ジェームズ・ヒンチクリフの特等席

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【20134.7】
インディカー・シリーズ第2戦 アラバマGP
 
 
 NASCARを個人的な射程に入れていないうえインディカーのマニアとまではいかない、というのは毎年全戦できるだけ生中継で見るようにしつつもバイウィークやストーブリーグの情報をいちいち追ったりはしないGAORAの視聴者を意味しているわけだけれど、ともかくその程度のファンをやっていると、鮮やかな蛍光緑のgodaddy.comを見るたびダニカ・パトリックを思い出してしまって(もちろん彼女はNASCARでおなじカラーリングのマシンに乗っているからべつだん間違った連想ではないけれどもあくまでオープンホイールの話だ)、ジェームズ・ヒンチクリフという中堅にさしかかりつつある後任ドライバーの存在感はつい忘れがちになってしまうのだった。わたしがカナダ人でない以上これは仕方ないことではある。日本人に覚えやすい記号性はないし、特別速いわけでもないし、エピソードといえばダニカの扮装をして周囲を気持ち悪がらせたことくらいだし、だいたいにおいてチームもマシンのカラーリングも国籍さえも違うくせになぜだかJ.R.ヒルデブランドと紛らわしい、とこれは自分だけかと思ったらGAORAで毎戦実況している村田晴郎でさえけっこう言いまちがえていたりする。昨季はチームオーナーの息子――われわれはいつまでルーキーイヤーのマルコ・アンドレッティの幻影を追い求めればいいのだろう――のほうに比べればはるかに素晴らしい活躍を見せたものの、いかんせんもう一人のチームメイトが5年ぶりにチップ・ガナッシの牙城を崩してシリーズチャンピオンになってしまった。

 とはいえアンドレッティ・オートスポートなんていう名門チームに自分のシートを置いておけばチャンスは巡ってくるのであって、ヒンチクリフは今年の開幕戦で初優勝という結果を見事に持ち帰ってみせた。エリオ・カストロネベスを堂々と切り伏せたその走りは立派なもので、ダニカ唯一のインディカー優勝が戦略と運のフルリッチの混合によってもたらされたことを思えば、実質的にゴーダディ初めての「勝利」と言ってもいいのかもしれないくらいだ。プライマリータイヤ対オルタネートタイヤという不利な状況下で切られた85周目のリスタートは今季の絶佳なシーンのひとつとしてこれからも幾度かリプレイされるだろう。オーバーシュートしかけたエリオを尻目に完璧なブレーキングでクリッピングポイントを浚い、クロスラインからのトラクション勝負でターン2を制した瞬間など、どちらが歴戦のベテランかわかったものではなかった。

 なのだけれど、その後の3位争いがあまりに白熱しすぎたせいでチェッカーフラッグまでカメラが彼をほとんど映してくれず、日本でテレビの前に座っているかぎりではどうも初優勝の印象はぼやけてしまって、それに応じてわたしが記事にしたのもシモーナ・デ・シルベストロの苦闘についてだった(なお記事の反省を挙げるとするならば、シモーナが最後のスティントで履いていたのは中古のタイヤだったようで、劣化が早かったのもおおむね必然の範囲だったのを踏まえていなかったことだ)。ようするに快挙の後でさえ、ジェームズ・ヒンチクリフはダニカ・パトリックの記憶を上書きできない後釜で、あいかわらずJ.R.ヒルデブランドと紛らわしいドライバーだったわけである。

 そして、2週間後のバーバー・モータースポーツ・パークでのことだ。予選20番手に沈んだヒンチクリフは、あげくオープニングラップで受けた追突が原因でコーション中に左後輪を脱落させてしまい、結局レッカー車によってターン3のセーフティーゾーンに片付けられることになる。開幕戦の勝者にふさわしい結末ではなかったけれど、レースでよくある不運のひとつともいえる、その程度の事故に見舞われたのだった。でもインディカーのいいところはレッカーに牽かれようとピットに戻ってマシンを修理すれば再スタートできて、ちゃんとポイントも貰えることだ。もう一度フルコース・コーションのイエローフラッグが振られればレッカー車がピットまでマシンを運んでくれる。それまでヒンチクリフはコクピットに留まることを決めた。

 それにしてもレースではさまざまなことが起こる。何も起こらない、ということだって起こってしまう。もしかすると2013年インディカー・シリーズの第2戦は、開幕戦以上にヒンチクリフにまつわるイベントとして思い起こされるかもしれない。走らないレーシングドライバーを見ることができるなんて、わざわざこのレースのため朝4時にアラームを設定した甲斐があったというものだ。そう、ヒンチクリフが望んだ「そのとき」は来なかった。バトルの少ないレースは延々とアンダーグリーンで進行し、彼のマシンをピットに移送する機会は訪れなかった。実況アナウンサーにピザの配達を待ち焦がれているようだと言われるくらい長い間、彼は何もせずただただゴーダディのシートに座っていた。

 キャッチーであることは大事だ。ついにわかりやすいキャラクターが示されたことを怠慢なインディカーファンであるところのわたしは喜ばなくてはならない。ターン4で壁とキスするのがヒルデブランドで、コースサイドでピザを待ち続けるのがヒンチクリフ、これでもう混乱することはなさそうだ。事故から実に1時間半、レースが残り15周を切ってルール上ピットへ帰れる可能性がなくなると、ジェームズ・ヒンチクリフはついにマシンを降りた。立ち上がって思う存分に手足を伸ばし凝った体をほぐす姿はずいぶんと暇を持て余した後のように見えて、なるほど仕事を取り上げられたレーシングドライバーならそれも仕方ないことだろう。インディカーにカーステレオは積んでないし、あったところで排気音がうるさすぎて音楽なんか聞けそうもない。ストラテジストと90分会話を続けるのも難しそうだ。結局ピザも届かなかった。

 でもきっとみんな羨ましかったはずだ。たしかにヒンチクリフにしてみれば退屈極まりないシートだったかもしれない。だけど普通の観客にとって、レースカーがすぐ眼前を疾走していくその場所は、たとえピザが用意されていなくたって1000ドル出しても足りないくらいの特等席だったのだから。

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