真の友人はスピードだけだ

【2014.5.31-6.1】
インディカー・シリーズ第6-7戦 デュアル・イン・デトロイト
 
 
 ターン6で起きたセバスチャン・サベードラの単独事故のため導入されたフルコース・コーションに呼応してリーダーの佐藤琢磨と次いでエリオ・カストロネベス、ライアン・ブリスコーがピットへと向かったとき、その動きに疑問を感じなかったわけではない。ベル・アイル・パーク市街地コースの荒れた路面は彼らがスタート時に履いていた柔らかい赤タイヤの表面を削るように傷めつけ、短い周回のうちにグリップを失わせることが去年以前からわかっていたし、前日にも同様の傾向が証明されたばかりだった。側面が赤く塗られた柔らかいオルタネートタイヤと硬い黒のプライマリータイヤの両方を装着しなければならないルールの下で、だから先頭を行く彼らは早めに赤タイヤの義務を終えてしまい、優位に戦える黒タイヤで長い距離をはしる戦略をとったのだろうとは、たぶんインディカーを見慣れている人ならだれでも即座に理解できたはずだ。だがそのときレースは全70周中のまだ11周目で、満タンの燃料で走れるのは概ね25周だから、タイヤを替えてからさらに2回の給油を要する、つまり3ストップ戦略で戦わなければならなくなることも明白だった。見ている側としては、事故の後片付けが終わってレースが再開してから5周ほど赤タイヤで我慢し20周まで走れば、ロスを最小限に抑えつつ2ストップで済むのではないかと直感したし、実際2位を走っていたジェームズ・ヒンチクリフ以下ほとんどのドライバーがそうしていた。デュアル・イン・デトロイトの日曜日、名称のとおりダブルヘッダーとして行われたうちレース2の序盤に生じた展開の分かれ目である。3ストップを選んだ3人が余分な給油のために失う時間を取り戻すための猶予はあまり与えられていなかった。

 最終的にこのレースを優勝することになるカストロネベスには、彼を取り巻く状況を良い方向に運ぶいくつかの小さな幸運が訪れている。たとえば、コーションでステイアウトを選択した集団が最初のピット作業を終えてしばらくすると、彼の後方にはストリートコースとしては信じがたいほど広大な空間ができあがっていた。唯一黒タイヤでスタートし、2ストップ組の先頭に立っていたマイク・コンウェイが24周目からの第2スティントで赤タイヤを履いたためにまったくペースを上げられず、後続を大渋滞に巻き込んだからだ。ロングビーチで優勝したストリート巧者のコンウェイでさえ赤タイヤには手の施しようがなく、カーナンバー20は長い直線から直角に曲がり込むターン3への進入でしばしば激しくブレーキをロックさせ、コースを白く覆うほどの煙を巻き起こしていたのである。どんなコーナーを見ても2人のスピード差は明らかで、ラップタイムは2秒、ときに3秒も違い、カストロネベスはまたたく間に余分な給油時間を補うだけのリードを作り上げた。34周目に2度目のピット作業を終えた彼は2位でコースに復帰し、おなじ戦略のジャック・ホークスワースが次周にピットインしたことで苦もなく先頭に戻っている。さながらF1王者のようなレースぶりではないか。コーションでレースがリセットされやすいインディカーでは珍しい光景だが、もうひとつの幸運であったことにこの間に黄色い旗が振られることはなかった。

 たった10周のうちに2ストップ勢を置き去りにしたこの時間でカストロネベスの勝利はほぼ決まっていた。そのうえ35周目には、最初のスティントでリーダーだった佐藤がブリスコーの素人のような追突によってスピンを喫して勝負する権利を失ってもいる。予選で自分が記録したコースレコードをさらに上回り、スタートしてからも着実にリードを築くなど唯一の危険な敵でありえた佐藤が消えたことでカストロネベスを脅かす相手はいなくなった。その周からゴールまで、彼は一度たりともラップリードを譲っていない。

 そういう展開だったために、3ストップが本当に正しかったかどうかはレースの後になっても不明瞭のままだ。事故に巻き込まれた佐藤はもちろん、近いレベルの速さを見せつつあったホークスワークもペナルティを受けて後退したせいで戦略の効率性を推し量れなくなったし、さりとて「2」と「3」を直接比較しようにもコンウェイがレースを乱してわからなくしてしまった。ただ、いくら後続のペースが上がらなかったといっても、ピットストップ1回分のリードを1スティントの間に築きあげる作業が容易でないことはたしかである。そうしてみると、この日のカストロネベスにとって戦略などレースの要素ではなかったと結論してしまっていいかもしれない。彼はひたすらプッシュを続けるだけで、工夫も衒いも必要としないまま優勝することができた。59周目のコーションまでつねに10秒のリードを保ってレースを自在に操っていたことからも想像できる。どんな可能性の糸を辿っていこうとも、きっとデトロイトの2日目でエリオ・カストロネベスの通算29勝目を見る以外の未来は存在しなかったのだ。

 彼の勝利が純粋なスピードに裏打ちされたものだったことは、チーム・ペンスキーの同僚であるウィル・パワーも証明している。パワーは土日を通じて暴力的な走行によって都合4台の車に大きな傷を負わせ、うち2台を直接のリタイヤに追い込むなど周囲にさんざん迷惑をかけていたが、にもかかわらず自分だけは抜け目なく生き残ってレース1で予選16番手から優勝し、レース2はドライブスルー・ペナルティを受けながらも2位に戻ってきた。たしかに、事故以外の面では彼にもいくつか展開が味方してはいる。だがレース前に得点ランキングの首位に立っていたライアン・ハンター=レイを簡単に引きずり下ろすことができた主因は、やはり絶対的なスピードだったと言うほかない。結局ペンスキーは、ただ速さだけを頼りにデトロイトの2日間を持ち去っていった。

 スピードによる勝利はレースでもっとも正しく、もっとも確実で、もっともライバルに諦めを抱かせる。それはレースにおけるわかりやすい強さの現れであり、1年にわたる選手権を勝ち抜くためにただひとつ欠かせない重要な足場でもある。他の何を備えていたところで、スピードを欠く者に本当の勝機は訪れない。レースで真の友人はスピードだけだ。2013年に安定的なレースに徹しすぎてスコット・ディクソンを突き放す機会を逸し、結局最後に逆転されて3度目のランキング2位でシーズンを終えたカストロネベスは身をもって知っているのだろう。日曜日のチェッカー・フラッグを受けた彼はおもむろにウイニングランを味わって帰ってくると、初優勝から15年にわたってそうしているように金網をよじ登って拳を突き上げたが、その姿にはいつも以上に感情の爆発が見て取れた。もちろん今季の初勝利だとか、エンジンを供給するシボレーの地元で勝てたのだとか、特別に喜ぶべき理由を挙げることはできる。けれども昨年から彼を支援している日立への感謝を律儀に述べつつも興奮を抑えきれず早口でまくし立てるインタビューの様子からは、この優勝が1回きりの偶発的な事件ではなく、シーズンの全体像を見通すスピードに対する確信が窺えた。彼は得難い友人を得たのである。
 
 
 開幕からの4戦は戦略と燃費によって勝敗の針が振れる傾向が強かったが、インディアナポリス500を境に単層的で水平に拡がるスピードが支配するレースが3つ続いた。このわずか8日の間に勝利した3人のドライバーがそのまま得点ランキングの3位までを占めたことで、2014年のインディカーはシーズンの輪郭を鮮明にしはじめたと言ってもよいだろう。カストロネベスとパワーはもちろんのこと、デトロイトでありとあらゆる不運に見舞われたハンター=レイも、インディ500で見せた力とスピードが正しいコンテンダーであることを予感させている。

 インディカーがしばしば運に勝敗を左右されるカテゴリーだとはいっても、少しくらい運を味方につけたところでこの3人にシーズン単位で太刀打ちできそうなドライバーは探し当てられそうにない。強いてあげるなら昨季の王者で、ディクソンが去年のこの時期とおなじように「死んだふり」をしているのだとすれば今後も目を配る必要があるかもしれないが、なにしろ8月に終わるシーズンだから起き上がろうとしたときには何もかも手遅れになっていそうだ。まして、すでにリーダーから142点という大きすぎる差が開いている。インディ500ではらしくないクラッシュで自らレースを失った。死んだふりのつもりで埋葬されるのでは世話はない。シモン・パジェノーはいつかシリーズを制するべきドライバーだが、彼にチップを積むのは少し早いようだ。
 だからおそらく、選手権争いは多少揺らぐことはあっても3人を中心に回っていくだろう。そしてそうなった場合、現時点でのポイントからしても走りの迫力からしても、ペンスキーの2人のほうがやや優位に戦えるように思える。ハンター=レイはたしかに速いが、相変わらずミスも多い(彼のデトロイトの悪夢は、結局予選でのクラッシュから始まっている)し、カストロネベスが昨季を反省できるならもはや守り一辺倒の運転で行き止まりの撤退戦を選ぶような愚は犯すまい。あるいはロード/ストリート6レースに対してオーバルが5という残りの日程はパワーにとって歓迎こそできないものの、かといって昨年のフォンタナを制した彼がすでにオーバルを走れるドライバーであることも明らかだ。そもそも人数からして2対1で、いざとなったらどちらかを犠牲にしてエースの援護に回らせることだってできる(カストロネベスがそれを受け入れるかどうかについては、判断を保留したいけれど)。ハンター=レイが2人を同時に打ち負かすためには、最低限図抜けたスピードかよほどの幸運のどちらかが必要だろう。だがペンスキーは十分に速いし、2012年のような展開を期待するのは楽観的すぎる。

 ペンスキーは毎年のように選手権争いに絡んでいるが、気づけば2006年を最後にチャンピオンには届いていない。カストロネベスとパワーを揃えた2010年以降は4年連続で最終戦まで可能性を残しながらすべて2位に終わった。しかし最近のレースぶりを見るかぎり、どうやら条件は揃いつつあるようだ。すっかり勝負弱いという烙印を押されたこの名門も、今季になってようやくどちらかのドライバーをはじめての王座へと送りこむときが訪れたのかもしれない。できれば最終戦を2人で争えたら最高だろう。もし本当にそんな未来が3ヵ月後にやってくるなら、そのときはデトロイトこそ結末を予感させた週末として、だれにとっても思い出されることになるはずだ。

「敗者」は佐藤琢磨だけだった

【2014.3.30】
インディカー・シリーズ開幕戦 セント・ピーターズバーグGP
 
 
 いささか旧聞に属する、といってもいまだ継続中のできごとではあるのだが、ともかくその事故についてあえて誤解を恐れず述べるとするなら、偉大なF1チャンピオンだったミハエル・シューマッハがスキーの最中に頭部を強打して意識不明の重体に陥ったという報に接したとき、わたしに何らかの情動が引き起こされたかといえば、たぶんそんなことはなかったのだった。偽悪を気取りたいわけでなく、もちろん人並みに驚きはしたし、平均的なモータースポーツのファンと同様に心を痛めたとは思う。それでも2011年のラスベガスでやはり偉大なインディカーのチャンピオンだったダン・ウェルドンの死亡事故を目撃してしまったときに比べれば、感情の波はずいぶんと穏やかなものだったはずである。

 レーシングドライバーがサーキットで命を落とす衝撃と比較したら、というような話ではない。だれだってそうであるように、わたしにはわたし自身の生活と、感傷を抱く範囲がある。かつておなじサーキットを走った仲間をはじめとした彼に近しいひとびとと同様に振る舞えるわけがないのは当たり前のことで、AUTOSPORT webなどに並んだ一連の記事を読みながら、シューマッハという存在が急速に過去へと流れていき、自分が心を差し出すべきモータースポーツからはすでに去ったあとだった――それに対して、当時のウェルドンはまさしくその中心にいたのだ――とあらためて気付かされた、そういうシーズンオフがある年に存在したということである。

 モータースポーツは結局のところ今の情動なのだと何度か書いてきた。ひとたび車がコントロールラインをまたげば時計は容赦なく、1秒を1000ものあわいに切り刻んで、どんなときでも、だれにとっても、公平に、戻ることなく動きはじめてしまうのであり、一瞬と呼ぶことすら生ぬるいその今だけがすべてであるモータースポーツを過去に遡ってなお今のままとして書き留めようと信じるために、視線はひとつのコーナーの頂点にしか向かなくなってしまうものなのだ。一足早く始まったF1でも、3月最後の週末に開幕を迎えたインディカー・シリーズでも、われわれが抱くべき感傷は最後にはレースを微分した先だけに存在し、だからこそ目の前のレースを見る以外にない、できないのだと、ここでくらいは言い切ってしまっていいのかもしれない。

 2014年インディカー・シリーズの端緒となるセント・ピーターズバーグでの連続ポールポジションを4回で止められたウィル・パワーが新しいポールシッターとなった佐藤琢磨を抜き去った31周目のターン1からターン2、この場面を見るだけで週末のすべてに満足すべきだろうと感じられるほど濃密で良質な数秒間が、開幕戦の進路を佐藤のレースからパワーのレースへと変えさせた交叉点だったことはだれの目にも明らかだろう。このバトルが生まれた31周目までのうち28周をリードした佐藤と、首位を奪ってからゴールまでに76周のラップリードを積み上げたパワーとを合わせてふたりでレースの97%を制圧した事実を持ち出すまでもなく、この日勝利に挑んだと表現することが許されるのは、実際に圧勝したパワーと、最終的には7位という見た目には凡庸な順位に終わった佐藤だけだった。

 110周のうちの31周目のできごとが勝敗に直結した事実は、裏を返せばそれ以外の場面に異なるレース結果を生み出すかもしれなかった可能性がどこにも現れなかったことを意味している。佐藤を抜き去ったパワーは、そこからチェッカー・フラッグを受けるまでなんの危機もなく、ピット作業で一時的に順位を下げたときを除いて首位を譲らなかった。強いてあげれば82周目の終わり、フルコース・コーションから再スタートする際にリスタートラインの認識の違いによって生じた混乱がもしかしたらレースの綾になったかもしれなかったが、結局のところ原因となったパワー自身にはなんの被害も及ばなかったし、混乱のなかで不運にも起きてしまったマルコ・アンドレッティとジャック・ホークスワークの事故はレースの本質とはおよそ無関係なもので、ペースカー導入周回を少し延ばす効果を生む程度のできごとに終わった。そしてほとんどそれだけだ。セント・ピーターズバーグで起きたそのほかのことは、覚えておくほうが難しい。

 たとえば2位に入ったライアン・ハンター=レイの姿を見た人が、この日曜日にいったいどれくらいいたというのだろう。最後にはパワーに2秒差まで迫れるスピードを備えていたはずなのに、その走りに心揺さぶられる――国籍を超えて、と言ってもいいが――時間などいつまでも訪れなかったではないか。終盤にようやく導入されたペースカーを利してエリオ・カストロネベスを抜いてはみたものの、あとはぼんやりとパワーの背中を眺めるだけで過ごした結果、2位という順位が舞い込んできたにすぎなかったのであり、勝者をレースにおいてリードする者だと置くならば、1周たりともラップリードの欄に名前を刻めなかった彼に、勝利に挑む資格など最初からなかったのだといえる。

 いやそれだけでなく、最終結果には2位から10位のライアン・ブリスコーに至るまで3人のシリーズ・チャンピオンを含む8人の優勝経験者がずらりと並ぶことになったにもかかわらず、そのなかではっきりとパワーの前にひれ伏すことのできたドライバーは数秒間のバトルの末に屈した佐藤琢磨以外にいなかっただろう。もちろんそれぞれにいくばくかの好感すべき場面は存在しえたとはいえ、レース全体を揺さぶる可能性を感じることは難しかったはずだ。佐藤が敗れたと言える瞬間はまぎれもなく31周目ターン2であったが、ほかのドライバーはその瞬間を知るよしもないまま、自分なりの順位で一日を終えたのだった。それはたぶん敗北とは認めがたい別の結果であり、佐藤がこの日讃えられるべき理由でもある。

 敗北とは、それを勝利の裏返しとするならただたんに1位以外の順位でチェッカー・フラッグを受けることである。だが2位以下に終わったあらゆる者をそうやって同じに括ることはかならずしも正しくない。昨季中盤のカストロネベスがしばしば自分のポジションを守るためだけの姿勢に硬直しつづけたことと、たとえばアイオワで圧倒的な速さを誇ったジェームズ・ヒンチクリフに一太刀を浴びせたのちに乱気流に沈んだグレアム・レイホールの走りを同様に扱うことが歓迎されるはずはないといえば納得がいくだろう。

 1位以外のすべてという膨大な可能性から、なおもわれわれが心から「敗北」と呼べる現象があるとすれば、それは勝者にならんとする資格をつねに持ち続けながらそれでも屈服するということ、1位以外という怠惰な意味に留まるのでなく、どこかの瞬間で血を流しながらなお敵に後れを取った悲劇としてはじめて立ち現れるものである。その意味で、敗北に辿りつくための困難はときに勝利よりもはるかに険しい。昨年のロングビーチで佐藤が遂げた初優勝がそのキャリアの曲折に比してあまりにもあっさり見えたものだったように、勝利がともするとレースの海原に身を任せて漂流することでさえ得られるものでもあるのに対し、真なる「敗北」とは、流れる順番を受け入れるのではなく、杭にでも捕まるようにして抵抗し、そのうえで虚しく根こそぎ薙ぎ倒されるほかはないものなのだ。それはすなわち戦った証である。レースに自分を委ねるものに敗れる資格などない。

 敗北を厳選し意味づけなければならないのは、モータースポーツの、「今」によって引き起こされる情動がきっとほんとうの「敗北」が訪れる瞬間にこそあるからだ(昨年の最終戦がまさしくそうだったように)。たんなる勝利の裏返しではなく、勝利への意志が無残にも引き裂かれることではじめて出現する敗北を観戦者の特権として発見し称揚することで、われわれは貴重な燃料が怠惰のなかに消費されることを拒否し、レースに価値を与えるのだと信じることができる。そこには豊かな観戦場所があるだろう。モータースポーツを見る、語るとは、それを探す営みにほかならないのである。

 新しいシーズンの始まりで幸運にも、われわれはその瞬間を見つけ出すことができた。普通ならしばしば見られる度重なるクラッシュによるレース中断や激しい順位争いがほとんどなかったことは、開幕戦のためにインディカーがそれをよりわかりやすく浮かび上がらせたということかもしれない。2014年のセント・ピーターズバーグは、31周目ターン1~2のわずか数秒間によって、勝利と敗北を残酷に頒かつことになる。覚えていられる場面は少ないが、これだけ覚えておけば十分だろう。ターン1の進入でアウトからペンスキーが並びかけ、インサイドを守って一度は抵抗したA.J.フォイトが切り返しのターン2で悲鳴を上げる。勝敗を鮮やかに切り取るたった1回の交叉点で、ウィル・パワーは勝利し、佐藤琢磨はそれ以上に正しく、敗れたのだった。

本当の被害者はきっとウィル・パワーだった

【2013.8.25】
インディカー・シリーズ第15戦 ソノマGP
 
 
 それが事件であったことは疑いようがない。そして、たんなるひとつのアクシデントとしての事件にとどまらず、もしかするとスキャンダルへと発展しかねないことも間違いないだろう。インディカー・シリーズの第15戦で起こった危険な事故について、規則は一方の当事者であるスコット・ディクソンに罰を科すことを決定した。選手権のリーダーを直下で追いかけているディクソンは、レースで最後となるタイヤ交換と給油を終えて発進する際、眼前に配置されたペンスキー・レーシングのピットでウィル・パワーのタイヤ交換作業を終えたばかりのクルーを撥ねとばした。レースを解説していた松浦孝亮の第一声が「ディクソン終わった」だったことからも察せられるように、事故は、ホイール脱着用のエアガンを踏みつけたり置いてあるタイヤに接触したりするのと同様に、あるいは起きうる事態の深刻さを考えればより重い罰則の可能性を直感させるものだった。一度は完全に宙を舞ったそのクルーと、巻き込まれた2人はみな幸いにも打ち身程度で済んだものの、轢かれた側のペンスキーと轢いた側のチップ・ガナッシ・レーシングの関係者が揉めているような映像に代表された喧騒ののちに、はたして今季4勝目をほぼ手中に収めていたはずのディクソンは事故の責任を問われてドライブスルー・ペナルティを宣告され、序盤から続出したフルコース・コーションのために維持されていた隊列に呑み込まれて15位でレースを終えることになる。パワーとおなじくペンスキーでドライブするエリオ・カストロネベスに対してほとんど同点にまでなろうとしていた選手権ポイントはレースの終了とともに39点差にまで拡大し、シーズンは4戦を残すのみとなった。ソノマ・レースウェイの64周目は、その1周の最後に生じた出来事によって、あるいは2013年のインディカーのすべてを左右しようとしている。

 事故についての議論が収まることはおそらくない。レース後に出された “That’s probably the most blatant thing I’ve seen in a long time”「長い間見てきた中で、たぶんいちばんあくどいやり口だ」というディクソンの披瀝は「加害者」とは思われないほどの悪態と言ってもよいが、彼とは違って利害を持たず、操縦席の外からレースを長い間見てきたわれわれもまたおなじように感じられるにちがいない。事態を仔細に眺めてみれば、ペンスキーのピットでウィル・パワーの右後輪脱着を担当したクルーは作業を終えた直後に――すぐ後ろにいたディクソンが走り去るのをその場で待てばいいのに、そうすることもなく――古いタイヤを片付けにかかり、わざわざ接触しやすい持ち方でディクソンの進路を妨害するように抱えて、ジャッキマンが発進するパワーの車を押そうと身構えるその後ろ足よりもさらに後方を悠然と歩いていたところでタイヤごと飛ばされる形で事故に遭遇した。だから、いささか四角四面に現象にこだわれば、ディクソンはクルーを轢いていない。クルーのほうが当たれとばかりに突き出したタイヤに、そのとおり接触したにすぎない(「すぎない」と言ってしまってもいいだろう)のだから、正当な進路を塞がれたのはむしろ自分の方だと主張することもできるし、事実コメントにはそういう怒気がこもっている。あの行動にあきらかな一定の意図を、ハンロンの剃刀では削ぎ落としきれない悪意を見て取ることは容易なはずだ。戦略担当であるティム・シンドリックは頑として否定するだろうが、しかしペンスキーにとって、それはたまたま映像が衝撃的に見えてしまっただけの、発生しても構わない事故だったのではないか。

 たしかに、チームのガレージごとに整然と区切られ一度に1台しか作業が許されないF1と違い、十数台が入り乱れることもあるインディカーのピットではしばしば物理的な妨害が行われ、名物になってもいる。前後の車のピットイン/アウトのラインを最大限窮屈にするためタイヤを自分の領域ぎりぎりの端に置いておくのは、とくにコース上の全車がピットイに飛び込んでくるようなフルコース・コーション中の日常的な光景で、むしろその程度の嫌がらせを平然と際どくやってのけることこそピットロード側で作業をするクルーが持つべき資質のひとつでさえあるだろう。だがこうした空間の削り合いなどの慣習は、裏を返せばピットの中でお互いが自ら侵しえない領域を暗黙裡に規定しあっている事実を、現実のピットボックスの存在よりも鮮明に示しているにほかならないし、だからこそ接触に対する罰則が無条件に甘受すべきものとして共有されてもいるのである。ディクソンはごく自然に、いつもどおり、相手の領域をかすめるように発進し、その当然の進路上をペンスキーのクルーは歩いていた。blatant――「あくどい」また「露骨な」という意味もある――なる非難からは相手が領域の外、もはや存在が尊重されるべくもない空間であからさまに接触を試みた(ように見えた)ことが窺えるが、そこはたしかに侵されてはならず、侵された覚えもない場所だった。

 だがどれだけ声を荒らげようとも、ディクソンの非難が届く先はない。ペナルティによって失った何もかもを取り戻す方策がないことはもちろん、万が一相手を事後的に罰する僥倖に恵まれたとしても、本当に裁きたいのは事故の当事者のパワーではなく選手権を争うカストロネベスであり、この直接のライバルはコース上の出来事において完全に事故と無関係だからだ。規則は現実の危険を罰するために存在しているのであり、裏に潜む悪意のすべてを汲み取って裁きを与えるようにはできていない。たとえピットクルーの行動に明白な悪意が存在したことを証明できたとしても、カストロネベスが手にした結果を覆すことは難しいと理解できるからこそ、ペンスキーは安全を破壊する誘惑に抗わない道を選んだ。それが特定のだれかの決断と指示であったと推測はしないし、また本当に具体的ななにかがあったとも思わない。ただ、あたかもチームの一般意志として賢明なクルーが自然にそう動く程度には利益をもたらす行動だというだけの話である。

***

 ペンスキーがシーズンの利益に重きを置いたことは、しかしウィル・パワーの勝利に影を落とした。彼にとって待ち望まれていたはずの今季初優勝が祝福されざるものになってしまったのは、軽傷とはいえクルーが怪我を負ったことや疑惑によってディクソンから勝利を奪い去ったことによるものではない。すでにチャンピオンの可能性をほとんど失っているパワーはレースの前に、初めてのチャンピオンへと歩を進めるカストロネベスをチームメイトとしてできるかぎり援護したいとインタビューに答えている(過去数年、自分自身がチャンピオンを争う立場にあったときには得られなかったにもかかわらずだ)。そして事故は、まさしくカストロネベスをこれ以上なく援護した。レースを実況した村田晴郎が端的に指摘したように、あの瞬間のペンスキーにとっては、接触の咎をディクソンに負わせ罰則へと誘導することが最高の結果で(実際それは果たされた)、そのためにパワーを犠牲にすることを厭う理由はなかったはずなのである。エリオ・カストロネベスを選手権で優位に戦わせ、最終的にポイントリーダーのままシーズンを締めくくること。その一事だけに関心を向けたとき、もはやパワーの順位はチームとしての意義をほとんど持ちえなくなってしまっている。

 パワーにとって不幸なことに、ピットにはペンスキーとカストロネベスの最大の脅威となったディクソンをblatantに妨害できるだけの要素があまりにも揃いすぎていた。先頭を走るディクソンを追いかけていたパワーはコース上のバトルで勝利しその得点を削ることでチームに貢献できる可能性を持っていたが、チームは目の前に用意された、より安易で、効果的で、利益の大きい一手を採用したのである。それは肉体的に厳しいソノマで懸命に厳しいレースペースを刻んでいたパワーの努力を蔑ろにし、完全に無視するような選択だった。結局、スキャンダラスに引き起こされたあの瞬間はペンスキーの、ディクソンではなくパワーに対する「blatant」の証明として突きつけられているように見えてきてしまう――彼の背後で発生し、彼自身が当事者でありながら、彼を主体とする事故では微塵もなかったのだ。あるいは当事者であったゆえにむしろ、主体たりえないことをより強く思い知らされたと言うべきかもしれない。85周目に至るまでパワーは責任を問われることなく優勝を遂げたが、そこにペンスキーの意志はこもっておらず、ただひたすらに結果としての勝利でしかなかった。レース後の喜びにペーソスを感じさせるところがあったとしたら、きっと本人がその意味をよく理解していたからに相違ない。

気がつけばスコット・ディクソンは帰ってくる

【2013.7.13-14】
インディカー・シリーズ第12-13戦 インディ・トロント
 
 
 ここ数シーズンの最終戦で見せてきた振る舞いがそうだったように、彼のトロントは、またしてもその精神の退路を断たれた末の破綻として、何度も繰り返されてきたものと似たような終幕までを演じている。それはウィル・パワーという優れたドライバーが帰ってきたようでいて、破綻の行く先があたかも美麗な悲劇であるかのような模様を帯びているのだが、もちろん今年の彼はまだ何事もなしてはおらず、チェッカー・フラッグを受けることなく最終ラップで車を壊して帰ってくることを許されているわけではない。

 深いブレーキングで表彰台の端に足をかけるようとするドライバーの信念を野心と呼ぶのであれば、土曜日のレース1の85周目にバックストレートでダリオ・フランキッティと接触しながら文字どおりインをこじ開け、一度は前に出た彼の挙動はまさしく野心的であったと言うべきかもしれないが、じつのところその野心はたいして意味を持たず、2013年のインディカーになにかを与えることもなければ、もちろんなにかを奪い去っていくわけでもない。いまだ勝利がなくすでにチャンピオンの可能性もほとんど潰えた今となっては、3位のために飛び込んでいくことはほとんど無価値で、少なくとも毎年最終戦までタイトルを争う――かならず敗れるにしても――彼にとって、そのポジションはたかだか2位で歓喜のドーナツ・ターンを舞ったセバスチャン・ブルデーほど切望されるものではなかったはずだし、2年前にやはりおなじ場所でパワーを撃墜したフランキッティが優勝し、その年をも制したことに比べれば、変化をもたらすことを望むべくもない、だからせいぜいわれわれが見出すのは、パワーが現状に抱いている苛立ちのようなものだけだ。功を焦って閉じられかけていたインサイドを突き破るかのように飛び込んだ彼のブレーキングを見ればだれだって、彼は追い詰められている、むしろ追い詰められている以外の情動はないのだと思い、その結果として現れたクラッシュという現実だけが、タイトル争いの圧力に屈した過去とおなじように見えることに気づく。ターン3のタイヤバリアに突き刺さってリタイアした後、インタビューに応じた彼は、チャンピオンを逸したときに露にされる諦念をまとった笑顔とおなじ表情を浮かべた。ウィル・パワーの2013年はすでに終わっている、最終戦で終える例年のように。

 最初の野心に意味がなかったわけではない。それはレーシングドライバーとしては当然の、リーダーとしてチェッカー・フラッグを受けたいという単純な野望で、つまり63周目、ピットに要した時間とタイヤの温度の差によって逆転を許したスコット・ディクソンに対して、パワーは22周後にフランキッティにするのとまったくおなじようにインサイドに踏みこんでいる。そこにはこのレースに対する緊張が溢れており、ディクソンはコースの中央を占拠してパワーに有効な空間を与えず、わずかながらブレーキングゾーンで内側に鼻先を向けてみせると、通常のラインと減速地点を見失ったパワーはターン3を外して、もはや逆転不可能な位置にまで後退することになる。おそらく現実的にこの瞬間だけがディクソンの連勝を止める唯一の機会であり、パワーの無謀さは報われてもよかったが、埃の積もった壁際はその左足の踏力を受け止めることはない。それはたんなるモータースポーツの現実であり、野心も切望も、タイヤのグリップを超えることはないのだとまたも教えられる数ある場面の一つである。こうして、一瞬にしてレースの焦点はパワーから奪われて、ディクソンは戦線に戻る優勝に向かって加速していく。69周目のリスタートでブルデーがいちどは先頭を奪ったが、そのリードチェンジがレースを動かさないことは明らかだった。もちろん、すでにポール・ポジションを得ていた翌日曜日を逃げ切ってしまうだろうことも。

 4月にインディカー・シリーズで初優勝した佐藤琢磨がホンダエンジンユーザーのなかで最多のポイントを獲得し、twitterで#indyjpのハッシュタグがついたつぶやきが浮かれに浮かれた雰囲気を漂わせていたころ、わたしは今季のシリーズ・チャンピオン候補としてスコット・ディクソンを挙げたりもしていたのだが、それはべつにアイスマンの異名をとるこのニュージーランド人がランキング2位にまで浮上した今の状況を予見していたわけでもなんでもなく、どういう角度から見ても本命が不在だったシーズン序盤において、細かくポイントを拾うことを得意とするディクソンが、もしかすると失う量の少なさによって他のドライバーを凌ぐかもしれないと考えたからにすぎない。その予想の中に速さの解答を探し求めていたチップ・ガナッシの復調は組み込まれておらず、だからチームメイトのダリオ・フランキッティのことはとことん無視していた。そのころのチームが明らかに変調をきたしていたことを思えば予想は鼻で笑われる程度のものだったし、現状を知ったうえで振り返ってなおたいした説得力を持つものではないことも自覚している。実際、なにが起こったとのかわかったものではない。7月の声を聞いたときに1勝もしていなかったドライバーが、7月14日には最多勝に並んでいるなんて馬鹿げた話をいったいだれが信じるというのだろう。ただたんに、ダブルヘッダーを含めて3連勝したというだけの話ではなく、あれだけ遅かったはずのチップ・ガナッシが、いつの間にかやすやすと、後続に影も踏ませずポール・トゥ・ウィンで逃げ切ってしまう展開を作り上げてしまっているのである。

 もちろん、5月の終わりからデトロイトのダブルヘッダーを挟んでインディアナポリスからオーバルレースの連戦が続く間に、チップ・ガナッシは長らくチャンピオンにあり続けたチームらしく着々と反撃態勢を整えていたのだが、ただたんにホンダエンジンが当初の照準とは裏腹にあまりにもオーバルに適性がなかったために、回復していた戦闘力が隠蔽されたまま、舞台がストリートに戻ってきたことでようやく顕在化したということなのかもしれない。ともあれ悪夢以外の何物でもなかった6月のオーバル3連戦が終わり、幸いにも燃費レースとなったポコノを拾い上げると、彼らはついにトロントでシリーズの中心を自分のものとしている。11戦目までのボックススコアと12、13戦目のそれを重ねあわせればあわせるほど、首を傾げざるをえなくなる。土曜日と日曜日のポール・ポジションを2人のエースで分けあい、そして両日とも、見慣れた#9を背負った5年前のチャンピオンが持ち去っていった。カーシャンプーのメーカーとして日本でも知られるソナックスがインディ・トロントのダブルヘッダーを2レースとも優勝したドライバーに10万ドルの賞金を提供すると決定したとき、もしかするとまさか本当に払うことになるとはあまり思っていなかったかもしれないが、ディクソンはそれを軽々となして、ポイントランキングの下位に注意を払わなかった人々を嘲笑っている。

 チームのクルマづくりがうまくいっていなかったシーズン序盤が、フランキッティよりもディクソンの背中を押したと考えるのは無理のある仮説ではない。悪い車を悪いなりに走らせることに長けている彼は、そうやって目立たない我慢を続けるうちに気がつけば――これはしばしば彼につけられる最大限の賛辞である――それなりの順位を得て、いまやいるべき場所に戻りつつある。ポイントリーダーとの得点差は、すでに29になった。ウィル・パワーが2013年のすべてを投げ出すブレーキングを軽妙に受け流して、投げ出さなかったスコット・ディクソンは不調を極めたシーズン前半を拾い集め、シリーズをふたたびやりなおそうとしている。

たった一瞬の勇気が人をチャンピオンにする

【2012.9.15】
インディカー・シリーズ最終戦:フォンタナ・MAVTV500
 
 
 ライアン・ハンター=レイがチャンピオンに足る資格を持っていた時間は、そう長くはなかった。ウィル・パワーに対し17点ビハインドで迎えた最終戦の残り21周までシリーズ逆転には届かないポジションを走っていたという意味でもそうだし、シーズン全体で見てもポイントリーダーでいた期間は短く、スピードに恵まれてもいなかった。それこそ第8戦から第10戦にかけて3連勝を記して首位に立ったときすら、どちらかといえば幸運によってもたらされた、いわば盛夏の前の一時的な綾であって、彼がダン・ウェルドンの遺作DW12で争われる2012年を制するなどちょっと考えにくいと思われたものだった。

 結局、シーズンが終盤に差し掛かると、速さと信頼性を兼ね備えたウィル・パワーが、ピットの位置やイエローコーションの不運に泣かされながらも3戦連続で表彰台を守ってリーダーの座を奪い返し、初めてのタイトルに地歩を固めつつあった。第14戦のボルティモアでハンター=レイが4勝目をあげ、ペンスキーが天候を読みきれずにタイヤ選択を誤りパワーを6位に終わらせたことで数字上は希望の残るポイント差で最終戦にもつれたとはいえ、シリーズが覆るほどの見通しは感じられない、というのがわたしの正直な感想だった。この勝利にしたところで、雨の中スリックタイヤで踏みとどまる作戦が的中し――もちろんスリッピーな路面を破綻なく走り切った技術は賞賛されなければならない――、イエロー・コーション明けのリスタートであわやジャンプスタートに見えたところを不問に付され、はてはオーバースピードでターン1に突き刺さりかけた(DHLのステッカーを貼ったマシンで、DHLの看板に!)ところをあやうく逃れた末のもので、逆転の予感を抱かせるには物足りなかったのである。

 ハンター=レイが、積み重ねたポイントに比して強い印象をもたらさなかったのは故ないことではない。予選で上位に来ることは少なく、決勝もスピードより戦略で……いやもっと言えば運によってライバルを押さえ込んだレースがしばしばあった。象徴的なのは第10戦トロントで、ルーティンをずらして早めに給油を行った直後にフルコースコーションとなり、アンドレッティ・オートスポートのマシンは労せずして先頭に立ったのである。たとえば、ハンター=レイは2012年のシーズンにおいて153周しかラップリードを記録していない。少なすぎるというわけでもないが、しかし419周をリードしたスコット・ディクソンの4割にも満たず、タイトルを争ったウィル・パワーの283周に対して半分強でしかなく、チームメイトのエリオ・カストロネベスの237周に負け、シリーズ17位だったアレックス・タグリアーニの93周の160%に過ぎなかった。何より自らが完了した1722周のうち8.8%しかリードしていない。レースに展開の綾というものがあるのなら、それに都合よく助けられがちだったのがハンター=レイで、裏切られつづけたのがパワーだった、と言ってもそう的を外してはいないだろう。

無作法もいささか目についた。第13戦ソノマでは終盤のリスタート明けにタグリアーニの無遠慮で軽忽なアタックに撃墜されてポジションを失い、レース後相手のピットに乗り込んでさんざん口論を繰り広げたが、何のことはない、ロングビーチでまったくおなじことをして佐藤琢磨をスピンに追いやったのはハンター=レイ自身なのだ。だから我慢して口をつぐめというのは飛躍だとしても、なるほど天野雅彦の言うとおり王者にふさわしい振る舞いには見えはしない。こういった行状を振り返れば、最終戦に持ち越されたチャンピオン争いは、しかし17という点差ほど白熱しそうもなかった。

***

 オート・クラブ・スピードウェイのトラック上でウィル・パワーがライアン・ハンター=レイと争っていたポジションは13番手で、チャンピオンの行方とはまったく無縁だった。56周目に、オーバルを得意とはしないパワーがインサイドで見られる典型のようなスナップスピンでセイファー・ウォールの餌食となってもなお、その道連れをすんでのところで逃れたハンター=レイに課された使命は6位の確保であり、彼の示していたスピードはその実現の困難を物語っていた。事実この日はじめて導入されたフルコース・コーションまでのあいだに、ハンター=レイはトップからおよそ半周、30秒の遅れを背負っていたのである。

 ハンター=レイにとって幸運があったとすれば、この日のフルコース・コーションがおおむね望ましい頃合いに導入されたことだった。パワーがクラッシュした56周目にはじまり、74周目、108周目といったタイミングは、ほとんどすべてのチームにステイアウトではなくコーション中の給油を選択させた。それはハンター=レイ自身にとっても例外ではなく、突飛なギャンブルに出て失敗するリスクを考慮せずともイエロー・フラッグのたびに失ったギャップをリセットすることができたのである。パワーが一時的にレースに復帰してポイントを積んだことで逆転王者の条件はさらに厳しく5位へとかわったが、それでもなんとか、周回遅れという決定的な終戦を逃れることはできていたのだった。

 ただ、何度リスタートがかかっても、ハンター=レイが戦闘力を発揮して王者への渇望を見せる瞬間は来なかった。182周目にライアン・ブリスコーがオーバーステアによって壁に向かっていったとき、8位を走っていたハンター=レイはまたも20秒のビハインドを背負っており、スピードに欠けることは明らかだった。ピット作業によって6位に上がったにもかかわらず、190周目のリスタートでやはり加速と同時に前のマシンからあっという間に引き離された上に後方から4人のドライバーに脅かされて、順位を失うのは時間の問題に思えた。隊列のラインがインとアウトに大きく分かれ、また合流することを繰り返す独特の見栄えのバトルが展開されるこのハイスピードオーバルのレースをテレビで見ながら、わたしはまだハンター=レイがシーズンを制することをまったく信じることができなかった。

 アンドレッティ・オートスポートのスピードに逆転の光明を見出すことは不可能なはずだった。190周目、グリーン・フラッグと同時にハイサイドのトニー・カナーンから執拗にアタックを仕掛けられ、ハンター=レイは中央にラインを取った。グラハム・レイホールにドラフティングに入られる。チームメイトのマルコ・アンドレッティにインサイドを押さえられた。前では佐藤琢磨とアレックス・タグリアーニが接触せんばかりの接近戦を繰り広げている。行き場はなかった。激しいバトルのさなかに放り込まれて、ハンター=レイは5台に囲まれた。集団の中で、劣勢は明らかだった。

 だが彼は、この日初めてチャンピオンのための戦いを見せる。乱気流の中心という極めて危険な位置を走らされ、次の瞬間フロントのダウンフォースが抜けてすべてを失ってもまったく不思議はなかった。それでもなお、ハンター=レイは自分の空間を譲らなかった。最大のリスクに晒される場所で、臆することなくスロットルを開け続けたのである。トップ5に通用するスピードはまだなかったが、前だけを見つめて6位を守り続けた。ダーティー・エアーを浴びながらも後続を紙一重でしのぎ続けるその姿は、とても感動的な、今年のモータースポーツでも白眉となる美しい苦闘だった。

 そして勇気は報われる。229周目、3位を走っていたタグリアーニのホンダエンジンが白煙を吐き出した。ハンター=レイはとうとう、2012年の権利を得たのだった。

***

 ウィル・パワーは、無力な最終戦によってチャンピオンを失った。2年前と同様にリーダーとしてスタート・コマンドの声を聞いたにもかかわらず、やはり2年前と同様に自らの愚かなミスによってキャリアの頂点を台無しにした。レースで有利な立場にいるドライバーがしばしば犯しがちなように、ボルティモアでコンサバティブになりすぎ、フォンタナで戦いに加わる気力を持てなかった。リアを潰したマシンから降り、ピットへと戻ってきた彼の顔からはすでに勇気が失われていた。堂々とリスクを受け入れ、それを乗り越えたハンター=レイに対し、パワーが喫したスピンはあまりに繊細にすぎたのだ。彼は、モータースポーツが紡ぐ因果の報いを正当に受けたのだろう。トラックに留まらないドライバーに勝利が与えられることなど、決してありはしない。

 結局、ライアン・ハンター=レイがシリーズをリードしていたのは、夏の1月ほどと、あとはシーズン最後の20周だけのことである。だが失うものが生まれた最後の20周で、彼はすべてのリスクを追い求めて、乗り越えた。235周目のリスタートで佐藤琢磨にバトルを仕掛けてハイサイドに張りつく。インサイドで事故が起これば巻き込まれかねないラインを恐れずに走り続け、スピードでは敵わないはずだった佐藤を制した。240周目、カナーンのクラッシュとともに突如示された赤旗中断も、もう関係無かった。残り8周、ふたたび佐藤琢磨との壮絶なバトルに身を委ね、彼は堂々たるチャンピオンの資質を示した。喪失に恐れを抱かず、勇気とともに前だけを見据えるドライバーにこそ、勝者の資格がある。2012年最後の20周で、ハンター=レイはたしかにチャンピオンとして生まれたのである。250周目のことだ。まるでインディ500のファイナルラップを再現するかのように、インサイドの佐藤琢磨がリアを振り出してスピンに陥った。タイヤスモークとともにレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングのマシンがセイファー・ウォールへ突き進んでいく。間近で起こった最後の危機も、全開のスロットルでかいくぐった。ファイナルラップで起きた混乱の中、レースの決着をチェッカーより一足先に告げる最後のイエロー・フラッグが振られたそのとき、ライアン・ハンター=レイは、もう4位を走っていたのだった。