語りえぬことに口を開いてもろくなことにはならない

【2015.5.30-31】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト
 
 
 最大の祭典であるインディアナポリス500マイルから5日空いただけでもう次の決勝が始まるのだから、関係者はもちろん、現地からようやく火曜日の夜に帰宅した日本人ならずとも少しは落ち着けと言いたくなろう。天も似たような気持ちだったのかどうか、インディ500には遠慮した雨雲を、大きな利息をつけてデトロイトに引き連れ、混乱に満ちた週末を演出してしまうのだった。土曜日のレース1、日曜日のレース2ともに突きつけられた赤旗は、レースを唯一断ち切る旗としての暴力によって、今季ここまでかろうじて認められてきたシリーズの一貫性を奪い去っていった。このブログはレースにおいて複雑に絡みながらも始まりから終わりまで一本につながる線を見出し、テーマとして取り上げて記していきたいと考えているが、気まぐれな空模様や凹凸だらけの路面、そして数人のドライバーの不躾な振る舞いと楽観的すぎる(あるいは悲観的すぎる)チームの判断は、デトロイトの週末からあらゆる関連性を切り離し、すべての事象に因果のある説明を与えようとする態度を拒否するようだった。なぜレース1でカルロス・ムニョスが勝ち、レース2をセバスチャン・ブルデーが制することになったのか、もちろん原因を分析して答えることは可能だが、その原因に至る道筋にはまったく理解が及ばない。はたして土曜日の始まりには、インディ500がそうであったように、結局チーム・ペンスキーのための、付け加えればこの都市を地元とするシボレーのための催しになるとしか思えなかったダブルヘッダーは、わたしの頭にいくつもの疑問符を残したまま過ぎていこうとしている。

 もちろん、起きた事象のひとつひとつは喜ばしく受け止められるものだ。ムニョスの初優勝はそのデビューのころからの走りを見ているかぎりむしろ遅すぎると言ってよいほどだし、ブルデーもまた、昨年挙げた7年ぶりの優勝が一度きりの夢ではなかったことを結果として示してみせた。佐藤琢磨のレース2はレース1での不運を帳消しにして余りあるもので、いまのホンダ勢でもっとも優れるグレアム・レイホールの速さが条件を問わないことも見えはする。だが土日の2日間で良績を残したドライバーたちを見ていても、彼らの間に有機的な繋がりを見てとるのができないのが正直なところだ。ムニョスと、レース1で2位だったマルコ・アンドレッティの間で順位が争われた形跡はなく、ブルデーと佐藤が直接切り結んだのは、赤旗で完全に振り出しへと戻されたレースが再スタートされたその一瞬だけで、それまではお互いにまるで関係のない戦いをしていたのではなかったか。わたしはいまもって、なぜ佐藤が2位になれたのか理解しきれていない。いや、もちろん「理由」はわかる。ホンダエンジンがやや優れていた燃費と、それが最大限に生きるようなイエロー・コーションが多発した展開、そして何より、レイホールにブロッキングペナルティを犯させるほど追い込めた単純な速さ。すべてがよく噛み合ったことで、佐藤は今季最上位となる表彰台に登ったとはいえるのだろう。だがその結末を過程の中に探し求めることがほとんどできないのだ。たとえば10周目、20周目、30周目……と区切ったとき、それぞれカーナンバー14が2位に入ることに賭け金を投じられたかといえば、結果を知っている今でさえ自信がない。50周目の5位でもまだ懐疑的で、60周目に3番手へと浮上したことでようやく数ドル出してもいいかと思えるくらいだが、この時点さえ、上位陣の燃料残量には明らかに不安があった。それなのに、終わってみればこうである。意味のない――価値がないということではなく、語りを受け付けないということ――レースだったと結論するのは情けないかぎりだが、そう思わざるをえなくなっている。

 思えば、レース序盤の雨によって濡れた路面がすっかり乾いていたレース1の31周目、フルコース・コーションの最中にチップ・ガナッシが「雨が降りそうだ」というあまりに漠然とした期待に基いてエースのスコット・ディクソンをピットへと呼び戻しレインタイヤを履かせる愚を犯したところから、このダブルヘッダーは語られることを拒否しはじめていたのだろう。たしかにヘリコプターからの空撮映像ではすぐ近くで大きな雨雲が強い雨を降らせているのがありありと見て取れ、その雨が10分もしないうちにサーキットを襲うだろうとも予想されていたのだが、だとしてもまだ路面が濡れる前から雨に合わせたタイヤを履くような脳天気な真似が、レースに歓迎されるはずはなかった。

 だから他のチームも、この2年前の王者の愚策を鼻で笑っておけばよかったのである。少なくとも雨が降っていない現在をとりあえず信用して、リスタート後のディクソンのラップタイムを1周か2周でも見てから判断を下せばよかった。だがディクソンに輪をかけて不思議なことに、ほとんどのチームはグリーンフラッグが振られた次の34周目にピットインを行い、落ちてきてもいない雨のためにタイヤを交換して戦おうとした。ディクソンと違ってもはやコーションラップで作業の遅れを帳消しにすることさえできないのだから、実際に雨が降るまで待てばいいものを、雪崩を打ってみながみなレインタイヤを求めたのだ。なにをどう解釈しようと不可解だとしか言いようがない。雨雲の到来は予想より少し遅れ、レインタイヤ勢はドライタイヤのままコースに残った車よりも1周あたり10秒も遅い惨状を呈することになるが、予想どおり雨雲が来たところでアンドレッティ・オートスポートの1位と2位が入れ替わる程度の違いにしかならなかったことだろう。「雨が来そうだ」という楽観的な見込みと、「チップ・ガナッシが替えた」という出し抜かれるかもしれない悲観的な態度が合わさって生じたのだろうか、34周目の大量ピットインでレースはあっさりと瓦解してしまったのだ。賭けに失敗して負け馬になったはずのディクソンが、にもかかわらず周囲までその負け馬に乗ってきたために5位でゴールした皮肉は、このレース1に対して過程を問うことの無意味さを知らしめていよう。そして、そんな浮ついた意識が結局日曜日のレース2まで続いて、語れない週末が終わってしまったのだ。チップ・ガナッシとペンスキーがそれぞれチームメイト同士の事故によって車を失うなど、およそ考えられる事態ではなかった。

 選手権上位を占めるペンスキー勢のほとんどが沈み、選手権下位のドライバーたちが表彰台に並んだこのデトロイトは、このままいけばシーズンの流れにほとんど影響を与えないだろう。たいていの場合あのレースでああしておけばという後悔が選手権には生じるものだが、秋になって振り返ったとしても、デトロイトのことはほとんど記憶から引き出せないはずだ。波乱のレースは、波乱だったゆえに選手権に波を立てず終わった。語りえないレースは、選手権をも語りえなくしてしまうといったところだろうか。

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