シモン・パジェノーはふたたび正しい資質を証明する

【2016.4.17】
インディカー・シリーズ第3戦 ロングビーチGP
 
 
 わたしの贔屓にするドライバーはジョセフ・ニューガーデンとシモン・パジェノーであるとさんざん書いてきている。かたや下位カテゴリーのインディ・ライツ王者を経て順調に米国でのレース人生を歩んでいるように見える20代前半のアメリカ人、かたや若手のころをチャンプカーとル・マンで過ごしてから本格的にインディカーへとやってきて、すでに中堅ないしベテランの域に達しつつある31歳のフランス人と、似たところを探す方が難しいくらいだが、唯一わたしにとって共通しているのは、どちらもあらゆる来歴を些事へと追いやるたった一度のコーナリングで心を奪っていったことだ。2015年ミッドオハイオの64周目、長い弧状の中速ターン12「カルーセル」でニューガーデンが曲線を微分するように駆け抜けていった姿や、2012年ボルティモア、多くのドライバーが高く築かれた仮設シケインをばたばたと乱暴に踏んでいるなか、パジェノーひとりだけが魔法でもかけたように姿勢を乱さず静謐に通過していったさまは、いまでもこのスポーツでもっとも美しい瞬間の映像として脳裡に再生される。当時のふたりはともに、高い評価は受けつつもまだ優勝経験のない多くのドライバーのひとりに過ぎなかったが、その須臾の間に消えていくコーナリングを目にした瞬間、遠からず勝利を挙げる日がやってくる、それどころかインディカーは自らの価値を示すために義務として彼らを勝たせなければならないとまで確信したものだ(少なくともニューガーデンに関しては、証拠として当時書いた文章を出すことができる)。けっして強豪チームに所属していたわけではなかったふたりはやがて本当に、それも複数の素晴らしい優勝を遂げた。パジェノーがセバスチャン・ブルデーを削らんばかりに自分のラインを主張して通算2勝目を引き寄せた2013年ボルティモア69周目のターン8、あるいはニューガーデンがペンスキーの2台を完璧に攻略した昨年アラバマのターン14は、彼らの忘れられない場面として追加された。わたしは自分の勝手な予感がこうもあっさりと的中した事実に信じられない心持ちとなり、半ば呆然とその表彰台を眺めていたのである。

 そういうひとりのファンにとって、だから2015年は歓喜と失望の入り交じる一年であった。ニューガーデンが良質なアラバマの初優勝に続いて幸運にも助けられたトロントで2勝目を挙げ、のみならずシーズンを通してだれよりも多い345周のラップリードを記録しその溢れ出る才能を満天下に示した一方で、実力を買われてチャンピオンさえ狙えるチーム・ペンスキーに移籍したパジェノーはただの1勝もすることができず、選手権11位に沈んだのである。インディアナポリス500マイルを見に行った折、ドライバーズパレードでだれもフランス人の彼に声援を送らないなか、一人「サイモン、サイモン」と声を出す東洋人に向かってたしかに Thank you. と応えてくれたおかげで贔屓をますます強くしていた(なんとも幸運なことに、ニューガーデンでも同じようなことが起きた)わたしは、前年までの燃えるような情熱を失ったとしか思えない失速に歯噛みするほかなかった。単純にペンスキーを運転する重圧に耐え切れなかったのか、それとも、遅い車でときどき好走したから目立っていただけで真の能力はさほどでもなく、トップチームで走ればすぐにでも頂点に辿り着くと信じきっていたその才能は淡い幻にすぎなかったのだろうかといった具合に。

 昨季の11位は4人の好ドライバーを擁するチームのなかでたしかに最低の成績だったが、けっして箸にも棒にもかからない一年と貶められるほどでもなかっただろう。パジェノーはしばしば、ウィル・パワーには及ばなくとも十分に速く、ファン=パブロ・モントーヤほどではなかったが優勝に近づいた。ラップリード132周も、チャンピオンと同点の選手権2位だったモントーヤの145周に比べて大きく劣るものではない。それはモントーヤの走りが成績に見合わず不甲斐なかった事実を意味してもいるが、にもかかわらず2勝を記録できたのだったら、パジェノーにだってそれなりに機会はあったはずだった。むしろ、2013年のデトロイトがそうだったように、レース全体を支配せずとも時宜に適ったスパートで狙い澄ましたように上位を奪い取るのは得意とするところだったのに、昨季の彼はスピードを正しく使えずに苦しんでいたのだ。インディ500、テキサス600、ポコノ500……序盤から中盤にかけて目を瞠る速さを見せつけ、圧倒しうるラップリーダーとしてレースを席巻しかけた場面は間違いなくあったが、どれも一度として結果へと結びつかず、一瞬ののちには儚く消えていくばかりだった。それはペンスキー全体に蔓延した症状ではあったものの、パジェノーの場合はことさら酷かったように見える。彼のラップリードはすべてが仇花に終わり、そのうえつまらないミスもあった。少なくとも雨のルイジアナでリスクを冒しすぎて喫したリタイアは不要だっただろう。トップチームで通用しなかったわけではまったくなかったが、結局、下位チームで選手権3位に躍進した2013年や最終戦までチャンピオン争いに残った2014年に及びもつかなかったのは、そういう失意を繰り返した結果だったのである。

 だからロングビーチGPの2周目、ストレートでスコット・ディクソンのインをこじ開けるようにして飛び込み、接触寸前のサイド・バイ・サイドを制して2番手に浮上したとき、抱いたのはようやく戻ってきたという感慨だった。まだレースは序盤も序盤、なにかを決定づけるタイミングではなさそうだったが、それでもインディカー史に名を刻む3度のチャンピオン経験者を一瞬にして切って落とした機動は、2台の距離が3年前のボルティモアを思い出させるほど近かったことも相まって、わたしが信じていたパジェノーそのものに見えたのだ。ただ同時に、その展開は昨年の彼を髣髴させるようにも思えた。序盤の輝きとそれに見合わない結末もまた、一年をかけて作り上げられた強固な印象だった。

 パジェノーは結果的にこのレースで移籍後初優勝を挙げることになるのだから、後者の予感が間違っていたのはたしかだが、2位に上がってから先頭を行く同僚のエリオ・カストロネベスに対していったんは1秒前後まで近づいたのに、その差を維持できずに少しずつ離されていく過程を生放送で見ていると、どうやらこの日も勝負になる可能性は低いのかもしれないと諦念に囚われてしまっていたのが偽らざるところだ。しかも1回目のピットストップが終わった27周目にはディクソンに逆転されふたたび先行を許していた。その先はずっと1秒先を走られて勝負を仕掛けられず、3位表彰台に終わるものだろうかとつい思っていたのである。実際、前を行くディクソンは完璧なまでにスコット・ディクソンを体現した走りで優勝に近づいていただろう。ずっとカストロネベスからつかず離れず0.8秒前後の距離を保ち、2度目のピットストップが近づく51周目に先頭が周回遅れに追いつくと、付き合って走り続けるのは得策でないと見たか間髪容れずピットへと向かった。カストロネベスの最初のピットが27周目、2度目が53周目だったのに対し、ディクソンが28周目と51周目に作業を行っているのを見れば、作為に満ちた柔軟な対応だったことは言うまでもない。ストラテジストであるマイク・ハルの判断力と決断力、それを完璧に遂行するディクソン。チップ・ガナッシ・レーシングが誇る組み合わせはしばしばこうしてペンスキーの壁をあっさりと突き崩してきたし、今回もそうなった。2周後にピット作業を終え、おもむろにピットレーンから出てくるカストロネベスを、内側のレコードラインからあっさりと抜き去り先頭に入れ替わった完璧なディクソン――それは、昨年の56周目と寸分たがわぬ光景だった――を経て、このレースはほとんど決着したはずだったのだ。

 そのときパジェノーの逆転を信じることができなかったのは、やはり昨年の失望があったからだろう。そうでなくとも、ピットインする直前に0.8秒前を走っていたカストロネベスを抜いたディクソンを、その後ろ1秒のところにいたパジェノーが上回る計算が成り立つともあまり思えなかった。テレビカメラも同様に考えていたのだろうか、ディクソンがピットアウトしてから3周の間、毎周のように上位陣のだれかが作業を行いピットロード出口で劇的な合流が繰り返されたこともあって、パジェノーが画面に映ることは一度もなかった。はたしてサーキットにいた観客の面々は気づいていたのかどうか、しかし彼は視線の逸らされた孤独な場所で、どうやら最も輝かしい走りをしていたのである。52周目に自己ベスト、53周目にはそれをさらに上回る1分8秒8640を叩きだして、疑いないはずのディクソンの勝利に影を差していった。2013年のデトロイト・レース2、パジェノーが挙げた初優勝を思い出す。あのときも、最後のタイヤ交換後に他車に引っかかってペースを上げられなかったマイク・コンウェイの隙を逃さない完璧なスパートを遂行し、ピットワークで首位の座をもぎ取って勝利したのだ。勝敗を分かつ場面で弛みなく速さを発揮する一流ドライバーの資質によって彼は初優勝を手にし、そして今回、ディクソンに並びかけた。55周目のターン1、パジェノーはピットレーンを抜けて加速すると通常よりわずかに早くステアリングを切り込み、ディクソンの鼻先を抑えきった。カストロネベスとディクソンが交錯してから2周後、こちらこそロングビーチが本当に決着した瞬間だった。

 パジェノーはコースに戻る際に合流を示すラインを4輪で跨いでおり、その瞬間のリプレイがしつこいくらいに映しだされてペナルティの対象になることが示唆されたが、結局警告が発せられただけに終わって順位は維持された(ディクソンは怒りを露わにしていたが、このレースで同様のショートカットを犯したドライバーはすべて警告だったので、一貫性の面からは支持される裁定だったといってよいだろう)。少しばかりケチはついてしまったが、それでも2度にわたってチャンピオンを上回る瞬間を見せつけたすばらしい優勝には違いない。なにより、2周目のオーバーテイクはボルティモア、53〜55周目のスパートはデトロイトと、彼の記憶に残る優勝を思い起こさせる運動の繰り返しだったことが、その前途を明るくしているように見える。この勝利は、シモン・パジェノーというドライバーの持つ資質がインディカーを制するに足る「正しい」ものであることの、なによりの証明だったのである。

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