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【2014.4.27】
インディカー・シリーズ第3戦 アラバマGP
 
 
 眠い目をこすりながらなんとか布団から体を起こしテレビをつけたはいいものの、とびこんできた情報に暗澹たる思いがしたのは一人や二人ではあるまい。中部夏時間の14時ごろにニューヨーク・ジェッツの伝説的クォーターバックである “ブロードウェイ” ジョー・ネイマスによって宣言されるはずだったシリーズ第3戦のスタート・コマンドは、激しい雷雨のために行きどころをなくしていた。高低差が大きく、低地に向かって流れる水がコースのいたるところで川を作るような状況下においてはインディカーを走らせるなどまったく非現実的で、最初のグリーン・フラッグが振られるまでにどれくらい時間がかかるか想像もつかなかった。実況席の武藤英紀がカメラが回っていないのをいいことに仕事を放棄して寝てしまおうとするなか、おなじようにまんじりとしようにもうまく目を閉じられず、2週間前のロングビーチで事故を起こしたドライバーたちが、自分が悪いとは言いたくないがかといって相手を非難するわけにもいかないといった面持ちでずいぶんと歯切れ悪くインタビューに応じているのを、ソファに横になりながらぼんやりと見ているしかなかったわけである。日本時間で言えば朝4時から150分の間、目的もなく起きているにはつらい時間帯に、われわれは遠いアラバマで車が走り出すのをただひたすらに待ち続けていた。

 えんえんと待たされていることによって昨年のアラバマを思い出して、そういえば、とばかりに気づいたらレースが始まる前に書くことを決めてしまっていた。昨季最終戦のフォンタナにせよ、前戦のロングビーチにせよ、ここ数戦どうやら過去の記憶を鉤にして記事を書くのが常態化し、文章から新鮮味が欠けつつあることは自覚しているのだが、ふとしたきっかけで思い出を喚起されるレースというのがあるのもたしかだ。そう、ジェームズ・ヒンチクリフはたったひとり、アラバマはバーバー・モータースポーツ・パークのターン3で待ちぼうけを食っていたのである。

 2011年10月16日に起きたダン・ウェルドンの死亡事故によって空白となったアンドレッディ・オートスポートのシートに収まることになり、インディカーを去ったダニカ・パトリックからgodaddy.comの支援も引き継いだヒンチクリフは、2012年のシーズンで表彰台を経験し、デビューから3年目を迎えた2013年の開幕戦で初優勝を上げた。そうはいっても(わたしにとって)どうも影が薄く見えるドライバーだったことは当時書いたとおりであるが、実際のところ1回きりの優勝ではまだ強さに信頼が置けるわけではなく――その後2勝を積み重ねた2013年が終わっても、結局その不信感が拭い去られることはなかったのであるが――、第2戦として組まれていたアラバマではあまりにもあっさり予選20番手に沈んだあげく、1周目の事故によって左後輪を失いターン3脇の安全地帯に片付けられてしまった。つまらない結果ではあったが、車が完全に走れなくなっていないならインディカーではそれだけでリタイアには至らない。もう一度イエロー・フラッグが出てフルコース・コーションになればピットに牽引してもらえるし、車を直せば再スタートもできる。そうやって、レースを終えるよりもいくばくかのポイントを積み重ねることができれば上等だ。ヒンチクリフは車を降りることなくコクピットの中でその可能性を信じて待ち続けた。きっと目の前を通り過ぎるライバルたちをぼんやりと見ているほかないまま、現地実況にピザの配達に首を長くしているようだと冗談を飛ばされるほど長く長く待ち続け、そして、結局ピザは届かなかった。レースはついに残り15周までグリーン・フラッグ下で行われ、ルール上ピットに戻るチャンスを失ったヒンチクリフは立ち上がって手足を思い切り伸ばしていたのであった。

 べつにヒンチクリフとわれわれを重ねあわせようという気があるわけではないが、なぜかアラバマでは2年続けて「待つ」ことがキーワードとなってしまったと、それだけの筋も良くない話である。それにしてもヒンチクリフが待たされていた場所は全開で加速していくレースカーが眼前をひっきりなしに通る羨ましいほどの特等席だったのに、われわれと来たら重たい頭をどうにか働かせながら、静かなサーキットに思いを馳せるしかなかった、そのことだけは不公平だったかもしれない。この日言えるのはそれだけだ。

 レースの内容? あまりに待たされすぎたせいでせっかく連覇を成し遂げたライアン・ハンター=レイをまったく気にかけることもできず、メカニックの耐火服がそっくりだったせいでエリオ・カストロネベスがピットボックスを間違えた(きっと彼も眠かったんだと思う)ことくらいしか覚えていない。でもそれで構わないだろう。われわれが朝の4時から戦っていた耐久レースは本当なら6時すぎには終わっていたはずなのに、最初のグリーン・フラッグが振られたのは朝も6時半になってからのことだ。だから知ったことではないと言ってしまおう。スタートから先、チェッカー・フラッグまでのいっさいは、このレースに限っておまけみたいなものだったのだ!

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