選手権の意味をレースに還元すること、あるいは唯一なるジョセフ・ニューガーデン

【2020.10.25】
インディカー・シリーズ第14戦(最終戦)

ファイアストンGPオブ・セント・ピーターズバーグ
(セント・ピーターズバーグ市街地コース)

ジョセフ・ニューガーデンは是が非でもこのレースを勝たなければならなかった。レーシングドライバーならいつだって勝利を目指すべきだといった観念的な願望ではなく、もっと具体的で明確な目的、つまり2020年のインディカー・シリーズ・チャンピオンへと辿り着くためには、最終戦の優勝が限りなく細く、また唯一残された途だったからだ。本来ならその舞台となるはずだったラグナ・セカはCOVID-19のために中止され、開幕戦の開催を断念したセント・ピーターズバーグが代わりを引き受けた異常な秋で、例年であれば最終戦に設定される選手権得点2倍のボーナスはなくなり――シーズンの締めくくりという理由で他と変わらないロードレースのひとつだけに特別な地位を与える毎年のやりかたがそもそも正常なのかどうかは措くとしても――、スコット・ディクソンとの32点差を覆すのは難しい状況だった。条件は限られる。予選や練習走行で車を壊して出走できない事態にでもならない限り、最終戦のスタートが切られた瞬間に、少なくとも24位の6点は確定する。ニューガーデンにとっては3位の35点ではもう届かず、2位の40点を積み重ねたところで、ディクソンが22位になるだけで上回られてしまう計算になる。32点とはそれほどの差だ。現実的な可能性が残るのは優勝だけで、だからニューガーデンはこのレースを勝たなければならなかった。是が非でも。

 もちろんそんなものはただの計算で、レースと無関係の空論ではある。選手権は擬制の制度でしかない、とは何度も書いてきた。それは本来なら個々に独立し連関しない営為であるはずのレースたちを「カテゴリー」の名のもとに統合するため、競走の外部に人為的に設定(捏造と言ってもいいだろう)されたフィクションだ。モータースポーツが始まった当初を思えば、新時代の道具を操ってスピードを競い合う人々の間に一連の選手権など存在せず、ただ目の前にひとつのレースがぽつんとあっただけだったことだろう。すなわち選手権は決してレースと手を携えて歩む自然の営みではない。そのことは米国の選手権が関係者の思惑に翻弄されて分裂や消滅や統合によって姿を変えながら、にもかかわらずインディアナポリス500マイルというひとつのレースがつねに中心にあり続けている事実が明らかにする。ル・マン24時間レースと世界耐久選手権の関係や、鈴鹿10時間耐久レースの変遷を見てもわかるはずだ。あるいはモナコGPの歴史もまた、F1世界選手権より古い。

 選手権はいかなる意味においてもレースそれ自体ではなく、レースの結果をただ数字として机上に載せた仮構にすぎない。だが、裏を返せば、現実の輪郭を持たない仮構であるからこそ、われわれは堅固な物理的現実を越えてそれを捉えられるともいえる。飛行場の滑走路と公道を組み合わせたレイアウトのセント・ピーターズバーグ市街地コースと、インディアナポリス・モーター・スピードウェイの長方形に近いオーバル。性格のまるで異なる2つのコースで行われるレースは、しかし唯一「インディカー・シリーズ」というフィクショナルな制度の紐帯によって結ばれることで、一連の物語を表すようになる。選手権はレースに隷属するが、レースのほうは隷属されることによって語りが重層化され、強度を持つことにもなりうる。おそらく選手権の価値はそこにある。数字の計算を弄ぶことそのものに意味はないが、フィクションに過ぎない数字をそれでも当事者たちがシリーズの紐帯として信じ、心から求め、その意志が現実のレースの運動に転換されるかぎりにおいて、仮構の頂上に据えつけられた玉座は大きな意義を持つだろう。レースの物語のためにこそ選手権はあり、チャンピオンは誕生しなければならない。

 重要なのは、だから選手権だけに拘泥してレースから逃げるのではなく、選手権のためにレースをこそ正しく戦う意志を表出できるかどうかだ。主客を見誤ってはならない。そして、ニューガーデンはだれよりも激しくそうすることができ、またそうすることに失敗した経験もあるドライバーだった。たとえば2017年の晩夏に行われたゲートウェイを思い出す。シーズン3戦を残してポイントリーダーだった彼は、抜きにくいショートオーバルのターン1で、地位を失うリタイアの可能性をまるで恐れないかのように同僚のシモン・パジェノーに接触しながら抜き去って優勝を奪い取った。また最終戦のソノマでは、数字上はその必要などまったくなかったにもかかわらず、おなじくパジェノーに優勝争いを挑んで十数秒間のサイド・バイ・サイドに身を投じ、チームが無線で止めるまでレースに緊張感を与え続けた。そうやって26歳にしてインディカー・シリーズの頂上に登り、満面に眩しい笑みを浮かべて栄誉に浴したのだ。逆に2019年のシーズン終盤は最悪の日々を過ごした。春から夏にかけて大差をつけていたにもかかわらず、あるいはむしろそのせいか精細を欠いて成績を落とし、とうとう最終戦では計算を弄して後ろから迫る格下の敵に対しいっさい抵抗しないまま順位を明け渡す場面を残してしまうことになった。8位に沈み、それでもポイントリーダーの座を守りきって終えたレース後のインタビューで、彼は2年前には見せなかった安堵の涙を双眸に浮かべていた。悪循環の中で保守的な思考に搦め捕られ、失うものをはっきり自覚してレースから逃げた末に得たチャンピオンは、本人にとっても悔恨を禁じえない栄冠だったのだろうかと感じさせる涙だった。

 挑戦的な精神で成功したチャンピオンと、レースに失敗してもなお踏みとどまったチャンピオンをともに経験したニューガーデンはきっと、その意味で選手権を両側から知悉している。結果の次元においてではなく、目の前の瞬間を戦い抜くための精神において、仮構の選手権が現実のレースに与える意味を身体に刻んでいる稀有な、いや唯一といっていいドライバーだろう。そのニューガーデンがいまディクソンに対して厳しいながらも不可能ではない差を追いかけている。そんな状況で行われる最終戦が、退屈なレース――選手権争いではなく――になるはずがなかった。

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例年どおりポール・ポジションからスタートしたウィル・パワー(左手前)のレースは、例年どおりうまくいかなかった

 

 季節が春から秋に変わっても、セント・ピーターズバーグでウィル・パワーがポール・ポジションを獲得したことは、異常に彩られた2020年シーズンにあって数少ない正常のひとつだった。チーム・ペンスキーに移籍した2010年から去年まで、パワーがこのコースで予選最速タイムを記録したのはじつに8回にも及ぶ。10年間でのべ200人以上を相手にしながら、彼より速く走ったドライバーは文字どおり片手で足りる数――佐藤琢磨、トニー・カナーン、ライアン・ハンター=レイ、ロバート・ウィッケンズの4人だけ――しかいなかったのだ。パワーを先頭にしてセント・ピーターズバーグのグリーン・フラッグが振られるのはずっと見慣れた光景で、しかし、にもかかわらず、それがチェッカー・フラッグのときには様変わりしてしまうのも見慣れた光景だった。予選の輝かしい実績とは裏腹に、過去、彼がポール・ポジションから逃げ切ったレースは10年前のたった一度しかない(2回の優勝のうち1勝は、皮肉にも予選4位だったときに上げたものだ)。9度目の今回も、結局はそうなった。パワーは予選でもっとも速い最高のドライバーで、決勝では不運とともに凡庸に成り果ててしまった。5周目にブレーキに問題を抱えて先頭を失い、その後ペースを取り戻したものの36周目のターン3でリアを破綻させ、カウンターの振り返しで側面から壁にぶつかって、惰性で転がっていったストレートの先の退避路に車を止めることになったのである。こうして、パワーの2020年は呆然とうずくまって終わった。そういうひとつの典型から、このレースは展開していくのだった。

 勝たなければならないニューガーデンは予選8位にとどまっていた。平凡で物足りない、しかし取りたてて不思議というわけでもない結果だった。才気煥発な印象とは異なり、もとより相対的に見れば予選に優れたドライバーではないからだ。本質が速さにあることに疑いは容れないが、その「速さ」は1周に研ぎ澄ました集中力をすべて注ぎ込む数十秒のアタックではなく、勝敗を決定しうるレースの要点を巡る瞬間に、いわば戦略的に発揮される種類のものである。初優勝を逃したミッドオハイオ、その失望を超えて表彰台の頂上を手中に収めたアラバマ、あるいは他を圧倒するアイオワ、もちろん同僚を弾き飛ばしたゲートウェイ……数分間にわたる長いスパートだったり、目の前の相手を捉える一瞬の機動だったり、現れ方は時々に変わるものの、いずれにせよニューガーデンの才能は孤独を伴う1周の予選ではなく、レースという分割不可能な全体性の絡み合いの中にこそ立ち上がり、その激しく情動的な運動によって即座に中心を自分のもとへと引き寄せる。ただ速いのではなく、速さの表出に明確な意図と意味がある。まだペンスキーに移ってくる前の2016年に発行された絵本 Josef, The Indy Car Driver(Chris Workman, Apex Legends, 2016)にさえすでに描かれていた、ニューガーデンを象徴する特質。それはきっと、勝たなければならないこの最終戦でも、あるいは勝たなければならないからこそ、やはり変わらずに現れようとしていた。

 8番手からレースを始めたニューガーデンは、決勝の100周すべてに全霊を傾けるかのように、ひとつずつ順位を上げていった。スタート直後から前にいるセバスチャン・ブルデーを弛まず1秒以内の差で追いかけ、相手がピットへ向かうと同時にペースを0.3秒ほど上げてジャック・ハーヴィーとの空間を埋める。そうしておいて28周目に今度は自分が先んじてピットストップを行い、アウトラップから4~5周の小さなスパートでハーヴィーと、さらにその前を走るパト・オワードに対してアンダーカットを成功させた。33周目にはこの日最初のパッシングがあった。ターン4でパワーに対してブレーキング勝負に持ち込み、切り返しのターン5で外からスピードの優位を保って抜き去った場面だ。ターン4への飛び込みは不十分で車半分までしか並べなかったが、空間を譲らずに出口で相手を壁ぎりぎりまで追い込んでラインの自由度を失わせてから、ターン5の入り口へ向かって瞬時に自分だけ外へ持ち出すことで旋回速度を高める巧緻な追い抜きだった。

 5位を得た直後に発生したパワーの単独事故によるフルコース・コーションは僥倖で、開いた差が元に戻されたリスタートのターン1でリナス・ヴィーケイのインに入り込み、深いブレーキングをもって4位を確保する。すると今度はブルデーがタイヤバリアに刺さってコーションが連鎖し、ニューガーデンはもう先頭を視界に捉える位置にいるのだった。やがて63周目、2位のコルトン・ハータがターン4で飛び出すミスを犯した。すぐにスピンターンで復帰したものの、ジェームズ・ヒンチクリフと、それにぴったり張りついて機を窺っていたニューガーデンはその脇をすり抜ける。3位。その間、失地を挽回すべく予選のようなスパートを見せたハータにふたたび逆転を許すが、最後にレースは大きく転回した。ここまで61周のラップリードを積み上げ、優勝に向けて進んでいたはずのアレキサンダー・ロッシが交換直後の冷えたタイヤに制御を失い、ターン3の出口でスピンを喫して壁の餌食となった。絶対的な速さに優れるリーダーがひとりでに消えたのである。紛れもなく自分とは無関係なただの幸運だったが、ともかくこうして舞台は整えられた。舞い込んできた好機を、ニューガーデンが逃すはずもなかった。

 79周目のリスタートとともに、ピットストップを見送って見かけ上の2位を走るアレックス・パロウが、リーダーのハータを襲って並ぼうとしていた。2台の争いを眼前にして、3番手のニューガーデンは行き場を失っている。グリーン・フラッグの直後、スタート/フィニッシュラインを通りすぎるときにはもう、ターン1に向かって内側をパロウが占拠し、外もハータが壁沿いに居座って、進むべき空間は見当たらなかった。並走する2台の真ん中にわずかに覗いた隙間を窺おうと進路を変えてみても、入り込むに能うほどの幅はない。と、逡巡する間もなく右へ直角に折れるコーナーに向けて2台がほぼ同時に減速し、ニューガーデンも追従する。ハータは早めにインへ寄るように旋回を始めるが、パロウが先んじて頂点を押さえ、車1台分前に出た。リーダーが入れ替わる。鮮やかな、しかしそれだけの場面に思えた。(↓)

 

79周目のターン1からターン2へ。後ろから追いかけていたはずのニューガーデンは、次の瞬間、パロウの外に並んでいた

 

 何が起こったのか、すぐには理解が追いつかなかった。パロウにコーナリングの優先権を奪われたハータはインに寄せきることができず、自分の懐を開け放ったままターン1を回る。ほんの一瞬に生まれたその狭い空間に、中間のラインからブレーキングを敢行し小さく鋭く曲がったニューガーデンが入り込んでハータと並んだ――そこまでは、目の前の順位争いを利用して抜かれたほうに追撃を仕掛ける、巧みだがとくに珍しくもない技術だった。信じがたい運動は、その先にある。ハータを抜くためにターン1を窮屈に進入したパロウが出口でやや膨らみ、しかし左右の入れ替わる直後のターン2に対して自然にインを取れる姿勢で立ち上がったと思わせた瞬間、ちょうど中継映像がターン1からターン2のカメラへと切り替わったまさにその刹那のタイミングで、ニューガーデンはもうすでにパロウのすぐ外に並んでいた。そして外から被せるような進入で相手にスロットルを開けさせず、自分は悠々とターン3へと加速していってしまったのだ。もとより見かけの順位にすぎないとはいえ、しかしパロウが先頭を走った時間は5秒にすぎなかった。フルブレーキ、右、加速、左。それだけだ。それだけの、たった4つの動作でニューガーデンは2台を抜き、このレースではじめてリーダーとなった。

 アラバマのターン14やミッドオハイオのターン4を見ていると、ニューガーデンは物理の限界を超えるように曲がると思うときがある。それが魔法のようなコーナリングだというなら、今回もまた魔法だった。道理に合わないではないか。先頭集団がターン1を通過していくとき、カメラはパロウとニューガーデンの間に車1台分、5メートルばかりの距離があるのを映している。それなのに、ターン2のカメラへと切り替わって瞬きもしないうちに、どうして2台が並んでいるのか。実際に目の当たりにしても疑いたくなる。時空を切り取って飛び越える魔法。馬鹿げた話だ。だが、そんな馬鹿げたコーナリングが、ありえないはずのパッシングが、現実のもとに現れる。ニューガーデンを探していれば、そういう瞬間はたしかにある。是が非でも勝たなければならないレースで、たった一度巡ってきた機会に、それは不意に見つかるのだ。選手権を求めたニューガーデンが、選手権のためにレースに捧げた、まぎれもなくニューガーデンに唯一の運動だった。(↓)

 

最後のリスタート明け、先頭に立ったニューガーデンをオワードが迫る。だがその攻撃を凌いだリーダーは、逆に差を開いていった

 

 残り20周で先頭に立ったニューガーデンは、直後に導入されたコーションが明けると同時にオワードから厳しく攻め立てられる。途中までロッシに独走を許したことを考えても、最高の車に乗っているわけではなかった。だが事実彼は先頭を走っていて、接触せんばかりのテール・トゥ・ノーズを何度か凌ぎながら、やがてオワードを突き放しはじめた。85周目には0.07秒まで削られた差が、0.3秒になり、0.8秒になり、1秒を超える。そして、記録によれば96周目のことだ。61.3889秒。フィニッシュまで残り5周、2020年の終わりまでも5周となったこの周回に、最速とは言えなかったはずのニューガーデンは最多ラップリーダーのロッシをも上回るリーダー・ファステストラップを記録する。オワードはいつの間にか4秒以上も遅れた。勝敗を決定しうるレースの要点で見せる、時宜を得たスパート。もっとも必要なときに必要な速さを使い、彼は一本しかなかったチャンピオンへの細く暗い途を正しく選び取った――。

 いや、本当のことを言えば、現実にはその途は残っていなかった。ニューガーデンがオワードと戦っていたころ、ディクソンもまた巧みなレース運びの末に3位に上がっていたからだ。最終戦前の32点差は16点にまでしか縮まらず、選手権の行方は決した。だがこのレース、目の前のレースを見るのなら、そんな数字上の結果などもうどうでもいい些事だった。本当に大事なことはチャンピオンになることではなく、チャンピオンになろうとする意志を運動としてレースの中に表すことだ。ニューガーデンはそれをなした。だれにも真似できない、彼だけのやりかたで。それ以上に求めるものなど、あろうはずがないではないか。1位と2位の差が、少し縮まる。優勝を確実にしたリーダーがペースを少し緩めたようだった。選手権のために情動に充たされたレースに、チェッカー・フラッグが用意されていた。■

 

最低限1桁順位でゴールすればよいだけだったはずのディクソンも、気づけば3位表彰台に顔を見せる。本文中では触れなかったが、着実ながらも妥協のないレースぶりは6度目の戴冠にふさわしいものだった

Photos by :
Joe Skibinski (1, 2)
Chris Jones (3, 4)
James Black (5)

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