェノーに追いついた21周目のターン5(みたびターン5である)で、パワーにやられたのと同じように外から追い抜こうとして接触し、大きく芝生まで押し出された。パジェノーの前には出たものの、直前に抜いていたフェリックス・ローゼンクヴィストとディクソンに交わされて、復帰したときにはまた8番手なのだから、右往左往した挙げ句に元の木阿弥となったというほかない。ディクソンは御多分に漏れずオルタネートタイヤのグリップ低下に苦しんでいたが、抜き返したのはコースアウトからようやく5周も後になってからのことで、その時点で彼自身のレースはすっかり終わってしまった。先頭からは30秒も離れている、何をすればいいというのだろう。本来ならこんな場所を走っているはずはなかったし、走るべきでもなかった。特定の場面を小さく切り取れば、ロッシには及ばずとも間違いなく上位の一角を占めるだけの速さはあった。ローゼンクヴィストを2度も抜かなければならない事態に陥ることもなかっただろう。だが現実はこのとおりだ。予選で敗れたドライバーが「ベストのセクターを繋げればポール・ポジションだった」と言っても詮無い言い繕いにしか聞こえないように、この日のハータは瞬間的な「部分」の速さをレースという一本の全体に結ぶことができなかった。(↓)
そうして降り積もった澱が、最後には判断のミスを、そしてドライバーのミスをも招く。順調に戦えていれば考えもしなかっただろうが、42周目、最後のピット作業に迎え入れたハータに履かせるタイヤとして、チームは寿命の短いオルタネートを選択した。第1スティントの終わり、パワーとレイホールに次々と交わされた場面を思い返せば、とうていありえない判断に思われた。そこに作戦的な思惑を読み取るとすれば、交換直後にすばやく熱を入れ、グリップが高いうちに順位を上げて、あとは最後まで粘り切る方針だったろうか。コーションともなれば先頭との差が縮まるうえにタイヤも休ませられるといった皮算用もあったかもしれない。いずれにせよ、それはどう見ても踏み込みすぎた賭け――結果から遡っていうのではなく、決定が下された時点でそうと思われる――だった。人は欲するものを求めるよりも、喪失したものを取り戻すときに冷静さを欠いて引き際を誤り、妥協点を見失う。順調に2番手を走り続けていればまったく必要のなかった、無理にでも順位を上げるための方策は、ハータとチームが抱いていた失望の裏返しに違いなかった。最初の地位からの転落、求めていたものとの落差。彼らが糊塗しようとしていたのは受け入れがたい現実で、そのために危険への感度が鈍ったのだともいえた。
たしかに、一時的には希望を見出せる展開にはなったのである。コースに合流したハータは、1周前にプライマリータイヤに交換を終えていたヒンチクリフにいったん交わされたものの、タイヤの温まりの早さを生かして引き離されることなく背後を維持し、45周目には再逆転に成功した。5番手。すぐ前には序盤で散々にやられたレイホールと、それからニューガーデンが見えており、追いかけられる速さもあった。そこからの数周はまぎれもなくハータの時間であるはずだった。ターン12のボトムスピードは見るからに周囲より早く、最終コーナーをシビアに立ち上がって差を詰める。ターン1の出口でわずかにスライドを始める車をぴたりと抑えて確実に立ち上がっていく様子は、ポール・ポジションを獲得した才能を示唆するようだ。ターン3のブレーキングは目を瞠るほどに深く、ターン4のそれでは不安定に揺れながらも目標に向けて車を止めきってみせる。一度など、ターン3で近づきすぎてコースオフするほど回避行動を取らなければならなくなった。そうした危うくも美しい機動の連続で、ハータはレイホールたちに追いつき、失った地位を取り戻そうとしている。悲壮さえ感じさせるスパートはたしかに観るものの胸を打ち、そして唐突に終わった。ハータのオルタネートタイヤは狙いどおりに機能し、懸念どおりに寿命を迎えた。残り6周、ターン5から7にかけてだっただろうか。切り返しながら進む3つのコーナーを抜けるばかりのあいだにハータはレイホールから後れを取り、気がつけば攻略したはずのヒンチクリフが背後に迫っているのだった。(↓)
このロード・アメリカで、ハータが得た結果はけっして大きいものではなかった。だが自らの力でもっとも速い予選タイムを記録しつつも、一方でその速さを生かしきれず強敵に先頭を明け渡し、ピットのミスや作戦の失敗を正面から受けて順位を落としたレースぶりは、偶然の要素が強いピットストップのタイミングを利して1位を得たインディカー・クラシックでの最年少優勝よりも遥かに彼の資質を示していたと確信させるだろう。才を証しながらなお現実に打ちのめされる経験など、だれもができるわけではない。ただ平凡なドライバーなら、敗れるべくして敗れるレースを繰り返すのみなのだから。彼は正しく、印象深くレースに敗れた。2014年ミッドオハイオのニューガーデンを思い起こさせさえする、それは美しい敗戦に他ならなかった。まだ20歳を迎えていない彼の活躍を、われわれはやがて当然と受け止め、驚かなくなるだろう。そのとき契機として喚起される日は、きっとここにあるはずだ。レースは残り2周を迎えた。ターン3でヒンチクリフに抜かれたハータは、すでにグリップを失ったはずのタイヤで完璧な加速を披露し、にわかには信じられないことにターン5の進入でふたたび抜き返して6番手を死守している。直後はディクソンに入れ替わる。だがコントロール・ラインに至り、最後の周を伝える白旗が振られるころ、とうとう限界を迎えたようだった。ターン1、襲いかかるディクソンに対してもう抵抗する力は残っていない。ローゼンクヴィストにも、この日何度も戦いの舞台となったターン5で先行を許した。滑るリアタイヤを抑え込みながら立ち上がるころ、画面はずっと先のロッシが優勝のチェッカー・フラッグに浴する場面に切り替わる。そうしてふたたびハータの姿が映されたとき、彼は本来なんでもない全開区間であるはずのターン11、キンクコーナーでラインを外し、グラベルへと飛び出した。ヒンチクリフが今度こそ簡単に前に出る。はじめてポール・ポジションについた期待に満ちたレースだった。その終幕を、ハータはファイナルラップで3つ順位を落とす悔恨とともに終えなければならなかった。観客の身勝手で残酷な言い分だとしても、それはきっと、彼のキャリアにおけるすばらしい過程だった。■
Photos by :
Chris Jones (1, 3, 6)
Joe Skibinski (2, 4, 5)