ふとしたときに思い出すのは、たとえばきっと佐藤琢磨のブレーキングだったりする

Takuma Sato sails through Turn 2 during practice for the Honda Indy Toronto -- Photo by: Matt Fraver

Photo by: Matt Fraver

【2018.7.15】
インディカー・シリーズ第12戦 ホンダ・インディ・トロント

モータースポーツにおけるパッシングの美は、落差の発するエネルギーによっているだろう。タイムトライアルではない自動車レースでの攻防は、おそらくその速度域と使用する道具それ自体の大きさのために、他の競技と比べた場合に防御側がある程度有利な構造となっている。前を走る車は主体的に走行ラインを選び、自分自身が物理的な障壁となって最短距離を塞ぐことで攻撃してくる相手の前に立ちはだかることができる。コーナリングの優先権は先に進入したほうにある。速さと大きさによって生じる気流の乱れさえ、後ろから迫ろうとする車には不利に働くのだ。だれもが知っているとおり、だからパッシングは攻撃側のタイムがただ速いだけでは必ずしも成功しない。1周にわたってわずかずつ積み重ねる速さでは足りず、ほんの一瞬だけ全長5m、幅2mにおよぶ物体の位置が入れ替わるに足る大きな速度差があってはじめて可能性が拡がる。その瞬間を逃さず捉えようとする、たとえばブレーキングによって時速十数マイルの差を生じさせること。レーシングドライバーの魅惑的な運動のひとつはそこに見出すことができよう。

そしてより高い場所から落ちてくる水が大きなエネルギーを持っているように、ドライバーの生み出す落差が激しく、一瞬で消えてしまうくらい短いほど、湧き上がる情動は強いものになる。観客としてレースを見ていて得られる最大の幸福は、その瞬間を目に焼きつけることだといっていい。われわれはだれが「レース」に勝とうとも、だれが「選手権」を制しようとも、そこから具体的な利益を得るわけではない。そこで戦っている車にどれほどすばらしい技術が投入されていようとも、日常生活のなかでその恩恵に与る機会はずっと先か、もしかしたら永遠に訪れないかもしれず、訪れたとしてもたぶん実感を伴えない。それでもレーシングカーが1時間30分、ときには3時間以上もおなじ場所をひたすら回り続ける「だけの」営みを見ていたいと思って逃れられないのは、その長い時間のなかにほんの数秒だけあらわれる落差に心を奪われたいからだ。F1を中心に採用されたDRSが、順位の入れ替わりをよしとする根底の思想を理解しつつもなおまだ認めがたいのは、それがシステム上後方の車にだけに利益を与えるためドライバーの意思による落差を阻害する――ように見えてしまう――装置だからでもある。われわれはただ「パッシング」を、追い抜きを見たいのではなく、そこに横溢するエネルギーに打ちのめされたいのだ。なんとなれば、順位の変動を欲しているのわけではないのである。

共通空力規格の問題もあって完璧とは言えないまでも、インディカーではまだその瞬間を意識的に受け止めることができる、と書くのはこのシリーズをほぼ専門にしている者の身贔屓というものだろう。だが2018年のトロントでの、たとえばまだレースが半ばも過ぎていない段階の40周目と41周目を、たぶんわたしは忘れがたく印象に残すことになるのだ。33周目に多重事故が起こってフルコース・コーションが導入され、ようやく現場が片付いてリスタートが切られたばかりだった。4位を走っていた佐藤琢磨の加速は鋭いとはいえず、コントロールライン直後からマルコ・アンドレッティの攻撃にさらされてターン1で横に並ばれる。最短距離となる内側の防御を優先せざるを得なかった佐藤は立ち上がりが窮屈になり、全開で駆け抜けるターン2の先の長いバックストレートでふたたび不利なテール・トゥ・ノーズに持ち込まれた。うねりながらほんの少し右にステアリングを切る全開区間で内を堅持する佐藤にマルコは並びかけるが、目の前のシモン・パジェノーが邪魔となって奥までブレーキングできず、ターン3の頂点を譲る。だが車の状態は明らかにマルコが上回り、この40周目を完全に背中に張り付きながら回ってくるのだ。佐藤は前後の車と比べてもなめらかな動きをしており、ターン10ではマルコに不要なテールスライドを強いて引き離すかに見せたのだが、その滑らかさはまるでトラクションと引き換えに得たもののようで、戻ってきたホームストレートではまたしてもマルコが背後についている。41周目に入り、ターン1のブレーキングポイントはテレビ画面を通してもわかるほど佐藤が浅い。それがその時点での2人の差に他ならなかった。

経緯を見るかぎり、次のバックストレートで佐藤が順位を守る手立てなどまずなかったようだ。事実マルコはターン1を完璧な間合いで立ち上がり、ターン2で計ったように2台の距離を無くしてみせた。佐藤はもう一度内側のラインを死守しようと進路を右に取るが、そのステアリング抵抗も加速の妨げになったのか、マルコはもはやその動きを取り合おうとすらせず外から鷹揚に加速して並ぶ間もなく追い抜いていく。まだストレートの途中にもかかわらずマルコの車の後端が佐藤のフロントウイングの前に出る、完全で他愛もないパッシング。”with ease” な決着。それがマルコのやろうとしていたことだ。いかにも市街地コースといったつくりのバックストレートは、ターン3に向かってふたたびわずか右に折れる。マルコはコースの形状に沿うようにレコードラインに戻りながら減速を始めたのだった。

それは今季のインディカーに現れた最高級の、もっとも忘れがたい瞬間のひとつとして強く印象に残るだろう。マルコではない。にわかには信じがたいことだったが、ストレートで完全に追い抜かれて白旗を上げてもおかしくなかったはずの佐藤が、もう勝敗は決したと言わんばかりに普通の進入を試みた相手にふたたび並びかけた。直前のターン1とはまったく逆に、ほんの少し減速を遅らせ、進入を開始する地点で半車身だけインサイドに飛び込んで空間を主張し譲らなかったのだ。劣勢に回った側が見せたその強い抵抗は一瞬だけ事故の危険を予感させたが、佐藤はマルコと綺麗に並走したまま、ブレーキをロックさせることもターンの頂点をまったく外すこともなく通過していった。その瞬間からレースを見始めたとしたら攻守の側を勘違いするだろうほど完璧な「パッシング」で、彼は41周目を守りきったのである。最高速からもっとも遅いコーナーに向けて、わずかにブレーキングのタイミングを遅らせることで落差を生み出す。いかにも佐藤らしい、ひとつでも上の順位を希求する純粋な意志に満ちた、そして意志を技術の枠内にぴたりと収めた見事なブレーキングこそ、このトロントでもっとも大きなエネルギーが発せられた瞬間だったに違いない。これほど優れた場面は、このレースについぞ訪れることはなかった。57周目にシモン・パジェノーがロバート・ウィッケンズの攻撃をおなじように退けてみせたが、そちらはいささか品位を欠き、ブレーキングゾーンでホイール同士を接触させた挙げ句、ターン3のクリッピングポイントにつくこともできずに、出口で壁際に追いやりながら守ったものだ。それもまた初優勝のときを思わせるパジェノーらしい荒々しさが垣間見えて好ましくはあったが、佐藤が両立した公正と情熱にはとうてい及ぶものではない。彼が見せたのは、たった一度のブレーキングで、この週末で語るべき対象を佐藤琢磨とする、そういう価値のある場面だったのである。

本来ならこのトロントは、残り少なくなった2018年シーズンの趨勢を左右しうるレースとして語るのが正しい作法なのだろう。アイオワでチームが判断を誤って表彰台を失ったとはいえ、小さくない得点を稼いでポイントリーダーのスコット・ディクソンを追う態勢を整えていたジョセフ・ニューガーデンはここでポール・ポジションを獲得し、決勝でも丁寧に先頭を守っていたが、33周目終わりのリスタートで加速する際にレコードラインをわずかに外してしまい、タイヤかすの積もった路面を踏んで壁に接触する手痛いミスで大きく後退した。代わって先頭に立ったディクソンは最大の敵が消えて悠々と優勝を持ち去り、接近するはずだった選手権の争いを逆に沈静化させる拡大をもたらしている。これは事後になって、カーナンバー1を背負う昨年の王者がその座を失う決定的な契機として振り返られることになる事件だったのかもしれない。もしかすると2018年の選手権はトロントの明暗によって決していたのだと。そうしたレース全体や選手権という全体の価値に比べれば、佐藤とマルコの攻防はきっと些細なできごとだ。それは優勝争いにはまだ遠い場所で争われていた一瞬の戦いであり、また佐藤の奮闘もその刹那かぎりのことで、何かを得る結果につながることはなかった。必死に守った41周目もむなしく次の42周目にまったくおなじ場所でやはり簡単に追い抜かれたうえ、今度は狙ったかのようなタイミングでコーションが発令されて反撃の機会さえ奪われ、マルコとの戦いははからずもあっさりと決着してしまった。そしてなにより、66周目にすべてが水泡に帰した。ニューガーデンが接触した最終コーナーでやはりラインを外してアンダーステアに陥り、おなじように壁へと吸い込まれたのだ。リーダーとの決定的な違いはリスタートの加速よりもはるかに速いレース速度で衝突したことであり、コースに踏みとどまったニューガーデンに対して佐藤の30号車は致命傷を負ってすばらしい一日が唐突に終わりを告げた。だから、41周目の佐藤が直接的に得たものはきっとなにもない。あのターン3で危険もありえたブレーキングに身を投じたかどうかにかかわらず、マルコに先行される行く末は覆しようもなかったし、ミスでレースを失う未来も同じように襲ってきた。彼の機動とはまったく別に、ディクソンはやはり優勝していたに決まっている。それは疑いのない事実だ。しかし、だから何だというのだろう。一瞬の情動が引き起こすエネルギーは時に部分と全体を逆転させる。全体に薄く押し広げられた結果とはまったく無関係に、凝集した部分を愛せる場合はある。モータースポーツをそんなふうに見たってまったく構わないではないか。たとえば何かの折に2018年トロントを思い出そうとすると、まず佐藤琢磨のブレーキングが目に浮かぶ。わたしにとってこのレースはそういう意味を持つものになった。それで十分だったのだ。

HONDA INDY TORONTO
2018.7.15 Street of Toronto

    Grid Laps LL
1 スコット・ディクソン チップ・ガナッシ・レーシング 2 85 49
2 シモン・パジェノー チーム・ペンスキー 3 85 1
3 ロバート・ウィッケンズ シュミット・ピーターソン・モータースポーツ 10 85 0
4 ジェームズ・ヒンチクリフ シュミット・ピーターソン・モータースポーツ 9 85 0
5 チャーリー・キンボール カーリン 20 85 1
6 トニー・カナーン A.J.フォイト・エンタープライゼズ 15 85 1
 
9 ジョセフ・ニューガーデン チーム・ペンスキー 1 85 25
10 マルコ・アンドレッティ アンドレッティ・ハータ・オートスポート・
ウィズ・カーブ・アガジェニアン
14 85 0
11 ジョーダン・キング エド・カーペンター・レーシング 8 85 6
18 ウィル・パワー チーム・ペンスキー 4 83 1
20 スペンサー・ピゴット エド・カーペンター・レーシング 16 76 1
22 佐藤琢磨 レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング 7 66 0
LL:ラップリード

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