充実のウィル・パワーが失った選手権に戻ってくる

【2016.6.26】
インディカー・シリーズ第10戦 ウィスコンシン・コーラーGP
 
 
 例年どおりの完璧な予定調和で開幕戦セント・ピーターズバーグのポールポジションに就いたはずだったウィル・パワーが、三半規管の不調と診断されて医師から止められ決勝の舞台に姿を現すことができず(当初は運転できないほどの腹痛に襲われたとか、練習走行での事故に起因する脳震盪かなどと憶測交じりの情報が流れていたが、どうやらそういうことらしい)、まるまる1レースを棒に振ってしまったあと、しかし一見すると酷ないたずらでしかないようなその顛末が、むしろパワーの今季に射す明るい光になりうる可能性はあると、わたしはこのブログで綴ったのだった。

 過去数年にわたって、パワーにまつわる予定調和とは、つねに開幕で最速を誇示し、春の数レースを支配的に戦う姿と、裏腹にライバルから追い立てられる夏以降の失速を意味していた。それは彼の所属するチーム・ペンスキーにもまた当てはまる。パワーもペンスキーも、いつだって春を謳歌し、いつだって夏を怖れた。新しいシーズンが開幕するとすぐに圧倒的な独走態勢を固めて優位を築き、にもかかわらず開催を重ねてシリーズ・チャンピオンの行方が気にかかる時期に差しかかると点数に怯えているとしか思えない戦いを繰り返してレースに熱量を与えられなくなっていったのだ。必要なリスクを犯せず、逆につまらないミスだけは積み重なって最後に逆転を喫して失意の閉幕を迎える。録画映像を飽きもせず何度も何度も再生するように、彼らは毎年おなじ展開で敗れつづけた。ダリオ・フランキッティの全盛期はとくにそうだったが、相手がスコット・ディクソンだろうとライアン・ハンター=レイだろうとべつだん変わるところはなかった。おおむね彼ら自身の問題だったからだろう。

 パワーは天体の運行のようにそうであることがすでに決まっているシーズンを繰り返してきた。だから逆説的に、開幕戦で変わらず速さを証明しつつも思わぬ形で決勝を走れなかった不運は、あるいは1年を通じた予定を打破しうるかもしれないと想像されたのである。もしパワーの、ペンスキーの失敗が、先行して手にした優位によって生じた保守性、立場を失うことへの怯え、つまりレースに対する精神の喪失なのだとすれば、最初に現実の喪失に見舞われてもはや相手を追う以外になくなったパワーは、そこを脱却できるのではないか。実際、2014年に王者となったとき、彼は同僚のエリオ・カストロネベスに長い間リードを許しながら、シーズンの終わりごろになってようやく逆転したのだから。

 と、3ヵ月前に書いたこういった内容は、もちろんわたし自身の本心によっている。なすべきことを絞りやすい追う立場のほうが気づくと先をゆく者より有利になっているなどといった逆転は往々にしてあるし、まるでその証明かのように、近年、すくなくとも2010年代のインディカー・シリーズにおいて、シーズン最後の3戦を残した段階でのポイントリーダーはことごとく最終的な勝利を逸してきたという事実も存在する。開幕戦で優勝したファン=パブロ・モントーヤと2位シモン・パジェノー、そして4位だったカストロネベスと、上位を独占した同僚たちにまたぞろペンスキーの呪縛が纏わりつくようなことになるとすれば、不幸にもチームの歓喜の輪に加われなかったパワーは、しかしだれよりも強い反撃の機会を与えられたのではないかと考えたこと自体に嘘はない。

 だが、その具体的な蓋然性がどれくらい高いのかと問われれば、たぶんわたしは口を噤まざるをえなかっただろう。いかに優れた精神性を獲得しようとも、具体的な現実の問題は目の前に残る。インディカーでの「欠場」はリタイヤ以上に厳しいものだ。パワーはセント・ピーターズバーグの決勝で1点も獲得できなかったが、これはスタートさえすれば0周リタイヤでも手に入った8点すらふいにする結果で、最初から負わされる負担としては大きすぎるようだった。グリーン・フラッグ直後にクラッシュしたと思えばいい、だれしも1年のうち何回かはそんなレースもある、得点だってさほど変わらないと励ますことはできるかもしれないが、ひとつにはそれはあまり慰めになっていないし、ひとつにはだとしても失った数点さえ惜しまれる。優勝50点のインディカーに、1点の価値がどれほどあるというのだろう。もちろんみんなわかっているはずだ。昨季、チャンピオンとシリーズ2位はまったくの同点だったのである。

 それほど手痛い1レースの喪失を、それでもパワーが取り戻せるとしたら、鍵となるのは彼自身の感情の充実以外にありえないように思える。今のインディカーでパワーほど感情の波が運転にそのまま現れるドライバーをわたしは知らない。感情の制御が苦手なのは、雨がぱらつく2011年夏のニューハンプシャーでスピンを喫したあと、レースコントロールに対して両手の中指を突き立てて3万ドルもの罰金を科せられた逸話がよく表していよう。抑圧を感じ取ればとたんに走りから輝きが失われて集団に埋没し、暴走すれば無謀なブレーキングに身を任せて自分もろともレースを壊すことさえある。しかしそのあわいにあるわずかな範囲で、緊張と弛緩が適度に混ざりあったとき、頬に赤みがさして表情から険しさと諦念の両方が消えて見えるとき、パワーの随一の才能はようやく完全に発揮される。もしそんな表情が垣間見える瞬間が訪れるとしたら、それは彼が開幕戦の蹉跌を乗り越えて選手権に舞い戻ってくるなによりの証拠になるはずだった。

 そこから数戦にかんして、そうしたわたしの期待は実現しなかったと言っていい。フェニックスのオーバルレースは3位だったもののレース自体があまりに凡庸だったために語るべきところはなく、そこからロード/ストリートコースに戻ると芳しくないレースを重ねた。ロングビーチの7位も、アラバマの4位も、パワーの走りに光るところはなにも見出だせなかった。昨年完璧な優勝を果たしたインディアナポリスGPでさえ、好調な練習走行から一転予選で失敗して中位に沈み、決勝でも最後尾集団に落ちてからはそれっきりだ。その間にパジェノーが勝ち続けたこともあって、パワーはすっかり選手権から消えてしまった。アラバマのレース後だったか、インタビューを受けながら今季はどうにもなりそうにないと言いたげに見えたその顔はずいぶん印象的で、諦めに満ちたこの表情が現れてしまってはもう終わりだと思えたものだ。実際、インディアナポリス500も10位にとどまり、デトロイトのレース1では車の問題で完走できなかった。正直に言えば、翌日のデトロイト・レース2のリスタート直後にパジェノーを交わして優勝した瞬間を見てもまだ、パワーを取り巻く雰囲気に何かしらの変化が訪れたとは信じられなかった。それは選手権を諦め、しかし単純な速さは失っていないドライバーのもとに思いがけずやってくる「ただの優勝」に過ぎないと考えていたのだ。ちょうどレース1に勝ったセバスチャン・ブルデーの好走がいつも唐突に突きつけられ、次のレースでは淡く消え去っていくのと同じで、それは他のレースと関わりを持たない、シーズンとの繋がりのない優勝だと思われた。1回きりの機会をものにして最後の最後にだけ先頭に立つその勝ち方があまりパワーらしくはなかったからかもしれない。むしろ今季4度目のポールポジションを獲得し、スタートから40周をリードしたパジェノーのほうがよほど、いつものパワーのような存在感を放ってレースを戦っていただろう。そうであれば、結局2016年の主役がいまだだれのもとにあるのは明らかだった。

 しかし、そんなふうに油断しているあいだに状況が一変することもありうるらしい。「インディカー・シリーズ」ではじめて行われるロード・アメリカでポールポジションを獲得したパワーの表情はこれまでと打って変わって晴れ晴れとしており、クラシカルな難コースといういかにも似合いの舞台で自分のパフォーマンスがようやく戻ってきていることに大きな手応えを感じているようだった。そして実際、決勝の戦いもウィル・パワーそのものだった。完璧なスタート、序盤のハイペース、5秒以上の大差、孤独なスピード、付け入る隙のないリスタート、そして当たり前に頂く1位チェッカー。ラップリーダーの座を譲ったのはピット作業がずれた12~13周目と38~39周目だけで、あとの46周はすべてパワーのためにあった。

 開幕戦が終わったときは、可能性を信じつつもほとんど疑っていた。そこからの2ヵ月には諦めと納得が広がっていたし、優勝してもまだ視界には入ってこなかった。だが、本来おこなわれるはずだった第9戦テキサスが71周を消化しただけで延期になったために結果として「2連勝」を上げたパワーは、これで本当にシーズンの行方を変えてしまうかもしれないと、いまわたしはその存在感が戻ってきたことをようやく信じたくなってきている。完璧な優勝の仕方はもちろん、パワーほどではなくとも力強い走りを見せていたポイントリーダーのパジェノーが、最後のリスタート後にトラブルに見舞われて13位にまで後退してしまったことで、あれほど絶望的だと思われた現実の得点差も81にまで縮まった。ひとつ上にはカストロネベスが残っているが、もう丸2年も優勝のない41歳と比べれば、どちらに分がありそうかは考えるまでもない。

 ロード・アメリカの週末でなにより印象的だったのは、レース後に車から降りたパワーが満足そうに右の拳を固めて小さく腕を振り上げた瞬間だ。その控えめな喜びの表現は、だからこそ自分が正しい競争者として2016年のインディカーに生き残っているという彼自身の手応えが伝わってくるものだった。開幕戦で思い浮かんだの予言めいた憶測が何かしらの正解を含んでいたのかどうかはわからない。こうして得点差が近づいてくればまたあっさりとレースを投げ捨てるような走りをして、すべてを水の泡にしかねないのもウィル・パワーというドライバーなのもたしかだろう。テキサスは赤旗の時点で4位を走っていたが、もしかしたらこのレースが延期になったことで生じた錯覚の勢いなのかもしれない。だがいずれにせよ、大きな喪失を経験したパワーがそれを乗り越える充実のときを迎え、パジェノーが席巻していた選手権に楔を打ち込んでいるのは間違いないはずである。

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