ちょっと危うく、すてきなウィル・パワー

【2024.6.23】
インディカー・シリーズ第8戦 ファイアストンGP オブ・モントレー
(ウェザーテック・レースウェイ・ラグナ・セカ)

ウィル・パワーのラグナ・セカはさんざんな始まりだった。なにせ予選15位だ。第1ラウンドであっさり敗退し、美しい2周のスパートで優勝を決めたロード・アメリカからうってかわって、勝ち目のなさそうな位置からスタートする羽目になってしまった。もとよりインディカーとはそういうカテゴリーで、ある日は好調だったチームやドライバーが、別の日にはさっぱりだったなんて珍しくもない日常ではある。ただ、ここ2年のあいだ安定を強みとしてきたパワーにとってはらしからぬ落差と言ってもよかった。

 しかし、一昨年のチャンピオン獲得のため身につけた安定こそが、一方で極限の場面での速さを阻害し、彼を長い期間優勝から遠ざける原因にもなったのかもしれない――というのが、前回書いたロード・アメリカの記事の趣旨であった。リスクを避ければ成績は安定するが、それは同時にほんのわずか見える機会を諦める態度にもつながりうる。極限での切れ味の鈍さ。2年間、10回以上も表彰台に登りながら一番高い段に立てなかった理由は、そうした部分にあったのではないか。観客の勝手すぎる解釈であるのは承知のうえで、そんなことを思っていたのである。

 だとすれば、やはり外野の観客の勝手すぎる願望にすぎないが、優勝の直後に予選15位へと沈んだのもけっして悪い話ではなかった。なだらかな成績の折れ線ではなく、勾配の激しい大きな落差こそが優勝へ向かうエネルギーの源泉であり、レースに熱量を与えると信じるからだ。「そこそこの順位」に居座っていると、どうしても現在位置に安住する誘惑に引き寄せられる場合があるだろう。いっそ大きく崩れてしまえば、あとはなりふり構わず全開で走るしかない――たとえば、予選でスピンを喫した2022年最終戦のジョセフ・ニューガーデンがそうであったように。あるいは、ここに選手権の文脈を挿入してもいい。追い詰められたコンテンダーが守りではなく攻撃に転じるとき、レースに思わぬ熱量が供給される場合がある――たとえば、2013年の最終盤まで保守的な走りに徹しすぎていたエリオ・カストロネベスが、最後の最後でフォンタナのオーバルを興奮で彩ったように。何度も書いてきたとおり、観客にとって虚構のシステムである選手権の計算などどうでもいいことである。得点テーブルをいくら眺めたところで、そこに実際見るべきレースは存在しないのだから。だが、競技者が選手権を欲し、選手権のために限界を超えて戦おうとする姿勢がレースに反映されるのであれば、非常に喜ばしいのもたしかではないか。無責任で利害関係のない観客としては、そういう期待をしてしまうのだ。パワーは先のロード・アメリカでちょうどポイントリーダーへと躍り出ていたが、2位との差はたった5点しかなかった。そんな状況で予選に失敗する。やるべきことはひとつしかないだろう。(↓)

コークスクリューを駆け下りる。後方からのスタートになったが、パワーのレースは楽しかった

 はたして、パワーのラグナ・セカは見ていて楽しいものになった。もちろん、どんな名手も車の素性以上には速く走れないのだから、チームメイトたちも含めたチーム・ペンスキーのレースペースが良好だったという大前提はある。だがそれにもまして、この日のパワーは順位を回復させる強い意志を感じさせたのだった。1周目のターン3から4にかけてアウト側を走らされグラベルへと飛び出したときから、その兆しはあった。スタート直後の混戦で、必要以上に自分の居場所を主張した結果のコースオフは、単純なミスのようにも、過剰な意志の表出であるようにも見えたが、いずれにせよいきなり最下位にまで転落して後ろを見る理由がなくなったパワーは、明らかに速いペースを刻みはじめた。画面には映らなかったものの、ラップチャートを見ると2周目には2台を抜き、6周目にはリナス・ヴィーケイのスピンに伴って24位に、さらに次の周には23位に上がっている。画面がカイル・カークウッドとアレックス・パロウの首位争いを捉えるなか、端に表示される順位表でふとパワーの名前を見つけて(表示は15位までが固定で、16位以降は薄いグレーで5人ずつスクロールするから、下位のドライバーはすぐ確認できるとはかぎらない)、意外に上のほうまで来ているなと思ったものだ。すべてを一望できないレースで、こんなふうに思わぬ動きを見つける瞬間は嬉しいものである。そうして、やがて最初のピットストップが一巡すると、パワーはもう17位あたりを走っているのだ。レースは上位2人の争いにアレキサンダー・ロッシとコルトン・ハータが加わる四つ巴の構図に変化していたが、こうなるとがぜんパワーに注目したくなってくるのだった。

 そして、その場面は唐突に現れた。ルカ・ギオットの単独事故によるフルコース・コーションで作戦に分かれが生じ、なかなか正しい順位の整理ができないでいた58周目のことだ。パワーは気づけば7位を走っていて、前を行くスコット・マクロクリンとスコット・ディクソンを0.5秒から0.6秒の差で追いかけているところだった。画面はちょうど、ターン6を通過する3台を空から捉えた映像へと切り替わり、実況の村田晴郎が「パワーも上げてきました」と何気なく発すると、解説の松浦孝亮は「もうこれは今日はパロウちゃんですね」と、場面とは無関係な優勝争いに言及する。隊列はそんな程度の状況で、予感はまったくなかった。だが直後、油断があったのかさほど注意を払っていない様子のディクソンに対し、パワーがターン7のインを大胆にカットし――欧州では厳しい「トラックリミット」はここでは問題にされない――、続くターン8、すなわちコークスクリューへのブレーキングでいきなり並びかけたのである。

 テレビの前で思わず立ち上がる、鮮やかな一瞬だった。この日、コークスクリューでの追い抜きは何度か見られたが、そのほとんどは手前のターン6を小さく回って直線のあいだに半ば並走状態に入り、ターン7からターン8にかけての減速区間で最初から優先権を確保して完了させたものだった。いってみれば、もっと前のターン5から丁寧に組み立て、想定どおりに成功させる穏やかな方法だ。けっして広くはないコークスクリューで、それがリスクの小さい冴えたやりかたであるのは言うまでもない。だがパワーはまったく違い、1車身以上の遠くから速度差だけを利用して一瞬で差を無にしてみせたのである。

レース自体はパロウの圧勝。コーションのピットを見送る不利を受け入れ、速さだけで制した

 死角から飛び込む不意の一撃。松浦と村田が同時に驚きの声を発したことからもわかるように、接触の可能性も十分にあった、意外すぎるタイミングでの飛び込みだった。その瞬間を目の当たりにして、こんなパワーを久しく見ていなかったかもしれないと思い至る。ロード・アメリカで優勝を決めた鮮やかなスパートはパワーひとりが演じ、パワー自身の中で完結したものだ。それも当然に本来持っていた魅力ではあるが、このコークスクリューのように、たったひとつのコーナーで、ふとしたときに自分自身を擲つようなブレーキングを繰り出して相手に襲いかかり、手痛い失敗も感動的な歓喜も同じくらい味わってきたのがパワーという人なのだった。予選で下位に沈み、浮上してきたとはいえ優勝争いには手が届きそうにない状況で、それでもリスクの高そうな場面にあえて飛び込んでいく。展開がどうあろうとも、結局は目の前の瞬間しか捉えられなくなる狭さと、引き換えの情動の深さ。レースの原初的な興奮に身を委ねるパワーの姿はいつも楽しく、好ましいと感じていたのだった。

 やがてレースは流れ、終盤の入り口のフルコース・コーションが明けたとき、パワーの後ろにはスコット・マクロクリンが控えている。この日いろいろなところで暴れていた12歳下のチームメイトは、まだ隊列が拡がる前のターン6で、ミドルラインを取って牽制するパワーのさらにインへと強引に入り込んだ。厳しい旋回を選んだマクロクリンは当然滑らかには曲がれず、しかしパワーもまったく引くそぶりを見せずに、ふたりは接触する。止まりきれずにグラベルへ飛んでいったマクロクリンはスピンに終わり、パワーはリアを破綻させそうになりながらも、すんでのところで踏みとどまって、いくつか順位を落とした。

 それはパロウが圧倒的な速さで優勝したレースの大枠とはなんのかかわりもない、中団の片隅で起こった小さな一幕にすぎない。単純な損得で言えば、おなじチームのなかで、ばかげた争いではあった。仕掛けたマクロクリンは元より、パワーだって素直に引いておけば余計な被害は受けなかっただろう。6位か7位争いだ。冷めた目で計算すれば得るものは少なく、引いたところでたいした損はない。だがパワーは突っ張って、意味のない接触を起こしてしまった。重ねて言えば、そんな場面に映る彼を、本当に好ましいと思ったのである。どんな場所を走っていようとも、レースの大勢に影響を及ぼさずとも、いま目の前にある戦いに没頭すること。それが結局、真に重要な場面で同じように振る舞えるかどうかを決めたりもするのだろうから。■

かつての僚友で最大のライバルでもあったエリオ・カストロネベス(右)と。2010年代の中心的存在だったふたりも年を取り、パワーの髪や髯に白いものが目立つようになった

Photos by Penske Entertainment :
Joe Skibinski (1)
Paul Hurley (2-4)

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