勝利はそれをもっとも欲する表現者へと引き寄せられる

【2017.6.25】
インディカー・シリーズ第10戦 コーラーGP(ロード・アメリカ)

 
 
 開幕から10戦してじつに半数以上に及ぶ6度もフロントローに並び、うち3回はポールポジションを記録している事実だけを伝えたとしたら、経緯を知らない人はよほど優れたシーズンを送っているに違いないと感心するだろう。それもそのカテゴリーがインディカー・シリーズで、市街地、ロード、オーバルと性格のまるで異なるコースのいずれでも「P1アワード」を受賞しているとなれば、もう選手権を支配していると納得したとしてもまるで不思議はないはずだ。なるほど、そんなに速いならぶっちぎりのポイントリーダーだろうね――ところが、聞かれた側はこう答えるほかない。いいや、せいぜい3位かそのあたりだよ。おや、では運悪くリタイアが多いのか――別に、1回きりだ。ライバルが強いとか――強敵はもちろんいるが、飛び抜けた存在がいるわけでもない。じゃあ、優勝は?――ないね、ずっとない。いったいどういうことだ?――たとえばロード・アメリカにその答えは見つかるかもしれない。予選でエリオ・カストロネベスが今季3度目の最速タイムを記録し、決勝を先頭からスタートすることが決まっても、それはまだチェッカー・フラッグに対して示唆を与える結果にはなりそうもなかった。彼は今季2度、それどころか過去3年間で11回獲得したポールポジションのすべてで優勝に失敗している。ポール・トゥ・ウィンのみならず、優勝すらもう3年以上巡り合っていない。自分自身の問題か不運か理由はさまざまあれど、そのようなドライバーを予選の速さだけで信用するのは難しいものだ。近年のカストロネベスは明らかにレースで一貫性を欠いてきて、どう期待したらいいかわからないドライバーになっている。そしてそれは結局、ウィスコンシンの週末でも同様だった。

 たしかに、ほとんど完全に燃費勝負になってしまったレースでドライバーの良し悪しを判断するのは簡単ではない。最初の15周にかんしていえば、カストロネベスはポールシッターらしく堅実な速さで勝利への道を進んでいるはずだった。同僚である2位のジョセフ・ニューガーデンとの差は、7周目に1.65秒、8周目1.87秒、9周目2.24秒、10周目2.31秒、11周目3.20秒……と理想的に広がっていっている。ただカストロネベスの最初の給油は13周目の終わりであり、ニューガーデンより1周早いタイミングだった。それが後々のペースに影響を及ぼした面はあるのだろう。F1で言えばスパ-フランコルシャン・サーキットに匹敵する4.014マイルの長いサーキットで燃料を満タンにして走れる距離は13周と言われていたが、ニューガーデンは最初のスティントで我慢してそれをどうにか14周に延ばした。55周のレースを3ストップで乗り切る算段がついたわけだ。一方のカストロネベスは4ストップを選ぶわけにもいかず、13周×4スティントで足りない3周分の燃料を稼がなければならなくなった。その差が第2スティントの2人の速さの違いとなって現れたのは間違いないはずだ。15周目からカストロネベスとニューガーデンの差は見る間に縮まっていき、そうして20周目のターン1であまりにも簡単に2人の順位は入れ替わる。その後ポールシッターがロード・アメリカをリードする機会は一度も訪れず、さらに31周目、「Fuel Saving Captain」の異名に違わず淡々と走りながら機を窺っていたスコット・ディクソンがターン1で20周目そっくりにニューガーデンを抜いて、難しい燃費競争を締めくくったのだった。

 もちろん作戦を決定するのはまずチームだとすれば、ポールポジションを得ながらも恵まれない展開でかろうじて3位表彰台に残るにとどまった結末をドライバーに帰責するのは妥当ではないかもしれない。ただこのロード・アメリカに限ったことではなく、カストロネベスがトップチームの一席をずっと占めているにもかかわらず長い間勝利から見放されている理由を、彼を上回った2人の走りによって読み解くことができると感じさせるようなレースでもあった。つまり、ディクソンは佐藤琢磨がターン11で単独事故を起こしたことでもたらされたフルコース・コーションの機を逃さずに、グリーン・フラッグの次の周にターン1への鋭い進入でニューガーデンを捕まえてみせた。あるいはチップ・ガナッシ・レーシングには膝を屈したニューガーデンも、自分がチームメイトより優位な状況に立った瞬間は捉えて離さなかった。1位と2位を占めた彼らに共通しているのは、表彰台に立てるほど平均的に速かったのはもちろん、220マイル以上の距離、2時間弱を走る中で真に勝敗を左右する「必要な数十秒」でこそだれよりも速かったことだ。ゴールの際にディクソンとニューガーデンに0.6秒の差しかなかったことを思えば、車同士の距離がもっとも縮まるリスタートからの数周で逆転できなかった場合、勝ったのはおそらくニューガーデンだった。そのニューガーデンは最初のスティントで節約した1周分の燃料を、カストロネベスを交わす目的のために使い、最終的に敗れはしたものの望ましい順位を得た。2人とも、正しい時に正しく速さを使うことで結果を引き寄せたのである。

 翻って5秒差で終えたカストロネベスはどうだっただろうか。ひとつにはチームの伝達ミスで最後のピットストップを周囲より1周早く行ってしまい、より燃費に気を遣わなければならなくなった事情はある。28~29周目のピット作業でディクソンに先行を許したのを自分には何もできなかった敗因として挙げてもいいかもしれない。だがそれらわずかながらの不運が訪れなかったとしてもなお、このレースで彼にとって3年ぶりの優勝へと辿りつく途があったかと問われればとてもそうは思えないのである。ディクソンにせよニューガーデンにせよ、必要なときに必要な速さを発揮して結果を残したのはこの日だけの話ではない。ディクソンが4度シリーズ・チャンピオンとなったのはまさにその資質によっているし、ニューガーデンがアラバマで上げた初優勝もまた重要な2つのパッシングを経てのものだった。レースに勝つべきドライバーには、観客の視線のすべてを独占してサーキットを支配してしまうような瞬間が必ず立ち現れる。裏を返せば、カストロネベスに優勝の可能性を信じられなかったのはまさにそういった抑揚のはっきりした集中力が最近の彼からほとんど失われているからだ。振り返ってみるに、この日のディクソンやニューガーデンが表現したたった一度の勝機を引き寄せるほど熱量の高い運動を、最近の彼に見る機会があっただろうか。今年で言えば、ロングビーチも、アラバマも、フェニックスも、そしてデトロイトでも、優れた車を操り、平均的に見れば速いことは明らかなのに、それに見合った印象が残らないまま茫洋にゴールを迎えてしまった。レースが淡々と進んでいる時期になんとなくの速さを披露し、それでいて肝心な場面で集団に埋没する、そんな走りばかりではなかったか。たとえばフロントローからスタートした5戦の平均順位が5.8位、リタイアは1回しかないにもかかわらずグリッドより前の順位でゴールしたのは9戦中2回だけという数字なども、レースで弱い見立てを十分に裏付けているだろう。佐藤に追いすがったインディアナポリス500マイルは例外中の例外と言うべきもので、それ以外に優れたレースを挙げようとしても思い出すのは難しい。だから――ロード・アメリカのエリオ・カストロネベスに期待感を抱けなかったのはそういう理由である。仮に順調に走っていたとしても、ディクソンやニューガーデンが見せたような心躍る乾坤一擲のアタックで勝利を掴み取る展開があろうはずもなかった。優勝への途はすべて途切れていたのだ。

 カストロネベスが凡庸なドライバーかと問われれば、過去の実績に頼らずいま現在の力を見るだけでもそんなはずはないと答えたくはなる。予選でのパフォーマンスが示すとおり、42歳にしていまだインディカーでトップクラスの速さを持っているだろう。だがレースを見ている限り、その在りようは少しばかり無邪気にすぎるようだ。速く走れる状況なら速いし、そうでないなら遅い。前提に車の素性があるのはモータースポーツにおいて当然の理だとはいっても、時に「速く走る必要があるから速く走ってみせる」ディクソンとは対照的だ。車に委ね、自然に任せた速さは気分のいいものだが、それだけでレースの急所を捉えることはできない。ディクソンだけでなく、たとえばカストロネベスが勝てずにいる3年間をともに過ごしたチームメイトたちはみなそれぞれ優勝を遂げ、その際には少なからず強度の高い運動を表してきたはずである。ウィル・パワーのミルウォーキー、ファン=パブロ・モントーヤのセント・ピーターズバーグ、シモン・パジェノーのミッドオハイオ、ジョセフ・ニューガーデンのアラバマ……。こうやって列挙しただけで、彼らが生ぬるい一本調子の速さではなく、瞬間的に激化する運動によってレースを制してきたと思い出すことができるだろう。勝利への意志を表現するために必要な一瞬を捕まえること、いわばドライバー自身の中にプッシュ・トゥ・パスを見つけること。この3年間、スピードでは引けを取っていないはずのカストロネベスができていないのはその点に他ならなかった。

 もちろんこれから先、天真爛漫に速さだけを繰り出しながらそのままチェッカーを迎えるだけで済むようなレースが巡ってこないとも限らない。しかし速さを弄んで浪費しながらそんな日が来るのを待つのは、コーションに助けられて偶然先頭に押し出される幸運を祈るのと比べても少し分のいい賭けといった程度のことだ。勝利を手繰り寄せるのは、もっと能動的な意志である。2013年の最終戦を想起しよう。ずっとリードしていた選手権を閉幕間際に逆転された後のフォンタナで、再逆転を懸けた彼は集団の中でリスクを怖れずに内へ外へと進路を取って順位を上げていた。その魅力的ながらも危うい動きはやがて一線を越えてしまい、ほんの微かな追突でフロントウイングを破損する結末を迎えさせたが、その残酷な最後も含めて、いまだ手にしたことのないシリーズ・チャンピオンへの渇望がありありと想像できるほどすばらしいものだったではないか。いまの彼にもっとも欠けているものはきっと、優勝以外の何も見ることなく突き進んでいたあのときの情熱なのだろう。当時の敗戦は痛手だったかもしれないが、本当の勝利とはきっとあのような運動を完遂した先にしかないものだ。カストロネベスがふたたび歓喜の時を味わいたいと思うなら、結局のところその困難な道を選ぶのがもっとも簡単な方法に違いない。通算29勝で止まったままの名ドライバーは、はたしてそのことを思い出してくれるだろうか。

 

KOHLER GP 2017.6.25 ロード・アメリカ

      Grid Laps LL
1 スコット・ディクソン チップ・ガナッシ・レーシング 5 55 24
2 ジョセフ・ニューガーデン チーム・ペンスキー 3 55 13
3 エリオ・カストロネベス チーム・ペンスキー 1 55 17
4 シモン・パジェノー チーム・ペンスキー 4 55 0
5 ウィル・パワー チーム・ペンスキー 2 55 0
6 チャーリー・キンボール  チップ・ガナッシ・レーシング 10 55 1
LL:ラップリード

勝利はそれをもっとも欲する表現者へと引き寄せられる」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 一瞬の情動がすべてを制する推進力となる | under green flag | portF1

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