不公平なほどの公平、あとの者は先になり、先の者はあとになる

【2017.7.16】
インディカー・シリーズ第12戦 インディ・トロント

天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。(『マタイによる福音書』章20より)

***

2017年のインディカー・シリーズ開幕戦は、それがつねにありうる事態だと知っておくべきでありながらも、現実のその瞬間に起きることはどうしたって予想できない出来事がすべてを入れ替えたレースだった。セント・ピーターズバーグの26周目、1回目のピット作業を終えて復帰したばかりのトニー・カナーンがミカイル・アレシンと接触し、コース上に破片を撒き散らした瞬間、良くも悪くも多くのドライバーが運命の変転に見舞われた。レースはまだ序盤、最初のピットストップを行うタイミングにはさほど神経質にならなくても構わないころだ。遅い車は早めに最初のスティントを見限りタイヤ交換を終えており、逆に上位勢は後半の戦いに備えてスタート前に積んだ燃料をなるべく使い切ろうとしていた。そんな具合に判断が二分されていたその中心点で、カナーンは自らの迂闊さによってフルコース・コーションを招き入れたのである。先頭のジェームズ・ヒンチクリフをはじめとして、スコット・ディクソン、佐藤琢磨、ジョセフ・ニューガーデンといった速いドライバーたちはコーションで隊列が整った後のピットストップを余儀なくされて瞬く間に後方へと追いやられ、当初はいいところが見出だせなかったシモン・パジェノーと最後尾スタートだったセバスチャン・ブルデーのフランス人2人が労せずして先頭へと躍り出た。そうしてふたつの視線が交換されるだまし絵のごとく上位と下位がそっくり入れ替わったレースは、最終的には遅かった車を速く、速かった車を遅くする奇術さえ使って入れ替わった順位を固定化したのだった。先頭に立ったブルデーはいつの間にか速く、パジェノーもそれに十分追いすがれる存在になっていた。一方で盤石のリーダーだったはずのヒンチクリフはひとたび下位に沈められてからは何もできないドライバーになってしまい、静かにレースを終えるほかなかった。

2014年の規則改正によって、インディカーではコーションが導入された際にいったんピットレーンを閉じ、ペースカーの先導によって隊列が完全に整ってからでなければピットへ進入できなくなった(燃料不足や車両の破損での緊急ストップは許されるが、その場合はピットレーン開放後あらためてピットへ戻ることが義務づけられる)。そうすると、レースではこんなことが起こる。だれかがピットへと向かう。別のだれかは走り続けている。その狭間の時間に事故が発生するときもあるだろう。先にピットストップを行って大きく遅れた者は、しかしコーションになればペースカーがおもむろに先導する隊列に悠々と追いついて失った時間を取り戻すことになる。一方で走り続けていた者たちは後続が付き従うまでひたすら待たされてから、ようやく開いたピットレーンへと向かわざるをえない。タイヤを交換するころにはみんなホームストレートを通過していってしまう。さてここで、もし先に入ったほうはもともと後方に沈んでおり、上位を争っていたのが走り続けていた側なら?――あら不思議、コーションの前後で順位はそっくり入れ替わる。Ambitious Car Trick。集団に埋没していた車が指をぱちんとひとつ鳴らしただけであっという間に一番上まで上がってくるのだ。カナーンの事故がセント・ピーターズバーグにもたらした顛末は、新規則のもとで分かれる明暗をもっとも極端な形で顕在化した例だと言えた。タイミングが「完璧」すぎて、走り続けていた上位と早めにピット作業を終えた下位それぞれ7~8台をほとんど丸ごと引っ繰りかえしたのである。

インディカーというぶどう園の主人――すなわちレースの神様――は、ときどきこんなふうに後から来た者から報酬を与えたりする。順番を入れ替えるどころか、後の者にだけ賃銀を支払い、先の者を追い返すような真似さえしかねない。セント・ピーターズバーグから4ヵ月が経ったトロントで、たとえばスコット・ディクソンは罰せられるべきだった。1周目のバックストレートで急激に横に動いて外にいたウィル・パワーをコンクリートの壁に弾き飛ばし、反動で戻ってきた相手にリアタイヤを切られて交換を余儀なくされ、一番後ろまで下げられたのだ。反対に、エリオ・カストロネベスは間違いなく勝つべきドライバーだった。1週間前のアイオワで3年1ヵ月ぶりに優勝を取り戻したベテランは明らかに上り調子で、3番手スタートから抜群の加速を見せて最初のターン1をパジェノーから奪い取ったのである。一度きりの勇気ある飛び込みはそれだけをもって優勝に値するにふさわしい機動であり、実際その後も力強いペースでレースを掌握しつつあった。僅差でもつれあう選手権の1位と2位が、最後尾と先頭に分かれて走っている。両者が1周目に見せた動きの質の違いを考えるとレースはこのような形で終わってよかったし、それが正当なあり方であるように思えた。そうであるならば、このトロントは2017年のインディカー・シリーズを左右する重要な分かれ目になるだろう。42歳にして洗練と勇気が程よく混淆してドライバーとしての完成を見たカストロネベスが、はじめてのシリーズ・チャンピオンを得るための橋頭堡とするレース。9月の終幕に向けてそういう展開が垣間見えていたはずだった。

だが気前のいい主人は、後からやってきた者にも報酬を与えるのである。管理人はまたしてもカナーンだった。すでに7~8台が最初の給油を行った後の22周目、上位としては早めに動いて硬い新品タイヤに交換したカナーンは、コースに戻った直後のターン1へのブレーキングに失敗し、為す術なくタイヤバリアへと突き刺さったのである。セント・ピーターズバーグとまったく同じように、このたった一事でレースはすべてが変わった。最後にきた人々から賃銀を払ってやりなさい。事故の瞬間すでにピットレーンへと向かっていたニューガーデンは救われた。ペースが上がらず動かざるをえなかったヒンチクリフも、それに付き合わされるのを嫌がってアンダーカットを狙っていたアレキサンダー・ロッシも、あるいはもっと後方で喘いでいた何人かも助かった。一方でその前を走るカストロネベスたちは、前を走っているがゆえに動く理由がなく、物理的には開いているが進入の許されないピットレーン入り口をもどかしく見送るしかなかった。そして1回目のコーションの終わり、5周目に燃料を継ぎ足しして周囲とは異なる戦略に切り替えていたディクソンもまた、ステイアウトを選択できた。あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう。27周目にリスタートのグリーン・フラッグが振られたとき、カストロネベスは14位に落とされ、ディクソンは12番手に戻っていたのである。

カナーンが招いたコーションは秩序だった隊列をすべて掻き乱した。このように遅かった車が前に出て速い車が下がると、混乱が深まって次の事故を呼び、事故によって縮まった隊列がまた新たな事故を生む循環に陥るのがよくある光景だが、この日のトロントに27周目以降黄旗が振られることは一度もなく、いったん順位を落とした者たちに反撃の機会は与えられなかった。12位へと上がったディクソンは周囲と異なりまだ2回の給油を必要としていたものの、ずっと続いたレーシングコンディションを利して後続との差を稼ぎ出し、不利をおおむね帳消しにした。1周目の事故と、加えて10周目にドライブスルー・ペナルティを受けたことまで考えれば、10位で終えたのは望外の結果だっただろう。それ以上に、本来なら勝ちうる存在だったカストロネベスを8位に留めたのが、ディクソンにとってチームメイトが呼び起こした事故の「価値」に他ならなかった。まさしく、カナーンの事故はトロントにおけるすべてだったのだ。レース前にディクソンが8点をリードし、1周目にはカストロネベスが30点以上も逆転していた選手権は、終わってみれば3点差に縮まったに過ぎなかった。

レースの神様は「気前よく」「公平」で、「慈悲深い」。救われる理由などなにもなかったディクソンは救われ、ディクソンよりもよく働いたはずのカストロネベスは差額の報酬を受け取ることができなかった。「自分の物を自分がしたいように」されたようなトロントの結末は、ぶどう園の主人にとっては満足がいくものであったとしても、観客に釈然としない気持ちを残しただろう。実際、それがインディカーにありうべきことなのだと理解していたところで、たった1回のコーションがレースの論理をこれほどまで切断しているのを見れば不当なように思う。レースは不当なまま終わり、本来逆転されるはずの選手権は不当に温存された。そういう一日だったことは疑いようもない。

だがこれは日雇い労働者の話とは違う。慈悲深い神への不満はいったん呑み込んで、こんなふうに考えてみよう。昨年のパジェノーを除いて、2015年も、2014年や2013年のカストロネベスも、あるいはそのもっと前も、この時期に選手権をリードしたドライバーはみなシーズンの終わりには逆転された。4年前のいまごろ、カストロネベスはポイントリーダーとは思えないほどレースに怯え、保守的な走りを繰り返して3連勝を果たしたディクソンに追い詰められていた。そんな過去を思い出せるなら、彼にとって現状の2位はけっして悪くないはずだ。そこは地位に汲々として守りだけを考えるのではなく、先頭を見据え、勇気を持って戦うことが望まれる場所である。そしてこの先、その勇気が選手権の帰趨を決める鍵になるのなら、ここで逆転に失敗したことが肯定的な意味を持つかもしれない。もしかすると、この意義深い敗戦によってカストロネベスは2017年の本命になった。トロントでは勝つべきドライバーが後回しにされ、あとからついてきたドライバーが先に待遇された。だったら次は、後回しにされた勝つべきドライバーの番である。あとの者は先になり、先の者はあとになる――不当なレースの結果が正当な選手権の結末を導いたとしても、なにも不思議はないだろう。

HONDA INDY TORONTO 2017.7.16 トロント市街地コース

      Grid Laps LL
1 ジョセフ・ニューガーデン チーム・ペンスキー 7 85 58
2 アレキサンダー・ロッシ アンドレッティ・オートスポート 8 85 0
3 ジェームズ・ヒンチクリフ シュミット・ピーターソン・モータースポーツ 6 85 0
4 マルコ・アンドレッティ アンドレッティ・オートスポート 11 85 0
5 シモン・パジェノー チーム・ペンスキー 1 85 2
7 マックス・チルトン チップ・ガナッシ・レーシング 9 85 1
8 エリオ・カストロネベス チーム・ペンスキー 3 85 24
10 スコット・ディクソン チップ・ガナッシ・レーシング 5 85 0
19 トニー・カナーン チップ・ガナッシ・レーシング 14 83 0
LL:ラップリード

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