勝者は正しい中からしか選ばれない

【2016.6.4-5】
インディカー・シリーズ第7-8戦 デュアル・イン・デトロイト
 
 
 土曜日のレース1で42周目にフルコース・コーションが導入されたとき、ポールシッターにして、そこまで倦怠的ですらあるほど完璧だったシモン・パジェノーが最後の給油へと向かったのは自然な成り行きで、当然の正解であることを信じて疑わなかった。そのときチーム・ペンスキーは4位までを独占する態勢を築いてレースを支配しており、パジェノーとともに2番手のウィル・パワーと4番手のエリオ・カストロネベスを同時にピットへと呼びこんだのは同僚と公平に勝負させるためで、雨が降ってくることも予想されていたなか3番手のファン=パブロ・モントーヤをステイアウトさせ、チームとして安全に勝利を取りにいったのだろうと受け止めたものである。もちろん優先されるのはレースと選手権でともに首位をゆくパジェノーであって、その存在を中心に据えて取るべき行動を機械的に決めていけば作戦はなかば必然的に決定する、ペンスキーにとってはそういうレースだったはずだし、最後のスティントはそんな最速チームの仕上げをあくびを噛み殺しながら見ていればいいように思えた。パジェノー、今季4勝目おめでとう。近年まれに見るハイペースでの勝利は選手権を大きく引き寄せたのだと、そういう結論なのだろう。あるいは、もしかするとパワーがちょっとしたいたずらをしかけるくらいの波瀾はあるのかもしれない、とその程度だった。

 ピットに進入可能となったのが43周目、レースは27周を残しているが、そこから数周はコーションが続くことは確実で、レースペースでも25周は走れるだろうと思っていた(これが大間違いだったと後で知ることになるわけだが)から、過度に燃費を気にしなくても適切に走らせていけばゴールまで辿り着くことはたやすいだろう。ましてそういったレースをさせたらインディカーでも上位を争うパジェノーである。このとき6台がステイアウトを選択して上位に居残ったが、燃料の足りるはずがない彼らがいずれピットに向かえば何事もなかったように自然と先頭へと戻ってくるはずだ。やはり、4勝目に拍手するべき展開のようだった。

 たしかにわずかながら誤算は生じ、おなじチーム同士の給油・タイヤ交換作業でわずかに上回ったパワーにピットレーンで逆転を許しはした。そのうえ苦手なリスタートでカストロネベスに先行を許してさらに順位を落としてしまう。これ自体はパジェノーが選手権を阻まれるとしたらもっとも大きな要因となるであろう弱点であるが、均衡した力関係の中で正当に争った結果として、優勝から3位までのどこに落ち着くかどうかの違いでしかない。昨季に比べればある程度は改善されたとはいえレース途中にゆくりなく速さを失ってしまう悪癖と合わせてパジェノーを批判的に取り上げても構わないし(それはわたし自身の彼に対する最大の不満でもある)、選手権首位を独走するチームメイトを俊敏なリスタートで抜き去ったカストロネベスを賞賛することも可能だろう。いずれにせよ、彼らは正しい判断に従って正しくレースを戦い、正しい結果を持ち帰るに違いないと考えていた。フルコース・コーションが明けて数周のころには、そう考えない理由などまったくなかったのだ。

 だがレースというのは見えないところから横っ面をひっぱたかれるようなことも起こるのだろう。パジェノーをはじめとするピットストップ組が走行距離を伸ばすべくペースを抑え気味に走る一方で、ステイアウトした6台は圧倒的に速かった。先頭に立ったモントーヤは46周目のリスタートから54周目にピットインするまでの間に15秒近いリードを築いて、5番手でコースに戻ってきてしまったのだ。追随するスコット・ディクソンは電気系の故障で車を止める結末に終わったが、その後ろを走っていたセバスチャン・ブルデーとコナー・デイリーはモントーヤよりさらに3周、そのだれより速い周回を伸ばした。2人が56周目に記録した自己ベストのラップタイムは最終スティントの決定が明暗を分けたこのレースを象徴する一幕だと言ってよい。走れば走るほど差は広がり、このとき先頭と2番手だった彼らは、それぞれ57周目と61周目に最後のピットストップを終えると、そのまま先頭と2番手でレースに復帰することになった。予選15番手と16番手、およそ速さなど持っているとは思えなかった2人が、ほんの十数周で1回分のピット作業時間を稼ぎだしたのである。もちろん、燃料に余裕のない後続に追い縋る術はなく、彼らはあたかもレースを最初から完全に支配していたかのようにあっさりとチェッカー・フラッグまで逃げ切ったのだった。先行ピット組の後ろに回ったモントーヤも最終的には3位に上がり、何より不思議なことに6位で我慢していたパジェノーは頼みの燃料を失って最終周に13位まで順位を落とした。43周目にピットインした中での最上位はカストロネベスの5位だ。結果として、一見するとあのピットインは間違いだったように思えてくる。

 とはいえ、そもそもパジェノーはそうせざるをえなかった。1回目のピットが23周目で、フルコース・コーションが出た42周目は2度目の給油が近づいていたころだったからだ。ステイアウトしても距離を伸ばせないのだから、そこで入る以外に道はなかったのである。カストロネベスやムニョスも同様で、ロングスティントが結果的に誤答だったのだとすれば、彼らは最初から正解のない選択肢から答えを選ぶよう迫られていたといえる。対して後方からスタートしたブルデーやデイリーは2〜3周目には不利なレッドタイヤを捨てるためにピットインする作戦を取る決断が容易で、そのうえ序盤のコーションで燃料を継ぎ足して作戦に幅を持たせることができた。それが46周目からのスパートを生み、同じ作戦のモントーヤよりさらに数周長く走れる優位を作り出した。パジェノーやカストロネベスが2回しかピットストップを行わなかったのに対し、ブルデーは4回、デイリーに至っては5回もピットレーンをゆっくりと走った。にもかかわらず、結果はこのように分かれるのである。

 だが正直なところ、選択肢が事実上存在したか否かにかかわらず、レースが終わったいまでも彼らの作戦が間違っていたとは思わない(パジェノーが燃料の計算を間違えたことは余計な失敗だったとしても)。仮に「正しいと判断される作戦の取りうる範囲」といったものを事前に想定した場合、常識的には、フルコース・コーションの最中に最後の給油を行うことこそその範囲のほとんど中心にあったと考えていいだろう。それはあのときステイアウトを選択したのが6台だったのに対し、その倍の12台がピットへと向かったことからもたしかだ。ただ、ピットイン組は大きく燃料を節約する必要に迫られ、ステイアウト組とのタイム差が思いのほか開くという、事前には想定しにくかったレースのちょっとしたいたずらで正攻法では掴みにくい「よりよい正解」が浮かび上がり、それを偶然に見つけたドライバーが数人いただけに過ぎなかったのではないか。つまりこれは、全員が正解するなかで正しさの濃淡に差が出ただけの、愚か者のいないレースだったのだ。こうした敗北は敗者の価値を下げはしない。カストロネベスは正しい敗者であり、13位に沈んだパジェノーもまた、計算上の得点は積み上げられなかったものの、選手権を得ようとするものとして間違いに侵されず走り切った。波瀾があったのは見た目だけで、土曜日のレースはすべて正当に、健全に終えられたのである。

 ところで日曜日に行われたレース2で、41周目にパジェノーを抜いて先頭に立ったのはやはりカストロネベスである。2レースともにポール・ポジションを獲得したパジェノーの失速が相変わらず突如として起こり、カストロネベスは平凡なドライバーと入れ替わったとしか思えない同僚を苦もなく交わすと、最後のピットストップに向けて順調に差を広げていった。レースはやがて残り25周を過ぎ、もういつ給油を行ってもゴールまで燃料の心配をする必要はない状況へと変化する。全員に残されているのは予定に沿った作業の一度きりで、48周目に4台が、49周目にはパジェノーをはじめ6台が作業を完了した。そしておそらく次の50周目にカストロネベスがピットに向かい、問題なく先頭に戻るだろうと考えられていた矢先に、ピットアウトしたばかりのジャック・ホークスワースがコースの中で停止してしまったのだ。もちろんフルコース・コーションである。

 ピット入り口がすぐさま閉じられてカストロネベスはコースに取り残され、同時に隊列が整えられたことで先に給油を行っていたドライバーたちの遅れも帳消しになった。ピットへの進入が許可された51周目にもどかしく最後の作業を行ったが、もはやレースに関与することのできない彼は一瞬にして先頭から16番手の奈落まで転落した。ちょうど2年前にここベル・アイルで挙げて以来となる優勝の機会――当然、ペンスキーに所属している以上これだけの長い期間勝利から遠ざかることはあまり許されていい状態ではない――は、前日に引き続きはかったような偶然に翻弄されてあっという間に霧消したのだ。14位。どれだけ悔やんでも、残った結果はそれ以上に動かしようがない。

 しかしカストロネベスの心情は察してあまりあるとはいえ、インディカーの観客としてはそれが最悪の不運に過ぎなかったのか、もう少しいえばチームとドライバーはこの悲劇に対して完全に無力な被害者としてただ嘆いてみせればよいのか、といった興味も湧く。とこんな書き方をしてしまえば種明かしをしているようなものだが、わたし自身はカストロネベスの(正確にはドライバーにそうさせたペンスキーの判断がもたらした)運命にさほど同情的ではない。それは端的にいって彼らが最後のピットストップまで「引っ張りすぎた」からで、それこそパジェノーやパワーと同様に49周目にピットインすれば済む話だった。たった1周の違いで優勝か最後尾かに分かれる状況で、そうしない理由はなかった。

 もちろん、49周目と50周目の狭間にイエロー・フラッグが振られたのはただの偶然にすぎない。たとえばレース1にしたところで、50周目ごろにもう一度フルコース・コーションとなっていればブルデーをはじめぎりぎりまで引っ張ってリードを稼ぎ出そうとしたドライバーたちの努力は水泡に帰し、カストロネベスが優勝していたわけである。そこにあったのは望まないときに望まない事件がコース上で起こったかどうかの差でしかない、はずだ。はずなのだが、両者はやはり決定的に違う。レース1でステイアウトを選んだドライバーたちは、そうしなければ優勝を望めない立場にあった。順位を入れ替えるために、偶然の事件が起こる危険性に目をつぶって突き進む以外になかったのだ。しかしすでに先頭を行くカストロネベスが安全にレースを閉じるために必要以上に引っ張る必然性はなかった。コーションの可能性を怖れ、あらかじめ手を打っていればこの結末は十分に避けられたのである。レース1のブルデーたちが犯すべきリスクを犯したのに対し、カストロネベスが身を晒したのは無意味なリスクだった。実際にコーションが具現化しなければ見えない差だったが、偶然にもそれは起きて、結末を大きく揺るがせた。

 なにもペンスキーが馬鹿げた失敗をしたと非難したいのではない。近い位置関係の3台を同時にピットインさせるのはまた別の危険を伴うし、直前のピットストップもカストロネベスのほうが1周遅かったから、次も1周遅くなることは自然な決定だった。彼らは彼らとして合理的に動いていただろうと容易に推察できるし、事実そうだったのだろう。言いたいのは、しかしそうだとしてもリスクは厳然と存在し、その結果は引き受けなければならないという冷徹な現実である。ロード/ストリートコースにおいて、ピット作業を1周遅らせることは、そのぶんだけフルコース・コーションの陥穽に落ちる危険を確実に増やすことを意味している。ゴールまで安心して走りきれる燃料とタイヤを準備してそれでもまだ見送るのは、やはり少しずつ「正しいと判断される作戦の取りうる範囲」の外へと向かって歩を進めてしまうこであり、そして実際にカストロネベスは正しい道を踏み外した。優勝したのは、なにも珍奇なことをせず、最後のリスタートの後にパジェノーを抜き去ったウィル・パワーだった。

 ブルデーたちは多数の選んだ淡い正しさに埋没せず、自ら危険を犯して濃い正解を手に入れた。一方でカストロネベスはその淡い正しさを見送ってしまう失敗を犯し、見送らなかっただけの同僚に優勝を譲った。同じ行為が裏表の結末を導いたデトロイトの2レースが示唆するのは、結局レースに対する正しさをめぐる態度のようだ。正しい立場にいるものは淡い正しさを逃さなければそれでいい。ときには偶然よりよい正解を見つけて出しぬいていく者が現れるかもしれないが、それは自らの価値を落としはしない。だが、間違った者に勝利が与えられることだけは、けっしてないのである。

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