【2019.6.1-2】
インディカー・シリーズ第7/8戦 デトロイト・グランプリ
(ベル・アイル・レースウェイ)
たぶん多くの観客の記憶にはさして残っておらず、またレース結果や形勢にたいした影響を及ぼすでもない、個人の抽斗にしまっておかれるような類の思い出があるとするなら、わたしにとってそのひとつは、以前にも書いたとおり2004年F1中国GPの十何周目かにミハエル・シューマッハがスピンした場面だったりする。当時のわたしはどうにか就職を決めた大学4年生で、いまは休刊になったとあるモータースポーツ雑誌の編集部にDTP制作のアルバイトとして潜り込んでおり、収入は乏しいながらも有料放送の生中継を見られる贅沢な立場なのだった。曇り空に覆われ、明るいとは言えない雰囲気が漂う上海インターナショナルで真っ赤なフェラーリがタイヤスモークを上げたかどうか、ともかくも横を向いたターン13が映し出されて、周囲の大人たちが苦笑いしたかと思う。
苦笑ていどで済む状況ではあった。中国GPがまだ日本GPとの連戦として秋に行われていた時代のことで、この年、5連勝と7連勝を記録した(モナコGPでセーフティカー先導中にファン=パブロ・モントーヤから追突されなければ、13連勝だったかもしれない)シューマッハは、とっくに世界選手権の5連覇を達成した後だったからだ。スピンひとつ喫したところで2004年のF1に劇的ななにかが起こるわけはなかったし、シューマッハ自身もこの決勝ではピットスタートで、もとより勝ち目の薄い戦いを余儀なくされている最中だった。レースとしても、エースを失ったフェラーリはルーベンス・バリチェロがジェンソン・バトンの猛追を振り切ってしっかり勝利を掴んだ。いまと違い、ずいぶんと強靭なチームだった。
だからこれは珍しいものを見ただけといったほどの、たわいもない記憶である。ただ、たわいない些細な出来事だったゆえに抱く失望もあって、圧倒的な強さを誇るシューマッハにしては、テレビ画面に映るその姿はいかにも集中力を欠くものに見えたのだった。そもそもなぜピットスタートであったかといえば、前日の予選でやはりスピンを犯してタイムを記録できなかったからで、連日の失敗はさすがに看過しえなかっただろう。客離れを引き起こすほど勝ち続け、「皇帝」とさえあだ名された男にしては、あの週末はどうも軽佻浮薄が過ぎたようだった。まさか具体的な目標を失って気が抜けたわけでもあるまいが、そうだとしたら、ことシューマッハにかぎってはずいぶんとつまらない有り様に感じられたものだ。フェラーリで貪欲に勝ち続けるシューマッハは、そんないかにも人間くさい感情の緩みなどいっさいなくただ眼前のトロフィーを掴みにいくのではなかったか。
実際――と書きたくなるがそんなはずはなく、ただのこじつけ、牽強付会ではあるのだが、とはいえ未来から記録を振り返ってみれば、あのころはおそらくシューマッハ時代の終わりの始まりであり、同時にフェラーリの黄金期が去っていく入り口だった。シューマッハは2005年にブリヂストンタイヤの極度の不振によって不愉快な一年を過ごし、速さを取り戻した翌年も若いフェルナンド・アロンソと壮絶な鍔迫り合いを演じながら鈴鹿でのエンジンブローで万事休して、タイトルを得ないままサーキットを去った。3年間の「休養」を経て2010年にメルセデスから復帰してからのことは言うまでもない。多くの場面で同僚のニコ・ロズベルグの後塵を拝し、表彰台は3年間でたった1度、2012年のモナコGP予選で最速タイムを記録したハイライトはあったが、前戦で受けたペナルティのせいでポール・ポジションは記録できなかった。そのロズベルグも後にメルセデスへ加入するルイス・ハミルトンの才能には及ばなかったことを思うと、時の移り変わりについて考えてしまう。人はどこかを境に衰えていくのだし、それは超人に思えるレーシングドライバーであってもおなじことだ。どこにその境があるのか、もちろん知る由もないのだが、わたしは中国でのスピンをなぜか象徴的に見ている。あれはもしかすると、ミハエル・シューマッハから仄見えた分水嶺だったのだろうかと。
最大の祭典であるインディアナポリス500を終えたインディカー・シリーズは、次の週末にはもうデトロイトで2つの決勝レースが戦われている。200mphのスーパー・スピードウェイと車が激しく揺れる歪な路面に厳しいブレーキングを要求してくる市街地コースのあいだには関連などないに等しく、すばらしい5月を過ごしたシモン・パジェノーは土曜日のレース1ですっかり後方に沈んでいた。インディカーに一貫性を求めても詮ないのだからそれは十分に予想された展開で、特に何を思うでもなくレースを見つめていたころ、裏腹にまったく予想もしなかった事態が起こるのだった。インディカーに多少なりとも通じている観客で、その瞬間に声を上げなかった者などいなかったのではないだろうか。わたしは思わず奇声とも言えないような音を発してしまい、抱きかかえていた6ヵ月の息子が不随意に四肢を硬直させたのを宥めなくてはならなかった。ただの事件ではなく、それほどにもっともありえないはずのことが現れたのだ。雨でスタートが遅れ、75分に短縮されたレースに3度目のフルコース・コーションが導入された。ゴールまで半分を少し過ぎた43分ごろ、周回で言えば24周目に、3位を走行中だったスコット・ディクソンがひとりターン6の出口に突き刺さったのである。(↓)
だれしもトラブルを疑っただろう。よりにもよってディクソンが、いつも冷静沈着に事を運び、あらゆる困難を高い技術と判断力で潜り抜け、気がつけば上位でゴールしている「アイスマン」が、表彰台の地位を固めているさなかに自らのミスでレースを失うなど、どう考えてもあるわけがなかった。雨が止み、路面が少しずつ乾いていく中をドライタイヤで走る難しい状況だったが、それこそ真骨頂で、むしろ周囲が脱落していくのを尻目にひとり悠々とチェッカー・フラッグまで車を運ぶのが当然のはずだ。そんな場面を何度も何度も見てきた、こういうときに馬鹿げた終わり方をするドライバーでは断じてない。と思うのに、タイヤバリアへフロントノーズを深く潜り込ませ、レースへの復帰も叶わず車から降りたディクソンは、呆然と自分の愛車を見つめるようにしてしばらくのあいだ立ち尽くしている。それは状況への苛立ちというよりただただ自分自身のあらましを信じられないといった風情だったが、よく見ると左前方からバリアへと激突したのに右の前輪側面が削れているのがわかる。右コーナーであるターン6の内側に据えられたガードウォールにそこをぶつけ、反動で飛び出してしまった動きを示唆させる傷で、その瞬間は映像にも残っていた。直後を走っていたフェリックス・ローゼンクヴィストの車載カメラは、ディクソンがウォールに右側面を引っ掛けてからバリアへと直進していく様の一部始終を捉えていたのである。なるほどまぎれもなく、それはディクソン自身のミスなのだった。
レース中のインタビューに応じた本人によれば、乾いていく路面が自分の想定以上にグリップし、内側に切り込みすぎたことが最初の接触の原因だったという。ひととおりの説明を終え、話を切り上げて踵を返そうとしたそのとき、彼の顔には失態を悔みつつ起こってしまったことを受け入れて諦めるような、苦笑ともやや違って見える笑みが浮かんでいた。それはたしかに、こんなときでもディクソンらしい穏やかな表情でもあったのだが、そこでわたしはなぜか、冒頭に書いたシューマッハのスピンをふと思い出したのである。ありえないドライバーが犯すありえないミス。最高の選手が、どこかで下り坂を迎える際に仄かに浮かび上がる境界線。あの後のシューマッハが、パフォーマンスは衰えていないように見えても結局は少しだけ何かを欠いてしまったように、あるいはディクソンにも着実にそのときは近づいているのかと、思考にわずか翳が差したのだった。来月には39歳を迎える。年長のドライバーもまだいるとはいえ、一般的にはいつ能力を失ってもおかしくない。42歳の佐藤琢磨は今年になってキャリアの最盛期を堪能しているが、それこそ特別も特別だ。トニー・カナーンはあれだけ筋力トレーニングが大好きにもかかわらず、レースの中ではすっかり衰えて久しい。シューマッハが中国GPで信じがたいスピンに陥ったのは35歳のときだった。はたして、どうなのだろうか。(↓)
翌日のレース2を見れば、くだらない妄想に基づく杞憂だと簡単に断じてしまってよさそうではある。6番手からスタートしたディクソンは、周囲が寿命のまったくないオルタネートタイヤをスタート直後のフルコース・コーションで早々に捨てたのに反してステイアウトを選択し、序盤を苦しいタイヤで我慢し、ピットの回数を減らす作戦を取った。その工夫じたいは必ずしも大きく奏功したわけではなかったが、手を尽くして勝機を見出そうとするうちに何かが舞い込んでくるのがディクソンの常には違いない。プライマリータイヤを履いて徐々に順位を上げていた33周目、この日のポールシッターだったジョセフ・ニューガーデンがピットからコースに戻ったばかりのジェームズ・ヒンチクリフにターン3で仕掛け、一度は前に出た。だが豈図らんや、次の瞬間ニューガーデンはスロットルを開けすぎたかリアを巻き込んで、スピンしながら相手もろともバリアに激突してしまったのである。前日ほどには感慨を生じさせない(ニューガーデンもすばらしいチャンピオンではあるが、このくらいのことはある)事故によってディクソンは労せず先頭に立ち、そしてあっさりゴールまで走りきった。それだけとも言えるレースだ。その間3度あったコーション明けのリスタートも、むしろ完璧なタイミングで後続を置き去りにしながら加速する巧みさが際立つばかりだった。一方でパジェノーは開幕の事故に巻き込まれて十数周遅れ、佐藤は終盤ロッシへの果敢な攻撃が仇となってパンクし、順位を下げている。ニューガーデンも含め、選手権上位の多くが問題を抱えた中で、当初は目立たないディクソンだけがひとり、気づけば優勝を攫っていく構図で一日が終わった、と纏めてしまおう。もちろんこれはディクソンに特有の、いかにもディクソンらしいレースであり、前日の失敗を補って余りある成果だった。(↓)
なにも心配はいらないのだろう。だれにだって衰えるときは来るものだが、それ以前にだれにだって些細な失敗をする日もある。レース1のことはきっと、ディクソンが完全に単独で、完全に自分だけの責任で、完全にレースを終えるような、ひとりですべて完結するミスを犯すのがあまりにも珍しすぎて思いの外うろたえてしまっただけだ。裏返しで手にしたレース2の彼らしさは、すべての不安を払拭した、きっとこれからも時に見事な速さを見せ、それ以上に巧みにレースを運び、表彰台に立つ――「気がつけばディクソン」と日本人なら称賛することになる。インディカーにかんするわたしの予感はしばしば的中するが、デトロイトのレース1で接続されたシューマッハの記憶が、そのままディクソンに当てはまろうと考えるのはさすがに大穴狙いがすぎようものだ。
ただ、「予感」とは違う観点があるとしたら。わたしは折に触れてシューマッハのスピンを思い出す。偉大なチャンピオンが見せた突然の些細な蹉跌と、そのキャリアの下降線を勝手に重ね合わせてみる。それはあくまで彼がレースの舞台から去った後、振り向いて見える景色だ。「いま」はそうでなくとも、「あと」からはそうであるように感じる場面。もしかして、デトロイトの週末がいつかそうなるのかもしれないと思うのである。信じがたいミスはもちろん、翌日の優勝さえ鮮やかな対比となって、ディクソンの「あのとき」を象徴する、といったような未来がありえないわけではないだろう。土曜日のデトロイトの24周目にディクソン自らレースを失った事故が、いまきっとなにかを示唆するわけではない。しかしだとしても、時間は否応なく過ぎていき、やがてスコット・ディクソンという偉大なドライバーがインディカーを去る日も訪れる。そんな未来に、過去となった現在を思うはずだ。そのときわたしはたぶん、コントラストに彩られたデトロイトの2日間を、ふと記憶の抽斗から取り出すのではないかと、何気なく考えている。■
Photos by :
Joe Skibinski (1 – 5)
Chris Owens ( 6 )