【2013.3.24】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
レーシングドライバーは、いつもタイヤと恋をする。最初にひとつひとつ丁寧な対話で反応を確かめる手探りのころがあって、熱が入り意のままにコミュニケーションがとれる蜜月を過ぎると、擦り切れて応答がなくなっていく晩期が訪れ、やがて耐え切れなくなって新品へと乗り換える。たまにはゴールするタイヤもあるし、別れる前に手痛い仕打ちを浴びせるタイヤもある。みんなわがままで気まぐれなのは共通だ。もちろん手荒に扱うのはご法度で、かといって下手に出すぎても温度は上がらず機能しない。ちょっとした入力の仕方の違いで、突如機嫌を損ねたり最高にはまったりする。そうやって、タイヤはひとりのドライバーを苦悩させ、歓喜に巻き込み、また絶望させてしまう。ドライバーの意思の行き着く先は、結局、路面と繋がっているタイヤしかありえないのだ。
2012年の1年間を、シモーナ・デ・シルベストロは失意といらだちの中で過ごした。彼女の背中に新しく搭載されたロータスエンジンはインディカー・シリーズに加わるには競争力がなさすぎて、満足なレースを一度もさせてもらえなかった。インディ500ではあまりの遅さに黒旗失格の憂き目に遭ったほどだ(オーバルレースには先頭車両の105%以内のタイムを保てないとレースから除外されるルールがあって、彼女の能力の責任でないことにもう1人の被害者はジャン・アレジだった)。年々エンジンの重要度が相対的に低下しているレースの世界で、今どきその性能が低迷の一番の槍玉に上がるのは珍しい。ユーザーが次々と離れていったロータスは当然の報いとして2012年だけで撤退し、彼女の相棒はシリーズを制したシボレーになった。そして、初戦のセント・ピーターズバーグで早くも予選3番手へと舞い戻ってみせたのである。
スタートこそ失敗したものの、デ・シルベストロのペースは一貫して優れていた。ペンスキーの2台にこそ及ぶものではなかったが、チームメイトのトニー・カナーンを上回るスピードを保ち続け、いくつかのバトルにも勝利した。目立った危険は33周目のリスタートで佐藤琢磨のリヤバンパーにフロントウイングをヒットさせたことくらいで、35周目にはおなじくターン1、ふたたび佐藤のインサイドに飛び込むと今度こそブレーキング競争を制してコーナリングの優先権を奪った。クリッピングポイントを舐めながらわずかにアウトサイドへとクルマを流しつつ立ち上がり、クロスラインでの反撃を封じると同時に次の切り返しターンのインサイドを守る一連の機動は、この日見られたあらゆるパッシングシーンの中で最も良質なものだったと言っていい。フロントウイングの破損とタイヤのグリップ低下に苦しんでいた佐藤琢磨を抜き去ったデ・シルベストロは、それからほとんどの場面でトップ5の圏内に自らを固定しつづけた。勝てる資質を持ったドライバーにしかできないことだ。
74周目にセバスチャン・サーベドラが直角ターン10のタイヤウォールの餌食になったことによって、レースはフルコース・コーションとなる。ほぼ最後のピットストップとなると考えられた――実際そうなった――このときのタイヤ交換で、ほとんどのドライバーはオルタネート、つまり側面が赤く塗られた柔らかい方のタイヤを履いた。ゴールまでの距離は決して短いとは言えなかったが、路面にラバーが付着するレース後半に入りタイヤの寿命が伸びると考えられることや、すぐにでも降ってきそうな雨が本当に落ちてきたときに硬いプライマリータイヤと比べて操縦しやすいことや、リスタート直後に激しくなる順位争いまで想定すれば、その選択は十分に妥当な範囲にあった。オルタネートタイヤは最初のスティントで多く履かれていたが、コンディションの良くない状態でも20周にわたって極端な性能低下が見られなかったため、おそらくどのチームも自信を深めていたはずだ。4番手を走っていたデ・シルベストロにとってもおなじことで、うまくすれば表彰台以上の結果を手にできる可能性があったから、必要以上に保守的になる理由などなかった。
フィニッシュまでコーションラップを含む36周という距離は最後まで燃料をもたせられるかどうか微妙なところだったが、ちょうど残り30周となる80周目、まだ低速走行の最中に、1周遅れのJ.R.ヒルデブランドがフロントの足回りを激しく壊して止まった。ブレーキのウォームアップ中にスロットル操作を誤って、前を走る3位のウィル・パワーに乗り上げるほど激しく追突したのだ。不幸にもバンパーを破損したパワーが後方に下がると、それを真後ろの特等席で眺めていたデ・シルベストロはいよいよ表彰台圏内に戻ってくる。クラッシュの後片付けのためにコーションが長引くことも確実になり、燃料の心配もほぼなくなった。残りの二十数周を正面から走りきれば、キャリア最高位は現実の結果となるはずだった。
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リスタート直後、シモーナ・デ・シルベストロのスピードはトップを行くジェームズ・ヒンチクリフとエリオ・カストロネベスのそれと遜色なく、2台の後ろを楽々とついていっていた。画面で見ていても、フロントタイヤはステアリング操作に機敏に反応し、トラクションも綺麗にかかっていて、彼女には勝利の準備ができているようにさえ見えた。フィニッシュまでタイヤと幸福な関係が続けば、それは現実になってもおかしくなかった。
しかし、タイヤをレースで正しく使い切ることは難しい。7~8周も走ると力強いペースを保つ周囲とは裏腹に、彼女のクルマにはアンダーステアの兆候が現れはじめ、走行ラインをワイドにとらなければスピードを保てなくなって、ペースがみるみる落ちていった。ヒンチクリフとカストロネベスはやがてコーナーの向こうに消え、後方からインディカーの名だたる強豪が押し寄せてくる。オーバーテイクブーストは防御用にまだ何度か使えたが、駆動力が路面に伝わらなければ意味がない。マルコ・アンドレッティがカナーンを交わして4番手に来ると、もうチームメイトの手心も期待できなくなった。
どこかしらに原因はあったのだろう。ブレーキをロックさせた場面は見当たらなかったが、まだタイヤが冷たい時期にフロントタイヤを抉るようにターンインしたのかもしれないし、カストロネベスの真後ろでダウンフォースが少なくなっていたときのコーナリングで負荷がかかり過ぎたのかもしれない。内圧の問題があったかもしれないし、それまでのプライマリータイヤ用のセッティングではフロントウイングのダウンフォースが勝ちすぎてリヤタイヤの摩耗を促進したのかもしれない。なんにせよ、ほとんど全員がおなじコンパウンドのタイヤで走る中、彼女だけ、本当に彼女のタイヤだけがゴールに辿り着く前に終わってしまったのだ。
106周目から108周目にかけて、彼女はアンドレッティの執拗な攻撃に決定的な破綻をきたすことなく、愚直に表彰台圏内を守り続けた。コーナーの進入ではインサイドを執拗に閉じ、立ち上がりは車体を壁際まで寄せて速度を保って、オーバーテイクのチャンスを削ごうとする。ターン11-12への、スピードを度外視しブロックを最優先に置いた直線的なアプローチなどは、紛れもなく、離れていこうとするタイヤを自らの意思のもとに繋ぎとめるドライブだった。苦闘は続き、そして、109周目の最終ターンのことだ。リーダーのヒンチクリフに向けて初勝利のためのファイナルラップを示す白旗が振られたその15秒ほど後ろで、彼女は右の180度ヘアピンへ向けてブレーキペダルを踏み込んだ。フィニッシュまであと90秒ほど、ここを抑えて、パッシングポイントとなる最後のターン1を守りきれば、表彰台に辿り着けるかもしれなかった、そんな場面でのできごとである。
レーシングドライバーは、タイヤと恋をする。だがタイヤはわがままで気まぐれで、結局恋はいつも一方通行だ。赤く縁取られたタイヤは、切なる思いを受け止めてはくれなかった。一途なブレーキングも虚しく、アンダーステアに陥ったシモーナ・デ・シルベストロのDW12はコーナーのクリッピングポイントを大きく外す。グリップを失い外へと孕んでいった彼女の懐にやすやすと飛び込んだマルコ・アンドレッティが履いていたのも、おなじオルタネートタイヤだった。