一瞬の情動がすべてを制する推進力となる

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【2017.7.9】
インディカー・シリーズ第11戦 アイオワ・コーン300

 
 
 レース開始から間もないうちにポールシッターのウィル・パワーを交わし序盤の大半をリードしていたエリオ・カストロネベスが97周目に失速して、初優勝を狙うJ.R.ヒルデブランドに抵抗もできないまま抜かれ、パワーに対しても再度の先行を許したとき、わたしは何度目になるかわからない落胆が心の内に広がっていくのを留めることができずにいた。チーム・ペンスキーに移って18年目、もう42歳になる大ベテランについては折よく前回の記事で取り上げたばかりだ。通算29勝、インディアナポリス500マイルを3度も制したブラジルの英雄は、もう3年以上も優勝から遠ざかっている。その間11度もポールポジションを獲得し、決勝で支配的にラップリードを重ねる時間帯もしばしばあって、勝てる機会はいくらでも巡っていたはずなのに、そのすべてで表彰台の頂点には登りそこねた。つぶさに見ていると、短い時間で繰り出せる最大の速さが衰えていないことは間違いないが、最終スティントや最後のピットストップ直前など、勝利のためにもっとも重要な局面ではいつの間にか集団のドライバーのひとりになっていて、周囲との違いに目を瞠る姿が現れてこないのだ。そこで決定的な差が生み出せないからこそ、上位でのゴールが多いのにもかかわらず一番上にだけは届かない。チームメイトが優勝を重ねながら彼だけが疎外されているのはたぶんそんな理由なのだろうと、ずっと考えていた。だからこそ、難しいショートオーバルコースのアイオワで一瞬にしてスピードを失い先頭を明け渡した様子は、彼の典型的な場面に思えてならなかったのである。こうしてひとたび順位を譲ってしまえば、ずるずると後退しないまでも途端にサーキットの風景と化して馴染んでしまうのが、この3年間のほとんどで「驚きのない速さ」しか持ち得なかったカストロネベスだった。3位か4位、ひとつ間違えると6位、うまくいって2位……あのときわたしが想像したのは何度となく見てきたそういう結末である。”At the end of the day, second place is not bad.” 終わってみれば2位だって悪くはない、2015年のロングビーチで数少ない完璧なレースを展開しながら不運にも敗れてしまったときはこう口にしたものだったが、アイオワのレース後にもまた、哀愁と諦念が綯い交ぜになった笑顔で同様の言葉が溢れてもおかしくはなかった。勝てたはずのレースだった。「でも」というわけだ。

 いったん失速したカストロネベスが再浮上する可能性を信じにくかった理由は、速さの不確かさの他にもあった。2013年にスコット・ディクソンと選手権を争っていたころから、コース上で無理に順位を争うのを好まなくなっているのではないかと思わされることが増えていたからだ。ずっと選手権の首位に留まって逃げ切りをもくろんでいたその年は、本人自身が後に述べたとおり保守的な走りに終始してほとんどのバトルから逃げてしまい、最終的には自らの首を絞める結果になったのだが、それ以降も彼が優勝のために限界まで攻めていく姿を見る機会は極端に減ってしまったと感じられた。たとえば昨季のシモン・パジェノーである。ペンスキーに移籍して2年目を迎えた彼は、アラバマで後ろから追いすがるグレアム・レイホールのラインを強引に塞いで接触しコースアウトの窮地に陥りながらも勝利をもぎ取り、ミッドオハイオではパワーの懐へと鮮やかに飛びこみ美しい逆転を果たして、最後にはチャンピオンとなった。彼はしばしば、目の前の勝利のためだけに、レースの重要な場所で突如として荒々しさの牙を剥いてシーズンの結果をも導いたのだ。一方で最近のカストロネベスからは、事実優勝していないのだから当然かもしれないが――卵が先か鶏が先か――、成功を収めたチームメイトのように破綻の一線を越えてでもなおレースを力ずくで自分のもとへ引き寄せる情熱を、選手権の計算や待ち構えるリスクのすべてを振り切って死地へと身を投じる本能的な運動を、観客に印象づける瞬間があまりに少なかった。なるほどそこには無駄を排した洗練が窺える。黒と白の引き締まった車の配色もあいまって、単独走行ではまちがいなくもっとも絵になるドライバーのひとりであろう。だがその走りからはまた、傷つくかもしれない可能性を怖れて戦いを避け、そこそこの上位を良しとする姿勢が見え隠れもしていた。丁寧に磨かれ、しかし洗練されすぎて丁重に扱わなければ簡単に壊れてしまう美しくも脆い工芸品。数多のポールポジションを獲得した予選とまったく釣り合わない決勝の結果は、たぶん先鋭化されたカストロネベスの走りをよく表していた。だとすれば、一度譲ってしまった先頭をふたたび取り返すために振り払わなければならない怖れはあまりに大きすぎるはずだった。

 レースは巡る。3位に転落したカストロネベスは予想したとおりに勢いを失い、ヒルデブランドとパワーに近づけないまま30周以上が過ぎていった。エド・カーペンター・レーシングの車はスティント後半になればなるほど、また集団走行になればなるほど速く、周回遅れに遭遇しやすいショートオーバルではますますヒルデブランドの優位が際立って見えた。もとよりパワーはポールシッターとしての速さを持っている。これまでの傾向からすれば、少しずつ隊列が固定化され、カストロネベスもさほど強硬に順位を主張することなく「なんとなく」としか言いようのない形でゴールまでなだれこんでいく展開である。しかし132周目にカルロス・ムニョスがターン4の壁へ吸い込まれ、フルコース・コーションとなったことでひとまずは救われた。ペンスキーのトップチームらしい完璧な手際でふたたび首位に戻ったカストロネベスは、そこから最終スティントまでずっと主導権を握り続ける。前回「天真爛漫に速さだけを繰り出しながらそのままチェッカーを迎えるだけで済むようなレースが巡ってこないとも限らない」と書いたばかりだったが、100周以上にもわたる長い長いラップリードはもしかすると素直に逃げ切るだけで済む勝利が本当に巡ってきた可能性を思わせた。それはカストロネベスが勝てるとしたらこんな展開しかないと想定したまさにそのとおりのものだった。

 もしカストロネベスがずっとそのまま先頭にいて、1秒2秒の差を保ったまま危機のないチェッカー・フラッグを迎えることになっていたら、わたしは3年1ヵ月ぶりの優勝を現象として祝福しつつもそれ以上の価値を探そうとせず、記事の主題をヒルデブランドに置いてしまっていたかもしれない。それほど142周目から252周目までのカストロネベスは盤石で、少しばかり盤石すぎた。ドライバーにとって簡単な勝利などないのだとわかっていても、観客にとって安閑として見えるレースは存在する。そういう優勝は、結果そのものの喜ばしさや素晴らしさとは無関係に運動を見出しにくい。まして強い決意のない勝利は、ドライバー自身に推進力を与えるかどうかがわからない。それこそ2014年、デトロイトで上げたカストロネベスの優勝がほとんど選手権の助けにならなかったように。

 その意味で、エド・カーペンター・レーシングの抵抗はカストロネベスのアイオワに大きな意義を与えただろう。予想もしなかった小雨が降ってきて赤旗で中断されたレースが再スタートを迎えたのは210周目のことだ。燃料を満載して走れる距離は70周強にすぎず、全車があと1回の給油を必要としていた。こういう場合の鉄則は、テレビ解説で武藤英紀も言っていたように走れるかぎりは走ってピットストップを引き延ばすことだ。ショートオーバルのアイオワではレース状況でピットに向かうとその瞬間は隊列に対して2周遅れになってしまう。他に先んじて作業を行い、いざコースに戻った瞬間コーションが発令されたら……もちろん低速下で作業する相手は前に居残り、自分は周回遅れのまま固定されることになる。佐藤琢磨とエド・ジョーンズはまさにこの災難に見舞われていた。最後の給油であればなおのこと、先に動く作戦は採りにくい。ラップバックする機会が二度と訪れないからだ。

 ところが延々とグリーン状況が続く246周目、2位を走るヒルデブランドは真っ先にピットへと入ってきた。周囲より5周以上も早いタイミングだったことを見れば、コーションにならないままレースが続くのを願った一種の賭けなのは明らかだった。タイヤの消耗の激しいアイオワで、隊列のペースは確実に低下し、追い抜きの機も見出しにくい。その隙を突いて真っ先に新品タイヤへと交換し、ペースを上げて逆転を図るF1的な作戦に打って出たわけである。

 願いは通じて事故が起こることもふたたび雨粒が落ちることもなく、この”アンダーカット”は成功した。7周も後の253周目にカストロネベスが最後のピット作業を終えてコースに戻ったとき、2人の位置は見事に逆転し、1秒以上の差をつけていたのだ。順位そのものはもちろんのこと、状況の優位もこれで完全に引っ繰り返ったように見えた。ゴールまで48周、最終スティントのタイヤの履歴には7周の差があるが、長い距離を走ることにかけてはカーペンター・レーシングがペンスキーを上回る。お互い30周以上走るころにはグリップの差はほとんどなくなっているだろう。だとすれば、カストロネベスがヒルデブランドに仕掛けられる可能性はきっと高くない。ルーキーとして臨んだ2011年のインディ500、最終周の最終コーナーでクラッシュして快挙を逃した男は、ついに6年越しの初優勝を手元に引き寄せつつあった。
 
 しかし、一転して窮地に陥ったカストロネベスは、むしろそのことでレースに強い印象を残すことになる。267周目、ヒルデブランドはまだ最後の給油を終えていなかった暫定リーダーのマルコ・アンドレッティと、内に並ぶ周回遅れのアレキサンダー・ロッシに追いついた。この日レース序盤からほとんど見どころがなかったアンドレッティ・オートスポートを攻略するのに大きな困難は伴わないように思えたが、2台が作り出した乱気流を浴びたヒルデブランドはターン4の入り口でわずかに速度を落とす。その一瞬を逃さなかった。大外の壁際を走っていたカストロネベスは咄嗟にラインを内へと変え、失速したヒルデブランドの懐に飛び込んでいく。コントロールラインを跨いでターン1からターン2の立ち上がり、前方の2台は内のロッシが先行し、マルコが後退する。おそらくはまだ空気の流れが複雑に入り乱れるそのインサイドの空間に、カストロネベスは委細構わず自分の車を押し込んだ。ヒルデブランドは外のラインを通ってスピードで抵抗しようとするが、遅いマルコが壁になり行き場を失って加速を阻まれる。カストロネベスはラインを保持したままターン3でマルコを制し、名実ともにリーダーとなった。そしてもちろん、最後までその座を脅かさることはなかったのである。

 最後の30周、力強く後続を突き放していくカストロネベスを見ながら、こういうエリオが戻ってくるときをずっと待ち望んでいたのだと、わたしは感慨を強くしていた。なんと美しく、何より力強いパッシングだっただろう。終わってみればラップリードは217周を数え、昨年のジョセフ・ニューガーデンほどではないにせよほとんど完璧な勝利だったように思えてくる。だが、乱れた空気を浴びながらわずかに横Gが残るコーナーの立ち上がりで急激にインへと切り込む動きといい、タイヤの性能が少しずつ低下していっている中、前と外に車がいる最悪の状態で速度の乗せにくい最内のラインに車を留める精確さといい、車の素性に技術と勇気が融合したオーバルかくあれかしと震えずにいられない運動によって最後の先頭の座を奪い取ったことは、絶対に記憶されるべきだろう。ほんの数秒、ときに1秒以下の短い時間に現れて消えゆく、見ていて無意識に声を上げずにいられないレースの情動。前回の記事に書いたとおり、カストロネベスは長い間、このたった数秒を失っていたために2時間の戦いに勝つことができず、そしていま、このほんの一瞬を取り戻したことで優勝の場に帰ってきた。3年もの空白を埋めたのは、そんな微かな違いだったのだ。

 シーズン序盤、カストロネベスが勝利のないままポイントリーダーの立場にいたころ、わたしはその存在感をあまり信用していなかった。情動の伴わない首位はけっして最後まで守りきれるものではない。守ろうとすること自体が失敗の原因にすらなると示したのは、他ならぬ数年前の彼自身だ。GAORAの中継ではしばしばその突出した安定感が語られ、その後に「ですが、もう長い間勝利から遠ざかっています」と結ばれるのが常だった。それは年齢を重ねた洗練の証明であると同時に、突出した瞬間の欠如を示す謂でもあっただろう。実際今季も、得点が2倍に設定されるインディ500の2位がありながら、選手権の順位は少しずつ下がっていっていた。だが人は何度だって変わりうる。このアイオワでの優勝が、年齢を重ねて身に付けた洗練に強い情動を付け加えるものだとしたら、カストロネベスはもう一度レースでの推進力を、何よりシーズンを戦う推進力を手に入れるに違いない。少なくともこれを書いている観客としてそうなることを信じたいと思う。いま、首位をゆくディクソンとの差は8点にまで接近した。4年前と同じ相手を、当時とは逆に追いかけている。その立場が否応なく彼に前を向かせるなら、結末もまた逆になっていいではないか。42歳。ずいぶん時間が経った。通算30勝の節目を迎えたエリオ・カストロネベスに残された栄冠は、もはやシリーズ・チャンピオンだけである。
 

IOWA CORN 300 2017.7.8 Iowa Speedway

   GridLapsLL
1エリオ・カストロネベスチーム・ペンスキー3300217
2J.R. ヒルデブランドエド・カーペンター・レーシング230038
3ライアン・ハンター=レイアンドレッティ・オートスポート153000
4ウィル・パワーチーム・ペンスキー130023
5グレアム・レイホールレイホール・レターマン・ラニガン・レーシング103000
6ジョセフ・ニューガーデンチーム・ペンスキー163001
7シモン・パジェノーチーム・ペンスキー113002
8スコット・ディクソンチップ・ガナッシ・レーシング173000
      
14マックス・チルトンチップ・ガナッシ・レーシング132992
15チャーリー・キンボールチップ・ガナッシ・レーシング1429810
16マルコ・アンドレッティアンドレッティ・オートスポート202987
LL:ラップリード

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