マイク・コンウェイの勝利はただただ現象だった

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【2014.4.13】
インディカー・シリーズ第2戦 ロングビーチGP
 
 
 朝も8時に近づき、外はだいぶ明るくなっていた。スタートから70分が過ぎたレースはすでに終盤の入り口へと差し掛かっており、日本人にとっては、ただでさえ憂鬱な週初の出勤にとりあえずは急き立てられることなくレース終了まで見届けることができそうだと、部屋の掛け時計に目をやって安心していたころのことである。最初のグリーン・フラッグからつけっぱなしだった照明を消して、差し込む朝日のせいでテレビ画面に自分の姿が映り込んでしまうのを避けるように見ていた怠慢な目にさえ、56周目のターン4に向かってライアン・ハンター=レイが飛び込んでいくタイミングはあからさまに遅すぎるように映った。ピットストップを遅らせる作戦が功を奏して先頭を走っていたジョゼフ・ニューガーデンは交換したばかりの氷のように固く冷たいタイヤで走行ラインをやや外側へとはらませていたが、それでもこのターンを守り切ってクリッピングポイントをかすめながら脱出しつつあり、攻めてくる相手に対して空間を残す理由など持ち合わせていなかったはずだ。普通ならたんなる牽制としての動きに過ぎず、次の長い直線での攻防に切り替わっていくべきところで、われわれは彼がハンター=レイであることをあらためて思い出すことになる。はたして2年前のシリーズ・チャンピオンはブレーキを制御することに失敗し、何度も犯してきた同種のミスをまたもなぞるように、初優勝を目指して奮闘していたニューガーデンの右リアを無意味に跳ね上げた。その瞬間、見た目に穏やかでありつつも捻じりあうような時間の削り合いが続いていたレースは霧散していったのだった。

 ブラインドコーナーの先で動けなくなった2台はさらに後続の追突を誘発し、合計6台の上位勢が一瞬にしてサーキットから消えた。そこからチェッカー・フラッグまではあまりレースと呼べたものではない。このような展開ではかならずといっていいほど生き残り、幾度となく勝利を手にしてきたスコット・ディクソンがこの日も多重事故の間隙を縫って先頭に立ったものの、昨季のチャンピオンが積んだ燃料はゴールまで走るにはわずかに足りず、そのディクソンと首位争いをしていたジャスティン・ウィルソンはバトル中の接触によってサスペンションを破壊された。結局ウィル・パワーを自力で抜いただけの3番手を走っていたマイク・コンウェイが給油のために退いたディクソンと入れ替わって首位でゴールした、そういう結末だったわけである。

 たぶん本来なら、それこそハンター=レイの――そういえば彼が右を使うのか左を使うのか知らないが――足があと0.1秒早くブレーキペダルを踏みつけていれば、ありえない結果だったはずだ。勝った当のコンウェイが”Somehow, I got it done.”” It can’t believe I’m actually(in Victory Circle).”(http://www.indycar.com/News/2014/04/4-13-Conway-wins-40th-Toyota-Grand-Prix-of-Long-Beachより)とその順位に戸惑っているように見える。somehow、どういうわけか、彼は勝ってしまった。あるいはホンダの発表による、3位に入ったカルロス・ムニョスのコメントがすべての感情をよく表していよう。「自分の初めての3位フィニッシュが、多くのアクシデントが起きた結果であったことは素直に喜べませんが、それもまたレースだと思います。ロングビーチのようなストリートレースでは、なにが起こるか予測がつきません。インディカーのレースでは特にそうだと思います」(http://www.honda.co.jp/INDY/race2014/rd02/report/)。それもまたレース、勝ったコンウェイのことを「何も起きなかったドライバー」のなかでは最速だったとはいえるかもしれないが、そうだとしてもやはり幸運の2文字を想起せずにはいられない。3年前と同じようにだ。

 コンウェイがインディカー・シリーズで初優勝を遂げたのは2011年のやはりロングビーチでのことであるが、今回彼が悠々と最終ラップを回ってきたときに当時のことを鮮明に思い出したのは、2つのレースがともによく似た展開で勝者を選びとったからだ。まだ毎戦にわたって何か記録しておくなどといった徒労に身を投じていなかったこのブログが偶然にも書いていたところによれば、以下のような様子だった。

 今季すでにリスタートでやりたい放題に暴れまわっているエリオ・カストロネベスが、このときも無謀なタイミングでターン1のインサイドに突っこんであろうことかチームメイトのウィル・パワーを撃墜すると、煽りを受けたオリオール・セルビアの進路がなくなり、スコット・ディクソンも事故の脇をすり抜ける際に右フロントタイヤを引っ掛けられてサスペンションを壊した。予選でクラッシュして下位スタートに甘んじながら10位にまでポジションを上げていた佐藤琢磨がこの4台を尻目に6位に浮上するが、すぐさまグレアム・レイホールがその左リアに追突し、タイヤをカットされてスピン、レイホールもフロントウイングにダメージを負った。都合6台が消えてふたたび黄色の旗がコースのそこかしこで振られるようになったころには、コンウェイはなぜか、ということもないが3位を走っていた。

70周目のグリーン・フラッグで今度はハンター=レイがスローダウンし、コンウェイはほとんどなにもしないまま2番手になってしまった。フレッシュのレッドタイヤ、燃料もフルリッチで使える彼は速く、あっという間にライアン・ブリスコーを交わして、チェッカー・フラッグではもう6秒以上のリードを築いていた。GP2ウィナーに名を連ねながらもF1には届かなかった27歳のイギリス人が、アメリカの地で初めて表彰台の真ん中に立ったわけである。(当ブログ2011年4月28日)

 前を走っていた6~7台が事故に遭い、1台を自力でパスし、また1台が自滅して優勝した、そんなロングビーチをコンウェイは2度も経験したことになる。2011年の初優勝の際は、与えられた幸運がとても喜ばしいもののように思えたと、前掲文は結んでいた。前の年のインディ500で、まだ2年目のインディカードライバーだった彼はハンター=レイと接触し宙を舞うほどの大事故に見舞われて大怪我を負い、シーズンが終わるまでサーキットを走ることはできなくなった。シートも失いかけて、ようやくアンドレッティ・オートスポートと契約したのは年が明けて2月になってからのことだ。だから優勝は、勇気を携えて無事に帰ってきたことに対する報奨のようなもので、どんな僥倖に与ったのだとしても、彼はそれに足る試練を乗り越えてきたドライバーなのだと断言できた。当時のレースを実況していた村田晴郎がその瞬間に日本の放送席からおめでとうと叫んだのも、たぶんそういうところにある。

 あれから3年と一口に言うのは簡単だが、しかしレーシングドライバーのキャリアの中で見ればけっして短い時間ではないのであって、30歳を迎えたコンウェイの境遇もありかたもいまやずいぶん変わった。2012年のインディ500でまたしても宙を舞ってしまった彼はついにオーバルレースから退くことを決め、2013年はWEC=世界耐久選手権の空き時間にインディカーへとやってくるドライバーになっていた。そうだとしてもロード/ストリートコースでは変わらぬ才能を発揮して6月のデトロイトなどたった2日の間に優勝と2位を持ち去ってみせたのだったが、やはりインディ500を走らない瑕疵は深く、心をヨーロッパに置いてきたも同然に思えたものだ(なにせわれわれは、他をおいてもブリックヤードにだけは来たがるドライバーがたくさんいることを知っているのである)。今季ふたたびアメリカに重心を移し20号車のレギュラーになったといっても、引き続きWECの控えを務めながらオーバルはエド・カーペンターに任せてロード/ストリートしか走らない選択をした事実、あえて意地悪く言えばオーバルを捨てて逃げ出した事実を前にすると、結局のところ彼から純粋なインディカーのドライバーという姿を抽出しようとする試みは失敗に終わってしまうだろう。それはちょうど、年々日程から減っていくオーバルをそれでも走り続けるために20号車をコンウェイと共用する決断を下したカーペンターに対し、その態度こそがインディカーに欠かせない本質なのだとして、時代から取り残されつつあるのだとわかっていながらも好ましい視線を向けてしまうわれわれの感傷と対極にある。オーバルしか走りたくないカーペンターがオーバルを走れないコンウェイと組むのは自然な成り行きだったかもしれないが、アメリカのレースの精神がいまとなってもなおオーバルとともにあると信じるなら、結果としてエド・カーペンター・レーシングの20号車を貫くアメリカの純血に交配されたコンウェイは、その存在じたいがインディカーに対する皮肉になってしまったに違いないのだ。

 マイク・コンウェイにそういう態度で臨んでみるとき、今回のロングビーチで彼に舞い降りた僥倖の受け止め方は3年前とずいぶんと変わってくる。こう問うこともできるかもしれない。2011年にあらゆる幸運によって祝福されるべきインディカーのドライバーだった彼は、2014年になって、当時とおなじロングビーチで何かしら優勝に相応する価値を持っていただろうか。深夜暗くなった部屋で中継の録画を見なおしても、どうやら答えは否のままだ。だがおなじレースではじめて表彰台に登った新人が言っていたはずである、それもまたレースだと思います――。

 2週間前の開幕戦について、敗北は勝利の裏返しではないとして敗者に値する戦いをしたのは佐藤琢磨だけだったと書いた。セント・ピーターズバーグは佐藤ひとりを浮き彫りにすることによって、モータースポーツにおける敗北の意味を描き出したレースだった。では、勝ちえた6人が甲斐のない事故に泣き、優勝者自身が当惑するほど自らの価値を証明できなかったこのロングビーチにも意味を求めるとすれば、いったい何だったのだろう。

 録画を2度も見返してしまったわれわれが受け止めるべきは、おそらくコンウェイがなにもないままに優勝した事実それ自体である。レースが先頭から順位をつけていく営みである以上、全員がリタイアでもしないかぎり優勝者がいないことなどありえず、だれかはかならず結果表の一番上に載る。だとすれば、勝利とはほかのあらゆる条件とは無関係に、絶対に約束されたできごとにほかならないと導けよう。セント・ピーターズバーグの佐藤がそうだったように、敗北とはただ2位以下であるだけでは不十分な、レースに切り裂かれることではじめて資格を得られる形而上の精神だ。だがロングビーチのコンウェイが突きつけたのは、勝利がそんな精神性に関知することなく飛び越え、1位でゴールしたという具体的な事実ただそれだけをもって消去法的に選ばれる形而下の事象に過ぎない場合もありうるということではないか。なんらの価値を見出せないコンウェイに振られたチェッカー・フラッグが示唆したのは、すなわち敗北が勝利の裏返しではないのとまったく同様に、勝利もまた敗北の裏返しではありえないという関係性、捩れながらも絡み合う場所のない両者の姿だったのだ。

 形而上でなければならない敗北と、形而下でありうる勝利。すべてを振り絞ってなお先頭に立てない者がいる一方で、somehowとしか言いようもなく勝ってしまうドライバーがいる。それもまたレースだと思います、ムニョスの談話にはサーキットがもたらすあらゆる可能性が詰まっている。敗者が輝いたセント・ピーターズバーグと対をなすアンチテーゼとして、ロングビーチは必要とされなくてはならなかったということだろう。勝者はトートロジーに身を預けてただ勝者であればよく、その勝利に証明などなくて構わない。なにもなかったレースによって、モータースポーツのそんな一面の真実に観客は気づくことになる。もちろん、それを伝える役割を担ったのがほかでもなく、インディカーに無垢な精神を持たないロード/ストリート専門のマイク・コンウェイであったことは、きっと偶然ではない。

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