【2016.4.2】
インディカー・シリーズ第2戦 フェニックスGP
フェニックス・インターナショナル・レースウェイでインディカー・シリーズのレースが開催されるのは2005年以来で、いまはNASCARへと転出したダニカ・パトリックが新人として走っていた年だというから、ずいぶん昔日のことになってしまったと懐かしくさえ思ったおり、ふとひとつの違和感を得て調べてみると、一年のうちでインディアナポリス500マイルより前にオーバルレースが行われるのも2010年まで遡らなければならないという記録に行き当たって、あらためて楕円に沿ってひたすら高速で回り続けるこの魅惑に満ちたレースがもはやすっかり姿を消してしまった事実を自覚させられるようで嘆息のひとつも漏らしたくなってくるのだった。オーバルの剥離はインディカーの、どう取り繕おうにも凋落と言うほかないほどの低迷と疑いなく軌を一にしており、インディ500を除けばどのレースウェイを見ても空白だらけの観客席に寂寥を覚えるばかりなのだが、11年ぶりに戻って来た、つまり郷愁と物珍しさを利用して人を集めるのに最適な条件が整っていたはずのレースでさえ復活を謳えるほどの客入りではなかったことに、もう手立てなどどこにも残っていないのだろうかと、日本のテレビ観戦者に過ぎず直截にはなんの貢献もできないくせをして身勝手にも憂鬱になる。結局のところNASCAR(わたし自身は熱心に見ているわけではないのだが)開催時の観客席と比べると差は歴然で、ホームストレートの目の前でさえ空席が目につき、ターン4や1にいたっては人影のほうが目立って見えるほどのありさまだったのだから、甲斐のない現状であることを否定するのは難しい。他のカテゴリー、まして米国で随一の人気を誇るストックカーと並べるのはさすがに酷で詮ないと振り払おうにも、今度は皮肉なことにGAORAがレース前に懐かしの映像として流した11年前のフェニックスに活気が溢れていて、今との落差が時の流れの残酷さを示してしまうのだ。見ているとその映像の実況でなぜか「IRL」と言われていたのが聞こえ、当時すでにシリーズは現在とおなじ「インディカー・シリーズ」に変わっておりIRLの名は運営統括組織として残っていただけのはずだが、とはいえ対抗するチャンプカー・ワールド・シリーズ(IRL分裂後、破綻したCARTを引き継いだシリーズである)もまだかろうじて息をしていて、なるほどたしかにIRLと口にしたくなるほどその面影が色濃く残っていた時期であったのかもしれない。「IRL=Indy Racing League」というなんとも中途半端な名称は、オーバルを毀損していたかつてのCARTに対するアンチテーゼとして「真のインディカー」を取り戻すべく蜂起するにあたり商標であったIndycarの名の帰属をめぐって法廷闘争が起こった末の妥協の産物に過ぎなかったのに、振り返れば名前を使えなかったIRL時代のほうが現在よりもよほどその精神が充足して見えてくるのだからやはり皮肉を感じずにはいられない。あるいは名乗れなかったからこそ純粋な姿を追い求めていられたのだとすれば、遠くから焦がれるときの理想がいちばん美しくようやく手にしたとたんに褪せてしまったのだから、これもまた皮肉である。2005年のインディカー・シリーズは14のオーバルレースと3つのロード/ストリートレースによって戦われており、IRL時代から続いた全戦オーバルの掟がはじめて破られた年だったが、シリーズの主体はまだ楕円の中にあった。それもいまや5つのオーバルと11のロード/ストリートに反転している。この間に源流をともにするCCWSは消滅を迎え、やがてインディカーの統括組織も改称されて「IRL」は完全に歴史上の単語へと移ろった。前回のセント・ピーターズバーグGPについて記した際、わたしはそのあり方がまったくといっていいほど変わらないといったわけだが、単一のストリートレースに目を向ければそう見えるという話であって、そこに時代という串を一本刺せば先端と根本はあまりに、懐古趣味と嗤われようと好ましくない形で違っている。11年。そういえば去年の5月にインディ500をその場所で観戦すべくインディアナポリス・モーター・スピードウェイに赴いたとき、観客席で隣り合わせになった地元在住の婦人はもう56年もここに通い続けていると話してくれたのだった。宿では43回目だと快活に笑う紳士にも会った。ふたりが愛しているのがインディ500なのかインディカーなのか、両者はともすると重ならない場合もあるので定かではないが、はたしてこの数年の間にさえ変わってしまったオーバルレースのありかたに、ふたりがなにか思うところはあるのだろうか。それとも、USACからCARTへ、CARTからIRLへ、2度のインディカー分裂と統合を直に見知っている生き証人として、それも歴史の中で受容すべき善悪の伴わない変化にすぎないと鷹揚に微笑むだろうか。
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足を運ばなかった人々の判断はたぶん、正しかったのだろう。ひさかたぶりのフェニックスは、ここ最近のオーバルの多くがそうであったのと同様、観客席の空白を戦いの熱量によって埋めることも叶わぬまま、最後にはその寂寞を象徴するかのようにフルコース・コーションの中でおもむろに走る車列に対して振られたチェッカー・フラッグによって終わりを告げられたのだった。そうなってしまった理由は明白に思える。レースの様態がまさに「最近のオーバル」の悪弊そのものを表しており、ずっと抱えつづけているジレンマを払拭できなかったばかりか、より露骨な形で示してしまったのだ。エリオ・カストロネベスがポール・ポジションでスタートしたレースのラップチャートを見返していると、あまりに整然とした数字の並びにゲシュタルト崩壊を起こしかけるとともに絶望的な目眩に襲われそうになる。カストロネベスは40周目に突如として右フロントタイヤのパンクに見舞われて最下位に転落するのだが、そのカーナンバー「3」は1周目から39周目に至るまで一度たりとも1位の欄から動いていない。さらには4番手スタートのチャーリー・キンボール、続くエド・カーペンター、スコット・ディクソン、ライアン・ハンター=レイ、ジョセフ・ニューガーデン……みながみな、自分の背負う番号をずっと同じ列に留めたまま周回を重ねている。2番手のトニー・カナーンと3番手のファン=パブロ・モントーヤが一度だけ23周目に入れ替わっているが、そのオーバーテイクが、スタートから40周目までに上位11人のドライバー同士で起こった唯一の――文字どおりの唯一、誇張抜きにたった一回きりの――順位変動だった(付け加えると、3周目から39周目の間、ようするにスタート直後を除くと、全員を対象にしても唯一の順位変動だった)と言えば、目眩のひとつも共有してもらえるというものだろう。強力すぎるダウンフォースによってタイヤの劣化を補って余りあるグリップ力を発揮する一方で気流の変化に対しては過敏に反応してしまう車両特性と、時間を追うごとに散らばるタイヤカスが、レーシングライン以外での走行をほとんど不可能にし、コース上での戦いを封印してしまった。
極度に戦いを仕掛けられないコース状況は、本来ならスピードによって勝負から排除されるべき存在を不必要に延命させもした。最後尾からスタートしたジェームズ・ヒンチクリフは上位の車に対して時速5マイルも遅いペースで走っており、20周もしないうちに周回遅れ寸前まで追い込まれたのだが、リーダーのカストロネベスはその後ろについたところで完全に歩調を合わせ、追い抜こうとする素振りも見せなかったのだ。カストロネベスにとってはわざわざラインを外してまで抜いていくのは危険が大きすぎ、また速度を落としたところで2位のモントーヤが仕掛けるのも難しいことはわかりきっていたから、現状維持で緩慢に走り続けるのが最良の選択だったといったところだろう。ヒンチクリフに対しては何度か進路を譲るよう青旗が振られたものの、その指示が実行されることはなかった。そもそも譲らせる権利を持つ当人が望まないのだから、審判がルールを持ちだしたところで意味などなかったのだ。1マイルの楕円のなかでウロボロスのように頭と尻尾をつなげ、気味が悪いほど1列のまま伸びきった隊列は、タイヤがパンクしたカストロネベスに代わって先頭に立ったモントーヤがようやくヒンチクリフをラップした49周目まで維持された。ショートオーバルでレースの20%にわたって周回遅れが出ないなど通常なら考えられない事態だった。
リーダーが遅い車をリードラップから振るい落としてその地位を確立させていくのではなく、正反対に最下位にまつろう醜悪を10分にわたって見せつけられれば、このレースを勝つのに速さや強さはまるで必要なく、何度か訪れるフルコース・コーションが最後に明けるときに偶然先頭に立っているドライバーがそのままチェッカー・フラッグを戴くことになると容易に想像された。実際そうなったはずだ。日曜日の順位をもっとも左右した場所はコースではなくピットボックスであり、ペンスキーやチップ・ガナッシ・レーシングは完璧な作業を遂行して彼らのドライバーの順位をことごとく上げていった。それはそれでトップチームかくあるべしという正しさを感じて悪くない趣向だったものの、しかしこの日に関してはあまりにも最終順位に直結しすぎたと言わざるをえない。6位スタートだったディクソンは53周目のピットストップで2位に上がると、モントーヤがカストロネベスとまったく同じ症状のパンクで優勝争いから脱落した96周目以降、じつに154周にわたって先頭を譲らずついにそのまま優勝した。してしまった、というべきかもしれない。昨季のチャンピオンが見せた追い抜きはカストロネベスのパンクによる混乱に乗じた40周目の一度きりで、あとはただずっと同じように車を走らせていただけだ。11位スタートのシモン・パジェノーは199周目のピットで3つ順位を上げて2番手になり、それからゴールまでディクソンの忠実な従者になってけっして背中を脅かさなかった。そしてまた、そんなパジェノー自身の居場所が3位のウィル・パワーによって脅かされることもまったくなかった。予選10番手だったパワーはこの日、コース上で1台に抜かれ、だれかを交わすことは一度もなく、しかしピットで差し引き5つ順位を上げてもらって表彰台に登った。かと思えば、いくつかのオーバーテイクと完璧なリスタートの連発を披露してもしかすると唯一の主役になれた可能性のあったハンター=レイは、オーバルというレースの構造そのものに沈められている。116周目と193周目の2度にわたって、グリーン・フラッグ中にピットインした直後に事故が起きてコーションとなり、何もできないまま下位へと叩き落とされたのだった。
圧倒的に速い存在がいたわけでもないのに、リードチェンジはたった2回。ピットストップのずれでたまたま先頭に立つドライバーも現れていない。231周目から250周目のゴールまで、本来ならもっとも戦いが激しくなる最後の20周でさえ、8位と9位が入れ替わった以外に何も変わらなかった。挙げ句コースに落下したデブリへの対処に迷ってイエロー&チェッカーとなってしまった結末を、どう肯定的に捉えたものだろう。戦わなかった、戦えなかったドライバーたちは自分自身の仕事を遂行したにすぎないのだから、ことさらに非難するつもりはない。だがドライバーが怠惰でなかったのならなおさら深刻だ。彼らが正しく走り続けるために選んだ最良の方法がもたらしたのがこんな風景なのだとすれば、もはやインディカーによって作られるレースの強度、インディカーでオーバルを走ることの意義にまで問題を遡らなければならなくなるのだから。
主役の現れない弛緩した隊列、強さのいっさいを葬る行進、消え失せるレース。フェニックスが直面したのは、「インディカー・シリーズ」の現状そのものである。2011年に発生したダン・ウェルドンの死亡事故以来、インディカーは危機的状況を避けることを念頭に置いて極力接近戦が起きないように規則を作ってきたが、結果として迫力に満ちた戦いは姿を消し、そのせいかただでさえ減少傾向にあった観客は年を追うごとにますます去っていった。そこに広がる風景はまだインディカーではなかったころのIRLが目指したもの、IRLの残り香が漂う前回のフェニックスにあったものとは似ても似つかない。オーバルを蔑ろにするCARTに向けられていたIRLの怒りは、しかし覇権争いに勝利し名実ともに唯一のインディカーとなった自分自身には届かずにいる。
たしかに、現在のオーバルレースはこれまでに増して困難な時期を迎えている。昨年のポコノでは、ウェルドンの死からさほど時を置かずジャスティン・ウィルソンの死亡事故が起きてしまった。それはまったく偶然で不運としかいいようのない悲劇だったが、人を躊躇させるには十分でもある。またポコノから遡ること2ヵ月、条件が整ったためにそこかしこで順位が変動しリードチェンジも80回に及ぶレースになった6月のフォンタナについて問われたドライバーたちは、かぶりを振って「狂ったレース」と感想を口にした。そういう具体的な危険を遠ざけようとした”努力”の延長線上、戦いを望まない「インディカー」の象徴として、フェニックスはあった。
そう、「フォンタナはIRLのようだった」とだれかがいったものだ。その言葉は明らかに否定的な文脈として発せられていた。IRLのように接近し、IRLのように危険な、IRLのようにばかげたレース。だがいかにそう非難されようとも、80回もリーダーが交代したレースと3人しか先頭に立たなかったレースのどちらを、われわれは望ましく受け止めるだろう。立ち返ってみれば、歴史の中でIRLはCARTに対して完全な勝利を収めた。それは本来、フォンタナのようなレースをこそ観客が願い続けたからではなかったか。選ばれたのはIRLだ。にもかかわらずその単語がもはや否定すべき精神を表す代名詞にまでなってしまったとするなら、インディカーのオーバルなど消えていく以外に道は残っていないではないか――事実、いままさに減り続けているように。
もちろん無責任に危機的なショーを見たいのではない。IRLのようなレースが危険を内包するものだとして、それを甘受しろとはいわないし、安全を求めドライバーをはじめとする関係者の命を守る試みは不断に続けられるべきである。しかし同時に、そういった努力もまた、「レース」という土台の営みが前提にあってはじめて成り立つものであることを忘れてはならないはずだ。いま、目の前で戦うべきレースがなくなっていくとしたら、もはや守るべき安全すら消えていってしまう。モータースポーツの進化とは危機を遠ざけて見えなくするのではなく、ドライバーたちが求める限界を超えてしまったときに訪れる危機を受け止め、なお無事に生還させることにあるはずだ。IRLを継ぎ、その中でいくつかの死亡事故に遭遇したインディカーにはそれができるかもしれなかったのに、彼らはレースを損ねる敗北の途を選んでいる。フェニックスで気付かされたのは、危険を避けようとするあまり、自らの寄る辺である「レース」そのものが消えつつあるやるせない現実であった。それは最近のオーバルを見ていればわかりきったことだったかもしれないが、空白の時間がことさら鮮明に浮かび上がらせてしまったのだろう。11年。インディカーはその時間に少しずつIRLを失い、自ら自身をも失おうとしている。