魔法使いのいないアラバマと、その物理的な帰結について

【2021.4.18】
インディカー・シリーズ第1戦

ホンダ・インディGPオブ・アラバマ
(バーバー・モータースポーツ・パーク)

よく知られているとおり、アラバマはジョセフ・ニューガーデンが、不運にも届いていなかった優勝にはじめて辿り着いたレースである。2015年だからもう6年前の出来事で、じゅうぶんに昔と言えるほどの時間が経ってしまったのに、当時のアラバマは忘却の彼方に置かれるのを拒み、いまだ印象深い光を放って脳裏に浮かび上がってくる。といってもそれは、その後のニューガーデンが積み重ねた偉大な事績を参照するから、つまりやがて2度のインディカー・シリーズ・チャンピオンを獲得する稀代の名ドライバーが初優勝を記録した重要な記念碑的レースだからではない。もちろんニューガーデンについて語ろうとするなら、「2015年のアラバマで初優勝を上げ」といった来歴はかならず挿し込まれるはずだろう。しかしあのレースは過去を振り返るそうした記述によって固着されて記憶されるのではなく、いつまでも、いま、この瞬間の運動として蘇り情動を揺さぶってやまないのだ。レースに付随する物語ではなく、ただレースそのものが美しい価値を褪せずに保ち続ける場合がある。2000年F1ベルギーGPでミカ・ハッキネンがミハエル・シューマッハを捉えたレ・コームがいまだその一瞬においてのみ語られるように、2011年イギリスGPでコプスへ進入するフェルナンド・アロンソのフェラーリF150°イタリアが赤い糸を引いて見えたように、2016年スーパーフォーミュラ菅生でセーフティカーの罠に嵌まった関口雄飛がレース再開後に優勝を取り戻していく過程に息を凝らすしかなかったように、昨年のインディアナポリス500マイルで佐藤琢磨がスコット・ディクソンを抜き去ったホームストレートの光景が、チェッカー・フラッグよりもはるかに強く優勝を確信させたように。年月が過ぎてもなお目にした瞬間の感情まで喚起されるレースは、けっして多くはない。

 そうしたアラバマの情動のすべては、バーバー・モータースポーツ・パークのターン13から14にかけての区間に凝縮されている。135mphから下りのターン13に飛び込み、上りへと変わるターン14の先で待ち受ける14aの頂点へと、55mphまで減速して深く切り込む場所。曲率半径と傾斜の異なる3つのターンが複合し、7秒にわたってステアリングを右に切り続けるこの難所で、2015年のニューガーデンは、ウィル・パワーとエリオ・カストロネベスの2人を抜き去った。ターン14から14aにかけて、旋回と減速の並行によってなかば宿命的に現れるアンダーステアを消すために広く曲がろうとする両者の内側には空間が生じている。とはいえそこは最速のレコードラインを求めれば当然にできる空白地帯で、別のだれかが占有できる場所ではないはずなのに、ニューガーデンは直線的に、しかし速度を落とすことなく飛び込んだ。そして、にもかかわらずアンダーステアなど微塵も現さずターン14aにぴたりと止める上質なブレーキングで、最速を誇るチーム・ペンスキーのドライバーたちを攻略してしまったのだった。タイヤのグリップ力を超えて車が曲がることはけっしてない、モータースポーツを基礎づけるそんな物理的論理を矮小化するかのような、それは魔法の旋回だった。そうしてニューガーデンは先頭に立ち、後続を引き離したおかげで最後に猛追してきたグレアム・レイホールを退けるだけの余裕を築く。後のチャンピオンの初優勝は、まさに魔法によってもたらされた。その魔法こそが、2015年のアラバマに忘れがたい特別な価値を与えている。(↓)

 

アラバマはニューガーデンのキャリアを飛躍させる足がかりとなった

 

 当時まだ小規模なカーペンター・フィッシャー・ハートマン・レーシングで走っていたニューガーデンは、2年後には当のペンスキーへと移籍することになる。2016年には最終周のターン14でまたもパワーを抜き去った。前年に加え、この年の3周目にも1度追い抜かれていたパワーは警戒して早めに内に寄っていたというのに、ターン14aとのわずか1台分しか残っていなかった隙間に、やはり直線的に飛び込んで3位表彰台を奪い取ったのだ。ペンスキーに移った2017年にも、この複合コーナーでスコット・ディクソンを攻略して移籍後初優勝に結びつけ、秋にはシリーズ・チャンピオンの栄誉に浴した。あるいは次の年には難しい大雨のなか周回遅れに臆せず並びかけ、また一昨年は目の前を走るパワーがスピンを喫した。経緯を踏まえると、警戒を強めて早めにターン14aのインを押さえようとステアリングを切り込みすぎたパワーのリアタイヤが限界を超えてしまった、そんな解釈もできそうなスピンだった。そう、6年の前から、ニューガーデンがバーバーのターン14に差し掛かると、かならず何かが起こる。他のドライバーには絶対に不可能な運動が、きっと現れて心を鷲掴みにするだろう。ターン14はジョセフ・ニューガーデンのためにある、ジョセフ・ニューガーデンだけが持つ唯一のパッシング・ポイントとして、特異な光を放つ――アラバマの情動のすべては、この区間に凝縮されている。

 しかし、どんな感情を抱けばいいものか、COVID-19の影響で日程が大幅に変更され、アラバマGPの開催自体が中止された昨年に続き、今年のバーバーにもそのターン14を見ることはできなかった。モータースポーツは時に無慈悲で、競技者や観客の希望を一瞬にして奪い去り、無に均してしまうということだろう。まさかあんな結末が待っていようとは、ニューガーデンが予選12位にとどまった事実に接してもなお、想像は及ばなかった。今季の開幕を告げるグリーン・フラッグからほんの20秒、たった4つ目の右コーナーの出口で、アラバマの魔法使いは混戦の乱れた空気の中でバランスを崩し、カウンターステアを当てたのである。反射的なその対処によってリアタイヤの駆動の向きが再び進行方向と一致し、姿勢が元に戻ってトラクションが回復すると同時に針路が左へ捩れる。と、ドライバーが右にステアリングを切り直す0.2秒の後には、外の2輪が芝生に落ちて、そこまでだった。スタート直後でまだ冷たいプライマリー・タイヤはその乱雑な入力を物理的な摩擦力の限界の中に留め置けず、外輪が滑って巻き込み、コースのほうに戻りながら360度回転する。そこに直後を走っていたコルトン・ハータが避けようもなく突っ込んで、都合4台を巻き込む多重事故に発展したのだった。起点となったニューガーデンの2号車はハータの追突を受けた勢いでさらに回転し、周囲と数え切れないほど接触してコースの真ん中に逆向きで停止した。画面には、フロントウイングがもげ、右前のサスペンションアームが折れてひしゃげたタイヤが外れかかり、左後輪もパンクしてホイールの剥き出しになった無残な姿が大写しにされる。それは生命に対する深刻な事態には至っていないことの傍証で、実際コクピットの中でドライバーがどうやら元気に動いているのを認められたのは幸いだったが、もはやレースへの復帰が見込めないのは明らかだった。(↓)

 

スタート直後のターン4でコースオフし、痛恨のスピン。ニューガーデンのアラバマは20秒で終わった

 

 こうしてターン14は訪れることなく終わる。ニューガーデンにとってのみならず、このレースにかかわろうとするだれもが、彼の魔法に捉えられる可能性を失ったのだ。だからその先の89周にはもう、物理的な正しい現象を積み重ねた周回しか残っていない。たとえばアレックス・パロウの初優勝は、少ないピット回数でタイヤを丁寧にいたわり、スパートをかけるべき時期にしかるべきスピードを発揮することで成し遂げられた。先頭へ至るための青写真が胡乱なフルコース・コーションによって掻き乱されたりもせず、最後には余裕をもって追い上げてきたパワーを封じきってみせる。最多ラップリードも添えるその勝ち方はどこまでも正当かつ完璧で、インディカーに憧れを持って日本経由で米国に渡り2年目にしてチップ・ガナッシ・レーシングへの移籍を果たしたスペイン人の行く先を明るく照らすものだったが、同時に、勝つべき能力を持ったドライバーが勝てる車を手にしたときに現れるレースそのものだったから、不意打ちのように心を揺さぶられたりはしなかった。それはどこまでも納得ずくの初優勝に違いなかった。才能を感じさせるすばらしい勝利であることや、祝福すべき初優勝であることと、立てなくなるほどに感情を打ちのめされるレースはかならずしも一致しない。たぶんニューガーデンが1周目のターン4で消えてしまった時点で、2年ぶりのアラバマは、彼自身に打ちのめされる機会も、彼を超える情動を与えられる機会も、なくしてしまったのだろう。あのスピンは、だから口惜しい。

 レースの勝敗とは無関係なところで、僅かながらに心が動きかけた場面が、34周目にある。アレキサンダー・ロッシがターン14の途中でパワーを交わした一回だ。だがそれは、交換したばかりで熱の入っていないプライマリー・タイヤを履くパワーがなかば譲るようにターン14で外に膨らんだところへ、ロッシが剥き出しの意志もなくごく自然な成り行きで並びかけた結果、順位が入れ替わったにすぎないと見えるものだっただろう。ニューガーデンに対して必死に抗おうとしたパワーがしかし果たせず膝を屈した過去3度のパッシングと1度のスピンとは、熱量も、意味も、運動も、なにもかもが違う。そこにあったのは魔法ではなく、タイヤの温度差というどこまでも物理的な現象の帰結だった――物理現象である現実が隠されず、あからさまに現れていた。魔法使いはもうレースから去ったあとで、現れることはない。見た目が類似しているロッシとパワーのやりとりは失ってしまったものの補填にはならず、むしろ似ているがゆえにその喪失感を突きつけてくるばかりになってしまって、少しばかりやるせなくもなるのだった。■

 

完璧な作戦遂行と落ち着いたレースぶりでかえって影が薄くなった感もあったが、待望の勝利を上げたパロウは順調に成長していくだろう

 

Photos by :
Karl Zemlin (1)
Joe Skibinski (2, 3)
Chris Owens (4)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です